縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

今年最後のお客さんはペコちゃん・・・はじめての勾玉とイヤリング

2021年12月30日 08時39分17秒 | ぬなかわヒスイ工房

はじめての勾玉、はじめてのイヤリングを身につけて得意満面の女子。

彼女は照れると、舌を右上唇のほうに出す不二家のペコちゃんポーズを自然にとるのだが、ことによるとペコちゃんにはモデルがいるのかな。
 
なにをやっても「かわいい!」って言ってもらえる人生で最も幸せな時代は、私には遠い彼方。
 
今年最後のお客さんは、大人になってもヒスイのおぢちゃんのことを覚えていてくれるだろうか、と感傷的になる年の瀬。よいお年を。
 
 
 

 


誰でもできるヒスイの簡易鑑定法・・・ヒスイの比重の測り方

2021年12月27日 08時20分16秒 | ヒスイ

誰でもできるヒスイの簡易鑑定法をご紹介。

個展に考古学者が訪ねてきてくれてヒスイ談義を楽しんだが、他県の学芸員さんからもよく質問される「出土品がヒスイかどうかの見分け法」を聞かれた。
糸魚川に来るヒスイ好きなら誰でも寄ったことがあるだろう姫川沿いの「坪井ヒスイ加工販売」さんは、硬玉ヒスイとして流通しそうな綺麗な原石をアルビタイトとして売っていた。
 
縄文~古墳時代までの装身具に使用された石材で、比重が3を超えるものはヒスイ以外には見当たらないので、比重測定をして3・2~3・4の範囲であれば「硬玉ヒスイ」に間違いない、が私の見解。
 
専門機関に鑑定を頼むとお金がかかるし、都道府県の埋蔵文化財センターで蛍光エックス線分析できるにしても硬玉ヒスイのチャート(成分表)を持っていないと比較できす、ガラスとあまり違わない成分結果しか出てこないらしいから、デジタル精密はかりさえあれば誰でもできる比重測定がおススメ。
 
しかし比重が3・2未満の近実値であればどうなのか?その判断基準は明確ではないので、比重が3をきるロディン岩やアルビタイトも「ヒスイ輝石岩の端っこの部分」として流通したりするし、いちいち比重を測って売っている訳でもなく、判断基準は目視鑑定が普通なのですね。
 
私の場合はヒスイかどうか疑わしい石材は、ホームセンター購入の0.1g単位で測定できる安いデジタルはかりで比重を測定して、比重が3.2未満の場合はヒスイではない可能性がある旨を明記しているが、年末に自分へのご褒美として0.01g単位で600gまで測定できる精密デジタルはかりを購入した。価格はホームセンター品の10倍以上もする32,000円!それでも専門機関が使っているデジタル精密はかりよりは精度も価格も低いヨ。
 
折よく「坪井ヒスイ加工販売」さんを訪ねたら、白地に鮮やかな黄緑がはいった綺麗な原石をアルビタイトとして売っていた。ヒスイとして売る人もいるだろうに、「これをヒスイとして売ったら信用問題になる」という正直者!
 
そこでさっそくアルビタイトを借りて、新兵器のデジタル精密はかりで比重を計測させてもらった。以下がその方法。
①細い針金で巻いた重量が112.7g。針金は②の工程で水中に吊るした重量を測るために必要になる。
②水を容れた容器の重量を風袋0gとして、原石を針金で吊るして水に浮かべた状態の重量が38.38g
 
③112.77g÷38.38g=2.94が比重だから、硬玉ヒスイの比重3.2~3.4より足りず、坪井さんの硬玉ヒスイか否かの「自主基準」は厳しいのだが、計測したアルビタイト原石の中にヒスイの結晶が目視できるので、ヒスイとして扱うかアルビタイトとして扱うかは、人によるということですネ。
 
ちなみにアルビタイトを研磨すると、白い部分がアルミのような金属っぽい光沢になり、ロディン岩は碁石のようなマットな光沢、ヒスイだとしっとりした上品な光沢となるし、それ以前に切断時のブレードの刃当たり具合がまるで違う。
 
比重測定をしたい方は、0.1g単位で測定できる2,000円代のデジタルはかりで遊んでみてちょうだい。ヒスイを水中に吊るすのは軽くて水を吸わない素材ならなんでもよく、細い針金の他にテグスでも可。
 
 

ヒスイの神様がやってきた!・・・大首飾り令和の大改修

2021年12月24日 09時18分26秒 | ぬなかわヒスイ工房

俳優の斎藤晴彦さんだったか不破万作さんだかが、「芝居の神様っているのよ。どんな客が入らない芝居だって、くさらずに一生懸命やってると芝居の神様がちゃんと見ていて、ある日突然、客が入り出すんだ。」と、高校の頃に観たTV番組「今夜は最高!」でタモリさんに言って、「でた~、アングラ役者の苦労話!」と、いじられていたのを覚えている。

