縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

難しいオーダーのお蔭で超小型勾玉ペンダント誕生!

2015年11月25日 19時00分45秒 | ぬなかわヒスイ工房

猛烈な糸魚川愛の持ち主で、何時でもどこでもお守りとして勾玉ペンダントを身に付けたいという女性からのオーダー。

彼女は誰あろう、糸魚川では知らない人がいないほど有名な、「一印かまぼこ」の若女将のリエちゃん。

日頃はかまぼこの製造と配達、休日は販売車でイベントでの対面販売と、いったい何時休んでるの?という忙しい女性。

子育て真っ最中でも新商品開発に意欲的で、まさに八面六臂の活躍をして、最近の一印かまぼこは市外でも有名になってきている。

悪戦苦闘して完成したリエちゃんの勾玉。彼女の持っていたプラチナ製のチェーンを通すための金具は、私の手作り。この金具は耐久性のあるけど固いステンレス製なので、エラク苦労した。因みに金具作りはWESTさんというヒスイ職人の大先輩のご指導の賜物・・・感謝に堪えません。

 

そんな年中無休状態の彼女は、日頃のお守りとして勾玉が欲しいのだという。

また、かまぼこ販売で県外にも出かけるので、是非とも糸魚川のヒスイで作った勾玉を身に付ける事で、糸魚川の宣伝に貢献したいのだと言う。

よっしゃ~、まかせておけい!と意気に応えて請け負ったのだけど、オーダー条件はちと難しい。

①お風呂に入る時や海水浴の時でも付けていたい!・・・という事は革紐は使えない。

②寝る時以外は付けていたい!・・・という事はゴロゴロしない大きさと形状だな。

こんなに小さい勾玉のペンダント観た事あるぅ?とちょっと有頂天君(笑)

 

試行錯誤と試作をした挙句に出た結論は

私の考案した勾玉ピアスと同じサイズの勾玉をペンダント仕様する事。

とびっきり上質のヒスイを使っても、市販の勾玉の半分以下の原石しか使わないのでお値打ち価格の勾玉ができた。

それと誰も真似したくない位に小さな勾玉だから、真似できないというメリットもある。

人のデザインを平気でパクる人が結構いるのだ。

お客様からの難しい注文から、逃げてはいけませんな。

「Yes,I can!」・・・おまかせください・・・が私のモットーだけど、最近は「お客様は神様です」という南春夫さんの名台詞が身に沁みるようになってきた。

 


縄文以来の能生川の鮭掴み取り

2015年11月23日 07時51分46秒 | 糸魚川自慢

糸魚川市能生谷地区在住の友人、イギリス人のマットから鮭掴み取りイベントのお誘い。

糸魚川在住20年近いマットは翻訳が仕事。イスラエル人の奥さんのタルは英語の先生だ。築二百年の古民家で、田舎暮らしを楽しんでおり、和食に造詣が深いし、自然農法の田んぼもやっている。

 

サーフィンポイントで有名な能生川河口には鮭の簗場(ヤナバ)があるのだけど、毎年鮭の掴み取りイベントをやっているのだと初めて知った。

糸魚川市の縄文遺跡から出土する動物遺体には、鮭の骨が多いと聞く。

もちろん鯛の骨やサメの骨も出土するのだけど、鮭の骨が圧倒的に多いのだそうだ。

ヤナで獲った鮭は、選別してメスはイクラを取った後に加工用、オスを掴み取りに回されていた。

老いも若きもスエーダー(胴まである長靴)を借りて掴み取り。子供用サイズも揃っている。浅瀬の鮭を掴むのがコツのようだ。参加料1500円は安い。

狩猟本能が目覚めてしまった女の図(笑)

 

鮭は海で獲ったほうが脂がのって美味いのだけど、恐らく縄文人達も現在の能生のように遡上した鮭を捕まえていたのではないだろうか。

アイヌ民族の民俗例では、燻製保存して主食にする場合は、遡上して産卵を終えた後の鮭の方が脂が抜けていて具合がいいそうだ。

私は縄文人も同様に燻製や乾燥加工などをして、冬の保存食にしていたのではないかと推測している。

もちろん、産卵を終えているので幾ら獲っても乱獲にはならないという良い事づくめの漁法なので、縄文以来のアイヌ文化の知恵と言える。

 

