縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

永遠の求道者・・・ヒスイの丸玉

2019年11月30日 10時05分05秒 | ぬなかわヒスイ工房

水晶の彫刻で高名な甲府の伝統工芸士のT先生に依頼した、ヒスイの丸玉が完成した。

この丸玉は関西の高名な宗教者から受けた依頼品で、私は丸玉を作る加工機械を持っていないことから原石カットと正六面体の四角柱作りまで請け負い、丸玉加工は人から紹介されたT先生にお願いしていたのだ。

最初にT先生を訪ねた時は、「丸玉は丸玉加工機で量産されるのが普通だと思いますが、先生はどんな機械をお使いですか?最終研磨はバレル研磨機ですか?」と、今から思うと冷や汗が出るような無礼な質問をしたら、「そんな素人みたいな仕事はしないよ!」と苦笑して、独自に開発した工法で一品づつ作っていると仰られた。

バレル研磨機は洗濯機のような樽型の自動研磨機で、きちんと研磨してから放り込んでおくとピカピカに光ってくれるのだが、量産品はバレル研磨機だけで光沢を出していたりするので、微細な凸凹や加工傷が残っていたりする、だけでなく特にヒスイのような多結晶鉱物は柔らかい部分が凹んで歪になっていたりするから手抜きがすぐに解る。

T先生の作った丸玉は、確かにそこらで売っている丸玉とは違い、存在感は半端ない。

丸玉の出来具合に感激する私に対し、普段は6~7桁の金額の注文仕事をしておられる先生はこれが最初で最後の依頼だよ、と釘を差されたがごもっとも!

子供の頃から父親の仕事を見様見真似で遊びながら覚え、60年近くも水晶加工を続けてきた先生は、古希を迎える来年からは商売を離れて彫刻仕事の集大成として自分の造りたいものだけに専念するそう。

私の作品を見せろと乞われて持参した石笛や勾玉を見せたら先生の表情が変わり、奥から水晶や瑪瑙、ヒスイなど様々な原石を持って来て「これで作ってみなさい」と段ボール箱一杯プレゼントしてくれた。


前回にお邪魔した時も、応接室に飾られた丸山応挙の龍の絵が描かれた巨大な陶板を観て「応挙がお好きですか?」と聞いたら「応挙が解るの!?」と、最初は厄介者(笑)扱いだったのに急に打ち解け、同業者には見せない仕事場に入れてくれたのみならず、加工までさせて頂いたのだ。


応挙について大して知識はないのだけど、高校時代に美術部でエカッタ!

今回は原石プレゼントの他に、来年以降は時間ができるから私の石笛に彫刻するなどの共同製作をしようと申し出てくれた。

徒弟制度の中で60年も加工をされてきた本寸法の先生に対し、私は独学で加工歴9年しかないのでリップサービスとしても嬉しい。

糸魚川に、そしてぬなかわヒスイ工房にも遊びに来てくれると思う。

身が震えるが、その時まで精進を重ねるしかあるまい。

職人は永遠の求道者。

後輩を慈しみ導こうとする先達との出会いに感謝しかない。


日本最大の北沢大石棒にご対面

2019年11月29日 08時05分09秒 | 縄文

20年程前に訪ねたが、場所が分からず辿り着けなかった長野県南佐久郡の畦道に鎮座する日本最大の「北沢大石棒」についにご対面。

縦2,23m×直径0.25mもある日本最大の石棒は、縄文中期後葉の四千年前の出土品と推測されている。小雨の降る夕方、グーグルマップの案内で辿り着いたが当たりは既に暗く発見できず、近所の農家に聞いてやっと辿り着いた。

普段は自撮りすることはないが、大きさを比較するために自撮りしたら恍惚とした表情で石棒に寄りそう感じが変態っぽくなってしまった(笑)


