縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「鬼の器」を探しに筒石に・・・能登からの漂流物

2024年01月30日 06時47分01秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
能登からの漂流物の多い筒石に「鬼の器」が漂着していないか見てきた。
いつもより柱などの建材や漁具が多かった。
「や」と書かれた屋号入りの漆器を発見。筒石には屋号入りの漆器が漂着していることが多い。
 
佐渡の小木には嵐のあとにゴツゴツして大振りな「鬼の器」が漂着して、数日後に能登からドブネ(定置網漁の大型漁船)に乗ってやってきた男たちが、輪島塗りの椀生地なのだと拾ってかえる民話がある。
 
輪島塗りの椀生地つくりは、木地師のジイさんが丸太を玉切して粗く削って乾燥させ、それをセガレが中くらいに成形してさらに乾燥させ、マゴが椀生地に仕立てる親子三世代にわたる仕事で、「鬼の器」とはジイさんがマゴにのこした椀生地の元だ。
報道された漂着した漁船
こちらは磯漁の小舟か・・・
 
輪島塗り職人が壊滅的な被害をうけたと聞くが、新潟~青森沿岸のみなさん、たとえ一個でも「鬼の器」が漂着していたら、拾って能登に届けようではないか。少しでも励みになると思う。
 
 
 

自然災害との付き合い方を歴史に学ぶ・・・「重ねるハザードマップ」

2024年01月28日 08時15分11秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
冬季におこなわれた柏崎刈羽原発の避難訓練で、大雪により通渋滞をおこしてしまい計画に実効性がないことが判明したことは記憶に新しいが、巨大地震では津波・土砂崩れ・洪水・液状化現象が同時におこることもあり得るので、個々の災害別のハザードマップは現実的とはいえない部分もある。
大雪の時、台風の大雨の時に巨大地震がおきないとは限らない。
糸魚川市の津波ハザードマップ
 
その点、国土地理院のハザードポータルサイト「重ねるハザードマップ」は、液状化現象と不確定要素の火災以外の危険エリアが重ねられるので、安全な避難路も検討できて現実的だし、距離測定などの機能もあって便利なのに、糸魚川市はなんでリンクさせないのだろうか。URLは下記
https://disaportal.gsi.go.jp/maps/?ll=37.03716,137.87816&z=14&base=pale&vs=c1j0l0u0t0h0z0
 
各種のハザードマップを重ねると、自宅のある「笛吹田遺跡」の範囲は全ての災害で安全圏であり、元日の地震で自宅待機した判断と、自宅が半壊した場合は指定避難場所の東小学校に避難すればいいとの判断もベストであったことが判明した。
 
半径300m内外にあるヒスイ加工遺跡の「姫御前遺跡」「南押上遺跡」は0.5~3mの水位の氾濫原なので、やはり災害空白地帯にある「笛吹田遺跡」は別格だったのだろう。
 
自然災害の多い土地は、中世・近世以降にひらけた土地が多い。糸魚川市街地を例にとれば、海岸段丘上に敷設されたJR線より海側には先史時代の遺跡はなく、多くは洪水をさける微高地や高台に立地する。海岸段丘は天然の防波堤であり、冬の北西風をさける衝立。
 
例外は津波と洪水被害が内陸まで危惧される能生市街地で、現在は海洋高校のある高台に、縄文中期のヒスイ加工遺跡の「井上遺跡」がある。
 
また大和川区の「六反田南遺跡」や、青海区の「大角地遺跡」「寺地遺跡」は氾濫原でも、衣食住を自給自足していた時代は数年か数十年に一度の洪水で生活基盤は揺るがなかったのだろう。歴史はご先祖が災害とどう付き合ってきたかを教えてくれる。
 
 
 

自宅の液状化リスクを調べる方法・・・「液状化しやすさマップ」

2024年01月25日 07時17分37秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
女友達から家の液状化現象の危険があるか調べる方法を聞かれたので、興味ある人は調べてみるといい。
 
てっとり早く調べるには、北陸地方整備局が公開している「液状化しやすさマップ」を検索すると、危険度が6段階に色分けされて表記されている。URLは下記。
https://www.hrr.mlit.go.jp/ekijoka/niigata/niigata.html
「液状化しやすさマップ」で自宅周辺は下から二番目の危険度1(緑色)なので比較的に安全だが、拙宅を建てる時に調べた「柱状図」を解読すると深度6m以上が砂礫層で地下水もあり、N値も一桁台だったから、液状化現象の危険度は低くても、不動沈下はあり得るということ。黄色のエリアは海岸の砂地盤地帯で危険度は上がるが、それでも6段階の危険度3。
 
