縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

こんなモノ作ったぁ!・・・火打石ペンダント

2015年09月26日 12時40分17秒 | ぬなかわヒスイ工房

火打金の老舗「吉井本家」さんの工房を訪れて、社長と意気投合した時に、工房の隅に小さな火打石の欠片が置かれていた。

メノウ原石を割って火打石を作る時に出た破片で、溜まったら捨てているのだそうだ。

そこで閃いて作ったのが、世界初の火打石ペンダント!

サンプルを作って社長に送ったら非常に喜んでおられたので、コラボ商品として「ぬなかわヒスイ工房」の商品に加えてみた。

こんなに光を通す!

カッコええ!

メルヘンの世界である。これで2,000円也どうだ!

 

同じ形は二つとないペンダント。

太古より火と発火具は魔除けなのだよ。

 

 


「くびき野カレッジ天地びと」講演会のご案内

2015年09月24日 23時12分18秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

遅ればせながら、「海のヒスイ・ロード」検証実験航海についての講演会のお知らせ。

上越市のNPO「くびき野カレッジ天地びと」第11期後期の講師として、下記日程でお話しする機会を設けて頂きました。

講演の説明に使うために作った丸木舟のミニチュア。こんな船型じゃないと沖合遥を流れる対馬海流を利用できなかったというのが持論。

 

日時;9月26日15時10分から1時間

場所;上越市仲町6-5-1

内容;「海のヒスイ・ロード」検証実験航海記について

問合せ先;くびき野カレッジ天地びと事務局(http://space.geocities.jp/masuyakubikono/)

ヨロシク!


佳いぢゃないか!少年の悔し涙・・・「全国縄文丸木舟競漕大会」結果

2015年09月24日 09時25分20秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

今年も福井県若狭町主催の「全国縄文丸木舟競漕大会」に「チーム日本海縄文カヌープロジェクト」として出場。

今年のチーム日本海縄文カヌープロジェクトは、大人3組・子供1組も出場したので、大会DJさんは何度も「縄文時代に糸魚川ヒスイを運んだ丸木舟の検証をする糸魚川の市民団体が今年も遠路ハルバルの参加~!」と連呼してくれたので、少しは大会を盛り上げる事と糸魚川のPRに貢献はできたようだ。

初出場の糸魚川の子供チームは、訓練環境や年齢的なハンデを乗り越えての挑戦。

 

ちょっと残念な事は、第一回目大会の昨年のよりイベント全体の雰囲気が散漫な印象だった事と、運営自体がもたついて主催者側の熱意が薄れていた印象を受けた事。

それでも出場者のレベルは去年より格段に上がっていた。

昨年悔しい想いをした参加者はリベンジに燃えていたので、昨年準優勝の私と竜太君の組は薄氷を踏むような僅差で予選と準決勝で勝ち進んだ。

結果は昨年に続いて準優勝だったが、内容はちょっと酷かった。

決勝の時の私は立眩みするような状態で体に力が漲らない感じ・・・体力の衰えを実感した。

前日は「オトバマ」に出店して体験会をしたので疲れ切っていた事もあるが、片道五時間の車の運転をしてのテント泊だと疲れが抜けないのですな。

他の参加者に聞くと、みんな私の子供といってもいい年頃なのだ。

それでも、チームとしては昨年予選敗退だった他のクルーが予選ではダントツのトップフィニッシュをしていた事が嬉しい。

それと子供チーム。

彼らは予選直前に「ヤマダさ~ん、緊張で手が震えるけど、どうしたらいいですかあ?!」とイジラシイ事を言っていた。

残念ながら子供チームは予選敗退したが、岸に戻ったスキッパー役(後部で舵をとるリーダー)のT君が、父親に抱き着いて悔し泣きをした。

 

日頃はアウトドアに連れ出してもゲームばかりして、おませで大人っぽい口調のT君が、感情を露わに悔しさを表に出したのだ。

彼は生まれた時から心臓に問題があって3度も大手術を経験しており、今でも運動の面で色んな制限を受けている。

そんな「どうせ僕なんか・・・」と、心の内で人生を諦めた事を呟いているかのような少年が見せた悔し涙は、彼の親も観たことないそうだ。

佳いぢゃないか!

