縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ムフフとほくそ笑む遮光器土偶・・・縄文晩期の燻し焼き

2023年12月07日 07時43分31秒 | 縄文
十日町市の縄文女子、春奈嬢からプレゼントされた、土偶植木鉢に植えた多肉植物が活着したみたいで、元気そうだ。
黒いのは縄文晩期に盛行した燻し焼きで炭化させているため。焼き上がった時の土偶はハニワ色だが、熱いうちに葉っぱなどに包むなどして炭化物を吸着させていたらしい。
 
色ムラが大きく、部分的に樹脂っぽい塊りが付着して何度もやり直していた燻し焼きは、近所の製材所でもらったオガクズで炭化させていたのだが、巨大な製材ノコギリの油分と水分が色ムラの原因ではないか?と思うところがあり、建築会社「匠」の渡辺大工さんのオガクズに変えたら、いとも簡単に均一な黒になってくれた。
 
懸案事項が解消したこともあり、休憩時にムフフとほくそ笑んでいる。
 
 

カワイイは遊び心から・・・遮光器土偶の植木鉢

2023年11月10日 07時08分17秒 | 縄文
遮光器土偶をつくる人は沢山いるが、多肉植物が大好きな春奈嬢は、頭頂部を凹ませて植木鉢にしている。
頭のない遮光器土偶・・・常人では思いつかない発想だw
凹んだところに土をいれて植木鉢に。水抜き孔もあいている。
これはこれで完成度はあるけどネ。笹山遺跡で焼いてあげた時はハニワ色だったが、プレゼントされたので改めてイブシ焼きで黒くした。ちなみに縄文晩期に流行るのがイブシ焼きで、焼成後の熱いうちに有機物で炭化物を吸着させて黒くする技法。
多肉植物を植えたらトロピカルな土偶になった~( ´艸`)
 
光沢があるのは釉薬をかけているのではなく、焼成直後で水洗いした状態で夕陽に当たっているからで、乾いたらいい感じになるだろう。
 
見た人を楽しくさせるホッコリ感と問答無用のカワイイは、縄文女子の面目躍如。遊び心のある人に技量があると、とんでもないモノができる。
 
 
 

縄文遺跡にながれる瞽女(ゴゼ)唄がシミジミいい!・・・笹山遺跡で土器野焼き

2023年11月06日 07時22分16秒 | 縄文
火焔型土器の本場、十日町市の笹山遺跡マルシェで土器の野焼きに出向いた。
 
地元に同好者がいないのが淋しい限りだが、十日町にはガチな縄文好きの春奈嬢ががんばっていて、縄文式発火法ができる市民がいないということもあり、指導がてらの共同野焼き。
コロナ禍のイベント自粛で疎遠になっていた友人たち、瞽女唄ユニットと懐かしの再会して、野焼きしながら懇談。
右が春奈嬢の野首遺跡出土の火焔型で、実測図をみながらつくったとのこと。ついでに縄文オカリナも焼いた。
ちなみに瞽女(ゴゼ)とは盲目の女性旅芸人のことで、とくに大地主制度だった越後に多く、県内では城下町の高田と長岡(見附市含む)が本場だった。昔ながらに瞽女さんが出店ブースを門付け(パフォーマンス)をして集客していたが、これはいいアイデア。BGMは子供たちが遊ぶ声だけというのもシミジミしてよかった。
哀愁をおびたなかに滑稽味のある瞽女唄は、意外と縄文遺跡と相性がよかったことに感銘をうけた。
 
大音響で会話もままならない音楽フェスとも違い、市民の手作り感が和やかなでほっこり雰囲気を醸し出し、野焼き見学にきた人たちが話しかけてくるので居心地がいい。
十日町市博物館の学芸員諸氏も家族連れで遊びにきていて、縄文談義をじっくりできたし、実際に土器つくりの経験も豊富なようだから話が尽きず、市民活動を見守る行政マンといった構図がいいではないか。
県内の縄文遺跡での市民活動は中越地方が盛んで、行政主導でなく市民サポーターがボトムアップで動いているところが素晴らしい。ヒトあってこそ地域振興。
 
