縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

奴奈川(ヌナカワ)は今も流れているのデス・・・ヌナカワ姫伝説探偵

2023年12月31日 08時29分34秒 | ぬなかわ姫
「沼名河の 底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも・・・」と、元祖ヒスイ拾いを物語ったような万葉集に詠まれたヌなす川、すなわちヒスイを産するヌナカワはどこにあるのか?ヒスイが拾えるのは姫川水系と青海川水系だが、ヌナカワとはそれら河川の昔の名前?
現在は地元の人からも忘れ去られているが、じつは奴奈川(ヌナカワ)は姫川左岸の田海区に、今も用水路として流れている。水源は糸魚川のランドマークといえる黒姫山だ。
 
糸魚川の郷土史家の青木重孝氏は「青海町史」のなかで、奴奈川姫が実在したなら、東西を姫川と奴奈川に挟まれた大角地遺跡(おがくちいせき)に居住した可能性が高いのではないかと推理している。
写真は国道8号線沿いに西を向いて建っている奴奈川姫の銅像。何度でも書くけど、わたしの子供のころは東の市街地に向いていたが、平成の大合併の時に向きを180度かえられて、このころから「奴奈川姫は西の彼方におわす八千鉾神を偲んでおられる」といった類いの宣伝文句がでてきたのですネ。
 
脱線になるが、おそらくこのタイミングあたりで「奴奈川姫と八千鉾神の古代のラブロマンス」が観光資源として本格化したのではないだろうか。また聞きだけど、当時の市議会では「国道8号線を通るドライバーに銅像が尻を向けるのは無礼である」と銅像の向きを180度変えると議決されたらしい。市民に尻を向けて無礼ではないのかw・・・本当の話しかどうかは不明。
ちなみに大角地遺跡は、国内最古級のヒスイが出土した縄文~古墳時代の玉つくり遺跡。もっとも出土品は装身具ではなく、石器つくりのハンマーと考えられる原石だが、位置的には姫川と寺地遺跡の中間くらいにある。今なら産業道路沿いのコンビニ付近ですナ。
糸魚川市長者ヶ原遺跡考古館の展示品。友人のオランダ人考古学者のイローナ博士は、アルプス山麓に硬玉ヒスイ製の長大な磨製石器を威信材にした文化が7,000年前にあったとレポートしている。老婆心ながら威信材や装身具ではなく未加工の道具としての前期初頭の使用例だから「国内最古級のヒスイの使用例」と表記した方が無難かなぁ・・・これも何度も書くけどw
姫川を西に渡った左岸から黒姫山を望む。現在は山頂に多賀明神が祀られているが、口碑には奴奈川姫命・奴奈川彦命・黒姫命の三柱を祀るとあり、黒姫は奴奈川姫の母神とも、黒姫は奴奈川姫ともあるので、奴奈川姫は皇后で黒姫は上皇后のような世襲制の女系家族であったことを伺わせる・・・かなぁ。
 
青木氏の論拠は、大角地遺跡の西に奴奈川が流れる沿岸に黒姫山を遥拝する西向きに奴奈川姫を祀る山添神社が鎮座し、ヒスイ加工遺跡+祭祀場+象徴(黒姫山)の状況証拠が揃っているというもの。
奴奈川左岸の山添神社。多くの神社は南面しているのは「天子南面す」という中国思想の影響によるものらしく、それ以前は祭祀の対象を遥拝する向きに建立されていたと聞く。現在の山添神社は西向きで黒姫山は見えるものの、正確には南南西に黒姫山が見えるのでちょっとだけズレている。建て替えの際に西方浄土思想をうけたものか?今は新幹線の高架が邪魔して見えにくいけどw
ご祀神は奴奈川姫命・菊理媛命・建御名方神とあるが、氏子は黒姫権現と呼び奴奈川姫命と同義としているようだ。菊理媛命は中世の白山信仰の流入以降だろうし、建御名方神は奴奈川姫の息子とされてはいるが、糸魚川地域には建御名方神に関連する伝説は皆無といってよく、これまた中世の諏訪信仰の流入からではないだろうか。
 
残念ながら奴奈川ではヒスイは拾えないし、不思議なことにこの地域には黒姫山にまつわるヌナカワ姫伝説はあっても、イズモに関する伝説が皆無なのだ。つまりはイズモ勢力の侵攻をうける以前の古代ヌナカワ祭祀圏の中心地であったものか?
 
