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今こそ民族浄化へのアンチテーゼ映画のリバイバル上映を!・・・映画「ソルジャー・ブルー」「小さな巨人」

2025年02月10日 06時24分08秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「奴隷解放の父」リンカーンが、ネイティブアメリカンに対しては容赦のない民族浄化をしていたことを知ってショックを受けたのは、子供のころにテレビの洋画劇場で観た二本の西部劇だった。
スピルバーグ監督作品映画「リンカーン」では人種差別に反対する博愛主義者のように描かれているリンカーンだが・・・。
 
騎兵隊が無抵抗の先住民集落を襲い、なぶり殺しにした「サンドクリークの虐殺」を題材にした「ソルジャー・ブルー」と、同じく「ウオシタ川の戦い」を題材にした「小さな巨人」で、どちらも1970年に製作された、ベトナム戦争の「ソンミ村事件」へのアンチテーゼ映画である。
 
ついでながらの補足
ベトナム戦争の厭戦気運からヒッピームーブメントがおこり、70年代初頭のハリウッドで「アメリカン・ニュー・シネマ」なるダーティーヒーローやアンチヒーローを主人公にした反権力的な映画がつくられるようになる。その代表作が「ソルジャー・ブルー」「小さな巨人」「MASH」「俺たちに明日はない」「卒業」「イージーライダー」など。
キャンディス・バーゲン主演「ソルジャー・ブルー」のソルジャー・ブルーとは騎兵隊の青い軍服と残酷な行為を重ね合わせたタイトル。中一くらいで観たが、凄惨みわまる虐殺場面は今ならR指定もの。
「ソルジャー・ブルー」より。騎兵隊が寄ってたかって立派な戦士の腕や足を切り取る凄惨な場面や、レイプする場面も描かれている。
ダスティン・ホフマン主演の「小さな巨人」は、老人が波乱万丈な人生を新聞記者のインタビューに答える流れで、第七騎兵隊の虐殺と全滅した経緯を語るコメデイタッチの映画。やりたい放題の野蛮な第七騎兵隊が全滅する結末と、シリアスな展開にもユーモアがあるのでお子様にも安心して見せられマス。
 
60年代までの西部劇は、騎兵隊は野蛮なインデアンから護る正義の味方として描かれることが多かったが、ベトナム戦争以降の70年代からは、「先住民撲滅作戦」の先兵として、卑怯なだまし討ちを厭わない蒙昧な白人至上主義者として描かれるようになった。
 
頭の皮を剥いで見世物にしたのも、切り取った性器で土産物をつくっていたのも騎兵隊だ。ネイティブアメリカンが同じ報復をすると、野蛮人の蛮行を許すなと新聞が書きたて、民族浄化のプロパガンダに利用された。
 
アメリカがガザからパレスチナ人を追い出し所有すると表明したことと、イスラエルの無差別大量殺人に対してパレスチナ人がテロで報復すると、「テロリストの脅威を排除」のプロパガンダに利用されることと重なるのはわたしだけだろうか?
 
歴史は繰り返すというが、人種差別やジェンダー差別にも敏感だった70年代初頭と今のアメリカでは、どちらが民主的な先進国だろう?
 
少なくともパレスチナ人を無視して、アメリカがガザを所有するという表明は、国際法違反以前に人道主義の観点からは暴論だ。まるで19世紀の民族優位思想に基づく帝国主義ではないか。
 
この二本の映画を世界中でリバイバル上映して、アンチテーゼの気運を広げてほしいものだ。
 
 
 

布張りの複葉機で「特攻させられた」若者たち・・・永沢道雄著「ひよっこ特攻」

2025年01月31日 06時26分52秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
本書は太平洋戦争末期の沖縄戦で「赤とんぼ」と呼ばれる複葉の93式中間練習機で特攻「させられた」学徒出身士官たちの記録だが、軍隊の編成から推測すると、おそらくその3~4倍の予科練出身の少年飛行兵が「特攻させられた」のではないか?
学徒出身士官は「学業なかばで戦場に駆り出された悲劇」として語られることが多く、NHK特集などでも真珠湾攻撃のニュース映像と共に、雨の神宮球場で出陣式をするニュース映像がよく利用されるが・・・特攻の悲劇は学徒兵のみならずと声をあげたい。
 
