縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

けんか祭りまであと10日!・・・祭り当日は禊で始まる

2014年03月31日 07時21分21秒 | 田舎暮らし


正月明けくらいから、寺町区の男同志が会うと「いよいよだね~」「いよいよだわい。今年も頼むわんぜ~!」と挨拶が交わされるようになる。

男たちは四月十日に開催される、一の宮春季例大祭「けんか祭り」を心待ちにしているのだ。



一人でも多くの人に見学に来て欲しく、これから祭りまで「けんか祭り」の紹介をしていくことにするので、みなさん見学に来て下さい。

多くの祭りが参加者や見学者を集めるために、祭りの開催日時が土日に変更されていくなか、けんか祭りは昔ながら四月十日のままであり、今年は平日の木曜日の開催なので見学者が少ないかもしれない。

 

例え平日でも男たちは嬉々として仕事を休んで参加するし、当日に雨が降ろうが風が吹こうが関係なく決行される祭り・・・これは素晴らしいこと。

浅草の三社祭りの宵宮で大雨の時があり、ピクニックじゃあるまいに神輿を出さなかった町会があったのだ。


ただ四月十日の祭りといっても本来は旧暦のことであり、今年の祭りを旧暦表でみると三月十一日が昔通りの日程である。


明治時代以降は旧暦から新暦に変更されたために、各地の祭礼で多くの混乱が起こったことがあるという。

新暦では季節が一ヶ月も後にずれてしまうし、祭りは古今東西、つごもり(月籠り・・・つまり新月)や満月などの月齢に合わせて開催されることが多いからである。

 民俗学者、宮本常一によると明治の頃は旧暦通りに祭りを開催すると罰せられたそうだ。

神事とは国家が管理すべきものではないのだが、国家権力とはなんと野暮な存在であることか・・・。


さて、けんか祭りに話を戻す。祭り当日は禊から始まる。

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祭り当日の朝六時、雪解け水でまだ冷たい日本海で禊が行われる。

盛大な焚火とお神酒の乾杯で気勢を挙げて、往年の浜っこ達が子供のころから遊んできた海に入る。

海水は氷水のように冷たい年、生暖かい年とその温度は色々だが、波が高い時は膝くらいまで海に浸かって済ませる。

糸魚川市の浜は急に深くなっており、引き波が強いので波が高くて海水温度が低い年は危険なのだ。


寺町区の禊は役付きは白の越中褌姿で押上区は赤の越中褌姿。

フルチン姿の豪快な人もいる。

豪放磊落を絵に描いたようなフルチン派のKさんに聞いたら、「男同士でなにショウシイ(笑止が語源?恥かしいという意味の方言)ことぁ無いわい!」とカラリと笑った。

マスコミやギャラリーも結構多いのだけども・・・(笑)




たかがホタルイカでそこまでするか!

2014年03月29日 22時25分34秒 | 田舎暮らし


今の時期の糸魚川にはホタルイカが押し寄せる。


今の時期にはホームセンターにはホタルイカ用の網が売っているが、網は無くても海岸に打ちあがってくるやつもいるので素手でも拾えるのだ。

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二週間後に迫ったケンカ祭りの寄合(要するに飲み会だ)を終えて、寺町の海岸に出てみたら、あっちこっちでホタルイカ拾いのヘッドランプが光っていた。

