縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

農薬をつかわないアメリカシロシトリ対策おしえてくださ~い!

2024年08月31日 07時24分31秒 | 田舎暮らし
ブドウに朝日が透けて見えたら食いごろで、うまそうな房だけ収穫するのが朝の日課になっている。
神々しいねぇ
果樹農家は均一に育成できるのが流石で、拙宅のは同じ房でも食える粒と固い未熟な粒がまじっているので収穫も面倒。
 
今年はリンゴも柿も近年まれな大豊作で、天変地異の前触れ?と警戒してしまう。
ところがアメリカシロシトリもかってないほど異常繁殖して、柿とリンゴの果実は青いまま葉っぱが枯れはじめた。酢酸などの自然由来の薬液では駆除できないらしい。
リンゴと柿の葉っぱは枯れて無残な状態
 
収穫がてら剪定バサミでアメリカシロシトリを摘まんで排除すること2週間、どうやらブドウだけは守りきれた。
 
ちょっとくらいの食害ならいいが、我が世の春とばかりにモシャモシャと葉っぱを食い尽くす了見が気に入らないのだ。産めよ増やせと全部食っちゃったら身の破滅ないのにねぇ。
 
人類の行く末を観る思いとまでいうと大袈裟か。
 
 

失敗した数だけ上手になりますナ・・・縄文オカリナ

2024年08月29日 16時04分04秒 | 縄文
京都の「民族楽器コイズミ」から、人気商品に育った縄文オカリナの在庫がないから大至急送ってほしいと連絡。ヒ~!
以前から気になっていたステンレス製バーベキューコンロを新調して焼成したら、その日のうちに紐付けとパッキングまでできた最速の焼成に成功!
鉄板付きのバーベキューコンロだったので、左右においた炭の間にオカリナをおき、鉄板をかぶせて熱が逃げないように炙り焼きしたことが時短の理由だ。コメリで最後のコンロだったのでちょっと値引きしてくれた。
オカリナが均一に焼き色がついたら鉄板をはずして通常の焼成。急激な温度上昇でオカリナを爆裂させないように時間をかけて炭を寄せていく。最初から最後まで藁などで覆う弥生時代の「覆い焼き」とはちがい、炙り焼き段階だけなので縄文オカリナと言っていいと思うw
風の影響を受けないのがよく、今回は様子見だったので次回はもっと時短できそうだ。
土器つくりは数をこなさないとダメで、年に数回しかしない仕事でも、やるたびに改善している。造形の面でも目の横棒をひいてから丸くする方法から、丸くしてから横棒を引いたほうが歪みの修正が少ないようだ。
 
 
 

顔に扇風機あてるより帽子をかぶりましょうよ・・・熱中症対策

2024年08月28日 07時51分20秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
炎天下を帽子もかぶらず顔に扇風機をあてながら歩いている高校生がいたけど、顔だけ涼しく感じるより、涼しくなる帽子をかぶることを薦めたい。
ベトナムにて
話題のアルミのメッシュ帽子を買って屋外作業でかぶってみたけど、蒸れるので風通しがいい菅傘の方がよほどに快適だった。
おなじくベトナム・・・フエだったかな。
 
かぶりものも地域によって様々で、ベトナムでは菅傘が愛用されているのに、タイから西は木綿布を頭に巻く方式がこのまれていて、汗だくの肉体労働者も愛用していた。
この子供の巻き方は特殊で、ふつうは額をおおって後頭部で縛り、あまった部分を首筋に垂らす方式。
 
インドの兵隊もヘルメットの下に薄いバスタオルで同じ巻き方をしていて、額の汗留めになるから私も菅傘の下に手ぬぐいで同じ巻き方をしている。日本でも職人さんがよくやっているが、緑色のもっと大きくて薄い木綿タオルで見た目はターバンに近い。
南インドの肉体労働者は頭上運搬用のヘルメットをかぶっていたが、一回しかみたことはないw
 
日中最高気温が30℃前後だった昭和30年代までの日本映画には、男は当たり前に帽子をかぶり、女は日傘をさしている場面が出てくるが、そのうちに復活するかも。
 
 
 

白いご飯がご馳走だった時代・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年08月26日 06時59分50秒 | 民俗学ごっこ
ある日突然に昔の冠婚葬祭では、白いご飯が特別なご馳走だったと気付いた。
通常の四つ脚膳(正式名称は宗和膳)より二回りほど小さく、脚の下部がつながって窓あきになったタイプの用途がわからなかったのだが、正体は飯ビツ専用の膳ではないか?
 
