goo blog サービス終了のお知らせ 

縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

本気にインバウンドや文化継承を考えるなら「ばとるかーにばる」の活用を・・・けんか祭り2025

2025年04月13日 07時20分34秒 | 糸魚川自慢
祭り装束の集団に、オーストラリア人旅行者からなにがあるの?と質問され、「ばとる!ばとる!え~とネ・・・ばとるかーにばるっ!かーにばるっ!」と説明してる爺さんの氏子がいたw・・・「Kenka Festival」と言って、二つの地域が二基の神輿でfightするラグビーのような祭りと補足し、ジョウバ(除魔・魔除けの獅子)を読んで頭をかじってあげた。
「けんか祭り」の現場に外国人向けのツーリストインフォメーションや通訳システムがない糸魚川市。インバウンドの掛け声はどうなった?
こちらは上越市の友人が連れてきたスリランカ人。
 
すぐ近くに中学と高校があるのだから、英語授業の一環でボランティア通訳させればいいのにネ。
 
ガイドするには基礎知識が必要だ。例えばジョウバ(除魔・獅子のこと)の由来、なんで顔が赤いのか?なんで口を開け閉めしてパカパカ鳴らして歩くのか?頭を噛まれると賢くなり、尻を噛まれると安産という言い伝えなどなど。
 
ボランティアの観光ガイドくらいなら、中学1年で習う英語を駆使すれば、のーぷろぶれむ。郷土の文化も学べ、生の英会話ができて一挙両得。
昔はお宮に近づくと、綿菓子や焼きそばの匂いがプンプン漂っていたのに、屋台の数も減って淋しくなってきた。「けんか祭り」は曜日に関係なく4月10日が開催日でも、昔から学校は通常通りの授業だからということに加えて、少子化ということもあるだろう。お隣の上越市の桜まつりの方が儲かるから的屋が来ないとも聞く。
 
英語が堪能でも日本の文化を語れない日本人を、外側が黄色くても中身が白いバナナジャパニーズと揶揄する言葉がある。都会に出てもお国自慢できない地方出身者も似たようなものではないか。
 
わたしの親族でも「けんか祭り」にでない家の子供とは方言が通じなかったりするが、地域の古老から若者の祭りコミュニティの中で育つと、方言やしきたりといった伝統、つまりは文化は自然に伝承されていくのだが・・・。
 
4月20日は市長選だ。どなたが市長になっても、せめて祭りを子供に見学させるなどの文化行政に力を入れてくださいな。
 
誇れるお国自慢があれば、望郷の念からいつか帰ってくるかも。
 
 
 

ご先祖が護ってくれました~・・・令和7年度「けんか祭り」

2025年04月11日 08時00分34秒 | 糸魚川自慢
坐骨神経痛を気合でのりこえ、最後まで奔り、競り合うことができた今年の「けんか祭り」。
祭りにでるからには弱音を吐かない、弱みを見せないのが氏子の料簡。法被を着ると背筋が伸びる感じがする。帰属社会が営々と営んできた伝統を背負うことになるから、祖霊がチカラをあたえてくれるに違いない、とわたしは実感する。
運営委員から御輿を担いで奔る白丁(はくちょう)を、歩いている時に休めるための交代要員を頼まれ、座骨神経痛で痛む左側を担いでいた。
 
幼馴染のミキオも、足首のじん帯を痛めたので御輿は担げんと言っていたが、中盤からは自らすすんで担いでニコニコしていた。
 
ラクビーのスクラムのような御輿の競り合いでは、孫が生まれたばかりの4年上のカズユキちゃんがいつも隣りにいた。
 
「勝ちにいく」文化ではなく、「負けられん」文化で共に育った男たち。こういった集団に身を置くことは男子の本懐と心底思う。
 
今年はわたしにとって特別な祭りだったが、ミキオやカズユキちゃんにとって、そして子供がはじめて参加するリエちゃんにとっても同じ想いだろう。氏子の一人一人が、今年は特別な祭りとの想いを秘めている。
 
 
 
 