経済的な理由で進学できなかった優秀な少年たちが、大空に想いを馳せて目指したのが海軍の予科練や陸軍の少年飛行兵たちで、彼らの特攻が紹介されることが少ないのは、あまりにも気の毒過ぎる。
 
沖縄戦ともなると陸海軍とも練習機まで特攻機に動員したし、特攻隊員は部隊配属と同時に否応なく任命した。志願なのではなかったのだ。
上空で目立つように橙色に塗装されたので「赤とんぼ」と呼ばれた93式中間練習機は、特攻の際には深緑に迷彩塗装されていた。
 
マリアナ海戦以降の米海軍は、対空レーダーで誘導された迎撃機が倍以上の兵力で待ち構えていたし、運よく逃れてもレーダー照準の対空砲火や、命中せずとも近接するだけで爆発するハイテク砲弾(VT信管)の弾幕を張ったので、ベテラン搭乗員が操縦する攻撃機すらも寄せつけなくなっていた。
 
ところが鈍足で低空を飛ぶ布張りの複葉機は、レーダーでとらえにくい上に、弾丸が命中しても機体を突き抜けてしまうので、装甲のうすい駆逐艦などに対しては予想外の戦果を挙げている。
 
士官と下士官兵では扱いがまるで違うのが軍隊で、衣食住や給与、遺族年金にも格差があった。
 
戦時中まで大学に進学できたのは、都市部の中産階級以上の子弟に限定されたエリート。兵役を逃れるために進学した人もいたらしいが、「聞けわだつみの声」に代表されるように、遺書は死を哲学的に解釈して受容しているものが多く、その心情に共感して取り上げやすい部分はあるとは思う。
 
軍隊に入る前は自転車を見たこともなく、白米を食べたこともないような地方出身の貧困層10代の少年たちの遺書は、天皇のため、国体護持といったイデオロギーとは無関係に、親孝行する前に死ぬことを詫びる内容だったりと平明で簡潔だ。
 
「特攻させられた」少年たちのこと、遺された遺族の戦後のことも顕彰してほしいものだ。予科練は満15歳で受験できるので、最年少の特攻隊員は16歳だったろうと思う。
 
 
 
 

「特攻は志願だった」に物申す・・・門奈鷹一郎著『海軍「伏龍」特攻隊』

2025年01月27日 07時44分42秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
作家の城山三郎と、渋谷を縄張りにした「安藤組」の組長を解散して俳優になった安藤昇に意外な共通点がある。
奥さんに先立たれた愛妻家の城山さんが出会いから亡くなったあとの喪失感を描いた「そうか君はもういないのか」は涙無くしては読めない。城山さんの硬派な経済小説や人物伝も好きだ。
インテリヤクザと呼ばれた安藤昇の「安藤組」は、法的には愚連隊であるらしい。「塀の中の懲りない面々」でブレークした作家の安部譲二は構成員。「安藤組」解散後に東映の任侠映画や実録映画で俳優として活躍した。
 
城山は予備士官として、安藤は予科練出身航空兵として、海底で米軍上陸舟艇を待ち伏せし、竿の先につけた爆弾で突いて自爆攻撃する「伏龍」の特攻隊員の生き残りなのだ。
 
「特攻は志願だった」とするのは、特攻を命じた側が戦後に広めた責任逃れのプロパガンダで、実際には半ば強要であったり、「伏龍」隊員のように部隊配属と同時に否応なく特攻を命じられたケースも多かった。
 
「伏龍」の潜水装備はお粗末極まりなく、訓練中に犠牲者が多発していた。
 
「伏龍」で多かった事故は、呼吸で排出される二酸化炭素を還元する苛性ソーダが逆流して、飲み込む死亡事故だった。
本書の著者も生き残った元隊員で、口から泡を吹いて長時間にわたって悶絶した末の亡骸は、遺族に見せられる状態ではなかったし、多い時には午前中の訓練だけで20名くらいは犠牲が出た、と証言している。
 
