縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

選挙に行きましょうよ・・・介護問題の当事者の憤り

2021年10月30日 07時30分38秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
誰が当選しても介護問題を忘れないで欲しい。
在宅介護をするとGOTOトラベルの恩恵にあずかれないどころか、日常生活は維持できなくなる。
 
介護施設に入所させても年間で200万円前後の費用はかかるから、家計は火の車。
 
この春、糸魚川の介護施設が介護職の人手不足で閉鎖した。ところが市内だけでも入所希望者は200人待ち。
 
介護当事者なら、行政の怠慢ではないかと怒りすら感じる。
 
少子高齢化がすすむともっと大問題になるのは自明のこと。介護離職する人が増えると税収は減って、介護にかかわる税金は増えていく。
 
既存の経済基盤を根底から見直す「政治の大鉈」が求められるが、成果がわかりやすいインフラ整備やお祭りイベントなど政策ばかりが経済対策ではないだろう。
 
コンクリート構造物の設計上の耐用年数は50年程度。50年後に新幹線やリニア、原発のメンテナンスや建て替えをする財源はあるのか?
 
これから先、温暖化に関連した災害も増えるから、金は出ていくばかり。この憤りは挨拶にきてくれた候補者には伝えた。
 
挨拶にきてない候補者が当選しても、介護の現場を視察して、この問題に取り組んで欲しいと切に願う。

地質図と地図でブラカトリ・・・5,000年前の地域の姿を推測する

2021年10月29日 07時49分36秒 | 縄文

地質図と地図でブラカトリ

三内丸山遺跡までヒスイを運んだ縄文時代の「海のヒスイロード」の出発地はどこであったのか?
 
現在の天津神社前から糸魚川駅付近までが湖沼域であり、そこから海に出たという確かな筋の説があり、その位置を知りたかった。
フォッサマグナミュージアムの香取学芸員に相談したら、彼の元職場の「地質調査総合センター」でWEB公開している「シームレス地質図」で、海面上昇シュミレーションの機能があると教えてもらい確認したら、まず「図幅」という地質図でその付近が水色に塗られた「泥及び砂」堆積物であることが判明した。
さらに縄文中期前葉の海面上昇を5mと想定したシュミレーション図を重ねてみたのがこれ。駅前は浅い湾になっており、鉄道付近でかっての湖沼域に接しているゾ!ちなみに私の子供の頃は糸魚川駅の南側は大雨で床上浸水することが多く三反田という地名だった。
 
この作業が面白いので、さらに国土地理院のWEB地図で標高5mまでを濃い青で塗ってみたのがこれ
 
天津神社と市役所が湖沼に突き出た半島であったことがよくわかるだけでなく、長者ヶ原遺跡を源流とする城之川が湖沼に流れ込んでいることが確認できた。
 
遺跡から城之川のV字谷を下れば1キロ弱で湖沼に出られるのだが、その標高差は80m前後。
 
このV字谷は現在は樹々が生い茂っていて歩くことが困難だが、明治時代に新田開発のために導水トンネルを掘ったと書かれた石碑とその痕跡を森の中で発見したことがあり、これまで調べていた蓄積が一気に繋がっていった。
 
標高5mを汀線に塗った国土地理院の地図で全国の主要遺跡や都市をチェックすると、遺跡は岬や沿岸の微高地に位置するし、都市部は汽水湖や海の底にあった沖積平野であることも一目瞭然で面白い。
 
ただし汀線が全国一律に同じ標高であったことは考え難いので、あくまでも参考データ。より「確からしさ」を高めるには、シームレス地質図で堆積物を確認して、地域の民俗誌や歴史を調べる必要もある。
 
しかし最近になって発見された、上越市大潟区で発見された沿岸の高地性の前方後円墳も汽水湖の沿岸であることもわかった。
 
古墳空白地帯だった新潟県内でも、昨年は下越の沿岸の高台から前方後円墳が発見されており、これらの地質図や地図を使いこなせば、アマチュアでも前方後円墳が発見できるかも・・・。
 
