縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「海のヒスイ・ロード」・・・三内丸山遺跡到着

2014年07月22日 23時36分09秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

竜飛岬を越えて、気が抜けてしまった。
旅が終わった感じがする。

平舘からは静かな陸奥湾。
これまでの二ヶ月間は、向い風や追い風でも白波が立つような荒れた海ばかりで、緊張の連続だった。
しかし竜飛からは下げ潮、つまり対馬海流と同じく私の進行方向へ流れる潮が続き、波も立たず、風も弱くなり、旅の最後に神様がご褒美をくれた感じ。

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静かな陸奥湾には、私の少年時代の糸魚川では使われなくなりつつあったガラスの浮き球がまだ使われていて感動した。帆立貝養殖の定置網とのこと。

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改めて数十年ぶりに見るガラスの浮き球は、青一色ではなく、緑や茶色、それらが混ざった色もあったことを知った。再生ガラスが使われているのだ。

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少年時代にやったように、ガラスの浮き球を透かして辺りを見回したら、やっぱり昔と同じく青く歪んだ世界が観えて、この青い世界に入り込んでみたいと思った。

青森港の近くでも、陸奥湾には馬糞ウニがウジャウジャといた。
豊穣の海が縄文王国を支えたのがよく分かる。
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盛夏でも晴れた日の陸奥湾は、こんなに綺麗だ。
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いよいよ沖舘川が近づいてきた。
事前に、青森県土木事務所河川砂防課に問合せたら、沖舘川から三内丸山遺跡遺跡近くの上流4キロくらいまでは堰堤もなく、流速も緩やかであるが、水深計は設置していないので不明とのことだった。

そこで最後のキャンプ地、油川から歩いて沖舘川を遡り、三内丸山遺跡まで偵察。
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最後のキャンプ地の油川海水浴場は、すぐ近くに油川駅があり、青森駅まで電車で20分ほどの距離。

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沖舘川河口。五千年前には、地球温暖化で三内丸山遺跡手前まで陸奥湾が広がっていた。沖舘川は、その時代の名残りとのこと。

最後の1キロくらいはシーカヤックから降りて引いて歩けば、三内丸山遺跡に隣接する遊水地であるリバーランドから上陸できそうなことを確認した。

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上陸地点を三内沢部橋と決め、ゴール当日の取材申し込みがあった朝日新聞社と陸奥新報、受入れをしてくれる三内丸山遺跡の縄文自遊館、それに糸魚川市から650キロも車を飛ばして出迎えてくれるという友人の赤野さん一家に連絡をする。

ゴール日時は、赤野家の都合に合わせて7月19日午前中と決めた。

青森最後の朝、出発準備をしていたら、早朝の犬の散歩で顔見知りになったオバチャンがコンビニ弁当の差し入れを持ってきてくれた。

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青森の人はなんて親切なんだろう。

当日の天候は、天気予報に反して、風も弱く雨も降っていない。

最後の難所は、青函連絡船のフェリーターミナルだ。
沖の離岸堤まで大迂回・・・予想通り、北東のウネリが離岸堤に反射して、1mほどの掘れたウネリがグチャグチャになって待っていた・・・初心者には生きた心地がしないレベル。


そしてついに沖舘川に入った。風もウネリもない水域を快漕!

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二つ目の橋の上から、横断幕を持って手を振っている親子がいた。
横断幕には、「山田さん がんばれ!」と書いてある。
初対面だったけど、青森市在住のフェイスブック仲間のTさん親子だった。

私の通過を、橋の上で2時間も待っていたくれたとのこと・・・これには痛み入った。

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事前の下見通り、河口から3キロくらいでジャングルっぽくなって、水深が浅くなってきた。

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こんな場所ではシーカヤックを降りて引っ張るしかない。探検みたいでワクワクした。

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上陸地点まで500mほどの所で、糸魚川から駆けつけてきた赤野さんが手を振っていた。二ヵ月ぶりの再会。写真は赤野さん撮影。

