縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

白いご飯がご馳走だった時代・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年08月26日 06時59分50秒 | 民俗学ごっこ
ある日突然に昔の冠婚葬祭では、白いご飯が特別なご馳走だったと気付いた。
通常の四つ脚膳(正式名称は宗和膳)より二回りほど小さく、脚の下部がつながって窓あきになったタイプの用途がわからなかったのだが、正体は飯ビツ専用の膳ではないか?
 
戦前の日本では白米が食えない、あるいは食ったことのない庶民は多く、麦めしや大根めしに代表される雑穀・豆・野菜で増量したカテ飯が常食だった。
 
臨終の枕頭で米をいれた竹筒をシャカシャカとふって「白マンマだぞう!」と聴かせ、安らかに逝かせる風習もあった。
 
そんな庶民にとって冠婚葬祭で椀飯振舞い(おうばんぶるまい)される白マンマ・銀シャリは特別なご馳走であったに違いなく、だからこそ飯ビツは畳のうえに直置きせず、わざわざ専用の膳に鎮座させていたのではないか?
 
地元の人でさえ用途がわからなくなっていた輪島漆器であっても、7ヶ月も付き合っていると断片的な情報と情報がつながって気付きになる。
ご飯を粗末にしちゃバチがあたりますナ。
 
 
 

サラバ三社祭の半纏・・・浅草三社祭

2024年05月18日 07時13分39秒 | 民俗学ごっこ
今年も浅草の三社祭がやってきた。
帰郷してから「柴崎西」の町会半纏に袖を通さなくなってもう14年になる。全体に「吉原繋ぎ」の伝統文様をほどこした総型半纏というヤツ。
 
20代からの思い出のある半纏なので手放す決心がつかず先送りにしていたが、昨年に友人の秋田真介さんが浅草に移住したことで浅草の友人宅に託すことができた。
客人用の半纏に活用してくれるだろう。オレの男気を引き継ぐのは秋田君、君だ!w
思い出ぶかいこの半纏を畳むのも最後と思うとシンミリ。御輿を担ぐときの帯は木綿がいいし、「浪人結び」だとほどけないネ。細目の帯が江戸好み。
 
今でも西浅草を歩いてると、地元の人から「師匠~!最近みないね!」と声がかかる。いい街だ。師匠はわが青春の浅草でのわたしの呼び名。
サラバ三社祭の半纏!
 
 

海岸に漂着している筒状の物体の正体は?!・・・お盆の迎え火・送り火のダケカンバの樹皮

2023年08月15日 06時54分10秒 | 民俗学ごっこ
日本海に漂着している筒状の物体の正体は、長野県白馬村あたりで、お盆の迎え火・送り火の時に燃やすダケカンバ(岳樺)の樹皮。
左端が購入品で他は漂着品。
お盆時期に白馬村のコンビニで売られて正体がわかったのが20年ほど前だが、ある漂着物図鑑には漁具の浮木であり、シラカバの樹皮であるとデタラメが書いてあったぞw。
柏崎市立博物館発行の「渚モノがたり」より。考古学もそうだが、意外に専門家はいい加減なので鵜呑みにしてはいけないw
 
 
色が抜けて白くなった漂着ダケカンバでも、黒い煙を出しながらよく燃えるから、シーカヤック旅の時に焚き付けにしていた。乳香を燃やした時のような香りがする。
購入品と漂着品の燃焼比較をしたらほとんど差はなく、小指ほどにカットした樹皮でも3分程度は燃え続けた。
 
「海のヒスイロード検証実験航海」で青森市までシーカヤック航海をした時は、糸魚川~青森の十三湖くらいまで確認できたのだが、白馬村だけの盆行事にしては量が多すぎるのではないか?
 
日本海に流れてくる理由は、お盆のあとの北信濃では、あまったダケカンバを穢れとして川に流しているのではないか?と推測しているが、富山湾内の対馬海流は時計回りの支流があるので、ひょっとしたら能登あたりまで漂着しているかも?
 
バリ島では椰子の実の外皮を燃やして迎え火・送り火をしていたので、ことによると仏教伝来以前からある環太平洋地域の祖霊崇拝の儀式ではなかろうか?
 
