縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

世界初?・・・黒曜石の磨製勾玉

2014年01月31日 20時14分14秒 | ぬなかわヒスイ工房



黒曜石で勾玉を作ってみた。

旧石器時代から出土する黒曜石の加工品は、叩いたり押圧剥離して整形した石器が大部分だが、勾玉も若干出土しているようだ。

押圧剥離とは、黒曜石やフリント、チャートや瑪瑙といった硬い石の端っこにパキパキと鹿の角を押しつけて剥離していく技法で、旧石器時代から世界各地で行われていた石槍や石斧、石ナイフなどの整形方法である。

このような加工技法で作られた石器を打製石器と呼び、旧石器時代とは打製石器を使っていた時代という意味である。


黒曜石は天然のガラスだから、鹿角で叩けば簡単に大割することができ、研磨しなくても光沢があり、刃も鋭く作ることができるが、磨製石器のように砂岩などで研磨すると表面は逆にザラザラになってしまう。


因みに新石器時代とは、打製石器も残しながら磨製石器が使われるようになった時代であり、日本列島では縄文時代のことだ。



ぬなかわヒスイ工房では、枯渇する一方の糸魚川ヒスイ原石の入手が困難になってきていることもあり、これまで蛇紋岩類などの糸魚川ならではの石材を使った新商品を開発してきたが、今回は黒曜石で磨製の勾玉を作ってみた。

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打製の黒曜石製品は多いけど、磨製の黒曜石製品はあまり見かけないし、恐らく勾玉は誰も作っていないだろうから、ちょっと自慢。

原石は黒い塊だったが、研磨途中で光りを透かしてキズのチェックをしていて気づいたのだけど、黒一色の黒曜石に縞模様が入っていた。

これだから加工は面白い。


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黒地に赤い斑模様が入った黒曜石を特に「十勝石」と呼ぶのだと聞いた。

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十勝石で作った矢尻型ペンダント。


十勝石は、黒い黒曜石のような透光性は無いようだが、これも面白い。

ヒスイ関係者はヒスイで勾玉ばかりを作る人が多いのだけど、まだ誰もやっておらず、面白い可能性を持つ石材や製品が沢山あると思う。

アイデアがドンドン湧き出てきても、作る時間がなくて困っている(笑)





何で雁木が南国にあんの?・・・タイで雁木もどき発見

2014年01月29日 18時15分57秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画




都会から糸魚川に遊びに来た人には、雁木を見てもらう。


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雁木とは冬でも街中を歩ける昔ながらのアーケードのことだ。


お隣の上越市高田区に比べたら規模は小さいし、比較的に雁木が多く残る本町通りもかっての賑わいがなくなり、シャッター街になりつつある。


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かっての本町通りの雁木は、歩行者でごった返していたが、今は平日でもご覧の通りの寂しい風景になってしまった。



本町通りは、かっての加賀街道である旧国道8号線に面していて、大人も子供も雁木の中では傘もいらず、車にひかれる心配もなく長靴の中に入った雪を取ったりした。



当時は国道8号線にも雪が多くて、歩行者が歩く部分に雪が山のようになっていて、長靴に雪が入って歩くのも危険だし大変だったのだ。


だから俺の子供の頃は家から町まで大雪の中を歩いて、雁木のある本町通りに付くとほっとしたもんだ。


俺の家は海岸線にあるから比較的雪が少ないといっても、大雪の時には向いの家までトンネルを掘ったこともあるし、屋根から飛び降りて遊んだこともあった。



雁木を見る度、往時を偲んで寂しい想いをする。


ところが!


タイ中部のプレーという街に行った時、雁木そっくりなものを発見したのだ。


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プレーで発見した雁木もどき(笑)
街の一角だけであったので、大家さんの意向でスコール対策の意味があるのか?


構造も雰囲気も雁木そっくりだし、昼も夜も扉が閉まっているところは本町通りと同じではないか!


でも東南アジアは色々歩いたけど、雁木そっくりな構造物はプレー以外では見たことがないから不思議。


どなたか真相をご存じな方がいらっしゃったら教えて下さい!