ヒスイ加工遺跡+祭祀場+象徴という条件なら、姫川右岸の拙宅周辺の糸魚川市街地も負けてはおらず、むしろ豊富にそろっている。ヌナカワ姫に懸想したイズモの八千鉾神から逃亡して、拙宅南2キロの岡のうえにある稚児ケ池に追い詰められて「お隠れになった」といった生臭い口碑まである。
 
現在の糸魚川市の範囲に数あるヌナカワ姫伝説のなかで、イズモ絡みの伝説は姫川左岸には見当たらず、右岸にのみ語り継がれてきたのは何故だろうか?信州には姫川右岸沿いの県境付近に、ヌナカワ姫がイズモから逃亡してきたといった類いの伝説は残っている。
 
そんなことから、「古代越後・奴奈川姫の謎」の著者の渡辺義一郎氏は、伝説を時系列に並べる試みをして、黒姫山のある青海区がヌナカワ姫伝説の発祥地であり、弥生時代くらいに古代ヌナカワ姫祭祀圏の中心地が姫川右岸の現在の糸魚川市街地に移動したと推理しておられ、この解釈は概ねはわたしも同じ。
ただし神社の由来や伝説は時代によって変容するものだから、伝説そのままを時系列に並べられるとまでは考えてはいない。
 
大正時代までの奴奈川神社が、ヌナカワ姫とヌナカワ彦を祀った柳形神明神と呼ばれてきた史実に加え、柳形とは稚児ケ池の小字ということがわかっている。そこに加えて、明治末に糸魚川町・柳形村・奴奈川村が合併したという文章をみつけたので、この正月は柳形村と奴奈川村の所在地を探そうと思う。全五巻もある「糸魚川市史」のどこかに書かれているかも。
 
*文中に奴奈川とヌナカワが混じっていて読みにくいでしょうが、文献や由来などに書かれている固有名詞は「奴奈川」と漢字表記をして、個人的な想いの部分ではヌナカワとカタカナ表記をしております。
 
なぜなら漢字の奴の由来は「囚われた女奴隷」を意味する象形文字ですので、氏子としてつかうに忍びないからです。
奴の漢字表記は「出雲國風土記」からで、記述者が純粋に発音に当て字しただけなのか、あるいは見下す意識があっての当て字であったのかは不明です。
しかしながら糸魚川に伝わるヌナカワ姫伝説は、イズモ勢力の武力侵攻があったことを伺わせる内容が多いことと、考古学的な物的証拠には山陰方面と友好的な関係を伺わせる資料がまったくなく、むしろ隷属関係であったらしいことが伺えて、悲劇的な伝説と符合がいくのです。
そのことから大正時代くらいの郷土史家たちは、蝦夷のヌナカワに弥生文化のイズモに征服されたのだろうと考えており、昭和に糸魚川市史を編纂した青木重孝氏も同じ見解であったようです。
ヌが玉を意味するなら、瓊瓊杵尊とおなじくヌナカワは瓊奈川とするのが字義通りであると考えております。
 
 
 
 

 


年内最後の勾玉つくりは「縄文三兄弟」・・・北から南にそっくりさん勾玉が出土しているのだ

2023年12月29日 07時26分11秒 | ぬなかわヒスイ工房
縄文なかよし3人組から、同じ原石で遺物モデルの勾玉3個の注文品が年内最後の勾玉つくり。
縄文三兄弟の勾玉は、遺物っぽい感じをだすのに、不純物の多い緑系ヒスイをつかい、しっとりした艶消し仕上げにしてみた。
 