それならアイヌや沖縄はどうなのだ??と友人に聞いてまわっている。
 
これまでの聞き取り調査の結果は、浄土真宗は迎え火・送り火の風習はなく、地域や宗派によって藁や苧殻(麻の茎)を燃やしているようだ。
情報を求む!なんでも教えてちょうだい!
 
 
 
 
 

鬼の器を求め、能登から佐渡へ120キロの航海・・・ドブネと輪島塗のモノガタリ

2022年08月26日 07時46分59秒 | 民俗学ごっこ

上越市立博物館の夏休み企画で、収蔵庫が特別公開されてドブネを観察してきた。

ドブネは能登から新潟で使われてきた定置網漁の木造船で、丸木舟を発展させた「オモキ造り」という準構造船。かっては糸魚川にもドブネ職人がいた。
図面では鈍重そうに見えたが、実物を観察すると波を切りさく凌波性(りょうはせい)は良さそう。
 
佐渡の小木には、「鬼の器」の民俗譚が残っている。
 
嵐の翌朝、小木の浜にゴツゴツした木の器のようなものが大量に漂着し、村人は鬼の丼ではないかと気味悪がった。数日して輪島からドブネがやってきて、鬼の器は嵐で流れた輪島塗りの椀生地なのだと回収していったというのが、鬼の丼の正体。
グーグルアースで測ると、輪島から小木まで直線距離で124キロもあり、往路は時速2キロで北上する対馬海流に乗れるにしても、平均時速5キロで漕いでも24時間以上はかかる「沖走り」の航路であったらしい。
 
復路は富山湾を時計周りに流れる対馬海流の反流を利用して、妙高・立山・白山を山当て(やまあて・位置測定の目標)して、能登の付根にある氷見市付近を目指し、沿岸に沿って帰ったのではないだろうか?
 
ちなみに越佐海峡の最短距離でも40キロあり、中央付近では360℃が水平線で、陸地は見えない。
 
そこまでして回収した椀生地とは?
 
漆の椀造りは、爺さんの代で丸太を玉切り、粗加工までして乾燥させ、この状態が「鬼の器」。親父の代で8割がたに削って乾燥、当代が椀生地にして漆をかける3代に渡る気の長い仕事。
 
だから「鬼の器」が台風で流されたりすると、数代後の子孫の飯の種が失われることになるから必死だったのだ。
 
蔵出しの輪島漆器が不要だからもらってくれと言われた時、収納された箱には、江戸時代中期から大正時代までの誂えた年号が書かれていた。
 
かっての輪島塗の漆器は、冠婚葬祭用に飯椀・汁椀・皿・脚付き膳などのセット販売で、買い求めた人も数代に渡って子孫のために誂えていったようなのだ。
時代が変わって、先祖が子孫に託した家宝が、捨てられていく。ドブネ大工の道具も捨てられていく。
 
学芸員さんとそんな話をして、「モノはともかく、ドブネや輪島塗のモノガタリを残すしかないんでしょうねぇ・・・」とうなだれて外に出た。
 
 
 
 

今だからこそ「脱出航路」・・・国家の枠組みを超えて個人の道義心に従う男たち

2022年04月26日 16時00分00秒 | 民俗学ごっこ
ロシアのウクライナ侵攻について、英国のハードボイルド作家、ジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」の一説を紹介するフェイスブック投稿を読み、私は30年以上も前に読んだ海洋冒険小説の名作「脱出航路」を思い出した。
ドイツの敗戦が濃厚になった時、ブラジルにいたドイツの民間老朽帆船ドイツェランド(ドイツ号)が捕虜になることを拒み、故国を目指す選択をして帰国の航海に出た。乗員には修道女一行もいる。
 
連合軍の掌握下の航路で、容赦なく嵐が老朽船を襲い、故国を前に遭難の危機でSOS発信。
 
探索のドイツ軍の爆撃機とドイツェランドの無線交信を傍受したアメリカ海軍の砲艦は、ドイツのパイロットと連絡を取り合い、敵国船の救助に向かう。しかしドイツェランドはスコットランド諸島近海の暗礁で座礁。
 
アメリカ海軍からドイツ船座礁の救助要請を受けたスコットランドの漁師たちは、憎たらしいドイツ人船を放置するか?救助するか?救助に出ても嵐だから命の保証はない!と紛糾する。
 
