縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ガラス勾玉を模倣したヒスイ勾玉の可能性・・・古代北九州と糸魚川の関係は?

2019年04月30日 10時18分00秒 | ぬなかわヒスイ工房

56年前に母が自宅敷地内で拾ったヒスイ勾玉は、側面が平らで角がたった特殊な形状をしている。

後の発掘調査で自宅は古墳時代前期の玉作遺跡「笛吹田遺跡」と報告された。ヒスイ関係者は丸みがないのは面取り研磨以前の未成品ではないかと言うのだが、それはプレートから勾玉から削り出す現代のヒスイ加工の考え方で、弥生~古墳時代においてここまで綺麗に角を立たせてから丸みを出す意味は無く、また当時は最終研磨直前に孔を開けるので、明らかに狙ってこの形状を作っているのだ。

昨年出版された「玉・古代を彩る至宝」で紹介されている、北九州の安徳台2号甕棺慕出土のガラス勾玉(左端の勾玉)に似た形状をしていることに驚いている。

自宅からは緑青カリガラス製と思われるガラス玉も出土しているので北九州との関連が気になってはいたが、もしやガラス勾玉を模倣している可能性について、私の好奇心はムラムラと闘志が沸き上がっている。

勾玉の背中のカーブに一致した筋砥石も出ている。

 

 出土地の那賀川市教育委員会に問い合わせたら、くだんのガラス勾玉は糸島の板状のガラス壁(ヘキ)から削り出して作っているので側面が平らなそうだ。

実測図や報告書を連休明けに送ってもらうことになっているが、先方も類似性に驚いていた。

北九州のガラス勾玉の類似性について徹底的に検証するつもりだ。

...

ヌナカワ郷は邪馬台国よりでかかった?

2019年04月26日 07時56分34秒 | ぬなかわ姫

昨夜、このごろ糸魚川で流布されている「ヌナカワ姫は弥生時代後半に北陸一帯から山形県の一部まで治めていたのでR!」という説を寝床で検証していて、すごいことを発見してコーフンして眠れなかった。

弥生時代後半なら邪馬台国と同時期ということになる。

ちょと乱暴な仮定だけども邪馬台国を畿内とし、倭国の範囲を北九州から瀬戸内、畿内までとするなら、北陸一帯から山形県の一部まで治めていたとされる我がヌナカワ郷は、邪馬台国どころか倭国に匹敵する超大国ということになるぞ!


しかも倭国は群雄割拠の連合政権に対し、ヌナカワは一枚岩の金看板!すごいぞヌナカワ姫!


ねえ、そんな大国なのにどうして魏志倭人伝に奴奈川國の記述がないのぉ?

もしかしたら邪馬台国ヌナカワ説ぅ?

倭国大乱と無関係だったのぉ?

糸魚川のどこかに三角縁神獣鏡が眠っているのぉ?

ねぇ~、てばさぁ・・・( ´艸`)

私の講演は「縄文ヒスイ漫談」と称して、エンターテーメントに徹しているから、マジメな話のダレ場と笑いのあるウケ場を交互に入れて15分に1回は笑わせるように心がけている。

おいしいネタを仕入れてしまった。

次回の講演は期待してくださ~い!




幻の名著「越後奴奈川姫伝説の謎」

2019年04月25日 18時51分30秒 | ぬなかわ姫

渡辺義一郎氏が33歳の時に自費出版した「越後奴奈川姫伝説の謎」は、たった800冊しか出版されなかった幻の名著。

新潟県内のヌナカワ姫に関する口碑を丹念に調べてまとめた唯一の本といっていい。

 

古事記に記述のある日本最古のラブレター、すなわち出雲の八千穂神とヌナカワ姫の求婚問答歌の部分だけを読むと、出雲とヌナカワの関係性は友好関係に読み取れるが、口碑からは出雲東征によるヌナカワ郷の征服を伺わせる悲劇の歴史が浮かび上がる。

私はさらに考古学の視点も入れてヌナカワ姫伝説の検証をしているが、検証を重ねるほどに悲劇の伝説に信ぴょう性が高くなっている。

最近の糸魚川で流布されている、「ヌナカワ姫は出雲と連合して北陸一帯から山形県の一部を治めていた」という説が本当なら、糸魚川には弥生時代の墳丘墓群や古墳時代の古墳群、拠点遺跡などの裏付けがありそうなもんだが何もないのだ。

真偽のほどはヌナカワ姫本人と当時の関係者に聞くしかないのだが、公平な立場で真摯に検証を進めていきたい。

 

 


