縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

漆器洗いのボランティア募集!・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年12月31日 08時24分37秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
漆器洗いボランティア募集!
 
内容;漆器の汚れ落としと乾拭き
場所;山田の家の台所(自宅に持ち帰っての作業も可)
日時;1月中旬までなら随時
性別年齢;不問
報酬;極楽行き
 
80膳分もあった輪島市のK家の最後の二箱を回収してきました。大量の漆器がこんなに早く売れるとは思っていなかったKさんは、汚れ落としをしていなかったのですw
 
やってみると楽しい作業ですので、在宅ボランティアしてみませんか!興味あるひとはコメントか連絡ちょうだい。
 
 

希望と憂鬱がいりまじった震災1周年をむかえる被災者の現実・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年12月30日 11時25分45秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
よく利用していたコンビニが9月の豪雨災害で閉店して、泥だらけゴミだらけになっては再建は無理かなと思っていたら、何事もなかったかのように復活していて目を疑った。
10月はじめは泥だらけで休業していたのだが・・・
11月後半に復旧したとのこと。オーナーの自宅とお母さんの家も二重被災したと聞くので、お見舞いがてら「寄りそう正月モチ」を贈った。
輪島のあとに珠洲市へ。「いろは書店」さんにモチを持っていったら、わたしが面白いと推薦した「能登怪異譚」が並べられていて、売れてますとのこと。元はいとえば糸魚川の「ブックス・サカイ」のw主任の選書ですぞ。
能登町宇出津で、2月から地元民無料で入浴させていた「湊湯」にもモチを贈る。腰を曲げて薪で風呂を焚いていた高齢のご主人が「雑煮が食えるとは思わんかったわいね!」と、翁面のような顔で相好をくずした。
 
奥能登から南下して、すっかり暗くなってから能登島に寄ったら、震災以降ずっと閉店していたダイビングショップ「ドルフィン・スマイル」にイルミネーションが点いていて、ご無沙汰していたオーナーのアンさんに最後に残ったモチ一袋を渡して帰ってきた。
 
外来のボランティアの目からは能登に日常がもどりつつあるように見えても、おめでとうございますとは言えない。被災した事業者たちにとっては貯蓄を取り崩したり、借金をして収入源を復旧したに過ぎず、自宅再建の現実が立ちはだかっているのだ。
 
能登での活動を終えて帰宅してから、張りつめていた気が緩んでほぼ4日間寝込んだが、疲れだけなら休息すれば日常はもどる。
 
しかし家と仕事を失った被災者の非日常が、向こう数十年間は続くであろう現実を前にすると暗澹たる思いがする。
 
夏までは次々とやってきていたNPOボランティア団体も、秋には来なくなり、近くの仮設住宅で炊き出しの案内もなく、蚊帳の外にいるのが自主避難している被災者。
珠洲市でビニールハウスに自主避難している米農家の9人家族のHさんは、損壊した農機具の見積もりをとって営農再開への意欲をみせていた。
 
ところが震災から1年経とうとする現時点で、個人の努力ではいかんともしがたい水源の復旧工事が計画されてないとあっては、離農して珠洲市をはなれる選択肢が現実味を帯びている。農業委員会や珠洲市農政課は動いているのだろうか?
 
震災で営農できなくなった農家の苦境を置き去りにして、なにをもって過疎対策というのか?そもそも珠洲市に原発を誘致しようとしたのは、過疎対策ではなかったか?
 
