縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

わしらは縄文探偵団・・・ヒスイ大珠の紐孔比較でオークションで購入した出土品を鑑定

2023年05月28日 07時21分01秒 | 縄文
出土品と現代の作品の紐孔内部の比較をしたいと願っていたら、長野県の縄文仲間の関本さんがオークションで落札したヒスイ大珠のコレクションを大量に持参してくれた。
オークションで購入した縄文時代の大珠や石笛、弥生や古墳時代の勾玉の真贋の鑑定を頼まれることがたまにあるが、形状や研磨具合などから見てほとんどが現代の贋作のようだ。
 
とくに勾玉や石笛は遺物の様式にはない形状のものが多く、ひとめで現代の作品とわかる。そんなことから判定の確度をあげるために、紐孔内部をシリコンで型抜きした比較サンプルが欲しかったのだ。
自分でやろうと思っていたシリコンの型取りを、丸一日ついやしてやって頂いたとのことで恐縮。
他に旧石器時代の長野で打製石器をつくっていた「無斑晶質安山岩」の原石までプレゼントしてくれたので、打製石器つくりの名人が遊びに来たら妙技をみせてもらえる。
 
関本さんは帰りがけに「加工しないことを約束に進呈します」と大珠もひとつプレゼントしてくれた。是非もなし!
 
 

忘れてはいけない祖父たちの戦争の記憶・・・朝日新聞社「横井正一さんの記録・グアムに生きた二十八年」

2023年05月27日 08時18分02秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
・・・生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ・・・
 
太平洋戦争直前に陸軍将兵に示達された「戦陣訓」の有名な一節だが、捕虜となるのは皇軍兵士の恥辱であるので潔く死ねという意味だ。
この示達が多くの悲劇が産み、終戦後もグアム島のせまくて湿気だらけの真っ暗な洞穴で28年間も隠れていた横井正一さんもその呪縛のなかにいた。
 
横井さんの帰国後の第一声が「恥かしながら還ってきました」で、その年の流行語となり、お笑いのネタにもなったと記憶しているが、時代錯誤な生真面目さを笑うのは気の毒すぎる。
 
恥かしながらとは、戦陣訓の呪縛以上に、戦死した仲間とその遺族への偽らざる想いであったのだろう。
 
記者会見の時には笑ってくださいとも要望が出て、物見遊山の人々が自宅に押し寄せたそうだが、横井さんは時代の分断に絶望したのではないか。
図書館の書籍は古くなると処分されるのだけど、スカスカのタレント本を買いそろえるより、本書こそ後世に残すべき努力をして欲しいものだ。工房ギャラリーが落ち着いたら図書コーナーを作って貸し出そうと考えている。
 
 
 
 
 

縄文人の疑似体験・・・遺物に忠実な勾玉つくりワークショップ

2023年05月24日 06時23分18秒 | ぬなかわヒスイ工房
山梨で縄文イベントのワークショップを頼まれたので、以前からやってみたかった遺物の勾玉の複製をすることにした。
 
博物館などの勾玉つくりワークショップは、半製品を面取りするだけとか、自由なカタチにつくらせるが、ヒスイ職人がやるのだからひと味違う。
 
長者ヶ原遺跡出土の滑石製の牙状勾玉(きばじょうまがたま)の実測図になるべく忠実につくり、紐孔も竹で穿孔してもらうのだ。
だいぶ前に実物と似た色をしたネフライトでつくった牙状勾玉の複製。縄文早期末~早期の遺物だ。滑石ではまだつくったことはない。
 
遺物の複製は書道の臨書と同じで、製作時の工程を推測し、おなじ手の動きをする必要があるのだから、これは往時の職人の疑似体験であり、ワタシなるものからの脱却なのであるw。
滑石のプレートに実測図を写してもらう所からワークショップ開始。加工は紙やすりと竹を使う。
 
「平成の大首飾り」で243点もの遺物を複製した時、その学びの深さに驚き、以降の勾玉つくりに多大な影響をうけたので、臨書ならぬ臨作は大事なのだと実感した。
 
試作してみたら製作時間に1時間半ちかくを要したので、勾玉つくり初心者なら2時間以上はかかるだろう。
左が試作品で右が実物大の写真。惜しむらしくは後半に来客があってゴタゴタしたので、尾部の刻みの位置がずれてしまった。次回の反省点。
来客は香港から観光にきた鉱物学者の家族。
紐孔の穿孔は実物と同じ直径の位置でカットした竹の丸箸をキリに使用したが、掌が滑るのでテープを巻いた。ちゃんと実物とおなじ寸法の円錐台をした紐孔になった。
手作業に慣れていない人には箸が細すぎて力が入らないだろうから、ひとまわり太い竹に箸を差し込む方式も考案。
 
こういった治具を自分で工夫するのも、もちろん学びの内。
 
 
 
 

丸木舟の虫食い問題はセーフ!・・・ヌナカワ丸復活プロジェクト

2023年05月22日 08時02分00秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト
N造船の社長にてつだってもらい丸木舟を裏返しにできた。
爪がはいるくらいに腐った部分をノミで削ったら、表面から1~2センチくらいがイモムシの巣になっていて、Nさんから「はやく気付いてよかったネカ」との言葉に励まされた。
手斧でハツリ、電動カンナで粗く平らに、センで仕上げたら、ちょっと見には腐っていたとは思えないほど目立たなくなってオッケイ牧場!
 
