縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

老眼族に朗報・・・LEDライトスタンド式ルーペ

2018年12月31日 16時46分23秒 | ぬなかわヒスイ工房

もっと早く導入すればよかった!と歓喜に打ち震えているのが、倍率1.8倍のLEDライト付きルーペスタンド。


眼鏡タイプはハズキルーペや業務用高級品であっても焦点距離が合わず、私には合わなかった。導入したのがOHM社の製品。


これまでミクロン単位の細かい仕事は勘頼りだったが、これは使える。

年内最後の仕事は考古学者のY先生から注文されたネフライト製勾玉ピアス。ワイヤーワークや作品の検品に活躍してくれそうだ。

 

レンズ径が大きいからレンズ周辺の歪みも気にならず、円形に配置されたLEDライトの配光もよく、安価な中国製にありがちなネジの弛みもなく欲しい位置できっちり固定できる。

土偶オカリナのアップ・・・ピンスポットの観察なら倍率10倍を謳う安いルーペでも良かったのだが、手元の範囲を拡大して作業する目的なので1.8倍くらいが疲れず丁度いい。

石英粒が混入した土器片の観察!首都圏の青空骨董市で買ったり、友人から畑から出た土器片を貰ったりしてコレクションも結構ある。

 

LEDライト付きルーペスタンド、細かい仕事をしている老眼族にお勧めします!


最古のヒスイ装飾品の実測・・・縄文人との対話

2018年12月24日 09時32分47秒 | ぬなかわヒスイ工房

六千年前の遺跡から出土した、国内最古級のヒスイ装飾品の実測と写真撮影をする機会を頂いた。

観察の結果、切削傷の残り具合と研磨度合いは、平面研磨機なら400~600番台の耐水ペーパー使用による湿式研磨に近く、手磨き仕上げで雰囲気が似そうと推測。

最古のヒスイ大珠が出土した地域は中期に曽利式土器が作られているのだけど、その特徴の一つが隆帯を張り付けた水煙模様で、私は火焔型土器よりこっちの方が好き。

 

最新技術だと写真撮影だけで緻密な3D図面が描けるそうだが、作り手の立場としては、六千年前に製作した縄文人の意図を読み取るべく、じっくり対話するように観察してポイントを把握できる手描きスケッチは必須。

土壙墓から出土したヒスイ製大珠だから、死者が身に付けていた出土品の模造品を作るという事で、それなりの覚悟を忘れてはならないと思う。

 

 


浅草芸人御用達の喫茶店・・・ピーター

2018年12月19日 21時03分16秒 | 旅先にて

上京すると必ず寄るのが西浅草の路地裏にある喫茶店ピーター。

ピーターに入るなり「おばちゃんのカレー大盛り!」と注文するが、普通盛りでもかなりなボリュームでたったの630円。大盛りでも50円増し。

安くてボリュームがあるだけでなく、たいへん美味い昔ながらの喫茶店のビーフカレーだから、売れない浅草芸人の強い味方でもある。

ピーターから徒歩10分弱で、現在は演芸専門ホールになった東洋館があり、ここはかって萩本欽一やビートたけしを輩出したストリップ劇場「フランス座」。

東洋館と同じビル1階にあるのは浅草演芸ホール。この日の夜席のトリは大好きな柳亭市馬師匠で、得意ネタ「掛け取り美智也」が聴けたかも。


この日も東洋館の出番を終えた林家ペーさん一行が大騒ぎした直後に訪れたそうだが、こんな浅草芸人さん御用達の店で「タケシが売れない頃さぁ・・・」と主人から芸人列伝を聞けるのも楽しい。

銀座線「田原町駅」の改札で、林家正蔵師匠とバッタリ。

上野鈴本演芸場では、某野党の幹事長が観に来ていた。

夏には小泉進次郎が来ていた。

無名のヒスイ職人も有名な政治家も、寄席ではただの聴衆。

下町は人間くさくっていいや。


ヒスイにも顔がある・・・現代版大珠

2018年12月12日 08時14分06秒 | ぬなかわヒスイ工房

不等辺三角錐状に割れたヒスイ原石でペンダントを作って欲しいと頼まれた。

石にも天地と前、後ろはあると教えてくれたのは若い頃にバイトしていた植木屋の親方で、これが分別できないと庭石は据えられないし、私のヒスイ加工も最初にするのはこの見極め。

原石の持つ姿を活かして、身に付けた時にピッタリするように不要な部分を削り、孔を開ける。

今回は注文主の意向で研磨はせず、削った部分と孔周囲だけ原石表面に合わせて研磨。紐孔は凹んだ部分を狙って開けて成形したが、このことで何時でも正面を向いた状態にできる訳で、ただ孔を開けりゃいいというもんじゃないのですわ。

野趣溢れる縄文前期に倣った現代版大珠のつもり。

 

人の手が加わっているのに、人為を感じさせない自然物のように感じられたら幸いで、これぞ芭蕉の言う処の造化。



「よみがえる女神」・・・本の表紙になった奴奈川姫

2018年12月11日 08時15分23秒 | ぬなかわ姫

奴奈川姫像を表紙にした自著「よみがえる女神」をお土産に、岩手の清水友邦さんご夫妻が訪ねてきた。


清水友邦さんとはクリスタルボウル演奏家の牧野さんをはじめとした共通の友人が多く、話も合う。

縄文から神話までの女神をテーマにした宗教民俗学入門書で、悲劇的な奴奈川姫の口碑伝承と考察がきちんと紹介されている。

 