たとえば大和政権が越後平定のために青海首(おうみのおびと)を派遣して、糸魚川地域に拠点を作ったことから地名となった青海地区や、ヌナカワ彦が大和の市道将軍と戦った伝説のある能生地区などなど。
 
「四隅突出墳丘墓」が発見できれば出雲勢力が進出した痕跡と証拠となるが、現状ではどちらも威信材の出土がまったくといっていいほどないので可能性はとても低い(笑)
 
興味ある方はやってみてちょうだい。パソコン仕事が苦手な私でも、格闘すること30分~1時間で求める情報が得られましたわ。

ヒスイの翠に感じる憧憬の不思議・・・基層文化への原点回帰

2021年10月26日 07時07分21秒 | ぬなかわヒスイ工房

ヒスイの魅力のひとつが、透過光で表情が一変するところ。

ちょっと見はマットな質感の白系ヒスイであっても・・・
 
その魅力を最大限に引き出すには、360度どの方向からも観ることのできる立体造形がベストで、その代表は勾玉だと思う。勾玉を持っていたら太陽に透かしてみて欲しい。
白ヒスイや黒ヒスイであっても、そこに翠の宇宙が広がっているはず。そうでないヒスイもあるが・・・。
光りにかざす角度や向きが変われば、翠の濃淡や色相も変わって、まるで万華鏡のようだ。
 
ヌナナワ姫や卑弥呼もそうしたに違いない。
 
透過させたヒスイの翠は、ずっと以前から知っていた、どこか懐かしさを感じるのは私だけだろうか。
 
古代人が感じた、ヒスイの神秘を追体験できるのが勾玉。そう思えばこそ、勾玉作りは文化を背負った仕事なのだとの自負が芽生えてくる。
 
アクセサリーや伝統工芸の路線ではなく、日本の基層文化への原点回帰こそがワタシの目指すべきヒスイ加工と思うようになった次第デス。
 
翠の世界に感じる憧憬が、仕事のモチベーション。
 
 
 
 

 


筒石でブラカトリ・・・近くて遠くなった海

2021年10月24日 08時19分23秒 | 失われゆく風景

筒石でブラカトリ。

崩壊が加速化している旧筒石漁港の舟屋群と、筒石集落に香取学芸員をご案内。ほんの数年前まで舟屋の前は砂浜が広がっていたのだが・・・。
 
小泊漁港の東5キロ弱にある筒石も典型的な「帯状斜面集落」の漁業地区だが、小泊のような簡易水道が見当たらないのは後背山地からの地下水が少ないためか?
 
筒石の水嶋磯部神社の由来や民話などは能登との濃厚な関係性を感じさせるが、それを裏付けるかのように糸魚川の中では輪島塗の漆器の漂着物が最も多いエリアだ。ことによると筒石の地名は、能登の珠洲と関係がありそうな。
 
この地区も大正時代に北海道に移住した漁民が多い。
集落の路地がかっての国道8号線で、交通量が増えたことで沿岸の砂浜に国道を移設、漁師が舟屋に通えなくなるので現在の筒石漁港を作ったのだと元漁師から聞いている。
 
かっては海女さんや潜水服を着たヘルメットダイバーもいて、当時の写真をみると東南アジアの漁村のようだ。
昭和な感じの商店。野菜の種も売っている昔ながらの雑貨屋さんは、車を運転しない老人にとって地域の大事なインフラ。
 
糸魚川地区もそうだが、便利なインフラ整備と引き換えに地域特有の「らしさ」が失われていくし、海は近くて遠い存在になる。
 
私が小学低学年の頃までの糸魚川の砂浜は、夏の夕方になると近隣の老人や子供が浜に集まってきて夕涼みをする社交の場だった。
 
浜に戻ってきた小型木造漁船を引き上げたり、地引網漁の手が足りない時など、浜で遊んでいた子供が呼び集められて手伝ったりもした。
 
だけでなく、生ごみの捨て場でもあったので、カラスやトンビ、カモメが漁っていた。生ごみの匂いがプ~ンと漂っていたが、ある意味で循環型社会でエコロジー?
 
