縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

冬至の朝日が昇ってくるライン・・・論文「ヌナカワ祭祀圏のランドマーク」の検証

2023年04月30日 09時14分42秒 | ぬなかわ姫
史実と歴史観は次元が違うのだが、公表された個人の歴史観を史実と思い込んでいる人は多い。
 
わたしは様々な言説にであうとホントなの?と一定の距離をおいて保留しておくが、興味がわけば自分で調べる。
 
そのひとつが内容的に考古学の範疇のグレーゾーンっぽい「ヌナカワ祭祀圏のランドマーク」という論文で、京ヶ峰主峰から冬至の朝日が昇っているのが笛吹田遺跡から見える、すなわち京ヶ峰主峰は古墳中期のランドマークである、といった内容だ。
 
そこで京ヶ峰主峰に登って緯度経度・標高を調べて、「eマップ糸魚川」の遺跡範囲地図にプロットしてみたら、面白いことがわかった。
論文では京ヶ峰主峰と笛吹田遺跡の位置関係だけを問題にしているが、冬至の朝日が昇ってくる予想ラインをピンクの線(A)でひいてみたら、笛吹田遺跡の北にある姫御前遺跡も朝日が観測できる範囲に入っていた。
 
また主峰の南にある稚児ケ池(奴奈川神社跡)~主峰の隣りの最高峰~笛吹田遺跡~姫御前遺跡まで紫の線(B)を引いたら、まっすぐに並んでいることが確認できたのだ。
 
二つの遺跡は弥生後期~古墳中期の玉作遺跡で、ここまでは疑いのない史実である。稚児ケ池との位置関係は偶然の一致にしても、主峰から朝日が昇ってくるのが目視できるのなら、その位置を選んで住居域にしていた可能性もある。
 
また寺町区の人々は、江戸か明治のころまで稚児ケ池で稚児の舞いを奉納していたそうだから、点が線につながり物語りが浮かび上がってきそうだが、ここから先は個人の仮説であり歴史観。もちろん偶然の一致という可能性もあるし、史実を切り張りした仮説や歴史観を史実のように語ることは自戒するところ。
 
よくニューアカデミーなおじさんが、どこかの神社や遺跡が一直線に並んでいる!冬至の朝日が昇ってくる!といった類いのトンデモ説もどきを聞くが、目視できようもない距離を伊能忠敬みたいに平板測量をしながら位置確認してたの?それとも謎の超古代文明があったのか?それとも宇宙人が知恵を貸したのか?と冷ややかに聞いてしまう。
 
紫の直線(B)くらいなら長い竹竿をもった人を何人も並べて見通し測量すれば、古墳時代であろうと直線距離の2キロ程度の真っ直ぐなラインを出すことは可能だ。わたしは測量士と一級土木施工技師なのよ。
 
冬至の朝日問題を検証するには時期的に晴天であることは稀なので、肝心の冬至の朝日が確認することが難しいことが問題。冬至の時に観察してはいるが、いつも曇天なのです( ´艸`)
 
とりあえず成果を書いて、論文の著者に書簡を出してみる。
 
 
 
 

ヌナカワ姫はヒスイの女神にあらず水の神だった!?・・・柳形神社と呼ばれた稚児ケ池

2023年04月29日 08時21分02秒 | ぬなかわ姫
ヌナカワ姫は水の神・田の神として、稚児ケ池の小字の柳形神と呼ばれて崇敬されたという仮説をたて、文献を読み込みこんでは稚児ケ池周辺を歩きまわっている。
大正時代に編纂された「西頸城郡誌」によると稚児ケ池の昔の所在地は、西頸城郡平牛村山崎柳形であったらしい。現在の奴奈川神社は明治のころまで柳形神社と呼ばれていたともあるが、柳形は稚児ケ池の小字だったのだ。
 
国土地理院の地形図アプリで確認しながら踏査したら、京ヶ峰主峰のピークは標高158m、稚児ケ池は標高126mで、緯度経度もばっちりおさえることができた。
見通しのわるい主峰西側の木立から黒姫山も目視できた。ヌナカワ彦・ヌナカワ姫・黒姫の三座が鎮座する信仰の対象が、稚児ケ池に遷宮した旨の口碑があるので、これは大事。
おおむね標高80mくらいからブナ林が点在していた。杉林は暗いがブナ林は明るいので気持ちがいい。
植物図鑑アプリがおもうように起動してくれなかったけど、ブナですよね?W
 
今回の成果は、海側の糸魚川市街地から、稚児ケ池に至る古道を見つけたことだ。
これは寺町区の人々が、稚児ケ池で稚児の舞いを奉納していたという口碑を元に、正装した幼児や大人が徒歩で稚児ケ池に到達できる地形をグーグルアースで探した結果である。
 
