縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

縄文人(見習い)号、北へ!・・・暫く旅に出ます

2018年07月21日 15時36分46秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文人(見習い)号、シーカヤックからバイクに代替わりして北海道へ!

ここ数カ月、ろくに休まず大首飾り製作に没頭していたら、時折、目の焦点が合わなくなったり立ち眩みするようになったので、思い切ってリフレッシュ休暇。

大首飾りは完成間近なのだ。

しばらく連絡つきませんっ!


相棒はホンダのスーパーカブプロ110という郵便配達で使われている実用車で、リッター当たり60キロという驚きの低燃費。


しばらくバイクから離れていたら、USB電源のスマホナビを始めとした便利なツーリング用品が沢山でていて驚いている。


ツーリング仕様にカスタマイズするため、ネットで商品レビューを閲覧すると「取り扱い説明書がなくて付け方が解らない・説明不十分」というような批判が多い。

しかし実際に取り寄せてみたら「見れば解る」というレベルばかり・・・アホか。


一昔前のバイク乗りは、身近なものでツーリング用品を自作していたのだが、この点も隔世の感。

北海道も暑いらしいが、北部は新潟の5月くらいの気候だそうだ。

武四郎所縁の地の巡礼旅の意味もあるのだ。


モノと身体との連動性・・・左京窯さんの縄文コーヒーカップ

2018年07月21日 07時29分01秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文晩期の雲形紋が施文されたコーヒーカップは、八戸市の縄文仲間の左京窯さんから贈られてきた穴窯で焼かれたもの。

恰好いいだけでなく、感心するのが何気に持つと把手に指を入れる持ち方ではなく、自然と親指と人差し指で摘むように持つようにできていて、英国のシェークスピア劇俳優出身のジョン・ギールグッド演ずる処の英国紳士のように優雅な飲み方になってしまう。

英国紳士ではないし、普通の家柄出身だが、往年のミュージカルスターのフレッド・アステアは、踊りも立ち振る舞いが優雅で大好きなのだが、アステアさんもコーヒーカップの把手は指を入れずに摘む持ち方をしそう。

 

以前に頂いた箒と同様で、作品と身体との連動性は地に足が付いた生活から産み出されているのではないか?

機能を満たせればいいというだけのモノ作りに終わらず、こういう使い心地こそに文化を感じ、ヒスイ加工もかくありたいと思う。

 

 


巫女修行ツアー糸魚川に!・・・美女でなくとも是非に及ばず

2018年07月19日 07時49分48秒 | 糸魚川自慢

首都圏からわざわざ石笛を買いに来たお客様から電話を頂いた。

お客様には糸魚川ガイドをしているのだが、ことのほか楽しかったらしい・・・そこで。

「元モデルで物凄くスタイルがよくて美人な高島敏子さんてご存知ですか?彼女はスピリチュアルツアーのプロデュースもやっていて、9月に美女修行をしている女性の糸魚川ツアーを計画しているのですが、山田さんのことを話したら興味を持って、ガイドを頼むことになるかも知れません・・・」という内容。

高島敏子さん

 

元モデルの別嬪さんが企画する美女修行?・・・来なさい!任せなさい!今すぐ来なさい!!と興奮したが、よく聞いたら美女修行ではなく巫女修行ツアーだった。

https://ameblo.jp/kokko0803/entry-12391490513.html

後日に高島さんから電話があり、話してみたら謙虚で聡明な感じのお方で意気投合。

奴奈川姫関連の出版の計画もあり、今回はその取材旅行も兼ねているそうで、初日は少人数だけの糸魚川取材、2日間は巫女修行ツアーの合計3日間のガイドが決定。

高島さんのフェイスブックに投稿されていた昔のお姿・・・何食ったらこんなに足が長くなるのか?

