縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「海のヒスイロード」…男鹿半島に首ったけ。

2014年06月23日 17時48分43秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト
男鹿半島は風光明媚この上ない。
特に日本海に突き出た西海岸は、海の色も紺碧で、潮の流れもウネリも強く、これまで未体験の外海の感じ。
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岩場には、名前を持つ奇岩が多く、洞窟もある。
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加茂青砂のカンカネ洞。
広さ五十坪あるそう。

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長閑で美しい加茂青砂は、83年の秋田沖地震の津波で、遠足中の児童が津波に飲まれて十三人が亡くなった入り江。
男鹿半島の紺碧の海は、哀しい記憶を刻んだ深い色。
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青砂の名前の通り、加茂青砂付近の砂浜は、グリーンタフの岩盤が風化した石や砂利が多いが、赤系の石も多いので波打ち際は、パステル画のようにメルヘンチックだ。

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地元の人によると、戸賀地区の石には五色あるとの事。
確かにシーカヤックを漕いでいると、岩場毎に色がハッキリ違っているので面白い。

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休息した入江で、漂着したペットボトルを集めてみた。
ベトナム、天津、福建省、台南、ソウル、そして左端はなんとウクライナ産!
男鹿半島には、太古から様々な人やモノが流れ付いていたのだ。ナマハゲも漂着したロシア人という説もある。

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昭和三十年代の風景が残こる加茂青砂小学校は、10年ほど前に廃校になった。
秋田県は、全国一の過疎率だそうだ。

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戸賀湾の各集落には、漁業の神が祀られている。
神の名前も姿も集落毎に各様だが、野太い素朴さに溢れていて見事。ここは民俗資料の宝庫でもある。



しかし、男鹿半島で最も印象深いのは、人々の人懐っこさと親切さ。
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お世話になった一人、戸賀湾の肝っ玉母さん、海菜食堂の女将さん。

男鹿半島の人々は、自然環境が厳しい故に相互扶助の気質があるのか?
様々な国から流れ付くペットボトルの様に、太古から旅人を受入れる気質があるのかも知れない。
とにかく男鹿の人々は、人情味が厚く、面倒見が良いのだ。

初対面の私を、離れた温泉やお店まで車で送迎してくれたり、買物すると野菜やお菓子をサービスして頂くのはしょっちゅうで、連日お世話になりっ放し。

明日には男鹿半島を離れるが、非常に名残惜しい。
男鹿の人々に幸多からんことを心より願う。











「海のヒスイロード」…男鹿半島の先祖の足跡。

2014年06月20日 20時40分50秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト
男鹿半島に到着。
男鹿の玄関口の船川港の高台にある、縄文中期の大畑台遺跡からは、糸魚川の長者ヶ原遺跡出土の石棒とそっくりな石棒が出土している。

火炎型土器の破片も出土しているので、ある考古学者は糸魚川の縄文人は、五千年前に丸木舟に乗って確実に男鹿半島まで来ていると推測している。
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秋田県立博物館に収蔵された大畑台遺蹟の石棒。

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県立博物館で対応して頂いた女性や学芸員さんは、時たま「んだすナ!」と秋田弁を混じえて丁寧に説明して頂けた。
方言混じりだと温かみがあって好感が持てる。
各都道府県の博物館は、すべからく方言混じりで説明したらどうだろうか?
人間臭くて旅情を感じて、旅の出会いが印象深くなると想うとのだが。
それにしても、天真爛漫でめんこい女性だった。

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こちらは男鹿市教育委員会の五十嵐主任。
博物館には展示していない石棒と、火炎型土器の破片を男鹿市の収蔵庫で特別に見せて頂いた。
手にしているのは、火炎型土器の破片。

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男鹿市収蔵庫の石棒。


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男鹿半島では昭和三十年代まで丸木舟が使われていたそうで、五十嵐主任の案内で、男鹿公民館に展示された丸木舟も見学。