戦前の日本では白米が食えない、あるいは食ったことのない庶民は多く、麦めしや大根めしに代表される雑穀・豆・野菜で増量したカテ飯が常食だった。
 
臨終の枕頭で米をいれた竹筒をシャカシャカとふって「白マンマだぞう!」と聴かせ、安らかに逝かせる風習もあった。
 
そんな庶民にとって冠婚葬祭で椀飯振舞い(おうばんぶるまい)される白マンマ・銀シャリは特別なご馳走であったに違いなく、だからこそ飯ビツは畳のうえに直置きせず、わざわざ専用の膳に鎮座させていたのではないか?
 
地元の人でさえ用途がわからなくなっていた輪島漆器であっても、7ヶ月も付き合っていると断片的な情報と情報がつながって気付きになる。
ご飯を粗末にしちゃバチがあたりますナ。
 
 
 

わたしがヒスイ以外でも勾玉をつくる訳・・・「能登之神」無斑晶質安山岩製 古代風勾玉連珠

2024年08月24日 08時01分55秒 | ぬなかわヒスイ工房
ぬなかわヒスイ工房謹製 無斑晶質安山岩製「能登之神」古代風勾玉連珠でございます。
お客さんはいいヒスイをやすく買いたいのだから、勾玉なんて手間暇かけずつくって桐箱に収めれば、イビツだろうと傷が残ってても売れるよと、初心者のころに先達からよくアドバイスされていた・・・う~む
いまもよく見聞きするのが、不老不死の神秘の霊石とうやうやしい謳い文句でパワーストーン扱いすれば、稚拙な勾玉でも高値で売買されるという現実。
糸魚川の土産物屋で1万円で売っている安っぽい勾玉であっても、霊能者の先生が「名人が製作した特別なヒスイの勾玉」として売れば、20万でありがたいと買う人もいて、鑑定を頼まれるとヒスイでないものも多いし、わたしの作品展で見せられた場合はリメイクを頼まれたりする。
 
もっとすごいのはプラスチック製の勾玉であっても、「すごいパワー」と謳えば3万円で飛ぶように売れるそうだ。
 
作品の完成度とは関係なく、素材の希少価値や謳い文句次第で儲かるという考え方の圏外に、わたしはいる。
それならばヒスイでない石でつくった勾玉が売れるようになれば、技術を評価されたことになると思うから、無斑晶質安山岩の勾玉もつくっちゃうのだ。
 
こういった連珠が売れないうちは、未熟な中級者ということ。
 
 
 

カンボジアのスコールの過ごし方・・・短時間記録的豪雨のニュースで思うこと

2024年08月23日 07時24分45秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
都内の短時間記録的ゲリラ雷雨で、豪雨のなかを自転車で走っているニュース映像をみたが、あんまりすごい雨なら雨宿りしてはどうだろうか。
カンボジアのスコール時は雨宿りタイムとなり、時間がとまったようになる。
 
同じ豪雨でもカンボジアは10分前後でウソのように快晴になるのだけど、自然に合わせる生活スタイルと、約束や時間を優先した生活スタイルの違いですねぇ。
 
子供のころの愛読書の「サバイバル入門」には、雷鳴が聞こえたら車内か屋内への避難が原則だが、高い低いに関係なく、電位差により電気を通しやすい物に雷が落ちやすいので、樹木より人体の方が雷が落ちやすいのだそうだ。
 
電位差の説明として、たとえば全身が金属でおおわれた西洋の鎧兜を着ていれば「等電位」となるので、雷に直撃されても電気が地面にアースされて安全と書いてあった・・・試すのは怖いネw
 
 
 

大災害の時に見直される「柔」の生活スタイル・・・猛暑の過ごし方をインド人に学ぶ

2024年08月21日 07時21分30秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
日中最高気温が40℃に迫る日本は、南国の生活スタイルに学ぶことも必要ではないかと思う。
 
