縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

湘南の美人陶芸家からの贈り物・・・潔さって何だろう?

2015年05月31日 22時09分41秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

神奈川県藤沢市からUターン帰郷する時に、工房兼住居にしていた借家を引き継いで陶芸のアトリエを開設した林彩子嬢から、新作が贈られてきた。

出産で中断していたアトリエ活動を再開した挨拶代わりとの事。

合六茶わんよりやや大振りなどっしりとした手応えで、姿もよく普段使いのメシ茶碗として使う事にした。

ほんのり桜色をした白い茶わん。優美で清潔感を感じる姿の中に潔さを感じるのが彩子スタイル。こういう茶わんを普段使いにすると、質素な食事でも豊かな食卓になり愉しい。食事の度に文化に触れる喜びが加わるのでR!

 

不思議な借家で、私が引っ越した時に庭にウッドデッキを作っていたら、砂の中から素焼きの壺が出てきた・・・???

完成したウッドデッキで縄文土器を作っていたら、お向かいさんが「前に住んでいたご夫婦とお友達?」と聞いてきたので訳を聞いたら、前の住人は陶芸家の夫婦だったそう。

大都会の藤沢にありながら海に近くて静かであり、モノ作りに集注しやすい環境であったので、Uターン帰郷の前に友人達に声を掛けて借家を引き継いでくれる人を探した結果、手を挙げたのが当時は陶芸修行時代で独立を迷っていた林彩子さん。

私の整体の師匠の家のお嫁さんだ。

という訳で、何故か三代続けて陶芸をする人が住む借家!

そこで引越しする直前まで私が窯場をセルフビルドして引き継いだのが六年前。

私がセルフビルドした窯場。江の島までチャリで15分、波乗りポイントまで10分であり、夏にはビギニ姿の若い女が闊歩する湘南の閑静な住宅街にある。コンセプトは「寄せ集めの資材で格安に建てるハウルの動く城」だが、対面にある家の中は和室に洋風の調度をしつらえたお洒落なアトリエ兼ギャラリーで、陶芸教室に集う女の子に人気らしい。

 

今や彩子嬢は、「湘南の美人陶芸家」として有名になりつつあるようだ。

At Home Wroks という自分のブランドまで設立して、若い女性ばかりのお弟子が三人もいるらしい。

「At Home Wroks」 (http://athome-works.com/) のブランドマーク。お洒落である。

 

陶芸教室を経て、独学で陶芸家になった人から抹茶茶わんを貰った事があるが、申し訳ない事に「お上手ですな」としか感ぜず、人にあげたり納戸に入れたまま。

抹茶茶わんの形をした普通の茶わんで、抹茶をたてる気にはならないのだ・・・観るに忍びないというか、哀しくなってしまう器。

対して、きちんと師匠について長年修行を積んだ陶芸家から頂いた茶わんは、日常雑器であっても「潔さ」を感じるのが常で、普段使いの器として愛着が増していくし、興に乗れば抹茶だって飲みたくなる。

修行を積んだ本寸法の陶芸家の作品かどうかが、観るだけで感じ取れる・・・これは不思議だ。

 

 

 

 

 


草や虫を敵としない・・・不耕起の田んぼ六年目の田植え

2015年05月26日 23時36分30秒 | 田舎暮らし

Uターン帰郷して、自宅の田んぼの一部を不耕起にしてから六年目の田植え。

不耕起とは読んで字の如く、耕さない農法の事で、田んぼの場合はあらくり・代掻きはせず、畝もない平らな田んぼの周囲に幅30㎝ほどの水路があるだけである。

 

私の不耕起の田んぼは、奈良県の自然農法家の川口由一さんの方式を踏襲したが、そのままでは我が家の田んぼでは通用しないという事を一年目に痛感した。

寺町区の田んぼは、弥生時代の海川と姫川の氾濫原であったためか、青黒いシルト分の多い重粘土といってよく、水を入れて耕さないと土が固過ぎて稲の根が張ってくれないのだ。

 

活着せずに枯れ死にしたりする苗の補植に追われたり、収穫の後でも稲を引っぱると簡単に引っこ抜ける位に貧相な稲しか育たなかった。

何で野菜と違って稲は水田で栽培するのか?

