縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

遺言が「ロッキーのテーマ曲を流して出棺しろ!」・・・親父の葬儀

2022年10月30日 08時17分18秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
住職から親父の葬儀についての要望を聞かれたので、私が産まれた時に親父は拳と命名するつもりが、乱暴者になると困ると周囲から反対されて修としたそうなので、せめて本人の法名に拳の文字を入れて頂くことは可能でしょうか?と聞いたら、住職は笑って快諾してくれた。
つけて頂いた法名は、「釋 阿拳」(しゃく・あけん)
釋は釈尊の弟子という意味、拳という漢字には一生懸命という意味、阿は阿弥陀如来の阿であると同時に手放すという意味があるとの説明をして頂いて、親父にピッタリな法名だと一同納得。
遺影はダイニングでお袋と並んだ写真をトリミングしてもらった。喪服をコラージュしてもらうより、ざっくばらんに日常着のままの方が親父らしい。
 
葬儀の打合せの席で、元気なころから親父がお袋に
①俺が死んだら通夜の席で国体の時に出したラブレターを孫に読ませろ!
②出棺の時は映画「ロッキー」のテーマ曲を流せ!
 
と言っていたのが遺言といえば遺言と聞き、自分の葬式を笑いのネタにする野放図さに「ダボだっちゃ~!」と一同爆笑。ダボはバカ・アホという意味の方言で、使われ方はバカより軽くてアホに近い。
「カカカカッ、親に向かってダボっちゃあるかや!」と、親父も笑っているに違いない。
大上段に構えた四角四面の真面目さは気恥ずかしくて、江戸っ子気質に似た照れの裏返しの諧謔は親父も私も同じ。
 
 
ちなみにラブレターはボクシングの恩師の代筆で、「教子さんへ・・・僕はいま、兵庫の小川のせせらぎが聴こえる宿でこれを書いています・・・」と、親父のボキャブラリーではあり得ない言葉の数々が綴られていて、先輩方にからかわれながら試合の緊張をほぐしていた様子が想像できる。
1953年兵庫国体の前夜。青春まっただなかの明19歳の秋。
 
それならと、ボクサーが引退セレモニーの時に鳴らすテンカウントの代わりに、鈴(りん)を10回たたいてから出棺しようではないか!と提案したら、姪に「ホントにやるの?バッカみた~い!」と一笑されたが、やるの!親父が喜ぶからっ!(説得①)
 
鈴を鳴らす役を頼んだ叔父は、檀家代表を務める熱心な浄土真宗信者なので、法名といい、テンカウントといい、ホントにいいの?考えなおした方がよくない?と首をひねっていたが、いいの!親父が喜ぶからっ!(説得②)
 
「ロッキー3」の「アイ・オブ・ザ・タイガー」をエンドレスで流した一般弔問には、かっての糸魚川ボクシングクラブの練習生たちが数十年ぶりに集まってくれた。
 
子供のころに遊んでもらった10代、20代の兄貴たちが、白髪の爺ちゃんになっていたが、すぐにわかった。親父が集めてくれた懐かしい顔、顔、顔、顔の数々。
セレモニーホールのロビーには故人の生涯を紹介する飾りつけ。弔問客を案内してはラブレターを読んでもらった。
 
葬儀の後の棺に花を入れる際は、シンミリと「ロッキーのテーマ」のスローテンポなピアノバージョンを流した。
鈴のテンカウントの後にいよいよ出棺。
 
トランペットのファンファーレで始まる、お馴染みの「ロッキー」のテーマ曲が流れて笑いが起こると思ったら、みんな泣いた。
 
親父の行動原理には野心や損得勘定というものはなく、人を楽しませることが好きで、好きなことや仕事に一途に取組んでいるうちに、自然と人が集まってくる生涯だった。
 
その姿と、ロッキーが走る後ろから子供たちが追いかける場面に重なったから、泣かれるのはごもっとも。
 
通夜直前から豪雨となり、夜通し続いて出棺直前に快晴となり、葬儀がすべて終わってから雨がシトシト降り出した。
「ほれ見ろっちゃ・・・日頃の行いエエそいね、大雨で清めてからエエ天気、最後は涙雨だわ」
 