何人かに声をかけてみたら、今晩はまだ打ちあがっていとのこと。


面倒臭がりの糸魚川人は、わざわざ夜中にホタルイカを拾うなんてやる人は少ないので、徹夜でホタルイカを拾う人は市外や県外の人に違いない。


「炊くほどは 風が持てくる落ち葉かな」という良寛さんの句の通り、自家用くらいなら早朝に海岸に行けば拾えるのだ。


ひときわ明るい明かりがあったので近づいてみたら、発電機まで持ち込んで灯光器で海を照らしているグループがいた。

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聞くと長野県から来たらしい。

交代で見張りをして、徹夜でホタルイカを拾うのだそうだ。

たかがホタルイカでそこまでするのかね?・・・子供の頃から遊んできた海でそこまでされると、ちょっと可愛げがない。


親不知の牡蠣や山間部の山菜も、信州人が根こそぎ採っていく心無い信州人がいて地元では評判が悪い。

山菜の場合は、新潟県人は大らかというか大雑把なので、他人が個人所有の山林への立ち入って山菜を採ることに関して比較的寛容なところがある。

だからわざわざ信州の業者が来て無断で山菜を採っていくのだ。

中には背広姿で山菜採りをして、見つかった時に出張中の出来心と言い訳をする業者もいると聞く。


みんなの海だから自由に遊んでいいけど、ゴミだけは持ち帰れよなあ・・・信州人の帰った後にはゴミが散らかっているのだ。


最盛期には糸魚川駅前や本町通りより人口密度が高くなるくらい、真夜中の海岸が人で一杯になる・・・らしい。


ハァ~、ちょっとやるせない気分
市長さん、二年後に開通する新幹線駅は、寺町の浜に作り直したらどうだね?













世界初?縄文ファリシズム型石笛を作った!

2014年03月28日 00時01分15秒 | こんなモノ作った!





人類は旧石器時代から今日まで、生殖器を模した造形物を作り続けてきた。

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長者ケ原遺跡考古館展示の石棒


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わたしの宝物。
藤沢市の古道具屋さんで「大昔のコケシ」として売られていた。
東京都埋蔵文化財センターの学芸員さんに鑑定して貰ったら、
箱根あたりの凝灰岩で作られた中期(五千~四千年前)の関東地方の出土品らしいとのことだ。
観察すると赤熱した跡があるので、石囲炉に置かれていたのではないかと推測される・・・つまり炉が炎を生み出す女性器と石棒が男性器の対になっていたらしい。



原始はともかく、今日までとはどういうこと???と思うことなかれ。
バベルの塔から東京スカイツリーまで、塔とは天に聳える男根である・・・といったら笑われるかな・・・・?


とにかく、どうも人類には生殖器と相似形を作ることで、新たな生命力や旺盛な生命力を享受したいという欲求があるものらしい。
そのような生殖器への憧憬思想をファリシズムという。

ファリシズムの語源は、
「膨らんでいる」というラテン語のファルス(名詞では男根)からきている・・・調べてた事ないけどそうだと思う。



もっともそれらは男根だけではなく、大きな岩の割れ目や窪み石などのような女性器をシンボライズした礼拝対象も多い。

有名な処では子安貝(別名タカラガイ)がある。

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南の海で拾った子安貝



南方産の小さな貝殻だけど、女性器に似ていることから太古より世界各地で財宝や財貨、儀礼に使用されてきた。

貨幣や財源、財宝などの経済に関する漢字に貝が付くのはこのためだ。

一説によると餃子の形状は子安貝を模しており、「交わって子を成す」という子孫繁栄を願う儀礼食で、具のひき肉は多くの子孫を意味しており、ニラやニンニクで精力旺盛になりましょう、という意味あいがあるともいう。


さてそこで私も縄文ファリシズムを作品にしたくて、石笛を作ってみたのがこれ!

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姫川薬石(石英斑岩)で作った男根型の石笛は、世界初でしょうなあ・・・。









ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!・・・泥岩

2014年03月25日 23時53分40秒 | こんなモノ作った!



泥岩というと黒系や灰色系の単色で、地味なザラついたイメージがある。

しかし下の石笛をご覧あれ。


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黒地に赤、白、ブルーグレーの斑模様が入っていて、まるで抽象画の夜桜を観るようで風流ではないか。



姫川で拾った時は泥岩にしては色艶もよく緻密で色合いが派手であったので、石の名前の判断が付きかねた

こんな時は市内のフォッサマグナミュージアムで鑑定して貰うに限る。
やっぱり泥岩とのことであった。

泥岩といっても多種多様で、硬いのも柔らかいのもある。

そこで縄文時代の御物石器をイメージした石笛に仕立ててみたのだ。

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御物石器とは実用の生活用品とは思えない用途不明の石器で、主に祭りごとに使う祭器や威信財であったろうと推測されている出土品である。


