縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ヌナカワ姫が逃げた「塩の道」・・・猫鼻の湯

2021年06月30日 07時39分03秒 | ぬなかわ姫

国道148号線の新潟・長野の県境を越えたとたんに、プ~ンと硫黄泉の匂いが漂い「猫鼻の湯」の看板があらわれるが、この不思議な名前の温泉の由来がやっとわかった。

越後と信濃の境を姫川が流れる地形が、猫の鼻っ先の三ツ口に似ているからだそうだ。
教えてくれたのは温泉オーナーの清水英雄さんで、私がヒスイ職人だとわかると「三種の神器の勾玉は糸魚川ヒスイだか?どれくらいでかいだ?ヒスイは今でも拾えるだか?」と矢継ぎ早に質問されて、入浴前に一時間以上も懇談。
「家からみえる山はあるだか?」と聞かれたので黒姫山だと答えると、色紙に「黒姫山山頂よ里 鶴千羽 五条松を含み 七福神を引き連れて 山田修家乃 門に入留」と書いて贈ってくれた。
屋根のある湯舟と二つの露天風呂があって入浴料500円!
 
達筆でスケベな話しが好きなスキンヘッドなので、親鸞聖人みたいですね!お坊さんですか?と言ったら、禅宗のお坊さんだそう。
年中無休24時間営業なので、無人になる夜に泥棒に入られたこともあるようだが、清水和尚は意に介さないのは、衆生へのお布施のつもりなのか?書道家としても有名らしい。
ここは千国街道(ちくにかいどう・松本街道、糸魚川街道ともいう)に位置する集落で、中世以降には「塩の道」とも呼ばれたし、縄文時代には黒曜石ロードやヒスイロードではなかったか?
 
出雲から逃亡したヌナカワ姫が、このあたりで追っ手に捕まりそうになり、再び糸魚川まで帰えり、拙宅裏の稚児ケ池でお隠れになった伝説にも出てくる土地でもある。
 
清水和尚の父親は糸魚川市青海区の「油屋」の出身で、私の母方の先祖はすぐ近くの「大海屋」という造り酒屋だったから、ご先祖同士は顔見知りだっただろう。
おまけに私の父親の先祖は、塩田を持つ塩問屋だったから、何かと縁を感じる。
 
ヌナカワ姫を崇拝しているという近所の常連さんからも、小谷村の歴史を教えてもらった。
 
小谷村には出雲から逃げて来た姫が、姫川の「姫ケ淵」に入水自殺して以来、姫川と呼ばれるようになったという伝説があり、この淵が実在することを知った。
 
後日に検証してみたら、武田勝頼の夫人が入水自殺した伝説と、武田勢に敗れた当地の武将の姫君が入水自殺した伝説が、ヌナカワ姫伝説と混じっているようだ。
 
拙宅からバイクで40分。息抜きにちょうどいい距離、場所、面白い人々。もちろん温泉もいい。
 
 
 

「未来少年コナン」は、近代科学と管理社会に対峙するキングコングであり、ブルースリーである

2021年06月28日 07時19分47秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

ある人に「未来少年コナン」を薦めたので、久しぶりに観たくなってYouTube動画で視聴したら、第二回目だけにヘンテコな字幕が出てきて笑えた。

例えば「おじい!」→「汚泥」とか、「いろいろゴタゴタがあってね」→「省庁の夫婦があってね」などなど。

育ての親が死にゆく愁嘆場で、「汚泥」はないだろ!
色々とゴタゴタがあってねぇが、省庁の夫婦とは、なにかの意図を感じる( ´艸`)
 
高校生の時に初めて観た時から気付いていたが、「未来少年コナン」は「十五少年漂流記」をかなり意識しているようだ。
 
例えばコナンが住んでいる「残され島」は蝶々のような形をしているが、「十五少年漂流記」のチェアマン島と同じであったり、最終回のタイトルも同じく「大団円」であったり。
変な字幕の最高潮(笑)
 
なにより少年が海と島を舞台に、困難に立ち向かう冒険譚であること。
 
帆船と飛行機、冷酷な悪漢と善良な人々、そして純真無垢な少年少女たちの友情、地下に閉じ込められた虐げられた民衆が蜂起する場面などは、「燃えよドラゴン」のラストを思わせるではないか・・・冒険活劇の要素が盛りだくさん。
コナン、生きていて・・・と語るラナです、念のため。
 
少女のラナが、いざという時はコナンを信じ切って、躊躇せず大胆な行動をとる所もいいし、ハイテクに肉体で立ち向かうところもいい。
 
すなわちコナンは「キングコング」やブルース・リーと同様に、近代科学と管理社会に対峙する人間の象徴であり、原始的存在でもある。
 
そんなことを長者ヶ原遺跡のイベントのたびに焚火を観ながら話すと、観たことのない人も観てみようと思うらしく、新たなファンが増えていく。
 
これから海の季節がやってくるが、今年はどんな冒険が待っているのか楽しみですゾ。
 
 
 
 

世界ではじめて長者ヶ原遺跡で遮光器土偶を作ったタマシイの記録( ´艸`)

2021年06月26日 07時55分48秒 | 縄文

これな~に? 遮光器土偶オカリナです! え”~!!!