弥生時代から始まった水稲農業の歴史を、逆なぞりに謎解きしていった・・・とも言える。

除草剤はおろか、耕さないのだから大変なのはわかっていたけど、時が経てばと想いながらひたすら忍耐。

乾燥方法だって機械乾燥ではなく、寺町区ではみる事の無くなった昔ながらのはさ掛けである。

住宅街に取り残された我が家の不耕起の田んぼ。これが水田だと気が付く人は少ない。

 

苦労して作った米でも、プロの農家から観ると売り物にならない等級外の米であるらしい。

未成熟米や割れが多くて、米粒も小さくて大きさもバラバラ。

ところが見てくれは悪くても美味いのだ。

友人に分けたら、普段は食の細い子供が私の米の時はお代わりをするのだそう。

固定観念抜きの子供が理屈抜きに美味いと感じるなら、佳い米なんだろう。

今年は苗を植える前に、窪みを付けた部分に柔らかい泥を入れて根張りをよくする作戦。植木屋が樹木を移植する時の水鉢を真似てみた。

あまりにも手間暇がかかるので、腰を伸ばした時に観る花の彩りが心の支え。

疲れた時には、あぜ道に自生している薄荷(ペパールミント)の葉っぱを数枚、ポットのお湯にぶち込んだだけのミントティーで喉を潤す。これは20代の頃、ネパールをトレッキングした時に地元の人に教わった飲み物。

 

私の田植えは、普通の田植えと違って野菜の苗を移植するような作業で、慣行農法の10倍くらいは手間暇がかかっているのではないだろうか。

いつかきっとフカフカな柔らかい土になってくれいと、農閑期は大工さんから貰った鉋屑やモミガラ、焚火の後の消し炭や灰などを入れ続けて、少しずつ有機質分を増やしていった。

雑草は根っこを残して、地際から除草するが、必要以上には除草しない。

彼らの根っこが田んぼを肥やして柔らかくしてくれるし、色んな虫が住む事のできる環境を残しておくのだ・・・雑草と虫はお友達。

辛抱の甲斐あって三年目くらいからようやく表土が変わってきた。

今年は表土から5センチほどまでは白くて細かい植物の根が密生していて、かってないほどの柔らかい土。

田植えの方法も進化して、今年は補植しなくても良さそうだ。

ガンバレ俺!

 

 


知らずに損したぁ!・・・早川区の八十八ヶ所巡り

2015年05月24日 21時59分47秒 | 糸魚川自慢

高校美術部後輩のヤスジに誘われて、彼の職場仲間と早川区にある八十八ヶ所巡りのトレッキング。

四国八十八ヶ所を模して、安政年間に十五年の歳月をかけて完成したという険しい岩場の巡礼ルートである。

初めて行ったのだけど、物凄かった。

もののけ姫が出てきそうな雰囲気で、カンボジアのベンメリアみたいな場所もあった。

ベンメリアはアンコールワットの近くの遺跡で、天空の城ラピュタのモデルになったと噂される場所だ。

今でも役行者が瞑想していそうな妖しい洞窟も沢山あった。

中世に完成していたなら、修験場になっていたに違いない。

狭い岩の間や洞窟潜りが何か所もあって、ちょっとした冒険気分が味わえるのだ。

糸魚川市に遊びに来る友人達を案内したい場所がまた増えた。

延長1.8キロの二時間程度のトレッキングだけど、物凄い充実感がある。

こんな凄い所が、糸魚川市街から車で二十分の位置にあるとは、知らずに損した気分。

マムシの子供が岩の上でトグロを巻いた五十㎝脇を何人もが通り過ぎたて、四人目がやっと気付いた。

ムカデ!

 

ただし、何人もが気付かずに通過した岩の上でマムシがトグロを巻いていたり、でっかいムカデもいたので、それなりの注意は必要。

苔で滑りやすい鎖場や、四つん這いになって岩を潜り抜けたりするヶ所が幾つもあるので、長袖長ズボンと手袋は必須ですな。


神明造の源流はラオス?長者ケ原遺跡に最古の棟持ち柱?

