知人からシーカヤック二杯もらい受けることになった。
二隻と言わずに二杯というところが、俺って只者ではない所に気が付く人いるかなぁ~?
アメリカのSEDA社製のSWIFT(全長5.2m)とVIKING(全長5m)だ。
SWIFT君は名前の通りいかにも速そうな、笹の葉のようなスマートな艇体だ。ボリュームが絞ってありロッカーがきついので、波のある海域での1週間程度のツーリングに向きそうだ。
VIKING君はボリュームがあるズングリした艇体でロッカーも緩いので、荷物を沢山積んだノンビリしたロングツーリングに向きそうだ。
ネットで調べたら直輸入品らしく、現時点では30万円近くもするツーリング用のカヤックらしい(英文には弱いのである)が、相当に痛んでいる。
ハル(船体)にはFRPの剥離や接合部の補強テープが?れている部分が目立つ。
荷物室のハッチカバーやコックピット入口の浸水防止用のスプレーカバーも紛失しているので、転覆したら沈没という代物である。
ラダー(舵)も錆びついて動かないし、荷物固定用のバンジーコードもヨレヨレ。
セルフメイドや代替品交換でなんとかなるだろうと、竜太と汚れを落として簡単なメンテナンスをしてから試運転に漕ぎだした。
オンボロとはいえ、FRPの高級シーカヤックである。
縄文カヌー(自重200キロもある丸木舟だ)からみたら軽くて早いのに感動・・・したのは最初の30分・・・。
竜太が「ヤマダさ~ん!」と情けない声を出して呼んでいる。
なんてこった!
竜太が乗っていたSWIFT君のラダーが外れてぶら下がっている。
岸に上げて調べたら、ラダーのプラスチック製ブラケットが破断していた。
自分で直せるもんか?
得意の木工とは異分野だけど、なんとかなるさ。
これまで縄文カヌーで、次々と押し寄せる問題を一人で乗り越えてきたんだ。
負けるもんかっ!
整体の稽古会で久し振りの上京。
上京した時は浅草でモンジャ焼きをしている友人宅に泊まるが、やっぱり浅草は人間臭くて好きな街だ。
都内で四つ残っている寄席の一つ、「浅草演芸ホール」は浅草の名所。
寄席とは年中無休で主に落語が聴ける場所だ。
この日は落語芸術協会の番組担当で、主任は三遊亭笑三師匠が主任、つまりトリだった。
因みにトリとは寄席の符丁で、番組の最後に出てくる噺家さんのことだ。
かっては当日に出演した芸人さんのギャラを一括して席亭さんから受け取って配分する役目があったのでトリという噺家さんの名誉職みたいなもの。
紅白歌合戦では、誰がトリを務めるのかと揉めないように、トリの後に大トリという訳の分からない序列を付けて芸人さんの面子を保つ工夫をしているが、これは社長より偉い社長取締役を作ったようなもんだ。
最寄りの銀座線「田原町駅」から乗車すると、浅草演芸ホールと二つ隣駅にある上野の「鈴本演芸場」を掛け持ちする噺家さんとよく乗り合わせる。
向いの席に有名な噺家さんと乗り合わせて「え~、師匠、落語好きなもんで・・・何時も寄席で楽しませて頂いてます・・・これからもお元気で・・・どうもどうも」と噺家さんに挨拶することがある。
噺家さんも「いやあ、どうも・・・これからもご贔屓に・・・どうも!」と挨拶を返す。
「どうもどうも」という内容の無い会話が成立するのも浅草の魅力だ。
他の寄席ではこんな環境も雰囲気無いのがノンビリとした下町風情。
寄席は昼夜入れ替えが無いし、弁当だって売っている。
東京の暑い夏は寄席がノンビリしていい。
俺にとって都会のオアシスだ。
夏の間は仕事の後は、海で汗を流すのが日課。
サップで遊ぶか、素潜りで遊ぶかは、その日の気分や海況次第だ。
こんな贅沢な暮らしも田舎暮らしの醍醐味だが、最近はコンパクトデジカメで水中撮影する面白さに、目覚めてしまった。