 
 

縄文時代に戦争がなかったのは国家がなかったから・・・中川裕著「アイヌ文化で読み解くゴールデンカムイ」

2023年10月31日 07時51分42秒 | 縄文
「縄文時代は一万年以上も戦争がなかった平和な時代💛」・・・といった類いの日本スゲー的な解釈をきくと辟易する。
 
戦争がなかったのは国家という枠組みがなかったからで、現代的な解釈で縄文人を平和主義者みたいに論ずるのはちと違い、人としてごく自然に生きていたのではないだろうかとわたしは解説している。
 
人間社会だから争いもあったろうし、殺人痕のある人骨だって出土している。では争いがあった時はどのように解決していたのか?
アイヌ文化を紹介する本なら萱野茂さんの著作がおススメだけど、本書は「ゴールデンカムイ」を読んだ人へのアイヌ文化の入門書に最適
 
近代まで狩猟採集文化がのこっていた、アイヌの「チャランケ」のような問題解決法にヒントがありそうだ。チャランケを直訳すると談判である。
 
集落間で問題がおこると、エカシと呼ばれる人格に優れ、弁舌巧みな長老格が代表に選ばれ、お互いに相手が納得するまでとことん議論し合うのである。ここで大事なのは論破が目的ではないことだ。
 
故事来歴や花鳥風月、カムイユカラ(神々の叙事詩の唄)を元に、時に節をつけたりして理を諭し合うので、即興の歌合戦といった趣もある。
実に文明的な問題解決法ではないか。
 
たとえ相手が何時間も喋りつづけても、その間は黙って聞いていないといけないから忍耐強さもためされる。チャランケが何日もつづいても勝負がつかない時は、お互いに裸になって背中を制裁棒で打ちあい、どちらかが参ったするまで我慢して決着をつける。
 
制裁棒は「ゴールデンカムイ」にでてくるが、本書は民俗学や考古学の専門家が「ゴールデンカムイ」を元にアイヌ文化をわかりやすく解説している。
 
縄文文化=アイヌ文化ではないが、日本列島の狩猟採集民ということで共通していて、現代的な解釈で縄文を論じるより、うんと縄文の理解が深まるのではないだろうか。
 
買うならアマゾンじゃなく本屋で注文してちょうだい。便利さを追求してばかりいると、街の本屋がなくなっちゃうよう。
 
 
 

縄文のヒスイ勾玉は各地で二次加工、三次加工された説?!・・・千歳市「美々遺跡の勾玉」

2023年10月21日 11時05分37秒 | 縄文
千歳の美々遺跡出土のヒスイ装身具は、ヒスイ職人として勾玉探偵の好奇心をムクムクと刺激する。
「北海道埋蔵文化財センター」に展示されている美々遺跡の玉類。ここの展示室は1室しかないが非常に濃密な内容でおススメ。
 
例えば二つの紐孔がある勾玉の下部にコブ状の出っ張りがあるが、これはカタチにとらわれてはダメで、綺麗な部分を残したかった結果ではないか?わたしが異形勾玉を作る時の理由がそうなのだ。研磨も縄文時代の勾玉とは思えないほど丁寧で、まるで弥生中期の勾玉のようだ。
このオタマジャクシみたいな勾玉は底が平らで、そっくりな勾玉をつくったことがある。この時はもっと大型の勾玉製作中に節理が発達して頭部~尾部に斜めに割れてしまい、しかたなく裏側の割れ目を平面に成形して尾部の短い形状になった。もしやこの製作者も同じ理由から?
写真の左から二点目の垂飾(すいしょく・小型装身具)は、紐孔が穿孔途中の未成品だが、土壙墓(どこうぼ・墓穴)から出土しており、ヒスイそのものが副葬されていることに注目している。
 
美々遺跡と同時代で大量のヒスイ装身具が出土しているのは、新潟県村上市の元屋敷遺跡だ。
元屋敷遺跡出土の装身具類。研磨が美々遺跡の勾玉より粗く形状も素朴な印象。「朝日・縄文の里」の展示品
元屋敷遺跡の白眉が連珠。縄文時代を通じて140点をこえるヒスイ装身具が出土して、国内二番目の出土量だそう。学芸員さんに一番はどこ?と聞いたら知らないと言われたが、晩期の朝日山遺跡かな?
 