ヌナカワ姫伝説を語り継がん

2019年04月22日 13時38分16秒 | ぬなかわ姫

40年前に800部だけ自費出版された幻の名著「古代越後奴奈川姫伝説の謎」の著者である渡辺義一郎さんと浅草で会食。

上越市出身の渡辺さんは、西頸城地方の登山をするうちにヌナカワ姫伝説に興味を持ち、お年寄りを訪ね歩いて口碑を蒐集し、ついには自費出版に至ったそうだ

著作の中では悲劇的な口碑の数々のみならず、大正時代に編纂された「西頸城郡誌」や「天津神社奴奈川神社社伝」、昭和に出版された「糸魚川市史」などの文献もきちんと紹介されており、その膨大な仕事に脱帽する。

渡辺さんは昨今、糸魚川で流布されているヌナカワ姫と出雲の八千穂神の恋物語ではなく、出雲に侵略されたヌナカワ郷という真逆な結論を導きだしておられるのは私同様で意気投合した。

渡辺さんと話し合っているうちに強烈に思いが募ったのは、口碑を語り継ぐ文化が失われつつあること。

二世帯家族であっても家族そろって晩ご飯を食べることが少なくなり、晩ご飯の後は各自の部屋でテレビを観たりゲームしたりと、子供たちが老人から昔話を聞く機会が無くなっている。

ヌナカワ姫伝説に限れば、恐らくは二千年近くも庶民によって語り継がれてきた悲劇の歴史が、今や糸魚川市民でさえ知る人は稀になっている。

口碑は庶民の歴史、地域の文化だ。

私の世代で悲劇の歴史を埋もれさせてはご先祖に申し訳なく、伝説の語り部たらんと切に思う。

渡辺さんの最新作は、東アジアの稲作文化からヌナカワ姫伝説を再検証する意欲作「大国主と奴奈川姫の東アジア」。

糸魚川の人たちに宣伝することは無論だが、「古代越後の奴奈川姫伝説」の再販を熱望するとお伝えした。

 


奴奈川姫が北陸から山形まで治めていた?してその根拠は???

2019年04月16日 08時38分21秒 | ぬなかわ姫
観光ウエブサイトの「WEB料理通信」の「世界最古のヒスイ文化発祥の地 糸魚川」という記事をSNSで友人たちがシェアしていたので一読して首を傾げた。

ヒスイに関する記述の考古学的な誤認も目立つが、そこはともかく「奴奈川姫が北陸一帯から山形の一部を治めていた」とあり、その根拠を運営者に問合せした。

糸魚川には弥生~古墳時代にかけての拠点遺跡や古墳群も無く、「奴奈川姫が北陸一帯から山形の一部を治めていた」という史実を伺える資料は口碑も含めて私は知らないし、また大宝律令以降の奈良時代ならともかく「治めていた」という言葉の定義を是非とも教えてください!というのが質問の内容。

運営担当者は丁寧に対応してくれた。

糸魚川取材時にガイドの人からそう教わったようで、私の質問を受けて調べたところ、考古学的にも民俗学的にも裏付ける資料が無かったらしく、その部分を削除することにしたとのこと。(現時点で削除済)

そりゃそうだ。私レベルの考古学好きが首を傾げるのだから、糸魚川と利害関係の無い公平な立場の考古学者が聞いたらなんて言うだろうか。

ガイドした人のお国自慢したい気持ちはわかるが、文化的な情報発信は根拠を明確にすべきで、個人的な史観を一般論のように語るのは慎むべきだし、語るなら一般論を説明した上で「私はこう推測する」と分けて語る必要はある。

根拠の曖昧な情報がネットで拡散されてしまうと、既成事実として認識される恐れがあり、極論すれば歴史の捏造になり兼ねないのだ。

第一、後から恥ずかしい想いをしますよ( ´艸`)

 

 

 

 

 


「ドブネをつくる」・・・文化財保存の本気度

2019年04月15日 08時19分15秒 | 民俗学ごっこ

ドブネ大工さんの道具類を寄贈したご縁で、氷見市立博物館のH先生から「ドブネをつくる」書籍とDVDが贈られてきて、その詳細な記録に驚愕。

ドブネは男鹿半島から石川県の日本海で発達した、丸木舟に由来する「オモキ造り」の定置網の漁船で、糸魚川でも使われていたし、押上区にはドブネ大工さんもいた。


板材同士を密着させるために接合部に薄い鋸を入れる「アイバスリ」や、接着剤はウルシを使うなど動画で詳しく紹介されている。


これほどの記録を糸魚川市と同じ人口の氷見市が世に出したということにも驚くが、文化財保存に対する熱意、本気度が半端ない。

 

私が所持していたドブネ作りの道具類は、ドブネ大工さんの遺族から捨てるには忍びないと頂いたのだが、個人所有では日の目を見ることなくいつかは逸散する恐れがある。

残念ながら糸魚川市には民俗資料館もなく、漁船関連の研究に熱心な氷見市立博物館に寄贈した経緯がある。

この点、糸魚川は考古学と地質学以外には冷淡ですな・・・昔の貴重な道具類が燃やされたり捨てられたりしています・・・。

船作りや木工に興味のある方、ぜひとも氷見市立博物館にお問合せください。とにかく面白いです。

 



びっくりパーティー・・・スミケン開業

2019年04月13日 08時11分24秒 | こんなモノ作った!

