縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

縄文なるもの

2018年10月31日 09時32分05秒 | 縄文

縄文の話しが聞きたいと、ある児童文学者が訪ねてきたので長者ケ原遺跡をご案内したが、その謙虚で無垢な好奇心に感銘を受けた。

糸魚川市街を見下ろす高台にある長者ケ原遺跡入口にて

 

先日も会ったことがない高名な神社の宮司からお電話を頂いたのだけど、一時間ほど話した会話の中で宮司が発したたった一言が、私の想う処の縄文の核心を見事に言い表しておられて敬服したばかり。


その一言は宮司の人生観であるようで、知識としての縄文ではなく「縄文なるもの」を哲学として実践されておられる先達と分かり、すっかり意気投合。

是非とも糸魚川に遊びに来て欲しいとお誘いして、電話を頂いた礼の手紙に糸魚川観光のパンフレットを添えた。


縄文土器の芸術性や文様の解釈を熱く語る人は多くても、「それ」を人生の指針や哲学としている人はどれだけいるだろうか。

四の五の言わんと態度で示す、そんな人に私もなりたいし、そのような先達と出会えるのは縄文をテーマにヒスイ加工をしているお陰で、誠に感謝に堪えない。

 


カタチの実存性・・・絶滅危惧種職人の遠吠え

2018年10月27日 08時49分26秒 | ぬなかわヒスイ工房

現代の名工鍛冶師が鍛造した文鎮を飾る丸玉を依頼された。

戦国時代は鉄砲鍛冶、江戸時代は刀工、明治から鋏鍛冶となったご先祖を持つ依頼者の伝統工芸士は、鋏を注文しても2年待ちという名高いお方。

依頼されたのは、名のある書道家や華道の家元、茶道の宗匠のような方々の文机に鎮座するであろう高級品の絹紐を止める丸玉。

 

鋼鉄を切出して研磨しただけの百円ショップの文鎮と、職人が昔ながらの鍛造で手作りした文鎮、どちらも機能と言う点では同じだし、値段も比較にならないだろうが、それでも昔ながらの鍛造した文鎮を求める人はいるとのことで、私もそんなヒスイ仕事がしてみたいもんだ。

 

現代の丸玉の大部分は、お好み焼きの鉄板のような沢山凹みのある鋼鉄の皿に粗く面取りした石を入れ、鋼鉄の蓋を被せた丸玉加工機を強制振動することで丸く作られ、大量生産されている。

数珠などに使用される丸玉の大部分はこの方法で作られた量産品だが、職人の手作り品と比べると綺麗な球体ではある。

それでも大量生産品は、個人的には品格と言う点で疑問符が付く。

異業種でヒスイに詳しくない方なので、色んなタイプのヒスイや薬石で丸玉を作ったが、通す絹紐がぴったり収まる工夫をしてある。


量産品と比べて多少は歪であっても、人が丸くなって欲しいと意識を注ぎ込みながら、石を回転させて成形・研磨する運動経験が産み出す存在感が品格を生むのではないか?

カタチがカタチ作られていった実存性は、私の課題の一つでもある。

それが手の温もりではないか?と、生意気にも名人と世に知れた異業種の大先輩に購入品の量産丸玉を見せて思う処を述べたら、人の手で作った丸玉が欲しいとのこと。

当たり前と言えば当たり前で、鍛造品の文鎮には量産丸玉は似合わないと、個人的には思う。

私好みのお茶人の感性というやつで、こういう考えを当たり前とする大先輩と共に作り上げていけるのは職人冥利。

丸けりゃ丸玉ではないのだよ!勾玉のカタチになってさえすりゃ勾玉ではないのだよ!とは時流に逆らう絶滅危惧職人の遠吠えだが、やせ我慢してでも遠吠えを続けていれば、異業種であっても同族に会えるのですね。

 

苦労して高山に登るのと、ヘリコプターで山頂に立つのは同じか?

富士山に滲み込んで長年伏流して湧き出した岩清水と、下水は化学式はH2Oでも同じ水なのか?

食事で栄養を身に付けるのと、サプリメントを飲んで身に付けるのは同じか?

現代社会は大事なことを忘れているように思う・・・これも絶滅危惧種人間の遠吠え。

 

 


アイヌ目線の松浦武四郎・・・皇国史観

2018年10月21日 09時06分43秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

昨夜、上越市の友人がプロデュースする、樺太アイヌの弦楽器トンコリ演奏家のOKIさんの新潟初ライブがあった。

ライブ直後のCD物販ブースで忙しくサインをしていたOKIさんに、撮影許可を求めたら私に向き直ってポーズを決めてくれた。


冒頭から「・・・松浦武四郎が『アイヌ人物詩』の中で、樺太ですごいトンコリの名人の老人と出会ったと記録していて・・・」と始まって、身を乗り出して興奮。

江戸時代のベストセラー本で、武四郎の著作は「多気志楼物」と人気シリーズになっていた。多気志楼は武四郎のペンネーム。

 

アイヌの方の武四郎評は、概ねは圧政や言われなき差別を受けていたアイヌの味方、窮状を世間に問うた擁護者、明治期からの和人同化政策により禁じられ、失われつつあったアイヌ文化を詳細に記録してくれたお陰で、近年になって祭祀が復活できた恩人という好意的なもの。

しかし公文書の中でアイヌを夷人(北の野蛮人)と記述している事もあり、上から目線を感じると感じる人もいて、OKIさんもそのように感じているようだった。

確かにお伊勢参りで沸き立つ時代の伊勢松阪出身の知識人で、吉田松陰と盟友とする尊王攘夷の志士であったという武四郎のある側面は、アイヌの人々からは皇国史観を感じ取られても仕方ない部分もある。