17歳当時の高島さん

 

糸魚川にUターン帰郷して7年目、各地から訪ねてくる友人たちや縄文ファン、神話好きをボランティアガイドしていたら、今では年間100人近くも訪ねてくるようになった。

美女でなく巫女グループでも大歓迎!と言ったら、最高齢80代を筆頭にして、参加者は皆さん美女ですと釘を差されてしまいました(笑)

是非に及ばず・・・やってやろうじゃないかという意味で、織田信長の最後の言葉である。

色んな人をガイドしていると、普段考えもよらない言葉が出てきて自分で驚くことすらあり、糸魚川の見所、魅力を発見したりする。

よく指摘されるのだが、私は巫女体質らしい。

巫女修行グループを案内することで、どんな変化が私に起こるのか?発見があるのか?

愉しみである。

 

 

 

 


海の異変?・・・素潜りの足ヒレにお勧めのエムデン

2018年07月18日 07時46分33秒 | 田舎暮らし

汗だくになった仕事の後に海に入って体を冷やすのは至福の時。

これぞ田舎暮らしの醍醐味だ。

自宅裏のヒスイ海岸

 

しかし年々、海の中の異変を感じている。

海底は梅雨明け時点でお盆過ぎの静けさがあり、濁りが増して魚も減っているような・・・。

今年は猛暑でも温かいのは海面から50㎝くらいまでで、水深2mでヒヤッと冷たく、5mなら裸では辛いほど冷たい。

 

いわゆるサーモクラインという水温差の層が極端で、心臓麻痺に要注意だ。

 単に大雨が続いて、河川の冷たい水が大量に流れ込んでいるだけならいいのだが、不気味ではある。

温暖化の影響なのだろうか。

因みに昨年新調した足ヒレは、沖縄の海人御用達というガル社のエムデンで、水の抜けや反発力、バランスが実によく、老舗ブランドのしては安いので、初心者にもお勧めできる逸品。

 


ベターハーフ勾玉、アメリカへ・・・ヒスイとヒトのモノガタリ

2018年07月16日 07時53分32秒 | ぬなかわヒスイ工房

アメリカ人のビジネスパートナーに日本のお土産を贈りたいという相談で提案したのが、一つのヒスイ勾玉を二つに割って作ったベターハーフ勾玉。

異文化の外国人にとって勾玉は石で作ったカシューナッツに見えるらしく、ダイヤなどの単結晶の透明な貴石に比べたらヒスイは地味な石。



モノではなくモノガタリ、すなわち文化を贈って、日本に興味を持って欲しいと思う。

 

何の説明もなく異文化の人にヒスイ勾玉を贈った場合、ダイヤモンドやルビーに比べて地味な石で作ったカシューナッツ?と思われては堪らない。

物凄いお金持ちらしいので、奥様は多くの貴金属や宝石だって持っておられるだろう。

そこでヒスイとヒトの歴史、勾玉の歴史など想う処を文章にして添えた。

歴史的存在としてのヒスイ、勾玉の由来、プラトンが唱えて西洋に広がったベターハーフという概念を元に、ジョン・レノンの名曲「you are here」をイメージして作ったベターハーフ勾玉の誕生譚などといったモノガタリの数々。

二つに割る前の時点では厚み2㎝もあるので、この段階に至るまでが苦労するし勝負の分かれ道。


真っ白なヒスイに鮮やかな黄緑が発色した勾玉は、糸魚川観光関連のチラシや地元の人の名刺などで多く目にすることがあるが、大抵は黄緑の部分が出っ張ったりした凸凹な勾玉だったりするのだが、誰も気にしないのが不思議(笑)


このタイプのヒスイは白い部分と黄緑の部分では堅さが違うので、丁寧に研磨しないと歪になってしまう加工が難しい原石なのだ。


勾玉のカタチにもヒスイと作り手のモノガタリが表れているし、作り手の美意識や料簡が如実に現れるので恐ろしくなる時がある。


二日間、暑い工房に籠ってガチで作った勾玉を見て、注文主と贈られるアメリカ人がどう評価してくれるのか?