糸魚川の西の外れの親不知で海中撮影したので、しばしの涼をご堪能くだされ。
こんなところが岸から5mほどの所に沢山あるのが、糸魚川の海の魅力。
水中写真というと、生物がモチーフのことが多いが、俺は水中から見上げた海面の様子が好きだから、こんなアングルが多くなる。
屈折した陽光や砕ける白い波、泡が浮き上がって海面に溶け込んでいく様子・・・何時もうっとりと見とれてしまい、息継ぎすることさえ忘れてしまうことがある。
死と隣り合わせの美しさ・・・これがたまらないのだ。
盆過ぎだと信州の海水浴客が根こそぎ獲っていくからもういないかと思っていたのに、まだ岩牡蠣が沢山いた。
健気さに「ガンバレ~!」っていいたくなる。
水深2mくらいだからくぐるには勇気がいるけど、人が通れるトンネルだってある。
「勇気のトンネル」って名付けたが、泳ぎの達者な相棒がいないとくぐろたくない。
浮上と同時にシャッターを押したら、レンズに海水が流れてこんな写真が撮れた。
プロならボツだけど、面白いと思う。
糸魚川の海は沖合50mでも底が見える時がある。
観光客で賑わい、水温が上がって海水が濁りやすいお盆時期でさえこの透明度。
5月25日に二隻目の丸木舟で能生町~上越間26キロの航海実験決行。
「海のヒスイ・ロード」復活作戦の第一段である。
そして8月13日に万を期して第二弾をSUP(スタンドアップ・パドル・ボード)での航海実験を実行した。
前日、サップに防水バックをベルト固定する実験をした。非常用の飲料や食料、衣服などを持っていくためである。
今回はカヌーが趣味のN潟日報の田中記者が、自前のインフレータブル・カヌー(ゴムボート式のカヌー)で同行。いわゆる従軍カメラマンである。
この時期は朝10時前後から針路とは逆の下り潮(東からの潮)となるため、早朝4時半の出航と決め、朝3時に田中記者と合流、真っ暗の押上海岸でヘッドランプの灯りを頼りにセッティング、船出となった。
04:15 城の川河口に到着。青いカヌーは田中記者。海水はぬるま湯状態。
前にも書いたが、縄文時代に糸魚川ヒスイが各地に運び出された海上ルートは、天津神社周辺にあった村から城の川を下って日本海に船出したと推測されている。「海のヒスイ・ロード」の起点である。
ところが現在の城の川河口周辺はテトラポットで護岸されており、丸木舟を下せる場所がないために、第一弾目の航海実験は縄文航海者にとって第二レグだったのではないかと推定される能生町からのスタートとなったという経緯がある。
だから第二弾は本来とは順序が逆になるが、縄文航海者の第一レグと推定している城の川河口~能生町間をサップで航海しようと計画したのだが、小型軽量といえども城の川河口近隣でサップが下ろせる場所は1.8キロ東にある押上海水浴場のみ。
目的地の能生町とは逆の西方向に1.8キロ漕いで城の川河口に到達してからが航海のスタートとなるが、それより方法がないのでやむを得ない。
05:30 朝日が昇ると陸風が吹き出した。風速3m程度だが、田中記者のカヌーは風に弱いタイプ。いつの間にか沖合1キロまで流されたので慌てて岸寄りに針路を取ち直す。
9:00 浦本漁港沖到達。この頃から下り潮になって速度が落ち、日差しも強くなってきた。
漁港沖に派手なシットオンタイプの釣り用カヌーが二杯いたが、糸魚川でこんな釣り船に乗っているのは長野県人と相場が決まっている。
魚探やGPSまで装備した本格スタイルなのだ。
「えっ、能生まで行くの?止めたほうがいいよ。潮が逆だあ。糸魚川ならあっという間に行けるよ~!」頓珍漢な短い会話をして別れる。
11:00 「パドルよ、あれが弁天岩だ!」ついに目的地が見えてきた。
