縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

明治に無銭で自転車世界旅行をした日本の快男子・・・絵本「わがはいは中村春吉である」

2023年03月31日 07時18分54秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
明治期に「世界一周自転車無銭旅行」を挙行した中村春吉の冒険譚が絵本になっているではないか!
元ネタは明治期に冒険小説やSF小説を開拓した人気作家の押川春浪の著作「世界一周自転車無銭旅行」で、わたしが読んだのはその抜粋を掲載した横田順彌さんの『明治バンカラ快人伝』。
こちらは押川春浪や春吉の他、ブラジルに柔道を伝えてグレーシー柔術の元祖になった前田さんなど明治のバンカラ男を紹介した傑作。
 
本書は横田さんが子供向けに書きおろしたものであるらしいが、難解な文語体を話し言葉にした口語体の過渡期に書かれた原作は、左手を弓手(ゆんで)と古風な武家言葉で書いていて、いかにも海外に雄飛しはじめたころの時代の気概を感じる。余談だけど本書のタイトルは、同時代に口語体で小説を書いて人気作家になった漱石さんの「吾輩は猫である」をリスペクトしてるのだろうな。
そんなバンカラ男の典型だった春吉の冒険の数々は、豪快にして愉快。
 
インドで黒豹に襲われては「畳針で口を縫い付けてやったわい」とか、狼の群れに襲われては「高野豆腐に石油を染み込ませて空き缶にいれた手製爆弾をなげつけて撃退してやったわい」などなど、大らかで天真爛漫なエピソードで溢れている。
 
小学生の子供さんがいらっしゃるみなさん、お子様の情操教育に買ってあげてください!そして貸してください!(笑)
 
 
 

善意のバトンタッチ・・・台湾の勾玉好き女子

2023年03月30日 07時00分51秒 | ヒスイ
台湾の勾玉好きの女性が工房をみたいと訪ねてきた。
彼女がオークションで買ったコレクションの丁子頭勾玉は、古墳前期の本物っぽく、参考写真を撮らせてもらう。
彼女が意匠した丸玉はネフライトとミャンマーヒスイのようだ。
丁子頭勾玉の刻みをじっくり観察する絶好の機会!近畿でつくられた勾玉ではないだろうか?
 
アニメで覚えたという日本語は今時の若者の話し言葉風だが、単語のボキャブラリーがないのでスマホ翻訳で補って会話。
中国語のパソコンやスマホのキーボードをみせてもらうと、これが漢字?と首を傾げてしまう。漢字を省略した簡体字や本字の繁体字の辺や冠なので、文字どおりの珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)。彼女は文革をうけていない台湾人なので、昔ながらの繁体字ですな。
 
開高健のベトナム小説やエッセイに中国人と筆談する場面がよくでてくるので、はじめて中国に行った時は筆談ができるではないかと楽観していたが、いざやってみると簡体字が読めないのと、自分が漢字は読めても書けない男だということに気付いて愕然としたことがある(笑)
 
女性はヒスイ峡に行きたいと言っていたが、五月連休までは積雪で閉鎖されているので、小滝川の前でヒスイ販売をしている仕事仲間に連絡したら、小滝駅まで迎えにいって面倒をみてくるとのありがたい申し出。
女性を糸魚川駅まで送ってヒスイ探訪旅の水先案内役をバトンタッチした。
 
インバウンドの成否はシステムにあらず、マンパワーが肝要ですな。仕事仲間には世話好きが多いから助かる。
 
 
 

アメリカ人には勾玉より土偶がクールジャパンという学び・・・縄文オカリナ

2023年03月28日 07時08分30秒 | 縄文
遮光器土偶の眼をつくる手順は横棒が先か?輪郭が先か?
やってみたらどちらでもよいことがわかったが、最小限の表現なら横棒だけでもワカイイのですな。
輪郭だけだと不気味?
このような生命誕生の研究(笑)をしていたら、地元の人がヒスイ加工の現場を見学したいとアメリカ人観光客を連れてきた。
 
ベトナム戦でPTSDとなった建築店社長とのことだが、ヒスイ製品よりDIYした工房のシステムに興味がそそられ、作りかけの縄文オカリナにこれはなんだ???と驚いていた。
サイズもデザインもバラバラなのは手づくりの証し!
 
