縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

寒い夜のサバイバル・・・温石(おんじゃく)を再び紹介

2018年01月31日 18時29分33秒 | サバイバル

陶器製の湯たんぽは、金属製やプラスチック製、ゴム製湯たんぽにないジンワリした温もりが優しい。

年に何度かのよほどに寒い夜は、こいつを足元に置き、体には水枕型のゴム製湯たんぽを密着させて眠っている。

最近はネットでも買えるようになった陶器製湯たんぽは、20年ほど前に都内の雑貨屋さんで購入。

30年来いつも持ち歩いているフランスの「グランテトラ」の登山用水筒は、扁平なアルミ製なので水を入れると氷嚢、お湯を入れると湯たんぽになってくれるサバイバルグッズ。

 

ヨーロッパの登山用品は、アルプス登山で培われてきた質実剛健でレトロなデザインが好ましく、この口金で開閉するタイプの水筒は慣れると片手でワンタッチ開閉できるので、非常に重宝している。

でも防寒サバイバルの究極は、以前にも紹介した温石(おんじゃく)だろう。

蓄熱性に優れた石を囲炉裏の灰の中で温め、ぼろ布で包んで懐に入れて防寒や、具合の悪い所を温める民間療法にも使われた元祖懐炉である。
江戸時代の糸魚川では特産品であったようで、参勤交代途上の加賀藩の前田公が俄かに腹痛を起こし、温石を薦められてたちどころに快癒し、将軍家に献上したと記録に残っている。


実際にどんな石材が使われていたのかは不明だったが、実物が根知区の「塩の道資料館」に展示されており、蛇紋岩だと解った。


囲炉裏がなくても石油ストーブの上に置いておくだけで温まるし、砂に埋めた上で焚火をして温めてもいい。

蛇紋岩以外に滑石製もあったようだが、どちらも糸魚川の海岸で拾える石材だから、いざという時のために覚えておくといいい。


除雪だけでなくフライパンにもなる金象印のスコップは、常備しておきたいサバイバルグッズ

2018年01月26日 08時19分27秒 | サバイバル

除雪に嫌気がさしたら「どうせ何時かは自然に融けるから無理しなくていいのだ。」と開き直る事にしている。
かっての豪雪の時、信州の人が糸魚川に除雪ボランティアに来てくれて、信州とは全然違う湿って重たい雪に悪戦苦闘して、「新潟の除雪って大変なんですねぇ・・・」と驚いていたそうだ。

寒冷な信州や北海道の除雪なら高価なポリカーボネード製スコップは活躍するが、糸魚川のような湿った雪質だとサラサラな新雪なら有難い道具だが、汎用性は低い。


湿った雪質で活躍するのは金属製の角スコで、新調するならプロも愛用する金象印がお勧め。

 

金属製スコップには鉄製とアルミ製があり、昔は錆びた鉄製スコップに雪がくっついて難渋するので、軽くて扱いやすく雪が付かないアルミ製が使われていた。

アルミ製は軽いのが利点だが、先端にコンクリートや石が当たると丸まりやすく、また氷状に固まった雪だと歯が立たないのが欠点。

何時の頃からか、鉄製スコップが塗装されるようになり、雪がくっつかなくなった・・・これは糸魚川の除雪には福音。

重いのが唯一の欠点だが、この重みが締め固まった雪にスコップを差し込む時に威力を発揮する。


ハンドルから先端まで金属一体成型だから堅牢無比。国産初の量産スコップは日本中の現場で使われている。


柄が丈夫な中空パイプなので、いざという時はテコにもなる。

番外編だが、全金属製のスコップという事はフライパン代わりにも使える・・・やったことはないが(笑)

普及品故に安いので、一家に一本は常備しておきたいサバイバルグッズだ。

因みに植木屋は金象印の剣スコの両サイドをグラインダーで研ぎだし刃を付け、樹木の伐根の時にザクザクと樹の根っこを伐りながら穴を掘る。

 