珠洲市の原発推進派と反対派の震災後のレポートがラジオから流れていた。推進派だった自民党市議の口は重いが、誤った政策だったと認めてはいるようだ。
 
一方で、原発ができていれば復旧ははやかったハズという推進派もいたが、同じく過疎対策で建設された志賀町の過疎化は相変わらず右肩下がりということや、フクシマの現実を無視しているようだ。
 
国会質疑で山本太郎議員が「なんで自衛隊を派遣しないんですか!」と語気鋭く質問していたが、ごもっとも。
 
わたしができるのは漆器を代行販売してお金を渡し、「寄りそう正月モチ」を贈ることくらい。
 
寄りそう仲間を増やしていくことくらい。
 
支援物資を持っていきましたぁ!みなさん喜んでましたぁ!と、SNSで自画自賛するボランティアもいるが、わたしはそんな気にはなれないネ。
 

漆器を売ってお渡しできた義援金620万円、集まった浄財170万円・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年12月28日 06時57分48秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
「寄りそう正月モチ」と漆器の売上金をお渡しをして能登から帰宅。一夜明けたら、真っ白に燃え尽きてたw
「あしたのジョー」の有名な最終回の「真っ白に燃え尽きた」場面だけど・・・
芥川賞作家の開高健が従軍記者としてベトナム戦争に行き、ベトコンに待ち伏せされて200名いた部隊のうちの17名生き残った時の「生き残った・・・」写真の方が近い感じ。
約10ケ月かかって漆器を売って渡せた義援金は620万円!・・・写真は都内の「ホピショップ」の展示販売会で売り子のボランティアをしてくれたワハハ本舗の佐藤正宏さん
 
募金を呼び掛けた訳でもないのに集まった浄財が170万円!
 
チャリティイベントでお金をあつめてくれた友人もいたし、20年ちかくも音信不通だった昔の整体仲間が噂をききつけて多額の寄付をしてくれたりもあった。
その浄財で水害で二重被災した地域を厳選して「寄りそう正月モチ」を贈ることにした。現地の実情にあわせた支援の在り方の相談にのってくれたのは、門前町浦上の仮設住宅をとりまとめる公民館の喜田館長。高校の校長をしていただけあって見識深く公明正大な方。モチにはメッセージを添付してもらった。
こちらはちかくの七浦公民館の掲示板。どこの公民館も事前告知が行き届いていて、「モチはまだか?」と仮設住宅の住民が待ち構えていたのでたじろぐ。
浦上仮設住宅は公民館の前にあるので各自が取りに来るシステム。「正月モチ食えるとは思わんかったわいね!」「二年ぶりに雑煮が食えるわいね!」「モノ米100%のホンモノのモチなんて久しぶり!」と予想をはるかにこえて喜ばれた。
 
今年は正月モチを食べる前に被災したので、一次避難所に持ちよって非常食として食べた人が多かったし、まったく口にはいらなかった人も多かったのだ。まだ非日常がつづくが、せめて正月モチを食べる間だけでも日常をとりもどしてほしい。
 
浄財で買って配った「寄りそう正月モチ」は850世帯だから、余った浄財だけでも来年はもっとたくさん配れる見込み。
 
これも多くの善男善女が、在宅であっても「能登を見捨てない」と意思表示をした結果だし、そのお金で「今昔物語」に出てくるような逸話も生まれた。
震災で自宅の倒壊はまぬがれたが裏山の蔵が全壊してお墓が倒壊した家族が、漆器をうったお金でお墓の修繕と補強をした。9月の豪雨災害で裏山が地滑りして自宅を直撃!という寸前でお墓が土砂を塞き止めてくれて助かった・・・ご先祖様が護ってくれましたねぇと顔を見合わせる。
 
来年は「在宅ボランティア」から1歩すすめ、「能登の人と共にある参加型の在宅ボランティア」の仕組みを構想しているが、しばらくボーとして気力体力の回復をまつ。
 
漆器をお求めになった方、展示販売会をしてくれた方、浄財を喜捨してくれたみなさま方、ご協力ありがとうございます。
 
 
 
 

最新テクノロジーが注目するヒスイパウダーの可能性・・・役立たないモノで世の中に貢献したい考え方

2024年12月25日 05時21分12秒 | ぬなかわヒスイ工房
能登へ出発前にうれしいできごとがあった。
某商社系列のファクトリーから、「ヒスイパウダー」で試作してみたいと注文があったのだ。
 