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上陸地点の三内沢部橋で、赤野ファミリー、縄文自遊館の三浦事務局長、朝日新聞の鵜沼記者、陸奥新報の石橋記者が待っていてくれた・・・沖舘川遡上は4.8キロ。ただ感無量。

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上陸した後は、赤野キッズと三内丸山遺跡まで歩く。

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到着!出発地点の上越市から三内丸山遺跡までのGPS測定距離は、780キロだった。

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熱い日だった。

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三内丸山遺跡出土のヒスイに再会。

20年前に三内丸山遺跡を訪れた時に、このヒスイが五千年前に糸魚川から丸木舟で三内丸山遺跡まで運び込まれたのだと学芸員さんから聞いたことが、日本海縄文カヌープロジェクトを始めるきっかけになったのだ。

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私の愛艇、「縄文人(見習い)号」・・・二ヶ月間も陽に炙られ、潮風に曝され、時化の海を乗り越えて、780キロを共に漕ぎ渡ってきた頼もしい戦友。

今はエアコン完備の三内丸山遺跡縄文自遊館のバックヤードで休憩中だ。

私はひとまず赤野さんの車で糸魚川に帰った。

7月24日に県立海洋高校の授業の一環で、丸木舟でミニ航海が予定されているのだ。

7月27日には、火起こし体験会の講師も頼まれている。

8月になったら軽トラで青森に帰って、シーカヤックの引取りに行く。

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折しもねぶた祭りの頃。

それまでゆっくり眠ってくれい・・・縄文人(見習い)号よ・・・。


「海のヒスイロード」…三内丸山遺跡到着の予定。

2014年07月15日 13時26分29秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト


青森市まであと20キロの蟹田で、休養を兼ねた時間調整。
竜飛岬を越えて、抜け殻みたいになっている。

時間調整とは、糸魚川の仲間達が7月19日に三内丸山遺跡まで出迎えに来る事になったのだ。
青森県土木に確認したら、三内丸山遺跡西側にある、沖館川を遡上すれば、遺跡から歩いて直ぐの所までなら行けそうなのだ。

竜飛岬から追風が吹いている。
朝日新聞と、東奥日報さんからも取材を
受けた。
朝日新聞の鵜沼記者は、青森版と新潟版、全国版の夕刊、それとWeb版に記事を出したいと随分と熱心に取材されたので、当該地区のかた、暫く私の記事が載るかも知れませんので、読まれた方はご一報下さい。

以下は、昨日、鯵ヶ沢町教育委員会の中田学芸員からメール頂いた、彼が陸奥新報に連載している随筆の記事である。
ご興味ある方、ご一読のほどを!
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「海のヒスイロード」…竜飛岬越え。

2014年07月13日 13時46分11秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト
海のヒスイロード実験航海実験で最大の難所としていたのは、対馬海流が狭い津軽海峡を流れる竜飛岬てある。
旅も後半に入り、竜飛岬が近づいてきて、緊張感が高まってきた。

十三湖で出逢った青森のシーカヤッカーは、竜飛岬の展望台から見下ろすと、凪の日でも白浪が立って渦が巻いているので、あんな恐ろしい所は絶対に行きたくない!と言っていた。

竜飛岬越えのベース基地は、15キロ手前の小泊港。
小泊の漁師達に、竜飛岬周辺の海の情報を聞いてまわり、北西の風の時は時化るので絶対に駄目であり、南西風の時なら下げ潮でウネリも無いとアドバイスを貰う。

折しも巨大台風8号が沖縄に被害をもたらしていた時である。
晴天続きの青森も曇り勝ちになってきた。

しかし漁師の話では、今の曇り空は梅雨前線停滞の影響であり、台風とは関係ねぇ、竜飛岬を渡るなら今だぞ!と励まされる。
漁師達に、十三湖で聞いた竜飛岬の渦の事を尋ねたら、渦は年中巻いているが、磯伝いは静かで台風が九州に上陸する迄は凪が続くだろうとの事。