スコップを持つ前の手は順手で持つ・・・除雪のコツ

2018年01月25日 09時32分03秒 | サバイバル

SNSで首都圏の方が除雪の苦労を嘆く投稿を幾つか観たので、以前に投稿済みのプロのスコップの持ち方を再紹介。


多くの人はスコップを持つ前の手を逆手で持つが、腕が自由に使える分、負担が腕に集中して疲れやすい。


ところが植木屋や土木作業員などの現場では、写真のように前になった手を順手にしてスコップを扱う。


順手だと腕と背中が繋がり、体全体で動く事になり、負担が分散されて疲れにくいのだ。モデルの男性が除雪に悪戦苦闘していたので、順手持ちを教えたら「これまで60年以上の除雪人生、知らずに損した!」と驚いていた。

 

この現象を古武術研究家の甲野善紀先生なら、背中が使えることで力が分散でき、共同募金のように各部位の負担が少なく大きな力になる、と説明するのかも知れない。

私は整体協会の教授資格者だから「逆手は腕の局部的働き、順手は腕の全体化」と解釈するが、普通の人には?だろう・・・。


動きの主導は腕ではなく、膝で調子をとる。


局部の動きと全体の動き、使い分ければ随分違う。


糸魚川の「うりかわみの」・・・縄文帆船の帆に利用?

2018年01月22日 07時57分18秒 | 民俗学ごっこ

「うりかわみの」は、糸魚川で使われていたウリノ木の樹皮の内側を剥いで作った雨具。

小滝区公民館のホールに展示されているうりかわみの。他には能生地区の民俗資料館に1点現存するようだ。

作り方の詳細を知っている人はもういない。

 

蓑(みの)は、西日本では稲わら、東日本ではガマ製が多いと何かで読んだ記憶があるが、この蓑は水に強く軽くて具合が良いのだとか。

うる覚えだし、説明表記はなかったが、同じ蓑を秋田の小さな民俗資料館で観たことがある。


軽くて水に強いのであれば、もし縄文時代に帆船があるとすれば、南洋の伝統帆船のように30㎝角くらいのサイズを作って繋げて帆として使っていた?と夢想してみる。

糸魚川には貴重な民具が沢山あるのだが、貴重な民具を一括収蔵する民俗資料館がないのが残念。

 


勾玉はお守り?・・・勾玉象嵌カンザシ

2018年01月18日 17時49分59秒 | ぬなかわヒスイ工房

ヒスイ装飾品や勾玉がお守りとして認識されるようになったのは近代以降のことで、古代社会に置いては呪術的意味を持つ威信材であったらしい。

即ち、ヒスイ装飾品は縄文以来、誰でも気軽に身に付けられる装飾品ではなく、特別な身分の人だけに許されていた。

勾玉象嵌カンザシの新作は、左から桜・マホガニー(?)・黒柿・欅製で、マホガニーが?となっているのは、端材を分けてくれた友人のアメリカ人家具職人のラッセルさんも忘れてしまったから(笑)


勾玉本来の意味はともかく、現代において身に付ける人がお守りとして求めるのなら、作り手にはそれに相応しい料簡が必要と実感する出来事があった。

4月から行政がらみの大きな仕事で必要になるので、真上からの俯瞰撮影を勉強中。


和装が多い学識豊かな年配のご婦人から、想う処あって勾玉が欲しいのだが、普段から装飾品は身に付けないのでカンザシと組み合わせて欲しいという注文を受け、勾玉を象嵌したカンザシを作って納品したのが去年のこと。

手持ちの原石の中で最上級のヒスイを使ったら、カンザシの欅が透けて見える。


その後にある不思議な体験をされ、「勾玉って本当にお守りになるのね!」とシミジミと仰っておられた。

いたずらにヒスイや勾玉の神秘さを謳うのは本意でないし、ヒスイをパワーストーン扱いすることでさえ、私の忌み嫌う処でもある。

あくまでも個人の体験と実感。


だから小指の爪ほどの小さな勾玉でもフルスペックの仕事。


横から見ると微妙な曲面になっており、これは注文をした婦人の愛用のカンザシと同じ形状・寸法で作っているため。


お守りとして、あるいは気軽なアクセサリーとして捉えるかは、求める人次第。

でも私は、刀匠が刀を鍛えるように勾玉を作る。

 


