逃げまどう在留邦人を戦車で追いかけまわし、踏みつぶして進撃したソ連軍。家族を守るため投石で抵抗した少年たちは、ハチの巣にされた。
1945年の8月、ソ満国境のいたるところで虐殺された在留邦人の犠牲者数は不明で、生き残った人々の語る断片のみが世に知られるだけだが、なんでソ連は民間人を見逃さずに虐殺したのだろう?
日系企業の女子寮はソ連軍の慰安所にされ、囚われの乙女たちが集団自殺・・・終戦時にハルピンにいた居留民の話しは知っていたが、国境付近にいた満蒙開拓団などの惨劇を本書で知った。スターリンの「正義の戦争」の実態は残酷きわまりない。
不可侵条約を反故にして満州になだれ込んだソ連軍の大義名分は日露戦争の報復であったが、スターリンの本音は原爆を実用化して連合国軍の主導権を握ったアメリカへの牽制と、対独戦で多大な犠牲を払ったことの国民の批判を逸らすために戦果をアピールしたかったようだ。略奪と凌辱は、捨て駒として酷使してきた兵士への報酬。
満蒙開拓団をはじめとした居留民を守ってくれるはずの関東軍はなにをしていた?
①国境守備隊に死守を厳命し、居留民にソ連軍侵攻を秘匿
②居留民の男性に出刃包丁と火焔瓶をつくるためのサイダー瓶を二本持参させて臨時召集
③高級軍人・満鉄・官僚の家族を秘密裏に列車で逃がす
④満蒙開拓団をはじめとした居留民を置き去りにして、本隊は戦わずして長春まで撤退。
ソ連軍機甲師団相手に、民間人に出刃包丁とサイダー瓶で作った火焔瓶で突撃させ、偉いさんは逃げたのが「無敵皇軍」の実態であった。
ポツダム宣言受諾の表明をした8月15日以降も惨劇は続く。
国際法上は天皇が降伏を宣言したに過ぎず、その法的効力は9月2日の調印式から有効となるのだが、これで戦争は終わったと安堵していたのが日本の指導者たちで、そのことを熟知して「火事場泥棒」をはたらいたのがスターリン。
国境守備隊は救援部隊の反攻を信じ、10倍以上の兵力差をもつソ連軍に懸命に抵抗していたが、混乱のなかで停戦命令は届かず、全滅するまで戦い続けた。そのなかには現地召集された医師や看護婦も数多くいた。
長春やハルピンに陸続と入城してきたソ連軍は、山賊のように略奪と凌辱をほしいままにしたが、特にタチが悪かったのが対独戦の最前線から転戦してきた囚人部隊で、これは今も変わらないロシアの戦争。
実は満州にソ連が侵攻する兆候ありとする情報は、前年からストックホルム駐在武官の小野寺少将が警告し続けていた。
ところが対米戦に手一杯の大本営は、「スターリンは西郷南洲のような大人物。よもや不可侵条約は破ることはない」との願望を事実と断定して、警告を黙殺したまま対ソ戦の準備を怠っていた。
ちなみにナチスドイツのデーニッツ海軍大臣は、迫りくるソ連軍から民間人を守るため、独断でエルベ川東岸のドイツ人を救出したのだが、皇軍には民間人を守る概念はなかった。皇軍にとっては国体護持だけが問題で、民草の命は鴻毛よりも軽しであった。
それはフクシマ然りだし、ニューアカデミズ論者に引き継がれる、希望的観測を事実とする思考方法。
ノモンハン事件、ミッドウエー海戦、ガダルカナル戦、インパール戦、フィリピン戦にも共通した必敗の法則である。