「柱状図」ってなに?「N値」ってなに? 以下の通り。
家を建てる前に市町村に提出する「確認申請書」の添付書類「地盤調査結果速報」の中にある地盤の概念図が柱状図だ。
N値とは地盤の締め固まり具合の指標。
「地盤調査結果速報」の表紙に書かれた考察と、どんな対策をしたのかが記載されているのかが解る。建売住宅や中古住宅なら、売った業者に相談。ただし義務化は2,000年以降だから、築24年より古い家だと無いかも。
 
表紙に地盤調査結果の概要と考察が書かれていて、スエーデン式サウンディング試験の項目の「柱状図」には、地表から10m地下までの地質や地下水の有無、N値が表記されている。
柱状図によると地表から1・5mまで盛土と砂地盤で、地中1・25mに地下水がありN値も3の軟弱地盤。10mくらい離れたところで古墳時代の井戸が見つかってるからねぇ。
 
液状化は深度10m以内に均質な中粒の砂礫層と地下水があり、かつN値が20未満の地盤で発生する可能性が高く、また不動沈下の危険もあるので、法改正後は要件を満たしてない宅地は地盤改良をしないと建築許可が下りないのだ。
30年以上も昔に設計コンサルタントしてた時の記憶ですけどw
 
「不動沈下」ってな~に?家が「ピサの斜塔」みたいに傾くってこと。建築に詳しくない女友達に説明するのは骨が折れるw
 
 
 

断水した被災地の誤飲性肺炎のリスク低減に歯磨きシート・・・防災サバイバル用品

2024年01月23日 07時35分09秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
被災地の高齢者に誤飲性肺炎が多いのは、断水で口腔ケアができないことが一因なので、水がなくても歯が磨けるシートと手指の消毒シートでリスクを低減できるとのこと。
ドラッグストアに行ったらお徳用サイズしかなく、個別包装品を探しまわったら、5軒目でコメリ横にある「キャンドゥ」で見つけて防災バッグに追加した。
 
お徳用サイズのウエットティッシュなどは、一度開封するとアルコール分が揮発してカピカピになったりするので、個別包装品はありがたい。
 
わたしは普段から口腔ケア用品を持ち歩いているが、飲食店のトイレに小型の手洗い器しかなかったりすることもあるので、そんな時はデンタルフロスと歯磨きシートの出番だな。
 
 
 

地震インフォメーションは糸魚川ガイドの心得・・・いつ起きてもおかしくない震度7の巨大地震に備える

2024年01月22日 07時02分42秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
ガイドで持ち歩いている資料に「津波ハザードマップ」を追加して、普段つかいのショルダーバッグには紐をつけた大音量ホイッスルを常備した。
ヒスイ拾いガイドしてると、集合時間を忘れて夢中になる人や、とんでもなく遠くまで探しに行く人もいるので、今後はいつ起こるかわからない糸魚川沖の活断層が本震のインフォメーションをするのだ。黄色いヒヨコみたいなのがアメリカ沿岸警備隊が推奨する「ストーム」ホイッスルで、水中でも音がでる。
 
・想定マグネチュード7・6!震度7!
・地震発生から5分~10分で最大7mの津波が到達!
・数千年に一度の規模の大地震で最大で3,045名が死亡
・糸魚川だけで家屋全壊5万棟!半壊9万棟!
 
以上の概要を説明したあとに
・地震警報アラームが鳴らなくても、揺れを感じたら本震前の群発地震の可能性を考慮してホイッスルを吹くので、すみやかに国道にあがること。
・歩けないほどの揺れなら震度7の本震!5分で7mの津波がくる!と覚悟を決めて、「津波てんでんこ」で這ってでも高台へ避難を!
 
以上のインフォメーションと集合時間を伝え、あとは自由行動ですナ。
 
予期せず震度7の大地震が起これば誰でもビックリするが、いつきてもおかしくないの心構えがあればビックリ度合いも違い、少しは冷静に対応できるかも。
 
「ストーム」の大音量ホイッスルは、ガイドの時に首からぶら下げる。本気で吹くと800mまで音が届くという大音量を響かせなくていいように、地震警報アラームが鳴ったら自分で判断して高台避難してちょうだい。
 
震度7だと自分でサバイバルするしかないのだ。
 
 
 
 
 

重量物は下に・棚は間柱に固定の耐震補強DIY・・・震度7を想定して圧死と脱出経路を確保

2024年01月21日 07時18分05秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
元日の地震で、組み立て時のボルト締めが甘いスチールラックは凶器になり得るし、ましてや壁に固定してないと圧死の恐れがあると学んだので、危険個所の耐震補強を続けている。
 