2015年05月21日 21時20分33秒 | 民俗学ごっこ

糸魚川市には二つも国指定の縄文遺跡がある。

長者ケ原遺跡と寺地遺跡であり、どちらもヒスイ加工遺構を持つ遺跡で、これは国内唯一の宝石質ヒスイを産出する糸魚川ならではのお国自慢。

毎月のように何人ものお客さんを遺跡に案内するが、長者ケ原遺跡は世界最古のヒスイ加工遺構を持つ遺跡(厳密には違うのだが)というばかりでなく、非常に特異な遺跡でもあるので今回はそのご案内。

例えば棟持ち柱を持つ掘立て柱建物の存在である。

長者ケ原遺跡の掘立柱建物。地面が掘り下げられた円形の竪穴住居と違い、地面は平らで四角い建物。中央の柱が棟持ち柱。豪雪地帯特有の建物遺構なので、冬期間の共同作業場や集会所とも考えられているが、周囲に林立する細長い石は土壙墓なのでマツリに関係した建物とも推測されている。

 

棟持ち柱とは、伊勢神宮に代表される神明造(しんめいつくり)の神社に代表される、建物の妻側中央部で屋根の棟を支える柱の事である。

神明造の神社の特徴は、「棟持ち柱を持つ・掘立て柱・切妻屋根・屋根の上に千木(ちぎ)と鰹木を持つ・屋根材が板葺・平入り・直線的な構造」などで、長者ケ原遺跡の掘立柱建物は、棟持ち柱と掘立て柱、平入りである三点が共通項なのだが、問題なのは棟持ち柱の存在。

私が知る限り、国内では長者ケ原遺跡が最古級の棟持ち柱ではないだろうか?

もっとも棟持ち柱を持つ四角い建物とされる根拠は発掘した時の柱痕の孔だけなので、縄文時代当時の姿は単に六角形の建物だったりして(笑)

 

この柱は力学的にも建物を建てる作業上も無くても良い柱で、象徴的な柱だと考えられているのだ。

上棟式に観られるように、日本では建物に命が吹き込まれるのは屋根の基礎である棟木が据えられた時。

その棟木を支える柱が棟持ち柱・・・柱とは諏訪の御柱に代表されるように神の憑代だ。

そしてハシとは、端と端を繋ぐモノ・・・橋は陸地を繋ぎ、箸は食べ物と人を繋ぎ、柱はカミが降りてくるモノ、という事らしいぞ・・・。

ラオスの山岳地帯の村では、穀物蔵が申し訳程度の棟持ち柱を持つ掘立柱の高床式が多く、破風(はふ・屋根の妻側の端っこにある風に対する補強材)の所で交差する千木まであった。神明造が穀物蔵をルーツに持つとされる由縁。

 

六年前のUターン帰郷の前に、東南アジアを三ケ月間旅をしたら、北部ラオスの山岳地帯の村で驚きの光景を沢山見た。

鳥居はあるわ、棟持ち柱があるわ、日本独特の文化と思い込んでいたものがあったのだ。

村の境や家の前には祠があったが、棟持ち柱モドキが!この構造上不必要で、取って付けたような棟持ち柱という所が象徴という意味を際立たせているのではないだろうか?

破風が千木で止まるのは、神明造の特徴!注目して欲しいのは、千木の端が垂直と水平の二種類で切り揃えられている事で、神明造の神社では垂直が男神、水平が女神を祀られているのだ。ラオスでもそうなのか?聞きたくてもド田舎なので英語が通じません!

これでもか!という位に申し訳程度の棟持ち柱(笑)

 

カンボジアには、沢庵も納豆もあった。

日本文化の源流の一つが「照葉樹林帯」とされるネパールから東南アジアにある事は確かだが、五千年も前の長者ケ原遺跡の棟持ち柱との関係を知りたいもんである。

どっちが古いのだ?!


抽象について考える・・・マンタ形ベンガラ彩色石笛

2015年05月15日 12時44分44秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文時代の土器や石器に多用される文様の意味は?

よくこんな質問をされるが、図像学という学問では色んな見解が成されている。

図像学は、キリスト教絵画に描かれた象徴的なアイテムの意味を読み解く研究から発達したが、個人的には好きではない。

現代人が知識を総動員して頭を捏ね繰り返しても、縄文時代の人の事など解りゃしないと思うのだ。

解ったつもりが、実は現代人が理解しやすく説明を付けただけではないか?