 


敗けるもんかっ!・・・失敗は成功の元

2014年01月27日 22時02分11秒 | ぬなかわヒスイ工房





最近は縄文石笛をよく作っているが、こいつが直径8㎜の貫通孔を6~7㎝もあけなくてはいけないので、手間暇がかかるのだ。


普通の工具では片側からだけで貫通できる深さではないので、両側から半分づつ孔を開けるのだけど、僅か数㎜の誤差で中間で孔がずれたりということもあるし、途中で固定用バイスが緩んで見当違いの方向に孔がずれていくこともある。


商品としては歩留りが悪いけど、作っていて面白いし、需要もけっこうあるのだ。

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直径8㎜の孔が6㎝の長さで貫通している青森県出土の縄文石笛レプリカ。
五千年以上も前にこんな技術があったのだ。



なにより世界広しといえども、縄文時代出土の石笛レプリカを作っているのは他ならぬ、この俺、つまり「ぬなかわヒスイ工房」だけだから意欲も湧くというもの。


先週の日曜日なんかは、とても硬い泥岩で縄文石笛を作ろうとした時の失敗はガックリした。

泥岩といえども様々で、簡単に加工できるものもあれば今回のように難しいものもある。

日曜日の泥岩は、原石からプレートを作る時にも、その次の孔開け工程にもヒスイの倍は時間がかかった位に硬かったが、孔が貫通直前にガタンと大きな音がして、ドリルビットが折れて泥岩自体も二つに割れてしまった。

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縄文石笛の失敗作の数々。左が日曜日に壊れた泥岩。

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真ん中から割れた泥岩と、破断したドリルの先端。ドリルビットは中国製ということもあるけど、酷使したから疲労破断だろう。ビット供養しなきゃな。



イタリア人なら、大袈裟に頭を抱えて天を仰ぐ場面だが、俺はこんな時には淡々としていられるタイプだ。

こんな時に気持ちを切り替える呪文がある。

「敗けるもんかっ!」である。


これまで二隻の丸木舟を独力で作ったが、大枚はたいて買った10万円のチェーンソウがお釈迦になった時も、ひび割れで船首がパックリと割れた時も、何時だってこの呪文を唱えて何とか乗り越えてきたのだ。



お蔭で今回のような加工の難しい石材加工のコツも掴めた。

泥岩のモース硬度はヒスイより低いのだろうけど、今回の泥岩は切断も孔開けもヒスイよりずっと硬く感じる。

恐らく結晶構造や結晶の結合の関係だろうと思うが、硬度は低くくても硬く感じて加工し難い鉱物・・・例えば軟玉ヒスイ(ネフライト)などと同じで、それなりの工夫が必要といいうことだ。


どんな工夫かというと、それは企業秘密(笑)










ゲッ!・・・あっと驚く漂石ヒスイの価値

2014年01月26日 08時34分46秒 | ぬなかわヒスイ工房






晴天が続いた日和を縫って、知人が某海岸で漂石ヒスイを拾った。


去年の夏に東京の友人のSさんを親不知でダイビングに案内したら、彼はヒスイを探し始めて5分も経たない内に「これはヒスイですか?」と滅多に拾えないレベルの素晴らしいヒスイを拾ったことがあった。

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海岸で拾ったヒスイは「漂石ヒスイ」といって、長い間に自然に研磨された海擦れという独特の風合が珍重される。


一般に川原で拾ったヒスイは加工されて高価に売買されるようになるが、漂石ヒスイは別で、加工されてしまうと価値はグンと落ち、原石のままでヒスイ業者やマニアさん垂涎の的となる。


漂石ヒスイは、海擦れを愛でるところに価値を置かれるのである。


Sさんは無欲なナイスガイなので、そのことを説明した上で、原石のままの方がいいのか?それとも希望すれば孔を開けてペンダントにしてあげるけど、どっちがいいのかを聞いてみた。


Sさんは鉱物マニアではないし、糸魚川の海で潜った記念にペンダントにしたいと希望したので、帰りにぬなかわヒスイ工房によってペンダントに仕立てたのが下の写真。もちろん研磨はしておらず、孔を開けただけだ。

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さて、知人が拾ったヒスイは、小さいけど珍しい宝石質のラベダーヒスイだ。


俺はSさんのことがあったので、「綺麗だねえ、いらなかったら工房に飾るから頂戴!」と知人に気軽に聞いてみた。


「馬鹿いえっ!業者に見せたら10万円で売って欲しいと言われたんだよ~!」


ゲッ、煙草の箱より小さい手のひらに乗るヒスイがじゅうまんえんっ!


