縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

縄文人(見習い)の必須スキル・・・門前町の無斑晶質安山岩で打製石器つくり

2024年12月17日 07時36分04秒 | 縄文
野尻湖のキャンプ場で管理人をしている関本さんがふらっと遊びにきて、門前町の無斑晶質安山岩で打製石器つくりを実演してくれた。
実は同じ無斑晶質安山岩を打製石器の研究者に送って試作してもらっていたのだが、見た目は頁岩と似ていても堅すぎて石のハンマーが壊れてしまい、名人といえどもシンメトリックな石槍はつくれず、不定形のフレーク(破片)を石包丁に利用するくらいしかでない石質であるらしい・・・もちろんサシミは無理でも肉くらいなら切れる。
 
打製石器つくりを覚えると、石ひろいガイドや縄文体験会のネタにもなるから、能登ボランティアが落ち着いたら取り組みたい課題。
大割りした後は手に持って整形していく
 
ちなみに糸魚川市の遺跡から出土する打製石器は、黒曜石・チャート・頁岩でつくった縄文時代のヤジリが多く、なんで旧石器時代の遺跡が少ないのか疑問で、この考察もしてみたいもの。
 
 

勾玉探偵、弓矢探偵になる・・・大田区立郷土博物館企画展「矢を放て!」探訪記

2024年11月29日 07時07分25秒 | 縄文
糸魚川翡翠展2024が終わったあと、大田区立郷土博物館で開催中の企画展「矢を放て!」を堪能。
常設展入場無料!すごい内容なのに企画展のみ500円という安さ。国立博物館で開催中のはにわ展が長蛇の列と聞いて諦めたが、大田区立郷土博物館は裏切らない!w
 
どうやって知ったのか、受付してたら多忙な斎藤学芸員がかけつけてくれて、30分ほど立ち話しで前回の「大勾玉展」に感銘した旨を伝え、勾玉と弓矢談義ができたのが僥倖。
図録も充実している。帰宅後にコタツにはいって読んでいるがいつの間にか睡眠学習・・・これが愉しいのよ。
 
弓矢もわかっているようで謎は多い。例えばアイヌの仕掛け弓(アマッポ)に使用されるトリカブト毒が、なんで本州で使われなかったのか?
アイヌの弓と和弓では形状もちがうのは何故だろうか?
弓の素材
 
この件については中国で生まれ、朝鮮半島から移入した高さ5センチほどの馬鐸が、日本列島で巨大化して銅鐸となっていったように、外来物が文化のフィルターを通すと、ある種の美意識によって取捨選択と変容すると説明できるが、斎藤学芸員も同じ意見だった。
矢の素材は時代によってちがうのよ~。
 
「大勾玉展」と同様に、縄文から現在に至るまでの系譜がわかりやすく展示されていたが、またもや新たな謎が浮かび上がってくる。
 
時代ごとの遺物の行間のモノガタリに正解はなく、系譜から伺い知ることしかできない。
 
より確からしさを求め続けて迂闊なことを言えないのが考古学者で、自由にモノガタリを語ることができるのが、わたしのようなアマチュアの歴史探偵。
 
それが系譜を無視して、都合よく情報を切り張りしたモノガタリをするとニュー・アカデミーおじさんと呼ばれるから自戒しておりますw
 
 
 

美人がベンガルや六角精児になる遮光器の神秘!・・・遮光器土偶オカリナ

2024年11月12日 06時52分42秒 | 縄文
犬の毛で自作した帽子がトレードマークのハラ原人が笹山遺跡のマルシェに手伝いにきて、遮光器(しゃこうき)をもってきたので来場者とオモチャにして遊ぶ。
こちらがハラ原人デス。帽子が人気なので最近は5年もかけて犬の毛のチャンチャンコまでつくっちゃったそう。
 