暑くてバテ気味だが、能生川を過ぎてから潮が止まったので、サップはグイグイと進みだした。
11:30 フィニッシュラインの曙橋通過!弁天岩の赤い鳥居がセクシーだぜ。
弁天岩を一周してのウイニングラン。弁天岩の周りは水路状に岩が点在していて冒険心をくすぐるから好きな場所だ。
結果は以下の通り
航海距離;15.13キロ
最高速度;7.2キロ
平均速度;3.3キロ
航海時間;4時間31分 (実働)
休憩時間;2時間26分
異常な暑さもちょっと一段落したが、この夏の外仕事は辛かった。
昔の百姓は夏の暑さ対策として、ゴザや蓑を背負って外仕事したという民俗例が民具図鑑に出ていたので、糸魚川ではどうだったのだとお袋に聞いてみた・・・お袋は近所では物知りで有名なのだ。
やっぱりお袋が嫁いだ時分の糸魚川の漁師や百姓は、自分の家でゴザに肩紐を付けて背負って外仕事しており、単にゴザと呼んでいたとのこと。
そこで百均でゴザを買って、お袋に何十年かぶりに作って貰った。
「ゴザ」正面・・・モデルは整体仲間で糸魚川に遊びに来た深畑君。被っている菅笠は、糸魚川市能生谷のお年寄り達が手作りしている丈夫で長持ちの特産品。農協で買える。
「ゴザ」側面。背中に隙間があるところが涼しさの秘密。腰の所に竹が入っている。
首のところの青い三角は、お袋の手縫いの補強兼お洒落兼首にゴザが当たらない工夫。
脱げば一枚のゴザになり、クルクル巻いて保管できる。
結果は素晴らしいの一言!
直接、背中に直射日光が当たらないだけでなく、ゴザと背中にできた隙間が断熱材になって汗のかきかたがまるで違う。
腰の所に竹の棒を縫い付けてあるので、背負うと背中に隙間ができる工夫がしてあって、風が通り抜けていく所も素晴らしい。
これって凄い発想。
無風状態でもゴザを背負って動くと、空気がパラボナアンテナみたいに集められて背中に通り抜けていく。
生の風にあたるより、隙間を通り抜ける風の方が涼しく感じることを発見。
自然農法の田んぼで草取りしてたら、色んな人から「どこで買った?欲しい!売ってくれ!」と聞かれて得意満面だ。
モンベルさん、最新素材で商品化しませんか?
7月31日、愉しみにしていた「縄文サバイバル講座 in NPO法人ワンネススクール」 ついに開講。
残念ながら記録的豪雨で川遊びは中止になったが、忍者ごっこというノリはそのままに薪割りや竹の楽器作りをして遊んだ。
薪割りはもとはと言えば縄文土器を野焼きする必要から必要に迫られて始めたのだが、古武術研究家の甲野善紀先生に出会ってから、その薪割りも体術として行うようになったのだ。
下の写真は、俺が主催した薪割り稽古会に飛び入り参加された甲野善紀先生。
また、整体の師匠であるN先生の「責任感や決断力、いざという時の行動力といった男らしさは、危険なモノを扱う経験によって完成する・・・つまり刃物を扱う経験は男になる上で必須の経験」という言葉で、古武術式の薪割りに整体の基本である動法を取り入れた。
動法とは、古の日本人の身体扱いのことで、俺は整体協会身体教育研究所の動法教授資格者として整体を教えているので、整体の稽古会として薪割りをするようになったのである。
ところがいざ薪割りを教え始めると、様々な問題に直面することになった。
現代日本人の多くは刃物を扱うという経験が少な過ぎて、斧や鉈を持っただけでビビッてしまい、斧を薪に命中させることすらできない人が実に多いのだ。
ヘッピリ腰・・・腰が引けてしまうのである。
薪に命中しても、斧が薪の上に乗っかるだけで、速度感のまるでない上品な動作。
そこでだ、慎重に狙いをつけて命中させる経験と、速度のある動きを併せ持った割り稽古(準備運動のようなもの)を色々考えて、昔の子供遊びの「釘さし」をさせてから薪割りを教えることにしてみた。
