縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「小さな糸魚川ヒスイ原石館」・・・全国から鉱物好きが集う私設ミュージアム

2014年12月29日 08時15分17秒 | ぬなかわヒスイ工房

 

 

高校の美術部時代の麻績先輩は、今でも糸魚川の石や海を画材にして絵を描き続けている。

これまでは名前も知らない雑多な石を描いていたが、画材としてヒスイ原石も欲しいというので「ぬなかわヒスイ工房」に遊びに来てくれた。

 

何十万円もするヒスイ原石を手にする麻績先輩は、高校時代から変わらぬナイスガイ。穏やかで優しい先輩だった。

 

工房に訪れてくれた人には、長者ケ原遺跡や親不知を案内する事が多いが、原石が欲しい人には近所にある「小さな糸魚川ヒスイ原石館」へご案内。

ここはヒスイ好きの吉田雅紀さんがサラリーマン時代から集めた各種の鉱物を展示した私設のミュージアム。

右が館長の吉田さん。こんな雰囲気でコーヒーを飲みながらヒスイ談義ができる。

 

定年後に自宅ガレージを改装してオープンして、今や全国から鉱物マニアが集まる情報交換の場となっているのだ。

もちろんヒスイ職人さんも集まる憩いの場。

初対面のお客さん同士が拾った石の鑑定をし合ったり、売買も出来るので糸魚川名所の一つとなっている。

 

値段が付いている原石は購入可能。加工用に購入するならプレートになった原石がお勧め。

ショーウインドウの中には、ヒスイを始めとした糸魚川の石のコレクション。

 

入館料200円でコーヒーのサービス付き。

糸魚川市中央2-13-11(℡025-552-3621)

木・金・土日の10時~17時まで営業。

糸魚川駅から徒歩10分ほどなので、糸魚川市に遊びに来るならお一見の価値ありますよ。

 

 

 


取材受けるなら紙媒体マスコミ!・・・「ささら」に紹介されました。

2014年12月27日 17時41分37秒 | ぬなかわヒスイ工房

 

 

縄文時代にヒスイが青森まで運ばれた「海のヒスイ・ロード」の検証がライフワークで、日本海縄文カヌープロジェクトという活動をしている。

そんな訳でマスコミ取材を受ける事も多いが、TVマスコミはローカルなら問題ないのだけど、メジャーはコリゴリしている。

 

日曜ゴールデンタイムの有名番組の場合は最悪。

時間を作って取材協力しても報われたことはないし、実際にコンタクトしてくるのは下請け製作会社の若い衆だから、礼節というものを知らないのだ。

忙しいのは理解できるが、会った事の無い人物へ「取り急ぎ下記携帯までお電話下さい。」と一方的にメールしてくる神経は理解できん。

こっちは用が無いのだから、用がある方から電話してくるのが社会人としての料簡だろう。

取材内容がボツになっても連絡は無いし、情報源を紹介しても礼を言われたことも無い。

 

下請け会社の若い衆は消耗品扱いだから、人材が育たないのかな。

某有名番組の取材中に上司からボロクソに怒鳴られて、泣きそうになっている若い女性取材者を観た時は、流石にいたたまれなくなった。

聞けば就業時間は不規則で徹夜も多く、パワハラは日常茶飯事との事。

後でこっそり「早く転職しなさいよ」と助言した。

ゴールデンタイムのバラエティ番組だったが、現場の若い衆は使い捨て扱いなのだ。

 

「ささら」1月号・・・上越地方のお店などに置いてあります。

 

そこへ行くってえと紙媒体の取材記者はいい。

新聞であろうと雑誌であろうと、概ね取材時間は2~3時間程度。

ブログや出版物などで事前調査もしてある事が多いので、話が早いし着眼点が的確。

そして短い文章の中で端的表現の記事にする職人芸には、何時もながら関心する。

だから記事になった後でも友達付き合いになる事が多い。

 

今回は、上越市のフリーペーパー「ささら」の「ものつくり探訪」に、ぬなかわヒスイ工房の紹介記事が出た。

縄文人(見習い)としてなら数えきれないほど取材は受けたが、ヒスイ職人としての取材は初めて。

取材は野本記者。

糸魚川市寺町出身とのことなので、俺の後輩である。

身贔屓だけではなく、よく纏めたもんだと感心。

 

 

 

 

 


水戸黄門の真実!・・・本当は越後の縮問屋?

