縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「海のヒスイ・ロード」・・・月刊ささら掲載分

2013年10月31日 21時05分09秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト



越市に、「月刊ささら」というフリーペーパーがある。

上越地域についてのエッセーを頼まれて11月号に掲載されたので、以下はその記事です。

表題は「海のヒスイ・ロード」

陸の人にとって海は地の果てだが、海の男にとっては世界の始まりであるという意味のイギリスの諺があるそうです。

確かに多くの人にとって海は行き止まり。

でも六千年前の糸魚川の縄文人にとっての日本海は、上越や北陸、そして佐渡や青森といった遠くの土地に開けた玄関口でした。

何故そんなことが分かるかって?

ヒスイ出土地は、沿岸や大きな川沿いの縄文遺跡に集中しているので、当時は丸木舟による水上交通が発達していたと推測されているのです。

だから私は日本海を「海のヒスイ・ロード」と呼んでいます。

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縄文時代のヒスイ加工地の拠点は糸魚川周辺でしたが、弥生時代になるとどうやら稲作に適した平野を持ち、河川を利用して信州まで行ける立地の上越に加工拠点が移動したらしい。

近年国指定遺跡となった吹上・釜蓋遺跡は、国内最大級の弥生時代のヒスイ加工拠点と報告されていますが、恐らく糸魚川で採集されたヒスイが、丸木舟で日本海経由で関川を遡上して搬入されたと推測されています。

私は日本海縄文カヌープロジェクトという市民活動をしており、5月に糸魚川市能生町から上越市居多ケ浜まで26キロの丸木舟による実験航海を成功させました。

日本海があればこそ、ヒスイは遠くまで運ぶことが出来たということを検証実験しているのです。

縄文時代に限定すれば、ヒスイ出土地の最北端は北海道の礼文島で最南端は沖縄本島の糸満市です。

糸魚川も上越も奴奈川姫を祀った神社と伝説を持ち、太古にヒスイ加工をして各地に運んだ奴奈川族が住んだ奴奈川郷。

つまり我らのご先祖は地場産業を起業して、各地にヒスイをもたらしたバイタリティー溢れる海の男だったのです。

ご先祖達の気概に学び、新潟県の端っこに位置する上越地方ではなく、日本海で世界に繋がる上越地方という気宇壮大な郷土愛を持ちたいと思うのは私だけでしょうか?

今こそ集え、奴奈川の同志達!<o:p></o:p>

 

 

 

 


糸魚川の漁師小屋・・・石置き屋根

2013年10月19日 08時14分20秒 | 失われゆく風景



ヒスイの故郷、糸魚川市の戦前には、屋根の重しにヒスイが使われていた。

重いヒスイは、置き石にうってつけだったし、戦前は国内からヒスイが産出するなんて誰も思っていなかっらから緑色してスベスベした重い石の価値を知らずに漬物石にも利用していた。

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屋根の重し石を見かけなくなって久しいが、ところがどっこいまだ現存している。

流石にヒスイは無いと思うけど、観たい人は押上区の浜通りを歩いてみて下さいな。

雪鶴酒造さんの裏通りや、国道8号線バイパス沿いの古い漁師小屋や物置の屋根に重し石が残ってます。


麻績先輩の絵画展、盛況のうちに終了

2013年10月14日 19時25分17秒 | 糸魚川自慢





麻績勝広先輩の油彩画展が終了した。
終わってみれば述べで496名の来場者という大盛況。

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吹きぬけのある町屋建築に、麻績先輩の絵はよく似合っていた。

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この作品の題は「母の漬物石」。

先輩らしい画題だし、額装も自分でしたというのも先輩らしい。




最近、俺の妹分みたいな感じでお付き合いをさせて頂いている、日本画家の川崎日香理さんも上越市から来てくれて、感動したとメールが来た。

来場者の何人かは、このブログや俺のフェイスブック見て来ましたと挨拶してくれたらしく、最終日に会場に行ったら、麻績先輩から開口一番に宣伝してくれて有難うと言われて後輩の面目躍如。

