縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

金環に挑む・・・大首飾りプロジェクト

2018年02月27日 16時38分24秒 | ぬなかわヒスイ工房

急遽上京して「大首飾り」の実物を観察させて貰えることになり、「大首飾り」に含まれる6点の金環と比較するための試作品2点を作った。

金環とはC字形をした古墳時代特有の装飾品であり、耳飾りであったと推測されている。

山梨県立考古博物館に展示されている金環

 

ただしその種類は多種多様で、地金は金・銀・銅・鉄・木製と様々で、多くは表面に金箔や銀箔が施されている。

試作品は直径5㎜の銅製丸棒を焼きなまし、最初は手曲げしてみたが綺麗なC字形になってくれず、治具を作ってなんとか寸法通りにはなってくれたが自己採点は60点で、まだ改善する余地はある。

2点の試作品は、平面形状と寸法は合格だが、縦方向に歪みが出て平にはなっていない。

治具1号・・・焼きなまししてから鉄棒に巻き付ける方式。奥の当て木をテコにしてクイクイと巻き取っていく・・・ハズだったが固くてうまく行かなかった。


この方式はアクセサリー用のC環を作る方法の応用だが、太いので捩れが戻ってくれないのが欠点。

 

最大の金環は直径8㎜もあるので先が思いやられるが、古墳時代の職人も同じ方法だったのか?

この件については考古学者さんから膨大な論文を送って頂いたのだが、製法も多種多様だとされているようだ。


千七百年前の職人の知恵の深さに驚愕し、リスペクトは深まるばかり。


合格点が取れたら、メッキ屋さんでアンティーク調に金と銀を被せてもらうことになっている。

 


滑石管玉に挑む・・・大首飾りプロジェクト10/249

2018年02月25日 15時35分39秒 | ぬなかわヒスイ工房

松浦武四郎の「大首飾り」に含まれる、古墳時代に作られた滑石製の二本の管玉レプリカ作りに、延べ三日、実質一日を費やした。

試行錯誤を繰り返して作った滑石製管玉。左;長さ25㎜×直径7㎜(孔直径3㎜)、右;長さ20㎜×直径6.5㎜(孔直径3㎜)

 

滑石(蝋石)は勾玉作り体験会で使う柔らかい石材だから舐めていたのだけど、小さい方で長さ20㎜で外径0.65㎜に孔直径0.3㎜という寸法だから途中で簡単に折れてしまうし、私の技術ではど真ん中に孔開けするのさえ難しい。

トランス導入前の仕事だったので、研磨機での成形は困難を極めた。

そこで筋砥石を作ってみたが、乾式だとすぐに目詰まりするので湿式だったことが推測できる。

 

墳時代の職人が当時の工法で結果的にそうなったモノと、現代人が近代工具で同じモノを作る行為は採算度外視もいいとこだが、なんという達成感と満足感。

やり遂げたという充実感。

完成直前で割れてしまったり、円筒が歪んでしまったり、ちょっとした油断で孔が偏芯してしまった未成品と記念撮影。

 

古代の管玉作りは最終研磨前に孔開けしていたらしいが、試行錯誤を繰り返した所感としては、滑石の場合は最初に孔開けしていたのではないだろうか。

また成形も筋砥石での水研ぎだったと思う。
この仕事は書道家にとっての臨書と同じだ。
古の名人上手の筆跡をなぞる事は、ヒトを学ぶということだろう・・・そんな実感がある。

 

完成して監修者に送った煙水晶のナツメ玉2点、青碧玉の管玉2点、赤瑪瑙の丸玉4点

 

現時点で「大首飾り」総計249個の内、10点完成。



秘密兵器導入・・・トランススライダー

2018年02月24日 07時14分59秒 | ぬなかわヒスイ工房

武四郎の大首飾りは縄文から古墳時代、一部近代に作られた250点ほどの玉類がのうち、硬玉ヒスイはたった9点のみ。


大半を占める水晶や瑪瑙をヒスイと同じ乾式研磨をすると、熱膨張で表面剥離するリスクがあり、またヒスイにしろ現代工具では光沢が出過ぎてしまい古代の玉類とは雰囲気が異なってしまう。

