ポツダム宣言受諾時の陸軍大臣だった阿南惟幾の評伝が、面白いのに緻密すぎて読了に半年もかかってしまった。
著者は半藤一利さんと同じく、膨大な一次資料と関係者へのインタビューを元に、浮かび上がってくる阿南の人物像を、最後まで疑問符を残したまま描く誠実きわまりない手法をとっている。
阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣
ネット情報を切り張りして解ったようなことを書くSNSとは次元が違い過ぎて、読む側も誠実にならざるを得ず、読み込むのに時間がかかるのだ。半藤一利の名著「日本のいちばん長い日」と併せて読みたい一級の昭和史。
鈴木勘太郎首相は日露戦争時に「鬼勘」と勇名を馳せた海軍軍人。のちに海軍大臣、侍従長を歴任し、侍従長時代に阿南が陸軍侍従武官であったことからお互いの人柄を認めあっていたようだ。
例えば・・・
最後まで徹底抗戦を訴えていた阿南が、実は鈴木勘太郎首相に懇願されて大臣就任に就任した直後から、極秘裏に和平工作の可能性を探っており、徹底抗戦は陸軍の内乱を防ぐための腹芸だったと秘書官の証言が紹介されている。
親英派で和平工作の急先鋒と目されていた吉田茂が憲兵に逮捕された際も、鶴の一声で釈放させて「吉田はこれからの日本に必要な人物」と側近に漏らしていたことは半藤一利も書いているが、これは初めて知った。
また一億玉砕の本土決戦を唱えていた陸軍にあって、阿南が講和を考え始めたのは沖縄戦の敗北以降のようだ。
私の長年の疑問だったのは、8月14日のポツダム宣言受諾の御前会議が終わった深夜、割腹前に側近と酒を酌み交わした阿南が「米内を切れ!」と言ったことの真意。
米内海軍大臣。山本五十六・井上成美とともに「海軍左派三羽烏」「軍縮派」と呼ばれ、日独伊三国同盟の締結は対英米戦に繋がると反対の立場をとっていた。
米内は早期講和を明言していた海軍大臣であり、太平洋戦争に反対の立場をとっていた提督。
「米内を切れ」と言った経緯が、時系列で丁寧に描かれていて納得。
阿南は情の人、米内は理知の人、望洋とした鈴木勘太郎首相と政治未経験の鈴木を補佐した切れ者の迫水内閣書記長のコンビなくば、陸軍がクーデターを起こして、もっと悲惨な戦後になっていただろう。
迫水久常内閣書記長。元大蔵省官僚で戦後は自民党議員。本土決戦を唱える主戦派を納得させるために、ポツダム宣言受諾を天皇の言葉で言わせる政治的ウルトラCを発案したのは自分であると語っている。
ちなみに本土決戦の兵器として陸軍が用意していたのは、竹やり・弓矢・先込め式の単発ライフルでしかなく、当時の日本軍が保有する弾薬をかき集めても、一会戦分しかなかったそうだ。