縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

少数弱者の抵抗の哀しみを描いた現代版「平家物語」・・・ジブリアニメ「平成狸ぽんぽこ」

2025年02月28日 06時55分12秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
確定申告でくたびれたら、無性に古今亭志ん朝の語りを聞きたくなった。
古今亭志ん朝は噺は巧い、様子もいい、声もよいと大好きな噺家で、若いころに俳優もしていたくらいだから朗読も巧い。独り語り芸の落語とは異質な朗読で、モノノアワレを感じる声そのものを堪能したかったのだ。
父親の志ん生も小泉信三から声にモノノアワレがあると贔屓にされていましたナ。
志ん朝がナレーションをしているジブリアニメ「平成狸ぽんぽこ」をレンタルしたら、ウクライナやパレスチナに通じる少数弱者の抵抗の哀しみを描いていることに、あらためて感銘した。とても哀しい物語。
 
よく考えたら「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「未来少年コナン」も、迫害をうける少数弱者の抵抗をテーマにしていて、戦中世代で戦後の安保や成田闘争などの抵抗と敗北を経験してきた、高畑勲と宮崎駿の世代の心の真ん中に据えられたテーマなのだろう。
 
改めて視聴したら数あるジブリアニメでテーマの深さではピカイチで、アイヌとネイティブアメリカン、パレスチナとウクライナの人々の境遇と重なり、涙なしでは見られなかった。このアニメを子供向けと笑い飛ばす人がいたら、少数弱者の悲愁に目を向けずに「力こそ正義」と考えるタイプだなぁ。
 
タヌキの住処だった里山が乱開発された多摩ニュータウンから人間を追い出そうと、四国から伝説の長老タヌキを迎えて百鬼夜行に化けるタヌキたちだったが、現代人から面白がられてしまう哀しみと哀れさ。
力尽きた長老のタヌキに諸仏が来迎する。野生動物もまた仏性の顕現とする、山川草木悉皆成仏の仏教思想が読み取れる。
 
この映画の白眉は、殺されたタヌキたちが宝船にのって昇天していく場面の、志ん朝の七五調の語りだ。
最後の手段で特攻作戦にでたタヌキたちは、機動隊員から射殺されてしまう。「並みのタヌキは死出の旅 生きて帰らぬ死出の旅・・・」と「平家物語」を思わせる七五調で志ん朝が語る名場面。滅びゆくモノたちへのレイクエムだ。
 
作中に琵琶法師や源平合戦も出てくるので、高畑勲監督は「平家物語」を意識しているようだが、驕れる平氏と同じく現代人もまた久しからずとの風刺なのか。
 
4匹のタヌキの長老たちの発声とセリフ回しの味が落語っぽく、二匹は柳家小さんと桂米朝であることに気付いたが、エンドロールで残り二匹は桂文枝と蘆屋雁之助であることがわかった。
 
名人上手の師匠がたの語りは物語に奥行きを生んでいるし、無国籍なアジアンテイストで時代を横断するような「上々颱風」の音楽も作品世界にピッタリハマっている。
 
ラストのセリフの「どっこい生きている」が救いなのだが、願わくばウクライナやパレスチナの人々も「どっこい生きて」いて欲しい。
 
「・・・驕れる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし 猛き者もつひにはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ」は「平家物語」の序文だ。
 
我が世の春を謳歌しようとするイスラエルも、ロシアも、アメリカもまた「ただ春の夜の夢のごとし」・・・諸行無常。
 
 

特大の流れ星になった、はやぶさ君に共感の涙・・・「はやぶさ君の冒険日誌」

2025年02月25日 06時57分46秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
宇宙開発の歴史は、国家の威信あらそいや、軍事技術競争といった生臭い側面があるが、「はやぶさ君の冒険日誌」は異質で、読了感には爽やかな厳粛さがある。
 