2014年12月25日 23時02分56秒 | 民俗学ごっこ

 

「雪に糸となし、雪中に織り、雪中に洒ぎ、雪上に曝す、

雪ありて縮あり、雪と人と気力相半して名産の名あり、

魚沼郡の雪は縮の親といふべし」

 

何度読んでも名文だと感心するのは、江戸時代中期のベストセラー「北越雪譜」(ホクエツセップ)である。

著者は現在の新潟県南魚沼市塩沢の縮問屋の隠居だった鈴木牧之(スズキボクシ)。

「鈴木牧之記念館」の牧之坐像。

 

当時の商人の旦那衆といえば算盤勘定だけではなく、花鳥風月に通じる風流人であり、書画や詩歌に長けた文化人が多かった。

芭蕉や一茶などの俳人が、旅に出られたのも彼らを庇護した牧之のような旦那衆が各地にいたればこそ。

そんな旦那衆の中でも牧之は画才と文才が跳びぬけた上に好奇心旺盛だったようで、主に中越地方の雪国の暮らしや伝聞を書き残して出版されたのが北越雪譜である。

牧之が北越雪譜に描き残した雪の結晶。虫眼鏡で観察したらしいが、知的好奇心が旺盛で幾何学にも通じて抜群に絵が上手かった事が解る。

鈴木牧之記念館を訪れた十二月の南魚沼は、一晩で70㎝の雪が降った。

 

北越雪譜は現在人が読んでも面白い・・・まるでお伽話のようだ。

例えば得体の知れない雪男?に焼き飯をあげたお礼に荷物を運んで貰った話や、雪山で沢に落ちた男が冬眠中の熊に助けられた話等々。

 

今時のテレビ番組ならお笑いタレントに茶化されて終わってしまうような内容でも、著者の牧之や当時の読者達は、そんな馬鹿な話があるもんか!と一笑しないどころか、それら伝聞や逸話を「世の中には不思議な事もあるもんだ」と素直に受け入れている態度が素晴らしい。

こういった態度こそ文化的だろう。

ましてや牧之の温かい眼差しに加えて、踊るような名文であるから何度読んでも面白い。

 

さて、水戸黄門問題である。

諸国漫遊する「越後の縮緬問屋の隠居」は水戸黄門の世を忍ぶ仮の姿で、本当は先の副将軍、水戸光圀公であらされる。

しかし、果たして越後のどこに縮緬問屋があるのだ?と子供の頃から疑問に思っていたのだ。

縮緬といえば京都の丹後縮緬が有名なんだが・・・。

調べてみたら、現在は上越市となった越後高田は江戸時代の縮緬産地だったようなので、水戸黄門の身分詐称(笑)はあながち間違いではないようだ。

 

しかしわざわざ「越後の・・・」と偽っているのだから、高田縮緬よりもっとメジャーな越後上布と小千谷縮のほうが通りはいいように思うのである。

越後上布は上杉謙信の重要な貿易品で、佐渡の金山と並ぶ軍資金の財源だったくらいだから、室町時代からの高級ブランド品。

老婆心ながら、縮緬問屋より縮問屋か上布問屋のほうがリアリティがあるのではないだろうか????

 

高田と言えば初代藩主は、徳川家康の六男にして伊達正宗の娘婿の松平忠輝だ。

松平忠輝は家康から冷遇されて、若くして改易されて幽閉の身となった不遇の大名。

忠輝と水戸光圀は同時代に生きていたので、「越後の縮緬問屋」というのは忠輝関連の深い意味が隠されているのだろうか?