縄文遺跡の70%が東日本に集中しているという事は、ドングリ類や栗、トチなどの賢果類が豊富な落葉広葉樹林帯であった事と、わざわざ海に出なくても簡単に捕獲できて保存食に向いたシャケの存在も大きいと思う。

能生川河口左岸には、縄文遺跡もある・・・鮭の掴み取りで歓声をあげる風景は、この地区の縄文以来の風物詩なのかも知れない。

 


「勾玉の形をしたヒスイ製品」と「ヒスイ製の勾玉」・・・糸魚川ミネラルフェアで想った事

2015年11月14日 19時17分39秒 | ぬなかわヒスイ工房

11月7日、8日に糸魚川市で開催されたミネラルフェアに行って、暗澹たる想いをした。

予想通りに、ヒスイ製品の価格が年々下がってきている。

ヒスイ製品が飽和状態になり、売れなくなってきているらしい。

だから良い原石を使ったヒスイ製品を安く売る、という風潮が続いているのだ。

ネットショップで売れ行きの悪い勾玉は、在庫処分でヤフオクで売りさばく・・・ヒスイ製の勾玉は単なる商品?

だとしたら、文化の匂いのしないビジネスだね・・・サモシイじゃないか。

私の勾玉作りに欠かせないのが、光を勾玉に当てるチェック。明るい所でなら素人目には解らなくても、暗い部屋で光に当てて勾玉をゆっくり動かしていくと、内側のカーブの尻尾付近にガタツキがある事が判明。赤鉛筆でチェック!

 

そんな風潮に対して、ヒスイの枯渇を早めるだけだと危惧する業界人とは、滅多に出会う事が無いのが不思議だ。

「勾玉の形はイビツだっていい。良いヒスイを安くすればお客さんは買ってくれる。だから勾玉は1時間で1個くらいで作れないとプロとは言えず、商売にならん!」という声まで聞く。

輪島塗りの職人が、半年かかる仕事を1週間で仕上げたら褒められるのか?

そんな仕事で作ったのなら、それは本物の輪島塗りではなく輪島塗りモドキでしょう?

1時間で1個の勾玉を作れないとプロではないという世界は、工芸品や美術品の世界の話しではなく、工業製品の世界の理屈ではないかな?

工業製品的な量産品の勾玉とはなに?

答えは「勾玉の形はしてはいるヒスイ製品」、つまり身近なアクセサリー用品という位置付けではないか?

世のすう勢が身近なアクセサリーとして、ヒスイ製の勾玉を求めているのは理解できるし、その要望に応えるのは決して悪い事ではないだろう。

そしてヒスイ製品の安売りに対して、私ごときがモノ申しても流れは変わらないという事も解ってはいる。

 

でも私は叶わぬまでも本来の祭器たる「ヒスイ製の勾玉」に挑み続けたい。

そんな想いで作られた勾玉もあるという事は知って欲しい。

万葉集に「沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも・・・」と謳われ、貴人であっても垂涎の的であったヒスイの祭器が、今や1時間で1個の割合で量産されて、お手頃な価格で売られ、お気軽に買われていく時代。

反対側も尻尾の所で急激に角が付いている。なんでこんな仕事してんだ、バカ野郎!と自分を罵るのはこんな時。

 

刀匠は、暗い部屋で小さな光源を刀身に当てて、日本刀の反り具合をチェックするそうだが、私も勾玉を作る時は同じ事をしている。

勾玉をゆっくり動かして、光が自然な放物線を描いていかないと駄目で、納得のいくまで何度も赤鉛筆でチェックを入れて研磨し直していく。

もちろん、そんな作り方だと1時間で1個の完成は望めず、その何倍もの時間は必要だ。

それは祭器たる勾玉を作ろうと努力をしているからで、お気軽なアクセサリーを作るつもりは毛頭ないのだ。

なぜなら、私は玉造の民であった古代奴奈川族の末裔という自負があるから。

自宅兼工房は、笛吹田遺跡という玉造遺跡の真上に建っているのだ。

お袋が敷地から千七百年前の勾玉を拾った一年後の同じ日に、私は生まれた。

 