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男鹿半島をまわれば能代市で、能代川流域からもヒスイ出土の遺跡がある。
シーカヤックから観ている風景は、先祖も観た風景と想うと感慨深い。







「海のヒスイロード」…時には廃屋に泊まることもある。。

2014年06月19日 07時12分32秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト



秋田港は雄物川河口に作られた大きな港。
客船や貨物船、漁船がひつきりなしに出入りしていて、人力のシーカヤックで越えるには新潟港以上に危険な港。

秋田港越えの日の天気予報は、午後くらいから向風でウネリも1メートルであつたので、前日は雄物川河口の廃屋に野宿して早朝出発の準備をした。
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廃屋といっても海の家なので、民家のような不気味さは無い。

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なぜテントに泊らず廃屋で野宿かというと、デントを張ると晴れても夜露でびしよびしよになり、乾かす為に出発が遅れてしまうからである。




朝6時の出発のお陰で、朝凪のうちに秋田港を越えられたが、本船航路を抜けたら時分から5メートル程の向風が吹き出し、岸に寄せるまでの約5キロは平均時速2キロ代と大変だった。
振り返ると秋田港の風力発電の風車がグルグル周っていた。
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雄物川河口。
三千年前の縄文時代後期には、この上流にもヒスイが運ばれている。
現在の河口は、近代になってから作られたバイパスで、ご先祖がヒスイを運んだ古の雄物川河口は、秋田港の奥にある。
雄物川を越えれば秋田市。

風速5メートルの向風は、時にはに10メートルの突風となり、クタクタになって上陸した浜が潟上市の下戸浜。
知らない内に秋田市を越えてしまい、男鹿半島の手前の八郎潟のある街まで来てしまったのだ。

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潟上市には東湖八坂神社かあり、主祭神のスサノオ之尊をイメージキャラクターにして、町おこしをしているらしく、環濠集落の広場があった。

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広々と開けた縄文の集落と違い、塀に囲まれた弥生の環濠集落はとうも性に合わない。












「海のヒスイロード」…停滞するほど想い出深くなるノダ。

2014年06月14日 15時34分14秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

台風並みの暴風雨で秋田県本荘市に停滞中。
横殴りの雨だから、テントの中もジツトリと濡れてきたし、寝袋も濡れているので体温で乾かすしかない状態だ。
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風速20メートル位はある暴風雨で、半日でシーカヤックが半分程、砂に埋もれる有様。

テントの外では、食事を作る事も寛ぐ事もできないので、昼間は近くの温泉で過ごしている。

昨日は嬉しいプレゼントが二つあった。

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買出しに出掛ける途中にサーフショップがあつたので、当面の天気情報を聞く事と、愛用しているウェットスーツのベストがボロボロになってきたので新調したかったのだ。

天気の事なら、今時の漁師より地元サーファーの方が的確で詳しい情報を聞く事が出来るという事を今回の海旅で何度か経験しているのだ。

立寄ったサーフショップは、Growthというお店で、オーナーの小林さんご夫婦が親身になって相談に乗ってくれた。

残念ながらベストの在庫が無いとの事で、近所の別のサーフショップrook side sorfの湯田さんに電話して貰ったら、湯田さんのお古のベストをプレゼントして頂ける事になった。

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左がボロボロになって穴が開きかけてきた愛用のベストで、右がプレゼントして頂いたベスト。
お古といつてもまだ新品同様で、ボディグローブという老舗ブランド品。
ベストは雨降りや肌寒い時に重宝する。

これが一つ目のプレゼント。
二つ目のプレゼントは以下。

スマホの充電中に、知らない人からの不在着信が何回かあった。
電話してみたら、山形でキャンプしていた時に出会った秋田からのドライブ客の男性だった。
男性は、定年退職後に趣味が無くて困っているとの事で、私の海旅の話しに興味を持ったようだ。

