縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「海のヒスイ・ロード」の起点・・・城の川河口

2013年07月21日 14時53分15秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト



糸魚川産のヒスイが五千年前以上も前に丸木舟で青森まで運ばれたとする学説を検証する目的で、日本海縄文カヌープロジェクトという市民団体を始めて三年になる。


縄文時代から古墳時代まで糸魚川ヒスイは各地に運び出されていったが、陸路と海路がありそうだ。個人的に海路を「海のヒスイ・ロード」と呼んでいる。

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現在の城の川河口。名前は知っていても糸魚川市民の大部分は河口を見たことが無いだろう。



すでに勾丸木舟を二隻作って、今年の五月には糸魚川市能生町~隣の上越市までの25キロ間の航海を成功させた。

しかし、ヒスイの海上運搬ルートの起点が能生町と推測されている訳ではない。


某考古学者は、市内を見下ろす高台にある「長者ケ原遺跡」で加工されたヒスイは、十二曲がりという山道を経て、市役所横にある一の宮(天津神社・奴奈川神社)にあった集落まで陸路で運びこまれた、と推測しているそうだ。


室町時代以前の一の宮周辺は、日本海側が2m前後落ちた岬状に突き出た台地であったらしい。

江戸時代になって一の宮の西隣に「清崎城」が建てられ、・・・糸魚川は一万二千石の城下町だった・・・岬の周囲が埋め立てられて現在の地形になったとのこと。清崎城のあった場所にはかって糸魚川高校があり、現在は市役所が建っている。

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城の川河口の右上に見えるのが黒姫山。ヒスイを運搬したであろうプロト奴奈川族のランドマークだったに違いない

縄文時代当時の台地の下は湖沼地帯であり、加工されたヒスイはその集落こから「城の川」を経て、日本海に船出したというのがその説だ。俺もごもっともと思う。

集落に面したラグーンには船着き場があり、そこから仲間に見送られて城の川を下って日本海に船出して行った風景を想像すると、ワクワクする。

残念ながら「城の川」は、昭和39年の東京オリンピック景気で暗渠化されて駅前通りになっている。湖沼地帯も「三反田」という沼地を連想させる住宅街の地名に名残を見るだけだ。

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城の川の東方面。能生・名立・上越と続き、その北の果てには青森が待っている。



上越市までの航海の出発点をなぜ、城の川から東に20キロ離れた能生町にしたかというと、現在の「城の川」河口周辺には、テトラポットが並ぶ殺風景な海岸線がづっと続いており、丸木舟が出し入れできるインフラが無いためだ。

 

8月になったら、城の川~能生町までの航海を予定しているが、丸木舟ではなく、SUP(スタンドアップ・パドル・ボード)での航海だ。

 

SUPなら身軽だし、1.8キロ東にある押上海岸から漕いで城の川河口まで行くことができる。

 


縄文の響き・・・石笛仙人、縄文石笛を吹く!

2013年07月19日 11時07分24秒 | ぬなかわヒスイ工房



縄文人はどんな世界観を持っていたんだろう?

現代人がそれを知るには、遺跡の在り様や出土品、民俗例から彼らの世界観をうかがいみることしかできない。



そんな縄文人の世界観を知る手段として、生活必需品とは別の何に使ったのか分らない出土品を観察すると面白い。

新潟県立博物館館長の小林達雄先生が「第二の道具」と表現した出土品である。

例えば土偶や男根型の石棒などなど・・・。

「第二の道具」の中でも俺が注目しているのは石笛だ。

石笛とは、泥岩や砂岩などに穿孔貝が巣穴にするために開けた孔のある石、火成岩にガスの噴出で孔が開いたりした石、あるいは母岩から結晶の粗い部分が抜け落ちて孔が開いた石のことだ。


孔に斜めに息を吹込めば笛のような音がするから石笛と呼ぶ。

縄文遺跡からも全国で三十例ほどの石笛が出土している。


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熊本県宇土市の轟貝塚から出土した縄文石笛のレプリカ。泥岩で作った。

縄文人が何の目的で石笛を拾ってきたのかは不明だが、一部の神道教団では今でも神事に招魂や昇魂などを目的として吹かれているので、縄文人も神事の祭器として使っていたと推測されている。


