縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

雪の笹倉温泉でスコップ三味線の無料ライブ!・・・糸魚川のイチオシ温泉

2024年12月07日 07時14分55秒 | 糸魚川自慢
糸魚川近隣の人に朗報!
本日11から笹倉温泉にて、スコップ三味線の無料ライブがあります。礼儀として日帰り温泉くらいは利用してくださいな。
 
スコップ三味線は津軽三味線のパロデイの宴会芸からはじまり、世界大会までやるに至ったエンターテインメントで、昨日は本物の津軽三味線とスコップ三味線(別名はちゅがう三味線)の共演があった。
調子あわせしている図w
 
ねぶた囃子の笛や、ミニ体験会、うろぉ~!という津軽三味線の掛け声や、ねぶた祭りのラッセラのかけ方講習、じゃわめく、まいね~、どさ?ゆさ!だはんで、などの津軽弁トークもある愉しい会。
外は雪景色でも、ライブ会場の玄関ホールは真夏のねぶた祭りの熱気だ。
 
ぎっくり腰で歩くのもつらい状態で作品展から帰宅して腰痛がつづいていたが、湯治のつもりで温泉にきて運よく遭遇。
 
笹倉温泉は来るたびに腰痛が楽になっていき、静かだから糸魚川で一番好きな温泉。
 
 

同級生っていいな・・・糸魚川高校83年卒業組の同級会

2024年11月03日 07時13分41秒 | 糸魚川自慢
いまだに高校卒業して5年くらいしか経っていない感じしかしないのに、還暦祝いの高校の同級会に出席。思えば遠くへきたもんだ♪
照れくさいから同級会は苦手なのだけど、もう二度と会えないヤツもいるだろうから勇気をだして参加したぁ
「若いちから」をBGMに幹事が当時の制服を着て入場する趣向が大受け。42年ぶりに校歌を歌い、高揚と不安が入り混じった思春期の体臭や、入り浸っていた美術室の油絵具の匂いが蘇る・・・懐かしいはチカラ!
女子は聖子ちゃんカット、明菜カット、男子は「たのきんトリオ」の髪型が多かったネ。
 
クラスごとのテーブルに卒業アルバムの写真のコピーが置かれていて、学園祭や体育祭のヒーロー、クラスのマドンナたち、ツッパリ、部活仲間、変装してオールナイトの日活ロマンポルノを観にいった同士たちの変わり果てた姿と見比べて笑い転げた。
 
小学生から高校まで、ラジオの深夜放送「オールナイトニッポン」で仕入れたエロネタを笑福亭鶴光の物まねで披露していたKが、現在は小学校校長をしていると聞いて驚く。Kは勉強もできたが、小学生のころからクラスメートの性教育に熱心だった。
 
6年生の夏に体育館のマット置場に引っ張りこんで、「ええか!中学でなんで英語を習うか知っとるか?父ちゃんと母ちゃんが子供にわからないように、英会話で今晩お暇?と夜のお勤めの打合せをするためなんぢゃ!ホントだっちゃ!」とヘンなことを教えて笑わせたり、夏休みの宿題を写させてくれたりしていて、今から思えば当時から教育者の片鱗をみせていたナ( ´艸`)
乾杯の音頭は陸上部のT。当時の糸魚川高校は1クラス40名あまりで1学年9クラスもあり、その3割の120名が参加。肩書きに関係なく、渾名や名前で呼び捨てにできる仲間はいい。
 
60の花文字は、この日のために小学校入学時に「健康優良児」で表彰されたカヨコの家で、陸上部のヨシノちゃんが手伝って育てたバラだそうだ。風船アーチも幹事たちの手づくり。市役所職員や小学校校長などイベント慣れしたヤツばかりでソツがない。
 
次回は高校卒業50周年の8年後。何人生き残ってるもんだかわからんが、同級生のみなさんお達者で!覚えてくれていてありがとう!
 