タヌキでしょ?
 
見本を観ながら作ったのに、タヌキ、デーモン小暮、宇宙人にしか見えない超個性的な遮光器土偶に笑い過ぎて、腹筋が筋肉痛になりましたぞ。
これが噂のデーモン小暮オカリナ
 
顔だけとはいえ、長者ヶ原遺跡で遮光器土偶を作ったのは、ワシらが最初かも知れず、とりあえず世界初の快挙ではある。
宇宙人だよなぁ・・・。
 
最初に遮光器土偶を作って見せたら、型抜きじゃなかったんですかぁ?!と驚いていたが、前から一個づつ手作りしてると言っていたのにぃ・・・ボクを信じてぇ(´;ω;`)
次は、実際に煮炊きできる縄文土器に挑戦させますゾ。
できたての柔らかい土器とオカリナを、その日のうちに焼成できたのも快挙かな。
 
初心者向が失敗しない工夫を検討中!
 
 

思えば遠くに来たもんだ・・・柔らかい状態の縄文土器を野焼きする

2021年06月24日 07時52分09秒 | 縄文

夏至の朝日を長者ヶ原遺跡で観る会で、久しぶりの土器作り体験会。

通常は成形した後に1~2週間は乾燥させてから焼成するのだけど、参加者が持ち帰りやすいように少しでも乾燥させようとバーベキューコンロの熾火で乾かしていたら、予想外に赤く変色した炙り焼き状態までいってくれた。

それならばと本焼きしてみたたら、大成功してびっくり。写真は炙り焼きを終えて本焼きする直前の状態
 
20年くらい前に独学で土器作りをし始めた頃の私なら、神業と感じて弟子入り志願したに違いないが、要は粘土の乾燥具合の見極めと、火加減コントロールだけのことで、これができて初めて中級レベルと言えると思う。
縄文土器作りの基礎と言える技術が、いつのまにか身についていたことに感慨無量。
 
思えば遠くに来たもんだ・・・。
参加者が作ったミニチュア土器は、火焔型土器をイメージしたらしいが、もしかしたら史上初かもしれない土器の内側に縄文を施文した土器もあり、大いに学ばせて頂いた(笑)
 
次回は実際に煮炊きできる縄文土器を作らせてみたい。
 
これは私の学びの機会。さらなる高みを目指す。
 
 
 

夏至の朝日を長者ヶ原遺跡で迎える

2021年06月22日 12時09分40秒 | 縄文

前日までの梅雨空が一転して、夏至の朝日を長者ヶ原遺跡で迎えたいという念願がやっと叶った。

同じ場所で複数回の建て替えをした痕跡のある1号住居は、祭祀場の役割が示唆される大型の掘立柱建物に最も近く、また住居群のなかで最も早く朝日が差し込んでくる東端に位置する。
酋長や呪術師のような特別な人が住んでいたのではないか?と素人ながらに推測しているが、早朝の暗い内でも1号住居の周囲だけ明るく、寝心地もいい。
 
これは何度も宿泊して得た実感。
 
天気が持ってくれたので、黒姫山登山の後に夕陽もみることができたのは幸運。
そして今回の学びのひとつに、夏とはいえ標高90mの長者ヶ原の早朝は冷えるので、ガウンのように手足を出して歩ける寝袋が非常にいいということ。
 
イモムシみた~い!カワイイ!と人気で、私も欲しい( ´艸`)
 
ヌクヌクした体温が残った寝袋を着て歩けるのは、荷物が減らせるし、防災面からもいいと思う。
 
 
 

 


民具をつくった人々の物語・・・「手仕事百態」

2021年06月20日 07時38分35秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

古民具販売に関わる友人が何人か出てきて、価値がわからず値段が付けられないとか、骨董品と民具の違いがわからないと聞く。

おすすめの民具図鑑を教えてくれというので、いくつかピックアップ。
「手仕事百態」は手仕事をする老人たちの写真集で、基礎知識として必須だろう。
もう二度と作ることができない、根気のいる仕事で産み出された民具の数々と、仕事に人生を捧げた人々の記録。写真は「手仕事百態」で紹介されている苧積み(オウミ)をする女性。まるで生糸を吐き出すカイコのようだ。
例えば新潟の旧家から出てきた麻の着物なら「越後上布」であるやも知れず、価値がわからないまま二束三文で売られたりでもしたら、作った方たちに申し訳がたたない。
真冬に暖房のない部屋で一冬かかって苧麻を苧積みし、糸に紡がれ、いざり機で織られた上布の最上級品であり、重要無形文化財、ユネスコ世界文化遺産でもある。
どんな人が、どのように作っていたのか知ると、モノは粗末にできなくなる。
 
ヒトと道具の物語。
 
 