 

牧之は縮問屋の旦那だから、商いで江戸に出向く度に江戸の文化人たちと交流を深めていったようだが、隠居した後には商売抜きで長野県と新潟県の境にある秋山郷を探訪しており、後に「秋山紀行」を書き残している。

諸国漫遊の縮問屋の隠居が実在しているので、こっちのほうがリアリティーがあるのでは?というのが俺の水戸黄門問題である。

鈴木牧之記念館の近くに「塩沢つむぎ記念館」に寄った時に、長年の胸の閊えに溜飲が降りた・・・大袈裟な(笑)

塩沢つむぎ記念館の二階では、イザり機の実演もしている。越後上布は国指定民俗無形文化財なので、昔ながらのイザリ機で織る事の他に芋麻(チョマ・イラクサ科の麻の一種・ラミー)を手うみした糸を使用するなど様々な決め事を守らなければならないのである。ただし、実演用はデリケートで高価な国産手うみの芋麻ではなく、工業製品の輸入ラミーを使用しているとの事。

 

塩沢つむぎ記念館の館長に水戸黄門問題を尋ねたら、「水戸黄門は、脚本家が縮問屋を間違えて縮緬問屋っていってるんですよう!」と笑っていた。

ただ本当に脚本家が間違えたのか?

それともチヂミよりチリメンのほうがゴロがいいので間違いを承知で縮緬問屋としたのか?

もしくは訳ありの高田縮緬の問屋という設定であったのか?

以上三つの内のどれが真実なのかは不明なままだ。

ネット検索したら、江戸市中には「越後屋」・・・三越の前身ですな・・・という屋号が多く、耳馴染が良い事や、実際に水戸光圀は越後縮緬を愛用していたからという説もあった。

どうする水戸黄門問題・・・誰か教えて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


雪深い鄙の郷から文化発信・・・十日町ミティーラ美術館

2014年12月21日 09時12分08秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

 

15年振りくらいに十日町にある「ミティーラ美術館」を訪問。

この美術館は、インドのビハール州ミティーラ地方の民家の外壁に描かれた壁画をコレクションした世界唯一の個人経営の美術館。

本来は壁画なのだけど、オーナーの長谷川さんがその芸術性に着目して、ミティーラから画工を招いて絵を描かせたのである。

板を張った木枠にモルタルを仕上げした上に壁画を描かせたり、長谷川さんのアイデアで紙に描かせたり、画材やタイトルを様々にプロデュースして、それまで人に知られていなかったミティーラ美術を世に出したのである。

ミティーラ地方は壁画だけでなく、テラコッタも有名。よく地震で倒壊しなかったもんだ。

オーナーの長谷川さん。浅草橋出身の江戸っ子で、元はミュージシャンだから相変わらずダンディー。

 

久し振りに訪れる美術館は、雪に埋もれていた。

12月のミティーラ美術館は、訪れる人も少ない白一色のモノトーンの世界・・・廃校を利用しているので、アプローチへの除雪は個人負担。

 

中越地震で相当に揺れたそうだが、個人経営の美術館では修復も大変ということもあり、記念碑の意味を込めて事務室の壊れた壁画はそのままにしているそうだ。

地震で崩れた壁画が長谷川さんの頭を直撃して、危機一髪だったそうだ。

 

景気が悪くなってから行政からの助成金も無くなり、かってのように各地で巡回展覧会を開くことは無くなったそうで、来客時以外は無人である。

俺は巡回美術館のボランティアをしていたことがあるので、寂しい限り。

当時はインド人の画工や、長谷川さん一家とボランティアスタッフが寝泊まりしていて、お祭り騒ぎの日々だったのだ。

しかし不景気だの行政支援がないといっても、長谷川さんは意気軒昂だ。

鄙びた山村に、わざわざ長谷川さんに会うためにインド大使やインドの財界人が訪ねてくるのだ。

今や長谷川さんは、対インド貿易のキーマンとして財政界の注目を集めている文化大使。

雪深い越後の田舎から文化を発信する熱い男!

