縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ホタルイカがあがりました・・・県外在住の糸魚川出身者へ

2020年04月30日 15時23分21秒 | 糸魚川自慢

県外在住の糸魚川出身の皆様へ

今年もホタルイカが浜にあがる季節になりました。

暗い内にタモ網を持っていかなくても、寺町~押上の海岸は石浜なので砂を噛むこともなく、自宅用と近所にお裾分けする分だけ拾うぶんには気楽なもん。
 
浜っ子の遊び場は豊饒の海であり、けんか祭りの禊の海。
脚がもげたのや、干からびたのはより分けて拾っていますが、食べたかったら新鮮な沖獲りを漁師さんに頼んであげます。
 
みんな大変だけど各地の漁師さんも大変。
 
海岸にはヒスイ拾いの人も疎らの静かな5月連休ですわ。

気の利いた贈り物・・・企業、人の原点ここにあり

2020年04月28日 08時35分53秒 | ぬなかわヒスイ工房

アクセサリー用の金属パーツの補充注文をしたら、商品と共にマスクと手紙が送られてきた。

手紙には、アクセサリー納入時にコロナウイルスの感染防止として、消毒用アルコールなどでクリーニングしてもメッキには影響はない実験結果が出たので、安心してくださいとの旨が書いてあった。

この会社は金属アレルギーに対応したサージカルステンレス製品に力を入れており、こんなのが欲しかった!というオリジナル開発商品が多く、顧客の目線に立った営業姿勢に好感を持っていたが、本当に気が利いている。
有名大手であっても安いだけの粗悪品が多いから、社長と会って話がしたいくらい感激した。
 
今だけ儲かりゃいいってもんじゃない。
 
企業、人としての原点ここにあり!と、今朝は気分がいい。

マレーの虎さんも絶賛!口チャックマスク・・・笛育的配信公社的宣伝

2020年04月26日 08時11分53秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

笛育的配信公社的宣伝

マレーの虎さんも絶賛!・・・口チャックマスク


あのね、ああた、マレーの虎ってぇのは、あたしの二つ名でね、名前じゃないん・・・困ったねぇどうもっ。あたしの名前はラリマオってえの!・・・商売はねっ、義賊ですヨ!ギゾクっ!弱きを助け強気を挫くってぇ商売っ!

えっ?ハリマオさんなら聞いたことあるっ?あの人は師匠でねっ、大師匠は鞍馬天狗ですよ・・・えっ?二人ともよく知らないっ?いやんなっちゃうねぇイマドキの人ぁ・・・平たくいやぁピンの正義の味方ですよっ!

大師匠の時代なんかよかったね~っ、黒紋付に黒覆面ってぇ粋なナリしてんの!これが白馬にまたがって出てくるってぇと、音羽屋っ!って大向こうから声がかかりぃの、居並ぶ芸者衆からぁ、おひねりがアメアラレと降るってぇくらいのバカな人気っ!うらやましいねぇ、どうもっ!ハハハッ

あたしは商売柄ぁ黒メガネは外せないでしょ?そこんとこぅもってきてコロナでマスクですよぅ・・・迂闊にコンビニとか銀行とか行ってごらんなさいよ!

アヤシイ奴ってぇんで、お巡りさんでも呼ばれた日にゃ洒落ンなんないよぅ・・・だってほらぁ、こっちは年がら年中、商売道具のピストル持ち歩いてんだからさっ(笑)

ピストルめっかっちゃって「何だこれはっ!」と聞かれたらねっ、このマスクのチャックをサッと開けてね、「あにぉう?おぅ、二本差しが怖くて田楽が食えるかってぇんだっ!こちとら義賊だ、江戸っ子でぇ!そんじょそこらのお兄いさんたぁ、訳ぁ違うんでぇ!ベラボウめぇっ!」って大見得きっちゃってさ、びっくらしてるところをサッと逃げようってぇ寸法!ねっ、いいでしょ?このマスク!