縄文以来の狩猟採集民族のアイヌにとって、万世一系の天皇を頂点とする皇国史観は異文化どころか、アイヌ文化を否定する侵略者の思想でしかない。

幕末から明治、昭和に至るまでの和人同化政策は、アイヌの日本人風の改名、アイヌ語や祭礼、文化の禁止といった改俗といった日本化、すなわち皇民化。

アイヌのアイデンティティを捨てて、天皇を信奉しなさいと言われ続けてきたのである。

余談だが、来年、ある大きなイベントに講演出演を依頼されていたのだけど、イベントホームページを観たら神武皇紀の記述から最後に君が代斉唱などと書かれた国家神道一色の内容だったので、出演を固辞したばかり。

神武天皇が東征を終えて即位した年を国の始まりとする概念が皇紀で、今年は皇紀2678年になるのだそう。江戸時代に中国の暦法により算定された新しい概念だが、武四郎が敬愛していた同郷の国学者の本居宣長でさえ否定していた。神武東征は先住民族の立場では英雄譚ではなく侵略の歴史なのだ。

信教の自由も思想の多様性も認める。有名な方がたと同じ壇上に立てるのは名誉なこと。

しかし皇国史観を前面に打ち出したイベントに出演すると、縄文16,500の歴史が抹殺されてしまい、アイヌ、沖縄、朝鮮、被差別の人々の差別の歴史も是認する立場と誤解されず、お世話になったアイヌの方々に会す顔がないから辞退することにした・・・。

 

武四郎がアイヌを夷人と表記した公文書は、威厳や格式を持たせる必要から名詞を漢字表記する漢文調が当時の社会通念で、それ以外は表記しようがなかった時代であったという事も忘れないで欲しい。

社会意識が現在と大きく異なる200年も前の封建時代当時の和人の中で、最もアイヌを愛し、収奪・略奪・凌辱・暴力を受けていたアイヌの窮状を、命がけで世間に訴え続けた男であったことは間違いはなく、武四郎の持つ博愛と権力に靡かない独立独歩の資質を貶めるものではないと思う。

21世紀に彼が生きていたら、なんと言うだろう。

アイヌのことも武四郎のことも、もっと知りたいと思った夜。


毒ヘビは急ぎまへんで・・・大首飾りプロジェクト

2018年10月17日 16時29分02秒 | ぬなかわヒスイ工房

9月28日、ついに大首飾りの納品とプレスリリース。

松浦武四郎記念館の中野館長が、プレスリリースの時にモデルになってくれた。

 

松阪市関係者立会いの元に國學院大學の内川先生が最後の監修、そしてめでたく納品と書類の取り交し・・・長い旅が終わった。

記者会見では武四郎の子孫の方や新聞記者が大勢来て、いつもは質問する側の私が質問責めにあう。

 

大首飾りに関係したお陰で、普段ではまったく接点のない方々と出会える幸運に感謝している。

この時も懇親会で宮内庁陵墓調査官の先生と隣り合わせとなり、仁徳天皇陵のヒミツを聞き出そうと試みたが、流石に口が堅かった(笑)

その先生が数日後のテレビニュースで、仁徳天皇陵の発掘調査を発表していた・・・酒席ではその話が出なかったのに、ホントに口の堅いお方(笑)

10月13日についに一般公開

来場者から、貴方様は神様におつかいする仕事をされました、とまで言われ、仕事ですからっ!とクールに答える (`_´)ゞ

大勢の人がニコニコしながら記念撮影に興じる姿を目の当たりにできたのが一番のご褒美。

松阪市民から握手や記念撮影を求められたり、お土産を渡されたりハグされたり・・・終りよければすべてよし。

 

取材を受けた共同通信のH記者と意気投合して、晩ご飯をご馳走になった。

その直後、H記者の配信記事を読んだ新潟日報の記者から電話による補足取材があり、地元でも報道されたのだが、福々しい顔立ちのH記者は福の神ですな。

 

一世一代の大仕事は一区切り付いたが、第2ラウンドのゴングが鳴る、もうすぐ!

「毒ヘビは急ぎまへんでぇ、悠々と急ぎまっせぇ」と、再び私は開口健の顔をするのであった。


上虚下実の人、武四郎・・・大首飾りプロジェクト

2018年10月07日 23時04分11秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾りは完成した。

9月28日の納品前に、果たして首に掛けた時にバラけやしないかチェックすることにした。

お披露目イベントの時に、来場者先着10名に首に掛けさせるそうなので、当日首に掛けた途端に結び目がほどけてバラバラになってしまっては目も当てられない。

その旨を発注者である松阪市の了解を得て、せっかくだから着物を着て武四郎コスプレ(笑)

武四郎唯一の肖像写真は、大首飾りを掛けた67歳の時の撮影。

武四郎ポーズをとるには、骨盤の前傾→腰椎5番に力が集める→背骨をやや前傾させて直立させることが肝要。

 

武四郎の姿勢はお見事だし、胸と背中の筋肉が非常に発達していることが解った。

古希祝いに富士山登山したという驚愕の体力の人。

武四郎ポーズで実感するのは上虚下実(ジョウキョカジツ)・・・胸が落ちて呼吸が深く、丹田が充実していること。

彼は心が落ち着き、思慮は深く、日々の生活が充実している人なのだ。


眼鏡を外してセピアカラーに画像処理してみたが、これからはプロフィール写真に使わせてもらうことにする。


実際に首に掛けても大丈夫なことを関係者に報告。

そして9月28日に納品とプレスリリース。

監修者の國學院大學の内川教授とツーショット写真の撮影時には、10台くらいのカメラのシャター音が一斉にパシャパシャと鳴って恥ずかしかった。

29日には新聞各社の報道を見た地元の人から握手を求められたり、ハグされたりした。

喜んでもらえて何より。