縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

もう一回作りたい「大首飾り」・・・「令和の大首飾り改修」プロジェクト

2022年01月29日 08時25分22秒 | ぬなかわヒスイ工房

「家は三回建てないといいものができない」と昔の人はいったが、大首飾りも次回があれば格段にいいものになると思う。

今回は絹糸の繋ぎと、飾り紐の結びの各工程で使った固定具の工夫に気付きがあった。

左から木工クランプ、逆作用ピンセット、彫金バイス。前回は固定具なしの手作業だったのでキッチリと絹糸を結ぶのに手間取ったが、固定具を使えば仕事は確実だし早いが・・・。
 
①固定角度を変えられる彫金用バイスは、きっちり固定できても瑪瑙やガラスの玉類、金属の玉類に傷がついて駄目。
 
②逆作用ピンセットは挟めるサイズに限界があるし、固定力が弱いので△。
 
③木工用クランプは使えたが、キュッと結ぶために絹糸と絹紐を濡らすと木の色が絹に染み込んでしまうのが難点で△。
④そこで木工クランプに、染み込み防止のプラスチック板を両面テープで貼り付けたら◎のおっけい牧場であった。20年以上も前に不用品としてもらった木工クランプを初めて使ったが、捨てずによかった。
ピンセットはなくてはならない道具でも安物は駄目。私の愛用品はプロ仕様の高価なピンセットで、床に落とすと刺さるくらい鋭い。次回があるとすれば、木工クランプで小さなものを固定できる工夫をする所存。というか、思いついたらすぐにやらないと気が済まない性分だから明日から作るゾ。
 
「松浦武四郎記念館」の学芸員氏に、完成の報告がてらの電話で、もう一回作るべし!とそそのかした。
 
ついでに新しい展示台の背景色を聞いたら、よりによって白い布地とのこと。
 
白はあかんでぇ・・・たくさんある水晶製の勾玉と切子玉が白い背景にまぎれちゃうから、背景色は白系ならアイボリーホワイト、なるべく黄色系かクリームベージュ系が最適とアドバイスしたら、学芸員氏「エ~ッ、ホンマですかぁ!?」と驚いてた。ヒヒヒヒッ。
 
大首飾りは暗緑、緑、白、赤、銀、金色の玉類が243点の集合体なので、個々の玉類がバランスよく映える背景色の選定は難しいのだよ・・・色々と試しているのだよ、ワタシはぁ!それにしても白はあかんなぁ・・・と追い打ちをかけたら、「これから業者に変更が間に合うか問合せしてみますぅ!」と慌てていたゾ。ヒヒヒヒッ。
自作の作業台は、ホームセンターの塗料売場で白・黒・黄色・橙色・茶色の中から、大首飾りをイメージしながらレモンイエローの水性塗料に決定。これは大正解だった。本来は視認性を考慮しての塗装であったが、今から考えると絹糸と絹紐を濡らしてから結束することにしたので、濡れたことでベニアから染み出る灰汁を抑える役割もあったのだ。
 
もう背景色の変更は間に合わんとは思うが、視認しにくいと作り直すことになっても知らんヨ。作り直ししなはれ3回っ!ヒヒヒヒッ( ´艸`)
 
私は責任を果たしたので気楽ですなぁ・・・文庫本を持って近くの温泉にでも行って休息すっか。
 
 

 


大首飾りの作業工程と飾り紐の結び方が判明・・・令和の大首飾り改修プロジェクト

2022年01月27日 07時31分25秒 | ぬなかわヒスイ工房
「令和の大首飾り改修」最後に残った課題が、飾り紐の結び方。
 
実物写真を拡大しても結び方は解読できなかったので、3年前は「本結び」で納品したが、実物は結び目から紐の端が後ろに流れているのに、紐の端が左右に広がり気味になっていて、何かが違うのでは?とずっと気になっていた。
 
そこで今回は「縛りの伝道師」、九州在住の大麻飾り師範の秋田真介さんに相談・・・本当は縛りではなく結びの伝道師(笑)
長者ヶ原遺跡で大麻飾りを結ぶ秋田真介さん。
 
秋田さんは「霞結び」や「横変形こま結び」ではないか?と結びの図版を送ってもらったので、試してみたら「露結び」が実物に近いことが解った。持つべきは佳き友!
他に海方面でつかう結び方の可能性もあったので、結び目が揃う「帆綱結び」「漁師結び」なども木綿紐を使って比較検討すること一両日。
 