ヒスイの可能性が最新テクノロジーの分野で注目されている。
白い部分はヒスイパウダーで、赤い部分は自家製のベンガラ
 
ヒスイ加工で発生する汚泥は捨てられているのだが、高校で美術部だったわたしは絵の具の顔料としてリサイクルしていて、つい最近も都内の染色工房から試作品につかいたいと注文があったばかり。
ファクトリーの社長に電話して、わたしの最初の仕事は総合化学メーカーの新商品開発部門の研究員だったから、新商品の開発に興味津々だし、ぜひとも結果を教えてくださいと伝える。
 
役立たないモノとして捨ててしまうのは簡単。
 
でも役立たないモノで世の中に貢献できたらという考えは、そのまま「輪島漆器義援金プロジェクト」につながるっている。
 
闇にできた「一隅を照らす」思想だ。
 
 
 

災害ボランティアを祭りにする・・・「時空フェス2024」顛末記

2024年12月24日 07時04分13秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
「時空フェス2024」閉会3時間前にして、山のようにあった漆器が完売目前の図!
集計の結果、ライブや講演の合間の休憩時間の実質4時間くらいで、39万円の売上があった!パチパチパチやんややんや(拍手と歓声)
 
このお金が何人かの漆器の持ち主たちに還元され、正月前の臨時収入となり恵比須顔の花が咲く。
 
お求めになった方に漆器の持ち主のプロフィールを伝えていたら、後から花柄の封筒にいれた手紙を託してくれた人もいた。なんて優しいんだろうネ・・・ちゃんと渡しますゾ。
 
「寄りそう正月モチ」基金には6,620円の募金があったが、開催中に20年ちかくも音信不通の整体仲間から電話があり、高額な寄付の申し出あり。昔の仲間たちにも口コミが広まっているのだ。
 
たった独りではじめた「輪島漆器義援金プロジェクト」も、無我夢中のうちに多くの仲間たちに支えられている。
 
こうなると孤高のランナーの悲壮感はなく、祭りの運営委員長のようだ。みんなでわいわいがやがやとつくる愉しい祭り。共にあると思うから、いつも大団円の三本締めをする訳。
 
ヒスイ製品も売れるたびに酉の市のように三本締めをしていたが、壁を隔てた会場にいたひすいこたろうさんにも聞こえていて、盛況でよかったぁと思っていたそうだ。おかげで交通費と宿泊費もでた。
 
思えば遠くへきたもんだとシミジミ。
みなさん、おおきに!あいがとネ!(能登方言)。
世の中まんざらでもないネ。
 
 

漆器が完売御礼!みなさんありがとう!・・・「時空フェス2024」大団円のオチ

2024年12月22日 21時05分54秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
1,000人もの参加者が「ぬなかわヒスイ工房」+「輪島漆器義援金プロジェクト」のブースに怒涛のように押し寄せて、大盛況で終わった「時空フェス2024」。
なんと160サイズの段ボール二箱分の輪島漆器がほぼ完売!
かさばる漆器は宅急便でおくった。
ヒスイはカートで運搬したが、重いので往生した・・・帰りはだいぶ軽くなって楽したケド。
今回はビニールハウスで暮らす九人家族のHさんと、通販で売りにくい高額な漆塗りの三宝など一点モノが多い輪島の漁師Tさんの漆器だけに絞ったが、義侠心に燃えた参加者が我も我もとお求め。
 
冒頭で壁を隔てた会場から、ひすいこたろうさんが輪島漆器義援金プロジェクトのアナウンスと、わたしに関するこそばゆい褒め言葉が聞こえてきた。
開演前から人だかりがしてすごかった。ちょっと少なくなった時に撮影
ラスト3時間前にはT家の黒と赤の三宝と、H家の重箱を同じ人がドカンと買ってくれた。最後には一輪挿しと椀類もほとんど売れた(´;ω;`)
 