結果は大成功で、いきなり薪割りをさせるより格段に上達が早くなった。
子供の遊びの「釘さし」は、釘を180度回転させるこんな持ち方。手首のスナップだけで釘は飛んでいく。
俺が教えているのは、甲野善紀先生直伝の「根岸流手裏剣術」方式で真っ直ぐ釘を飛ばす方法。釘を持つというよりは、親指で軽く押さえて嵌めているだけ。
この持ち方だと、手首と肘が拘束されて体全体で投げざるを得なくなる。
例えばメンコやビー玉、オハジキは、狙いを付けて命中させるという点では合格だが、「危険なモノを扱う」という点では、釘さしには及ばない。
慎重さや真剣度がまるで違うのだ。
このことで、責任感・決断力・いざという時の行動力といった感覚経験を積んでもらうという目的であって、古武術として手裏剣を教えているのではないので念のため。
釘さしに関しては、整体稽古会の一環として「釘さし動法」と命名して教えている。
ワンネスの自由時間に釘さし動法を子供達に教えてみたら、簡単なアドバイスだけで釘が刺さる様になっって夢中に遊びだした。
本来は地面に刺すのだけど、古畳があったので的にした。
これなら雨でも夜でも好きな時に釘さしができるし、気分は何時でも忍者!
あとは暇さえあれば「忍者ごっこ」・・・釘さし遊びに熱中だ。
最初は遠慮して遠巻きにしていた女の子達も、男子がいない時を見計らって釘さしで遊びだす。
危険な遊びって魅力的なのだ。
最初は釘の持ち方と投げ方を簡単に教えて、あとは子供たちの工夫に任せる。
・前方に人がいる時には釘を投げないこと。
・狙った所に真っ直ぐに釘が刺さること。
・釘がスパっと刺さること。
これだけを目標にするだけで十分。
このような遊びは大上段に構えて真面目に教えるより、「忍者ごっこしようぜ!」と楽しく遊んだ方が子供達に伝わるに決まっている。
だからシノゴノと難しいことを説明せずに
「もっとスパっと動くと釘が刺さるぞ!スパッといけ、スパっと!」
「今の刺さり方はいい音がしたね!」
「真っ直ぐ刺さると気持ちいいだろ?」
というアドバイスや感想だけしていた。
子供たちが無心に釘さしする動画をアップしたので、ご覧下さい
8月3日・4日は糸魚川で「おまんた祭り」が開催されているが、同時に姫川港でポート・フェスティバルも開催されている。
嬉しいことに今年は「姫川港開港四十周年」ということもあり、練習帆船の日本丸がゲスト来航した。
かって俺は、姉妹船の海王丸で二泊三日の体験航海も経験しているのくらい帆船好きだし、夏休み期間ということもあるので昔の「少年マガジン」の特集号みたいに「図解・日本丸大解剖!」をしてみた。
日本丸は、これまでの最高時速は19ノット(時速35キロ!)という快記録をマークしている現役で就航する帆船の中で最も高速帆船の一つである。
先代の日本丸は戦前の造船だったこともあり帆走時にスクリュ-を空回りさせていたが、スクリューが水の抵抗を受けてその分、スピードロスになっていた。
当代日本丸はスクリューのピッチ(角度)が調整できる「フェザリング」機能があるので、帆走時はスクリューを水平にして水の抵抗を減らせる高速化設計。
だから速い。
また先代日本丸は、船首と船尾の甲板上に収納庫がハウジングされていたので、横から見ると凸凹があって、これはこれでクラッシックな帆船らしくて恰好良かった。
しかし甲板に凸凹があると作業効率が悪く、見通しも悪いので、当代日本丸は船首から船尾までフラットな「全通甲板」で設計されている。
だから作業効率が向上しただけでなく、風の抵抗も少なくなり、また重心が下がった分横揺れが減じて、高速化に貢献している。
見た目にもスッキリした印象。
船尾から船首方向を観た図。全通甲板だから見通しは抜群。
