縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

イローナさん来る!・・・縄文ヒスイを研究する外国人考古学者

2018年03月28日 07時21分51秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文時代のヒスイを研究するオランダ人考古学者のイローナ先生が、「ぬなかわヒスイ工房」を訪れたいと連絡を頂いた。

IIona Bausch先生は、3月一杯までは東京大学の考古学教授。

 

先生は今年度一杯で教鞭をとる東京大学を去り、5月からオランダに帰国して研究論文作成に専念するとの事で、今回の訪問は帰国前の調査の一環とのこと。

調査がてら糸魚川でヒスイ拾いや「ぬなかわヒスイ工房」で現代のヒスイ加工の実際を体験したいらしい。

共通の知人である國學院大學の内川隆志先生から紹介されて、お会いしたことは無いがメールと電話でやりとりしたところでは、縄文時代に花開いた糸魚川のヒスイ文化を英語圏で紹介したいと意欲的なようだ。

昨年はテレビマスコミが2度取材に来た他、美術を学ぶ女子大生、英語スピーチ大会でヒスイ文化を発表したいという女子中学生の取材を受けたが、考古学者の密着取材は初めて。

 

しかも外国人だから、こちらも別の視点からのヒスイ文化論を拝聴できるチャンスで愉しみ。

折角の機会をもったいないので魚川でインバウンド活動をしている知人を誘ったら、イローナ先生を囲む会をやりましょう!という事になった。

詳細は未定でフライング気味ではあるけど、私は明日29日から31日まで不在なので大雑把に告知。

日時;4月1日夜(時間未定)

場所;未定(ぬなかわヒスイ工房か居酒屋)

内容;ざっくばらんにイローナ先生の話を聞く(笑)

会費;とりあえず無料(居酒屋の場合は割勘)

イローナ先生は日本語が堪能なので、英語話せなくても心配不要です。

ヒスイや縄文に興味のある方なら誰でも参加できますので、参加したい方はご連絡ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「それ・これ・今」と「あれ・あの・あの時」問題

2018年03月27日 08時47分04秒 | ぬなかわヒスイ工房

3年前に作った雲形紋を線刻彩色した石笛と同じデザインで注文を受けたが、手が動かず3ヶ月経ってしまった。

雲形紋は水、渦巻紋は火を象徴させてカ(火)ミ(水)だからカムイ石笛と銘打った3年前の石笛は、水と火に関係した仕事をしているからと、海水塩を作っている村上市の友人が工房のお守りにと買ってくれた。

 

私の石笛作りは即興的だから、「その時」だからこそ、「そのヒスイ」だからこそであって、「今、別のヒスイ」で作ろうとすると身体が固まってしまう。

他人のコピーをしているような罪悪感、演技しているような嘘っぽさ・・・とにかく嫌な感じがする。

私の石笛デザインや文章をコピーして商売している人は多いけども、こんな罪悪感みたいな感覚とは無縁なのだろうか?

出来上がった石笛は、図らずも「太陽の塔」に似た別物。

ヒビがあっても透過性がいいヒスイで、結晶も緻密。

「それ・これ・今」は、一瞬で「あれ・あの・あの時」の過去形になり、後戻りできない不器用な職人だから、こういう注文は嬉しい反面、一番難しい・・・。

 

 


勾玉形の石笛・・・ちょっと一休み

2018年03月25日 18時50分50秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾り作りに明け暮れていたので、気分転換に久々の石笛つくり。

勾玉形の石笛を以前から作りたかったが、すでに先に作っている人がいるようなので思いとどまっていたのだけど、要望も増えてきたので重い腰を上げて作ってみた。

姫川薬石で作ったが、これまで作ったなかで最大の勾玉・・・手を滑らせて落とさないように、敢えて鏡面仕上の手前に研磨。

 

人に真似される事は多くても人の真似はしない流儀だし、オンリーワンのオリジナル作品に拘っている。

そこで他の人の石笛デザインと被らないようにネット画像を検索してみたら・・・。

幸いにも勾玉に孔を開けただけの「吹けば音がする・・・掠れて小さな音だけど」といった程度の作品しか見当たらず、安心して作成。

孔を吹くと音がするから石笛だというのなら、大珠や大き目の勾玉は石笛ということになってしまう。

 

