縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

座骨神経痛が教えてくれた「人間」の意味・・・磯田道史著「無私の日本人」

2025年01月05日 07時53分36秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
新年の福の神がやってきた。現実に3日遅ればせながらの歳神様の到来だ。
 
能登から帰宅した翌朝から酷い坐骨神経痛で、正月の準備もできずに寝込んでいた。年末の作品展直前のギックリ腰、秋は左膝に激痛、春は左耳が突発性難聴になったりもあったが、整体協会指導者の矜持として自分で乗り切ってきたが、年内のボランティア活動を終えた途端に我慢が限界点をこえたようだ。
床について9日目、上越市の池田なつき嬢から、漆器の汚れ落としボランティアの申し出。情けないが、四つん這いになって玄関にでて新年の挨拶。
 
ところがだ、漆器の洗い方を教えているうちに神経痛の痛みを忘れ、ふき取り作業まででき、爺さんのような姿でも、杖なしで歩けるようになっていた。
 
かっての日本では自然災害や疫病が流行ると、朝廷も年号をかえたりしたし、民草は1年の途中であっても新しい歳神様を招来して新年とする風習があったと聞く。
 
その伝でいうなら、なつき嬢が歳神様として「病みついた場」を刷新してくれたので、彼女がやってきた4日がわたしの新年の元日といえる。
 
なぜか展示販売会のボランティア活動をしてくれるのは女性ばかり。こちらは都内文京区の「ホピショップ」の天川彩さんとスタッフの恭ちゃん。
 
これまで独りで抱え過ぎていたのだな。支えてくれる友人たちの存在を忘れちゃダメだぞと、座骨神経痛が教えてくれたように思う。
 
イキモノとしてのヒトは、他者と響き合ってこそ人の間と書いて人間たり得るのだと実感。ではその人の間には何がある?共有された場ではないか?それが家族、友人といった最小単位の社会であって、その集合体が故郷やクニを形成している・・・と愚考した次第。
折しも磯田道史著「無私の日本人」の最終章を読んでいた。本書で紹介されているのは江戸期の「無私」の偉人たち。
珠洲市のHさん一家と漆器の汚れ落としをする長崎県で展示販売会をしている早崎さん(右端)。
 
彼らほど聖人君子でなくても、ボランティアを名乗りでてくれた仲間たちは「無私の日本人」に違いない。
長野県安曇野で展示販売会をしてくれた加瀬さんと相棒のオリーブちゃんw
 
奈良の天河大辨財天社が、インフルエンサーに扇動された現世利益を求める参拝者でごったがえし参拝制限をしたらしいが、そんな我欲丸出しの了見で神社に行くより、困った人のためにボランティアをしたほうが神様だって喜ぶと思うがな。
 
 
 

戦国のボランティア侍たち・・・映画「七人の侍」

2025年01月04日 07時48分00秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
年末にBSで放送された「七人の侍」を観て、戦に翻弄される百姓がそのまま自然災害と人の関係とも言え、改めてテーマの普遍性に感嘆する。
ボランティアの語源はラテン語の自由意志による志願兵が原義と聞いたことがあるが、七人の侍たちも「腹いっぱい食わせる」だけが条件の原義通りのボランティアだ。
 
冒頭のクレジットの協力者に「香取神道流」とあることも気付いて、東映系の派手な殺陣とは異質な、厳かな抜刀と納刀の所作のリアルさにも納得。学芸会やサムライコスプレにしか見えない今どきの時代劇とはちがい、本物の武芸者にみえる俳優たちの存在感も見事だ。
 
何度見ても発見がたくさんあるのは名画ならではだが、毎回モヤッとするのは、野武士の砦に夜討ちする場面。
 
馬を分捕ってから夜討ちしたなら、村での決戦は疾走する騎馬武者にてこずらなかったし、百姓に慣れない竹槍を持たせるなら、5人一組にして1人は馬に投石させてさせて落馬させた方が、騎馬武者対策になるぞ( ´艸`)
 
投石は印地(インジ)という立派な戦国時代の戦闘技術だ。
 
 
 

時空をこえて輪島功一 の奇跡のリターンマッチを輪島市に贈る・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2025年01月03日 07時11分22秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
能登半島地震1周年となる元日は、輪島市の皆さま方に想いを馳せ、「炎の男」輪島巧一の伝説のリターンマッチを観た。
 
輪島功一 vs 柳済斗(1976)奇跡の王座奪還! リターンマッチ!(15Rフルバージョン)
 
輪島姓は輪島市の輪島埼が発祥で、北前船で移住した人が多かったのか、石川県に次いで北海道に多い苗字であるらしく、北海道の貧しい漁師の家に生まれた輪島巧一のご先祖も、やはり輪島出身であったのかも知れない。
 
中学時代からアルバイトではなく、プロの漁師として海にでていた苦労人の輪島は、蒸気機関車を思わせる力強く、泥くさい変則ファイトが評論家からは酷評された一方、ファンは熱狂的に支持した。
 
しかし力強くスタイリッシュなボクシングスタイルの韓国の強豪、柳済斗にKO負けした時の輪島は、当時の常識では引退が取り沙汰される年齢となっており、所属ジムからもリターンマッチは反対され、下馬評も低かった。
 
ところが序盤から攻勢にでた輪島は、終始、倒す姿勢を崩さず、予想外の番狂わせに観客は熱狂した。
 
アウェーの柳済斗には気の毒なのだが、観客の声援が「わっしょい!わっしょい!」と泣きながらの大合唱になったことは、今も語り草になっている。そして最終ラウンドにKO勝ちし、二度目の王座帰り咲きに成功した。
 
この試合の翌日、銀行に立て籠もる強盗に警官が「逆境からたちあがった輪島の試合をお前もみただろ?輪島を手本にして人生をやりなおせ!」と説得され、自首した逸話もある。
 
輪島市のみなさんに、時空をこえて輪島巧一がファイティング・スピリットを贈りますぞ!ガンバレ~!負けられん輪島!