縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ヌナカワ姫からのメッセージ・・・みやれいこさんからの贈り物

2020年09月29日 07時40分25秒 | ぬなかわ姫

天才イラストレーターの宮れいこ嬢から、素敵なプレゼントが届いた。

勾玉を下げた笹を肩にかつぐ童子は、わたしだと思う。
 
能のシテ方(主人公)が、笹を手に持つのは物狂い(狂乱状態)した女であるという約束があり、その型を「狂い笹」と呼ぶ。
 
笹に勾玉を下げているのはヒスイ加工に物狂いしているのであり、歩く童子姿なのは天真爛漫で純粋な気持ちでヒスイ加工に邁進しなさいというヌナカワ姫からのメッセージが、彼女に「降りてきた」絵であると受け取った( ´艸`)
 
彼女が「狂い笹」を知ってか知らずか、こんな絵を私のために描いてくれたのは、巫女的なインスピレーションに違いない。
 
(後で知らなかったと教えてもらったが、ホンモンの巫女イラストレーターの証しですな!)
こちらは印刷だが、ミントの葉っぱを自分でなく、犬に差し掛けている童子の絵からは、仏教的な捨身(しゃしん)の慈悲を感じる。
フキの葉っぱを傘にする童子の絵も、まさしく宮沢賢治の童話の挿絵のようだ。こちらも印刷。
 
筆ペンを持って紙に向かうと、自然と描きたいモノが「降りてくる」という彼女の絵には物語りがある。
 
石川梵さんの写真と同じ。
 
誰が観てもシットリ、シミジミ、ホッコリと優しい気持ちになる絵を、工房の目立つところに飾った。
 
加工を始めると鬼研磨ヤマダとなる私が、娑婆に戻ってくる黄泉比良坂(ヨモツヒラザカ・この世とあの世をつなぐ洞窟)の出入口が、この絵なのでR!
 
 

祖父がインパール戦で観た「アジア解放の聖戦」の実態はと?

2020年09月28日 13時38分21秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
仏壇の棚を整理していたら、母方の祖父が亡くなった時に、戦時中のかっての部下たちからの弔問の手紙の束を見つかったのは、つい先週のこと。
 
「あのコヒマの激戦で栄養失調から眼が見えなくなり、ご尊父様からウルルク野戦病院に連れていってもらって命を長らえることができた・・・」と書かれた手紙を見つけた。
「インパール」は祖父の所属した部隊の戦記
 
祖父は戦争時中、2度の徴兵で最終的には陸軍輜重部隊の曹長であったらしいが、戦争について多くを語らなかった。
 
私が初めてインドに行った時、「じいちゃんも戦争でアッサムにいたことあるよ。」とか、「フィリピンには斧を跳ね返すような硬い樹があったよ。」と断片的な地名だけは話していた。
 
アッサムにいたなら30万の兵力を投入して19万の戦死者を出したビルマ戦線の中でも、際立って無謀極まりない作戦と酷評された「インパール戦」に従軍していたことになるが、コヒマはインパール戦最大の激戦区で、祖父はその最前線にいたのだ。
 
戦史と対応したら、コヒマからウルルクまでは標高2000~3000mの道なきジャングルを2週間歩く行程で、食料もなく、夏服しか持たず毛布も外套を持つことも許されなかった日本兵は寒さに震え、雨季で泥濘となった密林を這って歩いた。
 
その山道には餓死した日本兵の屍が累々と連なり、いつしか白骨街道と呼ばれた・・・涙が溢れた。
「餓死した英霊たち」は、太平洋戦争全体の戦記
 
栄養失調で動けなくなった戦友には、自決用の手榴弾を渡して置き去りにする事例が多発したようだが、祖父は眼の見えない部下の手を引き、背負い、或いは担架に載せて、「この世の生き地獄」の白骨街道を歩いて、無事に生還してくれた。
 
泥水を飲み、ヘビやトカゲ、昆虫、雑草など食えるものはなんでも食って、最後まで理性を保ち戦友を見捨てなかった祖父を、私は誇りに思う。
「名将宮崎繁三郎」のインパール戦の章は、コヒマで戦果を挙げて英軍にその勇敢さと卓越した武威を賞賛された新潟の高田師団の戦記
 
