縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

今日おこった戦争は5年前に準備されている・・・二・二六事件とロシアのウクライナ侵攻に思う

2022年02月26日 09時34分16秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
現人神の天皇が、臣下たる内閣の決定に自分の意思を口に出さない建前であったのは、君主の上に憲法を頂く「立憲君主」であったからだ。
 
その現人神であるはずの昭和天皇が明治以来の禁を破り自らの意思を表明したのは、二・二六事件の鎮圧とポツダム宣言受諾の御前会議の二度とされている。
行進する二・二六事件の将兵。反乱軍の中に後に落語界初の人間国宝になった前座時代の柳家小さんが二等兵として混じっていて、演習と聞かされて出動したのにいつの間にか天皇の鎮圧命により賊軍となったことが解り、部隊は兵舎で意気消沈・・・上官からみんなを笑わせろと命じられて落語を一席うかがったが、誰もクスリとも笑わねぇ・・・と弟子に語っていたそうだ。
 
どちらも指揮命令系統を無視して独断専行をする陸軍の暴走を収束するため。この陸軍の風潮を当時の言葉で「陸軍の下剋上」という。
 
文春オンラインで二・二六事件の漫画を紹介している。
https://bunshun.jp/articles/-/52021
この記事ではクーデターに対し、陸軍の動きは遅く海軍は早かったとあるが、海軍軍令部は事前にクーデター情報を把握していながら静観したことまでは書かれていない。
 
陸軍との対立を有利にするために政治利用した静観であったので、海軍は天皇の忠実な臣下であった訳ではないのだ。こちらは「海軍あって国家なし」という。
 
五・一五事件二・二六事の他に未遂に終わったクーデターもあったが、マスコミと大衆は横行するテロや海外派遣を支持する空気感を占めていたのが昭和初期の日本だった。批判や異論を唱えると「非国民」「国賊」と糾弾されるので、みんな黙ってしまった。
 
軍事費を横流しして、妾を囲い豪遊する軍人も多かったし、三井・三菱・丸紅は飛躍的に成長した。その結果、太平洋戦争では歳出の実に9割前後が軍事費の異常な軍事国家となった。
 
プーチンを選んだのはロシア国民だし、ヒトラーを選んだのもドイツ国民。そして太平洋戦争のカードを選んだのは日本国民の「八紘一宇」を旗印にした皇国史観の集団幻想。
 
しかし純粋なイデオロギーと、政治利用で「我々の苦しい生活は〇✕のせいだ!」と矛先を他者に向けられたイデオロギーとは次元が違う。「満蒙は日本の生命線」という当時の標語は、「アジア解放の聖戦」と矛盾することに気付く人はいなかったのだろうか?
 
歴史を学ぶとは、過去の事例と現在を比較して未来をミスリードしないこと。二・二六事件から太平洋戦争まで5年。今日おこった戦争は、5年前、10年前から準備されているのだ。

松本は古い文化が息づき、人が集まる不思議な土地・・・松本弘鈴庵の古民具

2022年02月25日 07時09分06秒 | 田舎暮らし
松本弘鈴庵は、古民具だらけの不思議空間。
「海軍型バケツ1号」とシールが貼られたブリキバケツは、戦前から使われずに置いてあったのだろうか?
神棚の中と左に八角形のコケシのような木製品が並んでいて、遊びにきた地元の人に聞いたら、上田市にある信濃国分寺の護符「蘇民将来符」なのだとか。
 
調べてたら講中が集まって手作りしているそうだが、頭部が尖った形状と土地柄から諏訪大社の御柱の影響?東北のおしら様の類型?と興味は尽きない。
木鐸(ぼくたく)?コロコロといい音がする
 
古い文化が今も息づいている松本は面白いし、弘鈴庵のご近所には都会から移住してきたモノ作り職人や表現者も多いと聞く。
 
新潟に比べると首都圏から電車でも車でもアクセスがよく、雪が降らないから暮らしやすいというだけではなさそうだ。その土地柄もまた不思議。
 
 
 

インドの食パンが松本で食えるとは!・・・麗屋弘鈴庵のチーズサンド

2022年02月23日 06時47分25秒 | 田舎暮らし
インドの露店やレストランで食わせるバタートーストがサクサクカリカリと美味く、同じ食パンを商店で買い求めて土産に持ち帰ると評判がいい。植民地時代のイギリス風の名残なのだとか。
 
あのガサガサの食パンが日本でも食えないものかと思っていたら、千葉から松本の古民家へ移住して改装中のカフェレストラン弘鈴庵(こうりんあん)で出された朝食のチーズサンドが、まさしくインドの食パンの食感と味!
現在は千葉県小見川にある麗屋弘鈴庵(らいあこうりんあん)でも出しているそうなので、食べてみたいかたは下記にお問合せを!
https://raiyakourinan.com/
 