親父、天気まで味方したと絶対自慢してますよね。
 
山田さんなら絶対してますネ、絶対・・・住職と笑いあった。

昔ながらの通夜・・・親父が逝った日

2022年10月28日 10時48分41秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
昔の通夜は親戚中が集まって賑やかだったし、男たちが一晩中酒を飲んでバクチして、線香を絶やさないようにしたもんだ、と生前の親父は言っていた。
 
自宅に戻った親父を座敷に安置して、最初の夜は家族だけで過ごしたが、お袋は一睡もせずに親父に話しかけていた。
 
二晩目は各地から集まってきた親族に、親父が懐かしがっていた昔の通夜を再現して欲しいと頼んで、文字通りひと晩中、昔話に花を咲かせて酒盛り。
 
日が変わっても飲んで騒いでいた男たちが寝入ってしまった後も、隣家に住んでいた従弟のトッチャンだけが朝まで独り飲み続け、親父の好きだった映画「ロッキー」のテーマ曲をエンドレスでスマホで流しながら「おじさんさぁ、顔冷たいネ・・・飲んじゃうヨ」と親父の顔をさすっていた。
そのとっちゃんも朝7時には親父に添い寝。山田の家系らしい天真爛漫さを最も引き継いでいるのが、親父とトッチャン。
 
かっては誕生から死までの儀式が親族の中で完結していた生活が、いまやセレモニーホールや病院に任せるようになり、当事者がお客さんの立場で済むようになってしまい、昔ながらの生活が忘れ去られようとしている。
 
親戚に久しぶりに逢って旧交を温めることができるのが、逝く者の置き土産。
 
みんな親父の前で大笑いして、よく食い、よく飲んだ。これこれ!と親父も喜んでるよ、とみんなが言っていた。
 
本日午後に古式の湯灌をして納棺、自宅から斎場へと出棺して通夜式。もちろん通夜のお籠りは、遠隔地の若手も交えて夜明かしですよ。
 
ヒマゴたちが逢いにくるぞ。待ってろよ親父!

親父がテンカウントを聴いた日・・・父、山田明逝去

2022年10月26日 05時46分01秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
親父の長期入院先の病院から、容体が下降しつつあるからと、2人限定で5分間だけで面会許可がでて。来るべきものが来たと覚悟。
お袋を連れて一年半ぶりに会った親父は、呼びかけに微かな反応をするものの、肉がそげ、白く、小さくなっていた。
 
昭和9年生まれ、昭和32年度の社会人ボクシング選手権ライト級チャンピョンの親父が、人生のテンカウントを迎えようとしている。
親父は中卒で工員になったが、喧嘩にあけくれ、ナイフで胸を刺されたこともあるくらいの荒んだ十代であったようだ。
 
しかし人生の転機は突然やってきた。
それは本屋で売られていたグラビア雑誌の表紙を飾る、史上最高のボクサーと称されるシュガー・レイ・ロビンソンのノックアウト写真を目にした刹那、「かっちょええ!」と思った時。
親父はシュガー・レイに憧れ、それまでの無頼な生活から足を洗い、家の前の樹に手製のサンドバッグをぶら下げ、まったくの我流でボクシングを始めた。
昭和20年代後半だからボクシングの教本もなく、ロードワーク・縄跳び・サンドバック打ちのたった独りだけのトレーニング。
 
周囲からボクシング馬鹿と笑われたが、噂を聞いた人から富山県高岡市のアマチュアジムを紹介してもらい、休日のたびに鈍行列車で富山通いをして本格的にボクシングを習った。
最初は富山県の選手として試合に出ていた。
 