型抜きじゃないの?キルン(窯)はどこ?バーベキューコンロで焼いてるって!?粘土なのになんで黒いの?3,000年前に流行したチャコール着色の技術だって!ワォ信じられない!と、今時の日本で家内制手工業をしていることに感激して、土産にと買ってくれた。
 
ほんとは勾玉買って欲しかったが、アメリカ人は勾玉より土偶がクールジャパンという学びをしました( ´艸`)
 
 
 

モノを所有する喜びとモノガタリを共有する喜び・・・ロックバランシングの魅力

2023年03月26日 08時14分26秒 | 糸魚川自慢
初心者でも奇跡の4段積みタワーができた!
これから先は先達の知見が必要なので、近所の本屋に入門書を注文したら送料もかからず中2日で届いたから、ネット通販より便利ではないか。
みなさん地元の小売店を大事にしましょ。
 
入門書によると、ロックバランシングはアメリカのマニアたちがFacebookで交流することで広まったらしい。風で倒れて元通りの自然に還るはかないゲージツ。
 
ケルンなど何かの目印や記念で石積みする風習は世界各国にあったが、ロックバランシングは純粋な遊びであり、刹那的な造形物というところが違う。
見た人が「うわぁ、これどうやっての!」と楽しくなって、自分でもやってみたくなることこもいい。
逢ったこともない、どこかのだれかさんと交流している訳だ。
 
モノを所有する喜びもあるが、モノガタリを共有する喜びだってある。モノは共有するヒトが増えると少なくなるが、モノガタリは共有するヒトが増えると喜びがそのぶん増える。
 
モノが無くならず、元のカタチも変わらず、モノガタリの共有ができる持続可能な遊び、それがロックバランシング。いいじゃないですか!
 
 
 
 

ロックバランシングの聖地、糸魚川!・・・モノ人気からモノガタリへ

2023年03月25日 07時04分14秒 | 糸魚川自慢
ロックバランシングやってみた!
 
ゲージツ的とはいえんが、少なくとも賽の河原にはみえず、はじめてにしてはジョーデキ。ビリヤードに似た、知的で静かな集中感が心地よく、中心感覚のトレーニングになるようだ。
 
「ロックバランシング・オリンピック」の会場は、ドーム屋根とトイレのある駐車場完備・広くて大小さまざまな石ころが転がっている広いラベンダービーチが最適だな( ´艸`)
 
糸魚川がロックバランシングの聖地になれば、ヒスイのモノ人気からモノガタリへと舵がきれて、「石のまち糸魚川」がアピールできるのではないか?と目論んでいる。
 
なにごとにも基本は大事なので入門書も注文した。もちろんネット通販ではなく近所の本屋でだが、うれしいことに友人も注文してくれた。
 
地元に指導者が数人いれば大きな財産になるから、まずは同好者をふやすことですナ。
 
 

国際ロック・バランシング大会を糸魚川で!・・・地元にお金が落ちずヒスイだけが無くなる現状

2023年03月21日 07時51分55秒 | ヒスイ
ヒスイ拾いにきて石を積みあげて帰る人は多いけど、夕方の海岸にたくさんあると賽の河原みたいで不気味だった(笑)
しかし最近はSNSで紹介された海外のロック・バランシングの影響か、アート作品の雰囲気になってきている。
 
観光行政で「石のまち糸魚川」を謳うなら、学習プログラムだけでなくロック・バランシング大会をしてはどうだろうか?
 
これならモノはなくならず金もかからず、老若男女問わず参加できるし、白馬には外国人もたくさんいるから国際大会になるかも。
 
ヒスイの魅力を「一攫千金、お宝ゲット!」とだけクローズアップされては、枯渇に拍車がかかるばかりだし、現状は日帰りで石拾いして帰る観光客ばかりだから対費用効果はいかがなものか?遊びの要素、これ大事。
 
 
 