私は朝食を食べない習慣だが、あんまり美味くて5個も食った。弘鈴庵自家製パンのシンプルなチーズサンドは、お世辞は抜きにこれまで食ったなかで一番美味いサンドイッチ。
 
通販でも売れるとは思うが、お金より楽しさを優先するカップルだから、面倒くさいことはしないだろうナ。
弘鈴庵は、松本周辺の伝統的な棟飾り「雀踊り」がある古民家で、中は古民具でいっぱいのちょと不思議な空間。
以前の住人が使っていた家具や道具をそのまま譲り受けた古民家なので、民具好きには宝の山。糸魚川から車で2時間ちょっとの松本の谷筋にある集落には、都会から移住した職人も多く住むそうで、面白い出逢いが期待できそうだ。
 
現在は千葉にある弘鈴庵、はやく移転してほしいもんだ。
 
 
 

三好ではじまり三好で終わった信州旅・・・三好礼子さん

2022年02月21日 09時03分17秒 | 田舎暮らし
千葉でカフェレストラン「弘鈴庵」を経営する友人が、松本の古民家を譲り受けたので移転改装中と聞いて、様子をみに訪れた。
同世代の友人なので、土産品はお向かいの三好屋さんが作り続けている、懐かしい昭和の味、塩味が利いたバタークリームのたぬきケーキ。
三好屋さんは「けんか祭り」の氏子が隊列を組んで天津神社に向かう際、昔の風習を忘れずに旧国道沿いにある本家店舗の前で酒肴と餅を用意してもてなしてくれているので、自家消費しきれないユズをおすそ分けしたら、お礼にと桜餅を頂いてしまい恐縮。ちなみにお向かいの新店舗は、2年位前に開店したカフェも併設している。
とっても律儀な方。濃厚な味わいのたぬきケーキの後に食べると、桜の葉っぱの塩味がサッパリして一層に美味かった。
 
友人宅で一泊後、すぐ近くでオートバイジャーナリストの三好礼子さんがレストランをしているとのことで帰り道に寄ったら、ご本人がいた。
片岡義男の小説に出てくる、「一人でバイク旅をする自由な女」のモデルになったり、海外ラリーでも活躍して、私の世代のバイク乗りにはアドル的な方。
表紙モデルは若かりし頃の礼子さん。
礼子さんは美人なだけでなく、ファラオ・ラリーやパリ・ダカール・ラリーでも実績も残しておられる伝説的なライダー。
 
80年代前後は、雑誌モデルやCMにも出ておられたのだが、紆余曲折の結果、松本に移住して自然農法しているそうだ。
三好屋さんで始まり、三好礼子さんで終わった信州の旅。
 
どんなご縁なのか、中世の三好一族に興味を持ったので調べてみることにする。
 
 

もっと野太く、もっと大胆に・・・亀ヶ岡三兄弟石笛

2022年02月19日 07時27分57秒 | ぬなかわヒスイ工房

亀ヶ岡文化圏の石製品を参考にしたヒスイ石笛の完成に飽き足らず、赤碧玉と流紋岩で形状・寸法・施文・加工法の研究を続けている。

佐渡の赤玉(赤碧玉)のモース硬度7で、ヒスイのモース硬度6・5と0・5しか違わないのに、実際に加工するとヒスイより断然に硬くて難しい。
また瑪瑙化した部分が空洞になっていたり、部分的に泥のように柔らかかったりと均質さがない鉱物なので、勾玉より縄文テイストの石笛やペンダントの方が向いているようだ。
こちらは姫川薬石(流紋岩)でヒスイや赤碧玉にくらべて随分と柔らかいので加工はラクチン。
亀ヶ岡三兄弟の誕生である( ´艸`)
 
もっと野太く、もっと大胆にが長年のテーマなのだが、「下手糞に思われたくない」という自意識が邪魔をして、縄文時代の出土品のような放埓でありながら調和した自由奔放さが感じられず、現時点では解凍前の冷凍食品のようだ。
北斎でさえも若い頃に描いた波の画は平凡だったが、あきらめずに何十年も挑み続けて「神奈川沖浪裏」に辿りついたのは最晩年。石なのに柔らかく、温かみと動きを感じる、生き物のようなヒスイ加工品。そこを目指し続ける。
 
 
 

 


日本にヒトラーがいなかった理由は?・・・NHKスペシャル「日本海軍・400時間の証言」

2022年02月17日 07時47分15秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
小学校の授業で日独伊三国同を習った時、なんで資源のない小国同士が集まって世界を相手に戦争したの?なんで国力が20倍もあるアメリカと戦争をしたの?勝てるわけないよなぁ、とクラスメイトと首を傾げた。
 