いいモノは皆でシェアしたいもんだ。

撤収作業の手伝いをしていたら、麻績先輩の一歳年下の弟の豊先輩もやってきた。これで一年生から三年生が揃ったから、糸魚川高校美術部時代の「文月展」にタイムスリップした感じ。懐かしい。

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大団円の三本締めは、水石を展示していた大日方さんが音頭をとった。

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撤収作業終了後、ぬなかわヒスイ工房に先輩を誘って縄文コレクションを観て貰えたのも嬉しい。

さて、次のお愉しみは10月24日から始まる川崎日香理さんの個展だ。

知人に才能豊かな人たちがいてくれるなら、人生満更でもない。



石の殸を聴け!・・・麻績勝広の油彩画展

2013年10月09日 07時03分58秒 | 糸魚川自慢

 

友人で糸魚川出身で童話作家の小川英子さんから油彩画展の案内葉書が届いた。糸魚川の町屋文化を守り伝える会の主催で、会場は本町通りの「旧倉又茶舗」。

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旧倉又茶舗さんは小川さんの実家で、現在は古き良き時代の町屋建築を活かした様々なイベント会場として活用されている
のだ。

油彩画は、なんと俺が糸魚川高校美術部の1年の時の部長だった麻績勝広先輩の油彩画だ。

高校卒業以来30年も会ってないけど、麻績先輩は当時から抜群に絵が上手くて、人となりも物静かで優しかったので憧れの先輩だった。

個展の前夜、旧倉又茶舗でのパーティー会場で先輩と30年振りの再会。


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麻績先輩と小川英子さん。二人とも高校OBとOGで尊敬する大先輩。


現在の麻績先輩は長岡市の養護学校に勤務しながら油彩画を描き続けているが、画題は糸魚川で拾った石ころや、渚の風景を写実的な筆致で描くというもの。

石ころといってもヒスイのような分りやすい石ではなく、普通も見向きもせず名前も知らないような地味な石ころばかり。

でもそれが凄かった。

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インドの細密画を思わせる石ころ曼荼羅!


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シューっという波が引いていく音や、プチプチという泡が弾ける音が聴こえそうだ。波と一緒に俺の心もシューって引いていく感じがして何故か泣けた。

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緑色片岩かな?砂岩と石英の互層かな?誰か教えて!

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砂岩にこれほどスポットライトが当たったことはかって無いだろうなあ・・・。

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ご存じ縄文人が磨製石器作りした蛇紋岩!



砂岩や蛇紋岩といったそこらに落ちている石の絵をじっと観てると、「絵とそれを観ている私」という対立関係が消えて、いつの間にか絵画のなかに引き込まれているのだ。

物言わぬ石ころがなんと多弁に語りかけてくることか。

静かだけど、韻韻と石の殸が聴こえてくる。

画題が地味なら、色彩も地味。

なのに作品の前に立つと、絵画世界に遊ぶ自分がいる。

画家の個性や主張を微塵も感じることなく、そこに石があるのだ。


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サプライズで水石と相馬御風の真筆も麻績先輩の絵に合わせて展示されてた。

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御風は、良寛を再発見して世に出した知の巨人で糸魚川市出身。

御風の書も凄いが、この企画をした小川さんのアイデアも凄い。



油彩画を観てこれほど感動したのは、熊谷守一の美術館で実物を観て以来だ。

これは麻績先輩の謙虚、誠実、慎み深さが成せる故だろう。

是非ともフォッサマグナの街、鉱物の宝庫の糸魚川市に麻績先輩の美術館を作って欲しいもんだ。

それが駄目なら、フォッサマグナミュージアムで買い取って展示して欲しい。

それと麻績先輩が描いた石の絵で石の図鑑作ったらどこにもないオンリーワンの糸魚川土産が出来る!

このアイデアどうですか企画財政課と教育委員会の人?

