縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

迷い悩み抜くことが職人の誠意だと思う・・・大首飾りプロジェクト

2018年09月26日 08時03分41秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾り完成直前で予想外に難航しているのが飾り紐。

大きな勾玉7点と赤瑪瑙の八角玉に、直径1・5㎜の絹製三つ打ち紐が複数本づつ結ばれているのだけど、散々探しても絹製は8本組打の堅い紐しか入手できず、実物より結び目が大きくなってしまう。

生成り木綿の三つ打ち紐ならあるので、塩素脱色・酢で中和させて試すが、結び目がバッチリでも質感に満足できない。

何種類か取り寄せては試行錯誤したが、伊賀産の1㎜絹紐が本命・・・どうせなら伊勢松阪生まれの武四郎に因んだ伊勢の組紐を使いたいのだ

 

絹紐を蒸気に当てて温風乾燥することで少しは柔らかくすることに成功したが、結び目がでかすぎる。

納品までギリギリ一杯に悩む抜く覚悟を決めた。

同じ素材がなく代替品を使うのだから、悩み悩み抜くことが職人の誠意。

勾玉をバイス固定して口で紐の端を引っ張っても、キッチリ縛るには手が1本足りない。


武四郎さん、この仕事は二人以上でやったに違いない。




巫女集団ツアーin糸魚川・・・ヒスイとヒトのモノガタリ

2018年09月24日 07時58分47秒 | ぬなかわ姫

降水確率80%予報に関わらず、首都圏からの巫女修行グループの糸魚川ツアーは快晴に恵まれた。

晴天は、参加者17名の善男善女たちの功徳の由縁か。

 奴奈川姫、縄文をキーワードにしたヒスイとヒトのモノガタリがテーマのツアー。

 

モノとして「在る自然のヒスイ」から、ヒトを介して「産み出されたヒスイのモノガタリ」の探求が私自身のテーマでもあるのだけど、松尾芭蕉がいう処の造化(ゾウカ)に、その理解の糸口を見出している。

奴奈川姫ご自害の地と伝説のある稚児ケ池

糸魚川市街地の中央に鎮座する通称、一の宮は、天津神社として奴奈川神社を併祭する形態になっているが、本来は奴奈川姫を祀る奴奈川神社で、延喜式に記載のある由緒ある式内社。写真に写っている拝殿奥に向かって右が天津神社、左が奴奈川神社が祀られている。

ぬなかわヒスイ工房は千七百年前の奴奈川族の玉造遺跡「笛吹田遺跡」の真上にあり、勾玉や筋砥石、高坏、須恵器の破片など出土している。左手をあげて工房を案内している女性が、この旅のコーディネーターで私にガイドを依頼してくれた高島さんで、元モデルの別嬪さん。

 

枯山水は深山幽谷のコピーした自然のイミテーション?

活花は単に室内装飾なの?

否、ヒトは無自覚に造化の欲求を持っており、在るモノから新たに産み出すモノを創り出す。その欲求こそがヒトたる由縁・・・3日間に渡り、そんな私の想いを話したが、概ねは好評だったようだ。

移動には頚城運輸の貸し切りバスを利用したのだが、運転手のKさんがユーモアのある愛すべき人で、別れ際の挨拶ではやんやの喝采を受けていた。

風景や産物だけでなく、旅の印象はヒトの思い出が大事で、リピーターに繋がるので有難い。

親不知で日本海に沈む夕陽に間に合った。都会の人には感激の瞬間。


参加者各自の中に、ヒスイとヒトのモノガタリが始まるお手伝いができたのなら幸い。




243点、全部が繋がった・・・大首飾りプロジェクト

2018年09月18日 18時58分39秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾り243点が全て繋がった。

後は飾り紐を付けて写真撮影、レポート作りが残っているが、9月28日の納期まで余裕があるので、責任は果たせるだろう。

 

3割まで繋いだところで、繋いでいた紐が実物よりほんの少し細いのが気になりだし、新たに倍の太さの紐を取り寄せて繋ぎ直したら、実物の写真にかなり近くなった。

些細なことで誰も気付かないかも知れないが、納品後に後悔したくないのだ。

今後は出来不出来を評価されることもあるだろうが、ウソ偽りなく持てる技量を越えたレベルで全力投球はしたし、安易な妥協は一切しなかったので、批判されても「下手糞で申し訳ないです。」と堂々としていられる。

下手は下手なりに頑張ったという自負はあるし、「あなたならもっと上手に作れるでしょうねえ・・・作ってみて」と言い返してみたい(笑)