モデルにしたのは左と中央が青森の朝日山遺跡と上尾駮遺跡・新潟の元屋敷遺跡、北海道南部から出土した勾玉の類型で、このエリアの勾玉は見分けがつかないくらい似ている。右端がなんと遠くはなれた福岡県の高畑遺跡モデル。
中央が福岡の高畑遺跡モデルで左右が新潟・青森・北海道モデル。実物の写真だけで比較するとそうでもないが、三つともぽっちゃりカワユクつくったら、額部に1条の刻みがある胎児形のバリエーションであることが鮮明になりましたナ。勉強になりました~。
ついでながら中央左上の三角形っぽい勾玉は、阿賀野市の弥生時代の山口遺跡から類型が出土していて、縄文の遺物とは明らかにちがってプレートをつくった上でカチンとした扁平に仕上げてあり、好みの変化や技術革新があったことが伺える。
山口遺跡から出土した勾玉モデルはスクエアーな形状。ネフライトでつくった作品。
 
3,000年前に新潟・青森北部・北海道南部に共通の勾玉文化圏があったことや、北部九州にどんなルートで伝わったのか?勾玉ってなんだろう?不思議だらけ。
 
 
 
 

諏訪明神はタケミナカタのみに非ず!?・・・北沢房子著「諏訪の神さまが気になるの」

2023年12月26日 08時08分19秒 | ぬなかわ姫
ネット情報を都合よく切り張りした、我田引水の解釈でモノゴトを語る人はおおく、またトンデモ説ほど拡散しやすい。
 
ヌナカワ姫の子供とされている諏訪明神(タケミナカタ)の伝説が、糸魚川に見当たらないのはなぜだ?
文献を丹念に読み込んで論考した本書に、そのヒントがありそうだ。
 
初期の諏訪大明神は、複数の神様コンプレックスであったのが、鎌倉幕府の中枢にいた諏訪円忠がタケミナカタ推しのキャンペーン活動をした結果、諏訪明神とはタケミナカタ!と知名度を獲得していったのですな。
 
糸魚川の碩学、青木重孝氏も、市内の諏訪系神社は尚武の気風が奨励された鎌倉時代の創建なのだと「糸魚川市史」に書いていることと符合がいく。
 
神社の名前や由来書きも、実は明治以降の国家神道の時代以降に書き替えられていることが多く、奴奈川神社もヌナカワ姫命とヌナカワ彦命を祀る「柳形神社」「柳形明神」と呼ばれていた。
 
柳形とはイズモ勢力から逃げてきたヌナカワ姫が「お隠れになった稚児ケ池」の小字であることがわかっていたが、明治末に「糸魚川町、柳形村、奴奈川村が合併した」という文献を発見した。
 
丁寧に時系列で調べていくと迂闊な解釈はできなくなるのが普通だよねw
 
 
 

スノーダンプ界のロールスロイスVSベンツ・・・おすすめのスノーダンプ

2023年12月25日 07時25分36秒 | 田舎暮らし
「ひらせいホームセンター」に、妙高市の吉鉄(左)と上越市のオギワラ(右)のスノーダンプが並んで売っているではないか!
吉鉄8,470円に対しオギワラは5,470円。
わたしの愛用品は、左側の銀色をした十日町市のステンレス製のクマ武だ。右が新規購入した吉鉄
 
新潟県の豪雪地帯では、クマ武と吉鉄は絶大な信頼が置かれている二大ブランドで、個人的にはスノーダンプ界のロールスロイスとベンツと呼んでいる( ´艸`)
 
軽くて安いので人気のオギワラ製は、新雪はまだしも凍結した圧雪だと先端がつぶれたり、ハンドルの溶接部が外れたりしやすいのが難点。
 
吉鉄とオギワラを比べると、オギワラの鍋(雪をのせる部分)は平らに対して、吉鉄は鍋底に凸凹加工、かつ角度をつけることで剛性を高めるとともに、雪面の摩擦抵抗を減じる工夫がされており、ハンドルの溶接面積も広いことがわかる。
そして最大のポイントは、先端部を二重に補強してあることだ。この差が堅雪に強いが重くて高い吉鉄、軽くて安いオギワラの特徴なのである。ただしオギワラが安物と悪口を言っているのではなく、軽くて取り回しがいいので屋根雪降ろしには便利ということ。
 