生活用品を第一の道具とし、これらを「第二の道具」と考古学界の御意見番、小林達雄先生が分類している。


通常は加工しやすい砂岩や凝灰岩製が多いようだが、糸魚川の縄文人は蛇紋岩を使ったりしている。

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裏は渋いブルーグレーの霞模様。



縄文スタイルも最近はこんなアイデアが溢れてきて、作る時間が足りなくて嬉しい悲鳴を上げている。


糸魚川の河原や海岸は、鉱物に興味を持てば宝の山だ。


ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!











かわいい???・・・直径10㎜のハート型ピンバッチ

2014年03月23日 20時53分58秒 | こんなモノ作った!






去年つくった超小型勾玉の写真を観た千葉の女性から、直径10㎜のハート型ピンバッチの注文を受けたのは、もう二ヶ月も前だ。

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どうだ参ったか!の勾玉巴。この写真を観て注文してくれたらしい。




彼女はハート型の小型ピンバッチを集めているのだそうで、ヒスイで作って欲しいとのこと。

私は縄文スタイルと銘打って誰も作ったことのない作品群を作ってきたが、どれも土俗的というか民芸品的な感じの作品ばかり。

ハートを作るとは夢にも思わなかった・・・「かわいい」って難しいのである。


直径10㎜のハートだと、不純物の多いヒスイはどんどん削れていって形になってくれないことは想像できたので、質の良い原石の入手に奔走。

質だけじゃなくて、「かわいい!」感じのヒスイじゃなきゃ駄目。


集めたヒスイから四個試作して完成したのは一個だけという難しさ。


原石を削って形にする「切削」の段階でぴったりの形と大きさだと、「研磨」の段階でドンドンドンヒスイが削れて小さくなっていったりする。
その加減が難しい。
ほんの僅かな不純物があると大きく削れて不格好になっていくし・・・。


途中で失敗しては工夫を重ねていったが、ある程度の大きさがあれば歪みも目立たないからいいのだけど、直径10㎜だともろに目立ってしまう・・・。


勾玉は平面形状がシンメトリックじゃないから、その意味で形が歪んでも味になってくれて楽なのだが、ハート型は平面形状がシンメトリックなので誤魔化しが効かなくて大変。
特にハートの頭のクビレ部分に研磨具が入らなくて困った。


完成したハートも、クビレをもっと鋭角にしたかったがこれが限界。


平面的なハートにだけはしたくなかったので、厚みも10㎜から研磨していって、最終的には7㎜のポッテリした感じに仕上げた。


艱難辛苦幾星霜、苦節二ヶ月も試行錯誤して完成したハートがこれ!

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どうですか?

かわいい???









タフなアウトドア活動の味方・・・モンベルチャレンジ支援制度

2014年03月20日 23時24分36秒 | ぬなかわヒスイ工房





国内アウトドア用品最大手のモンベルという会社がある。

モンベルには、「チャレンジ支援制度」という有難いシステムがあり、震災復興、環境問題や各種教育プログラム、個人的な探検や冒険などを色んな形で支援しているのだ。


で、私も思う所があって応募したら、支援を受けられることになった。


20代からアウトドア衣類というと、高いけど丈夫で着易いアメリカのパタゴニア社製品を愛用していた私だが、最近は国産品がどんどん良くなってきている。

モンベルさんもアメリカ進出を果たし、韓国にも店ができたそうだ。


詳細は後日アップするが、糸魚川市から最寄りのモンベル直営店「モンベル安曇野店」に希望する商品を受け取りにいった。


安曇野店は信越自動車道の安曇野ICのすぐ横にあるが、ちょっと前までは安曇野ICは更埴ICという名前だったので、知らずに長野市を過ぎて更埴ICまで行ってしまったぞ(怒)


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安曇野店さんは玄関で熊が出迎えてくれる。戦利品?を持って店長さんと記念撮影というか、モンベルさんへの感謝の気持ちで宣伝。



