縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ヒスイ・ネットワーク

2015年08月31日 07時16分28秒 | ぬなかわヒスイ工房

小雨けぶる夏の終わりの日、最近フェイスブックで繋がった、長野県白馬村の大塚浩司さんの工房兼販売「森の生活」にお邪魔した。

大塚さんは、シルバーアクセサリーと糸魚川ヒスイを組み合わせた作品を作っているのだ。

「森の生活」にお邪魔して解ったのだけど、大塚さんは若い頃からネイティブアメリカンに興味を持って、ナバホやホピの居留地に通い続けて、西部開拓時代の動脈的な役割を果たした「ルート66」の研究家として有名な方であるようだ。

 

現在の糸魚川ヒスイを取巻く環境は、よりよい原石を使った作品を、より安く売るという方向で扱われており、以前より「誰でも気軽に入手できる存在」になってきている。

20年前は10万円もしたような勾玉が、今では半額前後で売られていたり、ネットショップの在庫処分品や宣伝目的でオークションに出回っていたりするので、枯渇寸前なのに逆に価値が下がっていく傾向がある、と思う。

縄文から奈良時代のヒスイと言えば、売買の対象ではなく、祭器や威信財であった事と比べると、その価値の凋落ぶりは悲惨というもの。

大塚さんに近著の「糸魚川翡翠 シルバージュエリーを作る」にサインして貰った。店舗にはシルバージュエリーは無論の事、ライフルのモデルガンや西部開拓時代のグッズ、ナバホ関連グッズが所狭しと飾られている・・・気が合わないハズがない(笑)

 

ヒスイは気軽に買える存在でいいのか?

一時間で一個の割合で作られた勾玉に、祭器としての価値があるのか?

私も「ぬなかわヒスイ工房」というネットショップでヒスイ作品を売ってはいるが、市場経済の真っただ中に身を置きつつも、何時もその事を逡巡している。

だから、せめてヒスイや仕事に誠実でありたいと思う。

「森の生活」の前で。ネイティブアメリカンの文化に詳しいので、その視点から縄文やヒスイを語る大塚さんの話しは興味深く尽きる事はない。よい友ができた。カラー写真よりセピアカラーの写真が似合う雰囲気(笑)

 

大塚さんは、インディアン・ジュエリーのアイデアをヒスイに組み合わせる事で、ヒスイ本来の祭器としての精神性を復活させようとしている。

私も縄文文化に焦点を当て直す事で、ヒスイの魅力を広く再認識させようと努めている。

表現方法は違っても、友達にならないハズがないではないか。

最近、こんな想いを同じにする仲間同士が同調・共鳴して、繋がっていく動きが顕著になってきた・・・即ち、ヒスイの魅力復興委員会ネットワーク!

興味のある方はお気軽にご連絡のほどを。

 

 


アメ横グラフティ・・・江戸っ子体験ならここ!

2015年08月27日 19時24分41秒 | 民俗学ごっこ

学生時代、色んなアルバイトを経験して社会勉強しようと思ったが、最初のバイト先のアメ横に嵌ってしまって、卒業まで同じ店で働いていた。

子供の頃から落語好きなので、江戸っ子らしくっていいや、てなもんだ。

JR御徒町駅からアメ横に入った最初の魚屋「浜屋食料品店」がそれで、角地という立地条件と、魚の鮮度が保ちにくい夏は野菜や果物を主体、冬は魚を主体に売るという経営方針が当たって、当時はアメ横一の売り上げを誇っていた。

現在の浜屋。当時より社員は半分だし、撮影時の夕方なら人混みで写真を撮る事が出来なかったくらい。あの威勢が良くて、「飲む打つ買う」が大好きな人間臭い男達は何所に行ったのだろう???三十代までなら照れ臭くて近寄る事もできなかったが、もう私の事を知っている社員もいない。

 