親父の糸魚川デビュー戦が4月10日の「けんか祭り」の当日。
親父は欲得のない、開けっぴろげで天真爛漫な性格だから、早い段階で後援者がたくさんいて、明治と早稲田のボクシング部の交流戦を糸魚川に招致して、祭りでにぎわう神社のすぐ横の、糸魚川小学校体育館に特設リングをすえての大会だった。
晴れの舞台で親父はノックアウト勝利。
後援者が大手製造業を紹介してくれて、保安課に職を得た。
 
弟子入り志願者で出てきたこともあり、糸魚川警察署の柔剣道場を間借りして、「糸魚川アマチュアボクシングクラブ」を設立。
この時の若い巡査たちも出世した後に後援会に加わわり、普段は強面の刑事や署長が拙宅で酔っぱらっては珍芸を披露していた。
 
現役を引退した後は兄の経営する建設会社の倉庫を改装して、アマチュアでは珍しいフルサイズのリングと設備が揃った立派なジムを作った。
チャンピョンも誕生したし、プロボクサーになった練習生もいた。
もちろん私もボクシングを習ったし、いつしか同級生たちも通い始めたのは、映画「ロッキー」や漫画「がんばれ元気」がヒットして、具志堅用高さんが防衛記録を伸ばしていたころだ。
 
ガッツ石松など6人の世界チャンプを育てた名伯楽、エデイ・タウンゼントが特別コーチに来てくれたり、駒澤大学のボクシング部が夏の合宿にも来て、我が家はいつも選手と関係者でにぎわっていたので、一族総出で親父を支えたし、広いジムは近所の子供の遊び場にもなっていた。
 
高校の学園祭の時は、今は中堅漫画家として活躍している美術部仲間が、大林宣彦監督作品「転校生」のオマージュとして、ボクサーが主人公の8㎜映画を撮るからと協力を頼まれ、私はレフリー役兼ボクシング場面のアドバイザーとしてジムで撮影した。
あのフィルム、まだ残っているのか?今はもう無いジムを観たいもんだ。
 
ボクシング馬鹿の親父の遺した数々の思い出。
 
短気ですぐに手が出る厳しい親父だったが、チーム糸魚川と合同合宿していた大学のボクシング部員がシゴキに耐えかねて倒れ、先輩がバケツの水をぶっかけて起こそうとした刹那、親父は「かわいそうなことするな!休ませてやれ!ダボやぁ!」と激怒した。
ガチガチの体育会ノリは大嫌いで、「愉しんでボクシングせんきゃいけん」が口癖だった。
 
シュガー・レイ・ロビンソンの現役時代はまだテレビが普及しておらず、親父は映画館のニュース映像で試合を観て、かっちょええ!とボクシングの手本にしたようだが、いまYouTube動画で観ると確かにかっちょええ。
 
長身痩躯のシュガー・レイは、アップライトに構えてリズミカルなフットワーク、左のリードパンチから急接近して強打を打ち込むボクサーファイタータイプ。
力強くもスタイリッシュな近代ボクシングの創始者の一人であり、若き日のモハメド・アリも手本にしたボクサーだ。
 
シュガー・レイのシュガーは、砂糖のようにスイート(格好いいを意味するアメリカのスラング)なボクサーと評されて以来のニックネーム。
 
手先は不器用だし、並の運動神経の持ち主だった親父でも、コツコツと努力を積み重ねてチャンプになれたが、仕事でもその道のプロフェッショナルとして評価されるようになった。
 
親父が勤務する保安課は、緊急事態がなければ閑職で、特別な知識も必要とされなかったが、中年期に安全衛生管理部門へと配置換えとなった。
安全衛生とは、製造業や建設業などで義務化された、法規に基づく安全管理のことだ。
前述のとおり、親父は喧嘩は強くても勉強は苦手だったし、貧乏ゆえの中卒だったから、難しい漢字は駄目。だから法規の解釈に必要な素養は無かった。
 