格好いいねえ。

 

 


弱え~モンの味方集合!・・・社民党副党首福島みずほさんと語る

2014年12月17日 00時13分47秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

 

 俺は特定の宗教を持たない。

あえて挙げれば縄文アミニズム的な宗教観を持っている。

特定の政治活動もしていないし、支持政党もない。

好きな噺家のひとり、故林家彦六師匠はイデオロギーは別として、共産党を支持していたそうだ。

支持の理由は、師匠が住む有名な稲荷町のオンボロ長屋のドブ板が腐って危険になった。

ドブ板の修繕を台東区に掛け合ったがたらい回しで埒があかず、都議に掛け合ったら相手になってくれたのは共産党の都議だけだったそうで、それ以来「共産党は弱え~モンの味方だあ。これこそ江戸っ子の料簡ぢゃねえか!」と弟子に言っていたらしい。

弟子とは先代の林家木久蔵(現木久翁)で、今でも彦六師匠の物真似をしたこの由来譚は、高座の定番ネタである。

弱え~モンの味方・江戸っ子の料簡・・・こんなシンプルなモノの観方もいいなあ、と思う。

直接会って話をして「弱え~モンの味方」と感じたのは、泉田県知事と社民党副党首の福島みずほさんだ。

12月16日に上越市のホテルハイマートで開催された「福島みずほさんと新しい社会を語ろう」という会にゲストとして参加。

福島みずほさん・・・社民党の前党首である。

左端から福島みずほさん。

・東京でのオペラ歌手生活からUターン帰郷して糸魚川市能生町の実家のラーメン屋を継いだ渡辺直人さん(朝日楼)。

・偉そうにマイクを握っているのが「日本海縄文カヌープロジェクト」の山田修さんこと俺。

・十日町で俺の大好きな民族映像研究所の記録映画の上映会をしている門脇洋子さん(市民活動ネットワーク ひとサポ)。

・上越市で脱原発市民活動をしている橋本桂子さん(みんなで決める会)。

・上越市で有機農業をしている天明伸浩さん(星の谷ファーム)。

いずれのゲストも上越近隣で市民活動をしている人々で、分野は違っても弱え~モンの味方・・・かなあ???

天明さんと門脇さん以外は初対面だったが、全員すぐに意気投合して会は和やかに進行。

手前が「歌うラーメン屋」の渡辺さん。朝日楼は糸魚川で有名なラーメン屋さんで、渡辺さんとは高校の5年先輩でもあり意気投合。

 

来場者からの質疑応答で原発事故についての発言を求められ、俺は「3・11は原子力から原始力への転換点!」という発言をしたら、パチパチと中手が来た!

中手(なかで)とは、寄席の用語で噺の途中で拍手が来ることである。

俺の持ち時間は独自の縄文文化論を展開したが、話の内容はともかく、聴衆から笑い声が上がって食いついていたのが解ったので取敢えずは受けたようだ。

落語好きの性分というヤツで、楽しんでさえもらえればヨシとするのが俺流である。

福島さんが発言する際、俺の方を観て「山田さんから縄文のお話がありましたが・・・」と縄文文化論を巧みに取り入れた尖閣問題や基地問題のお話し。

端的で解りやすい政談は流石。

ヒスイの仕事中はラジオを聴いているが、国会中継の時に自然に耳に入ってくるのは、共産党の志位委員長と福島さん。

演説が上手い政治家なんですなあ、

後から福島さんから縄文の世界観が面白ろかった固く握手されたし、他のゲストや聴衆からも縄文の事を色々と聞かれた。

社民党副党首と記念撮影!サービス精神旺盛な政治家はこんな時のリアクションに慣れたもんで、一本取られた格好だ。

彼女は打上げの時も食事にほとんど手を付けずに、まんべんなく席を歩き回って参加者の話を聞いていた。

全国を飛び回ってお疲れだろうに、政治家って大変である。

 