この経験が、彼の人生にどんな影響を及ぼすのだろうか・・・。

大人も子供も佳い経験ぢゃった。

 

 

 


こんなモノ作ったぁ!・・・食器入れの竹筒

2015年09月18日 06時55分37秒 | こんなモノ作った!

私の最近のアウトドア遊びは単独行より大勢で賑やかにというパターンが増えてきた。

そこで趣味の木工と仲間達に自慢がてら、こんなモノ作った。

箸やスプーン類を汚さずに収納する竹筒です!

一本の竹筒の中間を切断して、両端を入れ子にしただけ。

箸は四月十日の「けんか祭り」の時の「鶏爺の竹」を貰って作った縁起物。

フォークとナイフは百均製品。市販のアウトドア用品はプラスチック製品が多く、なるべくプラスチック製品や割り箸や紙皿などの使い捨てのモノは使いたくないのだよ。

蓋をした状態。ラオスの山奥の山岳民族が、同じ構造の収納用品を切れない刃渡り四十㎝もある山刀とナイフだけで三十分ほどで仕上げた現場に直面して吃驚した事がある。世界一器用な人達ですな。

以前の私は半日も掛けて仕上げていたが、現在は何個も作っている内にコツを覚えて三十分ちょっとで作れるようになった。

また入れ子の内側を削る時には外丸ノミを使っているので精度はラオス式より上だと自負できる。

因みにラオスの竹は柔らかくて粘りがあるので竹細工に向くというハンデもあるぞ。仕上げは蜜蝋を擦り込んである。

底の小さな孔は内部を湿気させない工夫に加え、いざという時には火吹き竹になるという遊び心(笑)


土偶博覧会!・・・縄文オカリナの仲間たち

2015年09月16日 11時50分22秒 | ぬなかわヒスイ工房

フェイスブックで7縄文オカリナを紹介したら、えらく受けたので、今回はモデルになった土偶のご紹介。

 

一番人気はやっぱり誰もが知っている遮光器土偶。

前回のブログで紹介した、青森県つがる市の「亀ヶ岡遺跡」出土の国宝の土偶で、縄文時代晩期(三千~二千五百年前)に青森から東日本全体に影響を与えている。(詳細は前号を観てください)

 

民族楽器コイズミさんに卸した時に、店員さんも面白がって買ってくれた人気オカリナは、青森県八戸市の風張1遺跡出土の「合掌土偶」がモデル。実物は扁平な顔付きなのだけど、笛にするには中空である必要から、立体的な顔付きにしてある。

山猫を思わせるのは山梨県笛吹市の上黒駒遺跡の土偶。上二つの青森の土偶と違って中期(五千~四千年前)の出土品で、中期の土偶は人と動物や両生類、爬虫類などの中間的な顔付きをしている。縄文時代の本州にはネコがいなかったようだが、ネコ好きの人が買ってくれているらしい(笑)

このオカリナのモデルは土偶ではなく、 同じく中期の長野県岡谷市「海戸遺跡」の「顔面把手付深鉢」という土器の口縁部を飾る人面。母胎たる土器から新たな生命が誕生する様を表現していると推測され、・・・顔の周りは女性器の抽象表現とも・・・信州を中心にして北関東まで分布する土器様式である。土器は豊饒の地母神の憑代であり、土器で煮炊きした食物は神のチカラを宿した祈りの供物であったのだろう。だから身にチカラが湧いてくる。男女和合の神である道祖神信仰の分布や、諏訪系神社の分布と一致するとの研究もある。生半可な知識で生殖器崇拝だよ~ん!と簡単に言って欲しくないですな。

 