個人的には、日本にはヒトラーやムッソリーニみたいなカリスマ独裁者がいなかったのは何故か?がずっと疑問だったが、その答えがこの本に克明に書かれている。
 
東京オリンピックの特集番組での捏造を「誤りがあった」と謝罪して信用失墜に拍車をかけたNHKにも、真摯に番組つくりをする記者もいる。
戦後35年経ってから、主に元海軍軍令部の佐官級の幹部たちを中心に集まり、非公表の反省会を録音した400時間にも及ぶ証言テープの内容を、一時資料の照会や関係者へ聞取り調査を足掛け6年間に渡って地道に取材したNHKスペシャルの書籍化が本書。
 
「私は戦争に反対していたんだが、突出する陸軍との予算取り合いが結果的に対米英戦の準備になった・・・戦争を支持する世論を抑えきれずにやむなく開戦となった・・・特攻は現場部隊が始めた軍事行動であったので「作戦」ではなく、軍令部は命令していない」、などなど当事者たちの責任逃れに対し、別の立場にあった人物が糾弾する生々しい音声記録の数々。
 
軍令部とは海軍の意思決定や作戦立案指導の組織なのだが、この責任の所在が曖昧で保身的な組織の在り方を「海軍あって国家なし」と、海軍反省会では批判意見は出てはいるが・・・。
 
要するに戦争のリーダー的役割を担っていた当事者たちが、戦争の主体が「排他的な民族優位思想と好戦的な時代の空気感」であったとするところに、現代に通じる日本的組織の危うさを感じてしまう。ヒトラーのような独裁者は必要しなかった訳だ。
 
八紘一宇、挙国一致、神武皇紀、無敵皇軍、五族共和、神州不滅、一億玉砕、鬼畜米英、万世一系の皇統、現人神、亜細亜解放の聖戦・・・明治以降に創られ、昭和初期から喧伝された「神国日本」神話の肥大化と暴走は、現人神であるはずの昭和天皇をしても制御できない国家的共同幻想となっていった。
 
その時代の空気感に異議を唱えると非国民、国賊、君側の奸として排除したのが、五・一五事件や二・二四事件。東京オリンピック開催に反対する意見に対し、当時の安倍総理が似たような発言をしていましたな。
 
マスコミや世論はクーデター未遂事件を起こした青年将校たちに同情的で擁護もしたが、戦争に負けてから「騙された!」と騒いでも遅すぎる。
 
漢字4文字の熟語が多用される時代は黄色信号・・・その時代をリアルに経験している半藤一利氏は警告している。
 
SNSで八紘一宇や神武皇紀といった四字熟語、大東亜戦争は亜細亜解放の聖戦だったという趣旨の投稿を目にするとヒヤリとするのは私だけだろうか?
 
 
 

縄文時代にスキーはあったのか?・・・マタギの必須アイテム「コスキ」が怪しい!

2022年02月14日 09時02分13秒 | 縄文
上越市在住のオランダ人のウイレムさんから、雪国の暮らしを紹介する英語ブログを書いているが、縄文時代にスキーはあったのか?と英文の質問メールがきた。たまに歴史や民具などの質問メールがくるのだが、日本語以外は苦手なので翻訳アプリの助けを借りておりマス。
ぬなかわヒスイ工房の玄関に飾られたコスキは、不用品を頂いたもの。木製の鋤だから木鋤で、地方によってはキスキ・ユキハネなど様々な呼び方があり、軽くて雪がくっつかないからと、今でも山間部で愛用するご老人がいるらしい。ちなみに材質はブナが多いようだが、糸魚川では斧や鉈の柄にもイタヤカエデが好んで使われるので、持山のある人は自分で伐採して作る伝統が残っている。
 
「日本列島は酸性土壌なので有機物が残り難く、縄文時代のスキー・ソリ・カンジキの類型は出土してはいない・・・しかし伝統的なマタギが雪山に入る時に杖や除雪具として持っていくコスキ(木鋤)は、坂道を降りる際にはコスキで山側に体重をかけて見事に滑り降りる道具としても使われるので、コスキが縄文時代にあったのであれば下り坂限定のスキー代りとして使われていた可能性はありますね」、と以下の県立博物館の資料を添付した。
https://jmapps.ne.jp/ngrhk/det.html?data_id=27121
 
翻訳アプリで「酸性土壌」は「Acid soil」と翻訳され、勉強になったヨ。ちなみに雪国の民具なら、十日町博物館が最も充実しているのでご参考までに!とも。
 
 