最初はチンプンカンプンで仕事にならず、職場の人間関係にも悩んで、退職について母と話し合っていたようだ。
夜中に母とボソボソと深刻そうな話しをしていたのを覚えているが、この時ではないか思う。
しかし今度は家族のため、親父は持ち前の負けじ魂を発揮した。
 
まず近所のインテリを家庭教師に雇い、夜毎に法令集の解読を助けてもらったり、休日は仕事で知り合った法務局の若手職員の自宅で法解釈のレクチャーをしてもらっていた。
 
数年後には安全衛生の生き字引と評価されるようになり、中卒で一部上場企業に中途採用されたにしては異例の出世をした。
社内の管理職からは「山田さん、かなり法規にお詳しいですが、どちらの法学部を出られたのですか?」とたびたび聞かれ、中途採用の中卒と答えて、びっくりさせるのが面白かったようだ。
そんな親父だから、部課長クラスが中心となり「山田の会」というファンクラブのようなものができ、若い頃からの付き合いの警察関係者、法務局関係者らと一緒にジムのサポーターになっていった。
 
こんな親父を幸せな人だと言う人もいるが、地道にコツコツと努力を重ねる「継続は力なり」を地で行くド根性の人だったし、純粋無垢で陽気な性格だったから、多くの人が助けてくれたのだ。
 
定年を迎えるまでの毎晩9時までは、晩めしの後の茶の間で、ボロボロになった法令集を開いては翌日の仕事の要点を書き出し、母にワープロで清書させていた。
 
親父の幸運といえば、献身的このうえもない母と結婚したことだろう。
 
経営者を集めた大規模な安全衛生大会で講師を務めた親父が、最後に「こんにちあるのは家内のお陰」と感極まって、ボクシングジムの開設から今日に至るまでの母の献身を語り、満場の聴衆がもらい泣きして拍手喝采で終わった、と参加した人から聞いたことがある。
 
糸魚川ボクシングクラブの選手たちのトランクスとハイソックスは、選手に金銭的な負担をかけては可哀そうだと、お袋が手作りしていた。
選手たちや来客の食事や宿泊の世話に追われるお袋は、いったいいつ寝ているのか?と心配になって、お袋が酔いつぶれた宿泊者の介抱をしている間に、小学生の私は流し台に積み上げられた汚れた食器を深夜に洗っていた。
だから面倒なことはお袋におしつけて、呑気に酔っぱらってイビキをかいて寝ている親父を憎らしく思っていたし、今でもその思いはある。
それでもだ・・・。
 
親父のアイドルだったシュガー・レイのボクシングスタイルのようにスタイリッシュとはいえなくても、泥臭く懸命に生き、多くの人に愛され、支えられたスイートな人生だったと思う。
お袋への思いやりの無さは別として、我が人生に悔いはなし、と本人も思っていると思う。
 
お袋も「自分は好き放題なことやって、面倒は全部わたしに押し付けた」と、最近になってから苦労話しをするようになったが、「でも普通じゃ体験できない面白いことをいっぱい体験できたのはお父さんのお陰」とフォローしている。
 
それは私も同じ想い。
 
ここ数日、お袋と家の片づけをしながら心の準備をしていた。
そして今朝はやくに旅だった。享年88歳の大往生だった。
これから病院に迎えに行くが、しばらくは連絡つきにくいです。

ちいさな水滴ピアス・・・ついに桐箱使用に舵をきる

2022年10月22日 08時23分39秒 | ぬなかわヒスイ工房
水滴をイメージした直径5㎜のスタッグ・ピアスをつくるきっかけになった地元女性に完成品を渡した時に、超カワイイ!桐箱にいれるとぜったい売れますよう!とアドバイスを頂いていた。
 
初心者のころ来客が買い求めた、うやうやしく桐箱に納められた、切削傷がのこったままの未熟な加工の勾玉をみせられて愕然としたことがあって、自分は容れ物で価値を演出するより、作品の内実で売れるようになりたいと桐箱使用は棚上げにしていた。
 