激動の時代を生きた糸魚川の「おしん」・・・97歳が経営する奇跡の「無敵屋」さんが糸魚川タイムスで紹介

2025年04月09日 07時58分23秒 | 糸魚川自慢
97歳が経営する奇跡の「無敵屋」さんを糸魚川タイムズさんが取り上げてくれた。
今年は終戦から80年なので、当時の生き証人が現役というのも貴重だから、今後の記事に期待したい。
web記事は下記
https://j-times.jp/archives/95325
 
 
父親が創業した「無敵屋」は戦前の大火で消失して、店主が小学二年の時に再興。今年で創業100年を迎えるそうだが、1925年といえば「世界恐慌」が日本に波及する5年前で、起業早々に不景気に突入したことになる。
 
2前に亡くなった幼なじみのご主人とは、シベリアで4年の抑留生活から復員してから婿として結婚。憲兵の腕章をつけた軍服姿の写真をみせてもらったら、襟章に星二つがついていたので陸軍憲兵の軍曹だったらしいが、俳優みたいに凛々しい男前ですね!と言ったら老店主はニンマリした。
 
高度成長期は仕入れた先から売れてゆき、3人の従業員を雇い、子育てしながらの大忙しの日々。
 
郊外店ができ、同世代のお得意も次々と亡くなり客足は遠のいていった。
 
2016年の「糸魚川駅北大火」では煙と火の粉も飛んできて、貴重品や商品を防火用の床下ピットと蔵に収めたが、辛うじて延焼を免れた。火事が多かった糸魚川の古い商家は、店舗の床下に防火ピットが備えてあるのだ。
 
能登半島地震で息子の家が全壊し、廃業した問屋もいたし、跡継ぎがいなくて廃業した問屋もいった。
 
店のある旧国道(加賀街道)が賑わうのは、「けんか祭り」と「金毘羅神社」の祭礼だけになった。
 
店主の一代記は「おしん」のようだ。
 
身近なお年寄りと話してみると、内に秘めた歴史の重さに驚く。市内に店主のようなお年寄りがまだいると思うが、掘り起こしたらどうだろう?と記者と話し合う。
 
老店主の10歳年下の母に新聞をみせたら「なつかしい!会いに行ってくる」とえらい喜びよう。そんなお年寄りが多いと思う。
 
今年の敬老の日は特別な想いで迎えることになりそうだ。
 
 

97歳の店主がいる奇跡の洋品店「無敵屋」をご贔屓に!・・・「けんか祭り」の氏子の矜持

2025年04月06日 07時39分29秒 | 糸魚川自慢
もしかしてギネス記録?97歳の店主が独りで切り盛りする、奇跡の洋品店「無敵屋」をご贔屓のほどを!
97歳になってもお化粧している店主のオシャレ心と指に注目!しっかりした骨組みの手は、どんな人生を送ってきたかを如実に物語っている。Facebookで紹介したら、著名な「自然界の報道写真家」の宮崎学さんがスバラシイ手をなさっておられる!と褒めてくれた。わたしが師匠と呼ぶだけのことはあるネ。
 
「けんか祭り」の法被の下は白の足袋と肌着に決められているが、地元愛のつよい氏子は量販店ではなく、昔馴染みの旧国道沿いの「無敵屋」にいき、「婆ちゃん元気かね?今年も祭りの足袋買いに来たぜね」と、大声であいさつして買い求める。
大声なのは老店主が耳が遠いからw。
 
祭礼は地域の結束を固めるから、氏子は祭りを迎える喜びを分かちあいたくて、地元の個人商店にお金をまわす。
 
わたしが生まれ育った寺町区の祭りの集まりで飲む酒は「樋口酒店」、酒の肴は「一印かまぼこ店」の蒲鉾と「山一精肉店」のハムカツ、そして衣類は「無敵屋」と、駅北の旧国道8号線沿いの個人商店を義理堅く贔屓にしている。
 
「無敵屋」さんと同じ時代を生きてきたお得意はみんな鬼籍にはいり、問屋も次々と廃業して仕入れ先は1店だけになったそうだ。昔は従業員が何人かいたし、ご主人も亡くなって、独りでは淋しいよネ・・・。
お客さんが来なくなっても化粧をして、いつもの青い上っ張りを着て、店を開けて店番をするのがお母さんの日課だ。シャッターは独りでは無理なので、ご近所が開け閉めしてくれているそうだ。
 