ヒスイ加工も同じで、集中し続けていたら神様がやってきたと実感することがある。

「大首飾り令和の大改修」は玉類243点をPEラインから絹糸で繋ぎ直し、あとは装飾用の絹紐を取り付けるだけ。実質2週間ほどかかった。
 
「平成の大首飾り」の時は実物と同じ太い結束用の絹糸の他に、装飾用の直径1㎜の三つ撚り絹紐が見つからず、八つ撚りの江戸組紐で代替したことがずっと心残りだった。専門業者に問合せしたら、絹の三つ撚り紐はどこも作っていないと言われたが・・・。
直径0.4㎜の絹紐は、京都の「西陣の絹糸屋」さんで見つけることができた。左が絹糸で右が「平成の大首飾り」で使ったPEラインで、撚りの緻密さと光沢が段違いに美しく、結束の時にきゅっと締まる感じもいい。
 
それでもあきらめきれず、タイムリミットぎりぎりまで粘っていたら、なんと検索トップに三つ撚りの絹紐の画像がでているではないか!
 
三つ撚りの絹紐を売っていたのは「パーツビレッジ ハーテン」さんで、なんと上京のたびにパーツの買い出しに行く浅草橋の店舗だった。
 
3年越しで探し物が見つかったことが嬉しくて電話で興奮気味に詳細を確認していたのだが、商品に「お手伝いできてうれしいです!」とかわいらしい女文字のメッセージが添えられていた。美人に違いない!来年11月の個展で上京する時は、お礼参りしようではないか(笑)
左が「パーツビレッジ ハーテン」の絹紐。右が「平成の大首飾り」の時の飾り紐に使った八つ撚りの伊賀組紐で、連結用のPEラインともども交換前。三つ撚り絹紐をつかった実物の飾り紐はふんわりと柔らかい印象があるが、伊賀組紐はみっちり堅くて重い印象だったのが心残りだったのだ。取り寄せた三つ撚り絹紐は、寸法と風合いとも実物とよく似ている。
 
ぜんぶ組み上がったので、これより立てて飾っても結束が抜けないかの実証実験開始。
 
きっちり堅く結べたので抜ける恐れはないとは思うが、期限の限度までは経過観察して、大丈夫なら飾り紐をつけて完成、そして納品だ。
 
大首飾りプロジェクトのお陰で、異分野の青碧玉・赤メノウ・水晶といった玉類、絹糸と絹紐に詳しくなったので、仕事は学びなのだと実感する。これで責任は果たせたし、心残りはなくなったので緊張の日々から解放された。近所の温泉にでも入ってゆっくり休もう。
 
 
 

 


この感じ、異界探訪ですな・・・大首飾り令和の大改修

2021年12月22日 07時50分48秒 | ぬなかわヒスイ工房

「大首飾り令和の大改修」は、PEラインを絹糸に交換する段階に入って3日経過。

右下の空いた部分は資材や図面を置くスペース。

新しく作り直したロディン岩勾玉は、エイジング加工で角閃石部分が削れてくれていい感じだ。
左側のくろっぽい勾玉が「平成の大首飾り」の時に作った蛇紋岩製で、右側の白っぽい勾玉がロディン岩製。作りも作ったり勾玉24点、管玉2点。
 
玉類243点はすべて実測図通りに作ってナンバリングされているので、順番や勾玉の向きが違ったら取り返しのつかないことになるから、集中が途切れてきそうになるたびに掃除をしたり、コーヒーブレーク。
作業台は、ばらした玉類が転がり落ちないように縁を付け、完成後にそのまま縦に飾っても結束が抜けないかの実証実験用のデイスプレイに使え、かつ狭い工房で身動きできるサイズで自作した。
今日が何日なのかも関係なく、異界探訪している感じがする。あと二日はこの緊張が続くが、このヒリヒリする感じがたまらない。
 
 
 
 

古墳時代の先輩とつながる・・・天津神社境内遺跡出土の三種の神器

2021年12月20日 07時42分09秒 | ぬなかわヒスイ工房

11月に都内で開催された個展で、目玉として三種の神器を出品して評判がよかったのですが・・・。

昨夜読んだ「糸魚川市史」に古墳時代の「天津神社境内遺跡」から、滑石製ではあるものの三種の神器が出土したとあり、フハ~ッとなった。フハ~ッとは水木しげる漫画で多用される感嘆詞だ。