開運出世に勾玉を!・・・出雲大社の宝物、真名井の勾玉

2023年03月18日 08時01分36秒 | ぬなかわヒスイ工房
出雲大社の宝物、真名井の勾玉の詳細を調べていた矢先、原石支給でつくって欲しいという注文があった。こんなことがよくある。
赤い線が石目で、左袈裟の線が割れる可能性のある石目。勾玉つくりは原石のプレートつくりが最初で、わたしの場合は石目読みに自信がつくまで6~7年はかかった難しい仕事。
絶対割れる深い石目の通りにカットしたら、実寸法がギリギリつくれないサイズしかなく、注文主に断ったうえで79%に縮小したサイズにした。
端材で管玉と丸玉もつくって欲しいと頼まれていたので、なんとか偶数をつくりだせた。首飾りにするには奇数だと駄目なのよ。
わたしが共石のセットをつくらないのはメリハリがないからだけど、注文主がどう感じるだろう?
ヒスイ職人が管玉をつくると、作り易さからなのか太巻きみたいな野暮ったい極太管玉が多い。あくまでも主役は勾玉なので、管玉と丸玉は勾玉完成後に具合をみてサイズを決めた。
 
勾玉が完成したと連絡した日に注文主が昇進したらしいく、嬉しいことが重なったようだ。
 
出世したい人、開運したい人、良縁祈願、学業成就、家内安全、商売繫盛したい人、勾玉の注文をくださ~い!( ´艸`)
 
 
 

ヒスイは丁寧に磨いてこそ珠・・・残念な勾玉のリメイク

2023年03月15日 06時39分56秒 | ぬなかわヒスイ工房
高校の同級生から、キーホルダーの勾玉が汚れたのでクリーニングして欲しいと頼まれた。ひと目でミャンマー産とわかるヒスイで、緑の方は樹脂含侵の発色であるらしい。
汚れは切削傷が原因だよと、鉛筆でなぞって傷を浮きださせてみせて、これだとクリーニングしてもすぐに汚れるから、いっそのことリメイクしない?と提案。
薄いグレーの勾玉は古墳時代前期の勾玉風にスマートに。緑の勾玉は分割して二個のペンダントトップに。
使い古しの雑巾みたいだった勾玉は、淡いスミレ色の別嬪さんに生まれ変わった。丁寧に研磨すると鉛筆の芯が滑って汚れが着かなくなるし、乱反射しないから本来の色が内側から浮かびあがってくる。素材の良さを引き出すのは職人の矜持。
緑の方は箸置きみたいに中央が凹んでいたし、中途半端な位置に紐穴があけられていたから二個に分割した理由。奥さんから「うわぁ、かわいい!」と喜ばれたそう。エカッタ。
 
傷だらけの粗製乱造品であっても、ヒスイは神秘の霊石という類いの宣伝文句を並べ、桐箱に納めさえすれば、ありがたがって買ってくれる人もいるから商売が成り立つのが、現代の「ヒトとヒスイの物語」。
 
産地はどこであれ、これではヒスイがかわいそうだ。
 
万葉歌人が不老長寿への切ない想いを詠んだ「ヒトとヒスイの物語」は、そこにはないですねぇ。
 
 
 

在留邦人を戦車で踏みつぶして進軍したソ連軍・・・半藤一利著「ソ連が満州に侵攻した夏」

2023年03月14日 07時29分05秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
逃げまどう在留邦人を戦車で追いかけまわし、踏みつぶして進撃したソ連軍。家族を守るため投石で抵抗した少年たちは、ハチの巣にされた。
1945年の8月、ソ満国境のいたるところで虐殺された在留邦人の犠牲者数は不明で、生き残った人々の語る断片のみが世に知られるだけだが、なんでソ連は民間人を見逃さずに虐殺したのだろう?
日系企業の女子寮はソ連軍の慰安所にされ、囚われの乙女たちが集団自殺・・・終戦時にハルピンにいた居留民の話しは知っていたが、国境付近にいた満蒙開拓団などの惨劇を本書で知った。スターリンの「正義の戦争」の実態は残酷きわまりない。
 
不可侵条約を反故にして満州になだれ込んだソ連軍の大義名分は日露戦争の報復であったが、スターリンの本音は原爆を実用化して連合国軍の主導権を握ったアメリカへの牽制と、対独戦で多大な犠牲を払ったことの国民の批判を逸らすために戦果をアピールしたかったようだ。略奪と凌辱は、捨て駒として酷使してきた兵士への報酬。
 