原石が枯渇する一方の糸魚川ヒスイでも、まだ糸魚川の海は宝の山なんだなあ。


ヒスイハンターさんが遠くから糸魚川に押し寄せる訳だ。


じゅうまんえんのヒスイを預かって撮影したので、以下の写真を目の保養にどうぞ!実物は透明感のある青味がかった深緑色しています。

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確かに光を当てると薄い部分はすごく綺麗に透過する。

これがじゅうまんえんの光だっ、まいったかっ!













糸魚川ボクシングクラブ・・・あの頃はみんな元気で若かった

2014年01月24日 06時52分19秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画






家に帰ったら、可愛らしいお客さんが親父から座敷でボクシングを習っていた。


お隣の居酒屋「夢路」のお嬢ちゃんのMちゃんと、その幼稚園仲間の女の子達だ。

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ボーイッシュで可愛らしいMちゃんは、よく家に遊びに来て親父やお袋の遊び相手をしてくれている。



親父がミットを持って、「ジャブ、ジャブ、ワンツー!」と声を掛けると、幼稚園児たちは真剣にパンチを繰り出していた。


順番待ちの子供達は、きちんと正座してジッと見学している・・・可愛い過ぎる!

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なんで家でボクシングを教えているかというと、俺の親父は昭和32年度社会人ボクシング大会のライト級チャンピョンで、現役引退後は糸魚川ボクシングクラブを運営していたのだ。


地方のアマチュアボクシングクラブには珍しく、ちゃんとしたリングやサンドバックなどの練習機材が一式揃っていて、俺の子供の頃はジムが近所の子供達の遊び場だった。


ジムはクラブのスポンサーの一人でもある叔父が経営する土建屋の建屋を借りていて、最盛期には俺の家には若い練習生が居候したり、盛大な宴会をよくやっていた。


クラブ主催のクリスマスパーティーでは、縁側に母方の叔父がボーカルとリードギターをしているロックバンドを入れて、着飾った綺麗な若い女性も大勢来て、飲めや歌えやの大宴会。


当時では珍しい生ビールの樽(木の樽だった!)がデ~ンと置かれ、シャンパンが景気よく抜かれたが、あの頃は本当にみんなよく飲んだ。


そんな時はお袋一人では賄いが出来ないので、親戚のおんなしょ(女の衆)が動員されて、盆と正月と一緒に来た上に祝言も同時にやっているような騒ぎになることが普通だった。


今思うと夢みたいだけど、奥行二間で三尺幅の縁側にどうやってドラムセットを置いたのだろう?


バンドの編成は覚えていないけど、ドラマー、ギター、ベースの三人だけでも狭すぎるし、お客さんも八畳の座敷と六畳の茶の間をぶち抜いてもすし詰め状態だったと記憶している。


親父も若くて元気だったけど、それ以上に練習生の飲み食いの面倒や試合用のソックス(毛糸の手編み)やトランクス作りで大忙しのお袋は、一体、何時寝てるんだろうと不思議だった。


夜も遅くなってから親父が突然何人もお客さんを連れてきて、俺はよくビールや酒のツマミを買いに行かされたが、その都度、お袋は嫌な顔ひとつせず、ニコヤカにお客さんをもてなしていた。


お袋の得意料理の鳥の唐揚げは、突然の大勢の来客に手早く調理してたっぷり食ってもらって、しかも安くあげるために生まれた知恵の賜物だ。


選手の中には親父に次いでバンタム級チャンピョンになったコータローさんもいたし、北信越大会が糸魚川ボクシングジムで開催されたり、夏休みには駒沢大学のボクシング部が糸魚川に来て、合同合宿したりしていた。