ヒスイ製品もかなり売れたのだが、参加者の網代さんがボランティアで会計や接客を手伝ってくれたので、集計は帰宅後。
 
HさんとTさんに、けっして少なくはない年越しのお金が渡せるので、また泣かせてしまうかなw。
 
声をかけてくれた、ひすいさん、辰島親子、財目さんなど時空フェス関係者、お手伝いしてくれた網代さんに感謝。
 
漆器をお求めになり、正月モチ義援金に募金してくれた参加者のみなさんに感謝。
 
HさんTさんに、この人たちの温かい気持ちを伝えなければならない。双方共にありがとうの関係性が大事なのだ。
 
 
大団円でおえた「時空フェス2024」から帰宅したら、10月にひすいこたろうさん一行を珠洲市の被災地を案内した時にお連れした、「いろは書店」さんから礼状が届いていた。
 
「時空フェス」に参加するきっかけになった案内だったので、格好のオチがついたことになる。(ヘミングウェイ風)
ぬなかわヒスイ工房の屋号が「ぬなかわヒスイ工場」とあるのはちょっと嬉しい誤字だが、フォロー数5万人超えのひすいこたろうさんが「漫画家の集団」のリーダーのように思われているらしい・・・ヒヒヒ。
漫画家集団のリーダーひすいさんは5冊の自著にサインして贈呈・・・文面にはひすいさんのYouTube動画を毎日みて励まされているとあるから、有名なインフルエンサーであるとは認識はされているようだ。
ひすいさん一行を珠洲市に案内した時の記念撮影。右から「いろは書店」さんご夫妻、マッキーさん、ひすいさん、辰島親子
 
一行5名の中で漫画家は震災を漫画化した冊子をつくった辰島詩織さんだけで、神話研究家のマッキーさんが店に置いてあったピアノを弾いていたからお笑い系に思われたのかもしれないが、見守りを継続できる「在宅ボランティア」のきっかけができた愉しい思い出。
やたらに気が合うマッキーさんは初対面だったが、神話方面では有名なインフルエンサーらしい。
 
今日は休息がてら会計処理をして明日から能登へ。
 
年内の漆器の売上金を個々の被災者に還元すると同時に、「寄り添う正月モチ」を贈るプロジェクトを完遂し、年内のボランティア活動を締めくくる。
 
 

湯気がたつような温かい贈り物・・・「寄りそう正月モチ」

2024年12月19日 06時57分39秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
奥能登に正月モチを贈る募金箱に、しっかり握りしめて温かくなったような小銭をいれてくれた幼稚園児がいた。手が届かなかったので母親に抱っこされて「ガンバッテください!」と言っての募金だ。
その湯気のたつような温もりを被災地にとどけたい・・・。
 
そんな思い出の数々を思い出しながら事前告知のチラシと、850個のモチにつける説明文を何例かつくり、能登の震災者とチャリティイベントでお金をあつめてくれた阪神淡路の被災経験をもつ友人に読んでもらって校正をかさねた。
「寄りそう」という文言が身に染みるとのことで、タイトルは「寄りそう正月モチ」にした。
850袋の個々のモチにも短い手紙をつけたのは、どこの誰だかわからない人からの支援物資とうけとってほしくなく、浄財を寄せてくれた人たちの想いを伝えたいから。
表はこんな
 
現地で配布を手伝ってもらう公民館とボランティア団体に発送できたので、心おきなく冬至イベント「時空フェス2024」に出発できる。
 
 
 