願わくば、納期に余裕を持ってもう1回作らせて欲しい。

行政から依頼された仕事だから仕方ないが、予算確定後の4月スタートで10月納品という実質納期6カ月は短すぎる。

今夜からグッスリと眠られそうだ。




日本列島に住む人の多様性・・・稚児ケ池でカムイノミ

2018年09月18日 07時36分36秒 | ぬなかわ姫

ヒスイが好きという人には、希少鉱物として好きな人もいれば、神話世界や歴史的存在物として好きな人など様々。

私の所に訪ねてくるお客様は、ほとんどが縄文や神話からヒスイに興味を持ったという方ばかり。


古事記などに記述された正史とは真逆な、奴奈川姫の悲劇的な伝説もあり、姫が「自ら火をはなち、お隠れになった」伝説のある稚児ケ池を案内して欲しいという人も訪ねてくる。

先日、稚児ケ池にご案内した方は、アイヌ式にイナウ(御幣に似た削りかけの依り代・供物でもある)まで作ってカムイノミ(ご神事)をされた。

イナウを火に投じて神の国に送る神事。手前の白いものは鹿角製のイクパスイ(奉酒箸)で、お神酒を神様に捧げるための祭器で、本来は木でできている。

 頂きものの小型イナウ。素材はミズキで、ここまで小さいイナウを作れる人はいないのだとか。

ぬなかわヒスイ工房の神棚にイナウを飾った。

普通サイズのイナウはこれくらいの大きさ

 

北海道旅行の時に知遇を得たアイヌ民族の方には、糸魚川のご先祖であるヌナカワ族は、イズモやヤマトに征服された縄文系の先住民と認識しておられる方もいて驚いたが、その点は私も同感。

アイヌの小刀(マキリ)

 

ハヤト、クマソ、ツチクモ、エミシ、そしてオキナワ、アイヌ、朝鮮半島からやってきた人々。

旧石器時代以来、日本列島は各地からやってきた多様な人々が住み着き、混血しながら今日に至っている。

けっして単一民族などではない。

「アイヌ民族は存在しない」と公言した政治家がいるそうだが、人類学的な分類や血の濃さを問題にするなら、「正統な大和民族・純粋な日本人」という定義も成り立たず、各自の文化的背景やアイデンティティこそを問題にして頂きたい。

最近の縄文ブームにしても、あたかも縄文が世界最初の文化であり、各地に広がったというような「縄文中華思想」のような発言をする人がいて、民族主義や皇国史観の代替概念のように感じる。

私は、縄文人を民族として捉えるのではなく、文化として捉えるべきと考えている。

戦後に作家の島尾敏雄が提唱した、「日本列島に住む人々」という意味のヤポネシアンという概念があり、偏狭な民族主義など吹き飛ぶ大きな視点に敬意を表したい。




大首飾り組立て作業・・・大首飾りプロジェクト

2018年09月16日 08時33分00秒 | ぬなかわヒスイ工房

11のグループ毎に分けて保管してあった大首飾り243点を繋ぐ作業に入った。

玉類243点はA~Kまでのグループ毎にジップロックに入れて保管してあった。

玉類を作って最初にすることは、実測表を紫のマーカーで塗りつぶしていく作業。4枚ある実測表が紫一色に塗りつぶされた時が完成。

大首飾りの配置図

配置図を頼りにGグループの並び順に玉類を並べる・・・行方不明2点あり、作り直す作業が発生(笑)

実物は絹糸を4本束ねて繋げてあるが、経年劣化やイベントで使用することもあるので、見た目が絹糸とそれほど変わらず、引っ張り強度と耐久性がバツグンだという釣り用のPEラインで繋ぐことにした・・・1本で15キロの強度があるということは4本で60キロもあるということか?

最初はどうやって繋いであるのか見当も付かなかったが、図面と写真を観察した結果、結束方法や使用道具など、いまや武四郎さんの作業痕跡がスラスラと読み解ける。武四郎さん、器用で根気のある人だったようだ。

初日は3割ほど組立てて中断・・・先週に続き、本日も北海道関連の来客予定で、縄文と奴奈川姫の他に、アイヌの神様とのチャンネルが開けたようだが、来週末は首都圏から奴奈川姫探訪のツアーのガイドも予定されている。

 

「毒ヘビは急ぎまへんで!」と、明日からの作業再開が待ち遠しい。

順調なら火曜日には完成予定!

 

 


大首飾り243点完成、ちょっと大人になったワタシ・・・大首飾りプロジェクト

2018年09月12日 17時48分35秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾り243点すべて製作完了。

特別な感情の昂りや揺れなどはなく、淡々と仕事して、当たり前に終わった。

思えば去年の今頃から資料を集め始め、製作にほぼ6カ月を要したが、その間は安眠したことは無かったように思う。

今日の昼寝は久しぶりに夢も見ずに2時間も熟睡できた。

とにかく眠い。

今の心境は、歓喜や達成感などではなく、感情の起伏のない静寂、そして虚ろな感じ。

ベトナム戦争の取材で、ベトコンに完全包囲されて200名の部隊中、17名生き残った直後の憔悴した開口健の有名な写真、あんな感じに近い。(グーグル画像より)