因みにネットで縄文時代出土の石笛として流布している情報の9割以上は、何の検証もないまま大珠や垂れ飾りを石笛と誤認しているだけのようだ。

恐らく某神道系教育サイトの誤認情報が孫引きされて拡散したらしい。

私はそれらの情報を出土地の埋蔵文化財センターや教育委員会、出土品を管理する大学の考古学者に問合せて、実測図や俯瞰写真を送ってもらって確認しているのだけど、問い合わせた専門家たちも「えっ?うちの遺跡から石笛が出ているんですか?初めて聞きました。」というようなのばかり(笑)

石笛と断言できる人は当の縄文人しかおらず、我々現代人は様々な検証をした上で「石笛と推測される出土品」くらいしか言いようがないのだ。

取敢えず無難なところで紐孔と背中が吹けるようにした。オクターブ超えは無論、ちゃんと楽曲演奏できる操作性も持っている。

各地で引っ張りだこの有名な石笛演奏家から要望されて、長らく待って頂いていたのだが、守山鷲声さんではない(笑)

 

Nさん,こんなのでよかったらヒスイで作りますが如何?(笑)

 

 


植物の潤いに癒される・・・大首飾りプロジェクト

2018年03月25日 09時06分45秒 | ぬなかわヒスイ工房

アメリカのお客様からコケ玉の土産を頂いたので、自作の縄文土器式抹茶茶碗に入れて工房に飾った。

大首飾りに没入しており曜日も分からなくなっているので、こういう時の来客は助かる。

来月は縄文時代のヒスイ装飾品を研究しているオランダ人の考古学者も訪ねて来るが、これまでの活動に興味を持つ専門家が出て来たことは慶賀の至り。

茶道を学んでいた時に縄文土器で抹茶茶碗を作ってみたが、素焼きなので飲むと唇の水分が吸われてくっついてしまい、使い物にならなかったので丁度いい植木鉢!


寝ても覚めても大首飾りという状態だったので、植物の潤いに癒される。

亀ヶ岡式土器もどき・・・

煙水晶の丸玉が完成・・・1点づつ寸法が違うのでナンバリングしてある。

 

最近は、考古学者ばかりか鉱物学者や異分野の職人の知恵も借りて、瑪瑙の染め実験や他の石材の変色実験も行っている。

大首飾りに色合いを似せるための変色実験・・・苛性ソーダ溶液に浸してみる

瑪瑙の染め実験・・・成功したらすぐに真似して「古墳時代の出土品」としてヤフオクに出品する輩がいそうだから、溶液は秘密だ(笑)

蛇紋岩とロディン岩の染め実験・・・これも秘密!

 

使う技術かどうかは別問題で、次々湧き出る疑問を検証していかないと次に進めない性分だから仕方ない。
「大首飾り」は茫漠とした大海のよう。
難破しないために、見えた島影は調べる必要はある。
趣味は仕事にしない方がいいとよく聞くが、好きな事を続けて仕事になると、お金にならなくても人生愉しいぜと、私は想う。



テコテコ丸玉のモノガタリ・・・大首飾り復元プロジェクト

2018年03月20日 08時30分48秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾りに含まれる変わり種の一つが、江戸か明治期に作られたらしきJグループNo,231の赤瑪瑙の丸玉。

他の丸玉は見事に丸まっているのに、No,231だけは表面がテコテコと小さな平面の連続になっているのが不思議。


表面がテコテコと角張っているのも、きちんと再現・・・写真では解り難いので、もう少しテコテコさせてみる事にした。


丸玉加工途中の未成品かも知れないが、表面が荒れておらず光沢もあるので、鋼製板に金剛砂を溶かした水を付けて根気よく擦って丸玉を作っていたのかも・・・と、作られ方や作った職人の苦労、武四郎が未成品と知りながら形が面白しと求めたのか?など想像しながら作るのは非常に愉しい。


冬など手がかじかんでシモヤケも酷かったのだろう。
レプリカ作りは書道家の臨書と同じく、モノを通してヒトを知る行為だとシミジミ思う。

装飾品とヒトのモノガタリだ。

 

 