震度5で書斎の2台の本棚は倒れて大量の書籍が散乱したし、ガレージのスチールラックの最上段に保管してあったタイヤは転げ落ちて勝手口を塞いだ。
地震直後の本棚の図。倒れた最大の原因は、隣の既製品本棚が倒れていなかったので、組立時のボルトの締め付けがいい加減であったことだと思う。ボルトの締め付けが甘いのでスチールラックが歪んでいる。
 
地震二日後にホームセンターに行ってみたら、耐震用品は売り切れ。みんな考えることは同じ。しかし糸魚川沖の活断層の本震は震度7と想定されているから、突っ張り棒方式の耐震補強具で大丈夫なのか?
熟考の結果、本棚は自作フレームを間柱とスチールにビス止めして、重い画集や資料は下段、文庫本サイズは分類ごとに半透明のプラケースに入れて収納してみた。
今までは文庫本が棚の前後に並んでいたので奥の本が探しにくかったが、プラケースの外側からタイトルが見えるようにして、本を探すときはプラケースごと引き出すアイデア。もちろん壁に固定する前にはラックの水平と垂直を確認しつつインパクトレンチでボルト締め。
こちらの棚は倒れなかったが、上部にDIYした木の箱を載せて間柱に固定しておいた。本棚の右に飛び出ているのは間柱にビス止めするため。
ガレージ奥の造り付棚の不用品を整理して、中段をタイヤ置き場にしたので、少なくとも凶器になることはないだろう。味噌樽や漬物樽は、お袋が動かしやすいようにキャスターを付けた台に乗せ、最下段の奥へ収納。
 
震度7だと立っていられないそうだから、我が家は全壊とはいわないまでも半壊の恐れはある。万全とはいえないが圧死や屋外脱出の時間を稼げればいいのだ。ちなみに震度の等級で最高が震度7。
 
母よ、いつか役立つかも?と、壊れモノや段ボール箱、発泡スチロールの箱を保管するのも大事だけど、イノチの方が大事とオラは鬼になったw

ゴジラ映画でよみがえった「雪風」と寺内正道艦長・・・災害時のリーダーシップ

2024年01月19日 06時56分12秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
ゴジラ映画の新作で、駆逐艦「雪風」と5代目艦長の寺内正道中佐がモデルらしい人物が活躍するらしい。観てないけどw
「雪風」のほかに「高雄」などの終戦まで残存した艦も武装解除した状態で活躍するとのこと。
 
激甚災害のたびに初動の遅れが指摘され、救助隊の出発式の報道を見るにつけ、そんな儀式は省いて一刻も早く現場に出してやって欲しいと感じて、寺内艦長を思い出す。
寺内艦長は栃木県出身の海軍中佐。戦後は専売公社に勤務して72歳で亡くなった。
 
「艦隊演習なんかやると、司令官が乗った旗艦が接岸するまで待つフネが多いなか、雪風はまっさきに帰港して「演習終わり!半舷上陸かかれ!」とやるから乗員は喜ぶんだ。だから士気はたかかった。司令官に遠慮してモタモタと待ってたフネはみんな沈んだな」この有名な談話は、若き日の半藤一利さんのインタビュー記事が広がったものであるらしい。
 
大会戦を前にした多くの指揮官は、「天佑神助を期して」や「皇国の興廃この一戦にあり/ 各員一層の奮励努力せよ」などの手垢のついた文言で長々と訓示したそうだが、寺内艦長に代表される獅子奮迅の活躍をした軍人ほど権威や形式ばったことを嫌い、手短に作戦概要を説明して「日ごろの訓練の通りにやればよい。以上!」と淡々とした訓示であったようだ。
 
熱血漢の寺内中佐は合理主義者でであったので、理不尽な上官には反抗したし、そんな上官と酒席を共にすると暴言や暴力もふるったので出世は遅かった。
 
かといって部下に対しては粗暴な人物などではなく、「部下の失敗は艦長のオレに一切の責任がある。お前は気にせず任務に励め」と慈愛に満ちた鷹揚な態度をとり、演習後は階級に分け隔てなく乗員と酒を酌み交わした。
 
戦艦「大和」の沖縄水上特攻として有名な「天一号作戦」の寺内艦長は、空を覆いつくす米軍機の空襲のさなかに鉄兜もかぶらず艦橋のハッチから頭をだし、雨あられと降り注ぐ弾丸・爆弾・魚雷を目視しつつ神がかった操艦で回避して生き残った。
 