*個人の感想です
*古今亭志ん輔師匠の声色で読んで頂きますと臨場感が増します。


親不知の「波除観音」の由来・・・風景には物語りがある。

2020年04月24日 08時39分38秒 | 糸魚川自慢
6年前の今頃、海のヒスイロード検証実験航海のトレーニングで、親不知を日帰り航海した。
シーカヤック船首は東を向いております・・・日本海の沿岸は、午前10時くらいから東から西に時速2キロくらいで潮が流れることが多く、青森方面に漕ぐのはけっこう大変です。
 
かっては狭い海岸線が加賀街道で、断崖に打ち寄せる波を避けながら海岸を歩いていたので、時には亡くなる人もいた天下の険。
 
ある時、子供を波にさらわれた母親が、必死に観音様に命乞いをしたら、運よく次の波で子供が返ってきた。
 
後日、その場所の断崖に観音様を祀ったのが「波除観音」で、まだ残っていたので写真を撮った。
 
残念ながら現在の親不知は、海岸浸食のために歩くことはできず、波除観音は海上からしか観ることができない。
 
高校で古典を習い、親不知の郷土史家として知られる蛭子先生に顛末を話して写真を進呈したら、海から撮影した初めての写真ということに感激され、教育委員会に申し出たらしく文化記録されるに至った。
風光明媚だけでは片手落ちで、風景の物語りを語ることが肝要。
 
絶景だけなら、佐渡や能登、男鹿半島、竜飛岬にはスケールも景色も敵わないのですよ。
 
親不知の風景がどこか物悲しいのは、人の哀しさが記憶されているからだと思う。

心を寄せる誰かの存在・・・コロナ禍の夜に

2020年04月21日 07時43分34秒 | 糸魚川自慢

帰宅したら玄関に海藻のアオサが置いてあった。

田舎では誰かが黙って山菜や海産物を置いていくのはよくあるが、最近は送り付け詐欺の話も聞くのでとりあえず冷蔵庫に保管。

夜遅い時間になって高校美術部の後輩、居酒屋を経営するT君からの贈り物である旨のメッセージが入ってひと安心。

漁師さんから魚を頂いた翌日だから、感激もひとしお。漁師さんも大変だけど、居酒屋も大変だろうにねぇ。

昨夜のNHK「逆転人生」で、借金地獄から脱出して、同じ境遇の中小企業経営者のために経営コンサルタントになった吉川博文さんが、「経営破綻して自己破産したり自殺する場合は、ほとんどが自滅なんです。孤独ではないと寄り添う人の存在が大事なんです。」と提言していた。

大変な時にこそ、心を寄せる誰かに親切にするし、親切にされた人はまた誰かに親切にして助け合う。

助け合いの輪が広がって、みんなでガンバロウな!と心が一つになっていく。

ワンチームや統合という言葉は、トップダウンではなく、何か大変な時期に底辺から湧き上がってきた方が自然だ。

心を寄せて孤独でないことを教えてくれたみなさん、ありがとう。

この気持ち、誰かにバトンタッチしなきゃね。


大変な時にこそのユーモア・・・チャック付きマスク

2020年04月20日 07時31分36秒 | ぬなかわヒスイ工房

漁師の松沢さんが、友達の能登の海女さんが自作したウエットスーツ素材で自作したマスクをしていて、チャック付きというアイデアに感動して、ムラムラと創作意欲が湧いてきた。

マスクにチャックを付けるアイデアを不謹慎と怒る人もいるかも知れないけど、漁業方面も収入減が大変で、そんな時にこそ笑い飛ばすようなマスクを作ってしまうユーモアは大切だと思う。

しかもマスクしたままタバコが吸える実用性は魅力・・・冗談ですよ・・・真面目に反応し過ぎないで(笑)