正確な犠牲者数は、敗戦時に資料が燃やされてわかっていない。
 
海軍の公式見解は、特攻は現地部隊の要望でおこなったものであり、軍令部(大本営)からの命令ではないので「作戦」ではない、だ。
が、ミッドウェー海戦で大敗した直後から、「伏龍」「回天」「桜花」「震洋」などの特攻兵器を極秘開発していたのは、他ならぬ軍令部だった。
 
予科練出身の少年兵の年齢は16~18歳くらい。自分の子供と同じ年齢の少年兵たちが、暗い海底でもだえ苦しんで死んでいく形相は、無論、軍令部の高級士官たちは知らない。
 
そして「後から俺もいく」という言葉を実行した高級軍人は僅かにいたにしろ、大部分は戦後も生き延びて自分は反対する立場だった、あるいは断っても志願されて困ったと証言している。
 
特攻を美辞麗句で賛美する保守政治家やブレーンがいるが、鵜呑みにしてはいけない。
 
「知覧特攻平和会館に行っら、カワイソウで涙が止まりませんでした!」で終わってもいけない。
 
それに至った経緯をきちんと理解して、二度と同じことが起こらないように警戒すること。これに尽きる。
 
 
 

勇みのない「べぇらぁぼぉうめぇ」ってじゃ、江戸弁じゃないって( ´艸`)・・・「志ん生芸談」

2025年01月13日 07時59分54秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「べぇらぁぼぉうめぇ~」と、お化けがでそうな粘っこい啖呵をNHK大河ドラマの番宣で聴いて、「そんな陰気な啖呵があるかってぇんだ!べらぼうめっ!」と説教したくなったw
 
「べ」を強調して「べらぼうめっ!」と、小気味よく言わないと江戸弁にならないヨ。この小気味よさを「勇み」といって、これぞ江戸っ子の料簡。
 
志ん生の啖呵は「勇み」のお手本。柳朝や三木助の啖呵も胸がすくようだった。
 
フランキー堺や小沢昭一、「フーテンの寅さん」のおばちゃんといった下町出身役者の江戸弁もホンモノだったけど、江戸を題材にしたドラマをつくるなら落語を聴いて勉強しなきゃ。
「志ん生芸談」は対談やインタビューを収録した本だが、インタビューはよく知られたエピソードを自分に都合よくかっこういいこといっていて笑わせる。
 
 
『師匠、叙勲おめでとうございます!
そうなんだってねぇ(人ごとのように)・・・ラジオがない時代は落語なんてものは一部の人しか知らなくてネ、田舎に行くてぇと「噺家がきた!」てんで鉄砲をもってこられたり・・・噺家とカモシカの区別がつかねぇんだから・・・ホントなんですよ!』
 
本書はこんなとぼけた対談まで収録していて、病みついた床で読むのにいい。坐骨神経痛との付き合いは長くなりそうだ。
 
 
 

理想的な車載スコップを発見!・・・浅野木工所の「カチ割りスコップ」

2024年12月15日 07時30分26秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
こんな車載スコップが欲しかった!という理想的な商品をネットでみつけて購入した。
これまで車載していた金蔵印の鉄製の軽量タイプの角スコとサイズ比較。
 
除雪のプロも愛用している金蔵印の鉄製の角スコは、堅牢であらゆる雪質でつかえる反面、荷物が多かったり同乗者がいると車載すると邪魔になる。
 
車載用に売られているスコップにはポリカーボネート製が多く、凍結した雪や圧雪では歯がたたない。
購入したのは三条市の浅野木工所のアルミ製の先端にステンレスの刃がボルト溶接された「カチ割りスコップ」で、北陸の除雪をよくわかっているネーミングが秀逸。
同じアイデアのスコップがコメリで半額で売られているが、こちらはステンレス板の固定ボルトが裏表ともに出っ張っていて、着氷やアスファルトに引っかかってもどかしいと思う。
 
この点は浅野木工所の「カチ割りスコップ」の方が断然つかえそうだし、砂や泥の除去につかえようというもの。
 
カタログも送られてきたが、北海道や信州などの寒冷地向きなど多種多様なラインナップを揃えていて、ユーザーの要望に応えてきた証しだろう。
1200ccのソリオなら標準サイズのスコップでも横にして置けるが、車中泊や荷物が多いと邪魔になる。
 