満蒙開拓団をはじめとした居留民を守ってくれるはずの関東軍はなにをしていた?
①国境守備隊に死守を厳命し、居留民にソ連軍侵攻を秘匿
②居留民の男性に出刃包丁と火焔瓶をつくるためのサイダー瓶を二本持参させて臨時召集
③高級軍人・満鉄・官僚の家族を秘密裏に列車で逃がす
④満蒙開拓団をはじめとした居留民を置き去りにして、本隊は戦わずして長春まで撤退。
 
ソ連軍機甲師団相手に、民間人に出刃包丁とサイダー瓶で作った火焔瓶で突撃させ、偉いさんは逃げたのが「無敵皇軍」の実態であった。
 
ポツダム宣言受諾の表明をした8月15日以降も惨劇は続く。
国際法上は天皇が降伏を宣言したに過ぎず、その法的効力は9月2日の調印式から有効となるのだが、これで戦争は終わったと安堵していたのが日本の指導者たちで、そのことを熟知して「火事場泥棒」をはたらいたのがスターリン。
 
国境守備隊は救援部隊の反攻を信じ、10倍以上の兵力差をもつソ連軍に懸命に抵抗していたが、混乱のなかで停戦命令は届かず、全滅するまで戦い続けた。そのなかには現地召集された医師や看護婦も数多くいた。
 
長春やハルピンに陸続と入城してきたソ連軍は、山賊のように略奪と凌辱をほしいままにしたが、特にタチが悪かったのが対独戦の最前線から転戦してきた囚人部隊で、これは今も変わらないロシアの戦争。
 
実は満州にソ連が侵攻する兆候ありとする情報は、前年からストックホルム駐在武官の小野寺少将が警告し続けていた。
ところが対米戦に手一杯の大本営は、「スターリンは西郷南洲のような大人物。よもや不可侵条約は破ることはない」との願望を事実と断定して、警告を黙殺したまま対ソ戦の準備を怠っていた。
 
ちなみにナチスドイツのデーニッツ海軍大臣は、迫りくるソ連軍から民間人を守るため、独断でエルベ川東岸のドイツ人を救出したのだが、皇軍には民間人を守る概念はなかった。皇軍にとっては国体護持だけが問題で、民草の命は鴻毛よりも軽しであった。
 
それはフクシマ然りだし、ニューアカデミズ論者に引き継がれる、希望的観測を事実とする思考方法。
ノモンハン事件、ミッドウエー海戦、ガダルカナル戦、インパール戦、フィリピン戦にも共通した必敗の法則である。

 


猫がいると空気がやわらかくなる・・・保護猫の恩返し

2023年03月06日 06時39分22秒 | 田舎暮らし
ぬなかわヒスイ工房の床下に住み着いた小猫を保護して5年になる。
 
恩返しというわけでもなかろうが、親父が亡くなって気落ちしたお袋に寄り添ってくれるので感謝している。
 
お袋が泣いていると、寄ってきて顔を舐めてくれるそうだ。
 
毎朝、仏間で読経するお袋を、後ろから見守っている。
 
困ったこともある。
 
工房にトイレはないので、トイレを所望されると隣接する自宅に案内することになり、猫がいるから玄関はすぐにしめてくださいと注意すると、「うわぁ!ネコちゃんと遊びた~い!」と、玄関をあけたままいつまでも騒いでいる女性客グループも多いのだ。
 
先代の保護猫までは自由に外に出入りさせていたが、急に泡をふいて痙攣して死んだり、近所の飼い犬も同じ死に方をしたので、何者かが毒入りエサをまいている可能性が疑われ、外に出さないようになった。かわいそうだけど仕方ない。
そこで「早くしめろいっ!ヤツはこの隙を狙っているのだ!」と怒鳴らなくていいように、注意喚起の看板を置いてある。宅急便屋さんなどは「ネコちゃん大丈夫ですかぁ?」と恐る恐るちょっとだけ顔をだす(笑)
 
 
「猫の手も借りたい」と役に立たない例えにされるが、猫が家にいて、食って寝てアクビしてるだけで、空気はやわらかくなる。
 
たまに小ネズミやヤモリを昼寝するわたしの顔の横に置いていくのは、戦利品の自慢なのか?それともお裾分けだろうか?
 
とりあえず愛嬌があってヨロシイ。
 
嗚呼、わたしも猫のような人になりたい(=^・^=)