縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

山口遺跡出土の凸凹勾玉はギャートルズ勾玉である!

2015年10月31日 09時21分37秒 | ぬなかわヒスイ工房

長者ケ原遺跡出土の牙状勾玉は、丁子頭勾玉の祖形ではないかという記事を書いたが、概ね縄文時代の勾玉は頭でっかち、扁平で目(紐孔)が大き目である。

これは孔を開ける際に竹管を回転削孔しているためらしい。

弥生時代は竹管から石針、そして弥生時代後期には鉄針になったので、孔は小さめになって、形も洗練されてスマートになっていく。

縄文勾玉から弥生勾玉の過渡期に当たるのが、ここで紹介する新潟県阿賀野市にある山口遺跡出土の勾玉ではないだろうか。

これが山口遺跡のギャートルズ勾玉。ネフライトで作ったら、こんなに綺麗!

弥生時代の勾玉にしては目が大きく、形もマンガチックである。弥生時代らしく、カラフルなビーズで仕立ててみた。

腹が凸凹になっているのは、後の子持ち勾玉の祖形かな?長者ケ原遺跡の牙状勾玉と同じく、細胞分裂して増殖していく様を現しているのではないだろうか。

 

私がこよなく愛するアニメ「はじめ人間ギャートルズ」の著者である、園山俊二が勾玉を描くと、きっとこんな感じになるのではないだろうか。

だから個人的に、漫画チックな勾玉をギャートルズ勾玉と呼んでいる。

だからどうした!と言われるかも知れないが、そう感じるのだから仕方ない。

文句あるか!(笑)

 


朝日の当たる祭祀場・・・長者ケ原遺跡の土器捨て場について考える

2015年10月26日 22時27分36秒 | 縄文

の宮の秋祭りの午後、9月に行われた「全国縄文丸木舟競漕大会」で友人になった林さんを長者ケ原遺跡にご案内。

さて、山が好きで休日には登山しているという林さん。

去年は糸魚川市の雨飾山に登って、今年も違うルートから登りたいので、ついでに寄ったとの事。

それでも日本酒の土産を持参してきた偉いヤツである。

偉いヤツには、長者ケ原遺跡を案内する事に決まっている。

林さんのお蔭で凄い気付きをした、長者ケ原遺跡の東の端にある土器捨て場遺構。

 

流石である・・・説明すると的確な反応をしてくれるので、会話の応酬が愉しく説明しやすい。

早いのはカヌーばかりでなく、頭の回転も早い人ですなあ・・・お若いのに知恵も深い。

たまにこんなお客さんが遊びに来てくれるので、何度ガイドしても飽きることがないから面白いのだよね。

説明していくうちに、これまで自分で考えもしなかった言葉が出てきて、我ながら感動した。

それは遺跡の東外れにある、「土器捨て場遺構」について説明した時だった。

 

 土器捨て場のアップ。壊れた磨製石器や土器が折り重なっている。

 

 「アイヌ民族の民俗例では、ゴミ捨て場とは不要物をあの世への送る祭祀場という意味であって、現代人のゴミ捨て場とは概念が違うのですよ。」

「長者ケ原遺跡の土器捨て場が東の外れに位置するという事は、日が昇る方角、つまり再生の呪術として、朝日のチカラを借りた祭祀の場という意味があったんでしょうねえ・・・。」

おまけにもう一つ。

午前中は秋祭りで一の宮でジョウバ(獅子)の本役をしており、ジオパークおじさんこと久保雄先生と、この神社が南面している事の意味を語り合っていたが、よく考えれば掘立柱建物も南面しているのだ。

国内に「君子南面す」という概念が入ってきたのは、平城京が造られた奈良時代以降だと思うが、一の宮と掘立柱建物の南面は偶然なのだろうか?

どうじゃろう?