YouTube動画にも商品紹介ページがあり、社長らしき男性が「いやぁ困ったなぁ・・・これは便利だなぁ!」とベタな演技で旧来品と自社商品の比較をしていて微笑ましい。
 
仕事を愛していて工夫好きな社長の人柄を感じる良い買い物をした。
 
勾玉などヒスイ製品も、安ければいいという人は別にして、実は作者の仕事への姿勢や人柄の評価をしてもらっている・・・と思うナ。
 
 
 

戦争で輸送に従事した男たちの悲愁と悲劇・・・堀川恵子著「暁の宇品」

2024年12月08日 08時46分55秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
BSスペシャル「暁の宇品」で帝国陸軍の船舶輸送を担う広島の宇品港に司令部がある暁部隊のことを知った。
こちらが番組の元になった著作。ブックスサカイさんに注文せねば。
世界の戦争をかえた上陸舟艇は、暁部隊が独自開発して上海事変からつかわれた「大発」(ダイハツ)が最初だった。写真はウキペディアさんから借用
 
しかし日中戦争の初期から兵員輸送が限界で、民間の輸送船を船員ごと徴用していたが、連合軍の好餌となり終戦までに6万人を超え、海軍軍人の倍以上が海没(戦死ではない)したが、犠牲になっても恩給のつかない軍属扱いだった。
 
これらを危惧した司令官が大本営に意見具申しても黙殺され、退役させられてしまう。エリート集団が立案した作戦に馬車馬屋ふぜいがなにを生意気な!という意思表示で、当時の日本軍がいかに輸送を軽視していたかわかるエピソード。
 
ちなみに馬車馬屋とは輸送部隊をバカにする時の旧軍の常套句。
 
お国のためと「大発」を開発した天才技術者は、中国での日本軍の蛮行を目の当たりにして軍をはなれ、戦後も戦争犠牲者の慰霊のために造船の世界から距離をおく隠遁生活を送った。
 
広島に原爆が投下されて3時間後、暁部隊司令官は独断で市民の救援を決意。宇品から「大発」で川を俎上させて救援に向かわせた。この時の兵士は、本土決戦に温存されていた10代の特攻要員たちだった。
 
「戦果」を挙げることもなく、黙々と地味な裏方に徹した暁部隊の功績が正史で語られることのないのは、日本軍が輸送を軽視していたこともある。しかしその功績と、将兵の苦悩を調べると太平洋戦争の実態が浮かび上がってくる。
 
わたしの祖父は3度軍役についたが、中国にも南方にも宇品港から出港して、運よく入港できたことが県庁から取り寄せた「兵籍簿」と「部隊略歴」に記載されている。その祖父にしてもビルマ・インパール戦の独立輜重隊(どくりつしちょうたい)という陸上輸送の部隊の曹長で、馬車馬屋とバカにされてもインパール戦では歩兵より犠牲者が多かったと聞く。
 
戦死した陸軍陸軍将兵、軍属の船員たちが人生最後に踏んだ国土が宇品港だった。これはもっと知ってほしいもの。
 
 
 

オヤジの三回忌で知る宗教文化の内実・・・きな臭いポピュリズムの時代の文化の役割

2024年10月27日 08時30分08秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
仏間を占領していた大量の漆器を、オヤジの三回忌のために移動して空っぽにした。
空になった家具膳の箱は立派な杉材なので捨てるにはもったいない。差上げますので下駄箱や工作用にいかが?発送可能。
工房屋根の断熱実験につかっていた空き缶もやっとおろしたけど、こちらも有効利用する方に差上げます。
 
どちらも無料だけど「能登に正月餅をおくる作戦」に、小銭でも寄付してもらえたらありがたし。多くの人からの浄財であることが大事なのだ。
 
三回忌の会食は「すし廣」の出前を頼んだ。
夫婦ともに同級生で、オヤジの通夜に参会してくれた恩返し。同級生っていいな。
 
3回忌ともなるとオヤジが生きているように感じる。年忌もケジメをつける先人の知恵だな・・・宗教文化の内実。
 
今朝の新聞に外国人観光客に着物を着せて茶道の体験とでていたが、野球帽かぶったままで茶室にいれてしまって茶道の内実は伝えられないだろう。わたしが師範なら毅然とした態度で脱帽させる。
 