大正時代の発掘とのことで残念ながら出土品は行方不明らしいが、剣は孔をあけた細長い逆三角形とあるからまったく同じ。
ただ他は勾玉と扁平な鏡の形ではなく、臼玉とやや扁平なソロバン玉であり、恐らくは壁から下げて祭祀をした後に境内に埋納したのであろう、とある。このことが根拠になって天津神社は古墳時代から祭祀の場であったと推測されているのですネ。
 
天津神社(奴奈川神社)から最も近い古墳時代の玉作り遺跡が、ぬなかわヒスイ工房の真下にある笛吹田遺跡だから、ことによると1,500年の時を経て、同じ場所で同じ発想のモノを作ったのだとしたら面白い。
天皇家の三種の神器の初出典はずっと後年の古事記からだし、古事記研究家の三浦祐之先生によると、記紀には八咫鏡と八尺瓊勾玉の由来が書かれておらず、草薙の剣の由来しか書かれていないので、当初は二種の神器であたものが、古事記編纂期に草薙の剣を加えて三種の神器となったのであろうとしている。
そんな訳で天津神社から出土した三種の神器は、天皇家の三種の神器とは直接的には無関係デス・・・残念ながら( ´艸`)
 
誰にも本当のことはわからんが、歴史を学校で教える上から下に流れる年表方式ではなく、下から上に積み上げる地層方式で基層文化として捉えている私は、同じ場所で同じ仕事をしているのだから、同じモノを作ってなんの不思議もないと理解している。
 
そう思えばこそ、過去の人の営みが身近に感じるのだ。
 
 

 


特攻の真実に声を挙げる元特攻兵たち・・・「不死身の特攻兵」と「奇跡の中攻隊」

2021年12月18日 10時15分27秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「必ず死んでこいと」いう命令に9度も背き、終戦まで生き延びた陸軍航空兵の記録「不死身の特攻兵」がベストセラーになったことは記憶に新しい。
ところが海軍の爆撃機乗りにも、似た経験をした人がいたことを最近になって知った。
 
「奇跡の中攻隊」の著者、東秋夫さんは「不死身の特攻兵」と同じく、自分の技量があれば1度の特攻で死ぬより何度も出撃したほうが戦果は高く、無駄死には避けるべきと考え、度重なる特攻命令から還ってきた。
 
もちろん生還するたびに上官から暴言・暴力を受け続け、日本に残した家族も国賊になると威され続けた。
 
東さんに「死んでこい」「戦果がなくても死ぬことに意味があるのだ」と特攻を強要し続けたのは、ラバウル航空隊の飛行長として様々な戦記にも登場する中島正中佐。
 
250キロ爆弾を抱いた飛行機で軍艦に突っ込んでも、上部構造は破壊できても撃沈させることは敵艦の誘爆でもなければ不可能ということは軍事常識だった。装甲の厚い軍艦を沈没させるには、海面下の船腹を狙った魚雷攻撃ということは日清・日露のころから太平洋戦争まで変わらない作戦。
 
またマリアナ海戦くらいになると米艦隊は対空レーダーを装備していたので、日本軍機の襲撃に対し、倍の兵力で迎撃態勢をとっていたし、運よく迎撃機を振り切っても命中精度のたかいレーダー管制された対空砲火と近接するだけで炸裂する砲弾(VT信管)が待ち受けており、よほどの僥倖がなければ特攻機は米艦隊に辿りつけないと日本軍の上層部やベテラン搭乗員は知っていた。
 
フィリピン沖海戦では特攻兵に対して、「45から60度の角度で目標に突っ込め」と指導する中島に、ベテラン搭乗員が「それだと降下速度は400ノット(時速760キロ)を超えて、零戦は操縦不能になるか空中分解します。」と意見具申したが、中島はここでも「死ぬことに意味があるのだ」と平然と答えたそうだ。
 
多くの若者に特攻を強要し続けた中島は終戦まで生きのび、特攻兵の遺族をまわって遺書を集めて隠蔽し、特攻は強要ではなく志願であり、兵隊は我先にと喜んで志願してくるので選抜に困ったほどである」とした回顧録「神風特別攻撃隊の記録」を出版し、ベストセラーになっている。
 
その中島は、戦後に自民党国会議員として警察予備隊(自衛隊の前身)の創設に尽力していた元上官の源田実から、航空自衛隊の空将補に抜擢され、ここでも「死ね。死ぬことに意味があるのだ。」と訓示していたそうだが、中島の死後くらいだろうか、防衛省の倉庫から特攻兵の遺書が発見されて、関係者の証言もあり中島が特攻の実態を隠蔽工作していたことが判明した。
 