林さんの鋭い感性と私の縄文センサーが共鳴して、思いがけない事を口走った。

私の口を借りてご先祖が喋った感じがした・・・本当に。

なんか凄い発見をした感じ。

 

 

 


極私的凸凹勾玉の真実・・・長者ケ原遺跡出土勾玉にみる凸凹問題について

2015年10月23日 22時43分29秒 | ぬなかわヒスイ工房

糸魚川の誇り、国指定縄文遺跡の「長者ケ原遺跡」出土の「牙状勾玉」のレプリカを作った。

出土品は柔らかい滑石製で、縄文時代前期(六千~五千年前)の出土品である。滑石は壊れやすいので、色合の似たネフライトで作った。

 

前期当時には我々が見知っているような勾玉はまだ出現しておらず、C字形をした形状に止まっている。

当時盛行した玦状耳飾りが非常に壊れやすく、真ん中で半分に割れる事が多かったらしく、そのリメイクでC字形のアクセサリーを作っていたと推測されているのだ。

勾玉の祖形とでも言えるのだけど、その中にあって牙状勾玉(キバジョウマガタマ)は異形だ。

頭部の刻み

凸凹した頭部という事は、どんな風に仕立てていたのか?現在のペンダントのように真ん中から革紐で吊るしていた?それでは折角の刻みが隠れてしまうだろう・・・という事で、両脇から吊るす仕立てにしてみた。

ヒスイ関係者はどんなに綺麗なネフライトでも「軟玉ヒスイでしょ」と馬鹿にするが、下手なヒスイよりよっぽど綺麗。軟玉ヒスイというネーミングから柔らかい鉱物だと思われがちだけど、それはあくまで「傷が付き難い指標」の硬度の問題で、加工してみると硬玉ヒスイより余程に堅い石なのだ。むしろ普通のヒスイより加工が難しい素材で、バカにするのは加工が難しいが故に敬遠しているからという部分もあるだろう。堅いから磨製石器として非情に優秀で、現在でもパプアニューギニアの高地では、ネフライト製石斧が活躍している。

 

縄文時代晩期(三千~二千五百年前)に盛行する勾玉に特徴的な胎児っぽい形状に加え、弥生時代以降に出現する頭部に刻みが入った「丁子頭勾玉」や、腹の内側に凸凹がある「子持ち勾玉」のように、刻みがあるのである。

個人的な見解として、勾玉に付けた刻みや凸凹は、細胞分裂のように増殖していく様を現しているように思う。

即ち子孫繁栄や多産の呪術である。

六千年以上も前に、こんなアバンギャルドな造形をしたご先祖を誇りに思う。


週末は糸魚川一の宮(天津神社・奴奈川神社)の秋の例大祭

2015年10月22日 22時21分30秒 | 糸魚川自慢

毎年10月24日は、曜日に関係なく糸魚川一の宮(天津神社・奴奈川神社)の秋季例大祭である。

春の「けんか祭り」は、激しい男祭り。

友人撮影のけんか祭り・・・よか写真

これも友人撮影。私は祭りの最中は写真撮ってる場合じゃないからね。因みにけんか祭りの写真は、大和川地区のペンションクルーの若旦那である岩崎さんの撮影です。

 

対して秋祭りは、巫女舞の奉納のみの女祭りである。

アルバイトと言えども、別嬪ぞろいの巫女さん達

スマホで撮影したのだけど、カメラ好きの友人から褒められた写真です(笑)

ジョウバ(除魔)も出ます。基本的に春祭りでジョウバだった人は秋にもジョウバで参加するので、私も獲物を探して境内をうろついています。ジョウバは厄除けに参拝者の頭を齧って歩くのが仕事・・・妙齢のご婦人の尻も齧るのは安産祈願の呪術・・・役得、いや、地域発展のための重要な任務なのです。

 

朝10時から式典が始まり、午前中には終わってしまうので、糸魚川市の人でも知らない人が多いようだ。

今年は珍しく土曜日なので、観たことない人は是非見学に来て頂きたい。

 

 

 


手作り楽器・・・コブラ笛と蟲笛

2015年10月21日 21時12分42秒 | こんなモノ作った!

今年は屋外ライブイベントと縁ができて、来年からは積極的にブースを出すようにな気配だ。

音楽好きが集まるイベントだから、ぬなかわヒスイ工房で作っている石笛ももちろん出展するが、ミネラルショーのように鉱物好きが集まるイベントなら売れても、音楽フェスの客層にはちと高額。

それに手作り楽器の体験会講師として呼ばれる事も多くなってきて、詳細未定ながら来年の広島での体験会の話しも出てきた。

 

そこでこれまで趣味で作ってきた手作り楽器をバージョンアップして、来年に備えている。

その第一弾が、コブラ笛の改良である。

インドのコブラ使いの笛だが、実物に忠実に作ると子供たちにいじくり回されて壊されてしまう事が度々あり、壊れにくい構造で、壊れても修理可能な工夫をしてある。具体的には、実物は松脂と蜜蝋で竹と瓢箪を固定させているのに対して、弾力があって差替え可能なコルクで固定した。

