縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ご注文はしばらくお待ちを!・・・嬉しい悲鳴

2018年08月26日 15時13分14秒 | ぬなかわヒスイ工房

滝沢泰平さんの人気ブログ「天下泰平」とメルマガで、ぬなかわヒスイ工房のことを紹介してくれたためか、ゆりかご勾玉の注文や問い合わせが殺到!

9月に都内からの巫女グループの糸魚川ツアーのガイドを頼まれているのだが、そちらの方面でも紹介されているためらしい。

シルバーリングの中で勾玉がユラユラ揺れる「ゆりかご勾玉」

 

申し訳ないことに、伊勢松阪市から注文を頂いている「大首飾り」の納期が9月28日なので、現在は大首飾り完成目指して邁進中であり、多くのお客様から注文を待って頂いている状態で、新たな注文は11月まで受けることができない状態なのです。

大首飾りは、北海道の名付け親の松浦武四郎が明治期に作った玉類243点を連ねた歴史的遺物。あと少しで完成なのです。

 

ぬなかわヒスイ工房のお客様で滝沢さんはメルマガも読んでいる方から、「本物の縄文人」と評価しているとコピーをメールして頂いて、あまりもの過大評価に戦々恐々(笑)

本当に申し訳ございませんが、そんな訳でご注文やご相談は11月までお待ちください!

 


天下泰平、ヒスイ・ロード復活・・・奴奈川姫の導き

2018年08月25日 07時57分01秒 | ぬなかわヒスイ工房
山梨の八ヶ岳山麓からヒスイを観たいと訪ねて来た滝沢泰平さん一行、初対面の時から懐かしい人々に再会した感じがした。
能生町の弁天岩に案内したら、今の時期に奇跡的なほど海が綺麗で海水温も温かかった。
 
 
泰平さんは「天下泰平」というブログを運営する有名ブロガーで、手作り雑貨店や企画の会社の社長もしており、奥さんが「今度産まれてくる子供はヒスイの子供」という夢を観てヒスイに興味を持ったそう。
 
長者ケ原遺跡、天津神社、稚児ケ池、ヒスイ拾いを案内したが、話すほどにただ事ならぬご縁で結ばれていると実感し、予定外の素潜りツアーまで案内した。
泰平さん親子。彼らは海水浴の準備はしていなかったが、我が家にはゲスト用の素潜りセット、海パンが沢山あるので「こんなに海が綺麗なんだから潜らないと!」と誘った。

 
素潜り初体験の滝沢さんは、教えていないのに最初からドルフィンキックで深く潜っていて、海と我という対決関係ではなく、私は海、海は私という感じで怖がっていなかった。
こんな人は初めてだが、迎え入れの人だな、と感動。
最初は海を怖がっていた子供も、ご夫婦がサポートして「おさかないっぱいいたぁ~!」と喜んでいた。
泰平さんは泳ぎが上手で、ホモドルフィナス(イルカ人間)であることが判明。


北杜市大泉町在住とのことなので、最古のヒスイ装飾品は大泉町にある六千年前の天神遺跡出土のヒスイ大珠であると教えたら、歩いていける所に住んでいると知り、彼の中で大きな波紋が広がっていったようだ。今後は大きなウネリに育ちそうな予感。

大首飾りが完成したら、泰平さんのお店にぬなかわヒスイ工房の作品を納める事になったが、共通の友人には有名な音楽家も多く、糸魚川と八ヶ岳を結ぶ遊びの企画も育っていきそうだ。

六千年の時を経てヒスイロードが復活プロジェクト始動!