JAXAの研究員が、擬人化した探査機の日誌形式の広報をはじめた。最初は探査機の擬人化に否定的な研究員もいたらしい。
最初はカラーコピー版の配布とSNSで情報発信していたが、評判をよんで書籍化されたのが本書。
研究員たちによる文章も絵も実にいい。プロの漫画家やイラストレーターでは描けない朴訥の妙。星空を眺めるのが大好きな子供が、一生懸命に勉強して宇宙開発の仕事につき、その魅力を伝えたいといった純粋な温もりが伝わってくる
 
難読漢字にはフリガナがふってあり、小学生にも理解できる内容に書かれているが、結末を知っているわたしでさえも、はやぶさ君に感情移入して冒険の数々にハラハラドキドキして読んだ。
「・・・意識がふっとなくなった・・・やがて、ぼくも大気圏に飛び込み、特大の流れ星になった。みんな、ただいま。」
 
こんな共感をさそう文章を外国の宇宙開発研究者が書くだろうか?「はやぶさ君の冒険日誌」に、縄文土器や土偶をつくった祈る人々の心を感じる。
 
外国の宇宙開発に比べて低予算のプロジェクトに取り組んだスタッフたちは、「はやぶさの生還は奇跡ではなく努力が生んだ」と言い切る。
 
相次ぐトラブルでは、映画のように怒鳴り合ったりせず、「極めて冷静な情熱」で淡々と対応し、各担当のスタッフはお互いに「あの人たちが簡単にあきらめるはずはない」と信頼しあっていたと、後日の対談で語っている。
 
スーパーヒーローが活躍するというハリウッド映画のようなこともなく、各分野のプロが知恵を出し合って難問を解決していったところが、いかにも日本的で好ましい。
 
はやぶさ君は燃え尽きてしまったが、次につながる成果を残し、本書を読んだ子供が宇宙開発研究者になるやも知れない。
 
読んでみたい方、糸魚川図書館で借りられるし、JAXAのホームページの「はやぶさ君の冒険日誌」でも読むことができます。子供も大人も楽しめる名作。
 
 
 

無音で時間が止まった幻想世界・・・雪国の密やかでささやかな愉しみ

2025年02月24日 06時39分38秒 | 田舎暮らし
寝る前に外を見たら、氷結した街路樹に信号の緑が映り、はじめて見る幻想的な風景に見惚れた。
雪が積もると音が吸音されて無音の世界になり、時間がとまったように感じる。こんな晩に寝床で寝落ち寸前まで読書するのも冬の愉しみ。
早朝4時くらいからか、市道と公共施設の駐車場の除雪を担当する地元の建設会社の除雪車が動きだした。
 
除雪車のライトが保育園を照らす光のページェント。
 
目の前の幹線道路をチャカチャカとチェーンを鳴らして走る音は、大雪警報発令で動きだす県土木担当の除雪車で、今朝は走る音が聴こえないから降雪は大したことないと、夢うつつに安心して寝なおすのも愉しみのひとつ。
 
過酷な自然環境でも、ささやかな愉しみを見つけないとやってらないヨ。
 
 

ミャンマーの詐欺拠点に監禁された日本人救出に想う・・・西川司著「バイトで行ったイラクで地獄を見た」

2025年02月23日 07時44分06秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「ただで海外旅行できる簡単な仕事あるヨ」・・・こんなうまい話しにのるのは世間知らずのアホ?
 
実は20年ほど前に、わたしは身をもって体験したw
 
わたしの場合は確かな筋からの依頼で、日本と国交のない某国の難民の現地実態調査と、人道支援NGOのボランティアだった。
 
報酬こそないが旅費はもらえ、それなりに冒険心を満たせたし、多少なりとも声なき人々の役にたてた。それがわたしのボランティアの最初。
本書は「異邦の仔」と「バイトで行ったイラクで地獄を見た」の二本の短編小説集で、後者はイラクに病院建設をする日本のODAの下請けのバイトを見知らぬ男からもちかけられ、3ケ月間で報酬300万円の条件でイラクに渡り、イラン・イラク戦争に巻き込まれた著者の実話を元にした小説。
 
朝おきたら戦争がはじまっていた。元請けゼネコンと日本領事館はもぬけの殻!
 