泉田県知事もそうだったが、福島さんもオンとオフのふり幅が広い人。

ブラウン管の向こうの泉田知事も福島さんも理路整然と毅然とした姿だが、会ってみると気さくなごく普通の人。

政治家には先生と呼ぶのが礼儀だが、福島さんは先生無しでもフランクに話せる人だったし、視座が庶民的で人情味が本物である事を感じて個人的なファンになった。

つまり人間的な魅力のある政治家ですな。

党派とは無関係に、彼女は弱え~モンの味方であることは間違えねえ。

今回も色んな出会いがあったし、色んな所からお呼びがかかる予感がする・・・世界が広がっていいこった。

 

 

 

 

 


列車ホテルへようこそ!・・・サバイバルには強いが寒さには弱い男

2014年12月15日 22時08分40秒 | サバイバル

 

「列車ホテル」という鉄道用語があるらしい。

鉄道マニアに友人に聞いたら知らなかったくらい滅多に使われない用語のようだが、俺は体験してしまったのだ。

滅多に乗らない鉄道での旅の帰り、新潟は大雪。

俺が乗車したのは糸魚川駅の一つ手前の直江津駅・・・時間にして1時間弱の距離である。

大雪警報が出たが国道は混雑もしていなかったのでタカを括っていたら、JR線は直江津~糸魚川間で落雷が原因で電気系統が故障、特急列車が途中で立ち往生して復旧の見込みが立たないとのこと。

復旧に何時間かかるかわからないので、特急列車に乗車して待機することになった。

糸魚川に帰るには、もうバスもない時間である。

二時間待機した深夜になってから、「本日、落雷が原因の故障個所の復旧の見込みが立ちませんので、復旧まで列車ホテルをご利用下さい。」とのアナウンス。

列車ホテルとは初めて聞く鉄道用語だが、要するに復旧するまで列車内で寝ていて下さいという意味らしい。

こんな時の日本人は聞き分けがいい。

乗客たちは、籠城に備えて週刊誌や飲み物を買い込んで、思い思いに寝る態勢に入った。

俺が普段持ち歩いているバックには、耳栓・アイマスク・歯ブラシ・本・サバイバルナイフ・ヘッドランプ・火打石などを常備してある。

ズボンの尻ポケットにはハンカチではなく日本手拭が入っている。

ハンカチより手拭いのほうが多用途に使え、旅先で温泉に入る事になった時も海岸でヒスイを見付けた時も包んで持ち帰ったりと大活躍するのだ。

列車ホテルが決定したら、早速歯を磨いて熟睡態勢に入ったが、寒くて真夜中に起きてしまった。

他の人はスヤスヤ寝ているみたい・・・俺は好奇心が強くて色んな所に旅に行くけど、最近は寒い所は苦手なのだと自覚するようになった。

停電で運休といっても、幸いな事に俺が泊まった列車ホテルは直江津駅構内だったので電気は使えて暖房もそれなりだったが、立ち往生していた列車内は暖房が使えたのだろうか?

列車ホテルといっても毛布の貸し出しがあるわけでもなく、缶入りのデニッシュ(菓子パン)が配られただけである。

 

ニュース映像で観る、災害で運休した列車内や飛行機内で待機する人々・・・自分が同じ境遇になるとは

ちょっと大人になった気分(笑)

 

 

 


どうだ参ったか!の超小型勾玉・・・薬石編

2014年12月12日 12時56分48秒 | ぬなかわヒスイ工房

 

超小型のヒスイ勾玉のピアス作って、ぬなかわヒスイ工房オンラインショップにアップしたら即日完売。

フェイスブックにアップしても評判は上々。

こんな時はお調子者の本領発揮・・・調子に乗ったぞう!