土偶、古墳、ハニワの次は弥生の勾玉のブーム到来か?・・・ハニワブームらしい

2024年12月18日 06時49分26秒 | ぬなかわヒスイ工房
世はハニワブームなのか、あいついで来客から指サック、ぬいぐるみをいただく。
「踊るハニワ」は踊っているのでなく馬の手綱をもっている人という新説がでてきたが、日本列島の人々は大昔から可愛いが大好きで、当初の意味より可愛いかどうかを問題にする文化なのだぁ!と断言なんかしないよw。
3年前に茨木県から糸魚川市にIターンした農業セーネンも、お袋さん手製の干芋を手土産に年末の挨拶にきたがハニワに見えてきた。茨城県民は干芋を手づくりする人が多いので、お土産用の包装がスーパーで売っているそう。
ストーブで軽く炙って食うとトロトロに柔らかくなる。農業セーネンのおふくろの味を堪能。
冬至イベントの「時空フェス2024」は前泊するので、国立博物館のハニワ展に行けそうだし、ハニワ形のオカリナも沢山もっていく。
 
それにしても縄文の土偶、古墳やハニワはブームになっても、弥生文化は蚊帳の外。銅鐸や銅鏡では擬人化して可愛いいキャラクターにしにくいということか。
 
弥生業界の方々におかれましては、定形勾玉ちゃんや丁子頭勾玉くん、方形周溝墓様のキャラクターのご検討を!( ´艸`)
 
 
 

縄文人(見習い)の必須スキル・・・門前町の無斑晶質安山岩で打製石器つくり

2024年12月17日 07時36分04秒 | 縄文
野尻湖のキャンプ場で管理人をしている関本さんがふらっと遊びにきて、門前町の無斑晶質安山岩で打製石器つくりを実演してくれた。
実は同じ無斑晶質安山岩を打製石器の研究者に送って試作してもらっていたのだが、見た目は頁岩と似ていても堅すぎて石のハンマーが壊れてしまい、名人といえどもシンメトリックな石槍はつくれず、不定形のフレーク(破片)を石包丁に利用するくらいしかでない石質であるらしい・・・もちろんサシミは無理でも肉くらいなら切れる。
 
打製石器つくりを覚えると、石ひろいガイドや縄文体験会のネタにもなるから、能登ボランティアが落ち着いたら取り組みたい課題。
大割りした後は手に持って整形していく
 
ちなみに糸魚川市の遺跡から出土する打製石器は、黒曜石・チャート・頁岩でつくった縄文時代のヤジリが多く、なんで旧石器時代の遺跡が少ないのか疑問で、この考察もしてみたいもの。
 
 

能登の「親戚」からの贈り物・・・香箱の美味い食い方おしえます

2024年12月16日 06時25分40秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
漆器ボランティアが縁で「親戚」になった輪島の漁師一家から生きたカニが届く。凍らせたペットボトルの水だけで鮮度が保てるのネ。
糸魚川名物のベニズワイガニの半分くらいのサイズなので足の肉は少ないが、鮮やかなオレンジ色をしたカニミソが美味い。石川県で香箱と呼ばれるズワイガニのメスだそうだ。
 
美味いけど小振りなカニの食い方のコツをみつけたのでご紹介。
 
最初に腹子を飯の上におとし、片足づつまとめて引っ張っると足の付け根の肉もついてくるので指でほじくり、丼飯の上におとす。次に甲羅を向いてオレンジ色のカニミソをほじくり飯のうえにおとすこと3バイ分くらい繰り返して、カニ飯の準備完了。
 
重要なのは丼飯の上で作業して濃厚な汁も飯の上におとすこと。
 
まず足だけ食ってから手を拭き、白い肉とオレンジ色のミソで満艦飾になった飯の上に醤油をシャッと垂らし、ワサビをのせて軽く攪拌し、一気に掻き込むと美味いのなんの。久しぶりに3杯も食った。
 
カニを茹でた湯は捨てずに味噌汁や茶碗蒸しに利用。殻は洗って乾燥させ、ハンマーで粉砕してコンポストに投入すると捨てるところがないネ。
 
おおきにですニャ(=^・^=)