なんと日本プロボクシング界の恩人、あまたの世界チャンピョンを育てた名伯楽エディ・タウンゼントをコーチとして招待したこともある。

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家には若い衆がゴロゴロしていて賑やかだった。


俺が高校生の頃に土建屋の叔父が亡くなって、土建屋を廃業した機会に糸魚川ボクシングクラブも閉鎖したが、親父は今でも家の前にある糸魚川東小学校で学校の先生や子供達にボランティアでボクシングを教えている。


たまに近所の子供達もこうやって遊びにきてくれる。


映画「スタンドバイミー」を観た時、あの頃を猛烈に懐かしく思い出した。


糸魚川の人々よ、かって糸魚川には隆盛を極めたアマチュアボクシングの名門ジムがあったということを記憶しておいて欲しい。


せめて親父とお袋が生きているうちは。






ひい婆ちゃんは冬になるとガメラに変身するノダ・・・わたこに再会

2014年01月21日 07時52分44秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画





週末に、糸魚川市本町通りの「町屋文化を保存する会」で毎年恒例のカルタ会があった。


場所は旧倉又茶舗さんで、糸魚川市出身の童話作家、小川英子さんの実家である。


地域活性化の方法はいろいろあるだろうが、「町屋文化を保存する会」は年に何度もこんな手作りイベントを開催して頑張っている。

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カルタ会で懐かしい「わたこ」に再会した。

わたこの漢字表記は綿子であるらしい。

写真右側の和服女性が背負っている青いのがそれだ。



「わたこ」とは、真綿をわたこ専用の饅頭型の笊や木でできた型に広げて糊づけして固めた自家製の背中だけを温める室内防寒着で、概ね襟と紐が付けられて藍染されている。



既製品が売っていたのかどうかは知らないけど、お袋の実家では30㎝弱の四角い布団用の「吊り綿」というものを布団屋さんから買ってきて、自分で円盤状に伸ばして手作りしていたそうだ。



古くなって薄くなったわたこは、何度も吊り綿を重ねて藍染をし直していくので色がどんどんと濃くなっていくとのこと。



再会したわたこは鮮やかな青であったから、まだ作り直し回数の少ないわたこなのかも知れない。



「雪国十日町の暮らしと民具」・・・十日町市立博物館発行・・・によると、養蚕農家は真綿の自家栽培も
含めて手作りしていたようだ。



正面から見たらどうなっているのか?という質問もあったので、以下の写真は、「雪国十日町の暮らしと民具」からの転載(無断でゴメン!)。

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囲炉裏や火鉢など、昔の暖房機は身体の前面しか温まらいので、背中の保温が必要だったということだ。

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襟と背負い紐は各自の好みで作る。

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形にもいろんなバリエーションがあるところが面白い。
「カメコ」と呼ぶ地域もあるようだ。




主に年配の女性が背中に背負って胸元で紐で縛って着用する。



子供の頃、ひい婆さんが冬になるとわたこを「かんて」・・・担いでという意味の糸魚川方言・・・炬燵で丸くなっている姿は、まるでカメみたいで可愛らしかったのを覚えている。



わたこは円盤状をした背中だけに当てる形状なので、太って背中が丸まった年配女性が着るとちょうどカメの甲羅のように見えるのだ。

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カルタ会の参加者の中から最もわたこが似合いそうな女性に背負ってもらって撮った写真がこれだが、このわたこは明るい青だけど普通は黒に近い紺色だ。



右が名作「ピアニャン」の作者の小川英子さん。



わたこを背負ったひい婆さんの丸まった背中にまとわりついて、「婆ちゃん、ガメラみたい!」と甘えて遊んだ少年時代の記憶が蘇った。

 


潮っ気・・・スマートで・目端が利いて・几帳面・これぞ船乗り!