 

 

テレビのオカルト番組で、人魂を観たという体験談を語っている一般人に対して、早稲田大学の大槻教授が「その現象は現代科学で説明はつきます。」と言って、人魂の再現実験を披露していた。

そりゃ現象としては似ているだろうが、人魂を観て恐怖体験をしたという体験者と同じ現象なのか?

再現実験を観ても、何も恐怖を感じないではないか。

「人気のない闇夜で浮遊する光る物体を観て恐怖した」・・・ここまで含めて人魂体験ではないのか?

そんな事を想いながら作った石笛。

沖縄の海で観たマンタ(糸巻エイ)をイメージしたが、余分な部分を削ぎ落としてピュアな部分だけ残したつもり。

私はこれを抽象化と呼んでいるが、美術用語の意味とは違う。

こんな風にして、縄文文化に多用された文様の意味に出逢いたいもんである。


去年の今日、原発を越えた・・・「海のヒスイ・ロード」回顧録

2015年05月12日 08時47分39秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

去年の5月7日に単独シーカヤックで青森までの航海に出た。

五千年前の縄文時代中期(五千~四千年前)に、糸魚川ヒスイが青森まで運ばれたとされる検証目的の航海で、題して「海のヒスイ・ロード」検証実験航海である。

出発地の上越市居多ケ浜は、天気晴朗なれど波高しという海況で、新聞記者と友人達が見送りに来なかったら出航を延期したかもしれない。

出航直前の愛艇「縄文人(見習い)号」と、全装備品。

 

そして今日、5月12日は柏崎の原発を越えた日。

柏崎港と原発の長大な防波堤を越えて、キャンプ地を探して岸ギリギリを漕いでいたら、裸足で歌いながら踊っている不思議な女性から声を掛けられた。

ライブ前のチューニングをしていた放浪の歌姫、Phokaちゃんだ。

彼女に誘われるまま上陸してご縁ができたのが、「うみカフェDONA」さん。

寺泊のワカメ漁のおばさん。「ほら、獲れたてワカメ持って行きなさい。美味しいよう!」

角田浜の民宿のおばさん。「ビタミン付けて頑張って!」

新潟市のサーフショップオーナーのKuriさん。「俺に何か出来ることありますか?煙草は?保存食は?」

 

今の時期の新潟の海は天候が不安定で、西風が吹くと海が荒れてシーカヤックを弄び、東風が吹くと目を開けていられない程の強い向い風で全力で漕いでも時速0という事もあった。

県内では3度の暴風雨に遭遇して、テントが壊れて廃屋に野宿した事もあった。

寺泊で暴風雨に遭遇して、何もない砂浜で四日間の野宿した時には、糸魚川市から友人達が激励に来てくれた。

 

記憶に残っているのは、風景よりもそんな航海で出会って親切にしてくれた人々の事。

皆さん、ありがとう。

私の愛と感動の冒険奇譚(笑)もとえ航海の詳細は、近日発刊予定の「糸魚川郷土史誌」の中で、「海のヒスイ・ロード」単独シーカヤック実験航海記」として報告されております。

市内の本屋さんで購入可能ですが、糸魚川の図書館でも借りる事ができるハズ・・・読んでみて頂戴。


世紀の大発見!糸魚川ヒスイがシルクロードで運ばれた?

2015年05月08日 23時26分55秒 | ぬなかわヒスイ工房

ニュース速報(共同通信社)

「日本人バックパッカーの山田修さんが、ヒマラヤ山中のチベット寺院の経典蔵で、中世に作られたと思われる糸魚川ヒスイ製の石笛を発見して持ち帰りました。山田さんは、標高4500mの雪深い中を凍死寸前に寺院に辿り着き、僧侶達から手厚い看護を受けて命拾いをしたそうですが、看病をして貰っていた経典蔵で、偶然にもヒスイ製の石笛を見付けて黙って日本まで持ち帰ったそうです。山田さんによると盗品ではなく借りてきただけだとの事ですが、仏罰の為か下痢が止まらず、下痢が治ったら返しにいきます!と毎日オム・マニ・ベメ・フムと唱えて泣いているそうです。なお学識者によりますと、山田さんの行動には疑問が残るものの、中世に糸魚川ヒスイがシルクロードで交易されていたという、これまでの学説を覆す世紀の大発見になるとコメントされています。」

 

本気にしてはいけない。

こんな冗談を考えながら作った石笛がこれ!