石笛や勾玉といった作りは、硬い石材を削って研磨する引き算的な仕事で、これは趣味の木工もそうだ。

ところが、縄文土器やオカリナ作りといった粘土細工は、基本的に柔らかな素材を足していく作業で、石材加工とは真逆なのだ。

だからヒスイ仕事に疲れると土器やオカリナ作りをしたくなる・・・箸休めみたいになって具合がいい。

カタイ仕事とヤワラカイ仕事。この振幅が楽しい。


こんなモノつくったぁ!・・・土偶オカリナ

2015年09月14日 08時42分03秒 | ぬなかわヒスイ工房

9月20日に糸魚川市能生町で開催される音楽フェスティバル「オトバマ」で民族楽器作り体験会をしてくれい、とのツヨシ君からの依頼。

賑やかにしたいので、楽器販売もして欲しいと頼まれた。

そこで作ったのが、「ぬなかわヒスイ工房」や「民族楽器コイズミ」さんでも売っている縄文オカリナの新作。

売るなら竹の楽器でもいいのだけど、器用な人なら実物を観ただけでも作れる竹製民族楽器より、縄文オカリナならそう簡単じゃないし、「縄文文化に詳しい楽器作りのプロ」という宣伝になっていい・・・かな。

すべてペンダント式の縄文アクセサリーになっており、オカリナとしてもちゃんと機能する。博物館で売っている型抜きして電気窯で焼成した量産品土偶とは違い、ヒスイ加工の合間を縫っての多品種少量生産の手作り品だ。

あまりにも有名な青森県つがる市の「亀ヶ岡遺跡」出土の遮光器土偶をモデルにしたオカリナ。黒いのは、焼成の後に燻し焼きをしているからで縄文時代晩期の流行する焼成方法で、目の部分が生乾きの段階で研磨してツルピカになっている所が芸が細かい(笑)

立体造形の面白さは、デザインの簡略化と奥行きのリアリティー。最小限の表現で実物のリアリティーを出すために簡略できる部分は簡略化してある。

ちゃんと吹き易い形状に作ってある。眼の間に指孔があるが、実物も同様に孔が開いているのは焼成時に割れない工夫か?

 

焼きムラがあるのは、縄文土器と同じく野焼きしている証拠!

しかも石笛作家の私が作っているのだから、楽器としてもちゃんとしていると自負はある。

意外にも大きい音量と綺麗な倍音を持つクリアーな音色。

そして概ね半オクターブの音域があるので、唱歌のような簡単な曲なら演奏できてしまう。

こういう趣味の延長が仕事になってくれれば面白いのですがなあ。

 


世界初の磨製石器石笛!

2015年09月11日 20時51分55秒 | ぬなかわヒスイ工房

望月歴史資料館の佐藤さんから預かった、先端が欠けた磨製石器はグラインダーの傷も生々しい凄いものだった。

知らない人が見たら、石器に観えない段階で成形も中途半端で終わっているし(笑)

壊れている上に、現代工具の傷が付いているのだけど、本当に私が手を入れて石笛を作っていいもんだか自問自答しながらじっくり観察する・・・ええのんか?ほんまにええのんか?と、少年時代に聴いていたオールナイトニッポンの鶴光の名台詞が頭をよぎる。

先端の刃の部分が鈍角になっているのは、折れた部分を佐藤さんがグラインダーで削ったため。無数の細かい傷は、縄文人が粗い砥石で仕上げた時に付いた傷だと思うが、表面がザラザラに荒れた部分があるのは、石の表面を叩いて成形する敲打法で作られているからだろう。作り方から察すると、縄文時代中期ころまでに作られた磨製石器ではないだろうか?

 

この磨製石器を作った縄文人は、一体、どれくらいの時間を掛けて作っていたのだろう?

先端が欠けた時は、さぞや気が抜けたろうなあ・・・「あ”~!」って感じで。

私も自作の磨製石器で樹の伐採実験をしていて、折ってしまった事があるから身に沁みる。

 そんな事を想いながら作った石笛がこれだあ!