浜屋は、生鮮食品の単位売場面積売上が世界一として、ギネスブックにも載った事もあるらしい。

アメ横で働いている人は下町出身者が多く、気が荒くて喧嘩っ早いのだけど、威勢と気風が良い人が多くて、毎日が祭りみたいで楽しかった。

暮れの繁忙期になるとケンカ沙汰も多く、詳細は内緒だけど警察騒ぎもあった。

私も若い頃は喧嘩っ早くて、バイト連中に横柄な態度を取る社員と殴り合いの喧嘩をして、バイト仲間には喝采を浴びた。

そして、他の店の人からも「あの野郎と喧嘩したんだってえ?嫌な野郎なんだよう。殺しちゃえば良かったのに!」と褒められた(笑)

 

買い物客の数は往時に及ぶべくもないが、外国人観光客が増えたので、スタバのトイレにはこんな表示(笑)

下町の住宅街には連れ込み宿が多いのだけど、最近は外国人専門の旅館に商売替えする所が多いのだそう。因みにKOASANとは、バンコクの有名な安宿街の事。

 

浜屋には、一部上場の有名企業を辞めて社員になった人が多かった。

学生時代にアメ横でバイトした人が大企業に就職すると、年功序列の組織に息苦しさを感じて、アメ横に戻ってくるのだという。

バイトと言えども、仕事を覚えると即戦力として仕事を任されるのがアメ横流で、私も仕入値が幾らだから、幾ら利益がでればいいので、売値はお前が決めろ、と言われたので意気に応えた。

暮れは近所のビジネスホテルに泊まり込んで、早朝の仕入れと開店準備をする選抜メンバーにもなった。

だから就職が決まった時には、店長から飲み屋に連れていかれて社員になれと口説かれたもんだ。

誘いを断ると、就職しても他の連中みたいに何年かしたら、アメ横に戻ってくるぜ、と言われた。

あれから三十年・・・未だアメ横には戻っていない。

 


吉井本家の火打ち金は、こんな所で作っている

2015年08月25日 19時47分47秒 | 民俗学ごっこ

整体協会本部での夏季特別稽古会で上京がてら、火打ち金を作る「吉井本家」にお邪魔した。

浅草の観音さまの東に掛かる「吾妻橋」を渡ると墨田区だ。江戸の昔なら、この橋から下流の隅田川を「大川」と呼ぶ。江戸時代は身投げの名所だったそうで、落語に出てくる身投げは大抵は吾妻橋。「文七元結」の文七が死に損ねたのもこの橋ですな。

 

火打ち金とは火打石に打ち付けて火花を出す発火具で、本来は東日本では火打ち鎌、西日本では火打ち金と呼ばれていたそうだ。

吉井本家は江戸時代から続く火打ち金の老舗ブランドで、当初は上州吉井宿の名産品であったものの、明治以降は墨田区向島の「伊勢公一商店」にその技術とブランドが継承されて現在に至っている。

当代は四代目である牧内社長で、後継者はいないそう。

素晴らしく発火性能の良い火打ち金はどうなってしまうのだろう?・・・ちょっと心配。

これまで様々な火打ち金を試したなかで、最も発火性能が良かったのが、「吉井本家」の火打ち金なのだ。

 スカイツリーからほんの2キロ位しか離れていない住宅街に「吉井本家」の工場(コウジョウではなくコウバね)がある。左が焼き入れをする焼成炉。作っているのが火打ち金限定なので、鍛冶屋の火床(ほど)とは趣が大分違う。

かっては観音様の縁日などでも火打ち金を売っていた時代があるとかで、その時の看板。下町には銭形平次のお上さんのように、仕事に出かける亭主に切り火をして送り出したり、祭礼で使ったりする人もいるので、昭和になってからも縁日で売れていたらしい。「おまいさん、気を付けていっといで!カチカチ」という風景は時代劇でも見なくなりましたなあ。

 

 墨田区は小さな町工場が軒を並べる「モノ作り」の街・・・近年はスカイツリーで名を馳せてはいるが、スカイツリーから1キロも離れれば昔ながらの下町の風景が広がり、そして町工場が今でも健在だ。