彼はこのブログを読んで、私が本荘市の海水浴場でキャンプ中と知って、差入れをテントの中に入れて置いたとの事。
そう言えば彼は本荘市在住と言っていたが、名前も聞いて無かったので、電話で初めて鈴木さんという名前だと分かった。

夜になってテントに戻ると、米と弁当豚カツが置いてあつた。
米は鈴木さんが作ったらしい。
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メッセージも名前も書いて無かったけど、暖かい餞別に感謝。

海旅も、天候が良くて順調な時は人と出会う事も少ないが、天候回復待ちで同じ所に連泊すると友達が出来るので満更でもないのである。









「海のヒスイロード」…庄内砂漠から緑の秋田に到達。

2014年06月12日 14時04分09秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

東北に入ってから、向風と出し風で四苦八苦している。
それでも秋田県本荘市に到達。

幸い、東北ではまだ時化にあうという事はないが、出し風で何度か危ない場面もあった。

山形最後の宿泊地は、県境の吹浦。
庄内は、日本三大急流の最上川本流は自然環境が厳しく、沿岸部には縄文遺跡が少ないが、扇状台地には集中している。
唯一の沿岸部での遺跡集中地が吹浦で、県境の三崎から鳥海山と、最上川支流に掛けての沿岸に多いようだ。

縄文人が住みにくい環境は、シーカヤッカーにも過酷。
砂丘が発達して砂まみれの生活となり、水の便が悪いのだ。
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山形最後の宿泊地である吹浦。
鳥海山への登山口であり、山岳修験が盛んだったようだ。

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吹浦の大物忌神社。
この裏手に鳥海山登山口がある。


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酒田市は、北前船貿易で栄えた港町。
京風の古い建物が多く残っており、小京都の趣があって、散歩するだけで楽しい。
NHKのドラマのおしんで有名。
映画「おくりびと」や、たそがれ清兵衛のロケ地でもある。

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おしん人形(大)4,300円也!
土産に貰うなら、同じ値段の米沢牛の方が嬉しい(^_^;)


名残りを惜しんで山形から秋田への最後の岬を越えたら、荒涼たる庄内砂漠の風景が突然に緑深い風景の秋田に変わった。
今回の海旅で越えた三つの県境は、全て岩場。
陸路の難所がひとつの文化圏の境界という現場を見聞できるのも、シーカヤック旅ならでわだろう。

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秋田県は海から緑の距離が近く、新潟に似た海辺の風景。
少し緑が多く、着実に青い森の国に近づいている感じがする。


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秋田県本荘市の子吉川上流の縄文晩期の遺跡からは、ヒスイ出土している遺跡が二ヶ所ある。
三千年前のご先祖が溯った川。


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子吉川の東にある本荘海水浴場でキャンプ。
新潟ではシーズンオフの海水浴場でもトイレが使えて水も出るし、東屋がある所が多いので野宿しやすいが、山形や秋田では入口が閉まっていて、水も出ない所ばかり。
東屋があると、テントや寝袋が結露で湿るということも少なく、雨でも干し物や炊事が出来るので有り難い。
本荘海水浴場も水が使えないが、工事の人達が歩いて直ぐに温泉があるなどの情報を教えてくれた。
連日、向風と出し風の海で疲れたので、ここで数日間の滞在をして休憩。









「海のヒスイロード」…最上川河口で待機です。

2014年06月07日 06時22分53秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト
最上川河口に到着。
連日、向かい風となる東風が吹いて、暫くは強風注意報が出ている程なので河口に停滞する事になりそうだ。

五月雨を 集めて流る 最上川

芭蕉が詠むと風流な最上川も、シーカヤックにとっては流速8キロ位であっと言う間に沖に流される難所である。
しかも風が沖に吹く出し風で、最上川を横断した対岸が酒田港。
大きな貨物船が出入りしているし、防波堤を超えても暫くは沖合を漕がなくては駄目なので、出し風だとマジで危険。