「ひらせいホームセンター」のレジのおばさんに、「糸魚川で吉鉄が売ってるとは思わなんだ」と言ったら、「自宅でも愛用してんのよう。旦那と二人暮らしなのに、色々試してたらスノーダンプ5台になっちゃてさぁ、嫌になっちゃうわぁ」と、わたしと同じ人種であることが判明w
スノーダンプ購入予定の人は参考にしてちょうだい。
 
拙宅は豪雪地帯とはいえないが、道具好きだから吉鉄を購入してクマ武とつかい比べることにした。おそらく使用機会は次の大雪が降る1月中旬だろうけどw
クマ武は大サイズ、吉鉄は小サイズなのだが、重ねるとほぼ同じくらい。ハンドルの角度は吉鉄の方が倒れているのね。
 
 
ちなみに北海道はどうなのだ?と聞いてまわったが、信州と同じくサラサラな雪質なので、でポリカーボネート製の「ママさんダンプ」が主流らしい。
 
日本海側の雪は湿って重いし、除雪車が通過した後はカチカチに圧雪された氷のブロックになるので、ポリカ製では歯が立たず用途が限定されてしまうのですヨ。新潟県の除雪で活躍するスコップは、柄が鉄パイプの金蔵印が定番。
 
 

除雪車出動!・・・雪国の縁の下の力持ち

2023年12月24日 07時47分51秒 | 田舎暮らし
夢うつつの中で、除雪車が動きまわる音が聞こえてきた。
こちらはロータリー式除雪車
 
シャカシャカはタイヤに巻いたチェーンの金属音。
ピーピーピーはバックする時の警報音。
グワーはエンジンの回転があがった音。
 
降ってるなぁ・・・ごくろう様・・・と感じつつ、ぬくぬくとした布団にもぐって寝直すのが冬の悦楽。
保育園のひろい駐車場を除雪するドーザ。ブルドーザはキャタピラーを履いた不整地用で、こちらは舗装道路用のタイヤを履いたホイールドーザ。
 
拙宅は十字路の角にあり、向かいに保育園と小学校があるので、ロータリー式除雪車、グレーダー、ドーザ、ユンボと、色んなタイプの除雪車が走りまわるので、重機の見本市のようだ。
前面につきだした廃土板(はいどばん)で雪を集めているところ。
 
大雪がつづくと雪を捨てるダンプも加わる。明るくなると小型の歩道除雪車もやってくる。
オペレーターのミッションは、朝8時までに父兄の送迎車が駐車できるようにすること。脳内に「サンダーバード」のテーマ曲が流れているに違いないw
 
雪国の暮らしの縁の下の力持ち、はたらくおじさんたちにエールを!
 
 
 

国家の思想弾圧に、仕事で抵抗した男・・・「トランボ ハリウッドに最も嫌らわれた男」

2023年12月21日 08時28分07秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
BSで視聴した「トランボ ハリウッドに最も嫌らわれた男」は、国家の思想弾圧史に興味のある人におススメの映画。ただし明るいタッチのホームドラマでもある。
アメリカで50年代に吹き荒れた反共運動の「赤狩り」では、ハリウッドの映画産業も積極的に協力した。「赤狩り」の急先鋒だった映画人が、後に大統領になるドナルド・レーガンやジョン・ウエイン、ウオルト・デイズニーなどのタカ派の反共主義者だ。
 
共産主義プロパガンダの映画人と吊るし上げられた10人の「ハリウッド・テン」の筆頭格が、本作の主人公で脚本家のダルトン・トランボ。
 
当時はチャップリンでさえ共産主義者として干されたくらいだから、人道的立場から共産党員になっていたトランボもブラックリスト入りしてハリウッドを追放されたし、1年間の服役もしている。
 