電柱でさえ傾くのに、四千年間も同じ場所に屹立していたとは凄い技術だ!と思いこんでいたが、大正時代に出土して畦道に建てられ、昭和に入って調査のために掘り起こされ再度建てられたと聞いてガッカリしたが、それにしても2m以上もある溶結凝灰岩を石器だけで綺麗に加工成形した技術は凄い。

ヒスイ加工をする者の立場から観ると、余程に大きな原石を縦に割って丸めていったと推測するが、新潟では糸魚川の「六反田南遺跡」から出土した1m越えの石棒が最大だが、歪だし裏側も綺麗に成形されてはいないのだ。


佐久市の縄文遺跡からは人骨も数体出土しており、顔を復元したら頬骨が高く吊り上がった一重瞼という朝鮮系や兵馬俑の兵士を思わせる面立ちであったと、以前に訪れた時に聞いている。

縄文といっても地域や時代によって多種多様で、そこが面白いのですな。


市民に開かれた愛情たっぷりの「浅間縄文ミュージアム」

2019年11月25日 08時36分50秒 | 縄文

「浅間縄文ミュージアム」の堤館長から招待券を贈られていたので、長野ボランティアの帰りに寄ってみた。


栞になった焼町土器の招待券を観た時から愉しそうな博物館だと予想していたが・・・。

越後に火焔土器あれば信州に水煙土器、そして焼町土器!よく似た口縁部の突起が過剰なぶっとんだ土器。

ミュージアムショップで売られている職員手作りの土偶や埴輪の置物の数々に興奮して爆買い!

土偶土鈴!

かわいい!男性職員が作っているのだそう( ´艸`)

体験会も充実しており、市民に少しでも地域文化の魅力を知ってもらいたいという熱意と、関係者たちの郷土愛を感じる。

自己完結気味の博物館が多いなか、これは凄いこと。

はにわトレイ・・・コケ玉を繁殖させたいが、面倒だから消しゴムでも置くか?(笑)


埋蔵文化財を展示しても、地元市民に知られないようでは埋蔵されたままと同じではないか?

市民目線のおらが町の自慢の博物館、お見事!


繋がれ!ボランティアの輪・・・長野災害ボランティア

2019年11月23日 08時58分46秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

千曲川河川敷の広大な果樹園でのボランティア活動は、濁流になぎ倒された果樹の枝に絡まった泥混じりの茅や流木撤去と、埋もれた寒冷紗などの撤去。

戦場のようになった広大な河川敷の果樹園。柿木の大部分は根こそぎ倒され、生き残った梅やアンズの樹にも3mほどの高さまでゴミが引っかかり、さながら偽装網を掛けたようなので、なおさら戦場の趣。

泥に埋もれた寒冷紗の撤去の際には、ホームセンターで300円前後で売っているノコギリ鎌で切ってから引っこ抜くと仕事が早く、農地ボランティアに行く人は各自必須。私のようにボランティアセンターを通さずに個人活動する人は手ぶらで来てはいけない。

大工さんが腰にぶら下げている「釘袋」に入れて持ち歩けば、紛失することはなく便利。


枝に絡まったゴミには、刃が厚く重たい鉈鎌なら固まった泥ごと一刀両断でき、依頼主も作業速度に驚いていた。

大工道具も持ってきたが、今回使った機材は農業土木系の道具類。中央左が大活躍した鉈鎌で、5,000円前後で買える。


延々と続く独り作業の途中から、南魚沼のハラ原人が合流して場が和み、調子の悪かったチェーンソウも元森林組合社員だった彼が調整してくれて大活躍。
驚くべきことに、ハラ君はチェーンソウの潤滑オイルに天ぷら油の廃油を使っていた。


本来は専用の鉱物系オイルを使うのだが、ある物を使う彼のライフスタイルに昔の日本人のバイタリティーを感じる。だからハラ原人と呼んでいたのだけど、このニックネームは何時に間にか普及したようだ( ´艸`)