戦争の実態を封印して責任回避に躍起になっていた元指導者たちに対し、老齢となったの元特攻兵たちが「無謀な作戦で死んだ戦友のために・二度と繰り返してはいけない」と、現場の真実を語りはじめたのが2,000年前後くらいだろうか。「奇跡の中攻隊」の東さんもその一人。
 
インパールの牟田口中将、ノモンハンやガダルカナルの辻参などなど、無謀な作戦で部下に死を強要し続けた「死神」は死なないし、反省も責任もとらず、自己弁護するのが旧日本軍。
 
そういえば東京裁判から海外に逃亡していた辻参謀も、裁判終了後に帰国してからは自分の作戦を弁護する戦争回顧録を出版してベストセラーとなり、自民党の国会議員になっている。
 
 
 

ロディン岩の勾玉が完成・・・令和の大首飾りプロジェクト

2021年12月16日 08時13分44秒 | ぬなかわヒスイ工房

滑石の代替品のロディン岩の勾玉24点と管玉2点が完成して、バレル研磨機にひと晩放り込んでおいたらいい感じにエイジング加工できた。

セラミックのメディアと水、研磨剤を加えて振動(または回転)させることで加工品を研磨するのがバレル研磨機。一般的にはピカピカに研磨するために使うが、私の場合は主に艶消しに使っている。
 
「大首飾り」の滑石製品は油を塗ったような質感を持つくすんだ灰緑色と飴色の二種類だが、代替品のロディン岩はマットな白なのが問題。
そこで絹紐を通す紐孔内部は未処理のまま表面だけ着色する難題に、半乾性油のゴマ油を塗布して数日間は温風ヒーターに当てて乾かし、ふき取ってから乾性油の亜麻仁油を塗って再度温風ヒーターの風に当てる作戦。
左から3個までは温風ヒーターにあてて3日目で、初日の右側2個に比べて黄ばみが増している。
 
やらないよりはやった方がいいというレベルだろうが、酸化がすすめば少しは黄ばみが増すことを期待して、今週中はヒーターの熱風にあてておき、少しでも酸化させて黄ばみを強調したい。
 
来週から大首飾りに繋いで、立てて飾っても絹糸が抜けないか実証実験のスタート。
 
本当なら希硫酸にでも漬け込んでから油を塗り、太陽光に1か月も暴露させればいいのかも知れないが、与えられた条件内でベストを尽くすのが職人。
 
 
 

 


小論文「滑石製レッドキング勾玉の成因についての考察」

2021年12月13日 06時59分01秒 | ぬなかわヒスイ工房

小論文「滑石製レッドキング勾玉の成因についての考察」

「大首飾り」に含まれる滑石製勾玉24点のうち、頭頂部が「どくろ怪獣レッドキング」の頭骨形状に酷似した数点がみられることに若干の考察を試みたい。
頭部が三角状にテーパーとなった滑石製レッドキング勾玉。「大首飾り」実測図より
 
 
他に「キューピーちゃん」「ビリケン」などに類似がみられるが、いずれにせよ古墳時代にこれらの出土がみられないことから、往古の職人のサブカル好みやウケ狙いである蓋然性は低く、なんらかの製作過程による成因があると考えてよい。
どくろ怪獣レッドキング
 
レッドキング勾玉を観察すると、紐孔を片側穿孔をした際に生じる「せん断応力」により、穿孔開始の裏側の勾玉表面に著しい欠損が看てとれる。同様な欠損は「堅い」ヒスイ勾玉では看られず、「硬いが脆い」石英系の勾玉にも散見されるが、特に脆弱な素材である滑石製勾玉に著しい。
キューピーちゃん
 
職人の立場から推察すると、紐孔の貫通直前に裏側になった部分が大きく欠損した勾玉に「あら~っ!」と悲嘆した職人が、転んでもただでは起きぬと欠損部を目立たなく削り直した結果、頭部が三角状テ-パーになった「レッドキング勾玉」となったと考えられる。
ビリケンさん
 
前述の通り同様な欠損は石英系の勾玉製作過程にもあったが、滑石ほど顕著ではなく、また硬いので修正加工が容易ではないので、多少の修正も含めた仕上げ研磨をして「勾玉てぇものはこんなもんですよ」と許容範囲とした(笑)
 
そこでレッドキング勾玉を納品された権力者が「なんかこれ尖がってね?」と疑問を呈したが、職人が「大将、これが新しいのっ!ねっ!首にかけてごらんなさい・・・うわぁお似合いですなぁ、どうするどうする!この後家殺しっ!音羽屋ぁ~っ!」と必死に褒めたたえて納品に至ったといった光景は、想像に難くないのである。以上
 