何らかのチカラが宿っている勾玉、生物のような勾玉、そして何人たりとも犯し難さを感る神々しい勾玉を作りたい。

しかし、どれだけ手間暇惜しまず時間を掛けても、夢に描く勾玉が作れないモドカシサを感じ、自分の技の稚拙と感覚の鈍さを罵るマゾ的な仕事。

そんな想いをしてまでして作った勾玉をヒスイ関係者に見せると、「丁寧に仕事しているけど・・・ヒスイの質からいうと○×円くらいが相場だね。」と、原石の価値に見合った値段を付ける。

要するに量産勾玉と同じ価値しか認めて貰えないのが普通で、想いを共有できない事が非常に淋しい。

願わくば、想いを共有できる同志の存在・・・。

修正研磨の結果はなんとか及第点だが・・・不満だらけで、けっして満足する事はない世界。

 

ところが・・・手前味噌だけど、ぬなかわヒスイ工房の勾玉を買ってくれるお客様は違う!(笑)

数あるネットショップの中から大手運営サイトを通り越して、宣伝広告費ゼロの私のサイトに辿り着くだけでも相当な検索をしているハズ・・・。

それでも「色んなサイトを観てもどれも同じでピンときませんでしたが、ぬなかわヒスイ工房さんの勾玉は何か違うと直感しました。」という嬉しい評価!

パチパチパチ(拍手の音)

私の思い描いている理想の勾玉とは程遠いにしても、その目指している方向性や呻吟振りが伝わるらしいのだ。

お客様はカミサマです!そして数少ない同志です!

そんな評価をしてくれるお客様がいるからこそ、私は「勾玉の形をしたヒスイ」ではなく、「ヒスイ製の勾玉」に挑み続けるのであります。

明日も自分を罵る仕事が待っておる・・・私はマゾヒストだ(笑)

 


人のいい老人とガラスの浮き球

2015年11月13日 20時20分28秒 | 田舎暮らし

人のいい老人と友達になって、家に招かれた。

老人の家には漁師が使っていたガラスの浮き球が大量にあって、大きなサイズを知人の家具屋に1個千円で売って欲しいと譲ったら、15,000円で売られていてビックリしたそう。

大きなサイズ

小さなサイズ。細長いのは珍しいですな。

 

現在、市販されているガラス浮き球は、インテリア用に作られた製品が大半だけど、老人の浮き球は実際に使われていた実物で、言ってみればアンティークだ。

あんまり気の毒だから、小さいサイズのガラス玉に孔を開けて、百均のLEDライト入れてやった。

こんな風に工夫すれば、海の香りのするインテリアとして少しは高く売れるというプレゼンである。

レストランや旅館、ペンションなどなど。

ガラスに孔を開けるなんて、ヒスイ職人には朝飯前。作業時間たった5分!

 

大きなサイズだと新作でも15,000から20,000円前後というのが市況価格。

老人に幸あれ!

 

 


白いダイヤ・・・村上市の天然塩「ミネラル工房」

2015年11月09日 22時26分53秒 | ぬなかわヒスイ工房

前回アップした雲形模様の「カムイ石笛」を友人が買ってくれた。

買ってくれたのは、新潟県最北端の村上市で「ミネラル工房」という塩作り工房を営んでいる富樫さん。

http://www.shiroi-diya.com/

 目の前が日本海の国道7号線沿いに「ミネラル工房」がある。キュートなロゴや看板デザインは元設計士の富樫さんのよるモノ。

薪の燃える香りが立ち込め、セルフビルドの手作り感溢れる居心地のいいミネラル工房。

 

「海のヒスイ・ロード」検証実験航海の途中で、山形県境の国道7号線沿いで薪の燃える匂いに興味を覚え、モクモクと煙を出して塩炊きしている工房に立ち寄った事が縁で、知遇を得たのだ。

冷やかしのつもりで寄ったのだけど、オーナーの富樫さんは塩作りに並々ならぬ情熱を持っている事が解り、意気投合した。

塩を熱く語る富樫さんのモノ作りへの真摯な姿勢に感服したし、私のヒスイに対する想いと共通する似た者同志なので気が合わない訳が無い。

スーパーで売られている「天然塩」「海水塩」などが、いかにインチキなまがい物であるのか?本物の天然塩とはどんなものであるのか?