アウトドアや災害では、彼のような存在が頼もしい。


ついに霜が降りるようになったので、瀕死の果樹を復活させるギリギリのタイミング。

人手が圧倒的に足りないが、石川県でフリースクールをしている友人の森さんからボランティアの要望が出てきた。

繋がれ!災害ボランティアネットワーク



音楽家が集うぬなかわヒスイ工房の不思議・・・龍笛の響き

2019年11月18日 08時04分47秒 | ぬなかわ姫

米沢上杉藩の深い尊崇を受け、上杉家中興の藩主で鷹山公が雨ごい祈願をしたことで有名な米沢市の神社の奥さんが、悲劇のヌナカワ姫伝説を教えて欲しいと訪ねて来たのは4年前。

詳しくは知らないが、ヌナカワ姫は悲劇的な人生を送ったのではないかと感じているとのことで、悲劇の伝説を教えてヌナカワ姫がお隠れになった「稚児ケ池」を案内したら、龍笛で慰霊をして頂いた。

旧糸魚川市役所跡地に建つヌナカワ姫とタケミナカタの銅像。子供の頃は南を向いていたのだが、20年程前の市役所移転後にはなぜか西に向けられてしまい「ヌナカワ姫は遥か出雲を望み、八千鉾神に想いを寄せている」と本などに書かれるようになった。悲劇の伝説を封印して、官民挙げて観光客誘致のための恋物語を主導する意図を感じるのは私だけではないですぞ。

 

代々と雅楽を指導される家系の方であり、彼女自らも神職であり龍笛(りゅうてき)を能くし、石笛も吹くので交流が続いていたが、明日行っていいか?と突然の再訪の連絡を受けて驚く。

是非も無し!

ちなみに上杉鷹山公はアメリカのケネディ大統領が来日した際に、最も尊敬する日本人と評して以来一躍有名になった歴史上の人物で、破綻寸前の藩政を立て直し、全国で30万人の餓死者を出した「天明の飢饉」の時も善政により領内では一人の餓死者も逃散者も出さず、「為せば成る 成さねばならぬ 何事も 成さぬは人の成さぬなりけり」の名言で知られる偉い人。

日照りが続いた時に領内を見渡す愛宕山山頂に登り、雨乞いを祈願したら大雨が降ったという逸話が残っておるのです。

数日前に不思議なできごとがあったと伝えると、自宅と工房で本格的なご神事を執り行ってくれた。

題名は知らなくても誰でも聞いたことのある雅楽の「越天楽」を奏上して頂いたが、歴史好きで三味線を弾くお袋もえらく感激していた。

加工機械もお浄めして頂き、有難い。

彼女の龍的は煤竹を16分割して裏返し合わせて作った本物。

能楽の家系の笛師の雲龍さんが能管を奏でた2週間後に、神道の龍笛が響く不思議。

しかも子供の頃から大好きだった上杉謙信公と所縁のある神社の方が奏でる龍笛だ。

正当な流れを汲む笛師が相次いで訪ねてくるのはこの上ない光栄だが、ヌナカワ姫の導きだと素直に信じている私です!


風水を知らなくても・・・気持ちいい空間の作り方

2019年11月14日 07時43分45秒 | ぬなかわヒスイ工房

9月後半に小割機(切断機)が寿命となり、新品を注文したら消費税駆け込み特需で納期1ヶ月と返事。
古い小割機をオーバーホールに出して、仕事を1か月間休んで工房改装工事やらイベント、来客対応、ボランティアに励んでいたが、焦りがないのが不思議。

もっと不思議なのは、旅行やイベントなどで仕事を休んでいる時は、注文が少なくなるかまったく無くなるのだが、仕事の再開と共に注文が入る・・・お客さんから日常生活を観られているのかね?( ´艸`)

左が古い小割機、右が新品小割機のツートップ。切断するものに応じて、厚みと直径の違うブレード(カッター)が使えるので便利になった。新品はブレードサイドに黄色い稼働式のアクリル板が付いていて、飛沫が上がり難い工夫されている。

以前に訪ねてきた風水占い師から、気の流れが最高だと褒められてはいたが、流れる感じはもっと良くなり気持ちがいい。

改装した工房は動線と収納性もよくなり、広く感じる。


風水を知らなくても、機能と居心地を追求すれば気持ちがよい空間になるのですな。

来客やマスコミから「男の隠れ家」「大人の秘密基地」と評されるのは嬉しいが、隠しても秘密にしている訳ではなく、ぬなかわヒスイ工房ほどオープンなヒスイ工房はあんまりないですぞ(笑)


以前から土禁にしていたが、土足で入ってくる人もいたので解りやすい位置に下駄箱も作ったぞっと!