で、こんなの作った。

 
どうだ参たか!の極小勾玉ピアス。
 
 素材は姫川薬石と呼ばれる人気の石で、この場合は流紋岩である。
 
 
何時も細かい部品を買っているパーツ屋のおやっさんに見せたら、「こんな小さいの、いってえ、どうやって作ったのぉ?!」ってびっくりしてた。
 
おやっさんは海千山千の加工のプロでもあるのだ。
 
ムフフフ・・・企業秘密だ。
 
ただでさえ苦心して開発したデザインをパクる奴がいるのだよ明智君・・・古いですなあ。
 
 
赤いビーズはカーネリアンという石。
 
真鍮の針金細工も自作である。
 
残念なことに、勾玉が小さ過ぎてせっかくの綺麗な流紋が鮮明に見えない・・・反省点ではある。
 
パーツ屋のおやっさんに「幾らで売れると思う?」って聞いたら、「二千円じゃねえかあ。」だって
 
そんなに安けりゃ、俺が買って売るよ(泣き)
 
 
 
 
 
 
 

民族楽器の殿堂「コイズミ」さんで石笛販売開始!・・・苦節二年幾星霜我欣喜雀躍也

2014年12月10日 23時07分23秒 | ぬなかわヒスイ工房

 

 

ぬなかわヒスイ工房を作って2年目の冬。

ヒスイ工房としては勾玉も作るが、昔からの民族楽器好きという事もあって石笛作りにも力を入れている。

石笛(イワブエ)は、縄文時代の遺跡から30例前後の出土品が認められている石製の笛の一種である。

磐笛とも岩笛とも表記されることがある。

現在も古神道で祝詞の最初と最後に吹かれたり、招魂や鎮魂、昇魂などの儀式に使われている祭器である事から、縄文時代もマツリに使用されてきたと推測されている。

孔のあいた石に息を吹き込むと、ピイイイイーという鋭くも物悲しげな音がするが、名人上手になると演奏までできてしまう位に奥深い楽器。

神職さんやプロの演奏家の他に、個人的に石笛を趣味とする人たちも少なくは無い。

元から興味のあった事だし、縄文文化と民俗学、民族楽器の師匠である和光大学の関根秀樹先生や、石笛作りをしていく内に知遇を得た石笛演奏家達からもアドバイスを受けて作り続けていたら、石笛職人みたいになってきた。

一般的なヒスイ職人さんが佳しとする石笛が、民族楽器研究家やプロの演奏家の評価とは一致せず、まったく別次元の石笛が求められていたことに我が意を得たりと、独自開発をコツコツと続けてきたのである。

 

そしてこの12月から、民族楽器店として超有名な京都の「民族楽器コイズミ」さんでの石笛販売が始まった・・・苦節二年幾星霜我欣喜雀躍也!

「民族楽器コイズミ」さんの店舗は、本能寺すぐ近くの寺町のアーケード街にあり、観光客も立ち寄る京都名所の一つ。
 〒604-8091 京都市中京区寺町御池下がる 518番地 TEL:075-231-3052 
下記URLのオンラインショップで通販もして貰える事になった。
http://www.koizumigakki.com/?tid=5&mode=f4 
コイズミさんと言えば、民族楽器好きなら一度は訪れてみたい民族楽器の殿堂みたいな所。
店内にはオーケストラ用の楽器から100円で買える素朴な民族楽器まで所狭しと並ぶ、まさしく民族楽器博物館。
多くの展示品は実際に演奏することもできるし、一体どうやって音を出すのか解らないような民族楽器も、店員さんが優しく教えてくれます!
コイズミさん用に作った石笛達・・・左上はシャレで入れたモアイ形の土笛(笑)。
誰の真似もしていないオリジナル開発した石笛ばかりである。
これまで販売店舗を持たないオンラインショップのみの販売だったので、常設の店舗販売は夢のよう。
しかも世界中の民族楽器の仲間入り!・・・嬉しい限り。
私の石笛を持つコイズミ店長。
将来的には、石笛演奏動画を撮影したり、ワークショップも実現したいとのご要望。
動画撮影とワークショップは、私より適任の守山鷲声さんを紹介した。
守山鷲声さんは、敬愛の念を込めて「石笛仙人」と呼ばせて貰っている石笛演奏家で、私が作った縄文時代のレプリカ石笛で「ねんねんころりよ」なんかも演奏できちゃう凄い人なのだ。
ぬなかわヒスイ工房の石笛は、鷲声さんの辛口アドバイスで格段に進化できたし、コイズミさんとの縁も鷲声さんから繋いで頂けた恩人である。
なんと、店内で高価な口琴やオカリナ、笛などが並ぶガラスケースの一等地に石笛が置かれた!
ちょっとビックリ。
 
京都には、毎月末に整体協会の稽古会に参加するために訪れているので、アンテナショップとして最適である。
店舗販売を初めてすぐに縄文石笛のレプリカが売れた・・・頑張っちゃう!
 