今日で4日目の待機だが、あと数日間は東の強風注意報は続くようだ。
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キャンプ地は、風を避けるために河口から少し離れた砂浜だか、それでも砂粒がビシバシ飛んでくるし、日陰もないのでテントの横に昼寝や炊事の為のシェルターを仮設。

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水を節約する為に、海水を真水で薄めてスパゲティを茹でたり、燃料も節約したいので炊事は焚火だ。
人里まで歩いて三十分くらいかかるから補給がままならないサバイバル遊びといった感じ。

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鍋は砂で汚れを落とし、海水で濯ぐ。

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毎日がこんな感じ。
今日は歩いて三十分位の所にあるという簡保の湯で骨休め。
一日中強い風に当たって砂まみれの生活が続いていると、気持が荒んでくる。








「海のヒスイロード」…波乗り発祥の地

2014年06月03日 15時29分01秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

温海から湯野浜温泉までの25キロは、北西の向い風で7時間もかかって難儀する。

この先は何もない砂浜ばかりという事だが、笹川流れからここまでは岩場とテトラポット護岸ばかりで岸に寄せられる場所が少なく、昨日の午後は連続4時間も漕ぎ続けたのだ。

だから今日は温泉と昼寝で休養!

公衆浴場が朝六時から利用出来てなんと入浴料二百円也!
米が足りなくなってきたので、朝市のオバちゃんに相談したら自宅から米や野菜を沢山持って来て安く売って貰い助かる。
山形は人情が厚い。
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自宅まで米を取りに戻って売ってくれたオバちゃん。
疲れている時は人と話すと元気になる。
私にとって人と出逢う事が一番の充電のようだ。

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昼飯は東屋があれば昼寝もできるから助かる。
幼稚園児の質問攻めにあった事もあるが、子供達の無邪気な質問に元気が湧いた。

さて、湯野浜温泉が日本の波乗り発祥の地と言うことを初めて知った。
湘南地法も昔から洗濯板で波乗りしていたとサーフィン雑誌に紹介されていたが、日本海もかなり昔から波乗りしていたのだ。

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明日は最上川。
明後日は酒田市に入る予定ですな。






「海のヒスイロード」…東北人は人懐っこい!

2014年06月01日 20時03分43秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト


予想通り新潟県は五月一杯掛かって山形県に到着!
これまで250キロ漕いだが、時化で週の半分くらいしか海に出る事ができなかったのも予想通り。

入梅すれば雨は降っても海が穏やかになると思われ、また信濃川から東は佐渡との位置関係のためか、下げ潮が多くなってきたので、航海はより順調になりそうだ。

以下は旅の画像です。

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新潟県村上市の笹川流れには、こんな洞窟が沢山あって楽しい。
これまでも探検してみたい洞窟はあったが、ウネリや風がつよくて潜り抜ける事が出来きず、今回の旅では初めての洞窟潜りをした。
海のトリトンごつこである。

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糸魚川では山間部でしか見られない移動販売車が、海岸の笹川流れの板貝地区では、地域の生活を支えていた。
これまでも海岸沿いには人家も少なく、お店もない所が多かったので、私もニギニギしく買物をするオバちゃん達の会話に加わり、豆腐を買った。


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笹川流れにはこんな奇岩が延々と続き、その規模や景観は残念ながら親不知以上。
笹川流れが新潟県と山形県の県境で、県の東西が古の交通の難所の岩場であるというのが面白い。

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山形県の入口は鼠ヶ関で、三面川からここまでが笹川流れである。

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村上市から東の人は、人懐っこい人が多いようだ。
離れたスーパーまで車で送り迎えしてくれたり、釣った魚を分けてくれたり、向こうから話し掛けてくるので楽しい。

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人懐っこい山形県人の代表の若いカップルにシーカヤックを教えた。
数日間続いた真夏日に疲れたのと、山形に到着した記念に今日は完全休養日にして、洗濯や資料整理、昼寝で英気を養った。
彼らは素潜りに来ていて仲良しになったのだ。


さて、明日は湯野浜温泉に到着予定ですな。