繰り返し実物写真を観察しては試行錯誤しているうちに、今まで気が付かなかった①「霞結び」だけのパターン、②「ひと結び」と「霞結び」を組合せたパターンの2種類があることが判明して、確からしさに8割くらいまでの確信を持つに至った。
 
また作業手順にも①は絹糸で首飾りに繋げてから飾り紐を結んでいるグループ、②は飾り紐を結んでから、首飾りに繋げる絹糸を上から縛りつけたグループに分かれていることが解った。それと前回は吸水しない素材のポリエステル製PEラインで首飾りを繋いでいたが、今回は連結用の糸も飾り紐も絹なので水に浸してから結ぶと締まり具合がいい。
 
連結用の絹糸はバラけたままの4~8本の束になっているので乾いたままだと弛んだままの絹糸も出てしまうが、濡らすと纏まってくれるので結びやすく、武四郎さんも同じ工夫をしていたに違いない。
これが②のパターンで、飾り紐をきっちり結んだ上から絹糸で繋ぐことで一体感が出た上に、飾り紐が揃って後方に流れている。
 
②の方がきっちりと結べるだけでなく凛とした印象で、もしかしたら①を仕上げてから後知恵がつき、最後は②になったのではないか?
この写真は上越市から遊びに来た、はらりささんから拝借。彼女は高田の町屋で民泊を経営しながら、青苧の栽培と紐作りをライフワークにする秋田さんのお弟子さんでもある。
 
「松浦武四郎記念館」のリニューアル工事のお陰で、歴史的遺物の「大首飾り」により深く取り組め、製作時の作業手順まで推測できるようになったのは僥倖。頼まれてはいないが、もちろん今回の発見をレポートして提出する所存。
 
とりあえずは重圧から解放され日常にもどれる。が、今までと同じ日々が再開するのではないことは確か。ちょっと大人になりました( ´艸`)
 
 

各地で意味がちがうオゾイ・・・糸魚川方言

2022年01月26日 08時12分14秒 | 糸魚川自慢
「おぞい」は糸魚川方言で「みすぼらしい・見劣りする・みっともない」という意味になるが、仕事中に聞き流していたNHKラジオ教養講座で古語の「おぞし」の説明があって由来が判明。
 
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E3%81%9E%E3%81%97
 
以前から「悍ましい・おぞましい」の方言化かと思ってはいたが、本来は勝気である・乱暴という意味だそうだ。
 
調べてみたら各地で意味が違い、栃木では子供への褒め言葉で「優れている・かわいい」という意味で使われているらしい。
 
栃木で「おぞいねえ!」と褒められた糸魚川の人、怒ってはいけない(笑)

 


除雪ワラシとミカンに元気をもらう

2022年01月25日 08時07分11秒 | 田舎暮らし
青空が出たので最後のミカンを収穫。モノトーンの新潟の冬景色に柑橘類の色合いは目にも鮮やかに映える。
温州ミカンでも耐寒性があるのか、寒いほど甘くなるようだ。
昨年は大雪の重みでユズの枝が折れたが、なんという生命力だろう。
甘いだけでなく、酸味も残った複雑な味わいで近所でも旨いと評判なのです。
 
お向かいの保育園では年長組さんが除雪のお手伝いをしていた。園長さんの発案なのか、吹雪だと外遊びできない園児にとって一石二鳥。
除雪車が除けた雪の山を滑り台にする子供もいて、賑やかでいい。
ガチガチに凍りついた雪に、プラスチックのスコップをコツコツあてる姿がいじましい。コロナ自粛で沈滞する空気感も、子供たちが空気をかき回してくれているようだ。

失敗を学ばず身内に甘い日本の組織・・・半藤一利著「ノモンハンの夏」

2022年01月24日 07時30分39秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
東京オリンピックの支出が、当初予算の倍になる見込み、関連施設の維持費に年間26億円かかる大赤字そうだが、見通しの甘さ、あるいは既成事実さえ作ってしまえば後は親方日の丸という考えは、日本の組織のお家芸か・・・。
歴史の授業ではサラッとしか習わない明治から昭和までの近代史。私の先生は司馬遼太郎で物語の概論を頭に入れ、半藤一利と戦争当事者の戦記で史実の確認というパターンが多い。
 
