「海のヒスイ・ロード」旅で知遇を得た友人達が続々と糸魚川に遊びに来ている。
ぬなかわヒスイ工房のお客さんや、古い友人達もやってきて、8月だけで19人も案内した。
三ケ月も仕事を休んでいた、「ぬなかわヒスイ工房」を再開。
最初に作ったのは、ネコ形ピンバッチ。
上から時計まわりで、ラベンダーヒスイ、珪質頁岩、石英斑岩、鉄石英、蛇紋岩、石英斑岩。
目には福井産の漆が塗られている。ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!
誰もが「糸魚川って面白い所ですねえ!また来たいです。」と言ってくれるし、中には実際に二週間で三回も遊びに来てくれた人もいた。
千客万来だ。
糸魚川が面白いというより、どんな土地でも面白さはあると思うのだ。
要は見所や面白さを発見した人が、どんな伝え方をするかという問題だと思う。
奴奈川姫終焉の地と伝説がある稚児ケ池。
糸魚川市の人でも知る人が少ない場所だが、住宅地のすぐ裏の山の中にあるのだ。古代史好き、パワースポット好き、ヒスイ好きなら面白い所。
親不知も天瞼の崖下に降りると、ちょっとした冒険気分が味わえる。
かっての北陸線のトンネル潜りも冒険気分が味わえる。懐中電灯は必携。
崖下に僅かに残った浜では、ヒスイを始めとした色んな石が拾える。
普通の人には単なる石ころでも、石の名前と人とどんな関わり合いがあるかを知っている人と一緒なら、糸魚川の海岸は宝の山に観えてくる。
チャートや珪質頁岩は縄文人が矢尻を作った石、蛇紋岩は磨製石器を作った石、石英は火打石に利用できる等の説明があると、俄然と面白くなるのだ。
石拾いに飽きたら、海に石を投げてピョンピョンと跳ねさせる、「水平投げ」を教えたり、昼寝したり、海に潜ったり・・・海は色んな愉しみ方ができる。
糸魚川といえばヒスイが有名だ。
前から声を大にして言っていることだが、ヒスイだけが糸魚川の石じゃないのだ。
だから私は、「ぬなかわヒスイ工房」を作って、ヒスイ以外の石にもスポットを当てている仕事をしていきたいし、鉱物そのものではなく、それらと人がどんな付き合い方をしてきたのかを発信していきたい。
風光明媚というだけなら、秋田の男鹿半島には遠く及ばないし、縄文時代の文化というだけなら青森の三内丸山遺跡に比べるとインパクトは少ない。
オンリーワンの糸魚川の魅力は、フォッサマグナに育まれた風土と人の歴史。
私はそういった焦点の当て方をして情報発信している。
8月23、24日は大和川公民館主催で、子供たちのサマーキャンプがあった。
大和川区には、「おやじ倶楽部」という保護者の会があって、これまで意欲的にイベントを行ってきた経緯があり、今回は公民館主催のサマーキャンプをバックアップすることになったらしい。
「子供は国の宝」とは戦前の標語らしいが、今時の田舎では意欲的で行動力のある大人達の存在は宝だ。
遊びや生活技術、他人との付き合い方など、かってのように日常生活の中で子供たちが学習する機会が少なくなってきている。
だから、おやじ倶楽部のような存在は貴重だ。
おやじ倶楽部には高校の後輩がいて、キャンプの一環で私に縄文土器講座を頼んでいたのである。
キャンプ場所は、大和川区の森林公園。
高台にあるので夜は寒かった。
カレーと豚汁、流し素麺というキャンプ定番の食事、朝は正しくラジオ体操という正しい日本の林間学校。
子供は無言でラジオ体操するが、大人たちは「ウワ~」「あ”~」と呻きながら体を反らせたのは笑った。
参加した子供たちは31名。
正直いって、縄文土器初心者対象の体験会では一人で面倒が見られるのは5人が限度。
まあ、楽しければいっか、という訳で賑やかに遊んできた。
小学生が相手でも、縄文土器と弥生土器、古墳時代以降の土器の違いをきちんと説明するし、縄文土器の名の由来である縄文の付け方や、その意味を説明するのが私流。
後から保護者から解り易かったと受けたようだ。
低学年の作品は面白い・・・なんだこれ???・・・可愛いなあ、と頭を撫でてやりたくなる。
上の写真の子供の作品。不思議なオブジェが出来たが、粘土に隙間が多く複雑な形状なので、野焼きすると割れてしまうだろう。
子供たちの作品を観て回ったら野焼きの段階で土器が割れる可能性が高い作品が多いので、失敗のない土笛も作らせた。
私が作った見本がこの3つ。
左から東北から出土している海獣形土笛をモデルにしたオカリナで、簡単なデザインなら誰でも作る事ができるのだ。
真ん中がムンク風の笛で、頭の孔から息を吹き込めば口から音が出る。
右端がキティ形土笛で、きちんと縄文が付いている・・・史上初の縄文キティである。
キティ形は女の子たちに受けて、何人も挑戦していた。
野焼きは10月の予定。
今回のキャンプで作った格言。