空襲の合間に艦橋から頭を出したまま悠々とパイプをくゆらす寺内艦長を見上げた将兵たちは、「雪風の守護神」「艦長あるうちは雪風は沈まず」と信仰にちかい尊崇の念をもったという。
 
弾薬庫に被弾したロケット弾も不発、進路ドンピシャの魚雷は艦底をくぐるという運の良さは、「雪風」のものか、それとも寺内艦長と乗員が一体になった闘志に「鬼人もこれを避く」ものであったものか。資料によってまちまちだが、大戦中を通じた「雪風」乗員の戦死者は一桁であったようだ。
 
ちなみに連合艦隊の残存艦による水上特攻ということで、他艦では討死を覚悟で出陣した楠木正成にあやかって家紋の「菊水紋」が煙突に描かれたり、遺書が集められたりしたが、「雪風」だけは寺内艦長が「死ぬことを考えて戦ができるか!大和が沈んでも本艦は沖縄へ行く!」と禁止して、悲壮なムードを一掃した。
奇跡の幸運艦と称賛された「雪風」は、確かに運のいいフネではあったが、その運は平時に実効的な猛訓練をし、風通しのよい溌剌とした艦風をつくり上げていった歴代艦長の人材育成を抜きには語れず、特に負け戦が濃厚になった時点で豪傑肌の寺内艦長が指揮を執ったことで昇華したのだろう。
 
見栄や体裁、形式にこだわらず、部下の実力を最大限に発揮させた寺内艦長のような人物に、防災や災害支援の指揮を執ってほしいものだ。
それは20倍もの戦力差がありながら、終戦時のモンゴルでソ連の傍若無人から20万人の邦人を守り切り、早期に帰国させた陸軍の遠藤忠中将も同様。
 
 
 

震災で散乱した資料から我が青春のバカ記録を発掘・・・令和6年能登半島地震

2024年01月16日 07時00分09秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
地震で散乱した書籍と資料の整理がやっと終わった。処分するに忍びないものが沢山でてきて、その筆頭が落書きだらけの高校の生徒手帳で、「バカだねぇ」と苦笑い。
「美術部には変わった人が多い」という周囲の期待に応えたのだろうが、当時のアイドルは高校1年の12月8日に死んだジョンレノンと坂本龍馬で、龍馬の写真は雑誌の切抜き、女の子の人形は通学路に落ちてたのをかわいそうだからと拾ってあげたもの。
 
生徒手帳に「燃えるリスト」と称した女子のランキングをつくったり、女子にスリーサイズを聞きまわってメモしてたヤツもいた。愛すべきおバカ男子たちは今どうしてる?
 
ボロボロになった「中一英語アタック」も出てきて、これは高校入学すぐの実力テストで惨憺たる点数だったので、「土台だめならどだいダメ」と書かれたプリントを渡され、中一の例文の追試で80点以上でないと落第と申しつけられて必死に勉強した我が青春のバカ記録だから捨てられない(´;ω;`)
 
後年に英語の松平先生に会って「英語で赤点しかとったことのないオレでも海外旅行先で困らず友達もできます。つまり英語とは文法に非ずハートです!」と言ったら、「中一の英語から勉強しなしたお蔭だわね。感謝しない」と笑われた。
 
数1、物理1と化学1の教科書も出てきて、これは仕事で必須の素養だったから参考書として使っていた。高校の時はちんぷんかんぷんだったモル比の計算が仕事では簡単に理解できたので、これまた後年に化学の白沢先生に会った時に「ボクはやればできる生徒でしたっ!」と言ったら破顔一笑して「そうか!」と言われた。柔道部の顧問をしてた豪快な先生だったナ。こちらは泣く泣く処分。
 
高校時代は人生で一番いい時というけれど、今になってシミジミそう思う。そういえば高校時代まで過ごした糸魚川では地震を体験したことがなく、3・11から急に地震が増えたな。
 
 
 
 

災害時の行政と自衛隊の微妙な関係・・・後藤一信著「自衛隊裏話」

2024年01月15日 07時28分15秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
阪神淡路大震災の際、陸自が野戦用入浴車を避難場所にもちこみ、入浴できなかった被災民は歓喜した。ところが神戸市は「条例では公衆浴場は循環式でないと不可なのでやめてください」と、まさかの中止要請!
 