上越市の宮澤君が建築店を独立開業したので、本人に内緒でサプライズパーティーを開いた。

事務所のドアを開いた途端にクラッカーで祝福。

 

日頃ポーカーフェイスの宮ちゃんの眼に光るものを期待したが、クラッカーの音に驚いただけで相変わらずのポーカーフェイス維持。

感情の起伏がないのかね?( ´艸`)

ホラホラっ!もっと開いて!もっと許して!もっと愛して!

小さな棲家研究会、略してスミケンという宮澤君らしいネーミングの、お住まいのなんでんも屋さん。

彼の人柄だろうか、滑り出しは順風満帆のようだ。場所は高田駅近くのフリースペースの「空家ベース」1階。

どーかひとつ、上越市のみなさんよろしくお願いします!




「平成最後」より「今年のけんか祭り」が節目・・・糸魚川けんか祭り

2019年04月11日 09時34分52秒 | 糸魚川自慢

「俺りゃ神輿につかんでも、おるだけで盛り上るんだっちゃ!」と、高座での居眠りを咎められた古今亭志ん生のようなことを仰る御年86歳の幼馴染の親父さん。

確かにおっしゃる通りで、60年も祭りを担ってきた存在感は得難く、そこにいるだけで祝祭気分を醸し出す。いつまでも達者でいて欲しい。

 

老いも若きも朝から雨に打たれ続けた今年のけんか祭り。

役付きの挨拶の時や乾杯の音頭も、「平成最後の・・・」と誰も言わなかったのが、らしくて好ましい。

氏子にとって年号の節目より、今この「けんか祭り」こそ人生の節目という心意気が優先するのだろう。

けんか祭りで履いた草鞋は縁起物として軒先に吊るし、前年の草鞋は田畑に鋤き込む風習があった。ぬなかわヒスイ工房でも吊るしている。

 

周りは同じ町内の顔見知りばかり。

共に雨に濡れ、共に寒さに震え、共に戦った戦友。

よか漢たち。

 

糸魚川けんか祭り


浜で生まれて波に遊んだ浜っ子の祭り・・・糸魚川けんか祭り

2019年04月10日 06時55分12秒 | ぬなかわ姫

浜で生まれて波に遊んだ浜っ子の祭りは、日本海での禊から始まる。

昔からこの地区は漁師が多く、けんか祭りとの直接的な関係は不明ながら「寺町の漁師のジンベイ、ジンノジョウの兄弟が、神様が乗った漂流する舟を助けた」ことに発端があるらしい。

この兄弟の血筋は現在も続いており、けんか祭りでは特別な存在として扱われ続けているので、海からの来訪神の祭りと言えるのかも知れない。

神様を助けたという伝説のある押上の浜(ヒスイ海岸)に禊の準備が整い、結界の青竹が風に靡いていた・・・いい風景。


昨日より白波が収まってきたが、ノタ(波を意味する方言)はまだあり、天気予報は雨。


ドロンコになった益荒男が遮二無二に奔り、激突し合う風景も一興。

雨天延期なんてことはないから、応援してください!

 

 

 

戦に臨む男の顔・・・2019年けんか祭り

2019年04月08日 08時15分51秒 | 糸魚川自慢

今月末に予定されている市内ガイドツアーの責任者とロケハンで天津神社・奴奈川神社に立ち寄ったら、「けんか祭り」の期間限定で仮設される桟敷席組立ての真っ最中で、桜がいい感じで咲いていた。

いいもんだ。


Uターン帰郷以来、個人的な市内ガイドボランティアを続けていたが、昨年からは本格的な団体ツアーのガイドを頼まれるようになってきている。


現時点で当日10日の天気予報は降水確率70%だが、境内がぬかるんだ場合でも滑って転ばないように、祭り直前に黒法被を着て袖に浅黄色の腕章をつけた運営委員が、トラックの荷台に乗って砂利を敷設する。観ようによっては悪天候の時の見所。


役付きの氏子はピリピリしていることだろう。


神輿が走り出す直前、担ぎ手の「白丁」と神輿をゴンゴンと引っ張って走る「手引き」の表情に注目して欲しい。
戦に臨むかのような男の顔は美しい。


当日午前零時きっかりに、無人の境内に笛太鼓が鳴り響いて戦闘用意の合図・・・始まりますよう。