この古道だと拙宅のある笛吹田遺跡から、ゆるやかな登りの山道を徒歩20~30分で稚児ケ池に到達できる。それと「山崎三十三塚」が点在するルートらしく、こちらは50年前の発掘報告書を確認中。
 
京ヶ峰の主峰越えルートもあったようだが、ながらく人が通らない踏み分け道なので、倒木や土砂崩れでルートがはっきりせず、登山レベルの登坂道だから正装した集団が越えられる道ではなく、私も歩くたびに迷子になっている。これが愉しいのだけどネ。
 
それと今回の踏査の目的のひとつ、論文「ヌナカワ祭祀圏のランドマーク」の検証に関する成果もあった。これは次回
 
 
 

京ヶ峰の頂上から海をみた!・・・ヌナカワ姫伝説と長者ヶ原遺跡のあるエリアは糸魚川の水ガメ

2023年04月28日 07時51分40秒 | ぬなかわ姫
海にひらけた糸魚川市街の後背地が京ヶ峰の丘陵で、ここは長者ヶ原遺跡や稚児ケ池などヌナカワ姫伝説がおおく残る史跡エリアでもある。
拙宅のある「笛吹田遺跡」から、標高120mほどの主峰ピークから冬至の朝日が昇ってくるのが見える京ヶ峰は神備山であるとする主旨の論文「ヌナカワ祭祀圏のランドマーク」をみつけたので、稚児ケ池から主峰に登ってみた。
郷土史家によるものか稚児ケ池の東に、柳田権現(奴奈川神社)とする手書き看板をみつけた。
植林した杉林ばかりだと思っていた京ヶ峰は、頂上にコナラ?らしき広葉樹の疎林が残っていて、その北側から姫川河口付近の日本海が見え、たいへんな感動を覚えた。
見通しのわるい林から突然海がみえると感動しますな!
沿岸部の糸魚川駅からたった2キロの山中に広葉樹の林があることも、そこから日本海が見えることも知らなかった。
 
この丘陵は糸魚川市街地の水ガメなのだ。海岸部にも大量の水が必要な酒蔵が3つもあることに納得できた。
西からみた稚児ケ池。八千鉾神に夫神のヌナカワ彦を殺され、能登に拉致されたヌナカワ姫は逃げ帰り稚児ケ池の茅芦原にお隠れになった。そこをイズモの追っ手が火を放った・・・むごいことをするもんだ。
 
ということは明治まで柳田権現、柳形様とも呼ばれたプロト奴奈川神社たる稚児ケ池は、水の神を祀ったご神域?
 
主峰の日本海側の市街地には笛吹田遺跡のみならず、姫御前遺跡、南押上遺跡、後生山遺跡と弥生~古墳の玉作遺跡が密集している。
 
ヌナカワ姫は水の神として尊崇された?ヌナカワ姫は黒姫であり、黒姫はヌナカワ姫の母神とする口碑もあるが、もしや黒とは畔(田の畔の古語でクロと読む)であり、古墳時代においてはヌナカワ姫は水の神、田の神ではなかったか?そんな推理を愉しんでいる昨今。これは50年ほど前に「糸魚川市史」を編纂した青木重孝氏の論考に、黒姫の語源の考察を取り入れて発展させたもの。
 
拙宅裏に下るつもりが迷子になり、大幅に西にそれて翡翠園にでてしまったので、次はGPSをもって登ってみる。
 
稚児ケ池の周りにある「山崎三十三塚」の一部を40年前に発掘した報告書もみつけたので、読み込んでいるところだ。
 
 
 

商品が並んでいないヒスイ工房のギャラリー・・・ぬなかわヒスイ工房

2023年04月24日 07時19分40秒 | ぬなかわヒスイ工房
工房ギャラリー兼応接間がカタチになりつつある。
趣味のコレクションが所せましと並び、ヒスイ工房のギャラリーというよりはアジア雑貨屋のようだが、日の目をみなかったモノを並べられてウレシイ。
バンコク警察の手錠、遺物、プロレスラーの前田日明からもらったアルマーニの香水、古武術研究家の甲野善紀先生から贈られた手裏剣、漂流物、アジアの民具の数々。
大人の秘密基地、大人の隠れ家、迷宮と人は言うが、秘密でも隠してもおらんが迷宮であることは間違いなく、今後はますます混沌としてくるハズで、すなわち成長するギャラリーなのである(笑)
土器類は壊れやすいので、土間工事が終わってから飾る予定。
どこがヒスイ商品のギャラリーやねん。肝心の売り物は厳重にかくしてある(笑)来客に愉しんでもらえればいい・・・っていうか自分が居心地がいい空間を目指した結果なのです。
 