加工を始めてから10年、作品の内実で勝負しますと自分流を貫く時期を経て、桐箱にいれるに相応しい作品と評価されるようになったということか?客観的な立場の人の意見は貴重だ。
 
売るプロの滝沢泰平さん夫妻が遊びにきた時に相談したら、やはり桐箱にいれた方が絶対にいいというアドバイスをもらい、桐箱の使用へと舵をきることにした。
 
とりあえずは既製品の桐箱をつかって台紙を自作してみたが、もっと小さい桐箱のほうが作品の小ささが際立つし、外した蓋の置き場所に困る「インロウ蓋」より、外した蓋を箱に入子にできる「被せ蓋」の方がいいよなと、業者に見積依頼をした。
 
焼印も柔らかくて焦げやすい桐箱用に、温度調整の工夫をする必要がある。工房の改装工事も同じ想いで始めたことだが、古い殻を破って脱皮する時期だ。
 
 
 

「本気の背守」誕生・・・友人がつくったヒスイと大麻を組合せたクールジャパンの首飾り

2022年10月20日 08時09分31秒 | ぬなかわヒスイ工房

上越市の友人が、昔からある素材を組み合わせて、これまで何処にもなかったアクセサリーを「創った」

商品名は「本気の背守」で、作者は高田の町屋民泊「仲六青苧のいえ」の主の原りささん。

ヒスイは地味だから、海外に売るには貴金属をつかって外国の富裕層に好まれる商品開発を!と、糸魚川の経済人はいう。
 
しかし宝石の土俵でのヒスイは「半貴石」であって、同じ緑色の「貴石」のエメラルドに劣り、しかも鉱山で採掘されるエメラルドやミャンマーヒスイと、海岸で拾う糸魚川ヒスイとでは競争力で歯がたつ訳はないのだ。
 
求めて得るし玉かも、拾いし得る玉かもと万葉人に詠われたヒスイを「海外の富裕層に売る」のではなく、「ヒスイの歴史的魅力と文化的価値を発信してください」と経済人たちに訴え続けてきたが、友人の「本気の背守」はその点で画期的ではないか。
和服の背中の真ん中は縦の縫い目があるが、縫い目は魔を睨み返す文字通りの目であるとする文化が日本にあった。
 
ところが乳児の着物は反物1枚で作られ、背中に縫い目がないから、セイマンやドウマン、麻の葉などの吉祥文様を刺繍して魔除けとした。これが「背守」だ。
 
これぞ松尾芭蕉の唱えた「不易流行」をカタチとし、海外の人々に紹介したいクールジャパンのアクセサリーではないか。
 
友人は大麻だけでなく、越後上布の素材であり、国内最古の繊維もあるカラムシを栽培から繊維化、アクセサリーにするまでの活動もしていて、昨年の個展ではヒスイと組合せた作品の評判はよかった。
 
「古代の繊維とヒスイを組合せた首飾り」から、「文化的な背景のある首飾り」に発展させた。これは個展の目玉にせねばならんだろう。
 
 
 

海が黄色や白に濁る日・・・道路の車線や点字ブロックはマイクロチップゴミの発生源であるらしい

2022年10月18日 07時25分20秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

春になって雪がとけると、歩道除雪車のブレードで砕かれた点字ブロックの細かい屑が大量にでてきて暗い気持ちになる。

もちろん歩道除雪はありがたいし、オペレーターは悪くない。

10月時点でもこんな感じだが、春先はもっとたくさんの黄色い粒々が散らばっている。
 
気になって調べたら点字ブロックだけでなく、道路の車線や横断歩道の白い塗料も含めて、「合成高分子化合物」に分類されるマイクロチップゴミの発生源だそうだ。
 
世界中の道路の塗装が、マイクロチップになってが大気に舞い、川と海に流れていく。世界的なロングセラーになっているレイチェル・カーソンの「沈黙の春」は農薬と除草剤の問題に警鐘を鳴らしたが、あらたに放射能やプラスチックゴミも加わわり、脅威は減るということはない。
 