その価値は十分ある。


赤い悪魔参上!・・・グランフォンドITOIGAWA

2013年10月06日 22時04分14秒 | 糸魚川自慢



糸魚川市は日本初のナショナルジオパーク認定地である。

つまり地質構造の世界遺産で、市内には風光明媚な海や山の風景が広がる。

その糸魚川で秋恒例のビッグイベントが、グランフォンドITOIGAWA。

能生町の道の駅マリンドリーム能生をスタートして、糸魚川各地を海岸から山岳地帯、そして再び海岸に戻り120キロぐるっと駆け巡ってマリンドリーム能生にゴールという人気サイクリングイベントだ。


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今朝6時の能生町の道の駅マリンドリーム能生。全国からサイクラーが沢山やってきた。
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高そうな自転車ばかりでなく、ママチャリや折り畳み自転車で参加する豪の者もいる。
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グランフォンド名物の小島実行委員長の軽妙な説明。タツミサイクルの社長だ。


俺は今年もボランティアスタッフとして参加。

俺の担当は、海谷渓谷入口の工事中区間の誘導員。

糸魚川は全国有数の地滑り地帯で、今回も海谷渓谷に行く林道が土砂崩れのために災害復旧工事真っ最中で、このイベントのために自転車が通り抜けられるだけの仮舗装をしたのだ。

楽しみなのが常連さん達との再会。

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どこの誰だかしらないけれど、赤い悪魔が再びやってきた!
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真っ赤だけど普通のママチャリで起伏の激しい120キロを完走する凄い人。悪魔パワーに違いない。
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可愛いシッポ付き。奥さんに付けて貰ったのか?国籍・年齢・職業・家族構成不明だが、カメラを向けるとちゃんとポーズをとってくれる。
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悪魔おじさんのスタート!悪魔おじさんの凄いのは、120キロどこで見ても笑顔だということ。
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参加者は気息えんえんで昇ってくるのが普通のダラダラ坂が続く俺の担当地点。
それでもシッポを振ってニコヤカな笑顔で通り抜けて行った。

この先が凄いことになっている。

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じゃ~ん!これが今回の俺の担当地点で、こんなサイクリングコースは地滑りが多い糸魚川以外ではないのでないだろうか。
文字通りの「蟻の門渡り」で、落ちたらずっと下までサヨウナラということになる。
ここは危険なので基本的に歩くことになっている。
緊急復旧工事をこのイベントに間に合わせてくれた猪又建設さん、ゴクロウサマ!







縄文アートぢゃ!・・・クルミのかんざし作った

2013年10月03日 19時24分35秒 | DIY・こんなモノ作った!



前回アップした、四千五百年前の縄文遺跡から出土したクルミのペンダントは評判が良かった。

んで、調子に乗って以前にも作ったことのあるクルミのかんざしを作った。

来週日曜日のイベントの販売ブースで売るためだ。

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左右はペンダント。かんざし左から竹・栗・紫檀のかんざし。

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長さは伝統的なかんざしの寸法に倣って四寸~四寸五分ある。

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かわいくないですか?亜麻仁オイルを擦り込んでから蜜蝋仕上げにした。


無論、遺跡出土のクルミは貴重過ぎて非売品だから、長者ケ原遺跡公園に落ちていたクルミを拾ったもの。

ただ孔を開けて棒を差し込んだだけでしょ?なんて言って欲しくない。

垂直に孔を開けるのも技術がいるし、拾ったクルミの汚れを落とすのだって手間暇がかかるので簡単じゃない。

それに女性の髪はデリケートで、棒の部分のちょっとした凸凹でも敏感に感じ取られてしまうから、かんざし作りは神経を使うのだ。

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クルミペンダントは子供達に買って欲しい。


ヒスイ職人さんはイベントでヒスイ販売のブースを頼まれることがあっても、乗り気になることは基本的には無い。

イベントで訪れる人が高額のヒスイ製品なんてまず買わないからだ。

俺はせっかくのお誘いを断ることはしたくないので、二千円以下で買える商品を開発しているが、これはその内の一つである。

ヒスイじゃないけど、ぬなかわヒスイ工房では縄文時代の石器や顔料も作っているし、体験会講師もやっているから、縄文人もきっとこんなアクセサリーしていたことでしょう!というコンセプトだ。

ちょっと大仰だけど名付けて「縄文アート」。

せめて日当分くらいは売れればいいけんども・・・。