地域の人々で海が賑わっていたあの頃が懐かしい。
 
舟屋の前の海の中は、今も竜宮城のように綺麗だ。

 


海遊びのプロがやってきた・・・笹川流れカヤックセンターとの交流

2021年10月21日 07時22分07秒 | 糸魚川自慢

新潟の県北「笹川流れカヤックセンター」の飯山さんご夫妻が、糸魚川の海遊びのロケハンにきてくれた。

発達した海岸段丘と強い引き波、盛り上がってすぐ崩れるダンパーな波質に加え、海岸浸食がすすんで石浜が多くなっている現状では、やはり海遊びには能生の弁天浜が最適で、親不知は中級者以上という私と同じ見解。

都会からあえて冬季は営業できない新潟に夫婦で移住した経緯や経営方針などの話も興味深いが、歴史や民俗学にも造詣が深い人なので、長者ヶ原遺跡やジオパークとコラボしたカヤックツアー案や、丸木舟での佐渡海峡往復、能登遠征の話しで意気投合した。
夜は香取学芸員も交えて露天風呂で2時間近く雑談。石浜ではシーカヤックが痛むし、波が高いと出ることも戻ることも難しいのだ。
 
最近は歴史や地学に詳しい年下世代と交流することが多くなって楽しいが、海遊びのプロが訪ねてきたのは初めて。
凪だと弁天浜から小泊漁港を周って「とっとこ岩」に行くことができる。とっとこは糸魚川方言でニワトリのこと。
 
笹川流れは海蝕洞や鍾乳洞をもつ綺麗な海で、素潜り、パドルスポーツと海遊びならなんでもできる楽しい所。
今年は天候不順でキャンセルしたが、来年こそは海蝕洞キャンプとセットで冒険ごっこを実現したい。
 
カヤックを持っていかなくても、「笹川流れカヤックセンター」でレンタルすればいい。ガイド込みで半日で6,000円なのだ。
 
 

 


「太平洋ひとりぼっち」・・・コロナ自粛期間に映画を二度もみた

2021年10月19日 08時18分37秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

俳優になる前から映画が大好きだった石原裕次郎さんは、様々な制約のある日活を飛び出して石原プロを設立、最初に選んだ仕事が「太平洋ひとりぼっち」の映画化だった。

「ノーマネー・ノーパスポート・ノーイングリッシュ」の24歳の青年、堀江謙一が密出国でちいさなヨットで単独無寄港太平洋横断をした航海記の原作を忠実に映像化している。
 
両親役の森雅之と田中絹代の演技も深くて見事だが、協調性がなく自分勝手な堀江を諌めつつ面倒をみる先輩役にハナ肇が、得意のコメデイタッチを封印してニコリとも笑わず演じており、そして独立して自分が思い描く理想の映画を作くれるようになった裕次郎さんのノビノビした演技が、高度成長期の勢いとリンクして気持ちいい。
また嵐の海の特撮は円谷プロが独立して最初の仕事。本編は市川崑監督の本格派ドラマ。納得のいく映画、いい映画を作りたい!という映画人たちの欣喜雀躍がヒシヒシと伝わってくる。
もちろん高校時代からヨットに乗っていた裕次郎さんのセイリング場面も見所。
 
かわいらしいのは、アサヒビール・森永・シャープの製品が何度もアップになるところで、資金のない独立プロがスポンサー企業の宣伝をしている経済事情以上に、わざわざ商品のラベルが見えるように持つ裕次郎さんの義理堅さを感じる。
 
余談だが、同時期の三船プロの最初の映画は三船敏郎さんみずから監督を務めた戦争物で、心配した恩師の黒澤明監督がラッシュをチェックしたら、軍服姿の敏郎さんがポケットからリポビタンDを取り出して飲む場面にひっくり返り、黒澤組の助監督を派遣したという逸話もあり、これも義理堅い三船さんらしい笑い話。
孤独・・・孤立は大勢のなかで理解者がいない状態で耐えがたいが、ボクは自分から選んでひとりで海に出た孤独だから耐えられる・・・というようなことが原作には書かれているが、実際には孤独感で大変だったようだ。ただしこの航海以降の堀江さんの航海記には、孤独を楽しむ余裕ができたと書かれている。
 