 

 


海王丸がカメオ出演!・・・富山県民必見の映画「八十日間世界一周」

2021年12月11日 08時57分53秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

郷土愛あふれる富山の人、帆船好きの人にオススメしたいのが、映画「八十日間世界一周」

テーマ曲は「兼高かおる世界の旅」をはじめとして旅行番組のBGMにつかわれているので、曲名は知らなくても誰でも聴いたことがあるはず。
 
久しぶりに観たら、主人公たちが横浜港からサンフランシスコに向かう時に乗船する4本マストの大型帆船に「おっ、これほどでかい帆船は滅多にないぞ!」と見入ったら、商船大学の練習帆船だった初代「海王丸」ということに気が付いた。
 
マストにアメリカ国旗がひるがえっているものの、黄色い唐草模様の船首飾りに加え、ちらりと左舷側の船首に王と丸の漢字がみえたので間違いない。
 
この映画はテーマ曲をはじめにアカデミー賞を5部門で受賞しているが、フランク・シナトラをはじめとしたハリウッドスターが多数出演しているこの映画から、有名人が端役で出演する「カメオ出演」という言葉ができた。
 
その映画史に残る名作に、射水市の「海王丸パーク」で保存されている旧海王丸がカメオ出演しているのですぞ(笑)
 
現在は岩壁に係留されている海王丸が、太平洋を総帆あげて走る姿はめったに見られるものではなく、実に壮観。
 
二代目の海王丸は船首から船尾まで平らな「全通甲板」を持ち機能的ではあるが、初代はフライングブリッジなどの構造物で甲板が凸凹しており、いかにも帆船という姿をした歴史遺産。
 
ちなみに主人公たちが寄港したのは横浜のはずなのに、鎌倉の大仏と鶴岡八幡宮もカメオ出演している( ´艸`)
 
子供からお年寄りまで家族みんなで観ても楽しい超娯楽大作。こんな映画もいまはないですな。

 


滑石の代替品はロディン岩に決定!・・・令和の大首飾り製作プロジェクト

2021年12月10日 07時55分05秒 | ぬなかわヒスイ工房

幕末の蝦夷地探検家、明治の好事家だった松浦武四郎の遺物「大首飾り」は、武四郎が蒐集した玉類243点をつないだ首飾り。

その複製品の製作を「松浦武四郎記念」依頼されて頭を抱えたのが、現在では入手困難な赤メノウの勾玉と、経年で壊れかけた滑石の勾玉26点をどうするのかという点だった。
 
赤メノウは古い文献を頼りに外国産を自分で染めることに成功して、滑石は壊れやすいので同じ蛇紋岩系の蛇紋岩を代替品としたがを使うことにしたら、全体が黒っぽい印象になったことが不満だった。
 
そこで令和の大改修では蛇紋岩の勾玉24点と管玉2点を、もっと明るい色相の石灰岩かロディン岩のどちらかに交換することにした。
 
石灰岩はヒスイ拾い初心者がヒスイと勘違いしやすい白い石で、セメントの原料になる。またロディン岩もヒスイ職人でも「マットな質感のヒスイ」として売る人もいるくらいに、ヒスイと間違えられやすい石材。
 
加工した時の印象はヒスイより蛇紋岩に近く、内部が透けてみえるようなヒスイの光沢とはちがい光沢が出ても表面的だから、あやしかったら比重測定をして確認をしている。
 
仕事熱心で誠実なヒスイ業者なら別物と分類しております、ハイ( ´艸`)
 
もっとも滑石とロディン岩はヒスイと同じく、地中奥深くから蛇紋岩に包まれて地表にあがってくるし、ロディン岩にもヒスイ輝石が含まれていることもあるので親戚みたいなもんだが、令和の大改修では滑石の代替品をどうするか?
これは石灰岩。直前まで実物の色合いに似た石灰岩を使おうと思っていたのだが、試みに研磨したら貝の化石が出てきたり、色味は茶系だしクラックが多すぎてあかんかった。
そこでロディン岩が再浮上した。勾玉に成形してバレル研磨機でエイジング加工したらいい感じ。きちんと実測図通りに作っておりますヨ。
実測図にもとづいて作っているので、製作ナンバーの順に木綿紐でつないでバレル研磨機で表面を荒らしてエイジング加工。
 
これを2年前の「平成の大首飾り」製作時に創意工夫して開発した触媒法で飴色に変色させることができたら文句ないのだが、今回はタンパク質の絹糸で繋ぐので慎重になっている。
 
2年前と同じ「寝ても覚めても大首飾り状態」になってきた。好きですなこんな感じ。