特に吉井本家の工場のある東向島は、明治の頃は文人墨客が多く住んでいたエリアであり、永井荷風の「墨東奇譚」の舞台でもあるので、何時かは訪れてみたかった街。

戦災で焼け野原となり区画整理がされたはずの現在も、迷宮のように細い路地が入り組んでいる。

遊興の街であった往時を偲ばる「しもた屋」風の小粋な家が残っていたり、路地を曲がれば「カタカタカタ」「トントントン」という家内制手工業のモノ作りの音が聞こえてくる。

手作業の音は心地よいが、かっては路地を歩けば三味線の音(ね)や長唄なんかも聴こえたんですよ、と牧内社長。

粋な街なのだ。

「火打ち石の使い方はね、こう!」牧内社長の滑舌は軽妙で歯切れが良くって、いかにも下町の町工場の親方という感じ。ザックバランと人情味が下町らしさで、貴重な話を沢山聞けた上にお土産まで頂いた。

 

南に下がって吾妻橋の方に戻れば、落語や時代劇に良く出てくる本所だ。

本所は鬼平犯科帳でお馴染みですな・・・「本所のテツ」というのが、鬼平こと長谷川平蔵の若い頃の綽名だった。

ブラブラ歩くだけで愉しい街が墨田区。

スカイツリーばかりが墨田区の魅力じゃないぜ!

 

 


世界初!?「3ウエイ・ポパイパイプ」誕生

2015年08月20日 13時29分01秒 | ぬなかわヒスイ工房

ヘビースモーカーの友人が、小さなパイプに半分に切った缶ピースを差込んで喫煙していた。

美味いから吸ってみろと渡された、確かにマイルドな味わいで美味い。

缶ピースが美味いと感じたら、立派なヘビースモーカーだが、普通に吸うよりパイプで吸ったほうがマイルドになるのですな。

これはパイプ部分と煙草が燃えるボウル部分で紫煙が冷やされるからで、以前は私もパイプや煙管で煙草を吸っていた事もあるからうよく解る。

これが世界初の薬石製3ウエイパイプ!形状はポパイのトレードマークの「コーンパイプ」に似ているが、コーンパイプはトウモロコシの軸を刳り抜いた使い捨て用で、船員や軍人が愛用する。進駐軍のマッカーサー元帥が厚木基地に降り立った時に、レイバンのサングラスにコーンパイプを咥えた有名な写真が残っているが、彼はプライベートでは高級品のブライヤー(バラ科の硬木)製のパイプを愛用していたとか。

 

セコイようだが、友人の吸い方は一本のタバコが二度に分けて吸えるので、こりゃ経済的だし、根元ギリギリまで吸える(笑)

そこで開発したのが、姫川薬石製のパイプ。

奈良時代から薬効ある石とされて「薬石」と記述した文献があるらしいが、鉱物的には石英斑岩である。

パイプのボウル部分を石材にしたものは、「ストーンパイプ」と呼ばれ、木製よりチャンバー(燃焼部分)からパイプにかけて紫煙が冷やされ割合が高いので、よりマイルドな味わいになる特長がある。

肝心の3ウエイたる由縁のチャンバー部分は苦労したので見せない!(笑)プライドの無い同業者がすぐに真似するのだ。

 

開発コンセプトは、普通の紙巻タバコ・パイプ煙草・煙管煙草の三種類が吸える事。

それにヤニ掃除が楽になるように、パイプ部分が差し込み式で簡単に掃除できる事。

ケヤキで試作品を幾つか作って完成した。

薬石のパイプは世界初?

3ウエイのパイプも世界初??