ちょっと後の晩期になって青森市の朝日山遺跡からも大量に出土しているが、この二つの遺跡の勾玉の形状とサイズ、研磨の度合いも似た印象。
 
そして斑(フ・白っぽい不純物)が混じっていることを厭わない点と、美々遺跡の勾玉より研磨が粗いという点も共通している。
 
その点は美々遺跡の勾玉はやや小型・斑を避けている・光沢がでるまで丁寧に研磨されている・形状も上記二つとは違う系譜のようで独自性を感じる。
 
そしてこれらから遺跡からはヒスイ加工の遺構が発見されていないが、ヒスイ加工遺跡と確認できるかの条件は以下の出土だ。
①原石
②未成品
③砥石
④加工時に発生するヒスイの剥片
しかしながら、①~④まで揃っている糸魚川の遺跡から完成品の出土が極端に少ないのは何故だ?なにがしかの禁忌も考えられるが・・・。
 
北海道旅の間にこれらのプロットの整合性を考えてきたが、運転しながらある仮説を閃いた。
 
糸魚川では原石の粗い加工と若干の勾玉つくりはしていたにしても、交易品として運ばれた先で二次加工、あるいは三次加工されていたのではないか?
 
ある程度は加工された勾玉や、剥片から装身具をつくるなら、糸魚川のように特殊な砥石(手取層群の砂岩)がなくとも、どこの遺跡からも大量に出土する石皿を砥石にすればいいのでは?磨製石器用の砥石でだってつくれると思う。
 
これだと未加工の原石や剥片(フレーク)が出土しなくても加工地であったとい説明はつく・・・のでは?
 
この仮説だと、元屋敷遺跡より美々遺跡の勾玉が小型で綺麗に研磨されているという部分に納得がいく。
 
実のところ、わたしは粗製の勾玉や石笛をつくり替えて欲しいと頼まれることがあり、当然ながら二次加工すると斑部分を削りとるのでスマートで小型化される。
 
つまり糸魚川で粗加工された原石や剥片が、元屋敷遺跡に運ばれて二次加工されて完成品となり、それが美々遺跡に運ばれて三次加工されて、美々の縄文人の好みに合わせて斑の部分を削りとった結果、小型化・独特の形状となった?
 
この仮説はあくまでもヒスイ職人としての現場感覚によるものであって、考古学的な考察ではない。二次加工の痕跡も発見できないし、新たな証拠の発見も国指定遺跡という点もあってないだろう。
 
二次加工、三次加工の証拠はでないから、勾玉探偵のたわごととして埋もれるだろうねw
 
 
 
 

博物館の目玉がミュージアムショップなワタシ・・・縄文グッズさまざま

2023年10月20日 07時56分28秒 | 縄文
博物館にはいったら最初にミュージアムショップを物色するワタシ。
環状列石のマグカップの蓋はウケたけど1,540円は高いぞw
「縄文ファンの皆様に大好評♪」とある遮光器土偶メガネが2,420円もちと高く、これなら自分でつくる( ´艸`)
で買ったのが、遮光器土偶・板状土偶・笑う岩偶の起き上がりこぼし各660円也。デフォルメされたデザインと民具を組み合わせた発想に座布団いちまい!縄文仲間の土産用に納得の値段。やはり遮光器土偶がいちばん売れているそう。
キーホルダーは遮光器土偶そのままのデザインに面白味が感じられなく、わたしの趣味ではなかった。申し訳ない。
 
 
浅間縄文ミュージアムなどは、関係者がつくったかわいい土偶を安く販売していて、同好者へのリスペクトもあって買ってしまうのだけど、値ごろ感とは共感のことですな。
 
 
 

先生とセンセーの間には・・・長者ヶ原遺跡で音遊び

2023年09月19日 07時04分35秒 | 縄文
長者ヶ原遺跡の縄文体験会で音遊びの講師を頼まれて、山田センセー(先生と漢字表記できる手前)を囲んでワラシたちが座った。
最初の質問が「縄文時代はどうやって座ってたの?」と鋭いモノ。ムムムお主やるな!
 