あの感じ・・・大首飾りプロジェクト

2018年03月19日 07時24分16秒 | ぬなかわヒスイ工房

監修役の考古学者に試作品の丸玉をお見せしたら、「並べると実物と見分けが付きませんねぇ・・・」と取敢えずの合格点を頂いていたが、本人は物足りなかった。

私のヒスイ加工は平面研磨機に取りつけたダイヤモンドディスクで切削して耐水ペーパーで研磨しているが、この方法だと石の表面が平滑になるため内側から発光するような光沢になり、印象が近代的になるのが気に入らない。

出土品特有の野趣を残した滑らかで柔らかい光沢・・・「あの感じ」とは似て非なる別物なのだ。

研磨方法を工夫して「あの感じ」に近くなってきた丸玉。

 

「あの感じ」は砥石で研磨し、最終仕上げになめし革か桐の板材などに何らかの研磨剤を付けて磨く事でできるらしい・・・。

縄文時代の研磨剤は何だったのか?

「出雲上代玉作遺物の研究」という大正時代に出版された京都帝國大学の報告書に、大正時代にはベンガラを研磨材にしていたと記述があった。

当時はレンズなどもベンガラで研磨していたらしいが、やがて酸化セリュウムにとって代わられたようだ。

ベンガラなら縄文人だって作っていたし、如何に微粒子かという事はフェイスペイントすると水洗いしただけでは簡単には落ちないという経験から身をもって知っている。

「あの感じ」を出す試行錯誤で辿り着いたのが、中研磨だけ砥石で人力研磨する方法。

 

自作したベンガラは持っているが、周囲が赤く染まってしまうのでダイヤモンドペーストで代用、なめし革はフェルトバフで代用してみた。

大満足とはいかないが、「あの感じ」に近づいてきた。

因みに写真の製氷皿は、全て寸法が違うナンバリングされた丸玉を再現する必要があるので、混ざらない工夫。


出土品の孔の開け方には両側穿孔と片側穿孔があり、鼓形になった両側穿孔を忠実に再現した試作品を観た監修の先生は「ちゃんと両側穿孔になってますねえ!」と気付いてくれた。

大袈裟に表現したが、孔の直径が中心近くで細く、両端が開いた鼓形に開いているのが両側穿孔の特徴で、片側穿孔場合は三角錐に孔が開いている。


些細な工夫に気付いてくれるので遣り甲斐はあるし、もっと高みを目指したくなる。


それにしても赤瑪瑙の丸玉はイクラのようだ・・・古墳時代の人は子孫繁栄や鮭の豊漁を願って作ったに違いない(笑)




現代と古代の間で揺れ動く・・・大首飾り復元プロジェクト

2018年03月17日 08時41分44秒 | ぬなかわヒスイ工房

4月から始まる大首飾りの勾玉作りに備えて、縄文勾玉を連作。


売り物なので、平面形状と厚み以外の寸法だけを参考にして、ポッチャリした印象に仕上げている。左2点は金生遺跡、右は朝日山遺跡出土勾玉がモデル。

縄文勾玉は頭でっかちで穿孔工具に竹管を使用しているために紐孔が大きく、いかにも胎児っぽい朴訥とした印象が好きだ。

普通なら使わない不純物の入った部分も、私は景色や味として捉える。

胎児っぽいでしょ?

直面している大きな課題は、出土品特有の原石の野趣を残した柔らかく優しい光沢表現。

 

売り物のようにピカピカに研磨させず、耐水ペーパーの研磨傷を残さず半艶で仕上げたい。

1000番手であっても出土品のような切削傷とは明らかに異質な研磨傷が付いてしまい、消そうとすると艶が出過ぎるのである。

最後は手研磨か・・・と布団の中でも試行錯誤が続く。



 

 


最北のヒスイと復元された縄文人の顔・・・ヒスイとヒトの物語

2018年03月13日 08時22分50秒 | 縄文

北海道の礼文島の船泊遺跡(後期)から出土した人骨のDNAから、ちぢれっ毛で茶色い目をした縄文人の顔を復元したとのニュースを聞いて心が騒いだ。

船泊遺跡の復元された縄文人の顔(毎日新聞WEBニュースより転載)

 