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小泊の役場の屋上には、イカ釣漁船が乗ってる。
ここは津軽海峡の緊急避難港であり、役場には船員の為の各種申請窓口があった。
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小泊漁港の前には、船具や船に必要な食品、酒タバコ、衣類等が置かれている船具店がある。
青森の漁師が愛用する、間切(マキリ)が売っていたので購入。
間切は、アイヌの鉈であるタシロから派生した片刃平造りの万能ナイフである。
青森の漁師は、イカ切りとも呼び漁船に積込んでいる。
柄が大き目なので、海に落としても沈まないのだ。
中央の内反りのある刃物は、ロープカッター。


竜飛岬を越える数日前から気が昂ぶって眠れなくなつた。
前日は、銭湯で髭や髪を手入れして、不要品を糸魚川に送ったり、処分して身辺整理をした。
シーカヤックに積んでいた20リットル近い水も3分の1程度に減らして軽量化。
少しでも軽くして、一気に竜飛岬を越えるつもりである。

竜飛岬越えの朝、興奮して2時に目覚める。
朝早いほど凪だとのアドバイスだったので、5時に出発。

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漁師のアドバイス通り、ウネリも無く下げ潮でしかも斜め後ろからの追風で快走。
二ヶ月の旅の間、こんなに良いコンディションは初めてで、あつという間に竜飛岬に到達。

しかし岬の2キロ手前から向風が吹き出した。
岬の反対側から吹き込む風なので、不吉な予感。
そして岬に到着した途端に東の出し風、つまり山瀬(ヤマセ)に変わった。
山瀬が吹き出したら、大至急岸を目指すのが鉄則。
これ迄、山瀬では散々な目にあっているのだ。
竜飛岬の西側の入江にたどり着く頃には、風速10メートル越えのブローとなり、命からがら上陸。
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竜飛岬の西側の入江。山瀬が吹くと急激に空が暗くなり、気温が下がったので岩陰で休憩。
この入江のお陰で命拾いした。

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竜飛岬の展望台に登って岬の反対側を偵察。
確かに聞いて通り渦が巻いていたが、漁師の言うように磯伝いはウネリも無いし、風も吹いていないようなので一安心。


2時間程で山瀬が収まってきたので、遂に竜飛岬越えである。
とにかく磯伝い、磯伝いと言い聞かせて岬に近づき、怖気づく気持ちを払拭する為に、ワッショイ!ワッショイ!と声を出す。
ケンカ祭りの掛け声だ。
どんな困難な時でも、この掛け声を出すと祭り仲間と共に在るのという心強さがある。
先祖代々、この掛け声で神輿を担ぎ、走らせてきたのだ。
先祖と共に在る…そう実感出来る。
下げ潮がシーカヤックのケツを押してくれた。
仲間や先祖が力を貸してくれた。
そして左側50メートルに渦を見ながら、竜飛岬を越えた!
最後の岩場を回って安全圏に入った時、竜飛岬の神にお通し下さいまして有難うございました!。と心から礼を言った。
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竜飛岬を越えた時、不意に男泣き。
最大の難所を越えたのだ。
個人の力ではなく、先祖や仲間と越えたのだ。
シーカヤック経験1ヶ月の初心者が、神の加護の元、絶好のコンディションで越える事が出来たのだ。
こんな経験を積むと、無神論者では有り得なくなる。


今現在、私は陸奥湾に入り、平舘の「ペンションだいば」さんで休養を取っている。
まだ気が昂ぶって熟睡出来ないでいる。

最終目的地は青森市の三内丸山遺跡。
あとは静かな陸奥湾内を南下して、沖館川を3キロ遡上すれば良いだけなので、冒険は終った。
残り数日で旅が終る。

糸魚川の友人達が、7月19日に三内丸山遺跡まで出迎えに来ると連絡があったので、ゴール予定日とした。
別の友人が朝日新聞と東奥日報さんを紹介してくれて、取材も決まっている。
心地良い脱力感、そして寂寥感に浸っている。