そして笠原重機社長から岩に当てて曲がったスクリューも頂き、いよいよ漁師風ヒスイ工房の体裁が整った・・・あとは錨があれば完璧だ(笑)

来客が少なくなる冬こそ仕事に励む、というか励まんと食っていけんのだ。

春が来れば来客が増え、そしてイベント講師などで本業が疎かになるから冬こそ勝負!



火吹き竹を使いこなそう!・・・焚火の必須アイテム

2019年11月12日 08時05分02秒 | サバイバル

私がサバイバルグッズとして車に常時車載しているのが、手斧と折畳み鋸、そして火吹き竹。

わざわざマジックで火吹き竹と書いているのは、焚き木として燃やされてしまうことがあからだ。縄文イベントの度に火吹き竹を燃やされては堪らないから、参加者の中から焚火奉行を任命して、火吹き竹は焚火奉行のタマシイであるので死守すべし!と言っておけばいい( ´艸`)

縄文イベントで焚火を起こす際に、火吹き竹で火を煽るだけで「おー!」と声を挙がるのは、火吹き竹を使ったことも観たこともない人が多いのだろう。

やらせてみると竹をガッポリと口に咥える人もいたりと面白いのだが、ギャルの場合は「駄目だよ~、間接キスになっちゃうからぁ~」と優しく注意するが、オジサンの場合は「コラ~!汚えっ!誰も使えないから洗ってきてっ!」と怒鳴られるとことになる。

大抵は力むばかりで上手くいかず、立ち眩みしました~なんて言われる。

節を残した先端に小穴を開けておく。小穴のサイズは各人の肺活量に応じて。途中に節がある場合は棒などで突き崩しておくが、私は端材の鉄筋や長いバールで突いて節抜きをしている。

使い方のコツは実に簡単。

火吹き竹の端で、唇周囲を空気が漏れない程度に密着させて覆い、頬っぺたを膨らませて火を熾したい部分をピンポイントで狙ってゆっくり息を吹き込めばいいだけだ。

プーっと息を当てると、その部分だけポッと少しだけ炎が立ち上がる。

ゆっくり息を吸い込んで再びプーと息を当てると炎の範囲が広がる。あとはその繰り返し。

アドバイスすると、子供でも簡単に火が大きく育つので、面白がって火吹き竹を奪い合うようになるのが微笑ましい。

インドの雑貨屋では直径30㎜くらいの鉄パイプが火吹き竹として売られている。

節がない中空のパイプの場合は、パイプの端から10㎝ほど口を離して、パイプ内部に添わせるように息を吹き込めばいいということを、南インドの安食堂で目撃して学んだ。

上手な人だとシュルシュルシュル~といい音がして、聞き惚れてしまう。

日本でも先端の節が焼けてしまった火吹き竹を捨てず、こんな使い方をしていたらしい。

東南アジアやインドの人々の日常生活は、サバイバル術の見本市のようなもの。

覚えて損はないサバイバル術。


ヒスイ楽器の伝道師、牧野持侑 新潟ツアーで災害支援金募集!