世界的にポピュリズム(大衆迎合主義政治・衆愚政治ともいう)が流行ってるけど、文化こそは大衆迎合主義の潮流への防波堤たらん。輪島漆器もヒスイも内実を伝えないとネ。
 
区切りがついたので今週は能登へ。帰ったら年年に2回ある作品展に出品する作品つくりに集中するので、しばらく面会制限しますぞ。
 
 
 

アイヌのマキリを愛用する奥能登の漁師・・・北前貿易で能登に移入したアイヌ文化

2024年10月26日 07時07分33秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
能登とアイヌ文化(その2)
アイヌ語で小刀をマキリといい、今でも東日本の日本海沿岸や青森・北海道の漁師がつかっているが、わたしの見聞の範囲では奥能登がもっとも純粋なマキリ文化が残っている。
アイヌのマキリは、持ち主が柄と鞘に凝った彫刻を施し、まるで一面に文様を施す縄文土器のようだ。美術用語ではやや上から目線に感じる「空間恐怖」と説明されるが、モノには神が宿ると考える「偏在神世界観」というべき視点も大事ではなかろうか?
 
アイヌの刃物の特徴は切っ先のある片刃の平造りだから、日本刀の祖型ともいわれる蝦夷の蕨手刀の系譜なのかも知れないが、「大昔から連綿と能登にマキリが残っていた」のではなく、江戸期の北前貿易で福井などの刃物産地で受注生産していた名残りではないかと思う。
 
アイヌ漫画「ゴールデンカムイ」の主人公のアシリパさんも、右腰に刃渡り4寸5分ほどのマキリを下げ、左腰には刃渡り8寸ほどの山鉈のタシロを下げているが、長短二本の刃物を携行するのがアイヌが山歩きする時の姿。
 
能登町宇出津の家庭では出刃包丁としてもつかわれていると聞くが、輪島では漁船の常備品であって家庭では使わないそうだ。
宇出津の「ふくべ鍛冶」さんでは、伝統的な漁師仕様のマキリの他に「日本最古のサバイバルナイフ?」のコピーで玉鋼製、ステンレス鋼製、両刃に仕様変更したサバイバルナイフとバリエーションを揃えている。
右端が日本刀をつくる時の玉鋼製のマキリで、なんと11万円という驚きの安さ。銀座の「菊秀」あたりだったら桐箱入りで30万円はするのではなかろうか。
 
マキリを怪しげな漢字で当て字して、素人向けに高価なカスタムナイフが売られていたりするが、ふくべ鍛冶さんのマキリは無駄を省いた実用品。
 
青森・北海道のマキリは新潟の三条でつくられている安価な大量生産品で、鋼と軟鉄がサンドイッチになった利器材という工業製品の板を切りだした鍛造品だから刃が薄く、イカ裂きに使えても出刃包丁代りや薪割りなどは無理。
 
またふくべ鍛冶さんのマキリは、鉈と同じくマキリの茎(なかご)を割った柄に差し込んで釘留めしてあるので、濡れても茎が錆びて折れにくい工夫がしてある。
柄が角ばっているのも好みに削ってカスタマイズできる工夫か?よく考えてあることに感心するし、サバイバルナイフとして現代向けの商品開発に意欲的な姿勢にも感心する。
 
いざという時のために「最強のサバイバルナイフ」を教えてちょうだいと聞かれたりもするが、どんな刃物も研ぎと使い手次第。
 
日ごろから包丁を研いだり木工したりと刃物に慣れしたしんでいないと、ふくべ鍛冶さんのマキリをもっていても宝の持ち腐れになる。
 
 
 

オヤジに献杯してからボクシング観戦・・・異次元の進化をとげた日本のプロボクシング

2024年10月15日 07時46分33秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

10代からボクシングキチガイと呼ばれたオヤジが亡くなってから、オヤジが遠征試合の帰りの電車でよくやっていたようにウイスキーのポケット瓶のキャップで献杯してからボクシング中継を視聴するようになった。今月は三回忌だ。

アマゾンプライムでボクシングの世界戦を二日続けて視聴したが、どれも見ごたえのある試合ばかりでオヤジが生きてたなら隣家にも聞こえる大声で「ジャブだっちゃ!ジャブ!ダボめ!なにやっとるんだやぁ!よしっボデイ!ヒット~!」と騒いでいただろう。