「合掌土偶」と「しゃがむ土偶」は体育座りしているし、乳児を抱っこして横座りした「子抱き土偶」なんてのもあるから、体育座りと横座りはあったらしい。
 
もちろんアグラもあったと思うけど、なんと「子抱き土偶」は高校生が見つけたのだぞ!君たちもチャンスがある!と話題をズラシて逃げるところがセンセーたる由縁( ´艸`)
縄文遊びにも色々ありましてぇ・・・こんな遊びもやってたと思う。
 
音遊び体験会が終わるころには、アンパンマンみたいな頭だねー!触らせて~!ショリショリして気持ちいい!ワタシも撫でた~い!結婚してるの?子供はいるの?と、体によじ登ってきたり組ついてきたり・・・オマンらおじおちゃんはボクシングと古武術をしてきたツヨイひとなのだぞ!と脅しても容赦なし!
山田センセーの遊具利用はオプション料金をちょうだい(´;ω;`)
 
中学生以上が相手ならシショー(師匠と漢字表記できる手前)と呼ばれるのだが、師匠とシショー、先生とセンセーの間には深くて越えられない溝があるw
 
 
 

答えはあなたのなかにある!・・・石皿と竪穴住居の屋根の謎

2023年08月31日 08時11分39秒 | 縄文
長者ヶ原遺跡で石皿でコーヒー豆を擂り潰してもらう「縄文コーヒー」は、木の実をコーヒー豆に置き換えた縄文体験。
出土品の石皿は縦長の溝状にすり減らしてあるので手の運動方向は縦方向と思われ、わたしは摺り石を前後動に転がしてコーヒー豆粗く潰してから、前後方向に動かして粉砕している。
ところが体験者の多くは石皿の溝の方向とは無関係に、手にもった摺り石をこねくりまわす回転運動で粉砕するではないか・・・ムムム。
 
正解は縄文人しか知らないので好きにさせているが、個人的に回転方向は作業効率は悪いとは思うけどw。
2年ほど前に体験学習棟と向い合せの木陰に高床式のテラスができて以来、みなさんここで寛ぎたがるようになった。
本当は近代建築の黄色い体験学習棟のほうが風通しがよくて涼しいのだが、木陰と高床のテラスの方が魅力的なようだ。
 
確かにここで車座になって食事したりコーヒーを飲んだりすると、東南アジアの民家に招かれた時の感覚が蘇る。
 
最近は竪穴住居の屋根は茅葺ではなく、壁と屋根は土で覆っていたとする説が有力になってきた。しかしそれでは風通しが悪すぎるから、夏はツリーハウスに住んでいたのでは?という説も昔からあった。もちろん地域性や時代によっても多様性はあったと思う。
 
ちなみに戦前の樺太アイヌには、冬は土で覆われたトイチセ(土の家)で過ごし、夏は樹皮で壁と屋根を葺いたサㇵチセ(夏の家)で過ごす民俗例はある。
 
これも正解は縄文人しか知らない。だから高床式のテラスで過ごしてもらって、各自が感じてもらう。
 
わたしは何か質問されても「です・ます」と断言することに慎重ないのはこのためで、考古学の知見と民俗例、それに自分の体験談を紹介して、「であるからして、わたしはこう思う」と答えるにとどめている。
 
あなたはどう感じますか?そうです、答えはあなたの中にあるのです!これはブルース・リー先生から学んだわたしの流儀w
 
 
 
 

 