軍事的に重要でもない満蒙国境の草原での示威偵察が、4カ月に渡る大規模な戦闘に発展して、2万人の死傷者を出した「ノモンハン事件」は、「ロスケなど我が皇軍の精鋭をもってすれば鎧袖一触」と判断した、エリート軍人たちの功名心と希望的観測が発端。
 
日露戦争の敗因を研究していたソ連軍は、航空機支援と戦車と大砲を配備した最新式の「縦深陣地」を構築。
 
対する日本陸軍は、日露戦争で近代装備のロシアを破った肉弾攻撃の成功体験から、明治期とさして変わらない兵器と兵站計画、敢闘精神が最大の武器のままであった。
 
補給がないので飲まず食わずで塹壕に身を潜め、小銃とサイダー瓶にガソリンを入れて作った火焔瓶で戦車を相手に戦争させられた日本兵。
 
日本軍も小さな戦車を配備していたが、その砲弾をソ連軍戦車はピンポン玉のように跳ね返した。逆にソ連軍戦車の砲弾は、日本軍戦車の装甲を簡単に突き破った。日本軍が大砲を1発撃つと、10倍が撃ち返されてきた。この大人と子供の兵力差のまま太平洋戦争を戦っていた。
 
司馬遼太郎は「日本兵が殺戮されていった」とまで書いているが、兵隊の命と引き換えの肉弾攻撃に、ソ連軍も多大な犠牲を出していたようだ。
作戦の失敗は現場指揮官の責任とされ、全滅するまで戦うか、自決を強要された。
 
内閣の審議も大元帥(天皇)の裁可もなく、関東軍(満州方面の陸軍)が独断専行で始めたノモンハン事件は、統帥権干犯という立派な犯罪となり、外国の軍隊なら死刑か終身刑だそう。それでも首謀者の辻政信参謀たちは、解任されてもすぐに栄転。
 
そして辻参謀は、太平洋戦争で同じ失敗を繰り返し続け、バンコクで終戦を迎え、東京裁判から逃亡して海外に潜伏。3年後に帰国して後は文筆家を経て自民党の国会議員になった。
 
敗戦の混乱期に辻個人だけでGHQの眼を逃れて海外逃亡できるものではなく、国会議員になれる訳でもないから、辻がGHQに捕まると不都合な人物が手引きしたのだろう。
 
5万9千名の兵力を投入して2万人も死傷者を出した作戦の規模からいえば立派な戦争なのだが、ノモンハン事件と言い換えて穏便に済ませる欺瞞。失敗に学ばず、身内をかばう改竄と隠ぺい体質の組織、それが「アジア解放の皇軍」の内実。
 
思想家の内田樹が、コロナ禍での東京オリンピックをインパール戦に例えていたが、インパール戦だけでなく、日本の軍隊は日露戦争から太平洋戦争まで同じ失敗を繰り返していたし、原発事故にも同じ体質を感じる。
 
 
 

 


無差別爆撃を戦争犯罪に問わない理不尽さ・・・戦闘場面のない優れた戦争映画「明日への遺言」

2022年01月22日 07時13分22秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

太平洋戦争末期、米軍によるヒロシマ・ナガサキを含めた日本の主要都市への無差別爆撃は、戦争犯罪を問われないのか?

ハーグ陸戦条約では無差別爆撃や非人道的兵器の使用、捕虜虐待が禁止されている。が、日本の軍需産業は小規模な下請け町工場が支えており、それら軍需産業を壊滅させる「合法的な爆撃」であり、非戦闘員の殺戮を目的とした無差別爆撃ではない、が米軍の言い分。
 
その一方で「名古屋大空襲」の際、東海管区指令部は、撃墜されたB29の搭乗員を「ハーグ陸戦条約で禁じられた無差別爆撃を実行した戦争犯罪人」と判断して斬首刑としたが、戦後に捕虜虐待を問われることになった。
藤田まことの遺作となった「明日への遺言」は、戦後の軍事裁判で、「B29搭乗員の斬首刑は捕虜に対してではないので捕虜虐待にはあたらない。あくまでも非戦闘員に対して無差別爆撃を行った戦争犯罪人への法執行であり、その一切の責任は私にある」と、進駐軍相手に堂々と法廷論争を展開した、元東海管区指令部司令官の岡田資(おかだたすく)陸軍中将の実話を元にした裁判映画。藤田の淡々とした演技が深くて実にいい。
 
仏教に深く帰依する人格者の岡田中将は、部下に慕われる人情味のある軍人であると同時に、イギリス駐在武官を歴任していたので西洋的な倫理観や思考も理解していたし、英語も堪能な人物だった。哲学者といっていい岡田中将にとって、この裁判は無罪を勝ち取ることを第一義とせず、戦争の理不尽さを世に問うという意味もあったのではないか?
 