数百年の時を経て糸魚川に還ってきたチベット密教の法具!!・・・をイメージして作った(笑)

聖音オウムの梵字(サンスクリット語)を赤漆で彩色したら、暗闇で光を通すと浅黄の夜空に真紅のオウムが浮かび上がった!

プロが選ぶぬなかわヒスイ工房の石笛であるから、西洋音階の曲でも吹けるほど音域が広いのは当たり前。

ぷっくらして可愛いフォルム

 

オウムとはO・U・Mの三音からなり、オは宇宙の維持神のビシュヌ、ウは破壊神のシバ、ムは創造神のブラフマンを現すとされる聖音で、音韻それ自体の意味は無い。

チベット仏教では、オム・マニ・ベメ・フム(直訳だと蓮の上に宝珠がある・意訳では真意のままに)という念仏を唱え、ヒンデウ教ではオム・ナマハ・シワイ(シバ神に帰依します)などと挨拶したりする。

日本語ではオンと発音されたり、阿吽(アウン)に変化したりもしている。

仕事にも遊び心がないと面白くないし、仕事は愉しく遊びは真剣にというのが私のスタイル。

石笛作りは仕事であり遊びでもある・・・問題はだ、この石笛を評価して買ってくれる人がいるかどうかだ(笑)

誰か買って~。

 

 


休ませて~!縄文のご先祖様が休ませてくれません・・・。

2015年05月07日 18時01分20秒 | ぬなかわヒスイ工房

石笛作りに限らず、モノ作りには集注が大事だから、二日連続で仕事するとフニャフニャに疲れてしまうのだけど、疲れた体に鞭打って連休中は仕事に明け暮れた。

そのお蔭で縄文石笛Neoが誕生して、何かが変わった。

まるで縄文のご先祖が乗り移ったかのように、次々と形にしたいアイデアが湧き出てくるのだ。

今回は線刻した部分に自家製のベンガラを塗り込めてみた。

黒い蛇紋岩には、漆もベンガラもよく映えてくれる嬉しい石材。糸魚川の蛇紋岩は石器素材として優秀だから、磨製石器に加工されてヒスイ以上に広範囲に各地に運ばれていたのだ。

立てるとモノリス!

 

ベンガラは酸化鉄を多量に含む鉱物で、焼いたり水に溶かしたり、そして微粉末まですり潰したりして作る古典的な赤い顔料だ。

縄文時代には祭祀に関わる土器や木の器などに塗られて珍重されてきた、いわば最古級の絵具の原料である。

赤は旺盛な生命力を現す魔除けの色・・・太陽、炎、血の色だから、縄文人達は好んで使っていた。

ベンガラを水で溶けば、「もののけ姫」が顔に塗っているフェイスペインティング、膠(ニカワ)で溶けば日本絵具、油で溶けば油絵具になる。

使用したベンガラは、かって糸魚川中を探し回って集めたベンガラの内、最も発色が良かったもの。

自分で作る手間暇を考えると、買ったほうが楽なのだけどメイドイン糸魚川に拘ってみた。

底の形にもこだわりがある。少年時代の夏休みにテレビでよくやっていた、アメリカのSF実写ドラマ「原子力潜水艦シービュー号」をイメージしてみた。シービュー号という、エイのような形をした潜水艦の冒険活劇だ。古いヤツとお笑い下さい・・・。

 

今回は膠の代わりに、より固着力の強く扱いが簡単な樹脂系メデイームを使用。

縄文のご先祖が、「なんだこれ!膠より全然面倒が無くて強いじゃん!こんな便利なモノがあるなら、次はこんなアイデアがどうだ?それ作れ!何しとる!はよ作れ!」と、私の尻をひっぱたいて休ませてくれない。

石笛作りは先祖供養みたいなもんかな?と思う今日このごろ・・・。

 