試合をみていて、70年代に「ボデイビルダーのような筋肉から強打」でKOの山を築いた」ロイヤル小林が、フェザー級王者の「ニカラグアの貴公子」アレクシス・アルゲリオに挑戦した試合を思い出した。

ロイヤル小林さん。確か自衛隊体育学校出身のハードパンチャーで、当時の連続ノックアウト記録保持者だったと思う・・・中学の頃の記憶(笑)

両雄がリングに上がった際、引退後に俳優になったほどの美男子で長身痩躯で足の長いアルゲリオと、扁平な顔立ちで上半身は立派でも足が短いロイヤル小林の体格差に唖然として、当時小学生のわたしでも闘う前から小林の敗北を悟った。

アレクシス・アルゲリオは端正なマスクと基本に忠実なスタイリッシュなボクシングとジェントルな試合マナーから、アマチュア選手のお手本になると言われた伝説のボクサー。わたしのアイドルボクサーだった。

「体格に劣る日本人ボクサーはスタミナとスピード、手数で圧倒するしかない」というのが当時のプロボクシング通念だった。

昨夜に的確な強打でKO勝利した中谷潤人や、一昨夜は実直なボクシングで判定勝利したユーリ阿久井もボクシングスタイルは違っても、アルゲリオの体型に似て長身瘦躯で足が長く、オヤジの言葉を借りると「ホンモン」のチャンピョンだった。

リーチ差17㎝もある体格差から勝てそうには見えない拳四郎など、強いチャンピョンをサンドバックのようにして強打を自在に見舞ってKO勝利して、体格差問題を一蹴!

主要4団体の「黄金のバンタム」王座を日本人選手が独占という、20世紀までは考えられなかった事態。その中で中谷は群を抜いている。

日本のプロボクシングは明らかに異次元の進化を遂げたようだ。
技術、スピード、パンチ力もそうだが、なによりメンタルが強くなっている。

好ましいのは態度も言動も謙虚なチャンピョンが多い傾向。これはアマチュアボクシングジムを運営していたオヤジが口うるさく指導していたが、ガッツポーズをする今どきの柔道選手より、よほど武道家にみえる。

#中谷潤人 #拳四郎 #ユーリ阿久井 #ボクシング #おやじ


方言こそ文化、能登の復興のチカラ・・・半村良著「能登怪異譚」

2024年10月08日 06時50分43秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
神社仏閣が軒並み損壊し、過疎化で祭礼の存続が危ぶまれる地域もでてきたし、伝統産業も大きな打撃をうけた能登の文化はどうなる?
そんな心配をしていた矢先にブックスサカイの選書コーナーで見つけた半村良著「能登怪異譚」は、全編が能登方言で書かれた創作怪談で、方言こそ文化と能登の人にすすめまくっている。
 
子々孫々と語られてきた方言こそ地域の基層文化であり、文化の最後の砦。能登に人がいる限りは能登方言は無くならないのだから、能登の子供たちに読み聞かせてやってほしい。方言で話すとご先祖に想いを馳せることができ、けっして独りではないのだと生きる気付くハズ。
 
新潟は方言がないと自慢げに標準語で話す輩がたまにいるが、テレビばかり見て祭りの熱狂とは無縁な生活をしているから、帰属社会の文化に疎いだけなのだ。
 
祭りは世代をつないで文化を継承するもの。方言は文化であり、方言の喪失は文化の砂漠化だ。
 
そこにいくと能登方言は「能登はやさしや土までも」そのままに、温かく柔らかい。
 
ひとくちに能登方言といっても地域差はあるし、同じ輪島市内でも海女同士の会話は異質で、まるで中世の祭文や音楽を聴いているかのような心地よさがある。職能集団で方言が違うのが能登の面白さ。
 
海女たちは中世に北九州から移住してきた海民の子孫たる自負が強く、海女言葉に誇りもってつかっていて実にあっぱれと思う。
 
知ってますか?
 
海女は海士町(あままち)以外の地域に嫁ぐと漁業権が失われるために、結婚しても夫婦別姓の内縁関係だそう。能登を知るたびに文化の奥行きの深さに圧倒される。