最新のアウトドア衣類や機材は凄い。

軽くてかさばらず蒸れにくい衣類や、20年前とは比較にならないほど軽い器材類。

アウトドアでスマホやタブレット端末に充電可能なソーラー発電機などなど。

以前のアウトドア用品というと、ホンモノのサバイバルには使えなさそうな遊び道具というレベルのものが多かったと思うが、今回支援を受けた衣類や機材はサバイバルの実用品といえるレベルばかりで嬉しくなってしまった。









勾玉だけがウリじゃないぜ!・・・世界初?の磨製石器ペンダント

2014年03月18日 21時03分07秒 | こんなモノ作った!



昨今のヒスイ業界では勾玉が過剰生産気味・・・と思う。
古い職人さんに聞くと、10年前より値段が安くなっているそうだ。

一昔前の糸魚川ヒスイといえば、宝石質のヒスイ原石でペンダントトップやネクタイピン、帯留めなどが作られて高値で売買されていた時代があった。


ところが宝石質のヒスイが枯渇し始めて
からは、宝石質のヒスイでなくてもそれなりに売れる勾玉が大量に作られるようになったのだと思う。

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小滝産のヒスイで作った磨製石器ペンダント。
表から見ると綺麗なヒスイだが、裏から見ると・・・

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真っ黒に見えるのは角閃石という不純物で、ヒスイに比べると柔らかくて見栄えが悪いので、こんなヒスイで勾玉を作る人はいない。
しかし石器ならかえって迫力が出るのだ。


誰でもヒスイ製品が気軽に買えるネット販売の出現によって、さらに勾玉の大量生産と販売に拍車がかけられていった・・・のだろう。
そして売れ残りの勾玉が、ネットオークションで叩売りされていく・・・。

ネット販売のサイトを観ると、恐らく中国あたりで作られた不格好な勾玉が異常な安さで売られていたりする。

もちろんぬなかわヒスイ工房でも勾玉は作るが、人と同じことしていても面白くないし、現状のヒスイ製品の売られ方、扱われ方に心が痛む。


そんな理由から、これまで誰も作ったことのない商品を開発しているが、勾玉ばかりがウリじゃないぜ!と、得意の縄文スタイルが評価されつつある。

ヒスイ以外の糸魚川産の面白い石材を使ったり、石器をアクセサリーにアレンジしたりしているが、これが面白くて仕方ないのだ。

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赤碧玉(赤玉・鉄石英)で作った磨製石器ペンダント。

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色んな色が混ざってサイケな感じが、面白い風景と思うのは私だけ?
こんな石もこれまでの勾玉の概念だと商品価値のいない駄目な石ということになるが、私は二つとない貴重な石だと思えてしまう・・・。



特に最近は石笛の他に磨製石器のペンダント作りに励んでいる。

糸魚川産の蛇紋岩類の石器は、3万年も前の旧石器時代に長野県の野尻湖のナウマン象ハンター達が珍重していた。

縄文時代に入ってからは木工用の石器として磨製石器が作られるようになり、糸魚川は国内有数の磨製石器の生産拠点となっていったようだ。
糸魚川の縄文人だって、勾玉だけが俺たちの作るものじゃないぜ!って言っている・・・と思う。

面白いことに、糸魚川産蛇紋岩類の石器が副葬品として出土しており、魔除けや威信財としての価値もあったようなのだ。

実際に実用には使えそうもない小型の磨製石器に孔が開けられている出土品もあり、アクササリーとして使用されていた可能性も推測されている。



数千年の時を経て、魔除けの石器を復活させたのである。
ご先祖も喜んでいる・・・かな?























