縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

来客歓迎!

2018年04月29日 07時22分10秒 | ぬなかわヒスイ工房

都会から泊りがけで若い女性の2人組がやって来て、ぬなかわヒスイ工房は花が咲いたよう。

わざわざ泊りがけで注文しに来るお客様は大人買いしてくれる人が多いので経済的に助かるし、最近はストイックな大首飾り製作に没頭しているので、工房に新鮮な空気が入って助かる。

実際に作品群を吟味した上でイメージを膨らませ、原石選定とビーズの組合せ、チェーンの長さなど細かいオーダーを受けて完成したのは、青ヒスイの超小型勾玉。

普段は自分でビーズを組み合わせるが、今回はお客様が選んでくれたので女性の好みを知る上で参考になる。

ちっちゃくても普通サイズの勾玉と同じ作り!

 

女子二人組を糸魚川各地に案内したが、ぬなかわヒスイ工房には7時間ほど滞在してじっくり作品を観て頂いた。

話し込む内に注文主の人となりや好みがよく解るし、注文主と共同で作り上げていく感じは好きなので来客は大歓迎!

 

 


のようなモノではなく、平成の大首飾りを目指す・・・大首飾りプロジェクト

2018年04月27日 08時40分07秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾りの最終打合せで上京。

仕事がらみなので初めて北陸新幹線を利用しての上京で、ちょっと大人になった気分(笑)

平日の夜でも東京の街は祭りのような賑わい・・・糸魚川じゃ祭りの夜でも出歩く人も少なく明るくもない(笑)・・・にしてもドンキはベガスの建物みたいですな。

 

発注者の伊勢松坂市担当者、監修者の國學院大學の内川隆志先生、それに現在の大首飾りの所有者である世田谷区二子玉川にある美術館の静嘉堂文庫との四者会談で、現在の進捗状況説明と課題と方向性のプレゼン、「のようなモノではなく、平成の大首飾りを目指します!」という所信表明。


昨年8月末に内川先生から大首飾り復元の話しを聴いてから、ここに至るまで7か月もかかり感慨無量。

あの当時はまだ内川先生とはメールのやり取りのみで面識がなく、私の作品を観た事も無い状態であったのに、大きな仕事の見積依頼をしてきた内川先生の度胸の良さに呆れたものだが、私のメール文面や質問内容だけで「この人だ!」と直感したそう。

流石に神主さんの学校の國學院大學の教授と感心したが、ご本人は考古学専門の無宗教との事。


行政の仕事を請け負うのも初めてだし、契約書を取り交わすのも初めて。


和やかに会談が進むうち、松阪市担当者達が「山田さんに任せて良かった!」と小声で囁き合っているのが聞こえて安堵。
問題意識の共有と共に在るという連帯感、なぜ今の時代に大首飾りを作る意義があるのかという認識の共有は必須だと思う。


大首飾りを身に付けてご満悦の松浦武四郎・・・彼は何を想って我々を動かしているのか?

玉類243点を繋いだ大首飾り全体図


初めて尽くしの大首飾りプロジェクトは、現在は知る人もいない失われた技術の再現実験の機会でもある。
意気軒高ではあるが、重圧も在る。



赤瑪瑙の染め実験・・・大首飾りプロジェクト

2018年04月19日 17時06分06秒 | ぬなかわヒスイ工房

大首飾りに含まれる赤瑪瑙製品は、勾玉18点、八角玉1点、丸玉11点、8角柱の管玉1点。

古墳時代の出土品なので使用原石は出雲産か若狭産らしいが、現在は枯渇して入手困難な天然物で発色がくすんだオレンジ色。

赤瑪瑙に染めるには諸々の条件があり、詳細は明かせないが最終的には焼くことで酸化変色させるのである。

 

現在国内に流通している赤瑪瑙は化学処理で染めたブラジル産で、発色がビビットだから面白くない。

困っていたら奇跡的にブラジル産の天然赤瑪瑙の原石が入手できたが、色が茶色っぽく地味過ぎる。

そこで江戸時代に若狭で考案されたという赤瑪瑙を染めて綺麗に発色させる方法を調べてみたが、実際を知っている方に辿り着くまでえらく時間がかかった。

焼成実験のために温度計を用意・・・2時間で表面温度が300℃近くなってくれたが、温度計は安物だから精度に疑問が(笑)

 

それも何十年も前の話しなので記憶も定かではないらしく、何度か質問の角度を変えて聞取り調査して実験してみたら1回目で成功した。

なるべく糸魚川産に拘りたいので糸魚川産の白瑪瑙も染めてみたが、こちらは駄目だった。

糸魚川産瑪瑙は染まる条件に満たないようだ。

右側が染める前のブラジル産赤瑪瑙、左端が染まった状態、手前2点が染めていない状態の8角玉と8角柱の管玉。

 

染まってくれたブラジル産赤瑪瑙にしても、赤味が強すぎるので課題は残っている。

これから発注者の松阪市担当者と監修者の考古学者と私の三者で協議の上、染めるのか染めずに作るかを決めていくが、例え染めない方針であっても必要な実験だと思う。

技術の持ち駒が増えたし、仕事に対して誠意を持ちたいからできるだけの努力は惜しみたくない。

「のようなモノ」ではなく、「平成の大首飾り」を作りたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 


ヒスイと太鼓腹の微妙な関係・・・現代のヒスイ装飾品

2018年04月17日 08時20分30秒 | ぬなかわヒスイ工房

糸魚川を訪れたイローナ先生が、日常的にヒスイ製品を身に付けている人を撮影する機会をうかがっていたのだが、現在は滅多に出会う事が無くなった。

そこで私が撮影した写真資料を慌てて提供・・・イローナ先生は5月に帰国するのだ。

かっての糸魚川では、冠婚葬祭の折りに男性はヒスイ製のベルトバックルやネクタイピン、女性なら帯留めや指輪を身に付ける人が多かった。

県外でヒスイの指輪をしている女性に声を掛けたら、案の定糸魚川出身者でお国話に花が咲いたという事が何度かある。

農作業の途中の男性の太鼓腹を飾るヒスイ製バックル。どちらも見事(笑)