そして新たな発見があった。眉目秀麗な女性であっても、顔の輪郭が四角い人が遮光器をつけたら俳優のベンガルや六角精児になる事実w
本来の遮光器は北極圏地域のスノーゴーグルで、遮光器土偶の命名由来になっているから、縄文時代に日本列島に北極圏から人がやってきた証しとする人もいる。
ぬなかわヒスイ工房の人気商品「縄文オカリナ」で一番人気なのが遮光器土偶オカリナ。ヘルメットをかぶった宇宙人とする人もいたが、こういったことを言う人は日ユ同祖論信者や陰謀論好きなニューアカデミーオヤジが多い( ´艸`)
個人的には目と口を同じ楕円の中央に線を引いた表現の土面もあるので、女性器の抽象表現ではないかと思う。こちらは土面をモチーフにした自作オカリナ
 
外国のトイレで同じ表現の落書きを観たことがあり、これは女性器表現の世界共通認識ではないだろうか。
 
なんで目や口を女性器にする必要があるのかと問われたら、イノチを生み出す女性器を人智をこえた神の領域として崇め、再生や豊穣を予祝する呪術的表現ではないか?と説明はできるが、ホントのことは縄文人でないとわからないデス。
 
 
 

ワラシ発電で元気をチャージ!・・・黒部市立たかせ小学校の縄文遠足

2024年09月26日 07時27分19秒 | 縄文
能登の水害で心がふさぎがちな日々に一服の清涼感。
 
富山で先生をしているFB友達の本村さんの紹介で、富山県黒部市立たかせ小学校の遠足で、高学年70名弱を長者ヶ原遺跡ガイドした。
なぜか遺跡公園にドラえもんの石像があり、真実の口遊びをしてもらうのが恒例。
はじめての公立学校のガイドで不安だったが、前回は時間をもてあましたのに、今回は時間が足りないくらい楽しかったと好評と聞いて安堵。8畳間ほどの1号住居に36名がはいっても余裕ということが判明。
 
考古館のガイドは子供が飽きはじめるまでにして、遺跡公園での遊び方さえ教えれば、男子は「縄文式覚醒術」、「縄文式パンツ術」、昆虫採集、地面に這った蔓で綱引きしたりと元気いっぱい。
最初は一人が蔦を引っ張り、我も我もと人数がふえて綱引きになったが、先頭の女の子はホウバを振って応援していて、自然に役割分担がきまるのが微笑ましい。
 
一方、女子は木陰でおしゃべりに興じ、大騒ぎするおバカ男子を「体は6年生でも心は3年生だわいね」と越中弁で批評していたw
「縄文式覚醒術」で目覚めるにはノリのいい大人がいるのが条件。引率の先生が率先して面白がってくれた。
ホウバをつかった「縄文式パンツ術」で誇らしげにポーズ・・・卒業アルバムにつかってちょうだいw
 
キャーキャー走り回る子供に、「この元気をワラシ発電として利用できないものか?」と先生たちと話す。
 
先生方は児童にさん付けで名前を呼び、褒めて伸ばす方針らしく、怒鳴ったりもせずにこやかに見守っていた。担任と相性が良くなく鬱屈と過ごした我が小学生時代と隔世の感。
 
引率の先生が帰りのバスに乗るまで「縄文式パンツ術」をしたままだったので笑ったが、おとなしかった小柄な女の子が駆け寄ってきてぺこりと頭をさげ、振り返ってはぺこりと頭をなんども下げつつバスに乗っていった(´;ω;`)
 
能登ではこんな子供たちが大変な目にあっていると思うと・・・泣かせるわいね(越中弁)
 
おぢちゃんを元気つけてくれて感謝!また遭う日までごきげんよう。また元気を与えてくれっちゃ。
 
 
 