帝国陸軍の作戦指導は、食料は後方支援ではなく現地調達が基本。だから長引く戦闘で軍紀が乱れた部隊では強姦略奪が横行したし(元日本兵から直接聞いた話)、現地人からすると山賊と変わることなく反発され、ゲリラ化して攻撃されることもあった。
 
ただし「名将宮崎繁三郎」によると、宮崎中将は現地集落の外に部隊を野営させ、兵隊は村に立入禁止とし、食料の調達にはきちんと対価を払ったので、現地人と友好な関係を保った部隊もいたことは忘れてはならない。
 
そして太平洋戦争全般を通じた日本兵の戦死の内訳は戦域によって異なるが、餓死が半分~8割を占めた。
 
「名誉の戦死」の実態は、戦闘死より餓死が多かったのだ。
 
祖父は勲章をもらったそうだが、手柄話しなど一切しなかったし、見せてとせがんでも寂しそうに笑って見せてくれなかった。
 
祖父は毎朝、仏壇を拝んでは菩提寺の世話を献身的にしていたが、生き残った者の務めとして、戦没者の慰霊をしていたのかも知れない。
 
これが戦争体験者が観た「アジア解放の聖戦」の実態。
 
爺さんの墓参りをしよう。

長者ヶ原遺跡活用の輪が、市民にも広がってきた

2020年09月26日 07時48分55秒 | 糸魚川自慢
このところ、朝目覚めると寝た時と頭の方向が90度~180度とあらぬ方向を向いていることがよくあり、寝相が人生の転換点を教えてくれているのかな?と納得している。
これまで個人的に長者ヶ原遺跡のガイドや宿泊体験イベントで県外の人を集めてきたが、帰郷して10年目にして地元の有志が活用方法の相談にやってきた。お三方は糸魚川活性化を真剣に考える某市民グループの会員。
 
ずっとこの日を待っていたのです。
縄文遺跡でお祭りイベントをするなら、どこの遺跡でも同じ。滝沢泰平さん主催の縄文イベントで演奏するKnobさんと雲龍さん
 
でもこの遺跡は、フォッサマグナの恩恵を受けたお陰で三千年以上も栄えた、糸魚川ならではのお国自慢。
 
天津神社、ぬなかわヒスイ工房、ヌナカワ姫がお隠れになった稚児ケ池、そして長者ヶ原遺跡の4ヶ所をエリアとして捉えてガイドすると、縄文~古墳時代までのヒトとヒスイの物語が如実に浮かび上がってくる。
16号住居でイダキを演奏するKnobさん
 
糸魚川の人々が主催する長者ヶ原遺跡のイベントで、Knobさんや雲龍さん、牧野さんがライブしてくれたら嬉しいし、最近友達になった、琵琶奏者の大峯香風さんの平家物語も聴きたい。
 
友達には、モンゴルでも著名な馬頭琴のテルゲルマ-さんや、二胡の翠月淳さんだっている。
 
喜びを共有できる仲間が地元にいてくれたら、もっと楽しくなるのです。
ちかごろライアー演奏家としてデビューした上越市のマコちゃん。
 
ヒトとヒスイの物語を分かち合える仲間を、首都圏でも増やす活動をしてはどうか?と誘ってくれる友人が3人もいて、来月上京する。個展の話しも出てきた。
 
これは脱宝石のヒスイの文化的価値の認知と、糸魚川ファンを増やして遊びに来てもらう活動の一環。
 
つまりヒスイ職人による、ヒスイ・縄文・ヌナカワ姫をキーワードにした文化事業なのだ。
 
このウネリ、乗らずになんかいられない。
 

ケロヨンメットとハゲズラメット改 開発のお知らせ

2020年09月25日 07時05分36秒 | こんなモノ作った!
浮き球再利用の防災メットに、ケロヨンがないのは片手落ちとの指摘があり新開発した。
ケロヨンは私の保育園時代の着ぐるみヒーローで、当時はケロヨンの挨拶の「ケ~ロ~ヨ~ン!」と「バッハハ~イ!」が大流行して、大人も子供も帰り際の挨拶は「バッハハ~イ!」であり、全ての日本人がケロヨン化した時代であった。
この際、ハゲズラメットも植毛できるように改良。
ハゲズラメットは、猛暑対応の「3孔ベンチレーションシステム」を独自開発し、ハゲズラメット改と名称変更。
このことで1本植毛で加藤茶仕様、3本植毛で波平仕様に変更できるだけでなく、竹トンボや線香も差し込み可能となった。
 