 

見晴らしバツグンの上杉謙信の西の守りの城・・・不動山城

2023年04月22日 07時22分08秒 | 糸魚川自慢
所用で早川区にでかけたついでに不動山城跡を探訪。
越後上杉氏の本家筋の家系で、謙信家臣団のなかで勇猛で知られた三山寺氏の居城で、集落の地名も要害。今でも井戸跡や縦堀がはっきり残っている南北朝時代から安土桃山時代の山城。
はじめて訪れたが、富山方面を守る勝山城から日本海、長野方面の仁科口を守る根知城が一望でき、なるほどと納得。
晴れていたら能登半島も見えるだろうな。駐車場から本丸まで徒歩20分くらい。悪路というほどでもなくハイキングコースレベル。
本丸の跡にはテレビアンテナ塔。城には桜が似合うが、モミジもあったから秋の紅葉も綺麗でしょうな。
テレビアンテナの設置にも都合がいい訳ですな。
 
行ってみて気付いたのは、親不知~糸魚川市街地~能生に抜ける山道の延喜古道(奈良時代に整備された日本初の国道)をも見張ることができることで、謙信居城の春日山城に伝令を走らせるには日本海ルートではなく、この山間ルートで能生地区の島道・鶉石に抜け、徳山城に順送りしたのではないだろうか。
 
ヌナカワ姫伝説も延喜古道ルート沿いに点在しており、山奥の鄙びた土地に意外なほどの古刹が残っていたりもする。延喜古道ルートは面白いねぇ!
 
 
 

 


謙信の義の塩は糸魚川産?・・・ぬなかわヒスイ工房で弁天塩の販売開始

2023年04月20日 07時14分45秒 | 糸魚川自慢
ぬなかわヒスイ工房で糸魚川産の「弁天塩」を販売するようになった。
手頃な値段ということもあり、来客があるたびに買ってくれるので、試しに仕入れた5個が1週間で売り切れた。
 
高校美術部の後輩の滝君が、わたしが海遊びのベース基地にしている弁天浜の海水を炊いた塩で、取引先がふえて嬉しい悲鳴をあげているらしい。
 
戦に負けて関東から上杉謙信を頼って越後にやってきた父方の先祖も、ヒスイ海岸の海で塩をつくって北前貿易で儲けたそうだから、もしや謙信が甲斐におくった「義の塩」に先祖も関わっていたのかも。もっとも能登も信州と塩の交易をする有力な産地だったので、北条氏が小田原からの塩を流通をとめて経済制裁したが、謙信は塩の流通をとめると能登や越中・越後の製塩関係者までが困窮すると判断したのではなかろうか。
 
来客にそんな「ヒトと塩の物語」をする。
 
ランチは「漁場 傳兵」に連れていき、そのままヒスイ拾いさせることも多い。点から線にして、線をつないでエリアとしての情報発信へ。
ヒスイだけが糸魚川の魅力ぢゃないぜ!
 
 
 

少年の好奇心と大人の知恵・・・「自然界の報道写真家」の宮崎学さん来訪

2023年04月18日 07時03分57秒 | ぬなかわヒスイ工房
「自然界の報道写真家」の宮崎学さんがきた~!世界的に有名な野生動物のプロカメラマンだ。
二年ほど前のNHKドキュメンタリー番組「アニマルアイズ 写真家・宮崎学」を視聴してファンになり、Facebookでつながらせてもらっていたが、新潟県境に近い定点観測地からひょっこり遊びにきてくれたのだ。
 
宮崎さんは野生動物の生態を知り尽くし、身近なものをつかって自作した撮影機材で撮影する方なので、環境問題、社会問題、動物の生態、DIYなど話題が豊富で、どれだけ時間があっても足りないくらい話しが面白い。
アームカバーがなんでも自分でやってしまう「自然界の報道写真家」の必須アイテム!ポケットに塩ビ管を鏡胴に利用した広角レンズにカスタマイズしたコンパクトカメラを入れておられたが、少年の好奇心をもったまま大人の知恵と技術を身につけたお人柄が伺える。気さくで飾らない人柄。
 
願わくば長者ヶ原遺跡で縄文キャンプをご一緒したいものだ。ガイドするわたしが気付かなくても、木陰から猪や熊、ニホンカモシカが観ているんじゃないか?縄文の杜にどれだけの動物が棲んでいるんだろう?
 