心ある人よ、奇跡の97歳の現役商店主から肌着でも買って、元気つけてやってくださいよ。
長寿のお裾分けをもらえるし、量販店に比べて品揃えこそ少ないけど、値段は全品1割引きだ。
 
97歳ということは終戦は娘盛りの17歳。まさに生きる昭和史で、こんな人から買いものできる店は滅多にないヨ。
 
旧国道はかって加賀藩が参勤交代をした「加賀街道」だから、商店は間口がせまく奥行きのある典型的な町家つくりだ。
しかし徐々に人の流れは郊外店にうつり、市町村合併にともなう新幹線開業で街の賑わいは駅南にうつってしまい、往時をしのぶことは難しい。
 
愛国心がどうのと四の五の言う前に、郷土愛の育成が先。それには老人から若者までが団結して伝統が継承されてゆく祭りが一番!
 
地方創生や人口減少を心配するなら、地元の個人商店を贔屓にすることが最初の一歩!
 
 
 
 

「けんか祭り」で坐骨神経痛をぶっとばせ!・・・足袋の中敷き

2025年04月05日 07時26分01秒 | 糸魚川自慢
酷い坐骨神経痛で寝込んでいた1月時点では、今年の4月10日の「けんか祭り」の参加はとても無理と諦めていたが、2月には気力が湧いてきて祭りまでに回復すると決意をかため、足袋の中敷きクッションを買っておいた。
アスファルトの上で何時間もとびねる青森の「ねぶた祭り」で膝や腰を悪くする人が多く開発されたのが足袋の中敷きと聞くが、現在は全国の祭りや仕事で地下足袋を履く人にも愛用者が多いらしい。
「けんか祭り」はラクビーのように御輿をかついで奔り、ぶつかり押し合う激しい祭り。見ると出るのでは大違いで、はじめて御輿の競り合いをした時は、後ろから押されて呼吸どころか心臓が止まる!と死ぬかと思った。
ただでさえ天津神社の境内の地面が濡れていると、泥で重くなり湿った草鞋が足に食い込み、帰宅まで足が痛いくらいにジンジン冷えて辛いから、情けないけど坐骨神経痛持ちには中敷きは助かる。
 
氏子にとっては「けんか祭り」は、盆と正月より重要な一年の節目、人生の転換点だから坐骨神経痛とオサラバ・・・したいものでございますw
 
 

糸魚川自慢の湯治温泉・・・坐骨神経痛に効く笹倉温泉

2025年02月12日 06時30分16秒 | 糸魚川自慢
足しげく湯治に通ったおかげで、異様な眠気と坐骨神経痛も、大雪の峠と共に越えつつある。やはり過労だったのだ。
 
自宅から車で30分圏内にある温泉のなかで、早川区の笹倉温泉はすべてにおいて程がいい。
笹倉温泉の日帰り入湯客の駐車場にあるお堂。由来は知らないが薬師観音かな。
 
市街地から30分とは思えない別世界の雪景色だから、ちょっとした旅行気分が味わえ、平日は空いているので日常を忘れてゆっくりできる。
現在は立派な温泉旅館だが、子供のころは農家が農閑期になると自炊して過ごす鄙びた湯治宿だった。共用の台所には朝顔形の鋳物コンロが並び、5円入れるとガスがでて煮炊きした。温泉で炊いたご飯は黄ばんで美味かった。近所に酪農家もいて、朝霧のなかをしぼりたての牛乳を小分けしてもらいに行った記憶がある。
笹倉温泉へのルートは除雪が行き届いているし、大雪でも路面が凍結しにくいので安心して運転できる。
 
信州に抜ける国道148号線沿いにもいい温泉は多いが、常連客が話しかけてきたり、登山やスキー帰りの団体がいたりすると賑やかで、気ままな読書と昼寝ができなかったりするのだ。
 
除雪機で助けてくれている近所のおじさんに、どんなお礼をしようか?酒もいいのだが、「またヨロシク!」と受けとられては心外だし、余計なプレッシャーを与えてしまう。
笹倉温泉の売店にうってつけの土産があった。時節柄も値段的にも程がいい入浴剤で、気が利いている。
 