2014年01月18日 21時30分18秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト






夏に譲ってもらった壊れたシーカヤックの補修問題が少しづつ解決してきた。

方々に電話やメールで問い合わせても交換部品の適合品が見つからなかったのだが、何とか解決方法が見つかってきた。

なんせ20年前の古いアメリカ製カヤックだから仕方ない。

最も頭を悩ませていたのは船体FRPの破損だ。



糸魚川のサーフィン界の親分、ノブさんに相談したら能生町の「中村造船所」を紹介して貰えた。



恐る恐る忙しそうな中村造船所を訪ねてみたら、気さくな親方で安心。

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右が中村造船所の社長。俺は親愛の情を籠めて親方と呼ばせて貰っている。

親方も若い頃は俺と同じくウインドサーフィンをしていたそうで、マリンスポーツの話しで意気投合。

シーカヤックの状況を説明したら、意外にも安い見積りをしてくれた。

船乗りやマリンスポーツ関係者の間では、「潮っ気がある」という評価は褒め言葉だ。

旧帝國海軍でも、船乗りのあるべき姿を「スマートで・目端が利いて・几帳面・これぞ船乗り!」と教育していたそうだ。

即ち、気風がよくて話が早く、マメで面倒見の良い人柄が、海に携わる人々の望まれる気質・・・つまり船乗り気質といえる。

日本海縄文カヌープロジェクトを始めて、これまで潮っ気のある人達に随分と世話になった。


有難いもんだ。

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1月18日の土曜日、晴れ間を縫って造船所にシーカヤックを運び込む。

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雪が舞うなか、造船所の前で波乗りしているド根性サーファー発見。

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一階は30tのカニ漁船を造船中なので、若い衆に手伝って貰って四人がかりで三階まで搬入した。

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一階と二階は、ご覧の通りのでっかいカニ漁船が鎮座。豪儀なモンだ。

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三階に運びこんだ二杯のシーカヤック。二隻ではなく二杯という処が通なのだ。

四月になったら、生まれ変わったシーカヤックで海に出る。

は~るよ来い!は~やく来い!(糸魚川出身の相馬御風の作詞です)





軽トラキャンピングカーの自作(その3)・・・骨組みで補強

2014年01月12日 20時03分49秒 | こんなモノ作った!




DIY雑誌『ドーパ』2月号に、俺の作った軽トラキャンピングカーが紹介された。

出版直後からブログ開設史上で最高のアクセス数を記録したが二日間で元に戻った・・・まあこんなもんだ。

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さて、軽トラキャンピングカーの自作(その2)の続き。


『ドウーパ』では紙面の関係で紹介されていなかったが、ポリカ波板のドームを南京縛りするだけでは横風に弱いという欠点がある。


その欠点を克服したのが小滝区のNさん。


Nさんのアイデアは、弾力のある骨組み材を使って、ポリカの内側から押上げるというもの。
 


確かにポリカを外からロープで縛ってから、内側からも押上げればモノコック構造になって強い。

流石に冬は4mもの積雪となる小滝区の人は生活力がある。

日常的にアウトドア活動をしているから、知恵があって何でも自分でできる人が多いのだ。



骨組み材として色々と検討した結果、弾力がある軟質ポリエチレン管がベストと判断したそうだ。


軟質ポリエチレン管は屋外を水道配管する時に使用する建設資材で、ホームセンターでは取り扱わない商品だ。

 

売っているのは配管業者相手の管材屋さんや建設資材屋さんで、普通は50m単位くらいの注文販売で、在庫はなく値段もそれなりにする。


しかし小滝区には自分で山から水を引き入れている人も多く、Nさんの納屋にも余分な軟質ポリエチレン管が埃を被っていたそうだ。


身近にあるモノや廃材を利用するという所が、俺のようなDIY愛好者にグっとくるアイデア。

余談だけど、俺はホームセンターや百均ショップ、古道具屋を買い物ついでに観て歩くのが好きで、そんな積み重ねがDIYの時にはアイデアの引出になってくれて随分と助けられている。


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骨組み無しの状態。このままだと横から押すだけでグラグラして頼りないが、この状態で走っている人が大部分。

 

骨組みの作り方は以下の通り。 

まず長さ九尺(2700㎜)のポリカより少し短めに切りそろえた軟質ポリエチレン管を用意する。


それから強引に軟質ポリエチレン管をU字型に曲げて・・・結構大変だ・・・、ドーム状に組んだポリカの中で離せばバシっと元に戻ってポリカを内側から押上げてくれるのだ。


コツは軟質ポリエチレン管をポリカの凸凹の凹んだ部分に左右均等に配置すること。
 
 