オム・マニ・ベメ・フム・・・ラダックのソリ遊び

2014年03月13日 21時46分58秒 | 旅先にて





北インドのラダックは標高3000m以上のチベット文化圏。

知人のチベット仏教僧から、黒いほどに青い空と草木の生えない月面のような神秘的な所と聞いて行きたくなった。


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真冬には雪に閉ざされるので、デリーから飛行機で行くしかなく、本家のチベット以上に原初のチベット仏教が残されている秘境だ。



デリーからエア・インディアを予約したら、ラダックの州都レー上空の天候不順で2回もキャンセルになった。

1回目のキャンセルではラダック上空まで行ってから引き上げたが、この時は雷雲の中で飛行機がガタガタと尋常ではない揺れ方をして、生きた心地がしなかった。

そのお詫びのつもりかデリーに戻ってからは、料金はエアー・インディア持ちで高級ホテルに送迎・食事つきの宿泊クーポン券が貰えて、生まれて初めて高級ホテルに泊まることができた。

ツインの部屋に同室になったラダック人のオジサンは、食後に頼んだチャーイが1杯50ルピーということにガックリしていたが・・・町では2~5ルピーで飲める・・・2度目のキャンセルの時の宿泊は、交通費込みで50ルピーというクーポン券だけ渡されて待遇はえらく落ちた。

3回目のフライトでレーに降り立ったが、ヒマラヤ山脈の山肌を縫うようにジグザグに飛行場にアプローチするので、これも生きた心地がしない。

着陸と同時に客から安堵と入り混じった名人パイロットへの拍手。

レーに到着後から頭がガンガンして高山病になったことを自覚した。三日間ほどで順応したが、この時に食ったリンゴがこれまでの人生で食ったリンゴのなかで一番美味かった。

カシミールアップルという紅玉に似た酸味のあるリンゴ。

高地順応してから、バスとヒッチハイクをして標高4000mのアルチ村を訪ねた


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レーからアルチ村までは乗合バスに乗って村の入り口の麓で降りる。
麓から山羊しかいない山道を1時間歩いて村に到着したが、ダウンジャケットを着ていても氷点下20度では痛いほど寒いし、ゴアテックスの軽登山靴を通して容赦なく足に冷気が突き刺さる。
しかも空気が薄いので10mも歩くと30秒くらいはゼ~イ、ゼ~イと呼吸が荒くなり休憩というペースなので、遭難死するかと思った。
この写真は村の麓のインダス河上流部だが、ゴツゴツと厚い氷に覆われていた。


この村こは現在は世界遺産になったアルチゴンパというチベット寺があるのだ。
この寺の曼荼羅群が有名で、知人のチベット仏教僧はこの前で一晩中瞑想修行したのだという。

ラダックの寺の曼荼羅は普通の見慣れた絹地に描かれた曼荼羅とは違っていて、極彩色の曼荼羅が壁画として描かれており、その壁下地が凸凹した漆喰仕上げになっている点だ。
だから燈明の炎がユラユラと揺れるに合わせて、曼荼羅の諸仏が生きて動いているように観えるのだそう。


アルチ村を歩いていると、陽だまりで三人のお婆ちゃんたちが日向ぼっこしながらヤクの毛を紡いでいた。
厳冬期には珍しい観光客の俺を見つけて、手招きして「ここは暖かだから座って休んでいきなさい。」という雰囲気で、身振りを交えてラダック語で話しかけてきた。

隣に座って「寒いね~!」と身振りすると、お婆ちゃんたちは糸紡ぎを続けながらニッコリ微笑んだ。

彼女たちは手を動かしながらもブツブツと何かを呟いていたので、耳に手を当てて「何ていってるの?」と日本語で話しかけたら、「オム・マニ・ベメ・フ~ム」と念仏を呟いているとのこと。

オム・・・聖音のオーム
マニ・・・宝珠・・・真理
ペメ・・・蓮
フム・・・分離できない「在る」という意味

直訳すると「蓮の華宝珠が在る」という意味だが、一般的に「真意のままに」と訳されるチベット仏教の真言だ。

彼女たちにとって宗教は、生活すること、生きることに直結していることを目の当たりにして感動した。

子育てをしながら、家事をしながら一生、オムマニペメフムと唱え続けて、真意のままに生きて死んでいくのだ。

お婆ちゃんたちと無言の交流を愉しんだあと、村外れまで散歩したら、キーッと変な音が聞こえてきた。

音のする方へ行ってみたら、子供達が凍った川でソリに乗って遊んでいた。


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キーッという音は、カチンコチンに凍った氷にブレーキを掛ける音だった。