・子供は意味なく走り回るが、大人は緊急事態でもないと走らない。
元気いっぱいに走り回る子供たちをみて、そういえば長いこと走ってないなあ、と老いを実感。
県外、市外からのお客さんが来る度に長者ケ原遺跡を案内する。
先日は、同じ日の午前と午後で二組も案内した。
一組目は五年前に東南アジアを長期旅行した時に、タイのチェンマイで友達になったご夫婦。
彼らは自転車で世界中を旅する筋金入りのバックパッカーで、私と出会った当時に初めての子供を受胎したことが分かって、私がお腹の中の子供に命名した縁がある。
五年ぶりの再会と、その時の子供と初対面・・・四歳の女の子である。
親不知でヒスイ拾いした時、「コレ、ナンダロウ?」って、綺麗な石を拾っては持ってくるのが可愛らしい。
さて、彼らを長者ケ原遺跡に案内した時のこと。
ご夫婦が不思議な生き物を発見した。
直径3センチ弱、長さ15㎝くらいの生き物がとぐろを巻いていた。
カタツムリやナメクジにしてはでかいし、縞模様も角もなく、貝も無い。
奥さんはアマゾン生まれのブラジル日系人で、普通の日本人より物怖じしない女性で、素手で触ったりひっくり返したりして観察していた
ナマコのような、ヘビのような、何とも不思議な生き物。
青白い部分は鳥にでも突かれたのか、どうも皮膚下の中身らしい。
どなたかこの生き物が何であるかご存知の方、教えて下さい。
新種なら、四歳の女の子の名前に因んだ命名をしてあげられたと思うのだが・・・。
後日追記
友人が調べて、「ヤマナメクジ」という生物だと判明しました。
白い部分は生殖器とのこと。
世の中知らないことばかり・・・だから面白い!
午後からは、「海のヒスイ・ロード」の海旅の時に柏崎市でお世話になったご家族をご案内。
この時には不思議な生き物はすでにいなかった。
この海旅で知り合った人たちが、続々と糸魚川に遊びに来てくれることになっているのは嬉しい限り。
今後は縄文や民族楽器作り、そして整体など、色んな体験会の講師も頼まれているのだが、友達の輪が広がっていくのは愉しい。
軽トラに乗って、三内丸山遺跡に保管して貰っていたシーカヤックの引取りの旅から戻った。
行きは海旅では訪れるとこの出来なかった内陸の遺跡や埋蔵文化財センター、博物館のフィールドワーク。
何時もながら頭が下がるのは、各都道府県の埋蔵文化財センターや教育委員会の学芸員さん達の対応である。
素人の質問に丁寧に答えてくれるのだ。
例えば秋田県埋蔵文化財センターを訪れた時のこと。
展示品を見学していたら、学芸員さんが「何かお調べですか?」と優しく声をかけてきた。
「海のヒスイ・ロード」の事を話すと、奥からヒスイに詳しい学芸員を呼んでくるからと、栗澤先生を連れてきてくれた。
右側は秋田県埋蔵文化財センターの栗澤光男先生。突然の訪問にも関わらず、わざわざ暑い収蔵庫に入ってヒスイ出土品や報告書を出してきてくれたので、恐縮した。
栗澤先生の「秋田県のヒスイ出土遺跡」という報告書は事前に読んでいて、「海のヒスイ・ロード」では秋田の寄港地として参考にしていたので感激、そして恐縮する。
縄文晩期(三千~二千五百年前)のヒスイ出土品。
晩期のヒスイ出土品を手に取って観察するのは初めての経験。
勾玉の孔の開け方は、現在とは逆で、裏側から孔開けしている出土品が多いようだ。
栗澤先生は私の話を聞くと、あの報告書は古いですからと恐縮されて、せっかく遠くから来られたんだからと、収蔵庫の奥からヒスイ出土品を沢山出してきてくれて説明までして頂いた。
収蔵庫は鉄骨造で蒸し風呂のように暑いのだ。
そしてあろうことか、周りの学芸員さん達に声掛けして、「この人は新潟から三内丸山遺跡までシーカヤックで旅をした、糸魚川市のヒスイ職人さんです。滅多にないことだから話を聞きましょう!」と、ちょっとだけヒスイや海旅の話しなどさせて頂いた。
私レベルの素人の話しでも、東北の学芸員さんにとっては、ヒスイの現場の話しは新鮮で面白いらしい。
例えばヒスイに光を透過させて鑑定や写真を撮る方法や、具体的な採取、加工方法など。
山形県、青森県でも随分と色んなことを勉強させて頂いた。
ここに協力していただいた学芸員さん達に、改めてお礼申し上げます。
三内丸山遺跡でシーカヤックを引き取った後は、日本海沿岸を南下して海旅を逆に辿る。
青森県の七里長浜は25キロもある砂浜だから、シーカヤックで漕ぐだけでは面白くないところ。今回は軽トラ旅だから、海岸を丹念に歩いて面白そうなモノを見つけた・・・それは赤い土質が露頭した崖地。
近くには遮光器土偶で有名な、縄文晩期(三千~二千五百年前)に栄えた亀ヶ岡遺跡がある。
崖地の近くの小川にオレンジ色の泥が堆積していた。落ちていたペットボトルを拾って泥を採集。
このまま顔に泥を塗れば、「もののけ姫」のフェイスペインティングである。