2019年11月09日 08時01分15秒 | 糸魚川自慢

縄文体験会と入れ違いに牧野持侑さんの玉翠園ライブ。


今回の新潟ツアーの糸魚川市、上越市、十日町市の3市各会場で災害ボランティアの支援金募金を呼び掛けたら、予想を超えるお金が集まり感謝に極み。

政治家の不祥事や猟奇的な事件、そして多発する自然災害に先行きに不安も持つが、普通の日本人の善意に希望を見る。


支援金は長野を拠点に災害ボランティアネットワーク「お助けJAPAN」を立ち上げて、各地を奔走する山崎一さんに託すことにした。


牧野さんは翠晶香☆千香子さんと新ユニット「令音」を組んだので、長者ケ原遺跡でチラシやCDジャケット用の写真撮影を申し出た。


大倉雲龍さん、Knobさん、牧野さんと4日連続で倍音レジェンズの響きに包まれ、濃密な時を過ごせたのは役得でありご褒美!

二人が吹いているのはぬなかわヒスイ工房の縄文オカリナ「遮光器土偶タイプ」で、最近の牧野さんはヒスイを練り込んだクリスタルボウルの他にヒスイ製石笛も演奏しているからヒスイ楽器の伝道師みたいになってきた。


縄文オカリナとヒスイ大珠を身に付け、お澄まし顔の翠晶香☆千賀子さんは湘南ガール。

縄文体験会も牧野さんライブも早くも来年の話が出ており、糸魚川で文化的な活動が継続できる喜びはこの上ない。


笛師、雲龍さん「山姥の里」で笛を吹く・・・謡曲「山姥」の再現か

2019年11月08日 08時56分09秒 | 糸魚川自慢

縄文体験会で拙宅に前泊した笛師、大倉雲龍さんを上路の「山姥の里」にご案内した。


雲龍さんは室町時代から続く能楽の囃子方「大倉流」家系の人だから、謡曲「山姥」の舞台となった上路にある山姥神社に案内することは、今回の重要なミッションの一つ。

山姥神社

祠が二つ並んでいるのは何故だろう?お供えの小さなリンゴは、信州に住む雲龍さんが持ってきたもの。


都の遊女が善光寺詣りする途中の上路で山姥の亡霊と出会い、舞を教わるのが「山姥」の粗筋だが、雲龍さんに同行した名古屋の女性が、縄文体験会の後に善光寺詣りする予定と聞いて奇縁に驚く。

山姥がシテ、雲龍さんとその女性をワキとすれば、案内した私はツレということになり、謡曲そのままの構成に心が騒いだ。狛犬は山姥神社すぐ近くの「十二社」のものだが、こちらには由来書きもなくどんな神様が祀られているのかは不明なのが残念。


今なお中世の雰囲気を漂わせ静かな語り口を持つ雲龍さんから、御伽噺のような幼少期の話しから能楽の歴史や謡曲の話など多岐に渡り、得難い体験をさせて頂いた。

 

 

友あり、遠方より長者ケ原遺跡に集う・・・泰平さんの縄文体験会

2019年11月05日 22時00分46秒 | 縄文

カリスマブロガーの滝沢泰平さん主催の、長者ケ原遺跡縄文体験会のコーディネーター兼ガイドを務めた。

泰平さんがブログやSNSで発信すると物凄いことになることに加え、ゲストミュージシャンがイダキ奏者のKnobさんと、奈良時代から続く能楽の家系の笛師である雲龍さんという豪華版なので事前告知は無しで、参加者はごく内輪の23名。

過去2回、泰平さんを糸魚川に案内したのだが、彼が来る前後は大雨で当日だけ快晴というスーパー晴れ男。

今回も幸運・奇縁は続いた。

現地集合した参加者を最初に天津神社参拝で案内した時、まったく偶然にも数週間前に泰平さんが主催したイスラエルツアーに参加した人たち5~6人くらい(?)が境内に入ってくる所に出くわし、奇遇を喜んで飛び入り合流するというオマケがあったから、実際の参加者は何名だったか不明。