説明は簡単だけど、やってみると結構難しいのだ。


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骨組みの途中。全部で五本使っている。Nさんの改良はここまでだが、ドームの両端から風雨が入る欠点があるので、俺は奥と手前の骨組みにブルーシートを挟んで固定している。キャンピングカー仕様にするのはここの工夫が大事。



ポリカドームのままだと手で押せばグラグラして頼りない感じだけど、軟質ポリエチレン管がビチっとはまればビクともしない強度になる。


俺はNさんから小分けして貰った直径4.7㎜の軟質ポリエチレン管を骨組みにしているが、入手困難だから塩ビ管で代用するというブログコメントが来たことがある。


安易な代用はおよしなさい。
 

塩ビ管は弾力が無いから危険です。

 


縄文の石笛・・・上尾駮遺跡出土の石笛レプリカ

2014年01月09日 18時59分29秒 | ぬなかわヒスイ工房





青森県六ヶ所村の上尾駮遺跡出土のヒスイ製石笛のレプリカを作った。


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縄文時代前期(六千~五千年前)の遺跡だから、熊本県宇土市の轟貝塚出土の石笛と同時代で、構造も似ている。


青森と熊本では随分と離れているのに、石質と形状はともかく貫通した孔を持ち、指孔があるオカリナに似た石笛があるというのはどういうことなんだろう?


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勾玉のように厚み1㎝前後の薄いヒスイに小さな紐孔を開けるならともかく、奥行6㎝もの太い貫通孔を開けてある驚きの技術。
超高音から低音まで、従来の石笛の概念を超えた広い音域が出た。

俺の現時点での調査では、間の都道府県からは同じ構造の石笛は出土していないようだ。


不思議・・・。

岡本太郎がメキシコで個展をした時に、現地の人から「貴方の作品にそっくりな古代の出土品や壁画がメキシコには沢山ある!」と驚かれたらしい。

太郎さんは「なんだ!メキシコ人は何千年も前から俺の真似してんのか!!」とジョークで返して喝采を浴びたとのこと。

それにしても青森と熊本の縄文石笛の類似は、似た者同士が空間を超えて共鳴して作ったシンクロニシティーの為せるワザなんだろうか?


そんな事を想像すると愉しい。

しかも驚くべきことに、上尾駮遺跡出土の石笛はずっと硬いヒスイ製ということ。

轟貝塚の石笛は、柔かい黒色石灰岩だから加工はずっと楽だったろうと思う。




青森出土の縄文石笛の写真を観る限りでは、透明度の高い緻密なヒスイ。

レプリカは、小滝産ヒスイとチャートで作った。

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透光させると綺麗な石笛が出来た・・・売りたくない!と思ってしまった(笑)

貫通孔は、竹管を回転摩擦して孔を開けたのだと推測されるが、その技術力の高さには驚くばかり。

どうして竹管の回転削孔だと分るかというと、青森県教育委員会から取り寄せた実測断面図には、孔の入口が広くて中央が狭くなっていたからだ。

近代工具でもハンドリューターという機械でダイヤモンドビットを回転させながら孔開けすると、同様に軸ブレで入口が狭くなるのだ。

『ぬなかわヒスイ工房ネットショップ』http://nunakawa.ocnk.net/に何点かアップしたら、あっという間に売れた・・・残すは1点のみ・・・。

また作らなきゃ・・・石笛ファンが待っている。

誰もレプリカを作ってないからね!