これから243点を繋げる作業になるが、これまた要研究。

見ず知らずの方からお見舞いにと贈り物があったり、熱烈に応援してくれる人がいたり、多くの人と出会った1年。

 

大首飾りを作る以前は、人並みの技術は持っているという自負があったが、切子玉作りで基本が出来てない事を完膚なきまでに思い知らされたのだ。

そのお陰で技術の発見や習得がいくつもあったし、出土品を作った古の職人の意図を探る観察眼も多少なりとも鍛えられた。

だから大首飾り以前と以後では作風に変化が生まれた。

一喜一憂の1年間。

ちょっと大人になった気がする。




嵐の前のつかの間の静寂・・・大首飾りプロジェクト

2018年09月10日 16時33分42秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾りに含まれる赤瑪瑙の勾玉は、大正時代の技術を自分で調べて染めたが、発色が気に入らなかった勾玉と焼成に失敗して欠けてしまった八角玉のみ、北海道旅で仕入れた今金産の天然物を使用して作り直した。

焼成して赤色させる時に欠けてしまった八角玉。

 

武四郎が明治期に大首飾りを作ったのは、圧政を受け続けていたアイヌへの鎮魂のタマサイ(アイヌ語の首飾り)ではなかろうか?という説を建てている私としては、北海道産の石材を使う意義は大きい。

二風谷で仕入れた情報を頼りに今金(イマガネ)を訪れて出会った元瑪瑙加工職人さんから、原石を分けて頂いたのである。

今金産の天然物の赤瑪瑙で作った勾玉。

尻尾の所にも孔が開いているのは、武四郎が大首飾りを繋げる際に開けさせたものらしい。

地震で被災した人々へのささやかな応援の意味もある。

赤瑪瑙勾玉の実物は、頭部と尾部が直角に近い角度のカスガイ状の形状をしており、形状と赤瑪瑙の産地もある事から、恐らく古墳時代の出雲で作られたものであるらしい。

 

そして大首飾りはヒスイ製勾玉1点を残すのみとなった。

糸魚川の春の風物詩、「けんか祭り」でいえば、クライマックスの神輿の競争「お走り」の場面。

躍動的なお走りの写真は、大和川区のペンション・クルーの若旦那の撮影で、写っているのは押上区の若い衆(ショウ)


祭りの間中、境内で演奏されている雅な「三つ拍子」が、一瞬の間を置いてドンッ・デンッ・ドンッ!という勇壮な「お走り」の調子に変わり、男たちは雄たけびをあげて神輿を走らせる。

けんか祭りは、私の住む寺町区と隣の押上区の男たちが二基の神輿を激しくぶつけ合う勇壮な男祭り。同じくペンションクルーの若旦那撮影


疲れていようが、怪我をしていようが問答無用。

もし途中でコケたり、辛さに肩を抜いたりしたら「一生、男として認められん」と陰口をたたかれるから、覚悟を決めて死に物狂いで走る、奔る。

今の私は、お走り直前で乱れた装束を改め、帯を締めなおす、嵐の前のつかの間の静寂にいる。

明後日、完成予定。




神様が降りてきた・・・大首飾りプロジェクト

2018年09月08日 06時12分41秒 | ぬなかわヒスイ工房

ぬなかわヒスイ工房のホームページを一時閉鎖して外部と連絡を絶ち、日に12時間も工房に籠り「大首飾り」製作に専念してから幾日経ったのだろうか?

曜日も定かでなくなってしまった。

切子玉の難しさは、水晶が欠けやすいので慎重さが必要ということもあるが、シンメトリックな十四面体の接線と接点をピッタリ合わせ、なおかつ寸法表通りの縦・幅になっていなくてはならない事。

 

気が昂っているのか、夜は眠れず、眩暈と疲労感が常態化しているが、仕事を始めると疲れも忘れて没入する。

4日目くらいから神様が降りてきた。

寸法合わせにさんざん苦労してきた水晶の切子玉が、突然と簡単に作れるようになったのだ。

63点もある面倒な切子玉がスイスイと作れて完了。実物通りの氷砂糖のような質感を目指した。

 

神様の正体は、古代の名もなき職人たちの記憶か。

単に仕事に慣れてきたから早く作れるようになったんだろ?と感じる人とは友達になれない(笑)

我ならざるナニモノカと共鳴して手が動いたという感覚こそ、縄文クラフトマンの料簡というものだろう。

してみると我は依り代、人社(ヒトヤシロ)。

 

243点ある大首飾りも、残すは勾玉10点あまり。

「悠々と急げ」・・・20代の頃に耽読した作家、開口健の座右で、「毒ヘビは急ぎまへんで」が口癖の一つであったらしいが、最近はこの二つの言葉をよく呟いている。

完成したら、久しぶりに開口健の文章をじっくり味わいたい。

焦らず、慌てず、悠々と急げ!