「ヒスイの雫」「ゆれる誘惑」「よだれる水晶」「誘うギョサン」と、チャックの先端に吊具のサルカンで取付けられるチャームを連作して、製作者に賛同のエールを贈った。

 
赤いヒラヒラはメバル用のタコ疑似餌です( ´艸`)
松沢さんから手土産のナマコや鰈、ワカメ、アジなどを沢山頂いたので、お隣の居酒屋さん一家にもお裾分け。
 
みんな大変だから、みんなで喜び、そして笑いを分ちあう。
もちろん私もマスクを注文したし、遊び心を忘れない製作者の能登の海女さんに連絡して、コロナ禍が過ぎたらお互いに行き来しましょうと友達になってもらった。肝っ玉かあさんみたいな豪快な女性のようだ。

 


グルグル模様で魔物を睨み返す・・・縄文帯留め

2020年04月19日 07時44分32秒 | ぬなかわヒスイ工房
手遊びで作った縄文風ペンダントを帯留めにリメイクして欲しいという注文・・・こういう要望は大好物。
先史美術には迷路のようなグルグル文様が多く、これは魔物が憑りつこうとした時に目を回したり迷子にするための魔除けや、永遠の時の流れ、すなわち人智を超えた神を抽象表現した魔除けとする観方などがある。
神様に睨まれては、魔物も退散せざるを得ないという想いなのか?
糸魚川のヒスイ加工は、縄文中期中葉の4,500年前から始まったが、古墳時代の5世紀までの間に途中何度か中断する時期がある。
 
その理由はなんらかの社会的緊張によるものか、疫病の流行や飢饉による人口減少なのかは謎。
表からはなんだか解らない物体ですが、ちゃんとした四分幅の帯留めでございます。
 
昔の人は疱瘡や風邪も魔物として捉えていただろうし、命を繋ぐために切実な思いでグルグル模様で魔除けを施していた・・・のかもデスネ。
 
「コロナにはナニナニが効く!」といった類いの情報を目にするたびに思うのですよ。そこに昔の人のような真剣さがあるのか?と。
 
人の弱みに付け込んだお金儲けの機会にして欲しくないデスネ。
 
さてさてと・・・アベノマスクの製造元と製造における収支報告書を公表してくんないかな?

 


不思議少女、花の伝言・・・「この空の花 長岡花火物語り」

2020年04月18日 10時59分45秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
3.11の年、長岡花火も自粛の声があがったが、「観光誘致のイベントなら自粛だが、長岡の花火は死者の追悼と平和を祈るメッセージなんだ」と開催・・・映画の中での長岡市長のセリフだ。
大林作品には幻想的な抽象表現が多いが、一輪車に乗る不思議な少女ハナは彼岸のメッセンジャー、美しく哀しい。
 
高校生たちが演じる劇中劇の空襲場面も、縦横無尽に一輪車で走り回る子供たちの姿が天使が乱舞するかのようで、戦争の凄惨さをこれほど見事に表現した映画を観たことがなく、観終わった後はカタルシスに満たされる。
 
最初に観た時には「戦争なんか関係ないのに!」と謎の言葉を残して夫の元を去る松雪泰子さんのセリフの意味が解らなかったが、2度目に観た時に、彼女は長崎の被爆2世で母親になることを拒絶していたのだなぁと気付いた。
 
もう一つ気付いたのは、劇中劇で演奏するミュージシャン「パスカルズ」の中に、チェロ弾きの古い友人の坂本弘道さんを発見!
 
横浜の老舗ライブハウス「エアジン」でムチャクチャな演奏をし過ぎて出入り禁止になったと聞いていたが、あの時は電動工具のグラインダーでチェロを弾いて、盛大に火花が飛んでいた(笑)まだミュージシャンとして活躍していたのだと知って安心。
 
大林監督は、あえてこの映画にエンドマークを付けていない。
 
長岡市民がお金を出し合って作った「長岡映画」が、世界中の言葉で字幕が付けられ、各国の平和記念イベントで上映されているようだ。
 
永遠に続くネバーエンディングストーリー、花の伝言を引き継ぐのは観客。
 
今日も世界のどこかで慰霊の「白菊」が咲く。

「この空の花 長岡花火物語り」・・・まだ戦争には間に合いますか?