お互いにお裾分けしあうご近所なので、シーズンオフになったら改めて酒をもってお礼にいこうと思う。
 
 
 

雪の笹倉温泉でスコップ三味線の無料ライブ!・・・糸魚川のイチオシ温泉

2024年12月07日 07時14分55秒 | 糸魚川自慢
糸魚川近隣の人に朗報!
本日11から笹倉温泉にて、スコップ三味線の無料ライブがあります。礼儀として日帰り温泉くらいは利用してくださいな。
 
スコップ三味線は津軽三味線のパロデイの宴会芸からはじまり、世界大会までやるに至ったエンターテインメントで、昨日は本物の津軽三味線とスコップ三味線(別名はちゅがう三味線)の共演があった。
調子あわせしている図w
 
ねぶた囃子の笛や、ミニ体験会、うろぉ~!という津軽三味線の掛け声や、ねぶた祭りのラッセラのかけ方講習、じゃわめく、まいね~、どさ?ゆさ!だはんで、などの津軽弁トークもある愉しい会。
外は雪景色でも、ライブ会場の玄関ホールは真夏のねぶた祭りの熱気だ。
 
ぎっくり腰で歩くのもつらい状態で作品展から帰宅して腰痛がつづいていたが、湯治のつもりで温泉にきて運よく遭遇。
 
笹倉温泉は来るたびに腰痛が楽になっていき、静かだから糸魚川で一番好きな温泉。
 
 

同級生っていいな・・・糸魚川高校83年卒業組の同級会

2024年11月03日 07時13分41秒 | 糸魚川自慢
いまだに高校卒業して5年くらいしか経っていない感じしかしないのに、還暦祝いの高校の同級会に出席。思えば遠くへきたもんだ♪
照れくさいから同級会は苦手なのだけど、もう二度と会えないヤツもいるだろうから勇気をだして参加したぁ
「若いちから」をBGMに幹事が当時の制服を着て入場する趣向が大受け。42年ぶりに校歌を歌い、高揚と不安が入り混じった思春期の体臭や、入り浸っていた美術室の油絵具の匂いが蘇る・・・懐かしいはチカラ!
女子は聖子ちゃんカット、明菜カット、男子は「たのきんトリオ」の髪型が多かったネ。
 
クラスごとのテーブルに卒業アルバムの写真のコピーが置かれていて、学園祭や体育祭のヒーロー、クラスのマドンナたち、ツッパリ、部活仲間、変装してオールナイトの日活ロマンポルノを観にいった同士たちの変わり果てた姿と見比べて笑い転げた。
 
小学生から高校まで、ラジオの深夜放送「オールナイトニッポン」で仕入れたエロネタを笑福亭鶴光の物まねで披露していたKが、現在は小学校校長をしていると聞いて驚く。Kは勉強もできたが、小学生のころからクラスメートの性教育に熱心だった。
 
6年生の夏に体育館のマット置場に引っ張りこんで、「ええか!中学でなんで英語を習うか知っとるか?父ちゃんと母ちゃんが子供にわからないように、英会話で今晩お暇?と夜のお勤めの打合せをするためなんぢゃ!ホントだっちゃ!」とヘンなことを教えて笑わせたり、夏休みの宿題を写させてくれたりしていて、今から思えば当時から教育者の片鱗をみせていたナ( ´艸`)
乾杯の音頭は陸上部のT。当時の糸魚川高校は1クラス40名あまりで1学年9クラスもあり、その3割の120名が参加。肩書きに関係なく、渾名や名前で呼び捨てにできる仲間はいい。
 
60の花文字は、この日のために小学校入学時に「健康優良児」で表彰されたカヨコの家で、陸上部のヨシノちゃんが手伝って育てたバラだそうだ。風船アーチも幹事たちの手づくり。市役所職員や小学校校長などイベント慣れしたヤツばかりでソツがない。
 
次回は高校卒業50周年の8年後。何人生き残ってるもんだかわからんが、同級生のみなさんお達者で!覚えてくれていてありがとう!
 