320番で湿式研磨したら傷が消えて、青白い石器が緑になった。敲打痕は残して艶消し仕上げにしたのは、縄文人へのオマージュである。因みに縄文時代の磨製石器なら、刃はもっと鋭角で、このようなハマグリ刃の磨製石器は弥生時代になってからだと思う。

草餅のような鮮やかな色合・・・最初は泥岩かと思ったが、泥岩の仲間の緑色岩だろうか?模様は糸魚川の縄文人が磨製石器を作っていた蛇紋岩に似ているが、蛇紋岩よりかなり柔らかい石だった。吹いてみたら、鈴を転がすような綺麗な倍音が響いた。音域が広くて音色もよいので、プロのライブにも使えるレベル。自分で作っておきながら言うのもなんだが、石笛としては一級品(笑)

 

縄文人なら喜ぶかなあ・・・少なくとも私は非常に楽しく仕事した。

それにしても、お金を貰ってこんな面白い仕事をさせてくれる人と出逢えて幸せ。

 


信州から熱中先生来る!

2015年09月09日 07時11分24秒 | ぬなかわヒスイ工房

何故か二日続けて、民族楽器作り体験会相談の来客。

一昨日の来客は、「オトバマ」という糸魚川市の音楽フェスティバル主催者の一人で、旧知の横山君。

9月20日屋外ライブにワークショップも取り入れたいとの相談である。

若い人が地域の活性化に貢献しているのだから、私も意気に応える事になった。

私のオモチャ箱の一つ。ぬなかわヒスイ工房には縄文コレクションの他に世界の民族楽器、自作の楽器、民俗資料が所狭しと飾ってあるので、来客者には工房自体がオモチャ箱に観えるらしい・・・俺様の城でR!

 

昨日の来客は、長野県佐久市の「望月民俗資料館」の体験会担当者の佐藤安英さん。

佐藤さんは学校の音楽教師を退職して後に地元の民俗資料館に再就職されたそうだが、資料館の来館者に喜んでもらいたいと体験会充実に意欲的に取り組んでいらっしゃる方らしい。

「ウナリ弓」という楽器を振りまわす佐藤さん。「ホ~!違う音が聞こえる!倍音が変わりましたねえ~」と、音楽家らしい評価をされていくので、私も嬉しくなって「じゃ、これはどうですか?」と次々に楽器を紹介していく。

熱心にメモと写真記録をとる佐藤さん。真摯な姿に涙が出そうになったよ(笑)

 

資料館には予算が無いので、佐藤さんは自腹で購入してまで色んな体験会グッズを用意する事までしているとの事。

火打石作り・縄文絵具作り・竹製の民族楽器作りなど、身近な材料を使った低予算の体験会のアイデアなら幾らでもある。

しかも佐藤さんは音楽の先生だった事と、学生時代は邦楽の研究をされており、地元の演奏会で虚無僧姿で尺八を披露しているとの事で、可能性は沢山あると思う。

佐藤さんのコレクションの縄文時代の磨製石器。先端が割れているので自分で研磨したと仰っていたが、なんという畏れ多い事を!と私。愉しい会話が続いたが、どうせ佐藤さんが付けた傷だらけ磨製石器(笑)だから、孔を開けて石笛にしましょう!という事になった。私も共犯者でR・・・。

 

きっと佐藤さんは、教育熱心な学校の先生だったのだろう。

そして仕事に真摯で、人生を愉しむ人なのだろう・・・生きる姿勢に頭が下がる思い。

 

佐久市と言えば、長年の友人である佐久総合病院の南相木村診療所長で、国境なき医師団などで活躍している色平哲郎先生が住んでいる土地だし、縄文時代最大の石棒が出土しているので、少なからずご縁がある。

白馬村のヒスイジュエリークラフトマンの大塚さんといい、最近は信州との縁が深くなってきている。

愉しいですねえ・・・。

 

 

 

 

 