縄文遺跡からは自然の孔あき石の他、石に人工的に孔を開けた石笛も若干出土しており、それぞれ吹き易い形に加工され、泥岩等の他、ヒスイ製も出土している。



YouTube: 石笛仙人、縄文の石笛を吹く

そこで縄文人がどんな音を聴いていたのか知りたくて、熊本県宇土市の轟貝塚から出土した石笛・・・と推測されている・・・のレプリカを作ってみた。



轟貝塚は縄文前期(六千~五千年前)の遺跡だ。

出土した人工石笛は、黒色石灰岩製でΦ8㎜の貫通孔の他、貫通孔に直交したΦ4㎜の小孔が開けられていて、貫通孔と小孔を指で押さえれば音階の変化ができる工夫がされている。

つまり元祖オカリナだ。

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縄文石笛のレプリカ中央に開けられた小孔と貫通孔を指で押さえれば音階が変えられる。


出土品の実測図を取り寄せて忠実に再現したが、下手糞な俺が吹いても縄文の音が再現できんでしょうと、盟友である和歌山市在住の石笛仙人こと守山鷲声さんに演奏して貰った。



鷲声さんの本業は竹笛職人だが、木霊研究家として著名であり、「石笛倶楽部」というサイトを運営する石笛演奏家でもあるので、俺は尊敬の念を込めて石笛仙人と呼ばせてもらっている。


石笛仙人は獣医の資格も持ち、若い頃は漫画家だったという不思議な経歴の人。

鈴を転がすような倍音、寂びた幽玄な音色・・・おっと、ここでは四の五のと言うまい。

五千年前の縄文の響きをお愉しみに!


初めてのお客さんは絶対に美人に違いない!・・・ネットショップなんとか完成

2013年07月13日 10時24分54秒 | ぬなかわヒスイ工房



糸魚川の魅力を自分の得意分野から発信する目的で、「縄文時間 」というホームページ作りをしていると紹介したが、同時進行でヒスイ加工販売の「ぬなかわヒスイ工房」のネットショップも独力で作っていた。

 

相当悪戦苦闘したが、ネットショップの方は今週でなんとか恰好がついた。

 

そして昨夜、ネットショップで初めて勾玉が売れた!

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初めての「SOLD OUT」画面にに舞い上がったが、「この次はどうすりゃいいんだ?」と困惑するネットショップ初心者の私(笑)。

 

「糸魚川には仕事も遊ぶ所もな~んも無い!」と地元の人は言うけれど、その気になりゃ仕事も遊びはあるっちゃ!と身を持って証明したい俺としてはネットショップは有難い存在。

 

本当は色々とコミュニケーションできる対面販売の方が職人としては愉しいのだけど、ヒスイは地場産業になりえるだけの市場規模がなく、糸魚川市は観光地でもないのでネットショップは田舎で起業したい人にとって魅力的だ。

また苦労して作ったネットショップだけあって正直嬉しい。

 

しかも売れたのが、まだ誰も作っていない縄文時代の勾玉。前回このブログでアップした山梨県の縄文遺跡から出土した「胎児のような勾玉」のレプリカだ。

 

現在作られている勾玉の多くは、定形勾玉という弥生時代以降の見慣れた形。

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これが見慣れた定形勾玉。多くのヒスイ職人が作るのは、このバリエーションばかりなのだ。

 

どうせなら誰もやったことの無い分野を開拓したかったし、縄文勾玉の朴訥とした風情が好きだったので、敢えて「売れない勾玉」・・・ヒスイ加工関係者は口を揃えてこう言う・・・を作ってみたのだ。

 

初めてのお客さんは東北の女性・・・会ったことないけど絶対美人に違いない!

 

欧米では船の処女航海には女性を乗せると聞く。いいぞ!まったく幸先がいい。

 

宣伝広告費ゼロなので、口コミが命綱になる。

 

このブログに遊びに来られた皆さん、冷やかしでもいいから下記サイトに遊びに来てくんないや!