超簡単な縄文土器料理の作り方・・・長者ヶ原遺跡で縄文体験会

2023年08月29日 07時32分11秒 | 縄文
縄文鍋は調味料なしで、素材のうまみを引き出す!
なにより最初に土器に水を満たしておくのが私流。使用時は20年ほど前につくった5,000年前の多摩丘陵の遺跡から出土した勝坂式土器の複製。
 
①コーヒーのペーパードリップと同じ理由で、土器に水を満たして10分ほど吸水させておく。
②その間に焚火をおこし、吸水した土器の三分目くらいまで水をいれて干しシイタケとジャコで出汁をとっておく
土器を熾火で囲こむ前の状態。炭上になった薪を土器に寄せていく。
 
③土器に水と具材をいて、周りを熾火で囲んで20分もすれば沸騰するので弱火に
④10分ほどコトコト煮込んで完成!不安定な土器なので100均で買った植木鉢スタンドで転倒防止。次回は耐火煉瓦の上に乗せようとおもう。
わたしは民俗例から具材は保存の意味から乾物も多用していたと考えているが、乾物はいい出汁がでるメリットがあり、薄味なのに濃厚な味わいとお代わりする人もいて、これは縄文土器料理歴20年の研究成果w
今回は箸休めに干物のホタルイカ・エビ・アンコウの肝を軽く炙ったら、こちらも好評。購入先は伝兵衛水産!
 
ちなみに10人前の縄文料理で総額5,000円ほどの経費。使用燃料は用意した野菜コンテナ一杯分の薪が半分ちかく余った。製作時間は焚火開始から1時間弱。
 
ある縄文イベントでコーディネーターを頼まれて、本物志向でなくても、子供に貫頭衣を着せて豚汁を食わせ、誰でもできるマイキリ式発火法をさせれば充分では?と言われたことがある。なんどでも書くが、原始技術研究家の関根秀樹先生の研究によるとマイキリ式発火法は200年ほど前に発明されたらしいので、縄文遺跡の体験会には相応しくない。
 
わたしは内実のないことはしたくないので、子供だましの縄文イベントなら出る幕はないので降りますと言ったら慰留されてコトなきを得たが、子供相手だからと疑似体験でお茶を濁しては学びにならないと思う。
 
子供だからこそ誠実に本物を体験させたいのですわ。たとえ不評だったり失敗しても成果として評価して次に繋げればいい。
 
それにしても縄文とは名ばかりの縄文イベントに呼ばれると居場所がなくて困る。孤独だw
 
 
 

縄文人はなにを食ってた?・・・長者ヶ原遺跡で縄文鍋

2023年08月24日 07時02分54秒 | 縄文
縄文ツアーのガイドをするので、ギャラリーに土器コーナーと石器コーナーをつくった。
今回の縄文鍋の食材は、暑さ対策もあって乾物と缶詰めが中心で、生ものはナメコだけ。
タケノコ類は根曲がり竹のような細いタイプなら縄文時代にあったらしい。ちなみに真竹は奈良時代、孟宗竹は江戸時代などが本州に入ってきた。魚貝類や動物の肉は新鮮な時には焼いたり煮たりしてくっただろうが、大部分は燻製や干物にして食っていたと思う。戦後に南方のジャングルに潜んでいた日本兵の手記には、そんな苦労が書かれている。
 
縄文時代の製塩は晩期からだし貴重品であったと思われ、長者ヶ原遺跡の最盛期の前期~中期の塩分は食材由来の薄味ではなかっただろうか。
 
干し椎茸とナメコ、イリコと貝柱などをうまみ成分にして、味わってもらった後に各自が塩や醤油で好みの味にしてもらうのが私流の縄文鍋。
手のひらサイズの完形土器は、亡くなった好事家のコレクションが捨てられそうになっていた現場に居合わせて救出した本物で、専門家に観てもらったら青森の十腰内式ではなかろうか?とのこと。もったいないねぇ。
実用品にしては小さすぎるので、祭壇用の土器ではないかな?