 
 

本好きの店員さんのいる本屋さんは地域の宝・・・糸魚川市の本屋「ブックスサカイ」

2024年07月01日 07時33分34秒 | 糸魚川自慢
センスのよい選書コーナーをつくっている「ブックスサカイ」のW主任を売り場でついに発見!
妙見さまのヘビだね・・・滅多に見られないものを目撃した時の喩えでフロム志ん生の「三軒長屋」( ´艸`)
 
本好きのヒトの匂いがする素敵なコーナーだとFacebookで紹介した投稿を見せたら、うれしいですと涙ぐんでいた・・・ようにみえたw
 
諸星大二郎のファンなら、ヌナカワ姫でてくる作品を知ってる?「孔子暗黒伝!」と当意即妙の反応でムハッ!同じ趣味の本好きと読書談義できるのは人生の喜び。お互いの本棚を見せっこしたいw
W主任は民俗学好きでも宮本常一をご存じなく、星野亘之ファンでも「ヤマタイカ」を読んでなかったのでイチオシしたのが1ヶ月くらい前。わたしも読んでない星野作品を教えてもらった。
久しぶりに寄ったら宮本常一コーナーが新設されているではないか!
おお「ヤマタイカ」も並んでいるではないか!W主任も読んだのかな?感想を聴きたいものですなぁ。
 
W主任はバックヤードにいることが多いらしく、たまたまレジにいたので、おっけいぼくじょうイエイ!と親指をたてる。
わたしの投稿を読んで、わざわざお隣の上越市から訪ねてくる友人もでてきたw
 
本好きの店員がいる街の本屋さんは地域の宝、文化の拠点。なんども書くが、ネット通販でばかり本を買っていると街の本屋さんがなくなってしまう。地元にお金をおとすためにも本屋さんを大事にしましょうよ。
 
ネット通販だと同じ主旨の本ばかり検索されて情報が偏る恐れがあるが、図書館や本屋さんだと同じテーマでも様々な主旨で書かれた本とであえる可能性がある。
 
また店内をぶらぶら歩いて本棚から目に飛び込んできたタイトルの本を手にとり、装丁も含めた本を愛でる喜びは本屋さんの醍醐味。加えて選書コーナーに手書きのポップがあると、店員さんの人となりを感じて買いたくもなる。ネット通販みたいにAIが書いたような無味乾燥の紹介文VS'ヒトの温もりを感じる紹介文・・・わたしは後者を選ぶ。
 
以前、柴田駅前で活気を感じたちいさな本屋さんにはいったら、狭い店内に面白そうな民俗学や歴史の本が所せましと並んでいて、平積みには手書きポップが乱立して桃源郷に迷い込んだようだった。2万円は買ったと思うが、店主の本にたいする愛情に感化されたのだと思う。
 
本は本屋さんで買いましょうねぇ。
 
 
 
 

このごろ流行りの予祝(よしゅく)について考える・・・けんか祭りと能登半島地震

2024年04月14日 06時59分29秒 | 糸魚川自慢
「けんか祭り」で履いた草鞋は、玄関先や柿の木にぶら下げ、去年の草鞋は田畑にいれる風習がある。
奉賛者にしてみると呪いや功徳というより、共に奔り戦った戦友をゴミとして捨てるに忍びない部分もある。災害関連ゴミとして処分される輪島漆器の販売と同じく、モノの価値はモノガタリにあるという発想の原点。
 
ここ数年、自己啓発系のひとたちが、願望が叶ったこととして断言すれば実現するのだと、民俗学用語の予祝(よしゅく)という言葉を使うようになったが、願望を断言すれば叶うというなら、能登半島地震の被災地に広めてやって欲しい。
 
全てを失った被災者を前にして、「家が再建できた!」と断言すれば自宅が再建できますよ!と言えるか?
 