ストローやビニール袋の削減や、ビーチクリーン活動が報道される一方で、より広範囲に大量のマイクロチップが発生している事態に環境省は対策を考えているのだろうか?
政治主導で代替品の開発をする必要があるのではないか?青い海が黄色や白に濁るようになってからでは遅い。
 
 

「鉄道唱歌」に糸魚川の追加を~!・・・鉄道150周年

2022年10月14日 06時39分50秒 | 糸魚川自慢

鉄道唱歌 信越丶北陸線の旅

ガ~ン!
名曲「鉄道唱歌」で糸魚川がなんと歌われているかと調べたら、この曲ができた時点で北陸線の直江津~富山間はまだ開通しておらず、船旅だったので歌はなし!
 
直江津~佐渡間は船旅でもちゃんと歌があるし、直江津は信越線でも歌われているのに仲間外れか~い!
 
フォッサマグナの街、糸魚川~親不知間の保線区は難工事だったと聞いていたが、国内に5つしかない筒石の地下駅はどうした!能生のカニはどうした!ヒスイはどうした!天下の険親不知はどうした!
 
おっと、廃線が取り沙汰されている山岳鉄道、大糸線も忘れてもらっちゃ困る。
 
鉄道唱歌に歌われてない地域のみなさん、能天気に今年で鉄道開通150周年と喜んでいるJRに追加要望を~!(笑)
 
 
 

勾玉つくりを再開・・・ぬなかわヒスイ工房改装プロジェクト

2022年10月12日 07時14分38秒 | ぬなかわヒスイ工房
ほぼ半年ぶりに勾玉つくりは3日目で疲労困憊、立ち眩みするようになったので、今日は休養をかねて改装工事。
改装工事は休みなしでもこんなことにはならないのに、わたしにとっての勾玉つくりはやはり特別で、非日常の時間軸で流れていくようだ。
新しくつくった集塵システムの具合はいいし、BS-NHK「美の壺」を観て閃いた異業種の加工法をヒスイ加工に応用してみたら、改良の余地はあるものの及第点で今後が楽しみだ。
複数の勾玉を連ねた「古代風首飾り」も、これまでヒスイと同じく鏡面仕上げを目指していた姫川薬石やピンクヒスイを、多孔質な石材なりの自然な風合いを引き出す加工を目指す方針転換。
勾玉を単品で売るより、首飾りに仕立てて売るほうが楽しい仕事で、写真撮影も一度で済むから楽といえば楽。
 
休業中に頂いた注文品はまだ残ってるが、作りたい作品や試したいアイデアが溢れでてくる。
 
 
 
 

外壁DIYは専門店のガルバリウム鋼板の角波トタンがオススメ・・・ぬなかわヒスイ工房改装プロジェクト

2022年10月08日 09時01分15秒 | ぬなかわヒスイ工房
冬の到来をまえに外壁が張り上がって一安心。
玄関なのにのっぺりした印象だけど、年内はこれでカンベンしてもらう(笑)来年は雪国の雁木(がんぎ)のようにテラスを作る予定。
裏通りに面した外壁は解体材の転用だが、玄関まえだけ専門店のガルバリウム鋼板の角波トタンにしたのは、ホームセンター品だと寸法が半端になって大量の金属ゴミが出るし、カットに無駄な時間がかかるから。左の面は新品のガルバリウム鋼板の角波トタンで、他は解体材の転用。
 
専門店は素材ロールを切って、要望通りの寸法に作ってくれるのだ。
 
素人が専門店に行くのは勇気がいる・・・恐る恐る国道沿いの伊藤金物さんを訪ねた(笑)
しかし建材のラックさんや、材木のランバー羽入さんがそうであったように、予想外に親切に相談に乗ってくれた。忙しいから無理!素人は相手にしない!なんて追い払われるかと覚悟はしていた(笑)
 