ペットボトル製は、スケルトンなので音の出る原理が解る工夫。斜めにカットした竹の先端に、実物のリン青銅の振動弁の代替品に、なんとネガフルムの振動弁を固定してある。このアイデアは、恩師の関根秀樹先生から教わったもの。

 

第二段は、蟲笛。

ご存じ、「風の谷のナウシカ」に出てくる蟲を制御する笛で、アニメではギギギ~という効果音だった。

実際にはキュルキュルコココッ~というお腹がくすぐったくなるような音。

蟲笛の画像をネット検索すると、音の出る理屈を理解してなさそうな商品が結構な値段で売っている・・・あれじゃ良い音はしないだろうにとは思うが、これは石笛も同じですな。

 

ちょっと自慢だが、私の作る蟲笛の音は改良する余地がないので、改良点はズバリ、製作時間の短縮だ。

以前は節のある竹に細長い孔を開けていたが、今は節の無い竹筒の両端に蓋をする構造にしたので、製作時間は半分ほどになった。

なんだかんだと言っては佳いモノを作るには手間暇がかかるので、あんまり安く売りたくないねえ(笑)

 


無限大記号「 ∞ 」は二重反転螺旋文様でR!

2015年10月19日 23時50分45秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文土器の施文に多用される二重反転螺旋を、極限までシンプルにしていくと数学の無限大記号であるになると発見したのは、高校の美術部時代。

なるほどなあ、と思った。

始めも終わりもない永遠の時の流れ・・・サンスクリット語では時をカーラと呼び、カーラは神と同義なのだ!と興奮して作った∞線刻石笛。

裏はこうなっている。蛇紋岩です。

横はこう。 ∞は、古代ギリシャのウロボロスという自分の尻尾を噛む蛇の図像がモデル。

革紐を付けるとこんな感じ。6度のシ付近で金属っぽい倍音が出て、吹いていると酔っぱらう感じ・・・倍音ハイになる危ない石笛である(笑)

 

脈動して螺旋を描き続けるカーラ(時)・・・それ即ちメビュースの輪。

今、高校の頃の感性が急激に蘇ってきて、工房に籠って螺旋の連作を続けている。

やめられねえなあ。

 

 


線刻の習作・・・なんとなく光明がみえてきたかな?

2015年10月16日 20時22分36秒 | ぬなかわヒスイ工房

水煙土器をモチーフにした作品を作るには、もっと線刻技術を向上させないとイメージ通りのデザインにならないと痛感している。

特殊な機械でも使わないと石に曲線を線刻するのは難しい。

そこで線刻の習作を始めた。

左の青い石は、蛇紋岩類のなかでも石斧に最適な透閃石。左は普通の蛇紋岩。

太陽光の下だと青さが際立つが、青い石ってなかなか無いもんだ。

黒地に白っぽくみえる部分は、蛇紋岩の針状結晶が浮き出た部分。

 

試行錯誤していく内に、なんとなく光明が見えてきたような・・・如何?(笑)


水煙土器をモチーフにしてみたが・・・。

2015年10月15日 19時55分06秒 | ぬなかわヒスイ工房
戦後まもない頃まで、原始時代の出土品としか評価されていなかった縄文土器の芸術性を発見したのは、芸術家の岡本太郎。
 

上野の国立博物館に展示されていた縄文土器に出逢って、「なんだ これは!」と衝撃を受け、以降は著述活動で縄文の芸術性を高らかに謳い上げ、また彼自身の作品に大きな影響を受けていく。

太郎が衝撃を受けた縄文土器は、中期(五千~四千年前)の八ヶ岳周辺から出土する「水煙土器」だったそうだ。越後の豪壮な火焔土器に対し、信州から甲州にかけて出土する水煙土器は、女性的で優美な姿。個人的には火焔土器より、独特の動きのある水煙土器の方が芸術性は高いと思う。

 

縄文芸術の影響を受けた太郎の作品の代表作が、1970年に開催された大阪万博のシンボルであった「太陽の塔」だろう。

近代科学主義を象徴するモダンなパビリオン群にあって、万博会場の中央に聳えていたのが、土俗的でアンチモダンな原始の太陽のモニュメント。

発表当時に関係者からは酷評されたらしいが、万博が始まってみたら最も人気のあったパビリオンが太陽の塔だったそうで、全てのパビリオンが万博終了後に解体されていったが、唯一現在まで残っているのも太陽の塔である。