奴奈川神社の火起こし神事と蜜柑・・・冬の赤は春の訪れ

2018年01月14日 11時42分15秒 | 糸魚川自慢

奴奈川姫伝説の本家、糸魚川の奴奈川神社のどんどん焼き「お松っつぁん焼き」は、火起こし神事で始まる。

宮司さんは若い頃に伊勢神宮の忌火屋殿で奉職していた方で、三回も式年遷宮を経験しておられる稀有なお方。

火起こしは伊勢神宮方式の舞錐式発火法で、発火具も同じ物を使用している。

 火きり臼は厚み2㎝ほどの檜製・・・和光大学の岩城教授の研究によると発火効率は厚み1㎝くらいが最適とされているが、神事なので発火効率は問題にされていないようだ。

火きり杵の先端は、カートリッジ式の山枇杷製。

火種を育てるおが屑は、匂いと煙くない事と着火効率がいいので、知人の大工さんから檜のおが屑を分けてもらうのだそう。

ゆっくり舞錐を上下させ、約1~2分ほどで火種を作り、おが屑の中に半分くらい埋もれさせた状態で火吹き竹で火種を育てる。次いで杉っ葉に点火して松明状に燃え盛った状態で境内のどんど焼きに着火という手順。

真っ赤に立ち上がるどんど焼きの炎は、雪国に春が近いと知らせる来訪紳。旧年中の達磨や注連縄、お札を焼いた後は、割った鏡餅を焼き、青竹で熱燗を付けて振る舞いになる。

 

雪国の人が過酷な生活に耐えられるのは、いつか春が来ると知っているから。
先祖代々、そうやって冬を耐え、春を待ち続けてきた。

雪に埋もれたぬなかわヒスイ工房

 

今日の糸魚川は晴れて、沖には能登半島も見える・・・春は近い。

糸魚川出身の相馬御風の作詞の童謡「春よ来い」の風景は、春を待ち望む糸魚川人の原風景と言える。
私のその話を聞いた富山の友人達が、2年前の12月に発生した糸魚川大火を支援するイベントで復興ソングに使ってくれた。

除雪の一服で食う蜜柑ほど美味いもんはなく、私はわざわざ雪の上に置いて冷やしておく。火照った体に甘酸っぱい果汁が浸み込んでく至福の時。暖かい蜜柑産地の人は思いもよらないだろう。お供え餅の一番上に鎮座まします黄色い蜜柑も、赤い火の神の象徴だ。


越後人にとって、モノクロの冬景色に映えるどんど焼きと蜜柑は春の予感。
天気も気持ちもハレバレするから春なのだな、としみじみ思う。
春を呼ぶ「けんか祭り」まで、あと三ヶ月!
その先駆けができる寺町区と押上区の男たちは果報者だ。


天岩戸と銅鐸

2018年01月10日 16時51分03秒 | ぬなかわヒスイ工房

銅鐸の舌(ぜつ)をヒスイで作った→どうせなら錘形ではなく勾玉にしよう→銅鐸に勾玉を吊るしたら、母胎に浮かぶ胎児をイメージした→そう言えば奈良の弥生時代の「鍵遺跡」出土の褐鉄鉱(かってっこう)に入れられた勾玉に似てるなぁ・・・こうなりゃ天岩戸銅鐸だね・・・。

銅鐸の舌をヒスイ製勾玉で作った。

母胎に浮かぶ胎児のイメージ

ぬなかわヒスイ工房にしては大き目の縦30㎜の勾玉

奈良県の弥生時代中期の「鍵遺跡」出土の褐鉄鉱に入れられた勾玉・・・どんな想いで?と古代人と対話。

 

モノ造りしていると、最初の閃きの段階では意味は持たなくても、作りながら意味を持ったり、後から意味が重なっていくことがよくある。


こんな経験をしていくと、勾玉の形が持つ意味を胎児、新月、牙玉、渦巻という諸説の一つだけで読み解く事に無理を感じる。


モノは作り手の手を離れ、持ち主の想いも綾なしていく。


モノ言わぬ出土品は、ヒトの想いを物語りしている。

 

