俺の故郷、糸魚川市は人口五万人の日本海沿いの田舎町。
にも関わらず、酒造会社が五社もある。
昔はもっとあったらしい。
俺の母方の婆さんの実家も、戦前は「姫泉」という大きな酒造会社だったと聞く。
糸魚川に酒造会社が多い謎は、水が美味いということもあるが、昔から糸魚川人は酒好きなのだと、加賀の井酒造さんが言っていた。
そう言われれば、けんか祭りの時の酒の飲み方は壮絶だ。
どこでも見たことないくらい豪快に酒をグビグミ飲み続ける。
加賀の井酒造さんは、新潟県内で一番の老舗だ。
加賀の井さんの玄関先には、雪国独特の「雁木」が残っている。
雁木とはガンギと読み、昔からある木造アーケードだ。
加賀藩の参勤交代のご陣屋だったことから、江戸時代の初めに前田の殿様に飲ませる酒を造ったのが最初らしい。
かっての糸魚川市の繁華街、本町通りに加賀の井さんはある。
裏に回るとこんもりした塚があって、松尾様の祠が祀られていた。
塚には本町通りとは思えないほどに色んな木々が植えてある。
言ってみれば鎮守の森だ。
欅・杉・紅葉・銀杏が色とりどりに冬の訪れを告げていた。
松尾社は、酒造りの神様。
きっと俺の先祖も祀っていただろう・・・なんだか親しみが湧く。
本町通りの裏手に松尾社があるなんて、糸魚川の人でも知らないだろう。
11月16日夜7時から、能生町の大洞地区公民館で、土田孝雄先生の講演会があった。
能生町は「のうまち」、大洞は「おおほら」と読む。
手前の和服美人は、日本画家の川崎日香浬嬢。
土田先生のライフワークである、奴奈川姫研究の後継者と見込まれている弟子なのだ。
主催は大洞出身の青田浩アニキ。
有名なクライマーらしいが、今は大洞を拠点として津軽三味線の二代・高橋竹山さんのご主人として地元で色んな活動をしている人だ。
なぜアニキかというと、糸魚川高校OBだし、日本海縄文カヌープロジェクトに色んな人脈を紹介して貰って世話になっているのだ。
土田孝雄先生の講演は、北陸新幹線工事で発掘された糸魚川市の文化遺産がいかに素晴らしいのか、という内容。
糸魚川の縄文から古墳時代までの遺跡には、ヒスイの出土品がつきもので、考古学的にも民俗学的にも特異なのだ。
先生は社会科の教師だったので、講演は図解や黒板など多用して聴衆を飽きさせないのは何時もながら流石。
大洞のお年寄り相手に時に笑わせて、解りやすく糸魚川の考古学を解説されていた。
先生は最近は体力の衰えを訴えておられるが、講演が始まると元気一杯となる。
講演終了後には、会場がそのまま郷土料理での酒宴となって夜更けまで続いた。
和気藹々として、こんな手作りの温かい講演会ってなかなかないだろう。
地域振興策を語る人は多いが、実行する人も滅多にいない。
糸魚川に人有り!
今年のミネラルフェアは、マスコミは景気のいい報道してたけど、実感としては去年の七割くらいの来客数だったようだ。
来年は開催されるんだろうか?
会場の別室には奴奈川族の盟友、川崎日香浬嬢が糸魚川市に寄贈した奴奈川姫とタケミナカタの襖絵も展示されていた。
本人もロールケーキのお土産持参で激励に来てくれたが、相変わらず美人であった。
笑っちゃったのは、彼女が会場を一回りしている間に、あちこちからお土産貰って来たということ。人徳なのか不思議な人だなあ。
お蔭様で俺個人は対面販売のコツが分ってきたので、去年の倍の売上。
売上倍増といってもイベントでの対面販売では高額な商品が売れないから、この日のために商品開発した「縄文クラフト」などの少額商品ばかりでたかが知れている。
一番の収穫は、俺のぬなかわヒスイ工房のブースが「他のブースと雰囲気が違って愉しそう!」って声が寄せられたこと。
立ち寄ったお客さんの滞在時間が長かったし、他のブースを周ってから再び訪れる人も多かった。
市内の業者仲間やお偉方からも、枯渇する一方のヒスイ原石の業界に新基軸を打出したね、なんて評価もされたし、市外のマニアさんや異業種の職人さんからも声を掛けられて友達になった。
石笛も人気があったけど、売れたのは一番安い薬石の石笛1個のみ。
買ってくれたのは、富山県から来た小学生の女の子。
子供達が近寄ってくると、石笛や口琴を演奏して遊んでたら興味を持ってくれた。
買ってくれた女に子は最初、なかなか石笛が演奏できなかったけど、何度か教える内に音がでるようになってきた。
可愛い。
これだからライブ販売は止めらない。
対面販売はどうせ売れないと投げやりな態度の業者仲間もいるけど、ネット販売にはにはないライブ感の愉しさがどうして解らないのか不思議。
こんな地道な活動が、糸魚川ヒスイの宣伝になるという事を忘れてはいけないと思うのだ。
俺はぬなかわヒスイ工房という、ヒスイ加工販売の工房とネットショップを運営している。
だから今週末に糸魚川市で開催される『糸魚川翡翠鉱物展』に向けて、作品をつくっているところだ。
ヒスイの故郷、糸魚川市は、ここ数年でヒスイ原石が枯渇しつつある。
俺の子供の頃は野球ができた広い砂浜も、数々の土木工事のためか、40年ほど前から砂浜が痩せてきて、今や海岸で拾えるヒスイは激減した。
ヒスイ職人といえども、ヒスイ原石の奪い合いみたいな状態になっているのだ。
俺も思うところあって、今回の鉱物展ではヒスイ以外の商品開発をして出店しようとしている。
加工方法などに独自の工夫もしたが、今日、やっと新商品の開発に成功した。
どんな評価になるか、不安と期待が入り混じっている。
親友のカズさんこと大村和生さんが四国に引っ越してから、二度目の贈り物が届いた。
カズさんはフォークシンガーで、ライフワークとして各地の縄文遺跡で個人的に自作の歌を奉納するという活動をしている。
このブログに掲載されている写真は全て自分で撮影したものだけど、上のカズさんの肖像写真だけは写真を保存していた外付けHDが壊れてしまったので、HPからの引用。
二年前に信州伊那谷の廃村となった柴平村から、奥さんの実家のある愛媛の山奥に引っ越したのだけど、相変わらずガス水道の無い環境でチベット人みたいな生活をしているらしい。
カズさんから届いた段ボールには、可愛らしい切手が沢山貼られていて、いかにもカズさんらしい贈り物。
中には、マコモタケ、お清めに使うヨモギとセージの手製のお香?、ハーブのオリーブオイル漬けの瓶詰め、ハーブティーなどなどの温かい手作り品の数々。
カズさんからの贈り物は、彼の作る唄と同じに人間臭くて温かい。