縄文の山梨と糸魚川を繋ぐヒスイ・ロードが、数千年の時を経て復活するのか?
奴奈川姫の導きに感謝。


#ぬなかわヒスイ工房 #糸魚川ヒスイ #世界初のヒスイ装飾品 #滝沢泰平 #縄文人見習いの糸魚川初 #天下泰平

日本の文化とは?・・・整体協会稽古会

2018年08月21日 08時25分33秒 | 整体・動法・稽古会・体験会

都内にある整体協会(俗に野口整体)の某支部で、竹細工の稽古会講師を務めた。

私はヒスイ加工職人である以前から、整体協会の教授資格者なのである。

刃物初心者ばかりなのに、6時間物も集注を切らさず凛然とした空気感を維持できたのは流石に整体協会会員。


水戸黄門と同じ着物に野袴を履く姿は、我々の稽古着。


斜めに「傾たぶいた」女の型は、前近代まで当たり前だった女性の嗜みで、東南アジアでも女性が鉈を使って薪割りをする時の姿勢でもあった。


対して男の型は、武術で「居合膝・居合座り」とも呼ばれる、やや右足を前に出して膝頭を立てた胡坐。


男女ともこの違いを各自検証してもらい、危険な刃物を慎重に扱い、モノを削るという感覚経験を通して身体を育てる事が主眼であり、一般的なモノ作り体験会とは次元を異にする。

昨今はインバウンド活動で外国人に日本文化を紹介するというけれど、民族衣装たる着物を自分で着ることができない、なおかつ着崩れない動きもできない人が日本文化を語れるのか?と疑問に思うし、そもそも和服着付体験やお茶の体験、参禅体験などが文化体験とする風潮のお気軽振りは如何なものか?と疑問がある。

愉しかった、瞑想しているようだったという感想が寄せられ何よりだが、想いや場を共有できる仲間と集えるのは人生の幸せに違いなく、我が人生も半分が過ぎ、多忙であることもあって、今後はお気軽お手軽な体験会講師依頼はお断りすることにした。


鎮魂のポン・タマサイ・・・北海道バイクツーリング

2018年08月15日 07時57分57秒 | ぬなかわヒスイ工房

旅を終えて最初の仕事は、お世話になった二風谷アイヌの古老に贈るためのポン・タマサイ作り。

驚くべきことに、かって古老はわざわざ糸魚川まで来て、奴奈川姫のカムイノミ(神事)をしたことがあるそうで、その時は色々と不思議な出来事があったようだ。

北海道に奴奈川姫をご存知の方がおられた事も嬉しいが、カムイノミまでして頂いたので、そのお礼も含めてのポン・タマサイを贈ることにした。

タマサイとはアイヌ女性が儀礼の際に身に付ける大きな首飾りで、ポンとは小さいというアイヌ語。

本来は大きな首飾りの中央に金属板を据えるのだが、糸魚川ヒスイと二風谷の縄文人が磨製石斧として愛用していたアオトラ製の超小型勾玉を据えた。

アオトラは二風谷産の緑色凝灰岩に冠された俗称で、二風谷を訪れた際に知遇を得たKさんに額平川に拾いに連れて行って頂いて入手したもの。

Kさんは国道沿いで二風谷産の石の販売業をしている方

二風谷集落を流れる沙流川支流の額平川がアオトラを産するそうだが、かってブームで石拾いの人が押寄せて今は減ったそう。ヒスイもねえ・・・。

 

Kさんと雑談していて、彼はアイヌ文化研究家でアイヌ初の国会議員となった萱野茂さんの甥で、民俗文化映像研究所の記録映画「アイヌの丸木舟を作る」の中で使用されているオアトラの磨製石斧の作者という事が解った。 

萱野さんの著作はほとんど読んでいる私にとって幸運この上ない出会いで、萱野さんの息子さんも呼んで頂いてご飯までご馳走になった。

そして江差町にある武四郎の顕彰石碑「百印百詩」を作ったのも何とKさん!

「百印百詩」の石碑は、当時は個人の身分、つまりバックパッカーとして蝦夷地を訪れていた武四郎と頼三樹三郎(漢学者・頼山陽の息子)が、旅費を稼ぐために一日で漢詩と篆刻(手紙や詩などの捺す石製ハンコ)を合作で百点づつ作ったイベントを開催した顕彰碑であり、篆刻は16歳で放浪を始めた武四郎が旅費の工面に身に付けた技術である。

 

これぞ武四郎のお導き。

糸魚川ヒスイと二風谷アオトラの勾玉を飾ったポン・タマサイは、ヌナカワ族が二風谷アイヌに贈るに相応しいと思うのだ。

 