贈る人と贈られる人のモノガタリが始まる。




武四郎、再びNHKバラエティー番組で紹介・・・大首飾りプロジェクト

2018年07月14日 21時43分36秒 | ぬなかわヒスイ工房

NHKの「チコちゃんに叱られる」に次いで、「日本人の名前」という番組の中で北海道の命名者として松浦武四郎が紹介されていた。

来春放送予定の武四郎ドラマの宣伝の意味もあるのか、昨年からNHKは頻繁に取り上げている。

 

江戸時代に和人から蝦夷地と呼ばれていたアイヌモシリ(人の大地)を、アイヌ民族に断りもなく勝手に北海道と名付けたという批判が一部にはあるようだが、幕末時から南下政策を取るロシアや植民地拡大を図る欧米に対して、明治政府は蝦夷地を日本の領土であるという国際的な宣言が必要だったという歴史の流れも理解して欲しい。

武四郎が蝦夷地探検を志したのも、ペリー来航以前から蝦夷地を虎視眈々と狙い、一部上陸までしていたロシアに対しての憂国の想いから。

 

彼は旅行家、紀行文作家、民俗学者であると共に尊王攘夷の志士でもあった訳で、水戸藩関係者や吉田松陰を始めとした攘夷派志士との交流が深く、まさに幕末動乱の渦中にいた。

因みに松陰とは一つの布団を一緒に被って床に入り、一晩、この国の行く末を熱く語り合った仲だった。

武四郎が蝦夷地で直面した現実は、松前藩と場所請負商人という利権を持った和人商人達によるアイヌ民族への不当で過酷な扱い。

略奪、収奪、凌辱を受けてアイヌ民族の人口も減り続ける一方で、その現実を出版により世間に訴え続け、松前藩から命を狙われてもいた。


北海道(北加伊道)は日本語にアイヌ語を合わせた武四郎の造語で、「北に生まれし者の土地」というアイヌへのリスペクトを籠めた名前。


明治期になっても既得利権を引き続き守っていた場所請負商人達は、北海道行政庁に賄賂による懐柔策をとり、アイヌ民族への扱いは変わらなかった。

北海道行政のナンバー3という役職に任命され、官位まで受けていた武四郎は潔く官を辞し、それまで自称していた北海道人という号を馬角斉バカクサイ)に変え、一切の政治活動をやめて好事家として生きてゆく。

その最晩年に作ったのが大首飾り。

正義感が強く清廉潔白、そしてちょっと癇癪持ちの武四郎は政治に向かない根っからの旅人、自由人だった。



不思議な形のヒスイ勾玉・・・大首飾りプロジェクト

2018年07月11日 18時58分56秒 | ぬなかわヒスイ工房

國學院大學の内川教授が大首飾り監修で、ぬなかわヒスイ工房に来訪。

内川先生も見事な勾玉を作っておられ、来訪の機会に現代工具を使って大首飾りに含まれる古墳時代の巨大なヒスイ勾玉作りをして頂いた。

考古学者には土器作りや石器作りを実際に体験して考察を深めようという方々もいて、皆さんお上手なのは実物を沢山観察されて眼が肥えておられるからではないだろうか。

超音波穿孔機で孔開けした後に、実測図通りにリューターで孔を広げている所。

研磨している所だが、左上の紙は内川先生が作図した実測図で、レプリカ作りに必須なアイテム。

釣り雑誌の表紙を飾る、釣りあげた鯛を誇らしげに持つ女性モデルみたいに、完成した勾玉を持って自然に笑ってください!という畏れ多い注文に応えてくれて記念撮影(笑)気さくな方なのだ。

頭部に縦の溝があるあまり類例のない勾玉で、この形状について想う処があるが、SNSでは公表できない(笑)


実物は黄ばんだ淡い黄緑なので、独自開発のエイジング加工をしてみたら、読みがズバリと当たって僅か2日間でいい感じに育ってきた。

1週間ほど寝かせれば実物そっくりな発色になってくれそうだ。

 

 


蚊取り線香勾玉・・・大首飾りプロジェクト

2018年07月07日 09時30分52秒 | ぬなかわヒスイ工房

滑石製勾玉の代替品の蛇紋岩勾玉が完成した夕方、蚊取り線香が形も大きさも作ったばかりの勾玉に似ていて苦笑。


大首飾りの滑石製勾玉は、紐孔がこんな感じで切れて線状になっているのだ。

蛇紋岩勾玉(滑石製勾玉)が完成したとはいえ、古色仕上げ加工継続中

実測表に基づいて紐孔の大きさも合わせている。

実測図面のナンバリングに型取りを終えたら黄色でペケ、実物が完成したら紫でペケでマーキング

 

完成させて実測図のナンバリングと実測表にマーカーを塗ることが楽しみ。

全てが紫に塗りつぶされた時、大首飾りは繋げられて姿を現す・・・いつの間にか終わりが観えてきた。

 

 


疑わしくは比重を計ろう!・・・インドヒスイもヒスイのうち?