そこで長老が演説する。「皆の衆、なにを迷っている!確かに座礁したのはワシらを殺そうとするドイツの帆船だ。しかしワシらは海に生きる漁師じゃないか!ワシら海の男は先祖代々、助け合って生きてきた!ワシと一緒に行く勇敢な男は誰だ?前へ出ろ!ぼやぼやせずにボートを出す準備にかかれ!」
 
波間に消えゆくドイツェランド乗員の命運やいかに!・・・だいたいこんな粗筋。
 
ロシアのウクライナ侵攻の今、戦争当事国同士の海の男たちが、国家の枠組みを超えて個人の道義心に従う物語をもう一度読みたくなった。
 
現実にこんなことがあったとしたら、世の中捨てたもんじゃない。日本ハードボイルド小説協会会長であり、作家、コメディアンでもあった内藤珍のベストセラーのタイトルを借りると「読まずに死ねるか!」

ヤップ島の石貨から、太古のヒスイ交易について考える

2021年03月14日 08時15分50秒 | 民俗学ごっこ

太古のヒスイ交易の実態について色々と考えるのだが、上越市のNPO法人「くびき野カレッジ天地びと」にて、元東京電機大学教授の石塚正英先生の講座を聴講。

石貨とは石製のお金と認識されているが、経済法則を体現する貨幣ではなく、宗教的儀礼を体現する貨幣なのだというのが先生の捉え方。

「民間信仰の基底をアミニズム(身体と霊魂の分離)ではなくフェティシズム(身体と霊魂の非分離)に見出す」という先生の文化論も、ヒスイは希少鉱物だから尊いという価値観から脱却して、ヒトとヒスイの物語へと見出す私の考え方に理論的な整合性を示唆してくれて、話が尽きない。
 
思想や哲学といった抽象論は好みではなかったが、具象論や経験値だけでは限界があると感じ、このところ実存主義に興味を持っているので、東京に帰る先生を新幹線駅まで送って質問責め!
 
昔の書生や芸人が、師匠のカバン持ちを勝ってでて、少しでも吸収しようとするのと同じですな。
 
大学教授の講座を無料で聴講できるのに、若い参加者がいなかったのは実にもったいないぞ、上越方面の人たち。
 
 

雪樋(ゆきどよ)は雪国の知恵・・・屋根雪おろしの民具

2021年01月25日 08時21分07秒 | 民俗学ごっこ

高田の一斉除雪で雪樋(ユキドヨ)をはじめて使って、屋根の上を歩きまわらなくてよい工夫に感動した。

「雪国十日町の暮らしと民具」には、雪樋は昭和初期から使われ、金属製スコップが普及しはじめたのは大正時代からと紹介されており、それ以前の除雪は大変だったろう。
高田で使われていた雪樋は幅50㎝×長さ3・6m内外で、各戸で大工に注文したそうだ。
 
真冬以外は無用の長物を雁木の下に吊るして保管する家もあって、各戸の工夫が面白い。
 
近年では塩ビ製波板トタンをそのまま代用したり、ホームセンターには波板トタンの端を丸めて排雪が横に逃げないためのプラスチック製枠も売られていた。
屋根雪おろしで一番危ないのは転落だから、雪樋は便利であるだけでなく安全対策でもある。
 
 
もっとも簡易な代替品はブルーシートだそうで、除雪の甲子園ともいえる高田の一斉除雪は、民具好きには楽しい2泊3日であった。
 
 

矢口高雄さんを偲んで(その2)・・・自立した子供

2020年11月27日 16時17分27秒 | 民俗学ごっこ

少年時代の矢口高雄さんの家はアワ飯を常食とする貧農で、いつも腹を空かせていたそう。

登下校の際は、スカンポ、桑の実、イタドリ、山ツツジの花などを文字通り「道草を食う」ことで空腹をいやし、釣果は家族の貴重な食料となり、もちろん農作業にも従事した。
コロナ休校で子供の面倒を観るために親が休職する現代と違い、この時代の大人は自然が相手の農作業で忙しく働いていたので、子供もそれなりに自立し、遊びながらも家族の一員として働いていたのだ。
 
貧乏だから無いモノは自分で工夫して作ることが当たり前の生活は、後年の矢口さんにとって創作の源となったのではないか。
豊かさとは何だろうか?人間らしさって何だろう?
 