拙宅はエアコンはあっても使わず、窓をあけて扇風機で涼む生活なのだが、何十年ぶりかに昔のインド旅で買ったルンギ(直訳すると布地)なる腰巻で寝たら快適だった。
インドの男は金持ちであっても自宅ではルンギ姿で寛ぐが、バックパッカーにとってはエアコンがきつい映画館や長距離バスでは防寒、日除け、風呂敷、蚊よけになるから旅の必需品で、これはそのままサバイバルグッズ。
腰かけているのは筏の漁船。紐で縛ってあるだけなので分解しやすいのね。
東南アジアではサロンやバティックという名前だが、どこの国でも平織の薄い布地だからすぐに乾き、バスタオルかわりにも使われている。
とある南インドの漁師たちは開襟シャツを着ているが共通のオシャレなのかも。一般的にはランニングシャツか裸が多い。
 
昼寝はむろん、日になんども水浴びをして体を冷やし、早寝早起きする習慣は、南国の旅で身に付いた。
 
高断熱・高気密の住宅でエアコンで快適さを求める生活スタイルを「剛」とすれば、昔ながらに自然環境に寄り添って暮らす生活スタイルは「柔」といえる。大災害でインフラがストップした時こそ、「柔」の生活スタイルが復活してくる。
それにしても漁師の足の親指の逞しさに注目して欲しい。漁民の人生を物語る足の親指に惚れ惚れする。
 
 

琴ケ浜の贈り物「能登之神」・・・門前町の無斑晶質安山岩で石笛をつくった

2024年08月20日 07時03分08秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
崩落した門前町琴ケ浜の溶岩ドームの柱状節理は、無斑晶質安山岩の岩塊と石灰岩質の泥岩がまじっているらしい。
溶岩ドームの下でひろった無斑晶質安山岩で石笛をつくったが、おそらく鉱物では誰もやっていない加工をして、シットリ感のある漆黒に近い半艶に仕上げてみた。
縄文風の意匠と親和性があるが、打製石器の石包丁をつくったり火打石にもなるから、門前町にお金が落ちるプレゼンをしている。ジオツーリズムで地域振興できる可能性があるのだ。
能登を見守る「能登之神」と銘打った連作にして、地元の人に見せたら「あの石ころがこんなに綺麗になるの?」と驚かれた。
輪島漆器もそうだけど、不用品も視点をかえればお宝になると教えるのが愉しい。
 
 

仮設住宅のオアシス・・・被災者の孤独死や孤立をふせぐ支援を

2024年08月19日 07時06分59秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
門前町の仮設団地で遮熱シートの実証実験をさせてもらった時、区長さんからエアコンのある談話室(集会所)で休憩する便宜をはかってもらった。
仮設住居の電気・水道・ガス代は自腹だが、談話室だけは県の費用負担なので、お年寄りたちは暑い日中を過ごしていた。来訪者との談話などにも利用されている。
 
しかし名舟地区では狭い敷地に仮設住宅が密集しているからか、談話室はなかったようだ。
孤立や孤独死をふせぐためにも談話室は大事。
 
ちなみにエアコン以外にはなにもないプレハブなので、テレビ・冷蔵庫・座布団・椅子などは、地元ボランティア「Sun Rize」の田谷親分が集めて寄付したそう。
 
 
 

仮設団地を巡回する移動販売車・・・集団移転を推進する財務省と大本営の類似

2024年08月18日 07時21分12秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
「御陣乗太鼓」で有名な名舟地区の仮設団地を訪れた
上杉謙信公のおひざ元からやってきたボランティアです!先祖は家臣でした!と自己紹介すると名舟の人は苦笑いする
 
区長さんを探して話していたら移動販売車が巡回してきた。
仮設団地は胸をつく急坂の上にあるし、付近の商店は軒並み全壊して閉店しているから、車を運転しない人にとって文字通りのライフラインで、手押し車にすがったお婆ちゃんたちがノロノロと集まってきた。ちなみに買い物ができる輪島市街地まで車で30分弱の距離。
 
財務省は過疎地の復興に巨額予算はかかられないので集団移転をしろという。現場をみたのか?被災者に会って窮状を聞いた上でいっているのか?
発災時そのままの奥津姫神社。仮設に全壊した寺院のご住職もいらして、今後の見通しがまったく立たないと力なく笑っていた。
戦地の実情もしらない大本営が、理不尽で非合理的な作戦を立案しては多くの将兵が犠牲になっていった史実と重なってみえる。