原作の「太平洋ひとりぼっち」は小学校で仲良しだった永野君からすすめられて以来、高校卒業までに10回は読んでいるし、映画も何度も見ているが、コロナ自粛期間に2度も観た。
 
サンフランシスコに到着したら刑務所入りを覚悟していた堀江さんは、シンプルに海を渡りたいから渡っただけ。
 
海の開放感・・・海に出たい病がたかまっている。

 


極楽カリー様一行ご案内!・・・悲劇のヌナカワ姫伝説に共感する人々

2021年10月16日 08時31分01秒 | ぬなかわ姫

夏に石笛を買ってくれた鎌倉のカレー屋さん「極楽カリー」の順平さんが、店の常連さんを連れて遊びに来てくれた。

ヌナカワ姫の慰霊に稚児ケ池で奉納演奏をしたいと申し入れがあったので稚児ケ池に案内したら、篠笛、石笛、のど歌(シベリア地方の倍音唱法)の即興演奏が実にお見事で、独学と聞いて驚いた。
 
以前はヌナカワ姫に関して漠然とした興味で訪ねてくる人が多かったが、最近はピンスポットでヌナカワ姫の慰霊をしたいという人が増えてきた。
 
70年代以降に官民挙げて観光客誘致のために創作されて情報発信され続けてきた「ヌナカワ姫と八千鉾神の古代のラブロマンス」を史実のように信じ込む人も増えているが、私が口碑や考古学的考察から客観的に導びきだした「悲劇のヌナカワ姫伝説」もジワジワと広まりつつある。
 
ラブロマンスと悲劇のどちらが創作で真実なのか?とジャッジするのは不毛で、どちらに共感できるかという個々の感受性の問題だろう。
長者ヶ原遺跡は気分がいい場所。
 
私と丁々発止と落後の話しができるほどの落語好きには滅多に出逢わないのだが、順平さんとは落語談義に花が咲き、しかも私と同じく柳家さん喬師匠が贔屓と知った。初対面でこれほど気が合う人も珍しい。
 
一日に20人限定のこだわりのカレー屋さんは、鎌倉在住の友人も常連のようだ。
 
元はエスニック物品販売チェーン店の「チャイハネ」のバイヤーとして海外経験も豊富だから、話題は尽きない。
 
同行のミュージシャン絢一郎さんが、個展で買った横尾忠則の画集をなぜか土産に選んでくれた。
 
私が保育園児からの横尾ファンと知る人は少ないのに、趣味嗜好を知らない初対面の私への土産に横尾忠則の画集を選ぶ淳一郎さんの感受性は常人離れしているといっても過言ではなく、もしや宇宙人ではないか?と疑っている(笑)
 
はやくも次回は家族や友人を連れて来たいという話が出ているが、長者ヶ原遺跡で縄文キャンプ、真冬の日本海で荒れ狂う怒涛体験、春の「けんか祭り」、夏の海遊びの旅もありだ。
 
楽しいねぇ。ヒスイ職人になってエカッタ!
 
 
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こんな時だからこそできる仕事・・・量産品として売るにはもったいないヒスイ

2021年10月15日 06時29分27秒 | ぬなかわヒスイ工房

同業者が短冊形のストラップを作ろうとしていた原石が、あんまり綺麗なので買い取って作った超小型の勾玉。

コロナ不景気でヒスイ製品が売れないし、普通サイズの勾玉が作れない端材だから、誰でも買える値段の土産物にということらしいが、ストラップの市況価格は3,000円くらいなもの。
安い商品は大事にしてもらえないだろうし、3,000円で売るにしてはもったいない質のヒスイ。
手間暇かけた超小型の勾玉を作っても、いまは売れないかもしれない。でもいつか誰かが気に入って買ってくれる可能性に賭けたい。
注文仕事も少なくなっているので、「こんな時だからこそ」できることをコツコツやっている。
 