創造的であると同時に計画的な縄文のモノ作り・・・「THE亀ヶ岡」螺旋紋線刻石笛

2022年02月12日 09時04分00秒 | ぬなかわヒスイ工房
技量が未熟で挫折を繰り返していた、亀ヶ岡文化圏出土品の石製笄(いしせいこうがい)をモチーフにした石笛が、やっとのことで恰好がついた。
野太い線刻が全面に施されている石製笄の半分を意匠化した。土器もそうだが、どこから手を付けていいのか解らない複雑な施文でも、じっくり観察していくうちに法則性が読み解ければしめたもの。
これまでは左手で石笛を持って線刻していたが、疲れてくると指が滑っての失敗も多かったし、線刻の幅や深さを安定させるのに苦労していた。
そこで小型の加工品を保持する際に使うドロップ(熱溶解式の一時的な固着材)を木製ハンドルに塗ってみたら、どんな角度からも自在に線刻できるようになり、作業時間も大幅に短縮。
完成品の同じ角度
もっと早く気づきそうなもんだが、ドロップは小型加工品に使うものとの思い込みが邪魔をしていたのだ。NHKテレビの「いっぴん」で七宝蒔絵の職人仕事をみていて思いついたアイデアだが、でかい石笛でもドロップで固定できるとは知らなんだ。
10年もやってれば、ある日突然とブレークスルーはやってくるもんで、うれしい。次なる課題は楷書的なきちんとした造形から、もっと大胆に、もっと野太くの草書的なモノ作り。
白系のヒスイは透過性バツグン。
 
出土品は結髪の整髪具の笄(こうがい)と命名されてはいるが、中央に2個の小孔が開けられた上下対称の形状なので、むしろ松風独楽(ブンブン独楽)に近い。
 
縄文土器の施文と同じく、思いつくまま野放図に施文していたのではなく、きちんと区画割りしてから線刻したに違いないと思う。縄文土器作りをしたことのある人なら誰でも実感することだが、縄文人は独創的な芸術家であると同時に意外と計画的なのだ。
 
 
 

ネフライト製ペンダント・・・「THE亀ヶ岡」シリーズ

2022年02月10日 07時57分54秒 | ぬなかわヒスイ工房
亀ヶ岡様式のペンダントをネフライト(軟玉ヒスイ)で作ってみた。
石質が半透明だと「部分艶消し研磨」のアラが目立ち、手直しに時間がかかり過ぎて売り物にはならず、残念ながら参考品扱い。現状の技術レベルでは、希少なロウカン質のヒスイに使う勇気はない。
ヒスイ業者はどんに凝った作品を作っても「なんだネフライトか・・・」と興味を示さないが、硬玉ヒスイより加工は難しいと思うし、きちんと研磨さえすればへたな硬玉ヒスイよりよほどに綺麗なのに、と悔しい思いをしている。
作品の出来具合より、硬玉ヒスイか否か、あるいは硬玉ヒスイであっても原石の質が評価されているのが現状なのだ。それにしても半透明な石材に線刻した作品の写真撮影は、映り込みや反射があって難しい。負け惜しみのようだけど肉眼だとけっこう綺麗なのです(笑)
 
このような参考品を工房の目につきやすいところに置いておけば、異分野の来客から問題解決のヒントを貰えることもあれば、売り物にできないという自主基準の作品でも、欲しいと言われれば言い値を聞いて、折り合いのつく値段で売れる時もある。
 
だからより多くの人が集まる個展は、自分の作品の客観的な評価を知ることもできるのでありがたい。むろん個展の主催者は目の肥えたプロデューサーでもあるので、意匠や値段、展示方法などの客観的な意見を聞ける得難い機会でもある。
いつかヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ、と硬玉ヒスイ製の量産勾玉より高く売れるネフライト作品に仕立てたいものだ。工房は研究室、道場ですな。
 
 
 

新技法「部分艶消し研磨」に光明・・・亀ヶ岡式のヒスイ装身具

2022年02月08日 07時57分48秒 | ぬなかわヒスイ工房
縄文晩期の亀ヶ岡様式の渦巻き紋と玉抱き三叉紋を意匠した「THE亀ヶ岡」シリーズを連作中。
渦巻きの内部だけは独自技術の「部分艶消し研磨」を施した。この技法は5年ほど前から挑んできたのだけど、今回も何回も作り直してやっと及第点。
「部分艶消し研磨」は原石の質を選ぶようだし、形と文様のバランスが難しいので失敗作も多く、悪戦苦闘している。
土器文様は器形も含めて完結した調和世界を創っているので、文様の一部だけを取り出すだけだと、いかにも取ってつけたような不格好になってしまう。ましてや土器とは「素材特性と製作過程が真逆なヒスイ加工だとなおさら。縄文人は芸術家。