石笛の概念を越えるオバケ石笛・・・縄文石笛Neo完成

2015年05月04日 07時27分13秒 | ぬなかわヒスイ工房

世間は五月連休といっても日常と変わらず仕事・・・仕事が愉しいんだから人から見たら遊びというべきか。

そんな中ひょんな事から、千葉からヒスイを拾いに来た岡島さんと出会った。

岡島さんは天然のままのヒスイに入った僅かな亀裂を吹いて石笛にするのだという・・・滅多にできる人のいない横吹きである。

共通の知人も多く意気投合して、奴奈川姫終焉の地との伝説のある稚児ケ池と長者ケ原遺跡、そして工房に案内した。

奴奈川姫に興味があるというので、稚児ケ池にご案内。知る人ぞ知る由緒あるパワースポットなのだ。

工房に拉致(笑)して横吹きを披露して貰う。石笛の正面からではなく横から息を吹き込むのが横吹きで、古神道ではこんな吹き方をする流派もある。岡島さんは天然石笛専門らしいが、人工石笛の是非を熱く語り合う。私は石を使って活花のように石笛を作る立場。天然が最高なら栽培作物ではなく野草や天然モノの魚や肉しか身にならないのであり、人為的に作られた米や野菜だって天然モノを凌ぐモノがあるのだと自説を語る。

 

 

彼らと別れた後、仕事に戻って数か月構想を練っていた新作石笛に取り組む。

縄文時代後期(四千~三千年前)の青森県上尾駮遺跡出土の縄文石笛の改良である。

すぐに真似する人が出てくるので詳細はここでは書かないけど、なんと2オクターブ近い驚異の広い音域が出た。

左が青森型の縄文石笛レプリカで、右が縄文石笛Neo。線刻は縄文時代の石器にも観られる模様で、装飾の意味だけではなく滑り止めだ。

 

これまでの石笛のキーは高音域の6度から7度のキーの範囲内だったが、夢の低音域の5度のAが出たし、7度のDという超高音まで簡単に音階変化が付けられるのだ。

倍音もあざとくなく自然だし、不思議な音色が出て音階調整の微調整も出来る・・・これまでの石笛の概念が崩してしまった石笛。

なんだか作ってはいけないモノを世に出した気分。

名付けて縄文石笛Neoの誕生である。

 

 


硬いと固いの違い・・・アメジスト石笛

2015年05月02日 21時43分44秒 | ぬなかわヒスイ工房

知人の所に遊びに行ったら、生アメジストの原石がゴロゴロと転がっていた。

宝石類は、脱色・着色処理をして色合を調整するトリートメント処理がされた上で加工販売されているのだけど、アフリカから直輸入のトリートメント未処理の生の原石との事。

結晶の通りに割れて荒々しい姿と、綺麗に発色した紫色に魅せられて、興味本位で一番でかい原石を1個だけ別けて貰った。

原石を机の上に置いて眺める事数か月・・・作るべき姿が観えてみた・・・原石の姿を活かした石笛を作ろう!

完成したアメジスト石笛。活花のように、原石の姿を活かした活石というべき石笛。人為を感じさせない、個性を出さない受動的な仕事こそが私の目指す処であり、整体の稽古にもなっている。如何?

太陽光でも透ける!

暗い所で光を通すと妖しい紫色・・・美輪明宏さんの石笛にぴったり!

モース硬度7という非常に硬い石なのに、結晶の縦方向からなら意外に簡単に孔が開いた。モース硬度が高いと加工が難しいという訳ではない。ヒスイも含めて石材加工には結晶を読み取り、逆らわないという技術は必須ですな。勉強になりました。

 

ヒスイと違って、単結晶の石はこういう所が素直で有難い。

ところが研磨が難しいのだ。

研磨の最終工程の摩擦熱で、完成目前にして表面剥離しやがった。

アメジストは、硬いけど、固くない石なのですね。

硬い・・・表面が傷つき難い

固い・・・割れにくい・壊れにくい

でもこの違いは、実際に加工した人でないとピンと来ないでしょうなあ。

蛇紋岩はモース硬度こそ硬くないが、縄文時代には磨製石器に加工されて各地へ運ばれたくらいだし、実際に加工してみるととても加工し易い優秀な石材だと思う。