旅に出ているという人々と日高コンブの物語・・・カワサキ船に乗って北海道に移民した糸魚川の漁民

2021年06月18日 07時55分10秒 | 糸魚川自慢

「能生町史」に、大正時代に北海道に渡った漁民の記録がある。

ちなみに能生は糸魚川東端に位置し、海岸線に鬼伏・鬼舞・小泊・筒石の各漁港と、能生川沿いに農村と山村を持つ地区。

日高地方の開拓使から、定住すれば好きなだけ土地を提供すると言われても、「漁師は船と寝泊りする小屋さえあれば土地はいらぬ」と、「ゼン(銭)たまったら小泊(あるいは筒石)に帰るわんぞ」と懸命に働いた。
 
こういった考え方は漁民特有のもで、民俗学者の宮本常一の著書には、山村を調査すると先祖は平家の落ち武者で、と古文書を出されたりするが、漁村は見事なほど古い記録が残っておらず、定住する農民は「土の人」であり、移動する漁民は「風の人」と、そのアイデンティティの違いを書いている。
小泊漁港はカニ漁が盛んな県内有数の水揚げ量を誇る。カニ甲羅でカニ・コーラ・・・もちろん買いました!
 
タラ漁やコンブ漁で成功して、一族郎党を呼んで定住する人もいて、静内町などは戸数10軒から大きな町になっていった。
 
糸魚川地方の人は、そんな状況にいても「旅に出ている」と表現する。身は異郷にあっても、心は故郷の人々。
 
糸魚川で売られている日高コンブは、その時の開拓移民の子孫たちが卸しているそうだ。
 
ヒトと日高コンブの物語は、開拓漁民の望郷の物語。
 
ありがたみが増した。
 
 

北海道に渡った糸魚川の漁民・・・快速小型帆船カワサキ船

2021年06月16日 07時44分55秒 | 糸魚川自慢

某所から、大正時代にカワサキ船なる快速帆船に乗って北海道に移民した、糸魚川の漁民についての調査を託されたが、調べ出したら面白い。

移民したのは能生地区の小泊の漁師たち。
 
道の駅「マリンドリーム能生」に併設された博物館で、説明書きのない「水押造り・六丁櫓・二枚棚で全長10mの横帆船」というカワサキ船の特徴に合致する模型を見つけたが、確信が持てないので木造漁船研究の大御所、赤羽正春先生に問合せしたら、ストライクだった。
当時、小型漁船で津軽海峡を渡れたのは、北陸で考案されたカワサキ船だけであり、特に越後で改良されたカワサキ船は凌波性がよく、積載性に優れ、水漏れしないので、北海道でも売れたそうだ。
加賀、越中のカワサキ船の平面図と比較すると、越後カワサキは近代ヨットに似た船型をしており、優れた性能が伺える。
道の駅「マリンドリーム能生」の売店の北海道物産は、移民の子孫が卸しているそうだ。
 
北海道の漁師と話すと、先祖は新潟だよと言われることもあり、富山県氷見市の博物館に展示されていたアイヌのマキリ形のイカ刺し(包丁)も、出稼ぎ漁民が持ち帰ったものではないか?
航路を調べると、小泊の次は海路80キロ先の出雲崎に寄航しており、風待ちを抜けば、北海道まで実質6日間で渡っていたようだ。
 
この航路、北西風が吹けば左斜め後ろから波長の短い掘れたウネリが襲い掛かり、山形から北は風速10mを超える沖出しのヤマセとの戦いの連続で、私はその過酷さを身に染みて知っている。
 
実際に命がけの大冒険であったようだ。
 
赤羽先生から、北海道移住した漁民の関連資料についてご教示頂いたが、先生の知らない資料も提示できたのは幸い。
 
しばらくはカワサキ船づくし。
 
 
 

一器多用のマルチタイプのオカリナです・・・中空土偶オカリナ

2021年06月14日 07時50分52秒 | ぬなかわヒスイ工房

一輪挿し、えんぴつ立てにも使えマス。

玄関に置いてハンコを入れれば、宅急便のお兄さんもほっこり。
 
注口器になっているので、醤油入れやイニシュエーションにも大活躍の予感。
 
使い方はあなた次第のマルチタイプオカリナでございマス。
 
一器多用は日本の文化ですネ。
 
一家に一個は常備してたいものデス。
 
 

あ”~んと大口を開けた土偶をオカリナ化

2021年06月12日 07時38分39秒 | 縄文

あ”~んと大口を開けた土偶をオカリナ化して、粘土が白くなるまで日干し。

底に貫通孔を開けたタイプ、チンポコ状突起の孔を指孔にしたタイプ、サイズ、製作工程など納得のいくまで試作。

 
実物の半分のサイズでも、オカリナとして機能することを確認した。
 
オカリナ体験会の時に焼成して見せれば、未経験者でも製作工程を理解してもらえると思う。
 
中空内部を削る治具を自作したが、「作りたいモノを作るための道具を作る面白さ」も知って欲しいし、自分で全部できるようになれば、安上がりに創作の喜びが味わえる趣味としてオススメ。