「けんか祭り」には春先に体力気力の限界まで出し切り、家内安全や豊年豊作、大漁まちがい無しとする予祝のニュアンスがあるが、奉賛者の実感としては「人事を尽くして天命をまつ」といった心境になる。だから仕事で頑張れる。
これも
ジョウバ(獅子の方言で」除魔が語源であるらしい)に頭をかじられると頭がようなる。これも予祝。
 
キリスト教圏にも「神は自ら助くるものを助く」という言葉があるが、願いを叶えたかったら全身全霊をもって行動するのが本当で、言葉遊びのように予祝を使うひとに会うと、なんだかなぁと思う。
 
 
 
 

祭りが育てるモノ・・・2024年糸魚川けんか祭り

2024年04月12日 07時15分17秒 | 糸魚川自慢
今年の「けんか祭り」の禊は波が高すぎ、膝くらいまでしか海に入らなかった。
「われは海の子」を地で行くような少年時代をおくってきた氏子たちは、「盆過ぎならこのノタ(波を意味する浜言葉)でもいいけん、今日は沖にもっていかれる」と、禊の朝のヒスイ海岸の危険さを共有しているところが嬉しい。盆過ぎならいいけんとは言っても、波にグルグル巻かれるのが楽しかった少年時代の思い出を暗喩しているので、普通の人は真似しちゃダメW
 
禊のあとは三々五々と墓参りにいくが、そうしろと教わった訳ではなく、自然とそうしたくなるのが「けんか祭り」の不思議。氏子にとって神社のご祀神の名前はどうでもいいところがあって、だた「神さん」とだけ呼ぶ。つまりは明治以降の国家神道の影響をものともせず、縄文以来ともいえる祖霊信仰を色濃く残した祭りということだろう。この部分もわたしが好むところ。
寺町区の鶏爺(トリジ)
祭りで一番の名誉が鶏爺の大役で、押上区は赤い色で口をひらいて舌をだした面、寺町区は赤茶色で口を引き締めた歯嚙(シガミ)の面をしているので、阿吽を意味しているのかも知れない。
 
「けんか祭り」の間の鶏爺にはなんの権限もなく、「神さん」として祀りあげられて榊を振っているだけだし、この祭りには絶対的なリーダーがおらず氏子の総意を運営委員長くみ取り代表権をもち、神社は「天津神社春の例大祭」をうたいながらも「場所を貸しているだけ」という立場なのも面白い。
 
氏子が神社を借りて「けんか祭りという場」をつくり、そこに降りてくる祖霊たちを慰撫する祭りなのだと、わたしは実感している。
 
糸魚川けんか祭りに1万1千人 新潟
ちょっと前の「けんか祭り」の動画。
 
御輿を引っ張る「手引き」と担いで走る「白丁」は、転んだら一生の笑いもの、男として認められないというプレッシャーがのしかかってなお立候補した、勇気ある男の証し。
 
御輿の喧嘩を「ぶつけ合い」と言われるようになったのは最近のことで、昔は「競り合い」と言っていていて、ラクビーのスクラムのように御輿を「競り合う」。
 
前のほうにいると後ろから100人ちかい味方の圧力を受けることになるので、体が横を向いたりすると胸や首が圧されて呼吸困難となり内臓が破裂しそうになることもある。
 
真っ先に前にいく人をみたら、度胸と体力のある偉丈夫だと褒め称えてやって欲しい。今年は幼馴染のケンジやカズユキちゃんが頑張ってた。今年の「競り合い」はずっと御輿の後ろの担ぎ棒を担いでいて、誰かの肘があばら骨に当たった痣が何か所もできた。
 
圧力に負けて肩を抜くのは弱い男と表明するようなものだから意地でも肩を抜けないし、肋骨にヒビがはいったくらいで泣き言を言うのは男の恥辱だから、みんなケガをしても黙ってる。
 
わたしの前を担いでいた若者の首が担ぎ棒の角に圧されて苦悶の表情を浮かべた刹那、横にいた四歳年長のカズユキちゃんが「出ろっ!死ぬぞ!」と引っ張りだし「オサム頼む!」と声をかけてきた。おうとも!よくぞ男子に生まれけり!と血が沸騰した。
 
何はともあれ無事に祭りを終えた途端、年相応のヨレヨレのオッサンになったw
 
祭りで精も根も尽き果てた夜は、ひたすら眠る。1週間くらいは声は出ず、全身が重だるくてボーとした症状が続くが、「お祭りでストレス解消して明日から仕事がんばれますね!」なんて軽く言われると返す言葉もなく、お祭りイベントしか知らない人に説明はできんW
 