専門店は品質が良い分、ホームセンターより高いのではないか?実はそうでもなかった。
 
ホームセンターのガルバリウム角波トタンは、600㎜の幅(いわゆる働き幅)で厚みが0.25㎜で無塗装品、運搬は自分でしなければならない。
 
対して伊藤金物さんは400㎜の幅と狭いが、厚みが0.35㎜の裏表ともに塗装品、配達は無料で、同じ長さだとホームセンター品と同等くらいの値段!
 
幅こそ狭いが、厚みが0・1㎜違うだけで重さと頑丈さがずいぶんと違うし、塗装品だから耐久性も格段に違う。また幅が200㎜狭い分、ひとり作業はやり易かった。
 
どの色でも値段は同じとのことなので、モスグリーン色を選んだ。
 
因みにホームセンター品は無塗装なので5年の耐久年数。専門店のは15~20年はメンテナンスフリーだろうから、15年目くらいにもう少し明るいモスグリーンに塗装予定。
 
YouTube動画で外壁DIYを参考に観たら、大抵はホームセンターで買った万能ハサミで長さと幅をカットして、ギザギザデコボコになっているようだけど、効率よく、綺麗に仕上げたかったら建築金物店で「ヤナギ刃ハサミ」「波板ハサミ」「つかみ」を購入した方がいい。セットだと1万円くらいの投資。
左からヤナギ刃、波板、ツカミ。ツカミは折り曲げたり、カットなどで歪んだ板金を補正する時につかう道具。
 
本当は角波トタン用のハサミが売っているのだけど、持っていた波板トタン用の波板ハサミとヤナギ刃、デイスクグラインダーを併用したらなんとかなった。
 
あと波板トタンより角波トタンの方が、素人でもピシャリと張れるのでDIYに向いていますな。波板トタンをビス止めすると波が潰れて寸法が伸びたり、上下で幅寸法にズレが出たりする。
 
DIYしたい人、まずは地元の専門店に相談しましょう。ネット通販やホームセンターにはない恩恵はいっぱいあるし、安物買いの銭失いになる心配はないよ。
 
 
 

運気の高い友人が遊びに来ると元気をもらえますナ・・・ぬなかわヒスイ工房改装プロジェクト

2022年10月06日 07時29分33秒 | ぬなかわヒスイ工房
八ヶ岳で理想郷(笑)を作っている泰平&真由美さん夫妻が、不要になった庭石を引き取りに来たので、作品やギャラリーのデイスプレイなど意見を聞いた。
作るのが好きだけど売るのが苦手なわたしにとっては、ネットビジネスの成功から不動産業を営む多角経営者となり、都会から若者の移住を促進している夫妻の意見は貴重。
とくに真由美さんの女性目線の意見はありがたい。会うたびに「いしだあゆみの若い頃に似ている」と思ってしまう(笑)
コロナ自粛で3年ぶりに会った泰平さんも貫禄がついていた。
カウンター下にはアストロプロダクツの特別色の緑のキャビネットと古民具の箪笥を収納に据えた。
テーブルも移動できるようにキャスターを取り付けた、古民具の箪笥を利用している。来客に飲み物を出したり、商品を観てもらうのにちょうどいい高さに工夫。
 
来年こそは長者ヶ原遺跡のライブも含めて、縄文以来、脈々と続く八ヶ岳と日本海の交流をさせたいもんだが、まだ泰平さん絡みではヒスイ拾いはやってなかったし、要望のあった黒姫山登山も持ちこしている。
 
泰平さんの拠点は、国内初のヒスイ大珠が出土した「天神遺跡」を見下ろす丘の上にあるのもなにかの縁を感じるが、なにより夫妻は運気が高いので、会っていると元気をもらえるのがいい。