ある日突然に、東京からのご婦人三人組が訪ねてきた。
糸魚川観光に来てから地元の人から面白い人がいると、ぬなかわヒスイ工房の事を聞いて興味を持ったとの事で、ダメもとで訪ねて来たのだという。
話しを聞いて驚いたのが、ご婦人の一人が私と浅からぬ縁のある浅草神社の三柱のご祀神、すなわち三社様のうち、檜前浜成(ひのくまはまなり)の末裔という事。
浅草神社は、浅草開拓の祖である土師真中知(はじのあたいなかとも)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)の兄弟の三柱を祀ったのが縁起で、今年は土師真中知の末裔である浅草神社の宮司さんが、土師と改名すると聞いたばかり。
浅草神社のご神紋は三社様を投網で表した「三網」だが、これは隅田川の漁師であった檜前兄弟の投網に金銅仏がかかり、地元有力者の土師真中知に相談した所、これは尊い観音菩薩像であると真中知の屋敷に祠を作って祀ったのが浅草寺の始まりで、後に浅草寺の隣りにこの三人を祀ったのが浅草神社の始まり。
檜前兄弟も実在して現代に家系が続いているという事に驚いたが、つい数日前に終わった今年の三社祭では、私が長年に渡り神輿を担がせてもらっていた柴崎西町会が属する西部町会が二之宮、すなわち檜前浜成を祀った神輿が担当だったのだと、祭り仲間から聞いていたのだ。
七年前にUターン帰郷して以来、三社祭とご無沙汰だったので、ついに三社様が迎えに来た!(笑)
不思議な縁に感謝して、大首飾り作成を中断してご婦人たちを天津神社を手始めに市内各所にご案内した。
神話に興味があるというので、市内各地の神社と旧筒石漁港に案内した。
ここは舟屋が残っている事と、現在の糸魚川で最も漂流物が多い事の他に出雲風土記逸文に「越の筒石」とこの付近らしき記述があるので、神話好きにとっても面白い場所。
私が説明しながら歩いて10分ほどで拾い集めた漂流物は漆器の折敷膳、汁椀と飯椀の蓋、丸盆、下駄などなどだが、ご婦人たちに「能登から漂着した輪島塗らしい」と説明しながら観察したら面白い発見。
漆器に朱漆で持ち主の屋号、下駄の裏にも同じ焼印があり、漆器類と下駄が同じ所有者のものと判明。
古くから来客や漂流物は、マレピト、来訪神、寄り物として縁起が良いとされてきた。
屋号の付いた漂流物の持ち主と漂流物との物語、漂流してから私に拾われるまでの冒険譚、いったいどんなご縁があるのだろう?
漂流物は無言に物語りする・・・これが面白いのだ。
ご婦人たちは興奮して宝探しに夢中・・・ただのゴミがお宝に見えてくるから、漂流物の案内は面白い。