縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ヌナカワ姫の稲刈り鎌!・・・新潟県埋蔵文化財センター企画展「新潟の米の歴史」

2021年07月30日 08時57分16秒 | ぬなかわ姫

新潟県埋蔵文化財センターの企画展「新潟の米の歴史」が面白く、多くの県民に観て欲しい欲しい内容だった。

糸魚川市民には、拙宅近くの「姫御前遺跡」出土の稲の刈り取りに使ったらしい貝殻状剥片がイチオシで、位置と時代、遺跡名の由来になった小字から、ヌナカワ姫と関係があるのではないか?と睨んでいる。
この遺跡の真南300mに位置する拙宅の「笛吹田遺跡」、さらに真南2キロの丘の中には、天津神社社伝に「ヌナカワ姫の寓居あり、眷属と歌舞を楽しむ」「ヌナカワ姫がお隠れになった」というような記述がある稚児ケ池があるのですよ。
 
ヌナカワ姫が、この貝殻状剥片で刈り取った米を食ったのかも?と想像すると楽しい。
 
郷土愛が強い信州の人なら「ヌナカワ姫の稲刈り鎌」とネーミングしそうだ(笑)
 
埋文の縄文コーナーの5割くらいが糸魚川の「六反田南遺跡」の出土品で占められていて、改めてこの遺跡の特異さを認識。
 
ヒスイの展示法も、逆光と順光を5秒間隔くらいで交互に照らして、透過光を見せているところが心憎い。
 
 

 


世界のどこかで5秒間に1人の子供が餓死している・・・オリンピックで弁当大量廃棄

2021年07月29日 07時19分51秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
世界のどこかで5秒間に1人の子供が餓死している・・・20年前に私が飢餓難民の支援NGOをしていた時の資料。
 
コロナ禍の不景気で、食べるものに困窮する世帯が多いとも聞く。
 

【独自】オリンピックで弁当大量廃棄 オリパラ事務局が認める

 

 
食品を無駄に廃棄するなら、なぜ生活困窮者に分け与えることを考えない?
 
内部ボランティアのリークで明るみになったらしいが、報道されなかったらずっと廃棄すると解っている食品を発注し続けるつもりだったのか?
 
無観客開催が決定してから、当初計画の見直しをしなかった組織委員会の柔軟性の無さは、まるで旧帝国陸軍のようだ。
 
日本陸軍が失敗した作戦を見直さず、「兵力の逐時投入」を繰り返していたのは、日露戦争から太平洋戦争まで一貫していた。
 
日露戦争の旅順要塞作戦ではロシア軍、太平洋戦争では米軍がこのことを見抜き、予定戦場に陣地を構築して数倍の兵力で待ち構えることが多かった。
 
ガダルカナル戦の時、米軍の将校は「なんで日本軍は同じ失敗を繰り返すのか?」と呆れていたそうだ。
 
組織の硬直性はさておき、食い物を粗末にしてはいけない。

真夏でも涼しい夕陽ポイント・・・親不知の展望台

2021年07月27日 08時04分13秒 | 糸魚川自慢
お客さんを案内する時は、ガイドコースに海に沈む夕日を見ることを盛り込んでいる。
 
季節や天気、コースによって様々だが、イチオシはやはり親不知の展望台。
ここは標高90mある岬なので真夏でも風が通りぬけて涼しく、運がいいと能登と佐渡や、眼下の海底が透けて見える絶景ポイント。
 
大事なのは親不知はヒトの物語が豊富なこと。
 
例えば親不知の名の由来、天嶮と知られた断崖を縄文時代にどう超えたのか、延喜古道の時代には山越ルートの上路の他、下路と呼ばれたのが親不知の海岸ルートであったこと、上杉謙信時代の要衝であったこと、2000名を超える加賀藩の参勤交代を安全に通過させた方法など、物語は枚挙にいとまない。
 
景色がいい所を案内するだけでは片手落ちなのだ。
 
「海に区画があるのはなぜですか?」「区画ぅ~?定置網っ!て~い~ちぃあみぃ~!」
 
毎回、こんな会話を楽しんでいる(笑)
 
この日は旭日旗みたいな光芒が広がり、お客さんは大喜びして1時間くらい滞在した。
 
旭日ではない落日だし、海に沈む夕日ではなく能登半島の向こうに沈む夕日だけどネ( ´艸`)

 


飲んでみなされカニ・コーラ・・・糸魚川名物

2021年07月26日 08時05分21秒 | 糸魚川自慢

カニ・甲羅でカニ・コーラ・・・美味しいですかぁ?