8月11日から二風谷で「アイヌモシリ1万年祭」が始まった。

戦前の鉄道敷設工事の強制労働で亡くなったアイヌ、和人の囚人、朝鮮民族への慰霊コンサートで、お世話になった古老が草叢に隠れていた彼らの墓を発見して以来、20年も続いているそうだ。

過酷な労働を強いられた朝鮮の人々は、アイヌの茅葺の家に逃げ込めば助けてくれると脱走する人もいて、アイヌも協力したそう。

歴史に埋もれた非業の運命の人々への鎮魂儀式。


ポン・タマサイが完成したのは、奇しくも祭り初日のカムイノミ(お祈り)をしている頃合い。

これがヒスイ職人としての参加の仕方。



武四郎の導き・・・北海道バイクツーリング

2018年08月12日 07時59分26秒 | 旅先にて

18日間に及ぶ4,000キロの北海道バイクツーリングが終わって帰宅した。

旅の間、アイヌの方々に随分とお世話になり、武四郎の導きとしか思えないことが何度かあった・・・ハマナス。

 

雰囲気のよさそうな神社にバイクを止めて休憩していたら、私がタバコを吸っていた東屋の横に「武四郎宿営地」の看板があったり、別件で訪れた家の横にも「武四郎宿営地」の案内看板があったりなどなど。

もっと凄いのは、アイヌ文化を調べるために屈斜路湖のコタンに行った時。

北海道には漢字表記やカタカナ表記のコタンという地名が幾つかあるが、アイヌ語で村という意味で、古くから集落があったということだろう。

 

知り合ったアイヌ女性から、是非とも会わせたい人がいると紹介されたのが、たまたま当地を調査で訪れていた松阪市の「松浦武四郎記念館」の前館長の高瀬先生。

松浦武四郎記念館の前館長の高瀬先生はアイヌの古老のような立派な風貌の紳士で、毎年、北海道に調査に来ているのだそう。

 

高瀬先生には、武四郎が大首飾りを作った意図と、21世紀に大首飾りを作る意義について想う処を聞いて頂いた。

武四郎が明治期に大首飾りを作ったのは、生来の好事趣味だけで玉類を連ねたのではないのではないか?

江戸期に松前藩ならびに場所請合い商人から略奪・収奪・暴力・凌辱を受けていたアイヌの実情を命がけで世間に訴え、明治になってもその境遇は変わる事は無かったことへの憤り、無念、力になれなかったアイヌへの惜別と哀悼、鎮魂の想いから、アイヌ女性が儀礼の際に身に付けるタマサイ(首飾り)をイメージして作ったポロ・タマサイ(アイヌ語で大きな・首飾り)こそが、大首飾りの秘められた意図ではないか?

北海道の公共施設や観光施設では、武四郎の企画展のポスターが至る所に張られていた。北海道博物館にて

 

ヒスイ職人としての私の立場からすると、カタチと寸法をなぞって作るだけなら単なるコピーだが、それでは「のようなモノ」で終わってしまう。

武四郎生誕200周年は、折しもアイヌがアイヌモシリ(人の大地)と呼んでいた土地を、和人が蝦夷地から北海道と勝手に呼び変えてから150周年の節目でもあり、その記念式典の目玉企画として大首飾りの複製を依頼されたのだが、「のようなモノ」を作っては武四郎が泣く。

道制開始150周年を祝祭イベントで終わらせるのではなく、今一度、アイヌ民族への謝罪と哀悼の念を表明する機会として、「平成の大首飾り」はその象徴のポロ・タマサイとして作られてこそ、武四郎の望む処ではないか?

高瀬先生は、青臭い素人の私の訴えをじっと聞かれて、最後に力強くハグして賛同してくれた。

大型台風が本土を直撃していた頃、北海道は快晴続きで、私は屈斜路湖畔の無料露天風呂でノンビリ・・・申し訳ない

 

これでモヤモヤしていたものがスッキリした・・・私が作るべきは鎮魂のポロ・タマサイ!

高瀬先生にハグされて、旅の目的は半分果たせたようなもの。

近頃、武四郎に顔立ちが似てきたと人に言われるようになった・・・はやく帰って大首飾りの続きを再開したくなった。

クッシーもいた・・・。