勾玉カンザシもそうだったけど、誰も作った事の無いモノを形にするのは愉しい。

苦心して作ったオリジナル石笛もパクられまくっているが、勾玉カンザシや薬石パイプもその内に真似されるだろうねえ。

でもホンモノと形だけ真似したニセモノは別次元なのだぞ。

そして真似したヤツにはバチが当たる(笑)


「ビッグイシュー日本版」に載ります

2015年08月18日 21時39分22秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

Uターン帰郷してから個人的に糸魚川の魅力を発信している。

日本海縄文カヌープロジェクトという、縄文時代に糸魚川ヒスイが青森まで運ばれた海上ルート検証の活動を主体にして

①「縄文時間 http://nunakawa.jp/」という私設ホームページ

②このブログ「縄文人(見習い)の糸魚川発!」

③そして「ぬなかわヒスイ工房 http://nunakawa.ocnk.net/」

④フェイスブック

以上四つを使っての情報発信である。

たまにテレビや雑誌、新聞に取り上げて貰う事があり、今回は「ビッグイシュー日本版」の取材があった。

事前にバックバンバーが二十冊ほども届いた・・・「ナショナル・ジオグラフィック」を産んだイギリス発の雑誌らしく、実に丁寧な仕事なのだ。

 

この雑誌は、都会の繁華街でホームレスが街頭販売しているので、読んだ事はなくても売っているのを見た事のある人は多いと思う。

イギリスで始まったホームレス自立支援の雑誌で、ホームレスが仕入れ値140円で購入して定価300円で街頭販売するシステムになっている。

一冊売れば160円の収入になるのだ。

私も首都圏にいた頃、たまに買っていたが、エンターテーメンから時事ネタ、社会問題などを取り上げた硬派で読み応えのある雑誌。

イメージ的には、広告のない「アエラ」のような総合雑誌というべきか。

9月1日号に私の記事が載るらしいのだけど、信じられない事に私ごときの取材で編集長も入れて三人も来てくれた。

紙媒体マスメディアの取材は、通常は記者兼カメラマンが一人というのが一般的だろうに畏れ多い事。

ビッグイシュー編集部の面々を長者ケ原遺跡に案内した。しぜ~んに笑ってえ、と注文したらこのポーズを取ってくれたのは流石に大阪人・・・取材を受けて初めて知ったのだけど、「ビッグイシュー日本版」は大阪で作られているのだ。

 

さて、この9月に糸魚川市で「縄文シティサミットinいといがわ」というのが開催される。

糸魚川市には国指定の縄文遺跡が二つもあるのだ。

しかし大方の予想通り、サミットという大仰な看板の割りには、有識者による講演とパネルディスカッションをして終わるらしい・・・毎度の事とは言え、ほとんどの市民は無関心でその開催を知ることもない・・・勿体なくないのかな?

行政は税金を使って仕事で情報発信しているのに、地元新聞がお付き合い程度に記事にしてくれてだけではないだろうか。

打上げ花火を上げなくても、地道な広報活動を続けていればマスコミだって放っておかないだろうに、と思う。

糸魚川市にはそれだけ魅力的な文化財があるのだ。

徒手空拳にして自腹で動いている私でさえ、大手雑誌に取り上げて貰えるのだ。

行政の動きが歯がゆい・・・。


勾玉かんざし

2015年08月15日 12時53分08秒 | ぬなかわヒスイ工房

以前、勾玉ピアスを買って頂いたお客様から勾玉の付いたカンザシのご注文。

職場でもカンザシを愛用しており、何本も持ってあられるそうで、今回は木製の一本カンザシがご要望との事。

キャンディーのようなとろけそうなヒスイで勾玉を作った。本体はチーク材の削り出しだ。木製部分も外注に出さないのが「ぬなかわヒスイ工房」流でR!

 

私は昔から木工が趣味で、これまで友人達からカンザシの注文を何回も受けているので、こういう仕事は燃えるのでR!

何度かメールのやり取りをして完成し、友人の奥様にモデルになって貰うためと、評価を聞きに行った(本音は自慢だ)。

完成品を付けた友人の奥様。髪の長い女性は、カンザシできるから人生がその分豊かになりますねえ。

二歳のお嬢ちゃん・・・七五三の初着物の時に如何?