失敗した数だけ上手になりますナ・・・縄文オカリナ

2024年08月29日 16時04分04秒 | 縄文
京都の「民族楽器コイズミ」から、人気商品に育った縄文オカリナの在庫がないから大至急送ってほしいと連絡。ヒ~!
以前から気になっていたステンレス製バーベキューコンロを新調して焼成したら、その日のうちに紐付けとパッキングまでできた最速の焼成に成功!
鉄板付きのバーベキューコンロだったので、左右においた炭の間にオカリナをおき、鉄板をかぶせて熱が逃げないように炙り焼きしたことが時短の理由だ。コメリで最後のコンロだったのでちょっと値引きしてくれた。
オカリナが均一に焼き色がついたら鉄板をはずして通常の焼成。急激な温度上昇でオカリナを爆裂させないように時間をかけて炭を寄せていく。最初から最後まで藁などで覆う弥生時代の「覆い焼き」とはちがい、炙り焼き段階だけなので縄文オカリナと言っていいと思うw
風の影響を受けないのがよく、今回は様子見だったので次回はもっと時短できそうだ。
土器つくりは数をこなさないとダメで、年に数回しかしない仕事でも、やるたびに改善している。造形の面でも目の横棒をひいてから丸くする方法から、丸くしてから横棒を引いたほうが歪みの修正が少ないようだ。
 
 
 

ムフフとほくそ笑む遮光器土偶・・・縄文晩期の燻し焼き

2023年12月07日 07時43分31秒 | 縄文
十日町市の縄文女子、春奈嬢からプレゼントされた、土偶植木鉢に植えた多肉植物が活着したみたいで、元気そうだ。
黒いのは縄文晩期に盛行した燻し焼きで炭化させているため。焼き上がった時の土偶はハニワ色だが、熱いうちに葉っぱなどに包むなどして炭化物を吸着させていたらしい。
 
色ムラが大きく、部分的に樹脂っぽい塊りが付着して何度もやり直していた燻し焼きは、近所の製材所でもらったオガクズで炭化させていたのだが、巨大な製材ノコギリの油分と水分が色ムラの原因ではないか?と思うところがあり、建築会社「匠」の渡辺大工さんのオガクズに変えたら、いとも簡単に均一な黒になってくれた。
 
懸案事項が解消したこともあり、休憩時にムフフとほくそ笑んでいる。
 
 

カワイイは遊び心から・・・遮光器土偶の植木鉢

2023年11月10日 07時08分17秒 | 縄文
遮光器土偶をつくる人は沢山いるが、多肉植物が大好きな春奈嬢は、頭頂部を凹ませて植木鉢にしている。
頭のない遮光器土偶・・・常人では思いつかない発想だw
凹んだところに土をいれて植木鉢に。水抜き孔もあいている。
これはこれで完成度はあるけどネ。笹山遺跡で焼いてあげた時はハニワ色だったが、プレゼントされたので改めてイブシ焼きで黒くした。ちなみに縄文晩期に流行るのがイブシ焼きで、焼成後の熱いうちに有機物で炭化物を吸着させて黒くする技法。
多肉植物を植えたらトロピカルな土偶になった~( ´艸`)
 
光沢があるのは釉薬をかけているのではなく、焼成直後で水洗いした状態で夕陽に当たっているからで、乾いたらいい感じになるだろう。
 
見た人を楽しくさせるホッコリ感と問答無用のカワイイは、縄文女子の面目躍如。遊び心のある人に技量があると、とんでもないモノができる。
 
 
 

縄文遺跡にながれる瞽女(ゴゼ)唄がシミジミいい!・・・笹山遺跡で土器野焼き

2023年11月06日 07時22分16秒 | 縄文
火焔型土器の本場、十日町市の笹山遺跡マルシェで土器の野焼きに出向いた。
 
地元に同好者がいないのが淋しい限りだが、十日町にはガチな縄文好きの春奈嬢ががんばっていて、縄文式発火法ができる市民がいないということもあり、指導がてらの共同野焼き。
コロナ禍のイベント自粛で疎遠になっていた友人たち、瞽女唄ユニットと懐かしの再会して、野焼きしながら懇談。
右が春奈嬢の野首遺跡出土の火焔型で、実測図をみながらつくったとのこと。ついでに縄文オカリナも焼いた。
ちなみに瞽女(ゴゼ)とは盲目の女性旅芸人のことで、とくに大地主制度だった越後に多く、県内では城下町の高田と長岡(見附市含む)が本場だった。昔ながらに瞽女さんが出店ブースを門付け(パフォーマンス)をして集客していたが、これはいいアイデア。BGMは子供たちが遊ぶ声だけというのもシミジミしてよかった。
哀愁をおびたなかに滑稽味のある瞽女唄は、意外と縄文遺跡と相性がよかったことに感銘をうけた。
 