砂漠の真っ只中で見捨てられたバイトたちの逃避行がはじまる。トラックに乗り込んだバイトが空爆で死んだし、他のバイトの消息は不明となったが、無論、記録には残っていない。この部分も実話ですヨ。
 
戦時中のソ連軍侵攻で満蒙開拓団は見捨てられたが、戦後の日本国政府のODAであっても、下請けバイトは見捨てられた。
 
ましてや闇バイトはねぇ。
 
ミャンマーの詐欺拠点に監禁されている日本人を救出して帰国させる旅費は国費なのだろうが、自己負担でいいんじゃねぇかな?
 
冒険心は青年の特権だが、それを満たすのは自己責任。
 
読んでみたい人は街の本屋さんで注文を!
 
 
 

高校時代の痛ましい記憶・・・雪道の運転は歩行者に目配りを

2025年02月22日 09時25分53秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
糸魚川市街地の歩道除雪は完璧だが、谷筋の早川区の幹線道路には歩道はなく、路側帯は雪に埋もれていた。
電話ボックスのガラスは雪に圧されて割れたものか?
 
幹線道路の除雪は申し分なくても、道路際に壁ができてていると、歩行者の逃げ道がなく危険だ。
 
高校のころは雪が多かったのだが、今ほど除雪が行き届いておらず、車道も歩道も積もった雪で凸凹して歩きにくかった。
 
ちょうど今頃の朝の登校時、足が悪い古典のI先生が糸魚川高校前のバス停を降りてすぐに歩道際の雪の山に足をとられて転倒して、気付かずに発車したバスに轢かれて亡くなる痛ましい事故があった。息子さんは同級生。
 
わたしが自宅前の横断歩道の除雪をやっているのは、この記憶があるからだ。
 
制限速度を守って走行していても、滑ってころんだ歩行者が車道に倒れてくることもある。
 
除雪は交通弱者目線で。特に歩道のない道路の運転は歩行者への目配りを。
 
 
 

スコップにノコギリの機能を組み合わせた除雪具の原点回帰商品・・・圧雪に最強スコップ「 アーラクスコ」

2025年02月20日 07時57分16秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
ノコギリみたいにギザギザ刃ををつけた除雪スコップが開発されたと聞いていたが、つかっている友人がFacebookに圧雪が楽に除雪できると投稿していた。
 
豪雪地帯の十日町の丸山工務所が開発して、「あ~楽なスコップだ」から「アーラクスコ」と命名された逸品で、実店舗販売は十日町の村山商会のみらしい。
 
地域によって雪の重さがちがうと以前に書いたが、雪が降ったばかりと一晩経ってからでも重く締め固まるし、いちばん苦労するのが除雪車が通過した後の圧雪の壁を壊す時だ。

最強スコップ アーラクスコを使ってみた!

動画では小学生が楽そうに圧雪をカットしているが、確かに食いつきが楽そうだ。実のところ戦後間もないころまでの十日町では氷用のノコギリで圧雪を切って除雪していた歴史があるから先祖返りのハイブリットスコップといえる。

1本6,300円とやや高価だが、根っこだらけの重粘土の我が家の庭いじりの穴掘りスコップとしても有効だろうから、通年使用すれば安いもんだ。
笹山遺跡で企画展でもやってくれたら、ついでに買ってくるかナ。サクサクと圧雪を除雪したい人は共同購入するから連絡ちょうだい。
 
余談だが、自分で角スコをギザギザにカットしてみっか、とブログに書いている人がいたが、焼き入れと焼き戻しの知識と設備がないと長持ちしないと思う。
 
 
 

だまされるのはキツネくらいにしておきましょうねぇ・・・内山節著「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」