翌朝は部分的な筋肉痛はないが全身もれなく筋肉痛で、午前中はラジオを聞きながら祭りの余韻にひたりつつ、布団のなかでウトウトしていた。気持ちいいんだこれが。
 
祭りは郷土愛を育てると同時に「そんなことしたらバチが当たる」といったコミュニティに共有された道徳心、共同でなにごとかを成し遂げる協調性、敬老精神を育てる。これも「けんか祭り」で得た実感だ。
 
いまさら「教育勅語」を持ち出し、国家への忠誠心や愛国心を教育現場で教えるのは不自然に過ぎると思う。
 
地域の祭りを大事にしよう。参加しよう。
 
そうすれば郷土愛の延長線にある、ごくごく自然な愛国心のようなものが芽生える。そこから先は個人の選択だ。
 
 
 
 

 

 

 

 

 


糸魚川出身の画家 野坂衣織 作品展のご案内

2023年10月27日 07時51分22秒 | 糸魚川自慢
高校美術部の後輩の野坂衣織さんが上越市で作品展をするのでご案内。野坂さんは糸魚川の早川区出身。
川村翠さんは直江津出身。野坂さんが高校時代に美術の担任した縁で、絵画に開眼した新進気鋭の画家
 
絵描きにとっては失礼な質問なのだが、最初はクレーが好きなの?と聞いてしまったのは先輩後輩という関係だったからだけど、いつの間にか作品の深みがまして独自の画風を確立していた。
 
立体造形であるはずのヒスイ加工品でも奥行きと密度がない作品が多いなか、二次元表現であってさえ彼女はその壁を越えている。
 
絵を見るワタシから、絵の中にいるワタシになる不思議。こういった絵画は見飽きることがない。
 
でかい絵は飾るところがないし金もないから、絵葉書サイズの作品があればいいのだがw
 
 
 

糸魚川の子供たちに教えたい、昔のジョウバは怖かった!・・・秋祭り

2023年10月25日 07時48分52秒 | 糸魚川自慢
一の宮(天津神社・奴奈川神社)の秋祭りで、ジョウバ(除魔・獅子のこと)が向かいの保育園に乱入して、園児の頭をかじっていた。
頭をかじるのは無病息災と頭がよくなる呪いで、女性の尻をかじると安産祈願だ。口をパカパカ鳴らして歩くのは、バクチクが中国で春節の時に破裂音で魔除けをするのと同じ。
 
私の子供時代のジョウバは乱暴で、顎で頭をひっぱたれるから必死に逃げまわっていたのだが、いまはビビりつつも「かわいい~」って言われていた。
 
ジョウバに塗られたウルシと装束の麻の匂いを嗅ぐと、私の世代は祭りの祝祭モードにはいる。いい匂いだ。今の子供たちはどうなのだろう?
 
少子高齢化の人口減少で氏子も減ってきているようだ。願わくば子々孫々と祭りが継承されて欲しい。
 
春の例大祭「けんか祭り」まで半年。待ち遠しい。
 
 
 
 

笑って泣いて仏教を学べる「節談説教」が糸魚川で開催!・・・仏教エンターテーメント

2023年10月16日 07時22分14秒 | 糸魚川自慢
原石の仕入れとヒスイ加工遺跡の調査で北海道と東北を旅行していたのでご無沙汰の投稿。
 
大衆演芸の研究家でもあった俳優の小沢昭一さんが、北陸地方で発達した浄土真宗の節談説教(ふしだんせっきょう)が浪曲(浪花節)の源流のひとつではないかと著作とCDに遺しています。
檀家寺の住職にCDをお貸ししたところ、非常に面白いと糸魚川で節談説教が聴けることになりました。
折伏や説教ではなく身の回りのできごとを語り、語りがいつしか節(メロデイ)になり、誰にでもわかりやすく仏法を語る仏教エンターテーメントであり、かっては庶民の娯楽のひとつでした。
 
笑いがいつしか涙にかわり、ごく自然に敬虔な気持ちとなるのが、じつに日本の宗教らしくて佳いのです。
平日ですが入場無料・事前申し込み無しで聴くことができますので、ご興味があったら是非ともご参会ください。
 
