昨夜、上越市の友人がプロデュースする、樺太アイヌの弦楽器トンコリ演奏家のOKIさんの新潟初ライブがあった。

ライブ直後のCD物販ブースで忙しくサインをしていたOKIさんに、撮影許可を求めたら私に向き直ってポーズを決めてくれた。
冒頭から「・・・松浦武四郎が『アイヌ人物詩』の中で、樺太ですごいトンコリの名人の老人と出会ったと記録していて・・・」と始まって、身を乗り出して興奮。

江戸時代のベストセラー本で、武四郎の著作は「多気志楼物」と人気シリーズになっていた。多気志楼は武四郎のペンネーム。
アイヌの方の武四郎評は、概ねは圧政や言われなき差別を受けていたアイヌの味方、窮状を世間に問うた擁護者、明治期からの和人同化政策により禁じられ、失われつつあったアイヌ文化を詳細に記録してくれたお陰で、近年になって祭祀が復活できた恩人という好意的なもの。
しかし公文書の中でアイヌを夷人(北の野蛮人)と記述している事もあり、上から目線を感じると感じる人もいて、OKIさんもそのように感じているようだった。
確かにお伊勢参りで沸き立つ時代の伊勢松阪出身の知識人で、吉田松陰と盟友とする尊王攘夷の志士であったという武四郎のある側面は、アイヌの人々からは皇国史観を感じ取られても仕方ない部分もある。
縄文以来の狩猟採集民族のアイヌにとって、万世一系の天皇を頂点とする皇国史観は異文化どころか、アイヌ文化を否定する侵略者の思想でしかない。
幕末から明治、昭和に至るまでの和人同化政策は、アイヌの日本人風の改名、アイヌ語や祭礼、文化の禁止といった改俗といった日本化、すなわち皇民化。
アイヌのアイデンティティを捨てて、天皇を信奉しなさいと言われ続けてきたのである。
余談だが、来年、ある大きなイベントに講演出演を依頼されていたのだけど、イベントホームページを観たら神武皇紀の記述から最後に君が代斉唱などと書かれた国家神道一色の内容だったので、出演を固辞したばかり。

神武天皇が東征を終えて即位した年を国の始まりとする概念が皇紀で、今年は皇紀2678年になるのだそう。江戸時代に中国の暦法により算定された新しい概念だが、武四郎が敬愛していた同郷の国学者の本居宣長でさえ否定していた。神武東征は先住民族の立場では英雄譚ではなく侵略の歴史なのだ。
信教の自由も思想の多様性も認める。有名な方がたと同じ壇上に立てるのは名誉なこと。
しかし皇国史観を前面に打ち出したイベントに出演すると、縄文16,500の歴史が抹殺されてしまい、アイヌ、沖縄、朝鮮、被差別の人々の差別の歴史も是認する立場と誤解されず、お世話になったアイヌの方々に会す顔がないから辞退することにした・・・。
武四郎がアイヌを夷人と表記した公文書は、威厳や格式を持たせる必要から名詞を漢字表記する漢文調が当時の社会通念で、それ以外は表記しようがなかった時代であったという事も忘れないで欲しい。
社会意識が現在と大きく異なる200年も前の封建時代当時の和人の中で、最もアイヌを愛し、収奪・略奪・凌辱・暴力を受けていたアイヌの窮状を、命がけで世間に訴え続けた男であったことは間違いはなく、武四郎の持つ博愛と権力に靡かない独立独歩の資質を貶めるものではないと思う。
21世紀に彼が生きていたら、なんと言うだろう。
アイヌのことも武四郎のことも、もっと知りたいと思った夜。