水煙土器をモチーフにした石笛

 

そんな訳で、太郎は縄文土器(芸術性を)を発見した功労者という評価さえある。

後年にある新聞記者が、「岡本先生が最初に縄文土器を発見されたそうですが、どこで発掘されたのでしょうか?」と真面目に質問されて、太郎は「上野の博物館だよ」と答えたそうだ。

 

その水煙土器をモチーフにした作品を作りたいと長年構想を練ってきたが、ついに形になった。

蛇紋岩を素材にした石笛である。

小さくて難しい・・・。造形技術も稚拙だし、デザインだって中途半端だ。

もっと自由に、もっと大胆に、攻めろ攻めろ!と自分を鼓舞したが、情けない事に固定観念が邪魔している。

次回作はもっともっと大胆な作品にしてみたい。


「本物のお客さんにだけプレゼント」というマニア垂涎の庫出しグッズもろた!

2015年10月12日 07時38分03秒 | ぬなかわヒスイ工房

火打ち金の老舗ブランド「吉井本家」さんの火打ち石の端材で作ったペンダントのサンプルを吉井本家さんに送った。

関係ないが、私は歯切れのいいリズミックな文章を心がけているのだが、上の文章は句読点を入れる所が無いですな・・・。

はるばるマダカスカル経由吉井本家さんから奴奈川の郷にやってきたホワイトアゲート(白瑪瑙)

 

サンプルを送った後、社長から感謝のメールがあったが、暫くして別の種類の白い火打石の端材が倉庫から出てきたが欲しいか?と連絡があった。

なんでも以前に火打石として試作したマダガスカル産の白瑪瑙で、火付きは最高にいいものの、現在は現地の国策で輸入禁止になったレアな原石だそうだ。

そんな話に黙っている私ではない・・・すぐに送って貰った。

白瑪瑙が届いたので箱を開けたら、デットストックになっていた先代社長が作ったというノベルティーグッズの「富士山形火打ち金」のミニチュアも入っていた。

お得意さん限定60個作られた非売品だそうで、「無闇に欲しがるお客さんにはあげない、本当のお客さんにだけに無料でプレゼントする火打ち鎌」というメッセージまで頂いてしまった。

ムハ~ッ!吉井本家さんからホンモノのお客様という扱いを受けただけでも非常に光栄だし、これはマニア垂涎のお宝ではないか!しかも超小型といえども火打ち鎌としてちゃんと機能するホンモノ!ホンモノにモンモノとして認知された事は財産ですわ。

早速、車のキーホルダーにした。

 

ペンダントに仕立てるのは大き過ぎる原石を、打製石器作りの要領で打ち欠いて薄くしたら、水晶のように透明な瑪瑙・・・いいぢゃないか。

「世界初の吉井本家謹製火打石のピアス」という新商品開発!


伊良積の船小屋

2015年10月09日 18時46分10秒 | 旅先にて

福井県若狭町で開催される「全国縄文丸木舟競漕大会」の会場は、広大な汽水湖である三方五湖の湖畔の縄文パークである。

この湖畔から、縄文時代前期(六千~五千年前)の丸木舟が幾つか出土しており、若狭町は縄文丸木舟をテーマにした町おこし活動をしている訳である。

大会の時に懇意にして頂いている学芸員さんから耳寄りな情報・・・会場から国道162号線を道なりに20分車を走らせれば、古い船小屋群があるとの事。

船小屋と聞いて黙って見過ごす私ではないぞ・・・大会の後に行ってみたらびっくりした。

 佳いぢゃないか!ここは東南アジアか!それとも古墳時代の集落テーマパーク?!とにかく興奮する風景!

 三方五湖寄りから観るとグッと来る風景。

 この船小屋は近年まで現役であったものの、現在は観光用に整備してあるようだ。

 伝統和船が置いてある所が渋い。

 

丸木舟の出土は縄文海進最盛期の頃だから、現在より三方五湖の水位は高かったにしろ、おそらく縄文時代の漁師さん達も同じように入り江に船小屋を建てていたに違いない。

こんな風景に出逢うと、日本は親水民族のアジア人なんだねえ、と実感できる。