そこで導入したのがトランススライダーという電動工具の電圧を調整して、任意に回転速度などが落とせる機械。


以前から欲しかったのだけど、通常業務なら無くても技術でカバーできるので安易に機械に頼ることは戒めていた。

しかし今回は大量の出土品をコピーする仕事なので必須だし、これさえあればガラスなどの脆弱な素材も加工でき、刃物研磨にも活躍してくれるはず。

研磨機は業務用なので精度がよく回転数も絶妙だったが、作品を実測図通りに作るための微妙な寸法調整や水晶や瑪瑙加工するには1割から3割程度は回転数を落としたいのだ。

普段はほとんど使わない超音波孔開け機も、大量の管玉と丸玉を作るために使いやすいようにセットアップし直した。

 

テッシュペーパーから照明器具の位置まで大胆に変更したし、出土品レプリカ作りに便利な工夫をしたが、作品作りよりこういう仕事の方が楽しい(笑)

トランススライダーはこれからヒスイ加工したいという方で、グラインダーで切削研磨したいという方にもお勧めできる便利な機械。

 


手の感覚・・・古墳時代の切子玉に挑む

2018年02月17日 09時47分19秒 | ぬなかわヒスイ工房

甲府の水晶加工の名人から「難しいよぅ、毎日作っても最低10年はかかります」と言われてビビッていた、古墳時代の水晶の14面体の切子玉を試作しているが、やはり難しい。

古墳時代の切子玉(出典先は埼玉県上里文化財センター)

水晶はもったいないので薬石で試作。最初は円柱から削り出したが、3個目から円柱から六角柱を削り出して作った方が早いということが解った。

 

普段は勾玉や石笛など作っているので、こんな初歩的なことすら知らないの?と名人に笑われそうだが多面体カットの製品作りはまったくの初心者。

やってみないと解らない事ばかりなのだ。

でも試行錯誤はプロセスとして必要だと思う。

作るだけなら何とかなるが、出土品と同じ形、寸法に作るにはまだまだ修行が必要。

後ろの深緑色の円柱は同じく古墳時代の青碧玉製の管玉レプリカだが、こちらは実測図通りに作るのは簡単。

 

現在は墨付けしているが、甲府の職人は手の感覚だけで正確に多面体カットができるし、古墳時代の職人だってそうだろう。

職人の手って凄い。

 

 


雪国の縄文人の知恵・・・土屋根の竪穴住居

2018年02月14日 09時28分35秒 | 縄文

確定申告の書類作りに専念していたら、ぬなかわヒスイ工房は雪に埋もれてしまった。

海岸部から500mしか離れていなくても、屋根雪が落ちて玄関が埋まったぬなかわヒスイ工房

10分だけ除雪してこの状態だが、昨年秋に自宅から入れる裏口を作ったので取敢えず問題なし。

 

こんな時、昔の人の苦労を想うのだけど、近年は縄文時代の遺構から焼けた土を被った焼失家屋が何件か報告され、屋根に土を載せて酷寒に耐えていた可能性も推測されるようになり、各地の遺跡で土屋根の復元住居が建てられている。

富山市の北代縄文公園に復元された土屋根の竪穴住居。

 

明治期の樺太アイヌの竪穴住居が地下2mほど掘り下げた半地下になった土屋根式で、草が茂った土屋根が土饅頭のように見える写真が残っている。
富山市埋蔵文化財センターが北代遺跡で土屋根実験をしているのだが、雨で土が流されたり、結露で屋根材が腐ったりして思うようにならないのだ教えてくれた。

草が生える前・・・土の分量、配合、雨で土が流れない工夫など実験しているのだが、富山県の考古学者さんたちはこの点、非常に熱心。

 

昔の人の知恵って凄い。

どんな過酷な環境でも自力で生き抜き、今日までイノチを繋いでくれた祖先に畏敬の念を覚える。

 


弥生時代のガラス製勾玉を再現したい

2018年02月11日 09時21分36秒 | ぬなかわヒスイ工房

弥生時代のガラス製勾玉のレプリカを作らなければならなくなった。

弥生時代には輸入ガラス製品をリメイクして勾玉が作られるようになり、どうやらヒスイより格上と考えられていたようだ。

魏志倭人伝に記述のある邪馬台国の朝貢品に「青大勾珠二枚」があり、これはヒスイ勾玉かガラス勾玉か考古学者の間でも見解が分かれているようだ。

島根地方の人々は青大勾珠とは出雲で作られた出雲石(青碧玉)の勾玉と推測している、というか断言しちゃっているようだが(笑)

弥生時代のガラス製勾玉出土例


実物そっくりに作るならガラスの塊から削り出してサンドブラスト仕上げするだけでいいのだけど、カタチだけそっくりというのは気に入らず、弥生時代のガラス勾玉と同じく片面だけの解放鋳型で鋳造したく、製法を調べている。