非常事態に平時の条例を適用するとは何事!と陸自は後に引かず、衛生面を強化してサービス続行。被災者の救済を第一に考えた陸自に拍手をおくりたい。
行政は激甚災害でどんなコトが起こるのか?ナニをすればいいのか?をリアルに想定して、時には条例や法令を柔軟に解釈して対応する心構えが必要という反省点なのだが、ゴシップも含めてこんな事例がたくさん紹介されているのが本書。
 
法を柔軟に解釈して対応するという点については発令者が責任を負う覚悟も必要になる。極端な事例では日航機が御巣鷹山に墜落した事故の際、一刻の猶予もないと救助要請がないまま自衛隊を出動させた師団長が解任されたそうだ。軍隊が勝手に動いたことを事後承諾すると「満州事変」と同じになってしまうので、解任は覚悟の上の決断。この事例は非常にデリケートな問題。
 
移動トイレ車両を各自治体が1両づつ購入し、災害時には融通しあう互助ネットワークが広がりつつあるようだ。激甚災害では自治体の行政システムが機能しなくなる事態を想定して、市町村首長→県知事→内閣総理大臣といった縦の系統のみならず、近隣の自治体同士が柔軟に互助しあう横の系統のシステム整備も急務ではないだろうか。
 
 

読まれなかった「津波ハザードマップ」・・・糸魚川の津波想定

2024年01月14日 06時36分11秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
糸魚川市の津波ハザード情報が市民に行き届いていないのは、市民側の防災意識の低さが一因のようだ。
 
これまでの独自調査を時系列で並べると
①H29年に活断層と津波浸水被害が見直されて市議会で公表
②H31年に「津波ハザードマップ」がつくられて全戸に配布!
 
なんと5年も前に「津波ハザードマップ」なるパンフレットが各戸に配布されていたことが判明した。わたしも含めてだが、市民に津波被害の当事者意識がなく、せっかく配布されていたパンフがよく読まれていなかったのだ。
 
だから元日の地震で「津波警報」が発令されたことで、東日本大震災のビジュアルイメージから津波⇒高台避難の図式で混乱がおこったらしい。「津波警報!」と放送されたら誰でもビビるわな。
 
ちなみに元日に発令された「津波警報」とは3m以下の津波への警報のことだから、自宅が海抜3mより高いところにある人は、家屋の損壊やインフラ破壊などがなければ、冷静に自宅で様子をみることが望ましい。ついでに津波に関する発令を紹介しておくと
①「津波注意報」は1m以下の津波
②「津波警報」は3m以下の津波
③「大津波警報」3mより高い津波
 
最大津波7mの想定の地区にある拙宅は海抜8mにあるので、「津波警報」で慌てる必要がなかったが、想定以上の津波も考えられる「大津波警報」の時にだけ警戒している。
 
これまで何十人も津波想定が最大10・6mに更新されていることを知っているかを聞いてまわったが、知っていたのは「H29年からずっとファイルしてますよ」という80代のご婦人のたった一人だけだった。大きな声ではいえないが、市役所職員の友人も知らなかったくらいw
 
糸魚川市消防本部で詳しい話を聞いてパンフを10部もらってきたので、今後は車に常備して親戚や友人に配るし、市内ガイドの時は必携アイテムにする。
例えばヒスイ海岸をガイド中にスマホの地震警報アラームが鳴ったらどうするか?
①即座に駐車場に上がらせる
②「大津波警報」が発令されたら車をすてて、国道8号線の向かいにある海抜8mのセブンイレブンに走らせる
③時間に余裕がある時だけ車に乗って、すぐ目の前のバイパスランプから内陸に避難する
 
以上の想定はガイドとして当然の心得。上越・糸魚川沖F41が震源の津波だと、時速300キロ前後で押寄せてきて、5分以内に影響がではじめると想定されているから躊躇する暇はなく、日ごろからイメージトレーニングが大事。
 
私はネット上からPDFデータをプリントアウトしていたが、パンフレットの方が断然に見やすく、糸魚川市全域の津波情報が網羅されているから便利だ。
 
捨てちゃった人、紛失した人は消防本部に行けばもらえます!要望があれば防災指導に出向いてくれるそう。能登半島地震を機会に、糸魚川市民の防災意識もあがったと思うので、消防本部も今が周知のチャンスと考えてほしいもの。
私が不在時でも母が慌てないように地区のハザードマップを冷蔵庫の扉にはっておいた。
 
市民は「津波ハザードマップ」を参考にして、地震がおきたら自宅待機か避難かを各自が判断する。地震がおきてから避難すべきかと行政に問い合せるのは混乱の元だから厳禁。
 
自分で備え、自分で考えるが災害サバイバルのはじめの一歩。津波が自宅に到達する地区、国道8号線を超える区間の対策については、行政と国会議員さんに頑張ってもらうしかない。