2020年04月17日 08時40分12秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
大林宣彦監督が長岡の花火を観た時、「ゆっくっり開き、しんなりと散っていく白菊」に自然と涙がこぼれ、案内の長岡市長に「長岡の花火に心がありますか?」と聞くと、市長は「わかりますか?」と、この花火は観光イベントではなく、長岡空襲の戦没者の慰霊と焦土となった長岡の復興のために始まったのですと物語り、映画化プロジェクトが始まった。
最晩年の大林監督が渾身の力を注いて作った「この空の花・・・長岡花火物語り」は、戦争・原爆・震災の記憶を織り交ぜながら「まだ戦争には間に合いますか?」と問いかけ、「戦争を知る最後の世代の責任」として後世に語り継ぐ荘厳な反戦童話。
 
「みなさん私が観えますか?・・・飛行機からは、わたしたちが観えなぁすけ、戦争になったんらぁて・・・」富司純子さん演じる、空襲で子供を失い語り部をする老婆の長岡弁が切ない。
 
監督得意のカットバックと棒読み口調を多用し、幽明境が混沌とした登場人物たちが幻想的な映像を織りなし、繰り返し「まだ戦争には間に合いますか?」と物語る。
 
長岡の花火をご覧になる前に、この花火の哀しい物語を知って欲しい。
 
全ての日本国民、世界中の人に観て欲しい映画。
 
今、この時期だからこそ観て欲しい。
 
理想的平和主義と笑わば笑え。そこが原点、スタートなのだから。

「世界初のヒスイ文明のまち」は恥ずかし過ぎる・・・大林宣彦監督の気骨に学ぶ

2020年04月15日 08時01分15秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

大林宣彦監督が初めて故郷の尾道市で撮影した「転校生」の公開時、地元では映画に映るさびれた尾道の景色に屈辱感を覚える市民が多く、公開中止の声まで出たそう。

ところが予想外のヒットと、後に「尾道三部作」と評される「時をかける少女」と「さびしんぼう」が相次いでヒットして話題になった頃には、ロケ地巡りの観光客が押しかけるようになり、評価は一変。


観光収入増大を期待した尾道市は、ロケ地の記念碑や案内看板の設置を監督に持ち掛けた。

大林監督は、「万人の故郷を私物化する訳にはいかない」「街づくりではなく街保存のために余計な物は不要で、昔ながらの景観を維持することが大事」「映画そのものが記念碑」「ロケセットで金儲けして欲しくない」との理由で拒絶し、尾道市との関係は良好とはいえなくなったようだ。

文化と観光のせめぎ合い・・・同調圧力に屈せず、故郷を愛する映画人として筋を通した大林さんの気骨が好きだ。

最近の糸魚川では、「世界初のヒスイ文明のまち」という言葉まで出て来たが、ここ数十年来の発掘調査により、糸魚川のヒスイ加工は世界初でも国内初でもないと考古学界で認知されているし、ヒスイ文化をヒスイ文明とまで言い換えられては、市民として恥ずかしい。

考古学的に許され、誰からも文句が出ないのは、「国内最古級のヒスイ文化のまち」という表現だろう。

「今だけよければいい・とりあえず興味を持ってもらい、糸魚川に来てもらうことが大事」という観光収入増大ありきの姿勢には、理念も文化もあるとは言えない。

それはネット検索するだけで真逆の情報が簡単に集まる、ぬなかわ姫と出雲の八千鉾神との「古代のラブロマンス」による観光客誘致活動も同様で、考古学や文献史学の裏付けもない「個人的な希望的観測史観」に、恥も外聞もなく観光客を誘致したい思惑が透けて観え過ぎる。

観光客の増大と引き換えに、大事なモノが失われていくことを忘れてはいけない。