意外にもケロヨンの産みの親は、影絵作家の藤城清治の作だそうで、最初の着ぐるみアクターは後の藤城さんの奥さんとなる女性であったとウイキ先生が教えてくれました( ´艸`)

「STUDIO VOICE」の時代・・・スピリチュアル系サブカル雑誌の流行

2020年09月24日 08時07分34秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
同世代の来客が、若い頃にスピリチュアル的なことに興味を持ち、月間「STUDIO VOICE」などのサブカル雑誌を読み漁っていたと聞いて、懐かしさに手を取り合って笑ってしまった。
「STUDIO VOICE」は硬派で良質な総合教養雑誌だったが、70年代後半~2000年代初頭にこの類いのニューエージ狙いの雑誌が流行っていて、ライオネル・ワトソンの100匹目の猿、TM瞑想、ジョン・C・リリーの変性意識、仏教の唯識論などが盛んに紹介されて、覚醒・目覚めよ・プジティブシンキングで世の中変わる・神秘体験といったキーワードが、ごく一部でトレンドだった時代。
 
子供のころから好きだったイラストレーターの横尾忠則が表紙を描いていたり、彼が特集される事も多く、そんな時にだけ買っていたが、この時代はスピ系の自己啓発セミナーも盛んだった。
「STUDIO VOICE」よりもっとスピリチュアル寄りな「AZ」なんて雑誌にも、よく横尾忠則が表紙を描いていた。
 
私が来客の写真撮影をする際に「目覚めて!ほらぁ、もっと愛して!もっと開いて!もっと許して!もっともっと!」と笑わせるのは、当時のサブカル雑誌に紹介されていた、スピ系自己啓発セミナーをネタにしているのです( ´艸`)
 
個人的な思想としてなら問題ないのだけど、しつこくセミナーに参加を勧められたり、「どうして解ってくれないの!」とばかりに同調圧力をかけてくる人もいて、こうなると新興宗教の勧誘と同じで厄介。
 
オウム事件から下火になっていった記憶しているが、今でもその残党や弟子筋(笑)みたいな人が訪ねてきますな。
 
わたしゃ無神論者ではないけど、生半可なスピリチュアル的な言動を披露されると笑いのネタにしちゃうタイプなので、期待に沿えずに申し訳ない。
 
それにしても、大人が読むに堪える良質な「STUDIO VOICE」が廃刊になって、最も荒唐無稽な月間「ムー」が生き残っているのはなんで?

ネコ用夏のベッドを作ったが・・・ネコ問題について考える

2020年09月22日 08時43分47秒 | こんなモノ作った!

ネコ問題について考える・・・

東南アジアの海岸にあるような涼み台をイメージした夏用ベッドを作ってやったのに、見向きもせず横に畳んだ洗濯物の上で寝るのはナゼ?

玄関に飾っていた、火焔型土器(もちろん複製)と蛸ツボを落として割ったのはナゼ?
餓死・凍死寸前に保護してやったことを恩に感じていないのか君は?
 
オレは哀しい・・・でも忖度しないネコって自由でいいななぁ(笑)
余談だが、火焔型土器は子供の頃に限定販売された長者ヶ原遺跡出土の模造品で、粉みじんになった割れ方を見ると型抜き製法であることが判明。予想通りですがねぇ。
 
実物と同じ輪積み式の作り方なら、規則性のある割れ方をするので修復は楽なのですよ~、と負け惜しみ( ´艸`)
 
 
 

脱ジュエリーのヒスイ装飾品、縄文なるもの・・・いざ東京へ!

2020年09月20日 09時00分15秒 | ぬなかわヒスイ工房
経営者の集まりに講演で呼ばれると、かならず「糸魚川ヒスイはダイヤモンドに比べて地味だから、プラチナなどの貴金属と組み合わせたお洒落なアクセサリーを開発しないと海外に売れない」という意見が出てくる。
幅6㎜で三つ編みした大麻を使った勾玉チョーカー(首にピッタリしたサイズの首飾り)
 
そんな時に私は
 
なんでジュエリー業界の土俵に乗せる必要があるのか? なんでダイヤモンドと比較する必要があるのか?
 