すなわちこの泥は、酸化鉄を大量に含んだ泥であって、精製すれば縄文人が好んで使用していたベンガラという顔料の出来上がり。
亀ヶ岡遺跡には、赤漆を塗った木製品や土器が大量に出土しているのだ。
彼らはベンガラを塊りで採集して使用していたから、同じベンガラではないと思うが、この辺りの土壌には鉄分が多いのだろう。
ベンガラ素材を採集した海岸には、黒曜石も落ちていた。
黒曜石は縄文人は矢尻や石槍、ナイフなどを作っていた石材で、溶岩が急冷して出来た天然ガラスである。
七里長浜の黒曜石は、近くにある岩木山の噴火の恩恵である。
黒曜石の他は、珪質頁岩などの石器素材も簡単に拾えた。
海岸で採取した漂石だから、拳大より小さく表面も青白く荒れているので、興味がなければ黒曜石には見えないだろう。
漂石では小さすぎて打製石器を作るのは難しいだろうから、亀ヶ岡の縄文人は、もっと大きい原石を谷筋などの露頭から採取していただろうと思う。
こんな感じでゆっくり新潟に帰っていった。
旅の途中で、 新潟県庁の広報部からで予期せぬ連絡・・・新潟県のラジオ広報番組で、泉田県知事と対談して欲しいとのこと。
最初は友達のドッキリ電話かと思ったが、後から県庁からメールがきてホンモンだと分かった。
8月12日に新潟市に到着して、県庁にある知事公室で泉田県知事と対談。
泉田知事は、国会や県議会で毅然とした態度で答弁する姿とはまったく別の、気さくで快活なスポーツマンタイプの人だった。
この振幅の大きさに知事の器の大きさを感じたが、事前に渡された質問表無視で冗談ばかり言う知事に乗せられて、私も発火法実演や石笛演奏などしてしまったので、編集する人は大変だろう。
放送は以下
放送局;FM PORT (http://www.fmport.com/ )
番組名;「ヒロ&ヒロの新潟ステキ☆プロダクション」
放送日時;8月24日11:45~12:00
そんな訳で8月13日に糸魚川市に帰った。
三ケ月もほったらかしになっていた本職のヒスイ加工販売に復帰しなけりゃならんのだが、旅の資料纏めと報告書作りも急がねば。
高校時代の恩師で、糸魚川で郷土誌を発行している蛭子先生から、原稿用紙50枚くらいの論文書いて欲しいと頼まれているのだ。
それと・・・詳細は未定だけど、今度は佐渡を目指さないか?という話しも浮上してきた。
佐渡の小木からも縄文中期(五千~四千年前)のヒスイが出土しているのだ。
旅の疲れが抜けないまま、青森から帰ってすぐに県立海洋高校の授業で丸木舟体験会。
本当は小泊~筒石間往復10キロ航海をしたかったのだけど、授業のカリキュラムや天候の関係で防波堤の中での試乗会にとどまった。
それでも四年前の日本海縄文カヌープロジェクト設立時に、地元の海洋高校と連携したい旨を相談に行った。その時は対応に当たった事務方は取りつくシマもなかったのに、今回は現場の先生からの要望で実現したのが嬉しい。
海洋高校は年々入学者が減ってきており、そのことに危機感を持つ松本先生から海をテーマに新風を吹き込みたいのだと相談を受けたのが去年の冬のこと。
青いライフジャケットを着ているのが松本先生。山岳部顧問の山男だけど、漕いでもらったらガシガシと上手に漕いでくれた。まだ私の体力は回復していなかったので、後半は船尾の艇長役を替わってもらった。
微妙な年齢の高校生が相手だから、学校の授業でカヌーや丸木舟を漕がした場合、好奇心旺盛で熱心な生徒もいれば、白けた感じの生徒もいる。学校の先生は大変だ。
体験会の翌日からは、糸魚川市内の本町通りにある「糸魚川の町屋文化を守り伝える会」主催で、日本海縄文カヌープロジェクト展の開催。
今回は、日本海縄文カヌープロジェクトの設立時から、「海のヒスイ・ロード」航海実験まで、これまでの歩みが解るように工夫された企画展。
初日の夜は歩行者天国でもあったので、友人達が激励に来てくれた。
壁一面に日本海縄文カヌープロジェクト関連の新聞記事などを張り巡らす展示と、私のコレクションの縄文土器や石器など展示。
この会は、「ぴあにゃん」で有名な糸魚川出身の童話作家の小川英子さんが主宰しており、彼女の実家である旧倉又茶舗の町屋を使って様々な企画をしているのだ。
旧倉又茶舗さんの奥は、鰻の寝床そのままの町屋。
昔ながらの三和土(たたき)の土間があり、風が吹きぬけてくれるから真夏でも涼しい。
井戸も復活させたので、訪れた子供たちは井戸のポンプに取付いて、面白がって水を出していた。
7月27日には、私が講師の火起こし体験会も開催。
参加者には発火道具を作る所から体験してもらった。
発火道具作りをすることで火が起きる理屈を学べる。
個人的にはそこのところが最も重要だと思うし、小川さんもそのことに賛同してくれた。
参加者が作った道具で火が起きない・・・なんでだろう?