大音響で会話もままならない音楽フェスとも違い、市民の手作り感が和やかなでほっこり雰囲気を醸し出し、野焼き見学にきた人たちが話しかけてくるので居心地がいい。
十日町市博物館の学芸員諸氏も家族連れで遊びにきていて、縄文談義をじっくりできたし、実際に土器つくりの経験も豊富なようだから話が尽きず、市民活動を見守る行政マンといった構図がいいではないか。
県内の縄文遺跡での市民活動は中越地方が盛んで、行政主導でなく市民サポーターがボトムアップで動いているところが素晴らしい。ヒトあってこそ地域振興。
 
 
 

縄文時代に戦争がなかったのは国家がなかったから・・・中川裕著「アイヌ文化で読み解くゴールデンカムイ」

2023年10月31日 07時51分42秒 | 縄文
「縄文時代は一万年以上も戦争がなかった平和な時代💛」・・・といった類いの日本スゲー的な解釈をきくと辟易する。
 
戦争がなかったのは国家という枠組みがなかったからで、現代的な解釈で縄文人を平和主義者みたいに論ずるのはちと違い、人としてごく自然に生きていたのではないだろうかとわたしは解説している。
 
人間社会だから争いもあったろうし、殺人痕のある人骨だって出土している。では争いがあった時はどのように解決していたのか?
アイヌ文化を紹介する本なら萱野茂さんの著作がおススメだけど、本書は「ゴールデンカムイ」を読んだ人へのアイヌ文化の入門書に最適
 
近代まで狩猟採集文化がのこっていた、アイヌの「チャランケ」のような問題解決法にヒントがありそうだ。チャランケを直訳すると談判である。
 
集落間で問題がおこると、エカシと呼ばれる人格に優れ、弁舌巧みな長老格が代表に選ばれ、お互いに相手が納得するまでとことん議論し合うのである。ここで大事なのは論破が目的ではないことだ。
 
故事来歴や花鳥風月、カムイユカラ(神々の叙事詩の唄)を元に、時に節をつけたりして理を諭し合うので、即興の歌合戦といった趣もある。
実に文明的な問題解決法ではないか。
 
たとえ相手が何時間も喋りつづけても、その間は黙って聞いていないといけないから忍耐強さもためされる。チャランケが何日もつづいても勝負がつかない時は、お互いに裸になって背中を制裁棒で打ちあい、どちらかが参ったするまで我慢して決着をつける。
 
制裁棒は「ゴールデンカムイ」にでてくるが、本書は民俗学や考古学の専門家が「ゴールデンカムイ」を元にアイヌ文化をわかりやすく解説している。
 
縄文文化=アイヌ文化ではないが、日本列島の狩猟採集民ということで共通していて、現代的な解釈で縄文を論じるより、うんと縄文の理解が深まるのではないだろうか。
 
買うならアマゾンじゃなく本屋で注文してちょうだい。便利さを追求してばかりいると、街の本屋がなくなっちゃうよう。
 
 
 

縄文のヒスイ勾玉は各地で二次加工、三次加工された説?!・・・千歳市「美々遺跡の勾玉」

2023年10月21日 11時05分37秒 | 縄文
千歳の美々遺跡出土のヒスイ装身具は、ヒスイ職人として勾玉探偵の好奇心をムクムクと刺激する。
「北海道埋蔵文化財センター」に展示されている美々遺跡の玉類。ここの展示室は1室しかないが非常に濃密な内容でおススメ。
 