たとえ高名なジュエリーデザイナーにヒスイ宝飾品を作らせても、同じ土俵で評価する限りはダイヤモンドには勝てないですヨ。
 
天然資源ヒスイのモノ人気は、ヒットすれば枯渇の危機が高まり、仮に海外で糸魚川ヒスイが売れても、儲かるのは販売業者だけで、市民にはなんの還元もありません。
 
皆様方が取り組むべきは、海外に売る仕組みを考えることではなく、オンリーワンのヒスイの文化的存在価値、すなわち「ヒトとヒスイの物語り」の情報発信ではないでしょうか?
 
七千年前の縄文前期から始まり、飛鳥時代までほぼ五千年間も続いた「ヒトとヒスイの物語り」は、ダイヤモンドにはない唯一無二の価値なのですヨ。
 
そして戦前に糸魚川ヒスイが再発見されて以来、大昔の人々がヒスイに抱いた想いとは異質の、投機の対象や大量販売される、史上最高のヒスイバブルの時代になっています。
 
文化的価値は、活用するほど市民の財産が増え、故郷の誇りになっていきます。これが市民への還元でなくなんでしょう?
 
こんな自説を披露すると、不興を買うことも多いようだが、よくぞ言ってくれた!と喝采を贈ってくれる経営者もいる。
だから私は一貫して、脱ジュエリー、脱パワーストーンのヒスイ作品の路線を模索しているのだ。小型勾玉の金属部品を、あえてジュエリーとしての価値が下がるステンレスで自作して土俗的な雰囲気にしているのは、そのアンチテーゼでもある。
 
5円玉に2~4個が乗るサイズの勾玉でも、紐孔の中まで研磨した鏡面仕上げしてあるのは、量産品を大量販売する時流へのアンチテーゼ。
こんな小さい勾玉、どうやって作った?と同業者から聞かれても、ヒスイを大事に扱うだけですとしか答えようもないのだ。
そして大麻を使ったチョーカー(首にぴったりのネックレス)を作った。紐孔の内部にもご注目!穿孔しっぱなしのザラザラではなく、ツルツルに研磨してありますが、これにはちゃんと深い意味があります・・・その意味は、来客にだけ教えております。
 
大麻は縄文以来ずっと我々の身近にあった繊維。
 
勾玉は現代的な形だし、ステンレス部品を使ってはいるけども、縄文のヒスイ職人や、ヒスイを身に付けることを許された偉い人が「やるじゃないの!」と褒めてくれるモノを作りたい、そんな想いがカタチになった。
今回は注文主の要望で太めの麻紐にするため、金属環の工程を見直したら、幅10㎜のリボンに入れ替えられるようになった。
 
お客さんの無理難題は、殻を破って新しいモノを産み出す絶好の機会。
 
この作品、JJC(縄文・ジェダイト・カルチャーの略)作戦として、東京の一等地でお披露目したい。
 
超モダンな大阪万博会場に中央に聳えた、アンチモダンの象徴「太陽の塔」のように、都会のお洒落な店舗に土俗的で小さな、脱ジュエリーの縄文風勾玉が鎮座して、なんだか懐かしい感じのするかわいいモノとして、無自覚であっても人間性復興、原点回帰へと指向する機会になってくれたら嬉しい。
 
ヒスイ職人として初めてのプレゼン営業も厭わない。
 
目の肥えた方々に観て頂ければ耳の痛い意見も出るだろうが、そこはセッションしてお互いが納得できるモノにしていけばいい。
 
現代人の心に響く「脱ジュエリーのヒスイ装飾品・縄文なるもの」を世に出したいのだ。いざ東京へ!
 
 

過剰な自意識と操作意欲を捨ててこそ、それはやってくる!・・・凹状の放物線ができたぞの巻

2020年09月18日 07時38分42秒 | ぬなかわヒスイ工房

「肌寒し ヌナカワ姫の 涙雨」  今朝つくった俳句( ´艸`)

久しぶりに大雨だが、降る場所によっては慈雨であり、無情の雨でもある。人生ままならんもんですね。
 
ヒスイ加工もままならんが、たまにままなることがある。
平面研磨機では凸面の成形研磨はできても、凹面の成形研磨は理屈からいってできないもので、これまで何度も挑んでは敗残の惨めを味わってきた。
 