 
 
 

ユニークな活動をしている人々の集いに呼ばれたっちゃ・・・何故か糸魚川弁

2014年12月04日 09時28分05秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

 

知人の市議会議員から、隣の上越市で開催されるシンポジュームのパネルディスカッションに出て欲しいと頼まれた。

社民党関係の主催といっても、オラは無党派。

あえていえば縄文原始力党だな。

ゲスト参加者には糸魚川関係者がいないので、糸魚川の議員さんが糸魚川からもゲスト出さんならんという事になったらしい。

オラが糸魚川代表・・・しょうしくっれたい!(恥ずかしいの糸魚川弁)

関係ないけんども、糸魚川弁の「しょうしい」は、笑止千万の笑止が語源のような気がする。

ご存じの片、教えてくんない。何故か今日は糸魚川弁で文章を書きたいっちゃ。

参加メンバーの顔触れを見たら、テレビや新聞などで一度はみたことのある人ばかりで恐縮。

「日本海縄文カヌープロジェクト」の山田 修さんっちゃ、オラの事。

農家の天明さんは、上越市大潟区にある「朝日池総合農場」で研修を受けた先輩である。つまり兄弟子ですな。

朝日池総合農場での研修中は、直売所のお客さんから「テレビ見たよ~!」なんてよく言われとった。

ヒゲ・短髪・眼鏡という共通のルックスから、天明さんと間違われっとんだわ。


会ったことないケン、十日町市の門脇洋子さんは、敬愛する民俗学者の姫田忠義先生の記録映画の上映会をやっとる人らしい。

オレが都会に住んどった時には、姫田先生の民族文化映像研究所によく通っとった。

丁度、友達から12月の姫田作品の上映会に誘われていたのである。

糸魚川では民俗学を共に語り合える知人がまだおらんので、門脇さんとは何時か会って話がしてみたいと思っておった所。

神奈川県藤沢市からUターン帰郷して五年目・・・やっとネットワークが出来て来たって事か。

近くの人、お暇なら来てくんないっちゃ!

 

 


OCNブログから引越してきました。

2014年12月03日 10時28分43秒 | ぬなかわヒスイ工房

エキサイトブログ、OCNブログを経て、gooブログに引越してきました。

タイトルは変わらず「縄文人(見習い)の糸魚川発!」です。

仕事は新潟県糸魚川市でヒスイ加工販売をしておりますが、人の真似をしたくないので作品はオリジナル開発したものばかり。

ヒスイの勾玉も作りますが、超小型勾玉なんかも作っています。

五円玉に乗ってしまう超小型勾玉のピアス。

いくら評判がよくても、これだけ小さいと色々と工夫しても爪が削れて量産できないのが哀しい処。

デザインを真似されることもありますが、こんな小さい勾玉を作るのは大変なので簡単には真似できないだろうという自負を持っています。

 

私の自宅は、古墳時代の玉造り集団であったと推測されている奴奈川族(ぬなかわぞく)の勾玉工房の上に建っています。

私が誕生するちょうど一年前の同じ日、母が敷地内で勾玉を拾いましたが、後日本格的な発掘調査がされて、「笛吹田遺跡」と命名されました。

その時に発掘にたずさわったのは、郷土史家として有名な土田孝雄先生、世界的な縄文文化研究家の小林達雄先生など。

当時小学生だった私は、大先生達に混じって発掘調査をお手伝い(邪魔ともいう)をさせて頂いたので、すっかり考古学が好きになってしまいました。

そして千七百年の時を経て、同じ場所に奴奈川族の玉造り工房を復活させたのが、私の「ぬなかわヒスイ工房」です。

今後ともよろしくお願い致します。