美味いかどうかは人によるから、オラに聞かれてもネ。飲んでみなされ!青春の思ひ出、夏の思い出に!
 
どうせやるなら岩ガキ・コーラ、甘エビ・コーラ、メギス・コーラと、糸魚川の海産物ラインナップを揃えよう。
 
飲みたい人は、とりあえずマリンドリーム能生の売店へ!
 
この夏、固定観念の壁をぶち破る味覚の冒険を!
 
 

 


素潜り初体験に最適な能生町海水浴場

2021年07月24日 07時03分40秒 | 糸魚川自慢
お客さんを能生町海水浴場の弁天岩に素潜りガイド。
泳ぎが苦手な人にはライフジャケットと箱メガネ、泳ぎに自信がある人にはゲスト用の素潜りセットを持たせて海中散歩。
お客さんの娘さんがすぐに深く潜れるようになったので、ドルフィンキックやジャックナイフなどを教えたらあっという間に上達・・・水泳部出身と聞いて納得。
弁天岩の内側のウネリや潮の影響が少ない海面で慣らしながら、海蝕洞やウニ、カキ、その他の魚のいる所をガイドしながら島を一周。
 
初めて海の中の生物を観る人ばかりだから、ちいさなフグの群れにも大喜びしてくれて、ガイドし甲斐がある。
弁天岩の裏側にある奥弁天岩の間は、シーカヤック初心者も案内するのだが、ちょっとした冒険気分が味わえる。
遠浅の湾と岩場がセットになり、シャワー・トイレ完備の能生町海水浴場は、素潜り、サップ、カヌーの初体験には最適な海。
 
ヨットやウインドサーフィンで遊ぶなら、海水浴客がいなくなるお盆が終わってからですな。

 

 


新潟市は日本のウエストコースト

2021年07月21日 07時55分21秒 | 田舎暮らし
新潟市の小針浜は繁華街から車で15分のお洒落な海水浴場。
しかし駐車場は無料、海水浴場から少し離れるとカルフォルニアみたいな風景が広がる。
 
昭和の雰囲気が漂う海水浴場が好きなら日和浜がオススメ。
 
国道402号線は交通量も信号も少なく、気持ちのいい沿岸道路。
郊外まで行けば、静かな岩場のあるビーチが点在している。離岸堤のない海岸は絶滅危惧風景。
 
旅先で会ったバックパッカー仲間を各地から集めて、誰もいない入江でキャンプパーティーをよくやった。
実のところ、新潟県内は能登や佐渡の位置関係から、海に沈む夕日がみられる場所は限られている。
 
お客さんを糸魚川ガイドすると、海に沈む夕日が綺麗!と喜ばれるのだけど、本当は能登半島の向こうに夕陽が沈んでいるのだとは口が裂けてもいわない(笑)

 


新潟市はマリンスポーツの穴場

2021年07月20日 07時36分11秒 | 田舎暮らし

新潟市のウインドサーフィンショップ「ワークス」さんに中古のウインドサーファー艇を引取りに行ったら、20年ぶりの再会となるオーナーの廣田さんが61歳とは思えない筋骨隆々の体を維持していて驚いた。

県内で唯一、ウインドサーフィンを取り扱うお店が残っていたのは、新潟市に多種多様な海遊びのゲレンデが多いことと、人口が多いことに加えて、海の遊びならなんでも大好きな廣田さんの海人間ぶりもあるようだ。
湘南海岸に似た、新潟県内では最もお洒落な小針浜にあるから場所もいい。ワークス前から小針浜海水浴場方面の図。海水浴場から離れているので人が少ないからカルフォルニアみたい・・・行ったことないけど。
 