 白いダイヤと翠のヒスイ石笛を持つ富樫さん。

主力商品が「白いダイヤ」で、まろやかで美味い塩なのだけど、手間暇のかかる手作りだから大変なようだ。

 

カムイ石笛に描かれたモチーフは、ご神火(カ)と雲(水・ミ)であり、それは日本人がカミなる表れをイメージするイコン。

海水を火で煮込む富樫さんは、ヒとミズは塩炊きするに欠かせないから、ピンと来てたのだという。

同じ新潟県の北と西外れでモノ作りに取り組む者同士、宅急便で送るのはそっけない気がするし、シーカヤックなら二週間ほどの距離・・・。

高価な石笛を値段も聞かずにポンと買ってくれた富樫さんの意気に応えて、ドライブがてら車で石笛を持っていった。

片道6時間近くのドライブだが、遠くの友達を訪れる、しかも納品だから愉しいトリップ。

山形県境の白いダイヤと、富山県境の翠のヒスイ。

新潟県の両端で磨き上げられた宝石が出逢ったという事ですな。

 


縄文アミニズムの世界観・・・「カムイ紋彩色石笛」

2015年11月04日 21時52分25秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文時代の宗教は多くの狩猟採集文化と同様に、アミニズム(自然崇拝)であったろうと思う。

森羅万象を崇敬し、唯一絶対の神を持たない人々。

そんな私の縄文アミニズム観を表現したのがこれ!

カムイ紋彩色石笛である。カムイはアイヌ語で神を意味し、アイヌ語には自然という単語がない。単語が無いという事は概念が無いという事で、これは自然を対極化していないという事。アイヌ(ヒトという意味)民族にとって、自然とは人も含めた宇宙の全てなのでR。自然という概念に一番近い単語を選ぶとなると、カムイ(神)になるのだという。素晴らしい文化ですな。

中央に描かれているのは雲形紋。仏教美術と思われがちだが、既に縄文土器にその祖形が施文されております。恐らく螺旋模様から派生していったのではないか?

 

仏教絵画で雲は天上を意味する象徴だろうが、私は雲は雨の親、つまり水を表現してみた。

四方には「ご神火紋」を配したが、これも仏教美術によく使われており、中世絵画では富士山に描かれていたりする。

火と水、即ちカ・ミであるから神を表現してみた。

 

勾玉五個分くらいの労力がかかって、完成したらカグッと疲れが出てきた。

表現したい世界の何割も表現しきれてはいないが、今の時点では渾身の作品。

それでも評価して買ってくれる人がいないと、次がないからヨロシク!(笑)

追記

フェイスブックにアップした途端に、村上市で塩作りをしている友人の富樫さんが買ってくれた~!

薪で塩炊きしているので、火と水はキーワードでピンときたそうだ・・・持つべきものは友ですねえ。

直接手渡ししたいから、日曜日に村上市に行くべし!


我らが五千年前の親戚・・・朝日町の不動堂遺跡

2015年11月03日 23時30分24秒 | 縄文

このブログで何度も紹介している、糸魚川市の長者ケ原遺跡とそっくりな性格を持つ縄文遺跡が、お隣の富山県朝日町にある事を知っている糸魚川市民がどれだけいるだろうか?