矢口さんは貧困ゆえに肺炎になっても医者に診せることができず、弟が3歳で亡くなるなどの悲愁も描いているが、貧しいながらも溌溂と暮らしてきた農村の生活描写に憧憬を感じる。
 
 

オレならこうする!・・・おバカ男子のベテラン

2020年08月25日 07時39分52秒 | 民俗学ごっこ
某所でフシギな物体発見。
大掃除の道具を乾かしているにしては、虫カゴと右上のカツラが解せんが、もしやアマビエのつもりか?
 
子供の仕業にしては手が込んでいるので、30代後半から40代前半くらいの当主が、「おい、アマビエだぞ!すげえだろ!」と子供に見せるために作って、奥さんが「バッカじゃないの!邪魔だからやめて!」という図式を勝手に想像してみるオレは、ベテランのおバカ男子。
 
オレならこうする!と、創作意欲に火が付くのであります( ´艸`)

タラ汁に光を!・・・「新潟の食事」を読んでおもうこと

2020年05月09日 08時49分36秒 | 民俗学ごっこ
家ごもりの日々、お袋が昔を懐かしんで、子供の頃に食っていた里芋のお焼きを作ってくれた。
昔は屑米を有効利用するために米粉に挽いて茹で潰した里芋を混ぜて焼いていたらしいが、現代の市販米粉だと昔より美味いのだそうだ。それでも私には素朴な味過ぎたので、チーズをのせて海苔で巻いて食ったら美味い!
 
さて、新潟県人にお勧めの本がある。農文協出版の「日本の食生活全集シリーズ膳50巻」の15巻目の新潟編だ。
 
もちろん各都道府県の食文化を網羅した全集だから、自分の出身地の巻を読むと面白いですよう。
西頚城地方(糸魚川)の紹介ページは、筒石地区のある漁師一家の歳時記と季節の食事の一覧が紹介されており、お袋の世代は米飯はハレの日のご馳走で、日常は麦飯が主食、または少ない米で腹を満たす工夫の雑炊や野菜を混ぜた「かて飯」が主食だったようだ。
 
麦飯は米6:麦4の割合の配分で、これは刑務所の「臭い飯」と同じで、ムショとは刑務所のムショと六四の割合の麦飯をひっかけた隠語。
 
米どころの新潟にあって平地の少ない糸魚川の海岸部では、米の飯はハレの日にしか食えないご馳走だった時代があるのですネ。
 
ぬなかわヒスイ工房の来客を近所にある漁師一家が経営する寿司屋の「伝兵衛」さんに連れていくと、みなさん当たり前に豪華な海鮮料理を注文するが、私はお客さんの奢りであっても安い「タラ汁定食」を注文する。
一人前でも丼3杯分はある小鍋で出てくるので、お客さんはそのボリュームに驚き、お裾分けするとタラ汁の濃厚な旨味にもっと驚く。
 
タラから旨味が出るので出汁は不要で、ぶつ切りのタラが煮えたら火を止めて味噌を溶かし、ネギを散らすのが漁師流で、みなさんがいま食べているエビやカニ、ブリの盛り合わせは地元ではハレの日の食い物であり、タラ汁が日常食だと教えると、「こんな美味しいものを日常的に食べているなんて、糸魚川の人は幸せですね!」と褒め称えて糸魚川ファンになってくれる。
 
これほど美味い浜っ子のソウルフードが、ランチで食える店が他にないのは何故だろう?
 
先日もNHKラジオでトラックの運ちゃんが、国道8号線を走って富山に入るとタラ汁を食わせるドライブインが沢山あり、これが安くて美味いのよ!と言っていたが、すぐ隣の糸魚川だって同じ物を食っているのを忘れてもらっちゃ困る。
 
青年会議所が「ブラック焼きそば」というB級グルメを開発して宣伝しているが、それはそれとして、地元に県外者が驚く安くて美味い郷土食があることを忘れてはいないか?
 
糸魚川の飲食店、観光関係者は、こんな本を読んで地元の文化をもっと勉強して欲しいですネ。
 
ガンバレ糸魚川!忘れるなタラ汁!