勾玉にしてから買い取った同業者に見せたら、あの原石がこんなになんの!?と驚いて、原石と交換して欲しいと言われてニンマリ。近江商人の「三方よし」というやつだ。
 
嬉しい申し入れだけど、これだけの質のヒスイ勾玉は参考品扱いで手元に置いておいておきたいヨ。
 
 
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ドキュメンタリー映画「くじらびと」の船上は戦場だった!・・・命がけの撮影現場

2021年10月13日 06時04分30秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

揺れ動く舟の上からの写真撮影の経験がある人なら、映画「くじらびと」の迫真の映像に驚嘆するだろう。

写真は20~30度傾きつつ風上に向かい、ウネリを超えるたびにバンバンと縦揺れしながら6ノット前後(時速11キロ)で走るエズキズム号からの撮影で、座っていても片手はどこかに掴まらなければ恐怖を感じる状態。
この日、初めてヨットに乗ったゲストが「傾いてますけど、こんなに揺れて大丈夫ですか?」とビビっていたが、江塚オーナーと長谷川船長は余裕の表情。
 
私はこんな状況下では片手持ちしたコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)のオートフォーカス撮影をしているが、一緒に動く船内はともかく船外の被写体なら画面から外れて使い物にならなかったりもする。
エズキズム号は艇尾が開いたオープン・トランサムだから、被った海水を排水しやすいく、海に飛び込んで遊んだりしたりしやすい構造。日帰りトリップの多いサンデーセイラーにはうってつけなヨット。赤いC字形の物体は浮き輪を便器に転用した青空トイレ( ´艸`)
 
しかし石川梵監督に「くじらびと」の撮影現場のことを聞いたら、コンデジとは比較にならない重くてでかい一眼レフカメラやムービーカメラをでマニュアル撮影、つまりどこにも掴まらずに両手でカメラを操作していたと聞いて、プロカメラマンの凄さに唸った。
 
漁師が船上にいても鯨からひっぱたかれて大怪我をしたり、死の危険と背中合わせなのに、石川監督の視界は周囲の状況がわかりにくいファインダー越し。
 
殺気立ち、鯨がぶつかって転覆しかける船上で、どこにも掴まらない撮影は転倒や撮影機材の破損もあったらしい。
 
落水したらせっかくの記録媒体がダメになり、最悪の場合は死ぬ危険もある撮影現場。鉄砲玉は飛んでこないにしても、これは戦場カメラマンの現場といっていいのではないか。
 
「くじらびと」は、観たあとから効いてくる。
 
 

 


「くじらびと」を理解するには海に出よう!・・・木造カヌーは気持ちいい?

2021年10月11日 06時22分57秒 | 糸魚川自慢

映画「くじらびと」を観て興奮冷めやらない仲間を海に誘ったら、凪だったので弁天岩の沖に出て奥弁天を周ることができた。

海に出てしまえば陸(おか)とは空気感がまるで違い、浮世のしがらみや約束事、コロナも忘れてしまう。

 
「くじらびと」の理解もより深まるに違いない。
エリちゃんがスマホでロッド・スチュアートの「セイリング」を流してくれたので、漕ぎながら合唱( ´艸`)
 
気持ちがいいのでビートルズの「イン・マイ・ライフ」「アイ・ウィル」「ロッキー・ラクーン」とその時の空気感にぴったりな曲をリクエスト。
 
次回は加山雄三さんの「海、その愛」「旅人」「光進丸」もリクエストしようではないか。
 
セイリング・カヌ-は暫定的にOPデインギー用の浮力体をマジックテープで固定してあるが、1個48リットルの浮力体を2個付けているので、理論上は98キロを浮かべることができる計算。
基準排水量100キロのカヌーだから、転覆しても沈没はしない。
 
穏やかな海況なら下半身を艇体の中に入れるカヤックより、浮沈構造にしたオープンデッキのカナディアンカヌータイプの方が初心者も乗船しやすくリラックスできるメリットは高い。
一般的なポリエチレン艇やFRP艇に乗ったことのある男性が、木造カヌーは何かが違って気持ちいいと言っていた。
 
大人4名で沖に出られる丸木舟「ヌナカワ丸」も、来年は復活の予感がする。