奥さんがショップの二階でヨガ教室をしているので、この日も取材が来ていて、繁盛しているようだ。
 
道行く近所の人が次々と廣田さんと楽しそうに懇談してゆくので、円満な人柄もあるのかな。
 
新潟市は、意外にマリンスポーツの穴場。
 
繁華街のど真ん中を流れる信濃川にかかる萬代橋の下流にはヨットハーバーがあり、中心部から30分でウインドサーフィンや波乗り、カヌー、素潜りに適したゲレンデがあちこちにある。
 
波がなけりゃ潜って涼む、風がなけりゃsupで遊ぶと、新潟市は海遊びのメニューが豊富。
かわいそうに、小針浜で結婚式を挙げていたブライダル会社の人が砂浜でスタック・・・砂だらけ、汗だくになって大勢で救助。
 
お洒落な小針浜でも、アウトドアを舐めてはいけない( ´艸`)
 
この日は市街地は蒸し暑かったのに、海岸部は北風が涼しかった。
北風といえば小針浜の西にある五箇浜が有名で、ワールドカッパーも激賞していた。この日は風速4mくらい。昔の仲間がウインドしてた。
みんな屈託がなく楽しい人たちだ。海はいいですなぁ!

 


海を見下ろす小さな図書館・・・鬼舞の孫平さん

2021年07月18日 06時50分02秒 | 田舎暮らし
鬼舞に私設の図書館ができたとSNSにアップされていて、本棚に溢れかえる蔵書を寄付しようと思って訪問したら、小さいながらも民俗学や郷土史、良質な子供向けの本なども揃っていて、どうせコンビニで売っているようなタレント本くらいだろ?という予想を見事に裏切ってくれた。
Uターン帰郷したご夫妻が始めたそうだが、海を見下ろす静かなエリアにある「ちいさな村の図書館」のファンになった。花屋さんもしているお洒落な孫平さん。
 
貸出し期間は一カ月、読書感想のコメントを添えてくださいという条件が、文化的な交流の場にしたいという意図を感じて好ましく、これでカフェでもあれば最高ですなぁ・・・。
海外を長旅していると、バックパッカー同士で本の交換をしたり、何十年も手から手へと渡り歩いていく文庫本が回ってくることもあり、手にした旅人の国やコメント、落書きがあったりするのだけど、ささやかな幸せを感じる。
公設図書館にはできない、本を介在した返信のない交流の連鎖・・・いいじやないですか。
 
蔵書が増え過ぎたらフリマイベントで売ることもあるそうだが、不要な本があったら寄付しましょ。

出雲と戦ったエボシタケルと大和と戦った沼奈川長者・・・能生の鬼伝説

2021年07月16日 07時51分13秒 | ぬなかわ姫
能生地区の沿岸部にはヌナカワ姫伝説がみられず、鶉石、島道、平、川詰、柵口といった内陸部に多いことが疑問だったが、「能生町史」を読んで納得。
鶉石地区には延喜古道、つまりは奈良時代の北陸道の駅があり、古代の交通の要衝だった訳だ。
 
ただしヌナカワ姫伝説は弥生時代後半くらいと比定されているが、当時から内陸の山越えルートがあったかは不明。
 
沿岸部では海の匂いのするエボシタケルも、内陸部の江星山の麓に住んでいたとの口碑もあるが、エボシタケル以外にも外来勢力に抵抗した豪族の口碑がある。
 
その名は沼奈川長者(ぬなかわちょうじゃ)で、ヌナカワ姫の子孫の蝦夷の首長とされている。
沼奈川長者の姿は残っていないので、「道の駅マリンドリーム能生」のレストランのデイスプレイされた舞楽面の陵王で代替。
 
蝦夷ですよ!実のところ、北海道であった不思議なアイヌ民族の女性から、山田さんはアイヌだよと言われて、周りの人に新潟アイヌの山田と紹介してもらい、「私はヌナカワアイヌです!」と自慢したことがある(笑)
 
沼奈川長者が戦った相手は、出雲の後の覇者、大和政権が蝦夷平定のために派遣した四道将軍のひとり、大彦命(おおびこのみこと)。
 
沼奈川長者は抵抗虚しく、「鬼の洗濯岩」で首をはねられている。
 
海にエボシタケル、山に沼奈川長者と、能生には鬼にされた二人の豪族の伝説がある。
 
ヌナカワ姫の夫神であるヌナカワ彦も八千鉾神に首をはねられているが、古代の糸魚川の偉いさんは首をはねられてばかりですなぁ。
新潟から秋田の沿岸部に点在し、川詰にもある越王神社(古四王神社)は、蝦夷平定をした越王、すなわち大彦命を祀った神社。
 