2018年07月04日 22時18分32秒 | ぬなかわヒスイ工房

知人が観て欲しいと持ち込んだのは巨大な勾玉。

研磨は稚拙だが透明感と発色が素晴らしく、硬玉ヒスイなら最高品質の琅玕 (ロウカン)である。

 

案の定、持ってみたら手が持ち上がるかと思うほど異様に軽い(笑)

カーネギーホールでリサイタルをしたこともあるという有名な音楽家から鑑定を依頼され時と同じパターン。

こんな時は比重測定するに限る。私の秤は家電屋さんで買った3,000円もしない安物のデジタル計量器だが、精度はともかく0.1g単位で測定できる。

 

比重測定は最初に測定したいものだけを計る・・・166.1g。

次に水を容れた軽い容器を秤に載せて風袋ゼロに設定。

測定物を紐で縛って水の中に吊るし軽量・・・63g

容器の底や壁面に測定物が当たらないように・・・本来は水を吸わないテグスを使うが、無かったので木綿紐で代用・・・精度無視(笑)

 

比重の計算方法は166.1g÷63g=2.64(比重)

硬玉ヒスイの比重は3・5前後だから間違いなくヒスイではない。

硬玉ヒスイのまがい物の中で最も近い比重はインドヒスイ(グリーンアベンチュリンクオーツ)の2.65だから、かなり疑わしい。

夕方だったので詳細な目視観察ができなかったが、キラキラした結晶が浮き出ていたのでインドヒスイではないだろうか?

簡単に言えば緑色の石英で、糸魚川でもたまに拾える。

見た目の次点候補はメタジェイド(硬玉ヒスイの模造品として開発された不透ガラス製品・比重2.7)だが、ちょっと軽すぎるようだ。

メタジェイドは中国製のフェイクヒスイに多いのだけど、調べてみたら日本人の飯盛里安という人の発明であるらしい。

悪魔の発明か人類の英知かは私には解りかねる(笑)

ちなみに某所で観察させて頂いた歴史的遺物の勾玉はもっと深い緑色をしていたが、持っただけで糸魚川ヒスイではないと解る軽さだった。

その時は目視観察だけだったので石英系ではなさそうだった・・・一体何だったのか今もって疑問。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古代からのバトンリレー・・・大首飾りプロジェクト

2018年07月01日 22時25分54秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾り製作プロジェクトに携わって11ヶ月目に突入。
古代の勾玉を複製する行為は、時空を超えたバトンリレーのように思えてきた。

古墳時代に作られた赤瑪瑙勾玉の複製は、コの字をした出雲形勾玉の特徴を持っている

 

厳密に言えば古墳時代の職人に加え、身に付けていた人、発掘した人、売った人、明治期に求めて大首飾りに仕立てた松浦武四郎、発注者の松阪市担当者、実測図を作り、私に大首飾り製作を委ねてくれた國學院大學のU先生など、一つの勾玉には膨大な物語りが籠められており、そのバトンリレ-の最終ランナーを託されたのだと自覚すると、責任の重大さに身が震える。


3回目の赤瑪瑙の染めは、15点の内3点のみ実物そっくりの琥珀色に染まってくれたが、他は全然だめで顔料濃度を変えて4回目を継続中。


同じ原石でも多孔質な部分と緻密な部分は、顔料の含浸度合いが違うという事らしい。


白っぽいのやオレンジ色、琥珀色まで雑多なバラつきは歓迎なのだが、成功か失敗かが両極端なのが厳しい所。


やっと終りが見えてきて、寂しくもある。