マタギ顔負けの知識をもつ宮崎さんと一緒なら、長者ヶ原遺跡の新しい魅力を発見できるに違いない。
 
 
 

長者ヶ原遺跡のクルミに花が咲いた・・・善意のネットワークで観光客をおもてなし

2023年04月17日 08時21分18秒 | ぬなかわ姫
二日前にガイドした時には咲いていなかった、長者ヶ原遺跡のクルミの樹に花穂(雄花)がたわわに実っていた。
例年より半月ほど早いようだが、あと数日で赤い雌花が咲いてクルミの実がつくかな。
この時期の葉は小さいので桜の葉に似ていて、ガイドした首都圏の医師夫妻も「これがクルミの花ですか!」と興味深々。
 
工房に訪ねてきた方のランチは、安く地魚が食える車で5分の「漁場 傳兵」を紹介している。
 
食事のあとにヒスイ海岸で遊んでもらっている間に注文品を要望通りにカスタマイズして引渡しできるから、時間に無駄がなくお互いに助かる。
長者ヶ原遺跡の1号住居
 
「漁場 傳兵」さんからは能生区のカニ屋「海冨丸」を紹介してもらって、帰り道の土産を買えたと喜んでおられたが、沢山のカニ屋が軒を連ねているので、地元の、しかも同業者の紹介があれば観光客も安心だよねぇ。
「ぬなかわヒスイ工房」の売上は個人のものだけど、「漁場 傳兵」→「海富丸」と点から線となると地域におちる金額もそれなりになるし、お客さんの旅の思い出もヒスイ・縄文・ヌナカワ姫・海産物とエリアの観光特性は立体的になる。
 
行政主導のシステムによるものではなく、迎え入れる地元民の善意のネットワークで繋がっていくことが気持ちいい。
 
 
 

石の保存容器としてのレイン・ステイック・・・ぬなかわヒスイ工房ギャラリーこけら落とし講座

2023年04月15日 06時24分11秒 | ぬなかわ姫
ぬなかわヒスイ工房ギャラリーのこけら落とし講座で、竹製レイン・ステイックつくり。
シャラシャラと水が流れるような音がする南米の楽器で、本来は枯れて倒れたサボテン内部に砂が入り込んだもので、雨乞いや魔除けに使われてきた祭器。
長野から参加した青木夫妻。ご主人は画家、奥さんは元イラストレーターで横尾忠則と北斎が好きという点で意気投合して話が尽きず、別れ際になって「楽し過ぎて写真を撮り忘れた!」と仰っていた。
 
友人宅の竹をバーナーで炙って「油抜き」をして竹串を差し込み、ヒスイ海岸の砂利を適量入れて自分好みの音を調整。
砂利に加えて、ヒスイや赤メノウの端材、水晶やサファイアのサザレ石(砂利サイズに加工してある石)なども混ぜた、「石のまち糸魚川」ならではのワークショップ。
工程はシンプルでも、刃物の扱いやロープワークを駆使すると、市販品よりぐっといいモノができる。
 
ぬなかわヒスイ工房式は、後から音の調整ができる工夫として、砂利を入れる開口部を布を縛って蓋をしている。旅先でひろった記念の小石、街で一目ぼれして買ったパワーストーンなど後から追加できるから、耳で聴く石の保存容器でもある。
ヒトと石の物語、ヒトと楽器の物語、ヒトとヒスイの物語
 
 
 

ジョウバは魔除けのコメデイリリーフ・・・糸魚川市民のための「けんか祭り」なぜなにシリーズ

2023年04月13日 07時53分23秒 | 糸魚川自慢
「けんか祭り」の獅子は獅子舞をせず、常に隊列の先頭にあって、口を開閉してパカパカと破裂音を鳴らすことで場を浄め、神の到来を告げる役割がある。
獅子とも言うが、浄魔(ジョウマ)が訛ったジョバ、ジョウバというのが一般的。
もうひとつの重要な役割は、祭礼と市民に接点を持つ存在であること。勇壮な祭りにあって、一種のコメデイリリーフ的な役割ですな。
 
子供の頭をかじると賢くなる!女性の臀部をかじると安産!店先で口をパカパカ鳴らすと商売繁盛!(ご祝儀がもらえる)などなど、ジョウバは福をもたらす来訪神。
 
ひと昔は子供や若い女性を見つけると全力で走っていき、カジカジしていたが、最近は時節柄もあっておとなしくなった。私の子供時代は荒っぽかったから、「頭ようなるぞ!」と顎の板で頭をゴンと殴られるので子供は真剣に逃げたし、悪ノリしてスカートめくりをされた女子高生がキャーキャー叫んでいた。
老人ホームの慰問もするが、合掌して有難がる老人もいれば、子供返りして怖がる老人もいる。
 
これは市民を祭礼に巻き込んで、メデタサのお裾分けをしているのだ。
 
祭りの朝の挨拶は「おめでとうございます!」だ。