春日井市赤井手遺跡出土の石製勾玉鋳型は長石・石英斑岩製との事。ネット情報では砂岩製もあるとあったが、考古学者に問合せしても砂岩鋳型は確認できていない。


解放鋳型だと融けたガラスの表面張力で表面が膨れ、裏面の曲面の違うアンシンメトリックな造形になるそうで、予定調和的な造形にならない所が面白い。

こちらは土製、つまり素焼き粘土で作った鋳型で、縄文土器作りに比べたら実に簡単。

 

鋳型出土例には石製や土器製があるようだが、加工が容易で耐熱性のある滑石や耐熱石膏なら勾玉作りの体験会に使えるのではないか?

素人考えだと加工が容易で耐熱性もある滑石が鋳型に向いていそうだが、鋳型出土例のある地域の学芸員さんに詳細を問い合わせたりした結果、土製と石英斑岩以外の勾玉鋳型の出土例はないそうだ。

初期の銅鐸鋳型には滑石製もあったそうだが、やがて使われなくなったらしい。

滑石鋳型は何度も繰り返し使用すると、熱による膨張収縮で鋳型が壊れてしまうのかも?

壊れていない石製鋳型や土製鋳型が出土しているという事は繰り返し使用に耐えたという事で、鋳込んだガラスを外すためには離型剤が必要ではないか?

だとすると離型剤は何を使っていたのか?石紛の水溶液か?

これらは謎。

面倒な確定申告さえ終わったら本格始動!

 


松浦武四郎・・・北海道は北加伊道、アイヌの土地

2018年02月07日 08時22分49秒 | ぬなかわヒスイ工房

二百年前の旧暦二月六日、伊勢松坂に産まれた松浦武四郎は、幕末期にアイヌ民族の協力により蝦夷地をくまなく探検踏査した探検家。

幼少より好奇心旺盛にして本草学(今でいうなら博物学)を学び、少年時代には見聞を広めたいと家出までしている。

旅行家であり、数々の紀行文やアイヌ文化に関する著述した著述家、稀代の好事家、そして北海道の名付け親でもある。

明治政府から蝦夷地の地名候補を求められた武四郎案の一つが、北加伊道(ホッカイドウ)であった。

北のカイの道・・・カイは「我らの土地」を意味するアイヌ語。

日本語とアイヌ語を混ぜている所がアイヌ文化へのリスペクトと、当時、和人により収奪の限りを尽くされていたアイヌ民族の復権の想いが籠められている。

北海道の地名の多くが、アイヌ語の漢字表記なのも武四郎の功績の一つ。

現存する唯一の武四郎の肖像写真。首にかけているのは武四郎愛蔵の「大首飾り」で、明治期に蒐集した縄文から古墳時代までの250点近い玉類を一連に繋いだ本人お手製装飾品。ご満悦の表情をしている。

 

今年は武四郎生誕200周年と、蝦夷地が北海道となってから150周年でもあり、松浦武四郎顕彰の記念行事が予定されている。

すでに新聞報道されたので書いてしまうが、その目玉企画が武四郎の「大首飾り」のレプリカ製作。

まだ詳細は明かせないが、ぬなかわヒスイ工房もその件でご縁を頂いている。

宣伝広告費ゼロの設立五年の零細工房なのに、光栄この上ないこと。

武四郎に呼ばれているようだ。

 


量り売りの駄菓子屋さん・・・稲荷町

2018年02月03日 08時03分57秒 | 旅先にて

浅草の田原町から上野駅に向かう途中が稲荷町。

落語で「稲荷町」「稲荷町の師匠」と言えば、林家木久扇さんの師匠、林家彦六のことで、彦六は生涯稲荷町の長屋住まいだった。

この地域は江戸時代から芸人が多く住む街で、取り分け稲荷町は戦災を免れた戦前の建物が多く残り風情がある。


年末に、稲荷町で今時珍しい量り売りの駄菓子屋さんを発見した・・・上野駅まで徒歩10分の距離!

看板は加賀屋とあるので、ご先祖は石川県出身か。

柿の種もガラスケースに入ると高級そうに見えるが・・・・安い!

奥に声を掛けると、ニコニコと愛想はいいが無口な主らしき老婆が出てきた。


200gを袋に詰めてもらったが、これが美味い。


スーパーで売っているカリントウとは明らかに違う昔ながらの素朴な味。


雑菌の繁殖が・・・なんて野暮な人はスーパーで買えばいい。
雑菌も人の温もりも味わい。