そこで指導者が道具や体の使い方をチェックして、どうして火が起きないかを教える。
場合によっては発火道具を直したり、発火の補助をしたりして発火に成功させる。
こんなプロセスがあってこそ、参加者は火が起きる原理が理解でき、体験会の後でも独自に発火に成功するのだ。
実際に発火法体験会参加が二度目のOさん親子は、私の指導無しでも発火に成功したので、周りの人の面倒をみてもらった。
成功した人が教える・・・いい循環である。
今回教えたのが手で竹を回転させるキリモミ式発火法と、小型の弓を使った弓キリ式、そして小学生でも比較的簡単に発火できる紐キリ式の3つ。
多くの地方自治体や博物館主催の火起こし体験会で教えているのは、丸い円盤を上下に動かして発火させる舞キリ式発火法が主流。
舞キリ式は、それほどの技術も体力もいらないという利点はあるが、発明されてから二百年ほどしか経っていない新しい技術。
そこの所を知らずに古代の発火法として教えている指導者が多く、また事前に揃えた道具を使わせるだけの内容が多いようだ。
これでは「やったことがある」というだけ経験であり、「できる」というレベルには程遠い。
自分の手で道具作りして、考え、工夫すること・・・このプロセスは外せないし、本来の体験会の意義や在り方だと思う。
発火に成功すると、やんやの喝采。
発火できなかった子供たちがいたとしても、こんな雰囲気を体験してもらうだけでも成功。
摩擦で起こした小さな火種をほぐした麻の繊維に包み、手で回して空気を入れると、突然に炎が立ち上がる。
参加者が「うわ~!」と驚く顔を観ることが私の愉しみ。
友人の青年会議所グループは、一度や二度の発火成功に飽き足らず、代わる代わる賑やかに何度も繰り返しキリモミ式に挑戦していた。
自分で起こした火で煙草を吸いたいという一念である(笑)
右端の嶋田君は、煙草に火を付けようとしている所。
苦労して火を付けた煙草は身に染みて本当に美味い。
子供たちに、大人が本気に遊んでいる姿を見せることは大事だ。
火起こしに飽きたり、諦めかけた子供たちが「えっ?そんなに楽しいの???」と、興味津々で周りに集まってくるのだ。
医者から禁煙を勧められていた人も、「美味そうだなあ~、もう禁煙止めた!」と火起こしに取り組み、煙草をふかす・・・おおらかな時間が流れていた。
子供の近くで煙草を吸うなんて、と苦情が出そうだが、「楽しい」という感覚を共有できている場では、多少のマナー違反は勘弁してもらいたい。
もちろん喘息の人の前では煙草は厳禁だし、嶋田君も煙草に着火した後は外に出て美味そうに吸っていた。
仕事は楽しく、遊びは真面目にというのが私のポリシー。
体験会も、御田植式のような最後の行程だけを体験させるようなことはしたくない。
自分で考え、遊びながら工夫すること。
こういった大人の姿を子供に見せることが大事だと思う。
これから三内丸山遺跡に預かって貰っているシーカヤックを引取りに行く。
軽トラに乗って、シーカヤック旅では訪れることのできなかった内陸部のヒスイ出土地や、博物館、埋蔵文化財センターを訪れるゆっくりした旅の予定。
この旅が終わって、初めて「海のヒスイ・ロード」実験航海が完結する。
帰ったら報告書作りと仕事、それに縄文土器つくり体験会が待っている。
今年も熱い夏。