 
 

本好きの店員さんのいる本屋さんは地域の宝・・・糸魚川市の本屋「ブックスサカイ」

2024年07月01日 07時33分34秒 | 糸魚川自慢
センスのよい選書コーナーをつくっている「ブックスサカイ」のW主任を売り場でついに発見!
妙見さまのヘビだね・・・滅多に見られないものを目撃した時の喩えでフロム志ん生の「三軒長屋」( ´艸`)
 
本好きのヒトの匂いがする素敵なコーナーだとFacebookで紹介した投稿を見せたら、うれしいですと涙ぐんでいた・・・ようにみえたw
 
諸星大二郎のファンなら、ヌナカワ姫でてくる作品を知ってる?「孔子暗黒伝!」と当意即妙の反応でムハッ!同じ趣味の本好きと読書談義できるのは人生の喜び。お互いの本棚を見せっこしたいw
W主任は民俗学好きでも宮本常一をご存じなく、星野亘之ファンでも「ヤマタイカ」を読んでなかったのでイチオシしたのが1ヶ月くらい前。わたしも読んでない星野作品を教えてもらった。
久しぶりに寄ったら宮本常一コーナーが新設されているではないか!
おお「ヤマタイカ」も並んでいるではないか!W主任も読んだのかな?感想を聴きたいものですなぁ。
 
W主任はバックヤードにいることが多いらしく、たまたまレジにいたので、おっけいぼくじょうイエイ!と親指をたてる。
わたしの投稿を読んで、わざわざお隣の上越市から訪ねてくる友人もでてきたw
 
本好きの店員がいる街の本屋さんは地域の宝、文化の拠点。なんども書くが、ネット通販でばかり本を買っていると街の本屋さんがなくなってしまう。地元にお金をおとすためにも本屋さんを大事にしましょうよ。
 
ネット通販だと同じ主旨の本ばかり検索されて情報が偏る恐れがあるが、図書館や本屋さんだと同じテーマでも様々な主旨で書かれた本とであえる可能性がある。
 
また店内をぶらぶら歩いて本棚から目に飛び込んできたタイトルの本を手にとり、装丁も含めた本を愛でる喜びは本屋さんの醍醐味。加えて選書コーナーに手書きのポップがあると、店員さんの人となりを感じて買いたくもなる。ネット通販みたいにAIが書いたような無味乾燥の紹介文VS'ヒトの温もりを感じる紹介文・・・わたしは後者を選ぶ。
 
以前、柴田駅前で活気を感じたちいさな本屋さんにはいったら、狭い店内に面白そうな民俗学や歴史の本が所せましと並んでいて、平積みには手書きポップが乱立して桃源郷に迷い込んだようだった。2万円は買ったと思うが、店主の本にたいする愛情に感化されたのだと思う。
 
本は本屋さんで買いましょうねぇ。
 
 
 
 

このごろ流行りの予祝(よしゅく)について考える・・・けんか祭りと能登半島地震

2024年04月14日 06時59分29秒 | 糸魚川自慢
「けんか祭り」で履いた草鞋は、玄関先や柿の木にぶら下げ、去年の草鞋は田畑にいれる風習がある。
奉賛者にしてみると呪いや功徳というより、共に奔り戦った戦友をゴミとして捨てるに忍びない部分もある。災害関連ゴミとして処分される輪島漆器の販売と同じく、モノの価値はモノガタリにあるという発想の原点。
 
ここ数年、自己啓発系のひとたちが、願望が叶ったこととして断言すれば実現するのだと、民俗学用語の予祝(よしゅく)という言葉を使うようになったが、願望を断言すれば叶うというなら、能登半島地震の被災地に広めてやって欲しい。
 
全てを失った被災者を前にして、「家が再建できた!」と断言すれば自宅が再建できますよ!と言えるか?
 
「けんか祭り」には春先に体力気力の限界まで出し切り、家内安全や豊年豊作、大漁まちがい無しとする予祝のニュアンスがあるが、奉賛者の実感としては「人事を尽くして天命をまつ」といった心境になる。だから仕事で頑張れる。
これも
ジョウバ(獅子の方言で」除魔が語源であるらしい)に頭をかじられると頭がようなる。これも予祝。
 
キリスト教圏にも「神は自ら助くるものを助く」という言葉があるが、願いを叶えたかったら全身全霊をもって行動するのが本当で、言葉遊びのように予祝を使うひとに会うと、なんだかなぁと思う。