ぬなかわヒスイ工房を案内した後、稚児ケ池でKnobさんと雲龍さんによる慰霊演奏を拝聴しながら頭を垂れた。

飛び入り合流組は悲劇のヌナカワ姫伝説に興味を持っていたらしく、この奇遇を導きとして感じて、感激していたらしい。

長者ケ原遺跡で奉納演奏するKnobさん。今回も周りの木々の視線を感じ、いったい何人が聴いているのか解らないという不思議な感覚を持ったらしい。

同じく雲龍さんも、詳細は口には出さなかったものの得難い体験をしたと言っていたが、つくづく中世の空気感をまとった泰然自若の人。

演奏場所は何時も通りの掘っ立て柱建物(1号建物)の前。牧野持侑さんのクリスタルボウル演奏会もそうだったが、演奏前は曇天、演奏途中で雲が切れて星空が広がり、演奏終り直前に雲間から月が出た。

食後の語らいは焚火を囲んで。自己紹介の時に饒舌過ぎる人や他人の言葉を遮る人はおらず、和やかに歓談。ちなみに焚火の着火を火打石で一発で決めたら、全員が初めて観たと歓声が上がり面目躍如。

このグループは好奇心旺盛でノリはいいものの、落ち着きのある成熟した大人ばかりで大変に気分がよかった。

自立・自律の態度で参加してこそ縄文体験という想いから、主催者をあてにせず自分でヘッドランプや使い捨てではない食器を持参して欲しいと呼びかけるのだが、毎度の如く手ぶらで来てお客さんでいる人は少なくない。

ところが今回は参加者全員が主旨を理解してくれて、各人なりのアウトドア遊びの装備を用意してくれたし、自主的に自分のやるべきことは何かを判断して動いてくれたので助かった。

また私が説明をしている時は静かに聞き入り同じ説明を何度もせずに済んだし、大声を出す必要もなく声は枯れなかったのだが、こんな楽で愉しい体験会講師は初めてだ。

泰平さん夫妻を含めてゲストや参加者のお愉しみは、初めての復元竪穴住居での宿泊。

現代日本人で、床が地べたの天然素材100%の建物に寝たことのある人は稀だろう。

夜も更け、寝る準備に入った段階で大粒の雨が降ってきた・・・泰平さんはつくづく運がいい。

歯を磨いて竪穴住居に入って笑い転げた。

先に入っていたKnobさんが、頭の所から雨漏りがすると傘を差して寝ていたのだ ( ´艸`)

もっと笑ったのが、ブルーシートに包まって寝ていたスタッフの真鍋君。撮影用に顔の部分のブルーシートを捲ってあるが、最初は顔の上までブルーシートを掛けていて、まるで殺人現場の遺体のようだった。

泰平さんから寝袋が必要だと聞いてなかったそうで、急遽毛布1枚とブルーシートで寝ることになったそうだ。

それでも彼は夢も見ずに熟睡したとのことで、今回のリアル縄文人としてMVP獲得と相成った。

夜中になって泰平さんも顔に雨粒が落ちて来て移動したが、深い眠りで寝覚めがスッキリしたそうだ。

オーガニックハウスの底力ですな。

夜明けには雨がやみ、朝食の後は考古館、フォッサマグナミュージアム見学、糸魚川大火で全焼して再建された「そば処泉家」さんで昼食。

須沢海岸で石拾い

最後はヒスイ峡

チベット仏教の僧侶のようだが、普段から下駄履きのKnobさんが滑って危ないと裸足になった姿( ´艸`) 絵になる人です。

左から泰平さんの奥さんの真弓さん、泰平さん、Knobさん。真弓さんは縁の下の力持ちとして八面六臂の活躍。

最後は参加者全員と握手やハグで別れを惜しんだ・・・初対面でも懐かしい得難い仲間、深い体験。

泰平さんは縄文時代からヒトの交流があったフォッサマグナ上に位置する伊豆、富士山、八ヶ岳、糸魚川の黒姫山のラインを21世紀の今、再びヒトのネットワークで繋ぎたいと構想しているようだ。

脈動して動き続けるフォッサマグナと、それに共振共鳴するヒトの営み。

まだ終わってない、これから続く、始まったばかりの物語。