その苦節の期間に、友人名義の脚本で映画化された「ローマの休日」、偽名で発表した「黒い牡牛」が、あいついでアカデミー賞の原案賞を受賞した。
 
共産主義者のトランボが書いた「ローマの休日」のどこにも共産主義の匂いを感じとることはできないが、「自由の国」を標榜するアメリカにもそんな時代があったのだ。
 
その後、俳優のカーク・ダグラスが男気を発揮して超大作「スパルタカス」の脚本を依頼し、実名クレジットしたことが賛否両論をおこした。
しかし大統領に民主党のケネデイが就任し、「スパルタカス」を絶賛したことから潮目がかわった。
 
ブラックリストは有名無実化し、トランボはハリウッドに復帰できたし、死後とはなったがベトナム戦争を経て平和活動が盛んになった70年代に「ローマの休日」の脚本家としてアカデミー賞が贈られた。
 
この10年間に及んだ無名の作家期間こそが、言論・表現・思想の自由を弾圧した、国家権力へのトランボの抵抗活動だった。国家相手の裁判では勝てる訳がなく、偽名をつかい安い脚本を量産して糊口をしのいでいた。本作ではこの過程が、明るいタッチのホームドラマとして丁寧に描かれている。
 
ちなみにハリウッド追放を恐れずに「アカ狩り」に反対を表明して「ハリウッドテン」を擁護したリベラル派の有名俳優もいて、グレゴリー・ペック、ハンフリー・ボガード、ヘンリー・フォンダ、バート・ランカスターなどたち。私の好きな俳優たちばかりだから嬉しくなる。いづれも品行方正さや不正に屈しない勇気、男気を描いた映画の主役だった俳優たち。
 
本作にちょっとだけその時のニュース映像がでてくるし、グレゴリーペック演説も聴ける。
 
 
 

転んでもただは起きぬヒスイ職人・・・縄文の涙滴形勾玉の謎

2023年12月19日 07時37分57秒 | ぬなかわヒスイ工房
千歳市の「美々遺跡」出土の涙滴形の勾玉は、加工途中で割れた勾玉のリメイク品ではないか?と直感した。他に類型がない珍しいカタチだからなおさらそう思った。
こんな感想を北海道埋蔵文化財センターの先生にはなしたら、「思いもしなかったけど、ヒスイ職人さんらしい意見ですねぇ。」と怪訝な顔をしてらっしゃったが、ヒスイ加工歴30年以上の大先輩に写真をみせたら、わたしとまったく同じ意見だった。
プレートつくりをするのは、随意のカタチに加工しやすいからという他に、割れる石目を観察する目的があるのだけど、それでも途中で割れることがあり、もったいないから欠片の形状を活かした小さな勾玉につくりかえる。
この勾玉をみた時に3,000年前の先達に「やっちゃいましたねぇ、勾玉つくりアルアルですよねぇ、わたしもたまにやっちゃいますわ」と、話しかけて、わたしのリメイク品をみせたくなった。
証明しようもいないことだけど、ヒスイ職人なら同じ意見をもつことは間違いない。
昨年に美々遺跡の勾玉とそっくりな勾玉をつくったこともあり、ギャラリーに並べておいたら「これ超かわいい!」と買ってもらえた。写真を撮っておけばよかったナ。
 
転んでもただは起きぬヒスイ職人w
 
 

懐かしいは生活に潤いをあたえる生きるチカラ、勾玉もまた然り・・・上越市の大衆食堂「上海」

2023年12月17日 15時21分57秒 | 田舎暮らし
高田駅の雁木通りにある築70年ほどの大衆食堂の「上海」は、コンクートの土間、木製建具、赤いビニール張りの椅子、デコラ張りのテーブル、白い割烹着にスカーフの店員と、絵に描いたような昭和の大衆食堂だ。
家族でこんな大衆食堂で食事した子供時代の記憶がよみがえり、いつもシンミリする。椅子をひいてギギイ~とコンクリート土間にすれる音がたまらない。
パラパラな炒飯もいいが、こちらのはモチモチした食感がシミジミと懐かしい感じがして焼き飯と呼びたいし、あっさり味のラーメンは中華ソバと呼びたい。ここでは店の雰囲気やたたずまいもご馳走だ。
商売をはじめて70年というから、ことによると5世代に渡る近所の馴染み客もいるだろう。折しも小あがり座敷で賑やかに食ってる親子三代の家族連れがいて、いつかあの少年も「上海」に彼女を連れてくるのかな、と思った。
 