飛騨高山からの贈り物・・・指物師の砥石

2014年01月06日 23時48分00秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画







去年の夏の終わりに、飛騨高山から重たいダンボール箱が五箱も送られてきた。

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腕のいい指物師亡き後、その子孫が大量に残った道具類を是非とも譲り受けて欲しいと送ってきたのだ。

指物師とは、釘など使わない伝統的な箱物を作る職人さんである。


最初は俺ごときが頂くのは畏れ多いと辞退したのだが、送料も持つから是非とも貰ってやって欲しいとのこと。


子孫の方も高齢なので、自分が目の黒い内に誰かに貰って欲しいのだけど、価値の分らない古道具屋に売るなんてことはしたくないし、俺が古いモノを大事に使うとの噂を聞いたので、亡くなった指物師の供養だと思って受け取って下さいとまで言われたので頂くことになったのだ。



過去にも糸魚川市の桶職人や上越市の「どぶね」職人の子孫が、道具を譲り受けたことが
あるが、後継者不足の職人世界の悲愁を感じる。


己の腕一本で家族を養ってきた職人の生涯・・・
そんな彼らの手に馴染んだ道具が日本中で処分されているのだ。


立派な道具が活躍する場も、使い手も失って泣いている・・・哀しい現実。

因みに「どぶね」とは、北陸で発達した網漁に使う古い形式を残した木造漁船だ。


飛騨高山からの段ボールを開けて特に目を引いたのが、自作した専用の箱に収納された大量の砥石類。


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砥石の値段はピンキリだが、俺が普段使っているシャプトン社の合成砥石「刃の黒幕」シリーズも、値段の割にはとてもいい砥石だ。


古武術研究家の甲野善紀先生や、和光大学の関根秀樹先生といった、俺の周りの刃物に詳しい人達も愛用している砥石。


お互いに使っている砥石が「刃の黒幕」シリーズと分って笑いあったもんである。



それでも合成砥石とは比較にならない風格のある天然砥石に息を呑んだ。

中には厚みが5㎜以下まですり減った仕上げ砥もあるが、完璧に平らにすり減っていることから、余程に腕の立つ指物師さんが愛用していた砥石に違いない。


つまり良い砥石ということだ。
ちゃんと砥石に合わせた台も付いている高そうな砥石。


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こんな良い砥石が俺ごときに貰われて、本来使うべき人に使われないことは不幸なことだとシミジミ想う。


だからすり減った砥石は、使わずに飾っておこうと思う。

 

立派な職人と道具へのオマージュであり、レイクエムだ。


以前にNHKのテレビ番組で、玉葱を切る時の目に滲みる対策を紹介していた。


我が家では水泳用ゴーグルを使っています!なんて主婦がVTRで紹介された時には笑って観ていた。


しかし番組の半ばから料理研究家が、まな板の両側に蝋燭を立てれば、玉葱の目に滲みる成分が上昇気流で上がって目に滲みないだの、切る前にレンジでチンすれば大丈夫と紹介していて段々と腹が立ってきた。


何で最も初歩的なことを紹介しないのか?・・・不思議だ。

玉葱が目に滲みるのは、切れない包丁で強引に玉葱を押し潰しているからだろう?

よく研いである包丁なら玉葱は抵抗なくスパスパ切れて目に滲みないのだけど、料理研究家ともあろう人がどうして包丁の研ぎを問題にしないのか?


司会者もゲスト達も「なるほどネ~!ガッテン!!」って喜んでいたが・・・何ていう番組か分りますね(笑)・・・誰もそんな基本的な解決法を語らないのは何故だろう?

多くの日本人が自分で包丁を研ぐことや、良く切れる包丁で料理するという経験がなくなってきているから、番組制作者は包丁の研ぎを一般的ではないと度外視したのだろうか?


だとしたら嘆かわしい・・・。


日本人の基礎的な生活力の低下を如実に現していることになる。

よく切れる刃物が欲しいので、伝統的な本物を紹介して欲しいと知人から尋ねられたことが何度かあったが、問題は使い手に研ぎの技術があるかどうかだと思う。


極端な話し、百均で買った包丁だって研ぎ次第でよく切れる・・・と思う。


さて、嘆いてばかりもいられない。


俺が一生かかっても使える量の砥石でもないので、あの砥石の良さを分る人にならお裾分けしてもいいと思っている。


俺の所に送られてくる前にあの砥石を観たある木工家が、素晴らしい砥石なので譲って欲しいと言ってきたそうだが、子孫が態度が気に入らんと断ったといういわく付きの砥石だ。

お裾分けの適任者は関根秀樹先生くらいかなあ?・・・困ったもんだ。