 

「ぬなかわヒスイ工房 」http://nunakawa.ocnk.net/


2013年6月20日以前の記事はエキサイト・ブログでご覧いただけます。

2013年07月09日 19時13分16秒 | インポート

2011年3月12日からエキサイト・ブログで「縄文人(見習い)の糸魚川発!」を公開していましたが、訳あってブログ人に引っ越してきました縄文人(見習い)です。
以前の記事は変わらずエキサイトブログで見ることが出来ますので、2013年6月20日以前の投稿はエキサイト・ブログでどうぞ!

http://jhomonjin.exblog.jp/

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縄文勾玉ってこんなです・・・胎児説に納得!

2013年07月09日 16時11分57秒 | ぬなかわヒスイ工房



玉は何を表しているの?とよく聞かれる。

 

胎児説、三日月説、牙玉説と諸説あるので「縄文時間 」というHPで検証しているのだけど、残念ながらまだ未完成。

 

同時進行でネットショップ開店で悪戦苦闘中だけど、なんとかネットショップの方のメドがつきつつある。

 

ちょっと一段落したので、ここで縄文時代の勾玉を公開しちゃいます。

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この勾玉は私が作った山梨県・金生遺跡出土の勾玉のレプリカで、縄文晩期(三千~二千五百年前)のもの。もちろん糸魚川ヒスイ製。

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縄文勾玉に限ってみれば、胎児みたいでしょ?

 

漫画チックで頭でっかち、目が大きいのが縄文勾玉の特徴です。

 

弥生時代以降は、定形勾玉といって見慣れたスマートな勾玉になってきます。

 

だから時代や地域によって勾玉の持つ意味が違っていたんじゃないか?というのが私の説。

 

一般的にはあまり知られてないけど、縄文勾玉ファンが増えてくれれば嬉しいのだけどね。

 

さあて、今日は一日中パソコンに向かっていたので、これから海に行ってSUP(スタンドアップ・パドル・ボード)漕ぐぞう!


葦船野郎が来た!・・・日本一周のヨット「アマナ号」寄港記

2013年07月06日 20時27分51秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト


曜の夕方、糸魚川サーフィン界の親分、ノブさんから「今晩時間ある?」と電話。

 

なんでもノブさんが仕事中にヒッチカイカーを拾ったら、能生町の小泊漁港に停泊中のヨットで日本一周している二人連れで、古代の葦船も作っているとのこと。

 

俺の友達にも縄文カヌーやっている変な奴いるよう~、と話したら是非会って話がしてみたいと意気投合したらしい。

 

オモッショイ(面白い)奴らだから夜になったらヨットに遊びにいかんか?とお誘いだ。

 

ノブさんのお誘いなら是非も無し。しかも潮っ気のある人間なら何時でも歓迎だ。

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アマナ船内で自作の葦船ミニチュアを前にするジン。

 

 

 

彼らはジンとシゲという二十年来のバッカパッカー仲間で、これまで葦船でチチカカ湖航海や大西洋横断などしてきたらしい。

 

しかも航海途中で葦船が真っ二つになったりといったアクシデントを何度も経験している根っからの海人。

 

今回の日本一周は長距離航海の訓練で、来年はヨットで太平洋横断してさらに経験を積んで、三年後には葦船で太平洋横断したいいとのことだ。

 

むろん俺も意気投合して話しが尽きず、気が付けば午前様。

 

俺は翌日は仕事を休んで、彼らを糸魚川観光に連れていく約束したが、ジンとシゲはまったく運がいい。よりによって面倒見のよいノブさんの車に拾ってもらったのだ。

 

せっかくだから明日の夜は、糸魚川の有志を集めて大いに飲もうということになった。

 

その場で青年会議所の笠原ノブちゃんに電話して仲間を集めてもらった。

 

ノブさんといい、笠原ノブちゃんといい、能生町の人は話しがが早くて気分がいい。

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ノブさんから「能生に来たならカニ食わんきゃイケン。伝法丸は俺の同級生だから只でカニ食わせてもらえるようにしてやる」と男気溢れるお言葉。

 

翌朝、ジン(左)とシゲ(右)を連れて道の駅マリンドリーム能生にある伝法丸さんのお店に行ったら、俺たちの風体を見ただけで「ノブちゃんから聞いてるよう~!」とイソイソとカニを出してくれた。

 

せいぜい足を二本か三本くらいの試食のつもりでいたら、なんと六杯のカニをド~ンと出してくれた。伝法丸さんも豪快で潮っ気がある女将さんだった。

 

能生町の人は熱い。