二年前に発掘調査を終えた、糸魚川市の六反田南遺跡は、縄文時代中期後葉(四千五百年前)から奈良時代までの遺跡。
現在の地盤より4mも下の縄文時代の地層から、大規模な配石遺構が出土した事で知られているが、配石は遺跡から2キロ離れた早川から持ち運ばれた細長い形状の「ヒン岩」で占められている。

これが頂き物の出土品のヒン岩。長さ40×幅15×厚み15㎝ほど。
発掘調査を終えた段階で、大量のヒン岩は、一部を除いて元通りの地下に埋戻しされる事になった。
ダメ元で、「どうせ埋戻しするなら、記念に頂戴!」と可愛く学芸員の先生に聞いてみたら、「好きなだけどうぞ。」と気前のよい返事。
男は愛嬌が大事だ。
ムハ~!と興奮したが、置く場所もないので二個だけ頂いたのである。
長らく工房前に放置されていたが、八月後半にビッグイシューさんの取材を受ける事になったので、工房前の柿の木の周りにそれらしく立てておいた。

立てた状態。
そしたら・・・妙な存在感があって、なんだか付近の空気が変わったのだ。
工房に籠って仕事していても、立てたヒン岩が気になって仕方ない。
それほど大きくはない石なのに、屹立と天に指向している感じ。
もしや何者かの憑代になっている?しかし不気味という印象はなく、犯し難い威厳を感じてしまうのだ。

工房から観える状態。
ぬなかわヒスイ工房は、住宅街のど真ん中にあるのだけど、元々は笛吹田遺跡という奴奈川族の玉造工房の真上にあり、勾玉も出土しているのだ。
我が家の地下が発掘調査されたのは私の小学三年生の時で、発掘調査に来たのは、郷土史家の土田孝雄先生と、かの有名な小林達雄先生。
先生達のお手伝い(邪魔だったろうが)をさせて頂きながら、小林先生が、「この場所は黒姫山が真正面に、北側には日本海も観える景色のいい場所。しかも自然災害が無さそうな場所で、古代人はこんな環境が好きなのですよ。」と話してくれた事を覚えている。
そんな事が影響しているのか、敏感な人が工房に訪れると、なんだか場の雰囲気が清浄で優しい感じがすると言うのだけど、我が家の植物の繁殖力が旺盛で、南国みたいだとも言う。
古代人は、チカラのある場を選んで住んでいたのだろう。
そして石のチカラを利用して、場のチカラを増幅させる知恵もあったという事か・・・。
立てた石を観ていると、そんな風に想えてならない。
転がっていればなんてことのない石でも、立てると存在感を持つ不思議さ。
石って凄いな、と思う。