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居心地のよさで、平舘で三日間もお世話になった「ペンションだいば」さんの看板娘、キリちやん。
天真爛漫な青森美人で癒やされました(^^ゞ。
一階がレストランで、何を注文しても、納得の味とボリュームで、普通の生活を満喫した。

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ペンションだいばの晩ごはんは、鯨、鯛、ヒラメ、アンコウ、イカ、ムツ、ホタテなど八種類もの地元産魚介類が入っていて、他の宿泊客も豪華さにビックリしていた。

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海まで歩いて三分の位置にあるペンションだいばの部屋からは、平舘灯台が見える。
部屋に居ると、潮騒やウミネコの鳴き声が聞こえ、とても居心地がいいのだ。
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ペンションだいばからは、下北半島が手の届くような位置から見える。
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竜飛岬を越えて疲れたシーカヤッカーにとつて、平舘灯台は静かな陸奥湾内に入った事を教えてくれるサイン。
灯台の後に見えるのがペンションだいば。
灯台の前の浜に上陸すれば、歩いて三分でペンションだいばというアクセスも最高である。
これからシーカヤッカーの憩いの宿になるのではないだろうか?










「海のヒスイロード」…縄文王国青森に到着。

2014年07月04日 18時08分55秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

秋田県境の岩場を越えたら、その名の通り青い森の風景が広がって青森県に入った。
感慨無量。
白神山地を右手に見てひたすらシーカヤックを漕ぐ。
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深浦の手前で難破船がお出迎え。
東日本大震災とは関係なく、去年の台風で難破した外国船籍の船だそうだ。
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子供の頃に好きだったアニメ、未来少年コナンに出てくるような光景。


海の色も濃く、ビー玉越しに海底を見ている感じで感激。
また海辺には、秋田までは無かった流木を集めて薪作りする風景面が頻繁に見られるようになった。
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凸凹して太さも違う流木をこんなにも丁寧に積み上げる技術は凄い。

流木を薪するには、最初に少しづつ砂浜に集めて放置して、雨で塩分を抜く作業をしてからのようだ。
浜辺には流木の小山が点在していた。

そうしないと薪ストーブが塩分で痛みが早い事もあるだろうし、乾燥を早める事にもなるのだろう。
流木を乾燥させた後、家の近くの加工場に運び込んで長さを切り揃えて入るようだ。

今時、そんな手間暇を掛けて薪作りする人々を目の当たりにして感動した。
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浜辺に点在する流木の山。

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それ程の手間暇を掛けて薪作りするのは、お年寄りの仕事。
恐らく、次世代には継承されていかない失われつつある光景。
民俗学者、宮本常一がレポートした、戦前の暮らしが辛うじて残っているのだ。


そして何より感動的なのは、青森の漁師さん達の人懐っこさと優しさ。
休憩に立ち寄った漁港では、どごから来たの?お茶っこ飲んでけ!サザエ食うか?蟹持ってけ!ともてなしてくれるのだ。

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沖では、そんなちっこい船で大丈夫かあ~?と声を掛けてくれる。秋田までは無かった事。

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サザエの刺し網漁師。
バケツ一杯のサザエを持ってけ!と言われて慌てる。

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カニ持ってけ!
漁師さん達が何かをくれる時は、バケツ一杯が単位。
青森の漁師さん達のは、なんて人間臭い人達だろう。
流木の薪作りと同じく、漁師も後継者がいないようだが、あの人間臭い人々が、末永く幸あらんことを切に願う。



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深浦、鯵ヶ沢と、縄文時代のヒスイ出土遺跡が続く。
鯵ヶ沢町教育委員会の中田主任学芸員を訪ねた。

見せて頂いた出土品に、どうも糸魚川産の蛇紋岩製らしい磨製石器を見つけた。
鯵ヶ沢でもご先祖に出逢ったのである。

これから竜飛岬を目指す。
最終目的地の青森市の三内丸山遺跡まで、残り150キロ程。
天気さえ恵まれれば、二週間で到着する位置まで来ているのだ。

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青森の海は、本当に美しい。
そして人々が素晴らしく親切。