 

カンザシの出来については可愛いと言われたが、高級品らしくするにはケースが必要であり、得意の木工で作りなさいよと言われた・・・他人事だと思って好きな事を言いますな。

そこで茶杓の共筒を簡易にしたデザインのケースも付けた。

採算度外視もいいとこだが、面白いから止められない。


夏休み自由研究の課題のご提案!・・・海の漂流物

2015年08月12日 07時38分37秒 | 民俗学ごっこ

石器作りや火打石作りなど、今年の夏は知人の子供達の自由研究課題の相談に乗っている。

糸魚川市は石材が豊富なので、石にスポットを当てると色んな遊びや研究課題ができるのだが、忘れて貰っちゃ困るのが海の存在!

海は泳いだり魚を釣ったりするだけが遊びじゃないぜ。

そこで海岸の漂着物の研究は如何?

「海のヒスイ・ロード」検証実験航海で訪れた男鹿半島には、ウクライナ、韓国、ベトナム、天津、台湾、福建省と、産地がバラバラなペットボトルが散乱!もちろん日本製が一番多かった。

 

去年の夏は「海のヒスイ・ロード」検証実験航海で、新潟から青森までのシーカヤック航海をしたが、休憩やテント泊などで上陸した際に、漂着物を観て歩くのも愉しみの一つだった。

今回の写真は、全てその時のもの。

新潟県寺泊で見つけた椰子の実。なんと新潟でも椰子の実が漂着する事があるのだ。何処からやって来たのだろう?何海里を旅してきたのだろう?貝殻や海藻が付着していないので比較的新しい??漂着物との対話が面白い。以下の写真は全て寺泊漁港のもの。

 

子供の頃から、そして今でも海岸に漂着した漂流物は私にとってお宝で、保育園の頃はオモチャ箱が拾ってきた戦利品で一杯になっていた事があった。

ピストルの形の流木、プラスチックのオモチャ、鳥や魚の骨、漁網の切れ端、浮き・・・大人にとってゴミでも、好奇心旺盛な子供にはお宝になる。

ある時、母から「茶の間に磯の匂いが漂ってきたので捨ててきなさいね。」と諭されて捨てることになるのだが・・・(笑)

新潟から青森の海岸まで分布していた「ダケカンバ」の樹皮。油を含んでおり、濡れていてもジュクジュクと黒い煙を出しながらよく燃えるので、山間地では樹皮を四角く切り採って筒状に巻いた物を「ガンビ」と呼び、、必要な分だけ切って薪ストーブ等の焚付けに使用する。山奥で作られて天日干ししてあったガンビが、大雨で海まで流されてきたものか、富山湾から東の日本海の海岸ではよく目にする。海に漂着したガンビでも油が抜けていないものもあり、海旅の焚火で活躍した。信州ではお盆の迎え火に使用されるので、8月になるとコンビニでも売っている。因みに結婚式の事を「華燭の典」と表現するが、華とは樺の事であり、樺の火は途中で消えず景気よく燃えるので縁起が良いという中国の故事に由来するという説もある。

コカコーラの1リットルガラス瓶。年代不詳ながら、ネットオークションで取引される昭和レトロ商品。幼馴染のKは、中学生の頃、毎日こいつを1リットル飲み干す事を日課にしていたっけ。

 

漂着物は無言のうちに物語りする。

何処から?何時の頃から?どんなモノ?・・・耳を澄ませば漂着物は実に多弁。

高校生の時には、糸魚川の海岸で17世紀頃の清朝の古銭「康熙通宝」を拾った事もある。

想像力と好奇心がなければただのゴミだが、私にとっては宝の山だ。


縄文少年弟子入り!