すなわち岡田中将の「明日への遺言」である。
 
いわゆる東京裁判で、米軍の無差別爆撃が戦争犯罪であったと主張したのは、岡田中将だけであったようだ。
 
日本軍の重慶無差別爆撃や731部隊の化学兵器人体実験などが東京裁判で立件されなかったのは、連合軍にも都合が悪かったからとされている。
 
戦勝国の都合で無差別爆撃が不問とされたのに、捕虜虐待だけが戦争犯罪とされた理不尽さが「戦争」だし、それが東京裁判だった。
 
元部下からの助命嘆願は無論のこと、最初は高圧的だった連合軍側検察の態度も、次第に岡田の主張の正当性と高潔な人柄に同情を寄せるようになり、絞首刑から終身刑への減刑をマッカーサー元帥に具申したが退けられ、岡田は捕虜虐待のB級戦犯として刑場の露と消えた。
 
裁判劇にありがちな回想場面はなく、法廷内での論戦が大部分を占めるに関わらず、緊張感が最後まで続くのは見事。また過度な演出もなく、人間ドラマもきちんと描かれた骨太で良質な映画。
 
人気俳優をキャスティングしてCGを駆使した迫真の戦闘場面が売りの大作であっても、人間と戦争の本質が描ききれていない戦争映画からは、リアルさは伝わってこない。「戦闘」と「戦争」は次元が違うのだ。
 
逆にこの映画のように戦闘場面がなくても、戦争のリアルが伝わってくる映画もある。
 
渋くて深みのある映画を久し振りに観たと感銘を受けたら、エンドロールで小泉 堯史監督作品なのだとわかった。黒澤組で助監督を務めた人だ。流石です。
 
 

 


多様性が醸し出す風景を見出すヒスイ加工・・・ラベンダーヒスイ石笛

2022年01月19日 07時57分27秒 | ぬなかわヒスイ工房

亡くなった水島新司氏の野球漫画の真骨頂は、主人公が一芸に秀でいても何かが欠落していて、その欠落を努力によって補う人物であって、天才的な万能選手ではなかったことではないか。

私は同業者が見向きもしない不純物混じりや色の薄い原石をみると、どうやったら魅力を引き出せるかと意欲が湧いてくるので、水島氏の世界観に似ているかも知れない。
 
均質さだけが価値ではないし、多様性が醸し出す風景もまた佳しとしましょうよ、という考えが私にはある。
例えば、部分的にスミレ色が発色した不純物だらけのラベンダーヒスイで作った石笛なら、他の職人はスミレ色の部分だけで勾玉を作り、それ以外は捨ててしまうかも知れない。
石目部分に螺旋紋を線刻して目立たなくしてみた。マグロの大トロ部分だけが旨いと、他の部分は捨てるるとヒスイがかわいそう。
 
私は捨てられてしまう部分にも魅力を感じるので、「ミルク色の雲海から蒼い夜空がのぞき見え、赤い星が浮かぶ」と、風景の面白味を見出す。
口の悪い同業者から「おまんは口が上手い」とからかわれるが、売らんがための宣伝文句ではない。どんな原石であってもチャームポイントはあるので、その魅力を率直に表現しているだけなのだ。このラベンダーヒスイなら透過性もチャームポイントだから、うんと薄く作って光が通りやすいように工夫。
 
私のようなヒスイ加工のスタイルは、「よいヒスイを安く欲しい」タイプのお客さんからは敬遠される、というより目に触れる機会さえないとは思う。
検索率の高い大手通販サイトが乱立する中から、スピリチュアル的な宣伝もパワーストーン扱いしない私のささやかな通販サイトを見つけ、「これ!」と買ってくれるお客さんの絶対数は少ないとも思うが、個展や講演に呼ばれたりもするし、遠くから訪ねてきてくれるお客さんも多い。
 
この4月で、ぬなかわヒスイ工房も開設10年目。借金もせず噓偽りのない仕事でも、なんとか食えているのが幸い。
 
 
 