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ソリもブレーキも手作り・・・素朴な人たちだった。




震災直後のできごと

2014年03月10日 21時36分03秒 | 田舎暮らし




新潟県警加茂警察署に勤務する甥が、お年寄り相手の振り込め詐欺防止の寸劇で主役!
つまり犯人役になったのだけど、寸劇は県内のテレビニュースで放映された。

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普段の甥は真面目で明朗快活な好青年だけど、犯人役の甥は黒いジャケットを着崩したサングラス姿でいかにも悪そうだった。

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小さい頃の甥は、酷い喘息で入退院を繰り返す病弱な子供だったが、高校時代に山岳部で鍛えてからは急激に逞しくなって国体の選手になった。


彼は高校卒業後に警官となり、山登りの技術を買われてか山岳救助にも派遣されていたようで、甥がヘリコプターからロープで下降して遭難者を救助するテレビニュースを観たことがある。

痩せて青い顔をしたあの甥が、仕事とはいえ命がけで人を助けている・・・無事に生還したと結果は分っていても、ニュースに映った救助中の甥の姿にハラハラさせられた。



東日本大震災の4日後、当時新潟県警機動隊に所属していた甥が、原発事故の起こった南相馬に派遣された。


死ぬなよ!人助けも大事だけど、お前だけは死ぬなよ!元気で帰って来いよ!本当にヤバイ時は逃げてもいいから生きて帰って来いよ!
不謹慎と言われようが、それは家族の本音だし、あの時のことを思い出すと今でも切なくなる。


被災された方々はお気の毒だし本当に心が痛む。
しかし現地に派遣された各地の警官や消防署員、自衛隊員の一人一人にも、過酷な状況で命がけの救助活動をしていることに心を痛める家族がいる。
糸魚川市は被災しなかったけど、俺にとっても東日本大震災は傍観者とはなり得ない悲痛な記憶だ。


災害や震災のニュースを観るたび、何千何万人もの甥に想いがはせる。
死ぬなよ!生きて帰って来いよ!
そう呟いてしまう。








震災の日に想う・・・原始の火に学ぶ生活実感

2014年03月09日 20時49分24秒 | サバイバル






今年も3月11日がやってきた。
東日本大震災が起こった日であり、原発が暴走し始めた日でもある。
毎年この日は、「原子の火から原始の火へ」という古代の摩擦式発火法の体験会をしていたが、今年は会場の問題と俺が忙し過ぎて休止。
そのかわりに7月27日に「縄文の火をつくろう!」という体験会が予定されている。

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体験会でのキリモミ式発火法。

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体験会で火打石をおっかなびっくり試す少女・・・かわいい!
火打ち石はヒスイ、火打ち金は100均の金鋸で作った自家製。



一昔前は自分で火をお越すことは日常生活の中で前の事だった。
その前の時代は、着るものも家族の誰かが縫ったり、あるいは繊維を作る段階から自家製であった。

現代はお金さえあれば衣食住に何の苦労もない時代。
今や一人で焚火を起こすことのできる日本人が国民の何割いるのだろう?
マッチすら擦ったことのない日本人も増えてきているのだ。

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初めて摩擦式の発火法に成功した人は、誰でも突然に炎がぼうと立つのでこんな反応をする。
自分で作った炎・・・誰だって感動する。

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父親の起こした炎に驚く少年。「うわーっ!お父さん凄~い!!」って歓声を挙げていた。


出産や婚礼、葬式もお金で他人に頼む時代になって、日本人から生活実感が希薄になってきている。
便利な時代は結構だけど、今のままでは将来どうなるのか?
知人の高校教諭から、蝶々結びもできない高校生もいると聞いている。
 

一昔前の自分で工夫して身体を使って生活を作る・・・こんな視座を真剣に見直す時代だと思うのだが。