上越市に、「月刊ささら」というフリーペーパーがある。
上越地域についてのエッセーを頼まれて11月号に掲載されたので、以下はその記事です。
表題は「海のヒスイ・ロード」
陸の人にとって海は地の果てだが、海の男にとっては世界の始まりであるという意味のイギリスの諺があるそうです。
確かに多くの人にとって海は行き止まり。
でも六千年前の糸魚川の縄文人にとっての日本海は、上越や北陸、そして佐渡や青森といった遠くの土地に開けた玄関口でした。
何故そんなことが分かるかって?
ヒスイ出土地は、沿岸や大きな川沿いの縄文遺跡に集中しているので、当時は丸木舟による水上交通が発達していたと推測されているのです。
だから私は日本海を「海のヒスイ・ロード」と呼んでいます。
縄文時代のヒスイ加工地の拠点は糸魚川周辺でしたが、弥生時代になるとどうやら稲作に適した平野を持ち、河川を利用して信州まで行ける立地の上越に加工拠点が移動したらしい。
近年国指定遺跡となった吹上・釜蓋遺跡は、国内最大級の弥生時代のヒスイ加工拠点と報告されていますが、恐らく糸魚川で採集されたヒスイが、丸木舟で日本海経由で関川を遡上して搬入されたと推測されています。
私は日本海縄文カヌープロジェクトという市民活動をしており、5月に糸魚川市能生町から上越市居多ケ浜まで26キロの丸木舟による実験航海を成功させました。
日本海があればこそ、ヒスイは遠くまで運ぶことが出来たということを検証実験しているのです。
縄文時代に限定すれば、ヒスイ出土地の最北端は北海道の礼文島で最南端は沖縄本島の糸満市です。
糸魚川も上越も奴奈川姫を祀った神社と伝説を持ち、太古にヒスイ加工をして各地に運んだ奴奈川族が住んだ奴奈川郷。
つまり我らのご先祖は地場産業を起業して、各地にヒスイをもたらしたバイタリティー溢れる海の男だったのです。
ご先祖達の気概に学び、新潟県の端っこに位置する上越地方ではなく、日本海で世界に繋がる上越地方という気宇壮大な郷土愛を持ちたいと思うのは私だけでしょうか?
今こそ集え、奴奈川の同志達!<o:p></o:p>