高田師団長官舎のレストラン利用に思うこと・・・高田58連隊が戦ったインパール戦

2022年01月16日 10時30分16秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

旧陸軍高田第13師団の師団長官舎が、カフェレストランに利用されるようになったそうだが、上越市商工会主催の食事会に参加した友人に聞いたら、建物が持つ歴史の説明はなかったそう。

上越妙高タウン情報さんからの転載した師団長官舎の写真。フランス料理店ができたそうだが、店舗のホームページにも建物の由来が書かれていなかった。
 
中国大陸やインパール戦で勇名を馳せた歩兵第58連隊の兵士たちは、高田師団隷下の主に新潟や仙台や福島で召集された人々、つまりは我々の祖父たちであったことを伝えないと、なんの歴史的建物の活用といえるのか?明治期に建てられたレトロでお洒落な建物で食事できますというだけでいいのか?
 
インパール戦の戦死者の7割前後は、餓死と栄養失調からアメーバ赤痢やデング熱、コレラに罹患して病没と分析されている。あるいは自力歩行できなくなって自決を強要されたり、銃殺された兵隊であったことを語り継がないと、戦死した兵士は浮かばれないし、生還できた人も穏やかではないのではないだろうか。
「兵隊無頼コヒマをいく」の著者と表紙絵を描いた人ともに58連隊の元兵士だった新潟県人。
 
もしや輜重隊の曹長としてインパール戦に従軍した私の爺さんのことが出てくるかと期待して取り寄せたが、出てこなかったにしても、こんな状況でよく生きて還ってきたと涙なしには読めなかった。
 
将校たちが酒を飲んで宴会をするすぐ横で、自立歩行できなくなった兵隊たちが泣いて命乞いしながら銃殺されていった。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓もあるが、捕虜になると軍事機密が漏れるというのがその理由だ。だから通訳のインド人や使役のビルマ人軍属も銃殺された。
 
ところが自ら投降した兵士たちも少なからずいて、著者は戦後に元捕虜たちを探し出して聞取り調査をしている。
 
弾薬も糧秣(食料)も与えられず、雨季で水浸しになった塹壕の中に身を潜め、銃剣と手榴弾だけで肉弾攻撃を強要された兵士の中には、人間扱いしない「アジア解放の皇軍」の実態に幻滅し、どうせ死ぬなら腹いっぱい食ってから死にたいと投降して、戦後に無事に帰還できた人もいたのだ。インドの捕虜収容所では、食事を満足に与えられて虐待もなかったそうだ。
 
前線ではイギリス軍傭兵のグルカ兵は敵意に満ちていたが、主にシーク教徒やイスラム教徒で構成されていたインド兵は比較的に穏健で、夜になると血だらけの日本兵の亡霊が突撃してくるが恐ろしいと投降してきたこともあったようだ。死してもなお兵士の魂魄は戦場を漂い戦っていた。今はどうなのだろうか?
 
著者自身も、「皇軍」の理不尽さに持ち前の反骨神を発揮した。勝新太郎の当たり役「兵隊やくざ」を地でいくかのように、階級章が破れてなくなってから大尉になりすまし、兵隊を酷使し、私的制裁を加える無慈悲な中尉以下にベランメイ口調で制止せさる場面が何度も出てくる。
 
また著者は、退却時に牟田口中将に怒鳴られている。
 
白骨街道とも靖国街道とも呼ばれた退却路には屍が累々と続き、ボロボロに破れた軍服の兵隊たちが半死半生で横たわっていた。そこをピカピカの軍装のままの牟田口中将一行が退却してきた。
 
「皇軍兵士がなんたる様か!立って敬礼せんかっ!貴様らの根性がないからこうなったのだ!馬鹿者!」と怒鳴り散らし、一緒に連れていって下さいと足元にすがる将校を「臭い!近寄るな!」とムチ打ち、悪びれもせず堂々と「逃げてきた」そうだ。
 
行政や商工会が歴史遺産を地域活性化で活用するのはいいこと。しかしその歴史をきちんと勉強して、利用者に説明しないと片手落ちではないだろうか。
 
 
 

「十五少年漂流記」は日本だけだった!・・・少年時代の自分とであう

2022年01月13日 07時53分05秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
古本屋の100円コーナーで「十五少年漂流記」をみつけ、懐かしさに手に取ったら、表紙絵も気に入って購入。
小学生の時とおなじく、ハラハラドキドキしながら一気に読んだが、おっさんになった今でも面白い。表紙絵の帆船が、原作通りに縦帆帆船「スクーナー」タイプであることも心憎い。少年たちが漂着して2年間を過ごす蝶々形をしたチェアマン島が、「未来少年コナン」の「のこされ島」に酷似していることは気付いていたが、毒虫や毒ヘビも生息しておらず、アメーバ赤痢もデング熱もなく、四季のある高緯度の孤島であるのは、著者のヴェルヌが子供でもサバイバルできる環境を考えた結果ではないかな???
 