2025年02月19日 08時18分51秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
「ブックスサカイ」の選書コーナーで見つけた本書は、「日本人がキツネにだまされなくなった」のは、高度成長期に里山が宅地開発されたことなどを理由にあげているが、わたしは明治の「文明開化」「欧化啓蒙」「脱亜入欧」といった、近代合理主義の時流がまずあると考えている。
民俗学者の宮本常一は、江戸時代生まれの老人の語りは物語的で、明治以降の生まれの老人の語りは散文的と報告しているが、関係がありそうだ。
 
昭和の落語名人たちの伝記を読むと、明治期の生まれの師匠がたは「不思議なことがあるもんだ」と怪異譚を語るが、大正以降の師匠がたの伝記には怪異譚はでてこないのだ。
 
キツネにだまされていたのは、明治人が不思議にであった時に「不思議なことがあるもんだ」とそのまま受容し、合理的に分析しない感受性があったためではないか?江戸時代以前の読み物には、「不思議なことがあるもんだ」で締めくくるものは多い。
 
ところが、ごく普通の大学生から、キツネにだまされた体験を聴いたのが20年ちかく前。
 
夏休みで広島の実家に帰省して、お盆の墓参りで山の斜面を登って5分にある墓地を目指したら、通いなれた山道を30分も堂々巡りした。
 
気味が悪くなったので墓参をあきらめて山を下ろうとしたら、木陰から覗くキツネと目があい、落ちていた小枝を投げたら逃げていき、すぐに墓に辿りつけたのだそうだ・・・不思議なことがあるもんだw
 
ここ数年で拙宅周辺でキツネ・イタチ・タヌキを目撃するようになったし、糸魚川市は消滅危機市町村だそうだから、いつか人間より野生動物の方が多くなるかも知れない。わたしもキツネにだまされる時を愉しみにしている。
 
世界的にポピュリズムが台頭しているが、「八紘一宇」を旗印にした大東亜共栄圏建設の拡大主義のポピュリズムの時流にのった日本人が、「だまされた!」とホゾを噛んだのは80年前だ。
 
だまされるのは、キツネくらいにしておいた方がいい。よほど平和的で人間くさい。
 
 
 
 

勾玉探偵、子持ち勾玉のナゾにいどむ!・・・勾玉の最終形態

2025年02月17日 07時14分17秒 | ぬなかわヒスイ工房
お得意から「エラのある魚」の勾玉を注文され、意味がわからず画像をおくってもらったら「子持ち勾玉」だった。
 
エラとヒレに見えるのは小型の勾玉で、ヒスイで勾玉がつくられなくなった古墳中期以降に、滑石や蛇紋岩など柔らかい石でつくられた勾玉と説明し、勾玉がいくつもできる分量のヒスイが必要になり、無駄になる部分が多いからとお断りした。
縄文早期の牙状勾玉から時系列で変化を臨作してきたが、最終形態というべき「子持ち勾玉」で臨作しないのは勾玉探偵として片手落ちで、東京の「伊興遺跡」出土品をモデルにした。
ほとんど彫塑といっていい工程をもつ勾玉で、つくってみれば愛嬌があってかわいらしく、考古学の知識がないお得意がサカナと思ったのも無理はないくらい、魚っぽいカタチだ。
謎のおおい勾玉なのだが、古墳から出土せず集落址から出土する勾玉だから権力者の威信材ではなく、身近な生活に関わる用途だったのかも知れない。
 
例えば水に関係した祭礼・・・母胎となる勾玉に小型の勾玉をつけた様を稲に穂が実った状態に見立て、豊年豊作の予祝儀礼にでもつかったものか?奥能登の稲作儀礼「あえのこと」のように、「子持ち勾玉」を田の神として家に招き、ご馳走をならべて饗応したりする図を想像するとたのしいが、子孫繫栄を祈る意味も重ねていたのかも。
左から縄文早期・前期・晩期・弥生早期・弥生中期・古墳中期で、概ね5,500年間くらいの勾玉の歴史を時系列で来客に説明するのが目的
 