石のチカラ

2015年09月07日 19時21分37秒 | 縄文

二年前に発掘調査を終えた、糸魚川市の六反田南遺跡は、縄文時代中期後葉(四千五百年前)から奈良時代までの遺跡。

現在の地盤より4mも下の縄文時代の地層から、大規模な配石遺構が出土した事で知られているが、配石は遺跡から2キロ離れた早川から持ち運ばれた細長い形状の「ヒン岩」で占められている。

これが頂き物の出土品のヒン岩。長さ40×幅15×厚み15㎝ほど。

 

発掘調査を終えた段階で、大量のヒン岩は、一部を除いて元通りの地下に埋戻しされる事になった。

ダメ元で、「どうせ埋戻しするなら、記念に頂戴!」と可愛く学芸員の先生に聞いてみたら、「好きなだけどうぞ。」と気前のよい返事。

男は愛嬌が大事だ。

ムハ~!と興奮したが、置く場所もないので二個だけ頂いたのである。

長らく工房前に放置されていたが、八月後半にビッグイシューさんの取材を受ける事になったので、工房前の柿の木の周りにそれらしく立てておいた。

立てた状態。

 

そしたら・・・妙な存在感があって、なんだか付近の空気が変わったのだ。

工房に籠って仕事していても、立てたヒン岩が気になって仕方ない。

それほど大きくはない石なのに、屹立と天に指向している感じ。

もしや何者かの憑代になっている?しかし不気味という印象はなく、犯し難い威厳を感じてしまうのだ。

工房から観える状態。

 

ぬなかわヒスイ工房は、住宅街のど真ん中にあるのだけど、元々は笛吹田遺跡という奴奈川族の玉造工房の真上にあり、勾玉も出土しているのだ。

我が家の地下が発掘調査されたのは私の小学三年生の時で、発掘調査に来たのは、郷土史家の土田孝雄先生と、かの有名な小林達雄先生。

先生達のお手伝い(邪魔だったろうが)をさせて頂きながら、小林先生が、「この場所は黒姫山が真正面に、北側には日本海も観える景色のいい場所。しかも自然災害が無さそうな場所で、古代人はこんな環境が好きなのですよ。」と話してくれた事を覚えている。

そんな事が影響しているのか、敏感な人が工房に訪れると、なんだか場の雰囲気が清浄で優しい感じがすると言うのだけど、我が家の植物の繁殖力が旺盛で、南国みたいだとも言う。

古代人は、チカラのある場を選んで住んでいたのだろう。

そして石のチカラを利用して、場のチカラを増幅させる知恵もあったという事か・・・。

立てた石を観ていると、そんな風に想えてならない。

 転がっていればなんてことのない石でも、立てると存在感を持つ不思議さ。

石って凄いな、と思う。


「ビッグイシュー日本版」最新号かっこいい!

2015年09月05日 07時35分01秒 | ぬなかわヒスイ工房

9月1日に発売された「ビッグイシュー日本版」の最新号の献本が、編集部から送られてきた。

私が「原始力復興委員会」として紹介されているのいだ。

自画自賛と言われてしまうかも知れんが、非常にかっこういい(笑)

かっこういいのは私の紹介記事ではなく、表紙や全体の内容・・・つまり編集者の姿勢がかっこういいのだ。

まず目を惹くのは、世界的なグラフィックデザイナーの奈良美智さん描く「NO WAR」の表紙と、彼の巻頭インタビュー記事。

最新号のテーマは、最近きな臭くなってきた世界情勢への警鐘のようだ。

 

戦争法案の反対デモ記事や原発事故、貧困問題が取り上げられた最新号の中で、私に縄文文化論を語らせた編集長の着眼点に敬服。

多くは言うまい。

戦争反対や環境問題を語らなくとも、縄文文化論はそのまま現代文明への痛烈な警鐘になるのだ。

世間に曝すのは忍びないので顔の部分は若干の画像調整済(笑)

 

読みたい人、ホームレスから買ってあげて下さい。

1冊購入すると、彼らに180円の収入となります。

都会に住んでない人・・・ご連絡下さい・・・何冊も送ってきました(笑)