例えば二つの紐孔がある勾玉の下部にコブ状の出っ張りがあるが、これはカタチにとらわれてはダメで、綺麗な部分を残したかった結果ではないか?わたしが異形勾玉を作る時の理由がそうなのだ。研磨も縄文時代の勾玉とは思えないほど丁寧で、まるで弥生中期の勾玉のようだ。
このオタマジャクシみたいな勾玉は底が平らで、そっくりな勾玉をつくったことがある。この時はもっと大型の勾玉製作中に節理が発達して頭部~尾部に斜めに割れてしまい、しかたなく裏側の割れ目を平面に成形して尾部の短い形状になった。もしやこの製作者も同じ理由から?
写真の左から二点目の垂飾(すいしょく・小型装身具)は、紐孔が穿孔途中の未成品だが、土壙墓(どこうぼ・墓穴)から出土しており、ヒスイそのものが副葬されていることに注目している。
 
美々遺跡と同時代で大量のヒスイ装身具が出土しているのは、新潟県村上市の元屋敷遺跡だ。
元屋敷遺跡出土の装身具類。研磨が美々遺跡の勾玉より粗く形状も素朴な印象。「朝日・縄文の里」の展示品
元屋敷遺跡の白眉が連珠。縄文時代を通じて140点をこえるヒスイ装身具が出土して、国内二番目の出土量だそう。学芸員さんに一番はどこ?と聞いたら知らないと言われたが、晩期の朝日山遺跡かな?
 
ちょっと後の晩期になって青森市の朝日山遺跡からも大量に出土しているが、この二つの遺跡の勾玉の形状とサイズ、研磨の度合いも似た印象。
 
そして斑(フ・白っぽい不純物)が混じっていることを厭わない点と、美々遺跡の勾玉より研磨が粗いという点も共通している。
 
その点は美々遺跡の勾玉はやや小型・斑を避けている・光沢がでるまで丁寧に研磨されている・形状も上記二つとは違う系譜のようで独自性を感じる。
 
そしてこれらから遺跡からはヒスイ加工の遺構が発見されていないが、ヒスイ加工遺跡と確認できるかの条件は以下の出土だ。
①原石
②未成品
③砥石
④加工時に発生するヒスイの剥片
しかしながら、①~④まで揃っている糸魚川の遺跡から完成品の出土が極端に少ないのは何故だ?なにがしかの禁忌も考えられるが・・・。
 
北海道旅の間にこれらのプロットの整合性を考えてきたが、運転しながらある仮説を閃いた。
 
糸魚川では原石の粗い加工と若干の勾玉つくりはしていたにしても、交易品として運ばれた先で二次加工、あるいは三次加工されていたのではないか?
 
ある程度は加工された勾玉や、剥片から装身具をつくるなら、糸魚川のように特殊な砥石(手取層群の砂岩)がなくとも、どこの遺跡からも大量に出土する石皿を砥石にすればいいのでは?磨製石器用の砥石でだってつくれると思う。
 
これだと未加工の原石や剥片(フレーク)が出土しなくても加工地であったとい説明はつく・・・のでは?
 
この仮説だと、元屋敷遺跡より美々遺跡の勾玉が小型で綺麗に研磨されているという部分に納得がいく。
 
実のところ、わたしは粗製の勾玉や石笛をつくり替えて欲しいと頼まれることがあり、当然ながら二次加工すると斑部分を削りとるのでスマートで小型化される。
 
つまり糸魚川で粗加工された原石や剥片が、元屋敷遺跡に運ばれて二次加工されて完成品となり、それが美々遺跡に運ばれて三次加工されて、美々の縄文人の好みに合わせて斑の部分を削りとった結果、小型化・独特の形状となった?
 
この仮説はあくまでもヒスイ職人としての現場感覚によるものであって、考古学的な考察ではない。二次加工の痕跡も発見できないし、新たな証拠の発見も国指定遺跡という点もあってないだろう。
 
二次加工、三次加工の証拠はでないから、勾玉探偵のたわごととして埋もれるだろうねw