いずれにしても素材とカタチからして、権威の象徴というよりは朴訥とした民具の趣きがあり、長い勾玉の歴史の最後がこんな勾玉で幕を閉じたことに、微笑ましさと共に一抹の寂しさも感じる。
 
 
 

金蔵印の根切りをお迎えしました!・・・除雪ボランティア

2025年02月16日 07時48分09秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
金蔵印の根切りを金物屋に注文しようとしたら、1本だけは送料が1,500円もかかり1万円弱の出費となるので断念。
諦める前にとネット検索したら、期間限定で送料込み5,500円!なる有名工具サイトがトップにでてきて即購入。
自重が3.2キロもあるので、雪が氷ついた歩道にトンと置くだけで鋭い刃先が割ってくれるだろう。
重さ、長さ共に固く締めがたまった圧雪の小割や、舗装面に張り付いた氷の除去に使えそうで、自宅周辺の氷ついた歩道の除雪ボランティアに活躍しそうだ。
拙宅前の横断歩道は通学路で子供は喜んでスケート遊びするが、老人歩行者も多いからツルツル面は割っておきたい。
 
今までわたしが自主的にやっていた拙宅前の横断歩道の除雪を、今年はわたしが起きる前にやってくれている奇特な人がいるらしい。
 
近所のラーメン屋「ラーメンハウス」のオヤジさんも、自主的に早朝から除雪機で通学路を除雪している陰徳の人。
 
人知れず除雪するのも立派な在宅ボランティア。
 
 
 

弥生時代に激変した勾玉・・・勾玉探偵「菜畑遺跡」の勾玉に挑む

2025年02月15日 06時48分01秒 | ぬなかわヒスイ工房
社会復帰のリハビリで、新年最初の恒例になった遺物勾玉の臨作をしたら坐骨神経痛を忘れて没頭。やっぱ好きなのだ。
臨作(りんさく)は書道の臨書に学んだわたしの造語で、滑石は勾玉つくり体験会でつかわれるやわらかい石。遺物の複製は実測図や実物大写真からテンプレートをつくり、忠実であろうとするほど難しくなっていくので、ヒスイ職人の修行と心得ている。
 
扁平な胎児形をした縄文勾玉から、弥生時代早期に激変した勾玉のエポックメーキング的な、北部九州の「菜畑遺跡」出土のヒスイ製勾玉を滑石で臨作。
3つ並んだ勾玉のうち
 
左が縄文晩期の糸魚川の「寺地遺跡」出土の典型的な縄文勾玉。
 
中央が頭部と胴部の差が明確で立体的になった「菜畑遺跡」勾玉
 
右が弥生時代中期の北部九州の「宇木汲田遺跡」出土の丁子頭勾玉だ。
 
3つ並べると「菜畑遺跡」の造形は、縄文勾玉から立体造形物として別次元に移行したことと、格段の技術革新があったことが明らか。弥生時代早期に、勾玉造形の好みの変化と技術革新があったのはなぜか?
 
大陸や半島から稲作文化を持ち込んできた人々、その二世、三世たちが、縄文文化を取り入れたと考えるのが自然だろう。
 
「菜畑遺跡」勾玉は、頭部と胴部に刻みをいれて立体感と躍動感をだしているのだが、実際につくって言えることは、中期の宇木汲田遺跡の勾玉は、その刻みを紐孔につなげて頭部をさらに球体に近づけ、胴部の断面を円形にした定形勾玉・丁子頭勾玉に発展させているようだ。
大田区立郷土博物館の「大勾玉展」の図録をみた時は、シャクトリ虫?カプセル怪獣ウインダム?としか思わなかったが、立体になると惚れ惚れする造形美に参ってしまう。左の赤のが自作のテンプレート。
 
北九州の勾玉行脚をしたい想いがつよくなった。