往時の風習を再現したウケ狙いで、私と叔父がお布施を集めるザルを持って歩いて周りますが、あくまでも余興であって入場無料です。もちろんお賽銭やお布施は自由意志です。
 
 

気持ちいい手触りのモノ・・・匠さんのHERA CHAIR

2023年09月30日 08時08分49秒 | 糸魚川自慢
土偶を黒く着色する燻し焼きにつかうオガクズを工務店「匠」さんにもらいに行ったら、渡辺社長が家具部門に案内してくれた。同行者は漁師の松沢さん。
家具職人の長内さんと社長が共同開発した椅子が大評判だそうだが、座り心地やデザインだけでなく手触りが素晴らしいのだ。北欧の椅子のような毅然とした存在感ともちがって、柔らかくて温かみのある優美な曲線をもつデザイン。
 
わたしは家具をふくめた木工品が好きだから、輸入品もふくめて色々みてきたし座らせてもらってきたが、こちらの椅子に座らせてもらうと、自然にひじ掛けを撫でさすり続けてしまう。
 
立体造形物は奥行きと密度が重要で、わたしもヒスイ加工で肝にめいじていること。奥行きを感じない平面的なヒスイ製品が多いのだ。
 
そこに加えて「目に当たらない造形は触覚も心地よい」とも考えている。「当たる」とは、靴のなかに入った小石のような遺物感のことだ。
 
ヒスイの質を褒められても加工技術とは無関係だから嬉しくもないが、見飽きないとか、手触りが気持ちいいのでずっと握っていたくなるとの評価は最大級の褒め言葉。
こちらは通常の平ガンナ、刳り小刀、南京カンナ。家具工房にしては大型機械が少なく、手道具がたくさん並んでいるのが特徴。
 
 
長内さんとそんなことを話し合ったが、業種はちがっても共感できる職人が地元にいることは励み。彼女は青森の亀ヶ岡遺跡の近くの出身だそうだから、もしかしたら苗字の長内は北海道の稚内(わっかない)の内と同じく、アイヌ語の「綺麗な水が湧くところ」に由来しているのかな。
 
優美な曲面を削り出すための刃物は特注品が多い。
極小の反りカンナは彼女が台をつくったそうだ。刳り小刀は超特大で、もはや小刀ではなく脇差w
 
 

本はネット通販より街の本屋と図書館へ!・・・青海区の「小さな図書館cafe」

2023年09月28日 07時44分04秒 | 糸魚川自慢
来客から青海区の「小さな図書館cafe」を教えてもらって訪問。
経営者は元学校の校長先生だった八木夫妻で、定年退職後に実家の納屋を改装して二年目だそうだ。わたしのことは常連さんから聞いていて、「ヒスイのセンセー」と呼ばれて苦笑い。
メニューは400円均一の3種類のコーヒー(ケーキ付)のみ。懐かしの椎名誠と民俗学系の本を選んだ。
美味いコーヒーを飲み終わった頃合いにアップルティーをサービスしてくれた。
 
棚にならぶ本の中からタイトルや装丁に惹かれて手にして、未知の世界とであうことのできる図書館や本屋は、ネット通販にはない魅力であって、立派な文化拠点ですよとオーナー夫妻と話しあう。
 
気軽にネット通販で本を買っていると、そのうちに町の本屋さんがなくなってしまうから、わたしは新刊本は本屋で注文して古本だけネット通販を利用している。
二階席で若い親子連れが絵本を読み聞かせしていて、朗読する母親の声が聴こえてきて心地いい。
本に興味のなさそうな地元のばあちゃん2人組みが、方言まるだしのでかい声でお喋りしていて、活字を追うわたしにしきりに話しかけてきて、なぜか旅情を感じた。
 
つまりはこのカフェでのわたしはコーヒーを供にした知の旅人で、たった400円でトリップできる得難い場所をみつけた。( ´艸`)
 
住所は糸魚川市田海281。海まで300mくらい。土日限定の営業。ただし土曜日は午後からのみ営業。
糸魚川地方の沿岸部に典型的な砂地の畑のなかにポツンと建った一軒家。
センスのいい水色の玄関ドアと二本の旗が目印。写真の奥が国道8号線でそのまた向こうが日本海。