長者ケ原遺跡と同時代の国指定「不動堂遺跡」がそれで、どれだけそっくりかは以下の通り。

①ヒスイ加工拠点遺跡である事。

富山県といっても新潟県境から車で20分前後の距離であって、付近の海岸からは糸魚川と同じくヒスイや磨製石器素材の蛇紋岩類が採取できて、原石や未成品が多く出土しているのだ。

またヒスイ加工が盛行する以前の前期(六千~五千年前)から、自家消費を上回ると推測される量の蛇紋岩類(透閃石など)の磨製石器が出土しているのも、長者ケ原遺跡と同様。

遺跡近くの売店にはヒスイに似せたチョコが売られていた。6キロ少し離れた越中宮崎海岸の国道8号線には、「ヒスイ海岸」の大きな看板もある。富山に比べたら、新潟は常に後手に回っている。富山人は逞しい。

 

②火焔型土器が出土している事。

越中にありながら、越後形の火焔型土器が出土している。遺跡から最も多く出土するのが北陸系土器である事も長者ケ原遺跡と同様。

 

③ロングハウスの存在。

ロングハウスとは、通常の竪穴住居より大き目な細長い建物で、民俗例では集会所や共同作業場、祭祀場、貯蔵所などで、日本の縄文時代では雪国に特徴的な遺構である。

国内で最初に発掘された縄文時代のロングハウスは長者ケ原遺跡だが、不動堂遺跡のロングハウスはその倍以上もあるような、長径約17m×短径約8mもある大きなもの。

ロングハウスだけみると、長者ケ原遺跡より大きな勢力を持った遺跡だったのか?三内丸山遺跡からもっと巨大なロングハウスが発見されるまでは、国内最大級とされてきたのである。

 

ざっと観た両者の違いと言えば、長者ケ原遺跡が標高90m前後の高台にある事に対し、不動堂遺跡は標高50mほどのほとんど平地にみえる扇状地に位置すること。

この立地条件が人口の差となって、ロングハウスの大きさに現れているのかも・・・。

ちょっと乱暴な推測だが、能登の真脇遺跡を始めとした富山以西の出土ヒスイは、長者ケ原遺跡より不動堂遺跡から運ばれていたと考えるほうが自然ではないだろうか?

とにもかくにも、恐らくは長者ケ原遺跡と不動堂遺跡は親戚関係のようなもの。

糸魚川市の人には知っておいて欲しい遺跡ではある。

 

 

 


うま~くいく!・・・インド映画「3Idiots」

2015年11月02日 21時40分40秒 | ぬなかわヒスイ工房

6年前のUターン帰郷寸前に、三ケ月の海外旅行をした。

東南アジアを中心に、大好きなインドも五回目だった。

当時のインドで、どこに行っても流れていたのが、学園コメディ映画「3Idiots」のテーマソング。

私は筋金入りの映画好きだから、海外旅行に出ると現地の映画館には必ず行くし、ヒット映画は見逃さないのだ。

映画館で「3Idiots」って、どんな意味だ?と聞くと、インド人が「3人のバカという意味の英語だぜい!」と教えてくれた。

つまり「そこぬけ三人組」のインドの大学生版ですな。

主役は当時44歳のインドの大スター、アミール・カーン。

18歳の大学生から、32歳まで見事に演じきっていたのは流石だし、脇役陣の人間的リアリティが凄い。

昨今の日本映画の若い俳優の存在感の薄っぺらな事といったら・・・今や映画は日本よりインドが上だと実感。

 

エリートだけが進学を許される工科大学での出来事・・・格差社会や貧困問題、学歴偏重問題が重層的に描かれて見事。

それでも若者は青春を謳歌し、理想を求める。

インドで観た時は、英語字幕のヒンドウ語バージョンだったにも関わらず、テーマが普遍的であるので大まかには理解できて面白かったが、なんと近所のBooks Sakaiさんという本屋さんのレンタルコーナーに並んでいたので、6年ぶりにアミールさんに再会!

6年前のインドの空気感が蘇った。

邦題「きっと、うまーくいく」は、主人公が劇中で困った時に唱える「Aal Izz Well」という言葉の「うまーくいく!」に由来しているが、日本語字幕があったお蔭で最後のオチの意味がやっと解った。

改めて名画!

スティーブン・スピルバーグは3回も観たと賞賛したそうで、各国でリメイク版が作られたようだ。

Books Sakaiさんには、「大地の歌」という白黒時代の渋いインド映画もあり、規模は小さいなりに名画が揃っている。

地域の文化に貢献しておられます!

歌って踊るだけがインド映画じゃないぜ!