しかし、ロビンソン・クルーソーは何度も映画化されているのに、なんで「十五少年漂流記」は日本以外で映画化されていないんだろ?と思っていたのだけど、後書きを読んで納得。
 
ヴェルヌの唯一の欠点は、文章に正確を期すあまり、緻密すぎてくどい所があり、主人公が少年たちなのに子供向きの読み物ではなかったと同時に、大人の読者の共感も得られず、また原題の直訳が「二ヶ年の休暇」と読書の興味をひかなかったこともありフランス本国では売れず、英訳版も同様だったので英語圏でも売れなかったので、本書は欧米諸国であまり知られていないのだそう。
 
ただし、チェコの天才映像作家カレル・ゼマンの「前世紀探検」などの冒険映画などには、アイデアが盛り込まれていると思う。
 
ところが明治期の日本では、主人公の少年たちを前面にだした「十五少年冒険譚」と冒険心をくすぐる題名をつけ、歯切れのいい漢文調の端的表現で翻訳したことでベストセラーになったのだとか。
 
「狭い日本にゃ住み飽きた」とばかりに、海外雄飛を夢見初めていた世相も後押ししたのではないか?
 
版を重ねて「十五少年漂流記」とタイトルが代わり、年少者でも読みやすい文章に手直しをされ、不朽の児童文学作品としてロングセラーとなった。本書はフランスの原書と英語版を対比させながらの、波多野寛治さんの新訳版。
 
「未来少年コナン」「漂流教室」「機動戦士ガンダム」なども、設定をかえた「十五少年漂流記」ではないか?小学生の頃の自分と対話しているような、楽しい読書であった。
 
 

縄文文字はギャートルズ文字だった!・・・歴史探偵ごっこ

2022年01月10日 07時20分01秒 | 縄文
謎の古代文字「カタカムナ」なるものを縄文文字と教えている人に、文字が書かれた縄文時代の出土品があるの?と質問したら、いやいや5万年前の壁画に描かれていますと言われ、フハッ~!と化した。(フハッ~!は、水木しげる漫画で多用される感嘆符ですネ。)
 
5万年前だと縄文時代より3万年以上も前で、アニメ「はじめ人間ギャートルズ」の旧石器時代だから、ギャートルズ文字ということにならんか?
 
それに、たとえ遺跡の壁画に文字が書かれていても、遺跡と同時代に書かれた文字と限らず、また顔料に炭化物が混入していないと年代測定はできないし、線刻なら年代測定は不可能なのだが・・・。
しかしながら私は旧石器時代のことに詳しくないので、正月に「旧石器時代ガイドブック」で勉強したら、現時点で日本列島の旧石器時代の遺跡は、4万年前までしか遡れないとありますぞ!著者の堤先生は「浅間縄文ミュージアム」の館長さんで、いちどだけお逢いしたことがある。
 
この本は図版も多く、小学生にも理解しやすく書かれているので、今はお袋が「この本、面白いねぇ!」と読んでいる。
 
この時代の私の関心は、3万6千年前から作られていた「局部磨製石斧」が、3万年前くらいからの姶良カルデラの火山灰の降灰期を境に途絶え、縄文時代の磨製石斧に連続していないこと。
 
かって「野尻湖ナウマン象博物館」の中村館長(当時)から、野尻湖の旧石器時代の局部磨製石斧は、白馬や小谷あたりで採取したらしき姫川水系の透閃石岩で作られていると教わったが、その採取ルートや断絶から縄文時代の磨製石斧が登場するまでの関係性はわかっていないらしい。
ヒスイ加工にも断絶期があるし、加工法や交易方法とそのルートも謎だらけ。
 
疑問を調べるほどに謎は深まり、「可能性がある」「かもしれません」と、言葉遣いが慎重になっていくが、アマチュアといえどもガイドや講演をするなら、「自分の考えはこうだけど、考古学ではこう言われている」くらいの情報を伝えるのが誠意だろう。そうでないと教えられた人が恥ずかしい思いをすることになる。