店内にトイレはなく、いちど店の外に出て、かって料亭をしていた別棟のトイレをつかう。ちょっとした探検気分が味わえて実にいい。
 
懐古趣味とバカにしてはいけない。懐かしいは生活に潤いをあたえるチカラ。故人を偲ぶ祈りにつながる。
 
それは一度は途絶えて往時を知らないといえども、ヒスイや勾玉もまたそうなのだ。なんだか懐かしいと感じる勾玉をつくりたい。
 
 

カラの巣だからカラスの巣?・・・糸魚川のベトナム人技能実習生

2023年12月15日 07時40分14秒 | 田舎暮らし
ユズを収穫しようとしたら、鳥の巣のようなものがあった。
親鳥もタマゴもないカラなので、カラスの巣であるに違いない・・・from漫才師の「ゆめじ・うたじ」のギャグ。
 
市内の工場で技能実習生をしているらしいベトナム美人が、お菓子とベトナムコーヒーをもってきた。
彼女のグループが拙宅前を通勤路にしていて、愛想のいいお袋と友達になり、庭のミカンをあげたお礼とのことだ。そのなかで礼にきた美人ちゃんだけが、カタコトでも日本語が話せるから代表なのだろう。
 
他の人は日本語も英語もダメで、職場でどうやって意思疎通してるのだろう。正月も帰省しないというので、お寿司やモチを一緒につくりましょう、遊びにきなさいとお袋が日本語で誘っていたが、通じているのかわからん。
ベトナムは二週間ほどの滞在だったから、ベトナム語は忘れたし、ベトナムノドコニイキマシタカ?と聞かれても、ダナンくらいしか地名を覚えてないなぁ。
 
他にも聞こえてくる言語からインドネシア人、中国人、モンゴル人が働いているようだが、ベトナム人以外は声をかけてこない。誰でもウエルカムな家だから寄っていけばいいのにねぇ。
 
 

ヒスイ原石が勾玉に生まれ変わる・・・ドキュメント勾玉つくり

2023年12月12日 18時39分56秒 | ぬなかわヒスイ工房
青ヒスイ(入りコン沢産)の原石の状態と、勾玉になった時の色の比較デス。
微細な凸凹が平滑になると彩度があがり、模様も浮かび上がってくるのだが、天然物はヒトを介して生まれかわる。松尾芭蕉の云うところの「造化」というヤツだ。
 
ヒスイ加工は造形や研磨より以前に、原石カットの観察が肝で、この精度の良し悪しで作品の出来栄えは決まるといっても過言ではない。わたしが避けるべき石目や不純物を読み、自信をもって原石カットができるようになるまでに5年はかかった。
上の写真の原石からプレートにした状態。右の原石は割れそうな石目を曲芸的なカットをして二枚にした。石目が目視できるように傷取り研磨してある。
 
この技術を身につけたからこそ、ここ数年来は販売店さんから高額な希少原石を託されて、勾玉つくりを頼まれるようになった。
「この原石をお金にできるのはあんただけだわ」と、プロが手を出さないような小さな端材からの勾玉つくりも頼まれるが、この写真がそれだ。
二枚目の写真の右端でつくった勾玉がこれ。別物でしょ?
 
超小型の勾玉が、どれだけ小さい端材からつくられているのかを、お客さんに見せては驚かせるのが楽しみのひとつ。そんな時に声を低くして「プロですからっ」とウケをとるのだw
ヒスイ加工をしてみたい初心者は、最初にプレート状に加工された原石を買う人が多いようだが、プロを目指すなら原石の塊りから無駄なくプレートつくりできる技術は必須。
最低で原石取りとヒモ孔あけは5年やって中級者だし、造形と研磨は10年でやっと中級者なのだと実感している。初心者のころから紐孔の内部も研磨していたが、このところもっと精度がよくなる新発見があった。ヒモ孔だけでも奥深い。
 
勾玉つくりなんて簡単!なんて言わせないぞw