糸魚川商工会の勉強会では古事記を元にしたラブロマンスしか教えていないそうだが、悲劇の伝説を地域振興に不都合として封印しようとしているかのようだ。

先日もそのことに異議を唱える地元の郷土史愛好家が憤って私に訴えていたが、奴奈川姫の悲劇的な伝説はネット検索でも簡単に得られる時代。

ラブロマンス説とは真逆の悲劇の伝説「小さな声」を紹介する発信力のある県外の人々がいることも確か。

親不知では能登半島も見えたし・・・。

世界最大級の102トンのヒスイ原石も見れたし・・・。

海岸にはウルメイワシも上がっていたし(笑)・・・。

奴奈川姫自害の伝説のある稚児ケ池にも行けたし・・・。

水温が高いので、湯気が立ち上った稚児ケ池を見ることもできた。

 

降雪で行くことが危ぶまれていた稚児ケ池に案内したが、清水さんご夫妻が糸魚川滞在時だけ晴天で、奴奈川姫が喜んで迎え入れてくれたかのようだ。

 

 


割れたクリスタルボウルで風鈴を作る・・・死があれば再生を願うのが縄文スタイル

2018年12月07日 18時34分04秒 | ぬなかわヒスイ工房

以前に牧野持侑さんが演奏中にクリスタルボウルが割れてしまったことがある。

非常に高価なので泣くに泣けず、かと言って使用に堪えず、自宅には割れたクリスタルボウルが溜まっているとのこと。

割れたクリスタルボウル破片。高価なこともあるが、想い入れのある楽器を廃棄するには忍び難いというのが人情だろう。

 

そんな話を聞くとムラムラと闘魂が湧いてきてしまうのが、私の性。

いっそのこと、割れたクリスタルボウル破片で風鈴を作ったらどうでしょう?と提案してみたら、二つ返事で賛同してくれ、割れたクリスタルボウルが大きな段ボールひと箱分送られてきた。

用途とカタチを変えても蘇るなら、愛好者にとって朗報だろう。

形状と寸法、吊るす間隔を検討するために色々作ってみた。

小さいと澄んだ高音、細長いとやや低音となるのは予想通りだが、厚みや形状も音色の構成要因となるからややこしい。

中央のクリスタル製スティックは金属っぽい音色。

 

とりあえず音はいいし、小さな破片はペンダントにしてもいいので、試作品を牧野さんに送って検討して頂くことにした。

縄文人も割れた土器や石器を補修しているが、いよいよ使用不能となったら、アイヌの熊送りのように手厚くあの世に送っていたのではないか?

死があれば再生を願ってあの世に送る。

モノを大事にするというのも縄文スタイル。




妖しく翠に光るヒスイ・・・ヒスイクリスタルボウルが我が家にやってきた

2018年12月06日 07時59分48秒 | ぬなかわヒスイ工房

年中無休の自分へのご褒美に、牧野持侑さんが開発したヒスイを原料に加えた「アルケミークリスタルボウル」をついに購入。

私にとってはものすごく高価な買い物だが、ヒスイ職人として一つは欲しいと思っていたのだ。


奇しくも最後の1個だったそうで、現時点で今後は特注する予定はないとのこと。


半透明のヒスイは透過光で妖しく翠に光るのが魅力の一つだから・・・・

百均で揃えた植木鉢の受け皿とLEDライトで、ディスプレイ台を作った。

キャンドル型ライトは光量が少ないものの、オレンジの光がユラユラと揺れてくれるのがいい。

 

ここ数カ月、県外市外から奴奈川姫や縄文関連の興味を持った方々が、話しを聞きたいと訪れてくれる。

多い時には週に3組という異常事態で嬉しい悲鳴を上げているが、ぬなかわヒスイ工房に訪れたお客様へのささやかなサービス。

 

 


クリスタルボウルで「春よ来い」

2018年12月02日 18時54分43秒 | 糸魚川自慢

クリスタルボウル演奏家の「世界のマキノ」を糸魚川に迎え、各地の案内と二度のライブのサポートをした。

上越市と糸魚川市での二度のライブは、普段の牧野持侑さんの演奏会に比べると申し訳ないほどコジンマリとした規模だったが、愚痴をこぼさず全力投球というのが牧野さんという人。

糸魚川ヒスイを原料に加えた特注クリスタルボウル!

 

童謡「春よ来い」を糸魚川ライブで演奏して欲しいという私の無茶な願いを聞いてくれて、クリスタルボウル用に編曲して頂いた。

会場のすぐ近くに作詞者の相馬御風(ソウマギョフウ)の家が保存されており、二年前の糸魚川大火の祭には御風邸もすんでのところで延焼を免れたのだが、私は個人的に「春よ来い」を復興支援ソングにして復興支援ボランティアをしていた。

奇しくも糸魚川大火の前日、牧野さんは横浜でヒスイ製クリスタルボウル完成のお披露目演奏会を開催しており、私はヒスイ職人としてゲストで招かれて以来のお付き合い。

牧野さんに「春よ来い」と糸魚川の関係、個人的な復興支援ソングであったことを教えたら、二つ返事で了解してくれた。

現存する御風邸の玄関こそ、御風の長女が「赤い鼻緒のジョジョ履いて、おんもへ出たいと泣いていた」現場であり、今も往時を偲ぶことができる。

御風邸の二階が御風の書斎で、非常に気持ちのいい所。御風が使っていた文机で来館者名簿に記名する牧野さん。

牧野さん二度目のヒスイ峡訪問は好天に恵まれた・・・毎年でも来たいと気に入ってくれている。

 

三日間を寝食を共にして、牧野さんは何を観ても「すごい!」何を食べても「美味しい!」と、全てのことに対して比定的な言動がなく、迎え入れる態度を崩さなかった。

ここ数年、各方面のエキスパートであると同時に、謙虚で褒め上手、人生を謳歌する達人との出会いに恵まれ、俺の人生も満更ぢゃねえなぁ・・・と思える。

 

 

 

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