次回は6月3日のイベントの参加者の手を借りて、広い駐車場に人力移動、シアーライン(船縁のカーブ)の改良と船首のひび割れ対策。うまくいけばお昼から海に出られると思う。
普通の人はセンなんて知らないだろうが、細長い片刃の両端の柄を握って、樹皮を剝いたり、材を均一に削ったりできる古い木工具で、趣味の木工でも重宝する。
苔で緑色になっている部分はセンで除去
 
わたしのセンは糸魚川の桶職人の遺族から、柄がとれて淦錆びた焦げサンマみたいな状態を譲りうけ、自分で復活させたもの。昔の手道具は便利だし、そんな道具を見つけられるから、古道具屋巡りは趣味のひとつ。
 
 

危うしヌナカワ丸・・・船底がダンゴ虫の巣に

2023年05月21日 06時19分17秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト
ながらく横倒しのまま放置されていた丸木舟を起こして養生をはがしたら、船台ごと部分的に船底が腐ってダンゴ虫とナメクジの巣になっていた。ジメジメした環境の屋外保管だから無理もない。
横倒しから独力で起こすだけのつもりが・・・船底が妙に柔らかい!?
船尾近くの船台が腐って丸木舟まで達していた。
慌てず騒がずに即座に対策を考えるのがワタシ
 
船底は厚いので腐った部分を四角く削って、ケヤキ板をエポキシ接着か?伐採した時から小口割れしていた船首のヒビ割れも進行しているが、こちらはワイヤー締め箇所を増やすか?
船尾はステンレスワイヤーをターンバックルで何か所も締めてあるのでヒビは進行していなかった・・・最初からこの状態!
 
昨夜は対策方法に頭を悩ませると共に今後の行く末を思うと、一睡もできなかった。
 
伐採から今日まで、どれだけ労力と金を投入し続けたろう?
 
乗船体験で天然素材100%の「原始力船」に喜んでもらえるのは嬉しい。しかしそのために掛けた労力を想像したり、縄文の「海のヒスイロード」まで想いを馳せてくれる人はおらず、面白かった!とSNSの写真ネタに貢献しただけで一件落着。そしてまた苦労の無限ループが始まることに・・・疲れてきた。
ターンバックル締めが一か所だけの船首のひび割れが進行。もとより入手した丸太が曲がりくねっていて、波が侵入しないように船縁ラインを反り上げた船型を作るには細すぎたので、本来は水分が多くて組織も粗いので捨ててしまう白太部分も使っているので無理はないことなのだ。
 
心の弾力はまだ、若干は残っている。が、人に迷惑をかけたくないので「終わらせ方」を考えはじめて久しい。
 
幸いなことにN造船さんの自宅裏が保管場所なので、今朝は対策の相談に乗ってもらえることになった。
 
壊れていたアウトリガーの部材も、レジェンドサーファーにして名人大工のノブ兄貴がヒノキで作り直してくれることになった。
 
まだ終わっちゃいない。まだ頑張れる。もう少しだけ・・・。
 
 
 
 

休眠していた丸木舟がヌナカワ丸として復活!・・・日本海縄文カヌープロジェクト海

2023年05月19日 20時58分07秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト
この夏、数年ぶりに丸木舟が復活する。
漕ぎ手不足に加え、8号線バイパス工事のバリケードで海に出ることができなかったのだ。その間に自作ドーリー(運搬カート)のタイヤもバーストしていた。
ドーリーは自動車のホーシングを解体屋で売ってもらって自作。
 
ありがたいことに海遊びで地域活性化に取り組む仲間がでてきて、6月下旬のイベントで丸木舟の出番がきた。海の先輩に相談したら、ジェットスキー用のドーリーを無料提供してもらえた。
 
この際に改良して船名をヌナカワ丸に変えることにする。
ねじり曲がった丸太でつくったので最大船体幅が60㎝強しかいが、ダブルアウトリガーをつけているので安定性はバツグンだ。
波高1mくらいなら外海でも危なげがないのは、お隣の上越市まで28キロの航海で実証済みだ。
 
ことによると今年の糸魚川市・モンベル共催の「SEA TO SUMMIT」はヌナカワ丸で伴走することになるかも・・・3人で漕げば時速6~7キロは出て、漁港周辺の不規則な潮流を突破してシーカヤックを先導できる。
 
我とおもわん有志よ、老若男女問わず出てこ~い!
 
越佐海峡の最短距離は40キロしかないから、漕ぎ手を交代しながら横断した例はある。しかし往復した例はないし、漕げるクルーなら交代なしでも8時間で横断可能だ。
 
上越から佐渡まで80キロ、糸魚川からなら120キロくらい。冒険ごっこの仲間を募集中!
 