このように日本丸は近代化が図られているが、何故、近代にあって前近代的な帆船で訓練することに意味があるのか?と誰もが疑問に思うだろうし、建造計画時も運輸省で疑問視されて予算を通すのに苦労したようだ。
ズバリ、日本丸の存在意義は「シーマン・シップ」の育成である。
帆船の運行は、風と波を読み、多くの人が息を合わせて一斉に作業するチームワークが不可欠。
動力船の場合は、そこまでしなくても機械が何でもやってくれるから、帆船より潮っ気が育ちにくいということだ。
船首像の「藍青」こそが日本丸のシーマンシップの象徴。
帆船の船首には魔除けの意味や、船名に由来する像が付き物だ。
つまりこの船は女神に守られているっていうこと。
さて、そこで日本丸の帆船らしい作業を紹介。
訓練生に甲板掃除のポーズをしてもらった。
ワッショイ、ワッショイの掛け声で一斉に甲板を磨いていく。
かっては「たーんつう節」という作業歌が歌われていたと聞く。
「たーんつう」とは、下士官の方向転換の号令の「ターン・トウ・ザ・レフト(ライト)」が訛ってできた海の符丁。
東郷サンや山本サンも、昔の海軍サンの提督達は、皆この歌を歌って甲板掃除して偉くなっていったのである。
因みに和製海事用語で「レッコー」とは、海にゴミや不用品を投棄する時の符丁で、語源は「レッツ・ゴウ・トウ・ザ・シー」が訛ったようだ。
訓練生が持っているのは、椰子の実を半分に割った甲板掃除のタワシである。
本式には甲板に海水を撒いてから、砂でゴシゴシ擦って掃除するのだが、現在は砂を撒くと甲板がすり減り過ぎるので砂無しで掃除している。
甲板材は枯渇しつつあるチーク材だから貴重品なのだ。
帆をコントロールする時にロープを巻付けるキャプスタン。
上部の孔に丸太を差し込んで人力で回転させるのだ。
外国タバコで「キャプスタン」という銘柄の場合は、大抵はその国の海軍の酒保で売られている海軍仕様のタバコだ。
それだけシーマンシップを象徴する器具。
近代船は、動力で巻き取りできるようになっている。
キャプスタン上部。磨かれた真鍮が美しいが、毎日「ピカール」でピカピカに磨き込むのがセーラーの大事な務め。
曇っているとボースン(甲板長)に叱られる。
浮彫文字の隅に緑青が吹いているが、昔ならバッター(バット状の棒で尻を叩かれる)で、海軍精神を注入されるところ?
船尾にある帆走時用の操舵室。
かってはキャノピー(上部の覆い)が無かったので、大時化の時には水兵サンが波にさらわれる事故が多発した。
キャノピー設置要求で水兵サンが反乱騒ぎまで起きたので、今では常識となった大事な施設。
ラット(舵輪)が前後二重になっているのは、日本丸くらいでかい船だと、荒天時は単独で舵が操作できず、複数の船員で舵を操作するからだ。
因みに機走時には、見晴らしの良いブリッジ(艦橋)で、パワステ付きラット(舵輪)で操船する。
体験乗船した時に5分程ブリッジの舵をステアリングさせて貰ったことがあるが、物凄くビビットな舵効きでビックリしたことがある。
ラット正面。船内で最も目立つので、鏡なみに磨かれていないとボースン(甲板長)に叱られるぅ!
タイム・ベル(時鐘)である。
30分ごとに1回づつ足していき、4時間目に8回打つ4時間サイクルの海軍式の時計。
午前0時30分には1回打つので1点鐘、午前4時には8回打つので八点鐘という古式が今も守られている。
ステンドガラスとは贅沢な!と言うなかれ。
練習帆船といえども要人も来船するし、外国に行けば民間外交使節ともなるので、帆船らしい威厳ある調度も必要だ。
四方を海に囲まれた日本が、練習帆船を保有するということは誇りだ。
「太平洋の白鳥」日本丸で育った日本の船員達も国民の誇り。