2015年08月10日 19時42分38秒 | 縄文

近所に住むけんか祭り仲間が、子供を連れて「ぬなかわヒスイ工房」に遊びに来た。

夏休みの自由研究に石器を作りたいので、石器作りのイロハを教えて欲しいとの事・・・あまり知られてないが、私は「ナイフマガジン」に石器作家として紹介された事があるし、ぬなかわヒスイ工房でも売っているのだ。

私のコレクションの出土品の実物や、私の作った石器を見せて説明。

知的好奇心の強い兄弟で、観るモノ全てに興味津々・・・いいなあ。

 

この兄弟に感心したのは、私が糸魚川で拾った石で作った火打石セットの扱い方。

一度使い方を実演して見せただけで、そっくり真似してすぐに火種を作れたのだ。

これは大人でも難しいのだが、昔の言葉で言う「観取る」能力が高い兄弟のようで、現代っ子にしては珍しい。

将来有望な縄文少年だが、石器には打製石器と磨製石器があり、どちらもかなり難しく、相当な訓練が必要である。

そこで糸魚川の縄文人が磨製石器を作っていた蛇紋岩を、これまた石器加工の道具の必需品である来馬層群の砂岩で擦って分割する実験を提案した。

横斧(チョウナ)のレプリカで、本当に木が削れるの???と実験したがる弟(笑)・・・カワイイ。

 

石器作りの初期段階では、大きな石を敲いて割った石材をコツコツ成形して磨製石器を作っていたのだけれど、何時しか石材に根気よく切れ目を入れて板チョコのように割って作る分割式して作った「定角式磨製石器」に進化していったのである。

縄文時代と同じ道具だけで、何時間擦ったら切断する事ができるのか?

これは私自身がやってみたい実験なのだけど、時間が無いのでやらずじまいであった実験。

少年たちの暑い夏の思い出作りに貢献できたら幸い。

縄文少年の誕生だ・・・可愛い弟子ができた。


海の遊び・・・粗大ゴミがサップに変身!

2015年08月09日 07時32分33秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

9月22日に福井県で第2回の丸木舟全国大会がある。

去年の私は惜しくも準決勝でタイムレコードを出しながら、決勝で優勝直前にコントロールできなくなった他艇に追突され際に後続艇に抜かれて準優勝。

今年は他のクルーも鍛えなきゃと、仲間たちを誘ってはトレーニングしている。

この日はクルーの指導がてら、糸魚川の観光パンフレットに使用される写真やイベント写真を撮影している渡邉貴さんをカヌーに乗せて、「海から観たジオパーク」の撮影に協力。前日はカナズチだから嫌だとごねていた渡邉さんだったが、撮影が始まると炎天下にも関わらず撮影の邪魔とばかりに帽子を脱いだ。沖に出て大きなウネリにカヌーが揺られても、ファインダーを覗いている時は戦場カメラマンのように恐怖は感じないのは流石。

 

トレーニングに使用している艇は、B&G艇庫に眠っていたウインドサーフィンの名艇「ウインドサーファー艇」。

大会で使用される丸木舟に形状が似ているから最適なのだが、サーファー艇はサップとしても使えるという事を発見したのは三年前の事。

世界初の量産型ウインドサーフィンのボードでありながら、この艇が発売から五十年近く経ってもデザインが変更されていないのは、安定性がよく直進性も良いので、初心者の入門艇に最適で、また微風でも遊べるし、上級者が基本技をトレーニングするに最適なボードだからだ。

安価で壊れないという点も好ましい。

サップのパドルで漕いでみたら、立っても安定性が良く、安物のサップよりずっと速度も出るし、カヌーとしても遊べる。

親子で乗っても安定性の良いサーファー艇。

 

八十年代に世界的な流行を見せたウインドサーフィンは、九十年代後半に人気が急落・・・使用されなくなったサーファー艇なら粗大ゴミ扱いで車庫に眠っている艇が多いハズで、オーナーに頼めば只で貰えると思う。

 