 
 

大人のための「赤毛のアン」・・・TVドラマシリーズ「アンという名の少女」

2023年05月18日 07時50分02秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

「赤毛のアン」の原作に書かれていない物語の背景をきちんと描いているのが、BS・NHKで放映中の「アンという名の少女」で、録画を視聴するのがこのところに愉しみ。

本作のアンは昨今はやりの「地雷系女子」的に描かれているが、そのパーソナリティ形成には孤児時代にうけた凄惨なイジメや虐待が影響しているらしいことや、マリラとマシュウが未婚であった理由などが説明的なセリフなしで自然な流れのなかでカットバックされていて、物語りに奥行きを与えている。
 
またマリラが縫物をする場面では、ガンマンよろしく腰に下げた銀の鞘におさめた裁縫ハサミで糸を切るなど、民具好きとして見逃せない場面もたくさん出てくる。マリラとマシュウ役の俳優の哀愁ただよう演技も味がある。
 
赤毛でやせっぽち、ソバカスだらけの孤児のキラキラ物語に終わらず、教会を中心にした保守的な田舎町、貧困や同性愛、階層差別や人種差別もさりげなく物語りに織り込まれていて、明治のころのカナダ庶民史としても面白い。
 
思春期に「赤毛のアン」を読んだ大人に観て欲しいドラマだ。
 
 

「赤毛のアン」の家が居酒屋風に・・・ぬなかわヒスイ工房改装工事

2023年05月14日 07時22分01秒 | ぬなかわヒスイ工房
見積依頼から半年もかかってテラス工事が完了したのは、業者が人手不足で一般客が後回しになったようだ。どうなるニッポン!
ともあれやっと玄関らしくなったし、雨の日でも外仕事ができるようになった。
 
これまで工房に看板はなかったのは、腕さえあれば人が訪ねて来るのだと自認していたためと、ちょっと照れくささもあった。
看板の素材は南洋材のウリンで、1mほど残っていた床材の端材。製作時間2時間也。
 
しかしながら工房近くまで来て迷子になり、電話で入口を聞いてくる来客も多く、看板をつくってもっと有名になってくださいと立派な銘木を贈ってくれる人までいたので、増築を機会に看板をあげることにした。
 
が、せっかく頂いた銘木が立派すぎて工房に似合わず、申し訳ないが床板の端材で自作。無駄にはしないからご安心を。
しまってあった民具を飾りつけたら、「赤毛のアン」の家をイメージした外観が民具居酒屋風に変貌した。オラにはこっちの方が似合ってるし落ち着く(笑)
暗礁にあてて変形したスクリューは、悪鬼を押し流すマジナイのつもり、赤い円筒状のものはハングル文字が書かれた蛸壺らしく、福を呼ぶマジナイのつもりと、それぞれ物語があるのです( ´艸`)
アイヌのウポポイ人形は長野の水害ボランティアの時に不用品をもらってきたもので、馬だか牛の荷鞍は土倉の解体で不用品をもらったもの。
 
 

 


ちいさなヒスイの物語

2023年05月12日 07時43分20秒 | ヒスイ
足元にキラリと光るモノ・・・ヒスイ!
小滝川上流の土倉のヒスイっぽい。忘れさられていたヒスイが戦前に再発見されたのが土倉だ。
 
渓谷に露頭して日にあぶられ雪に凍みらされ、川に落ちて砕かれ、海に流れ出て磨かれつづけて漂着したヒスイの物語に、どれだけの歳月がかかっているのだろう。
 
わたしに拾われてから始まるのが「ヒトとヒスイの物語」だが、ガラス瓶にいれて工房に飾って来客に自慢するだろうな。
軽々しくゲットしたとか、上から目線っぽいヒスイハンターなんて言葉は、わたしは使わないヨ。
 
 
 

高倉健はブルース・リー映画のヒント?・・・1974年「ザ・ヤクザ」はハリウッド版「昭和残侠伝」

2023年05月11日 07時35分26秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「ザ・ヤクザ」は、時代を70年代の新宿、池部良の役柄をロバート・ミッチャムに変えたハリウッド版の「昭和残侠伝」。
高校生のときはアメリカ人目線の「神秘の国、日本」に大笑いして観たが、久しぶりに視聴したらミッチャムと健さんといった男の哀愁が滲み出る寡黙なイメージの俳優同士の掛け合いに味があり、ストーリーや細部は別にして、戦勝国と敗戦国の男の哀しみも描かれており、しみじみする映画だった。
 
ギーリ(義理)とはなんですか?重荷です・重荷を捨てたらどうですか?義理です・・・健さんらしいセリフだ。
 
健さんは英語が堪能だったこともあり、ミッチャムと共演後はプライベートでも交流が続いていたことをエッセイに書いている。
 
松田優作の最後の出演作「ブラック・レイン」での健さんは、エキセントリックなマイケル・ダグラスの引き立て役に甘んじて持ち味が出し切れておらず、あれでは気の毒すぎる。
 
健さん主演のヤクザ映画はラストの切り合いで着物が切られて上半身裸になっていくことが多いが、これはブルース・リー映画も同じだ。もしやブルース・リーも「昭和残侠伝」からヒントを得たのかも。