まだ訪れた事はないが、この遺跡こそ最北のヒスイ出土地なのだ。
四千年近く前に、こんな顔立ちの人々がヒスイを身に着けていたという事が解ったのは快挙。

船泊遺跡出土のヒスイ大珠(北海道ライブラリーより転載 http://www.akarenga-h.jp/archives/sort/jomon/)

 

以前から気になっていたのは、出土したヒスイ大珠が青森型のドーナツ形ではなく、関東甲信越を中心地とした細長い鰹節形という事。

東北のヒスイ大珠は、青森県三内丸山遺跡を中心地とした丸いドーナツ形をしており、このタイプは糸魚川でも出土していないので、三内丸山遺跡で加工されたと推測されているのだ。

三内丸山遺跡出土のヒスイ大珠 (IPAより転載 https://www2.edu.ipa.go.jp/)


青森から運ばれたヒスイ大珠ではなく、もしや糸魚川から運ばれた可能性もあるのでは?と海のヒスイロードに想いを馳せる。

 

 

 


七回目の3.11・・・平成の宮沢賢治が来た

2018年03月11日 10時02分05秒 | ぬなかわヒスイ工房

出版業界が不況と聞いて久しいが、日経小説大賞受賞作「女たちの審判」の著者の紺野夫妻が、はるばる山形から取材に来た。


3作目に「カヌー作りをするアウトドアマン」が登場するらしく、カヌーや野宿の実際をメインに、途中から脱線して縄文とヒスイ、いつの間にか私の生い立ちまで取材されてしまった(笑)

実物を見た人は誰もが驚くが、紺野夫妻も自作の丸木舟「明星丸」の大きさに驚いていた。

現代のカヌーの大きさや重さもチェック・・・下段のカヤックは「海のヒスイロード検証実験航海」に使った「縄文人(見習い)号

 

紺野さんは法務省キャリアから整体指導者に転身(転落ともいう)した整体協会の先輩で、紺野仲ヱ門という夫婦共著のペンネームを持つ小説家、俳句の宗匠、自給自足生活をする平成の宮沢賢治のような人。

山形の内陸部の人だから糸魚川の海の綺麗さにも驚いておられた。

艇庫のある能生町のシンボル「弁天岩」から糸魚川市街方面の展望

 

野宿ならこれを!と新潮文庫版ヘミングウエイの「二つの大きな心を持つ川」、カヌー旅ならこれをと、内田正洋さんの「シーカヤック教書」を参考文献に渡した。
整体流に「体を整えるように文章を整える」という紺野先輩の新作、売れてくれればと心から願う。

そう言えば最初の日本海縄文カヌープロジェクトを始めて丸木舟を作ったのは、3.11のすぐ後だった。

 

 


古墳時代の赤瑪瑙勾玉問題・・・大首飾りプロジェクト

2018年03月10日 00時58分21秒 | ぬなかわヒスイ工房

赤瑪瑙勾玉の原石が国産品が流通しておらず外国産を使わざるを得ないと、大首飾りレプリカ作成プロジェクトの監修者である國學院大學の内川隆志先生に相談したら、研究室の棚に飾ってあった北海道今金町産の私蔵品を寄付してくれた。

大首飾りには18点もの赤瑪瑙製勾玉が含まれるのだ。


頂いた北海道今金町産の赤瑪瑙を帰宅後に確認したら、同じ原石が著作で参考品として掲載された貴重なものという事が解り、ご厚意に痛み入るばかり・・・。


嬉しい反面、その存在感に私レベルでは畏れ多くてカットする勇気が出ない。


北海道今金町産の赤瑪瑙の原石表面・・・国産のしっとりとした質感と発色を見ると外国産にも手が出ず困ってしまう。


本気になれば道は拓けると念じつつ、各方面に国産赤瑪瑙原石入手ルートを問合せしている。


奈良県立樫原考古館展示品の赤瑪瑙勾玉。大首飾りの赤瑪瑙はくすんだオレンジ色をしている。


かねてより古墳時代の赤瑪瑙製品の発色が原石そのものの色なのか?焼いて色を濃くしているのではないか?と疑問を持っており、出土数の多い山陰、近畿地方の学芸員さんに問合せしたりもしているので、瑪瑙問題だけでも多くの専門家の手を煩わせてしまって申し訳ない。


恩返しは結果を出すこと・・・やるだけのことはやる。