因みに写真の男性のベルトバックルは発色がビビット過ぎるので、恐らく染め物のミャンマーヒスイ。

 

このバックルが糸魚川産ヒスイなら、えらく高額で普段使いできるものではない。

 

 


モノ消費からモノガタリ創出へ・・・糸魚川ヒスイについて想う処

2018年04月06日 10時01分31秒 | ぬなかわヒスイ工房

ここ最近、たて続けに糸魚川の財界人の重鎮から「どうやったらヒスイを高く売れるか?世界に売れるか?」という話を聞いたが、モノ消費やモノ人気を基本に据えた考え方は、ヒスイの枯渇に繋がっていくと憂慮している。

ある財界人は、糸魚川ヒスイは地味なので、貴金属と組み合わせて市場価値を高くした商品開発なども必要と唱えていたが、ダイヤモンドやルビー、サファイアといった宝石と比べて市場価値が劣るという発想が根底にあるのだろう。

糸魚川ヒスイには、それら宝石にはないオンリーワンの価値がある。

すなわち縄文以来続いた、ヒスイとヒトの物語である。

私はそれらに焦点を当てずして糸魚川ヒスイの魅力を語れないと思うし、歴史的存在としてのヒスイの評価は活用するほど増えていくと考える。

糸魚川ヒスイを巡る現状について、希少鉱物としての評価に偏重しており、ヒスイとヒトの物語りという視点が不足しているという私と、表現は違っても同じ見解を語るイローナさんの紹介記事が、今朝の糸魚川タイムズのトップを飾った。


電子版URLは下記
https://digital.j-times.jp/…/97017b3c-9b45-40c7-bcb8-661e17…

糸魚川の財界人にはヒスイを売るための仕掛け作りではなく、歴史的存在物としてのヒスイとヒトの物語りにも目を向けて頂きたいと切に願う。

記事中にある「語り部の存在が必要」という彼女の見解にまったく賛同するし、同志を増やすためならボランティアガイドは厭わない。




イローナ先生が投じたヒスイとヒトの物語り

2018年04月03日 23時58分54秒 | ぬなかわヒスイ工房

姫川沿いの国道148号線でヒスイ原石屋さんをしているTさんの店舗にイローナ先生をお連れしたら、研究資料にとコンテナごと原石をプレゼントしてくれた。

研究者をお連れするとTさんは毎度のことながら気前よく原石をプレゼントしてくれる。


海ヒスイ、川ヒスイといった自然状態の原石と、バレル研磨した原石の見分け方などのレクチャーを受け、市場価格や客層、ヒスイ採集がどのように行われているかなど聞取り調査。

Tさんの店は大野区の姫川沿いのコンテナ店舗で、ヒスイ拾いの人の鑑定依頼や売買などで賑わっている。

ヒスイ原石もピンキリ。

縄文関係で訪れた人をご案内して喜ばれるのが、大和川地区にある看板屋「アテナ工芸」さんの火焔型土器の看板。長者ケ原遺跡入口のコンクリート製火焔型土器の型枠を作った会社である。

能生地区の白山神社裏にある湧き水の祠。白山神社もかっては奴奈川神社だった。

 

研究機関とは別次元の情報が得られるのが現場のフィールドワークの醍醐味で、私の得意な処でもある。
盛り沢山の3日間だったが、彼女の話しを聞いた市民やマスコミ関係者の中で広がった波紋が、どのようにカタチになるかが愉しみ。
ヒスイとヒトの物語は人の数だけある。


オランダ人考古学者のヒスイとヒトの物語

2018年04月01日 22時29分53秒 | ぬなかわヒスイ工房

オランダの縄文女子イローナ先生を最初にご案内したのは、押上区に残る苫屋(漁師小屋)。

昔ながらに屋根の重石が残っており、ヒスイが再発見される以前はヒスイが重石や漬物石になっていたので、ヒスイとヒトの物語を知る上で貴重な民俗資料。

日本海を望む旧市役所址にそびえる奴奈川姫の銅像

奴奈川姫銅像から糸魚川駅北口に延びる「ヒスイ道路」は、観光客用に沿道にヒスイ原石や説明看板が並んでいるのだけど、イローナ先生は日曜日に関わらず誰も歩いていないことに驚いていた(笑)

糸魚川市街地の中心に位置する奴奈川神社は奴奈川姫を祀る由緒ある式内社だが、中世以降に天津神を祀る天津神社と併祀され、一の宮とも呼ばれ付近の地名にもなっているが、かって市内に点在していた複数の奴奈川神社の中心という意味が籠められているように思う。

夜はインバウンド・観光振興に意欲を燃やす糸魚川市民と懇談会。


オランダ人考古学者から観たヒスイとヒトの物語が、この夜参加した市民にどのような波紋を広げていくのか?
何かが動き出す予感はあるが、この種を大事に育てたい。