大彦命の後を引き継いだのが子孫とされる阿倍比羅夫で、秋田では在来神の齶田浦神(あぎたのうらのかみ)と武御雷神を併祭して蝦夷の鎮撫をしたとあるが、後に齶田を秋田としたとする説もある。
 
阿倍比羅夫は、日本海沿岸の蝦夷と粛慎を平定しつつ北海道にも渡ったことを伺わせる記述が日本書紀にあるので、「水嶋白山縁起」にあるエボシタケル粛慎説と関係があるのかもしれない。
 
 
#ヌナカワ姫伝説 #奴奈川姫伝説 #出雲から逃走した奴奈川姫の伝説 #悲劇の奴奈川姫伝説 #出雲と戦った夜星武と大和と戦った沼奈川長者の伝説

 


能登から逃げてきたヌナカワ姫・・・「西頸城郡誌」

2021年07月14日 07時45分23秒 | ぬなかわ姫
ヌナカワ姫は八千鉾神と仲睦ましからず、または何故か、たったお一人で能登から逃げ帰ってきた・・・と「天津神社伝」にあるが、姫が逃げ帰って来た場所が出雲ではなく能登という所に注目している。
当初は能登の気多大社あたりに、出雲の北陸前線基地があったことを示唆しているのか?と推測していたが、昭和5年に発行された最古のヌナカワ姫の口碑が記述された「西頸城郡誌」を読んだら、どうも七尾市の能登国國玉比古神社(気多本宮)付近あたりが怪しい。
 
本書には中世に石動山の白山修験衆が糸魚川に与えた影響もあってか、付近の気多本宮に関した記述が幾つかあることと、対岸に新潟方面が望見できる能登半島に北側に位置すること、石川県有数の古墳群がある地域なのだ。本書を読みながらグーグルアースで位置関係や地勢をチェック!
 
この本は中古本で8万円もする貴重な本なので読むことを諦めていたが、能生町図書館に収蔵されていて歓喜。
 
著者は明治期の糸魚川小學校校長、後に糸魚川市長となる中川直賢で、清書と補充が鬼舞の廻船問屋であった伊藤助右ヱ門。
 
編纂期の大正時代には、縄文土器をアイヌ式土器と言っていた鳥居龍三の影響もあってか、「アイヌ・ヤクート・オロチョンなどの蝦夷が居住する北陸地域が、出雲勢力の北陸征服により、集落を意味するアイヌ語のコタンが気多と変化して日本海沿岸に点在している」という壮大な、そして21世紀の私からみたら独善的な見解が書かれている。
 
また方言集の項目でもアイヌ語と糸魚川地域の方言の類似の項を設けて比較しているが、こちらの解釈にも相当な無理がある。
 
この本の影響もあってか、能生町の郷土史にも地名の由来をアイヌ語で解説する試みをしている。
 
この当時は考古学調査も少なく、文献と口碑だけに頼った著作であるので無理からぬ処。
 
好ましいのは、「伝説と史実を混同してはいけない」と意味のことを中川も自戒を込めてか注意深く書いている姿勢。
 
忘れられつつある口碑は残したから、考古学的な考察は後世の人たちに任せたよ、というメッセージと受け取った。
 
現在のように観光客誘致を至上目的として、都合の悪い口碑を黙殺した創作すらも厭わないヌナカワ姫伝説の活用ではなく、純粋に郷土史を探求して後世に伝えようとする姿勢がクール。
 
ちなみに「西頸城郡誌」は文語体、旧漢字、旧仮名遣いで書かれた難解な本でございます( ´艸`)
 
何度か読み重ねると、意味が浮き上がってくるのが不思議。
 
ネット検索でお気軽に情報を仕入れることができる時代だが、根拠が曖昧なガセ情報も多い。
 
一次資料を読まなきゃ話にならん。
 
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