トレーニングしてたら、サップで遊んでいる信州のグループと友達になった。

彼らは岩場にサップで乗り付け、素潜りして遊んでいた。

因みに能生町海水浴場でアワビや栄螺、牡蠣を一個でも獲ると密漁となり、罰金30万円との噂!ご注意のほどを。

サップは、速度を競ったり、波乗りしたりするだけではなく、釣りや素潜りポイントへのアプローチとしても優れているのだが、糸魚川の海でこんな遊び形をしているのは信州人ばかり・・・。

地元の若者は、お隣の上越市や富山県まで行って、ボーリングや映画、ショッピングで遊んでいるらしい。

夏は海で遊べばいいのにねえ・・・勿体ない。


宮本常一の海は寂しい色ぢゃった・・・周防大島

2015年08月04日 20時48分28秒 | 民俗学ごっこ

広島に体験会講師として招かれる事になった時から、是非とも訪れたかったのが、お隣山口県にある周防大島である。

敬愛する民俗学者、宮本常一の出身地の島なのだ。

周防大島の漁港にへんな漁船発見・・・船首と船尾に取って付けたようなでっぱりがあり、インドネシアの丸木舟のような船型。一見して水の抵抗を減らすバルバスバウのようだが、喫水線より高い位置が出っ張っておる。波が静かでも潮の流れが激しい瀬戸内の海ぢゃけん、きっと網漁の時にきつい潮に船首を立てる意味があるのぢゃろう・・・宮本常一ゴッコ開始ぢゃ。

 

時間を作って訪問・・・緑多い島ぢゃった。(ぢゃった、というのは瀬戸内の方言ぢゃ)

この緑の深さは、宮本先生が子供の頃はどうであったのか?

島の老人の話だと、かっては段々畑や田んぼであったそうだが、戦後は蜜柑栽培が奨励されて島中で蜜柑を作っていたのだそう。

ところが過剰供給と作り手の高齢化もあって、現在では耕作放棄地となり、雑草が蜜柑畑を覆い尽くしているのだとか。

宮本先生生家前の島。島の島ぢゃからシマシマというのぢゃ・・・ウソぢゃ。瀬戸内は岩も石も砂もみんな花崗岩由来らしく明るいベージュに彩られ、緑と澄んだ海水のコントラストが絵に描いたように美しい・・・が、しかし!

 

資料館で宮本先生の愛用品を観た・・・感慨無量ぢゃ。

先生の生家付近の海に潜った・・・きっと宮本少年もこの海に潜ったのぢゃろう・・・わしらは浜っこ同志ぢゃから海に潜るのは礼儀ぢゃ。

潜ったら牡蠣ばかりでびっくらこいた。魚はフグとシマアジくらいで、牡蠣の海ぢゃった。沖には養殖牡蠣の筏が浮かんでおるが、稚貝が流れて自生したもんぢゃろうか??

 

澄んだ海水・・・しかしながら魚も海藻もイソギンチャクやウニもいない牡蠣だけの海・・・宮本先生の子供時代には絶対無かった海中風景ぢゃろうて。

恐らくは狭い瀬戸内で大規模に牡蠣養殖なんかしたもんだから、生態系が牡蠣ばかりの単一になっちまったんぢゃろう・・・哀しい風景ぢゃ。

山も荒れて、海も荒れた・・・これからどうなるんぢゃ?

 

おっと、感傷的になっとらんと、周防大島では忘れてはならん出来事があった!

漁協の売店を覗いたら(意外に面白いモノが売っているのぢゃ)、事務の女性のお嬢さんが糸魚川市に嫁いでいるとの事・・・聞くとワシの住む寺町にある田原塗料店!

けんか祭りも観に来た事があるそうぢゃ。手に持っているのは漁師さん御用達のサロペットタイプのカッパズボン。広島から案内してくれた武村さんをそそのかして買わせたのぢゃ。丈夫なので山仕事や草刈り機を使用する時に重宝するのぢゃ。

お土産に漁協のタオル貰ったケン。

ごっちゃんです!