 


縄文石笛の新発見か?!・・・児玉石神事

2018年01月08日 08時52分16秒 | ぬなかわヒスイ工房

長野県松代町の玉依比賣命神社の新春の神事で、奉納された玉類の数を数えて吉凶を占う「児玉石神事」に友人達と二年連続参列。
一緒に参列した友人の一人が、氏子以外には知る人も少なかったこの神事を世に出した功労者とも言える神道研究家のYさんで、奇縁に感謝。

真田家の所縁も深い玉依比賣命神社は延喜式に記載された式内社。

宮司が奉納された玉類を「ひと~つ、ふた~つ・・・」と一つづつやまと言葉で数え、二名の氏子が記録していく。

新しく奉納された玉類を「来たり石」と呼び、去年より増えていれば吉、減っていれば「埋もれ石」として凶となるが、過去の埋もれ石が出た年に水害に見舞われたとの事。氏子さんに聞いた所では、減った理由は数え間違えであるらしい(笑)

私が糸魚川のヒスイ職人という事もあって、神事の後に氏子の方達に囲まれて、奉納品の年代や石材、大昔にどうやって加工していたのか?などなど一時間くらい質問されて過ごすのが愉しみになっている。


私が確認できた最古の奉納品は縄文中期のヒスイ大珠と垂れ飾り群だったが、気になったのが、考古学的には「緒締形大珠」と分類される縦の貫通孔を持つヒスイ大珠。


緒締形大珠にしては縦約60㎜×幅40㎜×厚み25㎜程度と大きく、貫通孔も元が8㎜と貫通先が6㎜(全て目視計測)もあり、大きさといい、雰囲気といい、形状といい、青森の上尾駮遺跡出土(後期)のヒスイ製石笛によく似ている。


2点の違いは上尾駮遺跡出土品にある指孔がない部分と、青森が両側穿孔に対してこちらは片側穿孔という部分の2点だが、石笛として作られた可能性は否定できないし、緒締形大珠であった可能性も否定できない。


緒締形大珠であったにしても、孔が開いていれば覗いてみたくなるし、吹いてみたくなるのが人情というもので、白黒をハッキリさせる事は誰にもできないのだ。


もう少し懇意になったら、宮司さんや総代さんの許可を貰って吹かせて頂けたら・・・と目論んでいる(笑)

吹けばそれなりに音は出るだろうが安易に石笛と断ずることはせず、どんな音がするかという興味を満たしたいのである。

ネットに溢れる石笛情報の90%以上は根拠の不確かな独善的な情報で、それらが無責任に孫引きされて拡散している。

鉛筆キャップや一升瓶だって吹けば音は出るが、吹く目的で作られてはいないのだ。


 


仕事始めは三環鈴の研磨

2018年01月05日 07時28分36秒 | ぬなかわヒスイ工房

仕事始めに銅鐸の研磨仕上げと、もう一つの頂きものの三環鈴(さんかんれい)の研磨をした。


左が研磨済みで右が未研磨の銅鐸で、中央が三環鈴。

 

年末の銅鐸研磨は横浜での「冬至祭」に持って行くために間に合わせ仕事だったが、納得のいくまで研磨したら真鍮製品のような色になった。

ヒスイも同じだが、研磨度合いが高まると表面が平滑となって乱反射しなくなるので、色が明るくなるのだ。

本業以外でもハンチクな仕事をしていると本業までおかしくなりそうだから、刃物研ぎだろうが銅鐸研磨だろうが、やる時は徹底的にやる。

三環鈴は古墳時代の一時期だけ数例だけ出土する鈴で、馬具と伴出するので身分の高い人の馬に付けた鈴か、呪術的な意味を持つ威信材とも推測される出土品。

奈良の天河神社の御神宝として名高い「五十鈴」という三環鈴と、天河神社の拝殿の鈴が巨大な三環鈴ということから古代からの祭器と思われがちだが、考古学的にはあくまで用途不明の音具という扱い。

真横から撮影するとUFOっぽい・・・もしや古墳時代に目撃されたUFO(笑)