ところが食えず眠れずという集注で2週間、勾玉と石笛つくりに没頭していたら、疲労のピークで手が勝手に動いて、凹面の放物ラインが突然できてしまった。
右下側の微妙な放物線に注目して頂きたい。水底を身をくねらせて泳ぐミズチ(蛟・水の精霊)のように、あるいは風にゆらぐ笹の葉のような内側に入り込んだ凹状の放物線になっておりますでしょ?
この角度!この当て方!立体として捉える!なるほど!と、これまで作りたくても作れなかったモノの作り方が解ったのデス。
 
2年前の「大首飾り複製」の時も、同じ現象で難関を突破できたのだが、これは神霊現象(笑)などではなく、能動的な操作意欲や支配欲、過剰な自意識といった暑苦しいものが無くなった時にこそ、過去の膨大な経験の中からピッタリの技術が「やってくる」現象なのだろう。
そんな時にこそ「ヌナカワ姫様、1,700年前にこの場所でヒスイ加工をしていたヌナカワ族のご先祖様ありがとうございます。」と神妙な気持ちで神棚に掌を合わせたくもなる。
 
だからこの放物線は私が作ったとは思えず、ヌナカワ族の職人・ヒスイ・我の三者による共同作業に対するヌナカワ姫からの贈り物と、自然に認識できるのですよ。
 
観念的な自意識、能動的な操作意欲や支配欲を捨て去ってさえしまえば、いつか・どこかの・誰かが助けてくれる・・・これが過去のチカラと思う経験でございました。
 

 


古代風石笛首飾り・・・過去はチカラ、知恵の法蔵

2020年09月17日 07時42分12秒 | ぬなかわヒスイ工房

石笛を吹く女性で口紅を塗った人を見たことないが、女性客が試し吹きしたら石目にルージュが赤く入り込んでしまった。

幸いにも超音波洗浄で落ちてくれたが、石目がある限り汚れが入り込む。

口紅を塗らなくても、カレー食った後に石笛を吹いたら石目が黄色くなってしまうのは問題だ。

以前に甲府の師匠から、山田さんだから内緒だよと前置きされた上で、石目の充填方法を教わったことがあり、試してみたら石目に見事に充填されたので、全体を研磨し直して一件落着。
そして2年前の「大首飾り複製」の技術を応用して、「古代風石笛首飾り」を作った。
 
引出しに仕舞い込まれた膨大な小技を組合せ、どこにもない、誰も観たことのないモノを産み出すのは職人冥利。
過去はチカラであり、知恵の宝蔵。
懐古趣味だね!と言われたことがあるが、私は歴史を学ぶ意味や、古いモノを観て歩き、伝承を聴きまわることの意義をそこに見出す。
 
モノつくりの世界のみならず、戦争や人権問題、環境問題だって過去に学べば、思わぬ解決の糸口が見つかるのではないか?
 

 


長さが自在に変えられる縄文テイストの勾玉チョーカー誕生!

2020年09月12日 07時39分03秒 | ぬなかわヒスイ工房
ぬなかわヒスイ工房の来客の多くは、私のヒトとヒスイの物語りを聴いて、以降は縄文!縄文!と縄文ファンになってくれる。
 
そのひとりの縄文女子は金属アレルギーで、お洒落な女性なので洋服に合わせたコーディネートもしたいとのこと。
顎から肩にかけてスッキリした体格だから、チョーカー(首にぴったりした首飾り)が似合いそう!と試行錯誤を繰り返して開発したのが、縄文テイストの超小型のヒスイ勾玉。
基本は大麻繊維を三つ編みにした紐で、首の後ろで蝶々結びにしてもらい、時には自開発したステンレス製八の字環から引き抜いて洋服に合わせた素材・色のリボンや木綿紐に交換してもらえればいい。
首の後ろで自分で縛れば、長さが自在に変えられるという発想に欣喜雀躍・・・こんなのどう?と自撮り写メを送ったら「かわいい!」と言われたので採用!金属チェーンや革紐だと長さ調整の限界値が5㎝程度なのですわ。
 
来客は自分の殻を破って新しい世界に誘ってくれる福の神。
ヒスイ・お客さん・私のセッションで生まれた新商品でございます。
 
5円玉に3個のるサイズの極小勾玉でも、バレル研磨機(洗濯機のような自動研磨機)を使わない手研磨による鏡面仕上げで、直径2㎜ちょいの紐孔の中まで研磨してあるから、私のパクリばかりしている同業者もコピーを諦めるでしょうねぇ・・・ざまぁみろ( ´艸`)
 
あっ、勾玉の形とサイズは縄文ではなく、弥生時代風です。